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2025/10/14

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說(その10)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここから。]

 

昆布を食用に供するは、二千有餘年前よりのことなるは、古史に徵(ちよう)して明(あきら)かなり。「延喜式」、民部省、大膳寮(だいぜんりやう[やぶちゃん注:ママ。])等(とう)に貢獻し、春秋(しゆんしう)の祭祀、節供(せつぐ)、年料(ねんりやう)等(とう)に供(きやう)せしものは、索昆布(なわこんぶ[やぶちゃん注:ママ。])、鯛細昆布(たいぼうこんぶ[やぶちゃん注:ママ。])、廣昆布(ひろこんぶ)等(とう)にして、通常は、炙食(くわいしよく)、煑食(しやしょく)、味噌漬、佃煮、昆布卷、煑(に)だし等(とう)に用ふ。又、刻みたるものは大目魚吸(たらすい[やぶちゃん注:「すい」はママ。])もの、煑(に)しめ、昆布飯となし、之より昆布飯(こんぶめし)を【昆布液(こんぶえき)を結晶する者にて、昆布の糖分なり】)採り、料理に用ふること、あり。近年、砂糖漬(さたうつけ)をも、食せり。「本朝食鑑」にも、京師市《けいしいち》上製の京昆布(きやうこんぶ)、上品の乾果(かんくわ)となすとあり。又、同書に、凡そ、昆布は、大饗嘉儀(だいきやうかぎ)[やぶちゃん注:天皇の皇位継承の際に行われる「大嘗祭」(だいじょうさい)の儀が終了後、宮中に於いて行われる参列者を招いて酒食を共にされる「大饗の儀」のこと。]の贈(をくりもの)となし、冠昏壽生(くわんこんじゆせい)[やぶちゃん注:慶事である冠婚、及び、長生きを願うこと。但し、「壽生」自体は別に「祝うこと」の意でもある。]の賀を祝す、と。又、曰く、庖厨茶會(はうちうちやくわい)[やぶちゃん注:「庖厨」は本格的な食事会のこと。]の茶果(ちやくわ)となし、或は、齋日(さいじつ)、煎汁(せんじじる)を取(とつ)て、鰹煎汁(かつほのにだし[やぶちゃん注:ママ。])に代(か)へ、僧家(そうか)も亦、煎汁を以て、羹(かん)[やぶちゃん注:あつもの。]を調へて、甜味(かんみ)[やぶちゃん注:甘さ。糖分を含む味であることを言う。]を添へ、或(あるひは)、果(くわし)、及(および)、油具(あぶらけ)[やぶちゃん注:「油揚げ」の意であろう。]となす、と、ありて、古しへより、婚姻の禮儀式(れいぎしき)の膳に供し、臺に飾るの法あり、之を積むの式ありて、小笠原、伊勢流の諸禮書(しよれいしよ)、及び、天明、享保、元祿頃の割烹書(かちぽうしよ)に載せ、又、鎌倉北條氏(かまくらほうでううぢ)の頃には、結昆布(むすびこんぶ)を茶子(ちやのこ)に用ひ【茶子は、今の干菓《ほしくわ》に當る。】、應仁の頃に、『鮒の〆卷(しめまき)』[やぶちゃん注:「鮒」の下には句点があるが、誤植と断じて排した。]とあるは、今の昆布卷ならんか、と、「嬉遊笑覽(きゆうせうらん)」に見へたり。

