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2025/09/01

和漢三才圖會卷第九十一 水果類 慈姑 / 卷第九十一~了

 

Omodakasirokuwai_20250901094401

 

をもたか    籍姑°白地栗

しろくわゐ   水萍°阿鳬茈

慈姑

        苗名剪刀草

        箭搭草°槎丫草

ツウ タウ     燕尾草

[やぶちゃん字注:「をもたか」はママ。「阿鳬茈」本項の「本草綱目」の引用は「漢籍リポジトリ」の「卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「慈姑」([081-34a]以下)のパッチワークであるが、そこの「釋名」の異名([081-34b]以下)を見てみると、三つ目に『河鳧茈【圖經】』とあるのが判る。従って、この「阿」は良安の誤字であることが判明する。そこで、訓読文では特異的に訂正した。

 

本綱慈姑生水田中人亦種之三月生苗青莖中空其外

有稜葉如燕尾前尖後岐每叢十餘莖內抽出一兩莖上

分枝開小白花四辨蕋深黃色霜後葉枯根乃練結大者

如杏小者如栗色白而瑩滑冬及春初掘取以爲果須灰

湯煮熟去皮食乃不麻澀戟人咽也嫩莖亦可煠食一根

[やぶちゃん注:「煠」「蓮」にも出たが、「煠」は原文では、「つくり」の上に「云」があるのだが、このような漢字はない。但し、引用元の「本草綱目」を、「漢籍リポジトリ」の卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「慈姑」で確認したところ(ガイド・ナンバー[081-35a]の二行目)、この字体の字が画像で組まれてあった。しかし、この字には良安が『ユテヽ』(茹でて)と振っているので、特異的に、「煠」(その意を持つ場合の音:サフ(ソウ)/ゼフ(ジョウ))で訂した。

歳生十二子如慈姑之乳諸子故以名之

福州別有一種小異三月開花四時采根食

 又有山慈姑者【與此不同見山草部】

根【苦甘微寒】 治百毒產後血悶攻心欲死【妊婦不可食】

 以生薑同煑食佳【多食發腸風痔漏崩中帶下瘡癤】

△按慈姑其苗俗名於毛太加其根名白久和井開單葉

 小白花 近頃有千葉者花大如指頭團白以爲珍其

[やぶちゃん注:「近頃」の「頃」の(へん)は「土」となっているが、誤刻と断じて訂した。]

 紅者亦希有之栽盆中賞其花

一種有小而如獨頭蘭根者煮食之味更佳攝州吹田村

 多出之所謂福州之小慈姑此類矣凡慈姑煠復用醬

[やぶちゃん注:「煠」は同前。]

 油煮食味似栗不須灰湯亦可

 

   *

 

をもだか    籍姑《せきこ》°白地栗《はくちりつ》

しろくわゐ   水萍《すいひやう》°河鳬茈《かふし》

慈姑

        苗《なへ》を「剪刀草《せんたうさう》」

        と名づく。

        箭搭草《せんたうさう》°

        槎丫草《さあさう》

ツウ タウ     燕尾草《えんびさう》

[やぶちゃん注:「をもたか」はママ。]

 

「本綱」に曰はく、『慈姑《くわゐ》は、水田の中に生ず。人、亦、之≪を≫種ふ。三月、苗を生ず。青≪き≫莖、中空《ちゆうくう》にして、其≪の≫外《そと》に、稜《りやう/かど》、有り。葉、燕(つばめ)の尾のごとく、前《さ》き、尖《とが》り、後《しり》へ、岐(また)あり。每叢《まいさう》[やぶちゃん注:それぞれの一つの叢(むら)毎に。]、十餘莖《じふよくき》の內《うち》、抽出《ぬきんでて》して、一《いち》、兩《りやう》莖を上に、枝《えだ》を分《わけ》て、小《ちさ》き白花を開く。四辨、蕋《しべ》、深黃色。霜の後《のち》、葉、枯《か》る。根、乃《すなは》ち、練結《れんけつ》す[やぶちゃん注:一続きになるように繋ぎ合わせること。「連結」に同じ。]。大なる者、杏《あんず》のごとく、小き者は、栗《、くり》のごとく、色、白《しろく》して、瑩滑《えいかつ》なり[やぶちゃん注:つやが、あって、なめらかなこと]。冬、及《および》、春の初めに、掘取《ほりとり》て、以《もつて》、果《くわ》と爲《なす》。須《よろしく》、灰湯(あく《ゆ》)をもつてすべし。煮熟《にじゆく》し、皮を去《さり》て、食へば、乃《すなはち》、麻澀《まじふ》[やぶちゃん注:]、人の咽《のんど》を戟《げき》せざるなり[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、『咽喉(のど)が刺激されてえぐく、しびれたようになることは』、『ない』とある。]。嫩《わかき》莖も亦、煠(ゆで)て[やぶちゃん注:原本では『ユデヽ』。]食ふ。一根、歳《とし》に、十二の子《こ》を生ず。慈姑《じこ》[やぶちゃん注:慈悲深い夫の母。]の、諸子《しよし》に乳《ちち》するがごとくなる故《ゆゑ》≪を≫以つて、之≪れに≫名づく。』≪と≫。

