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2025/10/15

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「異人行翁」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]

 

 「異人行翁《いじん ぎやうわう》」 安倍郡《あべのこほり》牛妻村《うしづまむら》にあり。傳云《つたへいふ》、

「往昔、當村に行翁と云《いふ》異人あり。洞中【當村ゟ《より》十八町計《ばかり》登りて、洞《ほら》、あり。卽《すなはち》、龍爪山《りゆうさうさん》の內《うち》也。】〕に住み、千手千眼の神呪《しんじゆ》を唱ふる事、久し。貞觀《ぢやうぐわん》十七年夏、榎部《えのきべ》と云《いふ》所の者、此《この》翁《わう》に歸依《きえ》し、時々、來《きたり》て拜《はい》せり。其後《そののち》、翁、此地をさけんがため、鐵足駄《かなあしだ》・鐵杖《てつじやう》を樹下《じゆか》に止め、既に去《さら》んとす。時に、榎部の某《なにがし》、袂《たもと》にすがりて、名殘《なごり》をおしむ事、切《せつ》也。翁、卽《すなはち》、料紙《れうし》を、こひ、名號《みやうがう》を書《かき》て、與《あた》へ、去る。終《つひ》に行方《ゆくへ》を知らず。云云《うんぬん》。」。

 里人云《いふ》、

「此翁は「元亨釋書《げんかうしやくしよ》」に載る所の行睿居士《ぎやうえいこじ》にや。此足駄は一本齒にして、古松《こしよう》三株《みかぶ》のもとに、今、猶《なほ》、存す。云云。」。

 「駿河めぐり」云《いはく》、

『牛妻村、龍爪山福壽院【曹洞、桂山村長光寺末。】より十八町奧に、行玉《ゆきたま》の古跡あり。道、甚《はなはだ》、嶮難也。「むかし、行玉《ぎやうぎよく》と云《いふ》仙人の栖《すむ》也。」とて、窟《いはや》あり。深さ、三、四間も有《ある》べし。其中に石碑あり。「南無阿彌陀佛」の六字を置《おき》あげ[やぶちゃん注:陽刻のこと。]に彫《きざ》めり。傍《かたはら》に「行玉菩薩」と云《いふ》文字《もんじ》あり。村人、誤りて、「行玉《ゆきたま》」と呼ぶ。又、山上《さんじやう》に石の唐櫃《からびつ》あり、行玉《ぎやうぎよく》の石像を納む。傍《かたはら》に、七尺あまりの鐵杖に、「安永年中」と、きり付《つけ》たり。又、安永年中、武州東叡山の行丹《ぎやうたん》と云《いへ》る僧、此窟に住《ぢゆう》して行《おこなひ》けるを、人、いたはりて、小庵《しやうあん》を作りて、住《すまは》しめけるに[やぶちゃん注:この部分の読みは、「近世民間異聞怪談集成」にあるルビを採用した。]、其後《そののち》は、行衞《ゆくへ》、しらず。今、猶、行丹が厨具《づぐ》、其儘に殘りて、あり。云云。』。

 「駿州古蹟畧」云《いはく》、

『牛妻山下《さんか》の百姓、行翁が鐵杖を取《とり》て、鍬《くは》に打《うた》せたりしに、忽《たちまち》、祟《たたり》て、其家《そのいへ》、斷絕す。今は、足駄のみ、存《そん》せり。云云。』。

 

[やぶちゃん注:「安倍郡牛妻村」現在の静岡市葵区牛妻(グーグル・マップ・データ)。竜爪山の東方部分。この村は、先行する「牛化石」で注を書いてあるので、見られたい。而して、いろいろと検索してみた結果、実は、「行翁山」なるものが、今も存在することが、判明した! 情報は、サイト「YamaReco」のnaoschizu氏の「行翁山から文珠周回 三界の滝!知らんかった」で、「写真」のパートにある、二枚の現地にあった二枚の地図を元に、位置を探ってみたところ、「文殊岳」と高圧鉄塔と「三界の滝」の位置関係から、グーグル・マップ航空写真の、この中央附近がそれであると、比定した。naoschizu氏の各地点の解説が、これまた、素晴らしく、『伝説の山寺、修験の山だった』に始まり、『行翁堂』、『修験窟(地図では行翁窟)。50年程前は鉄下駄と錫杖が置いてあったそう(地本のお爺さんに、あったろう?と聞かれたが、なかったな)。』とあり、『行翁窟』の写真もある。さらに、『行翁堂を奥に進んで、ぐえとか言いそうになる痩せ尾根を上ると、お地蔵様と鐘堂跡があ』ったとある。是非、じっくりと見られたい。

「貞觀十七年」八七五年。清和天皇の治世。

「榎部」不詳。平凡社「日本歴史地名大系」に、「榎浦里」(えのうらのさと)があり、『静岡県:駿河国駿河郡榎浦里』とし、『古代郷里制下の宇良(うら)郷の里。天平七年(七三五)一〇月の平城京跡出土木簡(「平城宮木簡概報」二二―二三頁)に「宇羅郷榎浦里」とみえる。』とあるが、これであるかどうかは、判らぬ。

「鐵足駄」鉄製の下駄。修験道のものが、修行の際に用いたりした。

「元亨釋書《げんかうしやくしよ》」史書。鎌倉時代に漢文体で記した日本初の仏教通史で、著者は知られた臨済宗の名僧虎関師錬(弘安元(一二七八)年~興国七/貞和二(一三四六)年)で、全三十巻。無論、全文漢文。

「行睿居士」行叡(「睿」は古字)は古代の伝承上の僧。京都東山の音羽山(おとわやま)に庵を結び、実に二百年間、修行した。宝亀九(七七八)年、延鎮(奈良・平安前期の実在した法相(ほっそう)宗の僧。大和の子島寺(こじまでら)の報恩に学んだ。京都東山の音羽山に庵を結んだ。延暦一七(七九八)年、坂上田村麻呂が同地に建立した清水寺の開山となっている)に出逢った際、この地に寺を建て、観音像を安置するように告げて、東国へ去ったとされる(講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」その他を参考にした。

「駿河めぐり」駿府城第一加晩であった松平定常の管内巡見日記。

「龍爪山福壽院【曹洞、桂山村長光寺末。】」ここ。但し、個人サイト「逍遥の山」の「牛妻坂下から竜爪山」のページに、『竜爪山福寿院』として、『元は穂積神社』(ここ)『の地にあって神仏習合していたが、明治の廃仏毀釈でこちらに下りてきたという。』と、あった。

「行玉の古跡あり」不詳。しかし、「十八町奧」という距離は、先の「行翁」の遺跡群と一致する。

「安永年中」一七七二年から一七八一年まで。徳川家治の治世。

「武州東叡山の行丹」言わずもがな、寛永寺のことだが、「行丹」という僧は不詳。

「厨具」台所道具。

「駿州古蹟畧」国立国会図書館デジタルコレクションで検索を掛けると、本「駿國雜志」、及び、静岡の地誌書等に三十四件ヒットするが、当該書自体はネット検索でも見当たらない。]

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