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2025/10/16

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說(その13)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここ。表は、作り直すのは面倒なので、底本から画像で取り込み、トリミングして、やや補正・清拭を加え、当該部に挿入した。]

 

抑(そもそも)、昆布の輸出は、開港前(かいこうぜん)は、一ケ年、三千石許(ばかり)に過ぎざりしも、漸次、增加し、明冶十四年[やぶちゃん注:一八八一年。]に至(いたつ)ては、拾貳萬七千石余《あまり》に至る。之を、開港前に比すれば、四拾二倍の增加に至りしか[やぶちゃん注:ママ。「が」。]、俄(にわか[やぶちゃん注:ママ。])に、輸出供需(きやうじゆ)の度(ど)を失ひたりと、粗製濫造(そせいらんぞう)と、商賣上、資力の乏しきとによりて、貿易上は、不活發、屢(しばしば)、不利を極(きわ[やぶちゃん注:ママ。])むること、あり。從來は、日高、三石近傍の產、盛(さかん)にして、現今は、根室の方(はう)、盛(さかん)なり。釧路、根室兩國(りやうこく)に於て、昆布採船(こんぶさいせん)の增加したること、左(さ)の如し。

 

Tab1

 

此(かく)の如く、昆布採船(こんぶさいせん)の增加したるは、其場所、增加し、資金貸與(しきんたいよ)等(とう)によると雖ども、前(ぜん)に云(いふ)如く、貿易上の不利ありて、昆布の產出は、次第に增加し、且(かつ)、製方の粗(そ)なるにより、其(その)需用、澁滯し、加之(しかのみならず)、銀貨、低落せるにより、兪(いよいよ)、其價(そのあたひ)を下落せしめ、出產者(しゆつさんしや)に影響を及ぼすこと、少(すくな)からず。廣業商會(こうぎやうせうくわい[やぶちゃん注:ママ。])【淸國貿易專業とす。】の如きは、十二年以來、年々、賣殘品(うりのこりひん)、多く、十二年の昆布を、十四年に至(いたつ)て尙(なほ)、三萬七千石餘(よ)、貯藏するに至れり。

[やぶちゃん注:「廣業商會」短いが、当該ウィキがある。『明治時代初期に存在した日本の総合商社で』、設立は明治九(一八七六)年六月で、『三井物産を凌ぐ規模を有し、東京本店、函館、長崎、神戸、大阪、横浜、上海、香港支店を設置していた、内務省・大蔵省の用達貿易会社である』が、『横浜正金銀行による外国人を対象に入れた荷為替営業の開始により、広業商会は縮小・整理され』、十四後の明治二三(一八九〇)年に『閉鎖』とある。サイト「森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト」の、非常に歴史的自然・文化をディグしている「1899年の幌泉郡」(一八八九年は明治三十二年)には、『1877(明治10)年以降は人口が少しずつ増え、廣業商会の資本投入によって出荷金額が増大した』。『1878(明治11)年、「廣業商会」が資金を投入して漁業を展開し、とりわけ昆布の水揚げ量が増えた』。『とりわけ1880(明治13)年は』、『とりわけ』、『豊漁に恵まれて非常な好景気に沸いた。ところがさほど経たないうちに弊害が出て、1882(明治15)年、廣業商会の経営悪化にともない』、『地方経済も不振に陥った』とあり、さらに「1899年の歌別村 うたべつむら」の項では、『かつて「昆布小屋」と「番屋」が建っていた。1870(明治3)年、南部(岩手県)出身の移入者が初めてこの地に定住するようになった。1872(明治5)年、昆布干場の割り渡し事業にともなって移入者数が増え、「出稼ぎ人」と合わせて42世帯を記録したが、早くも翌年1873(明治6)年には、税金を支払えずに十勝方面・西部方面に転出する人たちが出て、村内の世帯数は減った』とあり、『廣業商会や日本昆布会社が進出して一時的に活況を呈したのは、幌泉郡内のほかの村と同様である。しかし近年は昆布がぜんぜん育たなくなっていて、かつて場所請負制の時代には100石(18.0m3)の昆布を水揚げしていた同じ場所でも、現在はわずかに30石(5.4m3)しか収穫できなくなっている。このため』、『人口も減り続けている』とあった。最後に、東洋文庫版の編者注も挙げておく。『日本人商人が居留清商の金融支配を脱し、海外貿易を拡大することを目的に設立された明治時代の総合商社。明治一一年(一八七八)設立、同二三年閉鎖。東京本店、函館、長崎、神戸、大阪、横浜、上海、香港支店を設置した、内務省・大蔵省の用達貿易会社である。当初、清国輸出品の荷為替の取扱、委託販売、官品の販売の三点を業務とし、後、荷為替業務の国内での適用、荷為替の利用対象者に居留清国商も含めること、委託販売の国内適用、広業商会独自の買付等を認められている。松方財政の時期、国立銀行条例に準拠した横浜正金銀行(明治一三年)が、外国人を対象に入れた荷為替営業を開始し、多くの役割は代替され、広業商会は縮小・整理された。』とある。]

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