『福州(ふくちう[やぶちゃん注:ママ。現在の福建省。])に、別に、一種、有り。小《すこし》く、異(《こと》な)り。三月、花を開≪き≫、四時、根を采《とり》て、食《くふ》。』≪と≫。

『又、「山慈姑《さんじこ》」と云《いふ》者、有り。【此《これ》とは同じからず。「山草部」を見よ。】。』≪と≫。

『根【苦、甘。微寒。】』『百毒、產後≪の≫血悶《けつもん》≪に於いて≫心《しん》を攻め、死なんと欲《ほつ》するを、治す【妊婦、食ふべからず。】。』≪と≫。

『生薑《しやうが》を以つて、同《おなじ》く、煑て食ふに佳し【多食は、腸風[やぶちゃん注:腸炎。]・痔漏《じらう》・崩中《はうちゆう》[やぶちゃん注:子宮出血。]・帶下《こしけ》・瘡癤《さうせつ》[やぶちゃん注:化膿性毛囊炎。]を發す。】。』≪と≫。

△按ずるに、慈姑《くわゐ》、其《その》苗を、俗、「於毛太加《おもだか》」と名≪なづく≫。其の根を、「白久和井《しろくわゐ》」と名《なづ》く。單-葉《ひとへ》の小≪さき≫白花を開く。

 近頃、千-葉《やへ》の者、有り。花の大いさ、指の頭のごとく、團《まろ》く、白《しろく》、以《もつ》て、珍と爲《なす》、其《その》紅《くれなゐ》なる者も亦、希《まれ》に、之《これ》、有り。盆中に栽《うゑ》て、其花を賞す。

一種、有小《しやう》≪に≫して、「獨頭蘭(ほくり)」の根のごとくなる者、煮て、之≪を≫食ふ。味、更に佳し。攝州、吹田村(すいたむら)、多《おほく》、之≪を≫出《いだ》す。所謂《いはゆ》る、福州(ホクチウ[やぶちゃん注:ママ。現在の福建省の省都である福州市(グーグル・マップ・データ)。現行の音写は「フッチュ」。])の「小慈姑《しやうじこ》」、此の類《るゐ》か。凡そ、慈姑《くわゐ》、煠(ゆで)て、復《また》、醬油を用《もちひ》て、煮て、食ふ。味、栗に似たり。灰湯《あくゆ》を須《もち》ひずして、亦、可《よ》し。

 

[やぶちゃん注:本項は、良安の評言が、現代の植物学から見て、極めて致命的な大きな誤りを犯していることは、既に前項の「和漢三才圖會卷第第九十一 水果類 烏芋」で、少しく述べておいた。而して、ここでは、特異的に、引用元の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「慈姑」(ガイド・ナンバー[081-34a]の七行目から)を、まず、全文引用する(一部の漢字その他に手を入れた。また、私が問題のある内容と判断した箇所に下線を引いて、ナンバーを打った)。

   *

慈姑【日華】  校正【原混烏芋下今分出仍併入圖經外類剪刀草】

 釋名藉姑【别錄】水萍【别錄】河鳧茈【圖經】白地栗【同上】苗名剪刀草【圖經】箭搭草【救荒】槎丫草【蘇恭】燕尾草【大明根時珍曰慈姑一歲生十二子如慈姑之乳諸子故以名之作茨菰者非矣河鳧茈白地栗所以别烏芋之鳧茈地栗也剪刀箭搭槎丫燕尾並象葉形也】

