河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その9)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここから。]
煎海鼠(いりこ)は、產地によりて、品位を異(こと)にすと雖も、第一ハ、製造[やぶちゃん注:ここに読点があるが、無視した。]の良否に關するもの、多し。刺參(しじん)は、肉刺(にくし)の長短、銳鈍(えいどん)、形狀、色澤(しよくたく)の美惡(びあく)、等(とう)、皆、製造の如何に由(よ)らざるは、なし。從來、劣視(れつし)せられし筑前產も、同國志摩郡(しまこほり)船越村(ふなこしむら)、高武喜三郞が、十六年、『水產博覽會』に出品せしものは、後志產(しりべしさん)と價(あたひ)を同(おなじ)ふするに至れり。是、皆、舊製を改良したる、其の結果に、よれり。南北數百里を隔ちて、產地の性質、彼是(かれこれ)、異(こと)なるも、製造の改良に由(より)て、品位・價額(かかく)を均(しとし[やぶちゃん注:ママ。「ひとし」。])ふする、此(かく)の如し。茲(ここ)に由(よつ)て、之を見れば、製造の改良は、目今(もくこん)の急務にして、苟(いやしく)も、水產經濟に志(こヽろざし)するものは、壹(あに)默止(もくし)すべけんや。
[やぶちゃん注:「同國志摩郡(しまこほり)船越村(ふなこしむら)」この村名は旧村名では、「ふなごしむら」が正しい。ウィキの「船越村(福岡県)」を見よ。但し、現行は「ふなこし」と清音である。現在の福岡県糸島市志摩船越(しまふなこし)で、ここ。
「高武喜三郞」姓の読みは不明。「こうたけ/たかたけ/こうむ」の読みがある。
「均(しとし)」これ、誤植の可能性もあるが、或いは、うっかり、江戸弁(河原田氏は陸奥国会津郡宮沢村(現在の福島県南会津町)生まれであるが、ずっと関東で仕事を行なっている)で、かく振ってしまった可能性もある。]
海鼠を捕獲するは、網罟(もうこ/あみ[やぶちゃん注:右ルビはママ。])、及び、鈎(かぎ)にして、其種類、凡(およそ)、十餘種あり。網に、爬網(かぎあみ)、欓網(さであみ)の二《ふたつ》あり。鈎にて、衡(つ)[やぶちゃん注:漢字はママ。「衝」の誤字。]きとるものは、疵傷(きづ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])つきて、品位を害せり。沖にて捕るは、爬網にして、其使用は、網を、船に附けて、船を走らす。又、海底の石に着(つけ[やぶちゃん注:ママ。「つき」とすべきところ。])たるものを捕るには、魚油(うをのあぶら)を水面に滴(た)らし、塵埃(ちりあくた)を開かせ、水面(すいめん)を明(あき)らかにし、以て、欓網にて、とる。但し、其巧拙(かうせつ)によりて、收額(しうかく[やぶちゃん注:ママ。])の多少、あり。
[やぶちゃん注:「爬網(かぎあみ)」船の上から、長い柄を持った鉤(かぎ)を用いて、海底にいるナマコを箱眼鏡で視認しつつ、引っ掛けて引き上げる「ナマコ鉤漁法」を指す。
「欓網(さであみ)」「欓」の漢語は、歴史的仮名遣「タウ」・現代仮名遣「トウ」で、「木製の木桶(きおけ)」の意味しかないので、誤字と思ったが、小学館「日本大百科全書」の「さで網」に拠れば、『袋状の網地の網口を三角形や四角形の枠に装着し、柄をつけた小規模な漁具である。ナイロン製の網目の小さい網地や綟子(もじ)網が用いられている。設置した柴(しば)や篠(しの)の束に潜む小エビや、水面近くに集まっている小魚や小エビをすくいとる』「さで網」『(叉手網)、シラウオさでなどの抄網(すくいあみ)類と、網の上に水流により、または駆具(くぐ)によって集められた魚や小エビを』、『すくいとる羽川(はねかわ)網、ウナギさで、コイさで、フナさで、ワカサギさでなどの』、『さで網、鵜縄(うなわ)網、歩行(かち)網などの敷網類とに漁法上から分けられるが、形状は』、『ほとんど変わらない。さで網は、補助漁具として主漁具と併用されることもある。また、たも網は』、『地方によって』、『さで網』、『あるいは』、『攩(たま)とよばれている』(太字は私が附した)とあったので、この漢字が使われていることが確認出来た。所謂、網で作ったものが、ナマコを入れやすく寸胴の桶状に作るからであろう。]
