阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「異獸」
[やぶちゃん注:底本はここから。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]
「異獸」 安倍郡藥澤村《やくさはむら》にあり。傳云《つたへいふ》、
「當村の六兵衞、上田村の住《ぢゆう》、彥右衞門は、共《とも》に、木挽《こびき》を業《わざ》として、「七つ峯《みね》」の東に、小屋を造りて、住《すみ》けり。
明和元年十二月、或《ある》雪の夜《よ》、連來《つれきた》りし犬の子、吠《ほゆる》事、頻《しきり》にして、何かは、知らず、小屋の巡《めぐ》りを、
「どたどた」
と、廻《まは》る音、す。
六兵衞、生れ付《つき》、憶病《おくびやう》にして、大《おほい》に怖れ、彥右衞門をおこして、
「かく」
と、告ぐ。彥右衞門、怖れず、
「深山《しんざん》、怪《くわい》ある事、常なり。是《ここ》に限るべからず。」
と、聊《いささかも》、動《どう》ぜず、また、寢《いね》たり。
時に、其音、彌《いよいよ》、高く、狗《いぬ》の吠《ほゆ》る事、ますます、烈《はげし》く、釣置《つりお》く所の材木、兩三本《りやうさんぼん》、響《ひびき》に應じて、落《おち》たり。
彥右衞門、起《おき》て戶外《こがい》を見るに、尺五、六寸[やぶちゃん注:約四十五~四十八センチメートル。]の足跡、積雪に、
「ひし」
と殘れり。
よく日《じつ》、二人共、小屋を出《いで》て、「大日嶺《だいにちれい》」の方《かた》に行《ゆく》に、彼《かの》、足蹟、あり、「一枚草履《いちまざうり》」と云《いふ》所に至《いたり》て、絕《たえ》たり。
終に其姿を見ず。
是《これ》、雪の、性《せい》、こりて、怪をなせる處也。
山家《やまが》の民《たみ》、此怪を呼《よび》て、
『雪童(ゆきわ)』[やぶちゃん注:特異点の原本のルビ。]
と云《いへ》り。
西河內《にしかはうち》の奧、藁科《わらしな》の邊《あたり》、此事、まヽあり。云云。」。
是《これ》、世にいふ、『雪女《ゆきをんな》』の類《るゐ》にや、尋《たづね》べし。
[やぶちゃん注:本書の中で、細部の描写に至るまで、最も、リアリズムに富んだ怪奇談である!
「安倍郡藥澤村」平凡社「日本歴史地名大系」に拠れば、『静岡市旧安倍郡地区』『薬沢村』とし、『現在地名』を『静岡市井川(いかわ)』とし、『大井川最上流部に位置し、右岸の河岸段丘に集落がある。南は上田(うえだ)村。戦国期は井河のうちに含まれ、役沢とも書く。天正七年(一五七九)一〇月二五日の武田家朱印状写(駿河志料)によると、海野弥兵衛尉に新恩分として下井河の「役沢」内の四〇〇文の地が与えられている。同一七年六月一八日刻銘の鰐口(井川神社蔵)に「井川郷薬沢之村十二天御宝前」との銘がある。近世は井川郷(井川七郷)の一村で、天正一八年に検地が行われている(一一月八日「井河中野・屋くさわ分畠帳」森竹家文書)。領主は安西外(あんざいそと)新田と同じ。』とあった。政令都市となったため、現在は葵区井川となって、ここ(グーグル・マップ・データ)である。「ひなたGIS」の左の戦前の地図を見られたいが、実は旧井川中心地区は、ダムによって、殆んどが水没している。しかし、右の現在の国土地理院図の、ここの中央に、「薬沢」の地名が現存していることが判った。同じ場所のグーグル・マップ・データ航空写真もリンクさせておく。
「七つ峯」ここは、「ひなたGIS」でないと、確認出来ない。しかも――井川――現在のダムの――ずっと南方向の山中――にあった。ここ(戦前の地図で「七ゥ峯」、国土地理院図で「七ッ峰」)であった(標高千五百三十三メートル)。
「明和元年十二月」この年は閏十二月がある。正の十二月は一七六四年十二月二十三日から一七六五年一月二十日までである。徳川家治の治世。
「大日嶺」ここも、「ひなたGIS」で、それらしいピークを見つけた。前の「七つ峯」から、東北の、ダムの南東の、比較的近い位置に「大日峠」を見出せる。そして、そのネームの南西直近に千二百・五メートルのピークがあるから、ここが、「大日嶺」であろう。
「一枚草履」これは、流石に、アカンわ! 国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、ダメだった。恐らく、当時の木樵り達が附けた呼称であろう。
「雪童(ゆきわ)」これは、静岡の民俗伝承としては、残っていないようである。御存知の方があれば、是非、御教授願いたい。
「西河內の奧、藁科の邊」「西河內」は、現在の西河内川(にしかわうちがわ)であろう(グーグル・マップ・データ。以下、同じ)。この上流が、ロケーションの「七ッ峯」に当たるので、違和感はない。「藁科」は、ここで、この北に登る上流は、やはり「七ッ峯」に近い。
「雪女」う~ッ……こんなデッかい「雪女」……ああ! でも! そうだ!……私が電子化注した「宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 化女 苦し 朧夜の雪」に(出現から結末の部分までを引いた)
*
……ある曉、便事(べんじ)のため、枕にちかきやり戸押しあけ、東の方を見出でたれば、一たん計りむかふの竹藪の北の端(はし)に、怪しの女、ひとり、たてり。せいの高さ一丈もやあらん。かほより肌、すきとほる計り、白きに、しろきひとへの物を着たり。其の絹、未だ此國にみなれず、こまかにつやゝか也。糸筋(いとすぢ)、かくやくとあたりを照し、身を明らかに見す。容貌のたんごんなるさま、王母(わうぼ)が桃林(たうりん)にま見え。かくや姫の竹にあそびけん、かくやあらん。面色(めんしよく)によつて年のほどをうかゞはゞ、二十歳(はたとせ)にたらじ、と見ゆるに、髮の眞白(ましろ)に、四手(しで)を切りかけたるやうなるぞ、異(こと)やうなる、いかなるものぞ、名をとはん、とちかづき寄れば、彼(か)の女、靜かに薗生(そのふ)に步(あゆ)む。いかにする事にや、見屆けて、と思ふほどに、姿は消えてなく成りぬ。餘光(よくわう)、暫し、あたりを照して、又、くらく成りし、此の後、終(つひ)に見えず。明けて、此の事を人に語りければ、夫は、雪の精靈、俗に雪女といふものなるべし。かかる大雪の年は稀れに現はるといひ傳へ侍れど、當時(たうじ)、目(ま)のあたり見たる人もなし。ふしぎの事に逢ひ給ふかな、と、いはれし、予、不審をなす。誠(まこと)、雪の精ならば、深雪(しんせつ)の時こそ出づべけれ、なかば消失(きえう)せて春におよびて出づる事、雪女ともいふへからず、と、いへば答へて、去る事なれど、ちらんとて花うるはしく咲き、おちんとて紅葉(こうえふ)する、燈(ともしび)のきえんとき、光り、いや、ますがごとし、と、いはれし、左もあらんか。
*
とあるのは(挿絵有り!)、この足跡のデカさでも、おかしくないワイナッツ!!!……でもね……やっぱ……小泉八雲の「雪女」が、ええなあ!!!(私の「小泉八雲 雪女 (田部隆次譯)」をどうぞ!♡!)]
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