 集解别錄曰藉姑三月三日采根暴乾弘景曰藉姑生水田中葉有椏狀如澤瀉其根黃似芋子而小煮之可啖恭曰慈姑生水中葉似錍箭之簇澤瀉之類也頌曰剪刀草生江湖及汴洛近水河溝沙磧中葉如剪刀形莖幹似嫰蒲又似三稜苗甚軟其色深靑綠每叢十餘莖內抽出一兩莖上分枝開小白花四瓣蕋深黃色根大者如杏小者如栗色白而瑩滑五六七月采葉正二月采根卽慈姑也煮熟味甘甜時人以作果子福州别有一種小異三月開花四時采根功亦相似時珍曰慈姑生淺水中人亦種之三月生苖靑莖中空其外有稜葉如燕尾前尖後岐霜後葉枯根乃練結冬及春初掘以爲果須灰湯煮熟去皮食乃不麻澀㦸人咽也嫰莖亦可食又取汁可制粉霜雌黃又有山慈姑名同實異見草部根氣味苦甘微寒無毒大明曰冷有毒多食發虛熱及腸風痔漏崩中帶下瘡癤以生姜同煮佳懷孕人不可食詵曰吳人常食之令人發脚氣癱緩風損齒失顏色皮肉乾燥卒食之使人乾嘔也

主治百毒產後血悶攻心欲死產難胞衣不出擣汁服一升又下石淋【大明】

 葉主治諸惡瘡腫小兒遊瘤丹毒擣爛塗之卽便消退甚佳【蘇頌】治蛇蟲咬擣爛封之【大明】調蚌粉塗瘙疿【時珍】

   *

原文では、判り難いので、★国立国会図書館デジタルコレクションの「頭註國譯本草綱目 第九册」(鈴木真海訳・白井光太郎他校注・一九七五年春陽堂書店刊)の当該部分(「七七」ページから、次の次の「八〇」ページの一行目まで)の訳を示す。戦後の版であるが、本文は先行する基礎とした旧版に則り、頭注を除いて、歴史的仮名遣で旧字である。字下げ部分は引き上げ、字空けも再現していない。四角囲みは[ ]、割注は【 】とした。人名や一部の書名には傍点「◦」があるが、下線に代えた。学名が斜体になっていないのはママ。また、頭注があるが、適切と判断した箇所に挿入した。図があるが、ここではカットする。

   《引用開始》

慈 姑(日華)和名 くわゐ

         学名 Sagittaria sagttifolia, L. var. suinensis, Makino.

         科名 おもだか科(澤瀉科)

[校正]もとは烏芋の條下に混入してあつたが、本書には分離して記載し、同時に圖經外類の剪刀草を併せ入れた。

[釋名]藉姑【别錄】水萍【别錄】河鳧茈【圖經】白地栗【同上】苗を剪刀草と名ける。【圖經】箭搭草【救荒】槎丫草【蘇恭】燕尾草【大明】時珍曰く、慈姑(じこ)は一根毎歲十二子を生じ、慈姑の諸子を乳する如きだからそれを名としたので、茨菰と書くのは正しくない。河鳬茈、白地栗といふは、烏芋を鳬茈、地栗というと區別するためである。箭刀、箭搭(せんたふ)、槎丫(さあ)、燕尾はいづれも葉の形の形容である。

