阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「狸施灸治」
[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]
「狸施灸治《たぬき きうぢを ほどこす》」 安倍郡《あべのこほり》府中硏屋町《とぎやちやう》にあり。傳云《つたへいふ》、
『文化五年、當町に、旅僧、一宿す。二人の伴僧あり。
翌日、彌勒町《みろくちやう》に往き、爰《ここ》に、二日、逗留して、
「夢想の灸。」
と號して、普《あまね》く、人に施し、謝《しや》は錢十二文を限《かぎり》とす。
「是より、西宿《にしじゆく》に行《ゆく》べし。」
とて、安倍川を越し、左渡《さわたり》に至る。
時に、橫合《よこあひ》より、猛《たけ》き犬、一匹、走りて、轎夫《きやうふ/かごかき》の足もとに來《きた》る。時に、此僧、深く恐怖《おそれおぢ》たる形樣《かたちざま》して、駕《かご》より轉び落ち、
「あ。」
と叫《さけん》で、狸となり、向敷地村《むかうしきぢむら》、大窪山德願寺《だいあさんとくぐわんじ》【曹洞。】山《やま》に逃入《にげいり》たり。
伴僧も、いつの程《ほど》にか、逃《にげ》たりけん、かひくれ、見えず成《なり》ぬ。
此《この》灸を受《うけ》たる者、或《あるい》は聾《おし》、或は吃人《きつじん/どもり》と成《なり》て、病《やまひ》、愈《いえ》たる者、更になし。云云《うんぬん》。」。
[やぶちゃん注:「府中硏屋町」現存する。静岡県静岡市葵区研屋町。ここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。
「文化五年」一八〇八年。徳川家斉の治世。
「彌勒町」現在の葵区弥勒であろう。程んどが、安倍川の左岸である。
「西宿」不詳。漠然と、「府中から安倍川を渡った西の方の宿駅」の意ででもあろう。
「左渡」安倍川の左岸の静岡市駿河区丸子地区に「佐渡」(さわたり)のポイントとして現存する。
「轎夫」「轎」は、元は中国・朝鮮で用いられた、乗る部分の左右両外側中部に「担い棒」を装着した一種の駕籠(かご)であるが、ここは江戸時代の駕籠舁きと考えてよい。
「向敷地村」現存する。駿河区向敷地(むこうじき)。平凡社「日本歴史地名大系」の「向敷地村 むこうしきじむら」によれば、旧の『静岡市』『有渡郡』(うどぐん)・『庵原郡』(いはらぐん)『地区向敷地村』。現在は駿河区向敷地。『安倍(あべ)郡に所属。安倍川の右岸、同川に藁科(わらしな)川が合流する地点の南に位置し、南と東は手越(てごし)村。村名は安倍川対岸の有渡郡敷地(しきじ)村に対する』、『向こうの意味によるという(修訂駿河国新風土記)。向鋪地とも書くが(享保一六』(一七三一)『年』の『駿府代官所村高帳)、元禄一六』(一七〇三)年『の駿府巡見帳(静岡市立図書館蔵)などのように』「敷地村」『と書いて当村のことをさす史料もある。昔は藁科川が当村の中を流れていたが、天正』から『慶長(一五七三―一六一五)頃に金(かな)山(現曹洞宗東林寺の東の山)から猿郷(さるごう)に堤防が造られ、金山の東を流れるようになったという(駿河記)』とある。
「大窪山德願寺」向敷地のここ(グーグル・マップ・データ航空写真)に現存する。この寺の後背が「德願寺山」(とくがんじやま)である。標高三五二メートル。歌川広重筆の「東海道五十三次」の壱九番「府中」(ウィキの「徳願寺山」の画像)に描かれている。
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……しかし、この話、……療治を受けた者が、皆、病いとなったとあって、甚だ、後味が悪い……私の「怪奇談集」中の妖狸話でも、頗る最後の結末がヒド過ぎる。極めて不快の特異点である……]
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