冬季の海鼠は、色、美にして、鮮食(なまくひ)に適するも、春季ハ、赤色(せきしよく)を帶び、鮮食に、よろしからず。夏季に至れば、肉、瘦せて、愈(いよいよ)、下直(やすね)となる。冬・春のものは、煎海鼠(なまこ)[やぶちゃん注:「煎」はママ。誤字。以下との対語であるから、「生海鼠」がよい。因みに、東洋文庫版の編者注でも、この部分を不審として、『文意から判断すると、未加工の「(生)海鼠」を指していると考えられる。』とある。]、十貫目(め)にて、煎海鼠(いりこ)三百五十目を得るも、夏季は二百六十目內外にして、其形(かたち[やぶちゃん注:ママ。])ち、三分一、或は五分一に減(げん)ぜり。
德川時代には海鼠の捕獲に、法則あり。各浦に定規(ていき)あり。春の彼岸より、秋の彼岸まで捕獲し、或は小きを捕ふるを禁じたる場所あり。春の彼岸に、長さ一寸、量(りやう)八分の海鼠は、秋の彼岸に至れば、長さ四、五寸、量八、九匁に至れり。春時(しゆんじ)、小なるもの、二百個(か)にして、僅(わづか)に一斤の量あるも、秋時の大なるものは、二十個にして一斤となり、小形、百斤の價は、三、四圓なるも、大形、百斤は三拾四圓にして、彼是(かれこれ)、比較すれば、秋時の價は、春時の二十倍に至る。價格の差も亦、大ならずや。
元來、淸國の貿易たる其創(そのはじめ)の唐物藥品(とふぶつ[やぶちゃん注:ルビの汚損があるが、まず、ママ。後の「とふぶつ」のルビも同じ。]やくひん)を、我に需(もと)むるの目的にて、我(わが)物產輸出を主眼となしたるには、あらざりしと雖も、德川時代、年々(としとし[やぶちゃん注:後の「とし」は底本では、踊り字「〱」。])、唐物(とふぶつ)の需用、多額に登るを以て、天明元年[やぶちゃん注:一七八一年。家治の治世。]、五番船持渡(ごばんせんもちわたし)の唐物(とふぶつ)代(かは)り物(もの)として、昆布を渡し、安永九年、十三番船唐物代(とふぶつだい)銀百五貫目の代り物に、煎海鼠を渡したりしことを「經濟祕書」に載せ、又「評定所覺書」に、往古(わうこ)より、銀子(ぎんす)を以て仕來(しきた)りしも、自今、半額は、品物を以てす可きことを、のせたり。當時は、煎海鼠を大番・中番・小番の三段(たん)に分(わか)ちしが、爾來、俵物役所(たわらものやくしよ[やぶちゃん注:ママ。])なるものを設けて、專ら、金貨の濫出を豫防し、物產を以て、唐物(とふぶつ)に代(かは)らしむること〻なり、我物產の等差(とうさ)を、細別(さいべつ)するに至り、煎海鼠を、十番に分ち、又、番中(ばんちう)にも、頂(てう[やぶちゃん注:ママ。])、大、中、小の區別あり。其(その)番立(ばんだて)は、左の如し。
(寸法)十番【四寸五分內外。】、九番【四寸內外。】、八番【三寸五分內外。】、七番【三寸內外。】、六番【二寸五分內外。】、五番【二寸內外。】、四番【一寸五分內外。】、三番【一寸餘。】、二番【一寸。】一番【一寸以內。】。(員數法)十番【一斤に付《つき》、拾五以上、三百六十迄の程合《ほどあひ》、平均六十五粒。】、九番【仝《どう》、八つ以上、五十五迄。仝斷《どうだん》、四十五粒。】、八番【仝、八つ以上、七十迄。仝斷、五十五粒。】、七番【仝《どう》、大《だい》、六十五より、八十五迄。小《しやう》、三百六十迄。仝斷、百五粒。】、六番【仝、九十以上、百五十迄。仝斷、百粒。】、五番【仝、百以上、二百迄。仝斷、百三十粒。】、四番【仝、二百以上、三百迄。仝斷、二百五十粒。】、三番【仝、百以上、仝斷、三百六十粒。】、二番【仝、四百以上、八百五十迄。仝斷、五百粒】、一番【千二百粒以上。】。