[やぶちゃん注:「延喜式」平安中期に編纂された格式の式(律令の施行細則)を纏めた法典。延喜五(九〇五)年八月に醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は、時平の弟の一人である藤原忠平が編纂に当たった。「弘仁式」・「貞觀式」(じょうがんしき)と、その後の式を取捨編集し、延長五(九二七)年に完成した。所持する平凡社「世界大百科事典」の「コンブ」の項の、[食用]のパートを引くと、『日本では古く〈ひろめ〉〈えびすめ〉といった。〈昆布〉の文字も奈良時代から用いられており,《続日本紀》霊亀1年(71510月丁丑の条には,アイヌ人が〈先祖以来,昆布を貢献す〉と述べている記事があり,《延喜式》には〈御贄(おにえ)〉などとして陸奥から貢納されていたことが見える。祝儀に用いることについて,伊勢貞丈はひろめの名を,物をひろめる意味にとりなして用い,一説によろこぶ儀にとりなして用いる,といっている。そのまま,あるいは火であぶったものを適宜の大きさに切るか,結びこんぶにして食べることが多かったようで,だしの材料としての使用が見られるのは中世末期のことになる。江戸時代には北海道のコンブはまず大坂に運ばれ,そこから全国に出荷された。コンブの利用が関西で発達し,いまもコンブが大阪の名物とされるのはこのためである。ニシンを巻いて煮たこぶ巻や油で揚げた揚げこんぶ,それに〈みずから〉というこんぶ菓子の行商も京坂には多かった。みずから売りは《東海道中膝栗毛》では伏見の船つき場に登場し,《見た京物語》(1781)では芝居小屋の中で〈饅頭(まんじゆう)や水辛と売る〉としている。はじめは結びこんぶの中にサンショウを包みこんだもので,〈見ず辛〉の意とする説もあるが,《嬉遊笑覧》は,水から生じた意の〈水から〉で,こんぶ菓子一般の称としている。』とある。しかし、紀元前以前からコンブが食材となっていたことは確かで、「日本昆布協会」公式サイトの「こんぶネット」の「昆布の歴史」の冒頭「こんぶの名前の由来」に、『日本の味としてすっかり食生活に定着している昆布ですが、その歴史はあまりに古く、確かな記録は残っていません。縄文時代の末期、中国の江南地方から船上生活をしながら日本にやって来た人々が、昆布を食用としたり、大陸との交易や支配者への献上品としていたのではないかと言われています。昆布という名の由来は、はっきりしませんが、アイヌ人がコンプと呼び、これが中国に入って、再び外来語として日本に逆輸入されたと言われています。』とある。縄文時代後期は約三二〇〇年から二四〇〇年前で、本書は明治一九(一八八六)年刊であるから、実際には「昆布を食用に供するは、二千有餘年前よりのことなるは、古史に徵(ちよう)して明(あきら)かなり」というのは、辻褄が合うのである。

「民部省」山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」によれば、『大宝・養老令制の官司。八省の一つ。主計・主税寮を被管にもち,戸籍・計帳により諸国の人民を,田図・田籍により田地などの土地を把握し,これにもとづき国家財政を担った。主計寮とともに,計帳により把握された毎年の課口数にもとづき,諸国からの貢納物納入への立会いや調庸帳などの帳簿による監査を行い,主税寮とともに,正税帳や租帳などを通じて田租や正税などの諸国の財政を掌握した。諸国からの貢納物や帳簿の進上に問題がなければ返抄(受領証)を発行した。ほかにも諸国から庸として納入される米・塩を保管し,仕丁(しちょう)や衛士(えじ)の資養にあて,中央での労役を差配した。』とある。

「大膳寮」歴史的仮名遣は「だいぜんれう」が正しい。所持する小学館「日本国語大辞典」に拠れば、『旧宮内省の一部局。明治四〇年(一九〇七)に大膳職(だいぜんしょく)を改称したもの。供御および饗宴に関する事務をつかさどる。』とあるが、而して、文に即して言うなら、正しくは「大膳職(だいぜんしき)」とするのが正しい。所持する平凡社「世界大百科事典」に拠れば、「大膳職」は、『令制の宮内省所属の官司。和訓は〈おほかしはてのつかさ〉。職員は,大夫』(だいぶ)『(長官),亮』(すけ)『(次官),大進』(だいじょう)『・少進』(しょうじょう)『(判官』(はんがん)『),大属』(だいさかん)『・少属』(しょうさかん)『(主典』(さかん)『)各1人,主醬』(しゅしょう)『,主菓餅』(くだもののつかさ)『(品官』(ほんかん)『)各2人,膳部(かしわで)(伴部』(ともべ)『)160人,雑供戸』(ざつくど)『(品部』(しなべ)『)等。朝廷における恒例・臨時の職務に携わる官人等には,俸禄とは別に主食,副食,調味料が素材または調理品の形で給食されるが,主食は大炊寮』(おおいりやう)『が担当し,大膳職は副食,調味料の調達,製造,調理,供給を担当した。ただし,《延喜式》の段階では,神仏寺料等,節会料等の供給のほかは親王以下采女等までの内廷関係への月料支給に職掌が狭められている。主捺は醬(ひしお),豉(くき)』(豆を原料とした食物。味噌・納豆の類とも、たまり(味噌から滴った汁)の類ともいう)『,未醬(みそ)等を製造し,主菓餅は餅の製造や菓子のことをつかさどった。雑供戸』(ざつくこ)『には水産業に従う鵜飼,江人』(えびと)『,網引』(あびき)『と,未醬などを造る戸があった。膳部は調理,供進をつかさどる。食料品には主醬』(しゅしょう)『,主菓醬,雑供戸が調達,製造するもののほか,調雑物が充てられた。前身の官司は浄御原』律『令』(きよみはらりつりょう)『制以前から存在する膳職で,大宝令により大膳職と天皇の供御をつかさどる内膳司に分離された。官衙の所在地は,平安宮では大炊寮の北,東面中門の待賢門を入った南側の地であったが(醬院が西側に付属),平城宮については第1次内裏,第2次内裏の北側または第2次朝堂院と東院の間など,諸説がある。』とあるのが、それである。