[集解]别錄に曰く、藉姑は三月三日に根を採つて暴乾する。

弘景曰く、藉姑は水田中に生じ、葉に椏があり、形狀は澤瀉のやうで、その根は、黄で芋子に似て小さい。煮て啖(く)へる。

 曰く、慈姑は水中に生じ、葉は錍箭(ひせん)[やぶちゃん注:弓矢の金属製の鏃(やじり)のことであろう。]の簇(ぞく)に似てゐる。澤瀉の類である。

 曰く、剪刀草は、(1)江湖、及ぴ汴洛(べんらく)の水に近き處、河溝、砂磧(しやせき)の中に生ずる[やぶちゃん注:「(1)」の頭注。『江湖は揚子江中下流域の水系をいう。汴は河南省開封。洛は洛陽。(考定者)』。]。葉は剪刀のやうな形で、莖、幹は嫩(わか)い蒲に似てゐる。また三稜の苗のやうで、甚だ軟い。その色は深靑綠で、毎叢に十餘莖あり、內から一二莖が抽き出て上に枝が分れ、小さい白花を開き、四瓣で蕊は深黃色である。根は大なるは杏ほど、小なるは栗ほどで、色は白くして瑩滑(えいくわつ)である。五六七月に葉を採り、正二月に根を採る。卽ち慈姑である。煮熟すると味が甘甜(かんてん)なもので、世間ではこれを果子に作る 福州(2)にある別の一種は少し異ひ、三月に花を開き、四季共に根を採る。功はやはり相似たものだ[やぶちゃん注:「(2)」の頭注。『福州の旧治は福建省閩侯県。(考定者)』。]。

 時珍曰く、慈姑は淺水中に生じ、一般にもやはり栽培する。三月に苗が生え、莖は靑く、中が空で、その外面には稜がある。葉は燕尾のやうで、前が尖つて後が岐(わか)れ、霜後に葉が枯れる。根は連結したもので、冬、及び春初に掘り、それを果にする。灰湯で煮熟して皮を去つて食へば麻澀せず、人の咽を刺戟しない。嫩莖(とんけい)もやはり煠(に)て食へるものだ。又、取つた汁は粉霜、雌黃を制し得る。又、山慈姑といふのがあるが、名は同じだが實は異ふ。草部に記載してある。

(3)[氣味]【苦く甘し、微寒にして毒なし】大明曰く、冷にして毒あり。多食すれば虛熱、及び腸風、痔漏、崩中、帶下、瘡癤(さうせつ)を發する。生姜(しやうきやう)と共に煮るが佳し。妊婦は食つてはならない。

 曰く、吳地方では常にこれを食ふ。人をして脚氣、癱緩風(なんくわんふう)[やぶちゃん注:身体の各所に起こる軽度の麻痺。]を發し、齒を損じ、顏色を失ひ、皮肉乾燥せしめる。卒(にはか)に食へば、人をして乾嘔せしめる[やぶちゃん注:「(3)」の頭注。『成分 根茎にglucose, fructose, saccharose, raffinose, stachyose などの糖と多量のデンプンを含む。“Chemotaxonomie der Pflanzen”Ⅱ, 49(秦)』とある。「秦」は校定者の一人である薬学博士秦清之氏を指す。]。

[主治]【百毒、產後の血悶で攻心して死せんとするもの、難產、胞衣不出には、擣汁一升を服す。又、石淋を下す】(大明)

[主治]【諸惡瘡腫、小兒の遊瘤[やぶちゃん注:オデキ・疣、皮膚の下に生ずる良性腫瘍であるアテローム(Atheroma:私は非常に出来易い体質で、二十代の初めに真皮層まで食い込んで、手術で除去した経験がある)を指す。]、丹毒には、擣爛[やぶちゃん注:「つきただ」。]らして塗る。直ちに消退して甚だ佳し】(蘇頌)蛇蟲(4)を治するには、擣爛らして封ずる(大明)【蚌粉(はうふん)[やぶちゃん注:淡水二枚貝の殻を粉末にしたもの。]を調へて瘙疿(さうひ)[やぶちゃん注:湿疹・発疹や、それらの熱を持ったものと思われる。]に塗る】(時珍)[やぶちゃん注:「(4)」の頭注。『「蛇虫を」は「蛇虫の咬傷を」に正す。(考定者)』。]。

   *

以上を見るに、「本草綱目」の記載は、「澤瀉」に似ていて、その類であることが、一貫して語られてあり、しかも、前項で述べた通り、「本草綱目」は「澤瀉」を立項していないことから、現行の分類学と違和感が全く認められないと言ってよい。

 ところが、良安の評言部では、

「慈姑(くわい)の苗(なえ)を、俗に、「於毛太加(おもだか)」と名づく。」と言い、「その根を、『白久和井(しろくわい)』名づく。」とし、「単葉(ひとえ)の小さな白い花を開く」とするのである。

 しかし、本邦で言う「於毛太加(おもだか)」は、漢字表記「沢瀉・澤瀉・面高」で、

単子葉植物綱オモダカ亜綱             オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ Sagittaria trifolia であり、

 本邦で言う「慈姑(くわい)」は、正しく、

オモダカ属オモダカ品種クワイ Sagittaria trifolia L. 'Caerulea'