槪(おほむ)ね、右の如しと雖も、十番は、松前蝦夷地出產(しゆつさん)を本体[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]とし、形の大小あるも、肉刺(はり[やぶちゃん注:二字へのルビ。])、鮮(あざやか)、銳(するどく)なるを、此番に定め、津輕、南部、仙臺の內、上品の分を加へ、諸國出產の內にも、刺立(いらたで)、北海道產に似たるものは、組入(くみいれ)、九番は、津輕南部產、大小を本体として、諸國出產の內、形、大にして、刺立、宜(よろ)しきを、組入(くみいれ)、八番ハ、諸國出產の內、形、大きなるを、大・中、交(まぢ)へ、刺立に拘(かヽ)はらず、此番に組入(くみいれ)る。七番は、諸國出產の內、剌立あるもの〻中(うち)、小形を交(まじ)へ、此(この)番とす。尤(もつとも)、大形(おほがた)の分(ぶん)は、九番は組入れ、小形にても、刺立、宜しきは、『小七《しやうしち》』と唱へて、此番に加ふ。六番より二番までは、大小、次第に撰分(ゑりわ)け、大を、六番に定め、五番、四番、三番と撰下(ゑるさ)げ、小を、二番と定め、一番は、諸國出產の內、至(いたつ)て小(ちいさ)く、二番にも成らす[やぶちゃん注:ママ。「ず」。]、壹粒(《いち》りう)の量、壹分四、五厘程のものを、此番に定む。無番は、疵物(きずもの)等(とう)[やぶちゃん注:「疵」は底本では「庇」であるが、誤植と断じて、特異的に訂した。]、番立(ばんだて)に加へざるものにて、「よれ」・「ちぎれ」の、二品、とす。「よれ」は、煮直(になを)して、番立に加へ、「ちぎれ」・砂食(すなくひ)等(とう)は、無番とす。
前條の番立は、長崎俵物方に於て取扱ひたる德川時代の慣行(くわんかう)たり。維新以來、舊法、廢(すた)れ、新法、立(たヽ)ざるに乘(じやう)じ、新業(しんぎやう)の商家(しやうか)、輩出し、番立の法も亦、一定せざるが如き有樣となりたり。而して、現今、上海(シヤウンハイ)に於ては、大・中・小の三等に分(わけ)て、喩(たちへ)ば、『大の九番』、『中の九番』、『小の九番』、と云ひ、其(その)、最も大なるを頂大(てうだい[やぶちゃん注:ママ。])とす。且(かつ)、其番號區分あるも、每俵(たはらごと[やぶちゃん注:二字へのルビ。])、內《うち》に、大、中、小、入交(いりまじ)りあるにより、是等は、見込(みこみ)を以て、賣買せり。面して、價額(かかく[やぶちゃん注:ママ。])の等數(とうすう)は、十番【七十圓。】、九番【六十五圓。】、八番【六十圓。】、七番【五十三圓。】、六番【四十五圓。】、五番【三十三圓。】、四番【二十圓。】、三番【九圓。】、二番【六圓。】、一番【三圓。】と云《いふ》か[やぶちゃん注:ママ。]如し。
本邦産煎海鼠(いりこ)ハ、年々(としとし)、淸國の販路を廣め、明治元年は、十五萬三千六百十二斤。此(この)代價、五萬四千拾圓餘(よ)なりしか[やぶちゃん注:ママ。「が」。]、年々(ねんねん)、增進して、十七年には、一ケ年に、六十二萬六千八百八十二斤、此價(あたひ)、拾五萬千五百六拾五圓の多きに至れり。右を輸出するは、函館、橫濱、神戶、長崎の四港より、之(これ)を、上海、香港(ホンコン)等に輸送し、夫(それ)より。各地に分輸せり。但し、從前、琉球より輸出せしものは、直輸(ちよくゆ)、出(いだ)せり。而して、之を分輸する地方は、左の如し。
大九番・小十番 十分の四〇〇 直隸省(ちよくれいしやう) 十分の二五〇 山西省 江蘇省 十分の一〇〇 山東省