「年料」諸役所で一年間に必要とする食糧や物資。

「索昆布(なわこんぶ)」「なはこんぶ」が正しい。但し、小学館「日本大百科全書」の「コンブ」の「民俗」の項で、「延喜式」『には陸奥国の納める昆布の名目に「索昆布(なひめ)・細昆布・広昆布」がみえる。』とあり、これは、「なは」=「繩」ではなく、「綯ふ」で「撚り合わせた(或いは、撚り合わせたような形の)昆布」の意の可能性もあるように私には思われた。ともかくも、「繩」でも、後者でも、細さを感じさせるから、ホソメコンブを第一候補としよう。

「鯛細昆布(たいぼうこんぶ)」国立国会図書館デジタルコレクションの昆布関連の書物他には、確かに複数に載るが、読みも、様態も、全く書かれていない。「鯛」が頭につくというのが、判じ物で(言っときますが、「鯛の昆布締め」なんていうのは、即、退場ですぞ!)、全くのお手上げ! 識者の御教授を乞う! 「鯛」さえなければ、採種場所の違いで、前と同じホソメコンブの地方異名と出来るのだが……(なお、それ以外の昆布種は――現行では――分布域が「陸奥國」では、ホソメコンブとマコンブに限られることは、頭の隅に置いておいてお考えあれ!

廣昆布(ひろこんぶ)」これは、まず、成長したマコンブの可能性が高いように思う。

「大目魚吸(たらすい[やぶちゃん注:「すい」はママ。])もの」まず、条鰭綱タラ目タラ科タラ亜科マダラ属マダラ Gadus macrocephalus の吸い物。

『「本朝食鑑」にも、京師市《けいしいち》上製の京昆布(きやうこんぶ)、上品の乾果(かんくわ)となすとあり。又、同書に、凡そ、昆布は、大饗嘉儀(だいきやうかぎ)の贈(をくりもの)となし、冠昏壽生(くわんこんじゆせい)の賀を祝す、と。又、曰く、庖厨茶會(はうちうちやくわい)の茶果(ちやくわ)となし、或は、齋日(さいじつ)、煎汁(せんじじる)を取(とつ)て、鰹煎汁(かつほのにだし)に代(か)へ、僧家(そうか)も亦、煎汁を以て、羹(かん)を調へて、甜味(かんみ)を添へ、或(あるひは)、果(くわし)、及(および)、油具(あぶらけ)となす』もう、疲れてきた。国立国会図書館デジタルコレクションの元禄一〇(一六九七)年板で当該部をリンクすることにする。ここの左丁一行目から七行目目までである。

「應仁の頃に、『鮒の〆卷(しめまき)』とあるは、今の昆布卷ならんか」同じく国立国会図書館デジタルコレクションの「嬉遊笑覽」(下卷・喜多村信節著・日本隨筆大成編輯部 編・成光館出版部)昭和七(一九三二)年刊)の当該部をリンクさせておく。ここの、右丁二行目下方の「【應仁別記】」以下。

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