である。

ところが、良安の言う「白久和井(しろくわい)」というのは、

単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科ハリイ属シログワイ Eleocharis dulcis

であり、全くの明後日の別種なのである。今回は、前とは別の、英文の“Wikimedia Commons”の“Search media”の“Eleocharis dulcis”の画像をリンクする。そこには、如何にもなシュンと伸びた稲っぽい葉、その先の、ややむっくりした穂先、而して、開花した花は、確かに白いが(グーグル画像検索「稲の花」よりも「花」らしくないと私は思う)、ショボショボとちょろちょろと糸状に出たもので、これを自信を持って「白い花」と言上げする気は、私には、ない。しかも、「オモダカの白い花」(グーグル画像検索“Sagittaria trifolia flower”)を知っているなら、「これ! ゼンゼン!! チャウでぇ!!!」と呆れかえること、請け合いであろう。

 さて、まずは、立項されていない正統のウィキ「オモダカ」を引く(注記号はカットした。太字・下線は私が附した)。『オモダカ(沢瀉・澤瀉・面高、学名: Sagittaria trifolia L.)は、オモダカ科オモダカ属の水生植物である。ハナグワイ、サンカクグサ、イモグサ、オトゲナシなど多くの別名がある。オモダカの語源は』、『はっきりとはしておらず、人の顔に似た葉を高く伸ばしている様子を指して「面高」とされたとも、中国語で湿地を意味する涵澤(オムダク)からとられたとも言われる』。『アジアと東ヨーロッパの温帯域から熱帯域に広く分布し、日本でも各地で見られる。水田や湿地、ため池などに自生する』。『春に、種子と塊茎から発芽する。発生初期は線形の葉をつけるが、生長が進むと矢尻形をした葉をつける。葉の長さは最大で』六十センチメートル『ほどになるが、葉の形態は種内変異に富む。花は単性花で、雌雄同株、白い花弁を』三『枚つける。楕円形の種子には翼をもつ。また種子のほかに、地中に伸ばした地下茎の先に塊茎をつけ、それによって繁殖する。染色体数は2n=22』。

以下、「類似種」の項。『同じオモダカ属のアギナシ』(オモダカ属アギナシ Sagittaria aginashi )『とよく似ているが、アギナシは根元に粒状の球芽(むかご)を多数形成する一方で』、『地下には走出枝を出さないが、オモダカは走出枝を出し、球芽をつけることはないため、草体を引き抜けば』、『区別できる。そのほか、アギナシの花は葉より高い位置につくという傾向や、オモダカでは矢尻型の葉の先が尖るのに対して』、『アギナシでは先が丸みを帯びるという点も異なるが、花の位置や葉の形態には変異が大きく』、『決め手とはなりがたい。また、アギナシは「顎無し」の名の通り、矢尻型でないヘラ状の葉をつけることも多いが、同様の葉はオモダカでも見られるため、ヘラ状の葉の有無では区別できない』。

以下、「人間との関係」。『日本では昔から愛されている花で、平安時代には蒔絵の紋様にも描かれた。源平の武士たちの武具や衣服にもよく登場する』。『オモダカは観賞用に栽培されることもあるが、通常』、『利用されることは少ない。前述のように』、『種子のほかに塊茎でも繁殖するため、難防除性の水田雑草として扱われることもある。ただし、オモダカの栽培変種であるクワイは、塊茎が肥大化して食用となるため』、『栽培され、おせち料理などに利用される。クワイはその外形から「芽が出る」ことを連想させるため、縁起物として扱われる。日本では、オモダカの葉や花を図案化した沢瀉紋(おもだかもん)という種類の家紋がある』とあった。

 次に、本項のメインであるウィキの「クワイ」を引く(同前)。『クワイ(慈姑、学名:Sagittaria trifolia L. 'Caerulea')とは、オモダカ科オモダカ属の水生多年草である、オモダカの栽培品種である。別名として、田草、燕尾草(えんびそう)、クワエが知られる。日本では食用に栽培されてきた歴史が古く、また葉の形が独特なため、地域により様々な呼び方がされている』。『和名の「クワイ」の語源には諸説が有り、定かではない。以下のような説が知られる』。

