阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「淺畑池雩」+「老婆殺河伯」
[やぶちゃん注:二篇とも、底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。実は、この次の次に、「老婆殺河伯」とい連環の強い話が載るので、ここで、カップリングしておくのがよいと考え、特異的に二篇を示すことにした。]
「淺畑池《あさはたいけ》 雩《あまごひ》」 安倍郡、淺畑村《あさはたむら》、淺畑池《あさはたいけ》にあり。傳云《つたへいふ》、
「此池に、牛の頭《かしら》を沈《しづめ》て雩すれば、いか成《なる》旱《ひでり》も、忽《たちまち》、雨ふる。此事、祕すべし。人、もし、此《この》企《くはだて》を知る時は、雨、降らず。云云。」。
河伯《かはく/かつぱ》、兒童の肛門を望《のぞま》ずして、牛肉を愛す、又、奇ならずや。
[やぶちゃん注:「淺畑池」に就いては、先行する「神木鳴動」、及び、「桃澤池奇怪」の注で、かなり考証し、当時の池の位置も推定したので、そちらを見られたい。]
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「老婆殺河伯《らうば かはく を ころす》」 安倍郡、淺畑東村にあり。傳云、
「當村の民、彥左衞門が祖に、一老婆あり。其孫《そのまご》、小吉《およし》と云《いへ》る小女《こをんな》、河伯の爲に、溺死す。
老婆、是を、悲《かなし》み歎き、終《つひ》に、麻畑池《あさはたいけ》に入《いり》、水神《すいじん》となり、河伯を捕《とらへ》て、孫の讐《あた》を報じ、大谷村、瑞現山大正寺《だいしやうじ》【曹洞、寺領三十石。】開山《かいさん》行之《ぎやうし》のもとに行《ゆき》て、菩薩戒《ぼさつかい》を受《うけ》たり。今の諏訪明神の社《やしろ》は、此老婆が靈を祭る所也。云云。」。
此事《このこと》、口碑《こうひ》に傳ふるのみ。「淺畑池由來」云《いはく》、
『建武年中、脇屋右衞門佐《うゑもんのすけ》義助《よしすけ》、守護として、在國の時、瀨名村《せなむら》の長《をさ》某《なにがし》が女《むすめ》小菊を幸愛《かうあい》して、一女子を儲《まう》く。小葭《およし》と名づく。觀應二年七月、祖母、病《やまひ》あり。小葭、淺間社《あさまのやしろ》に詣《まうで》して、祈《いのら》んとし、河合《かはひ》を越《こえ》て、巴河《ともへがは》に至り、河伯の爲に、とられて、水底《みなそこ》に入《いる》。祖母、歎《なげき》て、巴河《ともゑがは》に身を投じ、靈《れい》を止《とどめ》て、河伯を殺し、胡蓮を池中に生ぜしめて、人の助《たすけ》とす。云云。』。
何《いづ》れか、可ならん。
[やぶちゃん注: 「麻畑池」前話の「淺畑池」に同じ。私が推定比定したこの附近(静岡県静岡市葵区内。グーグル・マップ・データ)に、現在も、「麻機遊水池」(あさはたゆうすいち)群が存在する。
「大谷村、瑞現山大正寺」静岡市駿河区大谷に現存する。ここ。山号の読み方と(「瑞現」は「ずいげん」であろう)、ここに出る住職の読み方は不詳。
「建武年中」一三三四年から一三三六年まで。
「脇屋右衞門佐義助」(嘉元三(一三〇五)年~興国三/康永元(一三四二)年)新田義貞の実弟。当該ウィキによれば、元弘三(一三三三)年五月に『兄義貞が新田荘にて鎌倉幕府打倒を掲げて挙兵すると、関東近在の武家の援軍を受け北条氏率いる幕府軍と戦う。鎌倉の陥落により、執権北条氏が滅亡した後は、後醍醐天皇の京都への還御に伴い、上洛。諸将の論功行賞によって、同年』八月五日、『正五位下に叙位され、左衛門佐に任官し』、『また、同年、一時期、駿河守にも補任され』たとある(太字は私が附した)。
「觀應二年七月」ユリウス暦一三五一年七月二十四日から八月二十二日まで。
「淺間社」現在の柚木浅間(ゆのきせんげん)神社(グーグル・マップ・データ)であろう。
「河合」葵区川合(グーグル・マップ・データ)であろう。「巴河」(=巴川)が側面を流れ、その北西直近に「麻機遊水池」がある。バッチリのロケーションである。
「胡蓮」読み不詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『北支蒙疆地方學術調査團報告論文集 第一輯』(朝鮮自然科學協會発行・年次不詳)のここの『(86) 胡蓮』の箇所に、『生藥』『の胡黃蓮と同種のものであり、この生藥の母植物』(漢方の基原植物のこと)『は Picrorrhiza Kurroa なりと云はれてゐる. Hübotter 氏は蒙古藥の胡蓮は Scutellaria baicalensis となせり. 』とあったが、この Picrorrhiza Kurroa というのは、ヒマラヤ西部高地に植生するオオバコ科 Plantaginaceaeの植物で、Scutellaria baicalensisの方は、シソ科タツナミソウ(立浪草)属コガネバナ(黄金草)Scutellaria baicalensis であり、当該ウィキによれば、『ロシアの極東地方からモンゴル、中国北部、朝鮮半島にかけて分布する』陸生多年草であるから、本文の『池中に生ぜしめて』とは、一致しない。「胡蓮」という熟語は、素直に見るならば、「胡」は、中国で北西方の未開民族を指す語であるから、その地方から持ち込まれたハス(のような)水生植物と採るしかない。個人的には、「えびすはす」と訓読したい。
なお、ウィキの「河童」にも、『静岡県』に、『老婆殺河伯』として、『安倍郡淺畑東村の淺畑池。小吉という少女を殺した河伯を小吉の祖母が捕えたという』。『瀬名村の巴河。観応2年7月、瀬名村の村長の娘小葭を殺した河伯を小葭の祖母が殺したという』とあり、『河童』として、『庵原郡の巴河に現れるという』とある。]
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