大十番・小十番 十分の五〇 直隸省 十分の四〇〇 四川省 十分の三〇〇 江西省 十分の五〇 山西省 八、七、六、五番 直隸省 福建省 江西省 江蘇省 浙江省 山東省 安徽省 浙江省 湖南省 湖北省 雲南省 廣東省 此他(このた)、各省一般
三番・二番 十分の四〇〇 江蘇省 十分の二〇 福建省 十分の四〇〇 浙江省等(とう)なり。
近年、其輸出額を增したるも、未だ、淸國內部の需用は、普(あまね)からずして、益(ますます)、增進せんとす。而して、元來、淸國には『八饌《はつせん》』とて、大小海味八種を用ふる事、あり。即ち、煎海鼠は、大海味(だいかいみ)の一《いつ》にして、數種(すうしゆ)の割烹となして、客饌饗應(きやくさかなごちさう)に用(もちひ)て、敬意(うやまい[やぶちゃん注:ママ。])を表(ひやう)し、且(かち)、四川地方の『五色(ごしき)の菜(さい)』の一《いち》にして、其《その》愛《あい》、深く、其需用、甚だ、廣し。
[やぶちゃん注:「八饌」「百度百科」の「珍饌」には、『「珍」の本来の意味は、「真珠」や「玉(ぎょく)」を指し、後に、「高級な食べ物」という意味に広がった。古く「周禮」(しゅうらい)にも、『珍用八物』(八つの貴重な食材を使う)という八つの貴重な食材が挙げられている。また、「饌」は「料理を並べること」を指し、「論語」には「有盛饌」(盛大な宴(うたげ)が有る)という表現がある。この二つの文字を組み合わせた「珍饌」は「特に珍しく貴重な珍味」を指し、宴会の描写でも、よく用いられる。「漢語詞典」でが、「貴重な食べ物」と定義されており、標準中国語となっている』とある。
「四川地方の『五色(ごしき)の菜(さい)』」「昆布の說(その11)」で、中国に於ける「五色」は注したが、不思議に日中ともに、ズバリ! という「四川地方の」「五色菜」の記載がない。ウィキの「五味」の「四川料理」の項を引いて、お茶を濁しておく。『四川料理においては』、『一般的に以下の五味が基本とされている。これらに苦み、香味を加えて七味が四川料理の基本とする説もある』。①『山椒の痺れるような味 - 麻』、②『辛味 - 辣(唐辛子に限定しない)』、③『甘味 - 甜』、④『塩味 - 鹹』、⑤『酸味 - 酸』である。正直、『ああっ……、つまらん……』であった。]
以上、說く所によれば、此販路は、漸次、益(ますます)、進んで、需用を擴(ひろ)むるや、疑(うたがひ)を容(い)れざる所なり。故に、漁季を定(さだめ)て、海鼠(なまこ)を成長せしめ、漁具・漁法を改良して、捕𫉬を多からしめ、製法を精良(せいりやう)にし、荷造(にぜう)を改良し、販賣を確實にして、信用を厚からしめ、勤めて、增益を圖るべし。
夫れ、海鼠は、多肢類(たしるい[やぶちゃん注:ママ。])、芒刺虫(はうしちう)、沙潠部(しやせんぶ)の下等動物なれば、蕃殖・成長、共に甚(はなはだ)、速(すみや)かにして七ケ月間に、四倍以上に成長し、畜養の大利ある他(た)の魚介の及ぶ所に、非らず。故に、栅(さく)を結び、石を積んて[やぶちゃん注:ママ。]、區域を畫(くわく)し、畜養塲(ちくよじやう[やぶちゃん注:ママ。])を設くる如きは、本邦、已に、周防國(すはうのくに)都濃郡(つのこほり)福川村(ふくかはむら)、佐伯(さいき)古五郞等(とう)の實地經驗の、ある、あり。尙、進んで、人工煤助(ばいじよ)を施し、大(おほひ)に增殖を圖るが如きに進步あらんことを、希望の至りに堪(たへ)ざるなり。
[やぶちゃん注:「周防國(すはうのくに)都濃郡(つのこほり)福川村(ふくかはむら)」正しくは、旧山口県都濃郡(つのぐん)福川村(ふくがはそん)。現在の周南市の南東部、山陽本線・福川駅の周辺に当たる。ここ。
「佐伯(さいき)古五郞」不詳。
これを以って、「煎海鼠の說」の本文は終わっている。以下、七図版を残すのみである。]
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