■『葉の形状が鍬に似ているため、「鍬の刃の形をした植物のいも」から「くわいも」となり、転訛した。新井白石の』「東雅」『にて紹介されている説』。

■『水中植物のイモから、川芋』/『河芋(かわいも)となり、転訛した』。

■『食用になるイグサ』(イネ目イグサ科イグサ属イグサ Juncus decipiens :藺草・井草・イ草。但し、正式和名は、ただ「イ」である)『の意から「くわれい」となり、転訛した。大槻文彦の』「大言海」『にて紹介されている説』。

■『若い栗の味に似ているから「クワイグリ」となり、転訛した』。

なお、『漢語表記の「慈姑」は』「本草綱目」『などで確認ができ』、『以下のような説が存在する』。

◆『種芋の周囲に出た地下茎の先端に芋のつく状態が「慈悲深いしゅうとめが乳を与えている」のに似ていることから』前項の「烏芋」の引用部を参照)

◆一『年に』一つの『根から』十二『の芋が出来るクワイの姿が「慈しみ深い(慈愛)母 (姑)が子供たちを養育する姿」に似ていることから』(同前)

但し、『標記の「慈姑」と日本語読みの「クワイ」との間の語源的関係性は、確認されていない。なお、 日本現存最古の薬物辞典である』「本草和名」や「和名類聚鈔」『では「久和井」や』「久和爲」『の表記で紹介されている』。ただ』、「和名類聚鈔」『では、クワイとクログワイとが混合して紹介されている』。

   *

「和名類聚鈔」「卷十七」の「菓蓏部第二十六」「芋類第二百二十四」」の以下である。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年版の当該部を参考に訓読して見ると、

   *

澤寫(ナマヰ) 「本草」に云はく、『澤寫、一名、「芒芋」。』【和名、「奈萬井」。】≪と≫。

烏芋(クワヰ)    蘇敬が「本草注」に云はく、『烏芋は』【和名、「久和井」。】『水中に生ず。澤寫の類なり。』≪と≫。

   *

因みに、前の「澤寫」は、イグサとオモダカが分類上、明確に分離する前のものなのかも知れない。以下、引用に戻る。

   *

以下、「分布」の項。

『クワイはアジアを始め、ヨーロッパ、アメリカなど、世界中の温帯から熱帯に広く分布する。野生種のオモダカは東南アジア原産とされているが、栽培品種のクワイは中国で作られた。このため、クワイの原産地は、中国とされている。なお、野菜として栽培されている地域は、中国と日本に限られる。日本では、江戸時代から盛んに栽培されていた』。

『単子葉の多年生の水生植物で、草丈は』一・一〇~一・二五『メートル』『程度に成長する。葉は、長さ』三十センチメートル『の切り欠きが無い矢尻形で、葉身の内部は海綿状の組織になっている。匍匐茎は茎の各節から発生し、長さ』六十~八十センチメートル『まで伸びる。匍匐茎にも節が見られ、そこから二次匍匐茎が』二~三『本』、『発生する。匍匐茎の先端部には塊茎が着生し、原種のオモダカに比べて、より大きな塊茎がつく。塊茎は青味を帯びて水平に節輪が見られ、薄い鱗片に包まれて、先端部に長さ』五~六センチメートル『の頂芽がつく。雌雄異花。円錐花序を出して、白い花弁の有る花がつく。花後は』、『ほとんど結実しない』。『クワイの栽培は、水田で行われる。クワイの発芽は、植え付けが行われる』七『月上旬頃で、発芽温度は』摂氏十三度『から』十五度『以上である。クワイの生育経過は、発芽から葉数増加期の栄養生長期(』七~八『月)と、匍匐茎発生から塊茎肥大期までの生殖生長期(』八『月下旬』~十一『月中旬)に分けられる。栄養生長期における生育適温は』二十度『から』三十度『であるが、葉数の増加する速度は温度に影響され、高温条件で促進される。生殖生長期における匍匐茎の発生は、本葉が』十四~十五『枚』、『展開した後で行われ、その後茎葉の展開ごとに匍匐茎が』一『本発生する。匍匐茎の伸長が終わると』、二『枚の苞に包まれて塊茎を形成するが、昼間の時間が短くなり』、十五度『くらいの低温に遭うと、肥大が開始される。茎葉は霜に遭うと』、『枯死するものの、水面下では塊茎の肥大が晩秋まで行われる』。

以下、「種類」の項。

『クワイの栽培品種は、青藍色の青クワイ、淡青色の白クワイ、小粒の吹田クワイの』三『種類が有り、いずれも水田で栽培される。植物学者の牧野富太郎は、渡来系とは別に日本で栽培品種化されたオモダカの変種として学名を与えている』。

□『青クワイ』:『日本で栽培されている主流の品種で、草丈はやや低く、葉は中葉で緑色。塊茎は偏球形で外皮が青色を帯びる。青クワイのうち、塊茎の底が平らな系統を「新田クワイ」、やや腰高で円球系の系統を「京クワイ」と区別する。ほくほくとした食感が特徴である』。

□『白クワイ』『中国で多く栽培される品種で、日本ではほとんど見られない。草丈は高く、葉は大型で淡緑色。塊茎は白色を帯び、円球形で、青クワイに比べて肉質がかたく、シャリシャリとした食感が特徴である。味は淡泊で苦味が強い。中華料理の材料に利用される』。この「白クワイ」は、前掲した正式和名の「シロクワイ」と同一である。従って、基本定義であるオモダカの変種とは全く異なるイネ科のものであるしかし、ウィキには別に「シログワイ」があるのだが、この短い「白クワイ」の記述との関係性が全く示されておらず、非常に問題がある。さらに、そちらのウィキには、『中華料理で俗に黒慈姑(くろぐわい)と言われるものは、和名を

オオクログワイ(別名: シナクログワイ、学名: E. dulcis var. tuberosa

といい、シログワイの栽培品種である』と、またまた、別種が紹介されているのである。この悩ましい紛らわしい和名といい、別種起源といい、痙攣的状態をなんとかしないといかんのではあるまいか?!?

□『吹田クワイ』『クワイの野生種のオモダカに最も近い品種で、塊茎は小型であるが肉質が緻密で苦味が少なく、食味が良いとされる。オモダカの』一『系統とも言われている』。

以下、「歴史」の項。『クワイが日本に渡来した時期は不明であるが』、八『世紀の奈良時代には、日本にも存在していたと考えられている。江戸時代に生産と利用が盛んになり、主産地は京都、大阪、江戸周辺と考えられているが、その実態については、あまり解明されていない。江戸時代中期の天明の大飢饉には、救荒作物としての役割を果たしている』。『明治時代は、京都、大阪、埼玉、東京、茨城、千葉が、日本における主な生産地だった。昭和の太平洋戦争中は戦時下の統制品の』一『つになり、クワイ栽培は抑制された。戦後は栽培が復活したものの、都市化が進展して都市部での水田の減少に伴い、戦前よりも栽培面積は縮小した』一九七〇『年から』、『日本で開始された稲作転換政策により、転換作物としてクワイの作付面積が、日本では一時的に増えたが、その後は少しずつ減少を続けている』。『生育期間中の圃場を冠水状態にすることが重要で、水利の便が良いことが栽培に必要な条件である。土壌は泥炭土、細粒グライ土』(gley soil:常に地下水面が地表近くにある低湿な沖積地の土壌)『の半湿田が適しており、黒ボク土』(我々が小さな頃から馴染みの「くろつち」と呼んでいる火山灰土と腐植で構成された土壌)『や砂質土では』、『収量が落ちる。気象条件は、全期間を通して温暖であること、塊茎肥大期に』一『日の気温の差が大きいほど、充実した良い塊茎ができる。日本では、関東南部以南が栽培適地である』。『クワイの植え付けは、前年に収穫して冷蔵保存しておいた塊根を使うが、植え付け』一『週間前に冷蔵庫から取り出し、直射日光には当てず、乾燥しないように外気に慣らす。クワイ畑は』四『月に耕して』、六『月下旬から』七『月の植え付けの』二『週間前に水を張り、代かきをして水田のようにしてから塊根が植え込まれる』。二『週間後には、オモダカに似た葉が出て』、七『月下旬頃から』九『月にかけて、茎葉が旺盛に生長する。この生長期の間に、追肥と、茎葉を適度に間引く「葉かき」、地下茎を一部切断する「根回し」を行うことにより、根茎が充実して大きさも揃うようになる。また』、『水の管理も重要で、植え付け直後と秋期は水深』五センチメートル『の浅水、生長期の夏場は』六~九センチメートル『のやや浅水で、水を切らさないように管理が行われる。晩秋に気温が低下して葉が霜枯れするようになると、塊根の肥大が止まって収穫期を迎える』。『収穫方法はレンコンと同様で、動力ポンプを使った水圧で、水面下の泥の中の根茎を掘り起こして、水面に出てきた根茎を茎から切り離し、芽を傷付けないようにして収穫する。もしくは、水を落として地上部は刈り取り、収穫まで一旦は圃場を冠水状態にして、収穫する際に水を完全に落としてから根茎を掘り採る方法が行われる。翌年に植え付けるために確保する種球は、地下穴に貯蔵する室(むろ)貯蔵、または冷蔵庫貯蔵によって行われる』。『病虫害は、生育中期に発生する赤枯病や葉枯病』、九『月以降のアブラムシなどが知られており、収量に大きく影響する。植え付け直後は、カルガモによる食害を受ける場合も有る』。『連作障害は少ないが、赤枯病が発生した圃場での連作は忌避される』。『日本における主要な生産地は、広島県と埼玉県の』二『県で市場の』八『割以上を占める。生産量日本一は広島県福山市で、昭和初期にイグサの後作として広まり』、一九五五『年頃に特産品として定着した。需要が多い正月に合わせて栽培されるため』、十一『月下旬から』十二『月にかけて出荷のピークを迎える。作型の分化は、ほとんど見られず、一部で植え付け時期を早めた早熟栽培(』九~十『月出荷)が行われている』(以下、他の産地が示されるが、カットする)。

以下、「利用」の項。『欧米では観賞用が主である。日本と中国では塊茎を食用とし、特に日本では「芽(目)が出る」につながる縁起の良い食物と評され、煮物にしておせち料理などで食べられる習慣があるため、世界でも日本で最も普及している』。『食材としての旬は』十一『月から』四『月にかけてで、芽がきれいな形に伸びて、全体にツヤが有る物が、市場価値の高い良品とされる。芽が出た姿を活かして、芽は先端を斜めに切って残し、塊茎は底の部分を薄く切って整えたら皮をむいて水に曝し、アクを抜いてから調理する。シュウ酸』(蓚酸:oxalic acidHOOCCOOH:ご存知とは思うが、ホウレンソウに多量に含まれている。シュウ酸を過剰に摂取すると、血液中でカルシウムと結合し、結石などを生ずることがあることから、本邦では、「毒物及び劇物取締法」によって「劇物」(「毒物」ではない)に指定されている)『を含むので特有の苦味が感じられるため、これを除くために米のとぎ汁で』、『一度』、『茹でこぼすのがよい。クリやユリ根に似たほのかな甘味とほろ苦さが感じられ、含め煮にして』、『ほっくりとした食感を楽しむのが一般的である。他に、揚げ物、鍋物にも使う。加工品としては、クワイチップスや、クワイ焼酎が知られる』。『栄養素は炭水化物が多く、可食部』百『グラム』『当たりの熱量は約』百二十五『キロカロリー』『と、野菜類の中では最も高く、サツマイモに匹敵する。炭水化物の他にカリウム、葉酸、カテキンなどを含む。特に、体内の余分なナトリウムを排出する働きがあるカリウムが』百グラム『中に』六百『ミリグラム』『と極めて高い。リン』『と亜鉛』『も比較的豊富である』。『ビタミン類では、ビタミンB1とナイアシン(ビタミンB3)、葉酸(ビタミンB9)などのビタミンB群が多い。野菜としてはタンパク質の含有量が少ない点が特徴である。強い灰汁はポリフェノール類で、抗酸化作用が期待できる』。『埼玉県は広島県に次ぐ日本の都府県で』二『位の収穫量を上げてきた。しかし、宅地開発などが進み、近年は収穫量が減少方向にある。埼玉県内最大の生産地である越谷市では、地元の研究会がクワイを使った地ビールを世界で初めて作るなど、クワイの普及活動に努めている。越谷市商店会連合会ではクワイを使った「縁起コロッケ」のご当地グルメ化を図っている』。『一方で、日本の都府県で最多の収穫量を上げてきた広島県福山市では、スナック菓子の「くわいっこ」や、くわい焼酎「福山そだち」が売られている』。『また大阪府吹田市では、吹田くわいを使った、くわい焼酎「芽吹」が売られている』とある。]

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