河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その1)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここ。書名は、既に先行部分で注したもの(立項せず、何らかのフレーズや、別の注の中で述べたものは含まない)は、必要と判断した一部を除いて、再掲しない。
なお、私は、サイト(それは後に附した)及びブログで、夥しいナマコ関連の電子化注をしている。他の生物との混淆しているもの(但し、サイト版の「「和漢三才圖會」卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の中の「海䑕(とらご)」は挙げておく)や、特殊なものを除き、以下に、目ぼしいものを古い順にリンクを附して掲げておく。
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「海鼠 附録 雨虎(海鹿) 栗本丹洲 (「栗氏千蟲譜」巻八より)」(サイト版)
「海産生物古記録集■6 喜多村信節「嬉遊笑覧」に表われたるナマコの記載」
「海産生物古記録集■7 「守貞謾稿」に表われたるナマコの記載」
「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」
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私の大好きな海鼠なのだが、驚天動地! 昨日の早朝に始めて、今朝まで、実に延べ十時間はかかった。底本で、たった十行に、だ! 何故かは、私の注の錯綜でお判り戴けるであろう。]
(三)煎海鼠(いりこ)の說
煎海鼠は、「延喜式」に『熬海鼠(がうかいそ)』と書(しよ)し、「和名鈔」、これを『伊里古(いりこ)』と訓(よ)ましむ。「古事記」、及び、「和名鈔」・「本艸和名(ほんざわみやう)」等(とう)に『海鼠(かいそ)』を古(こ)とし、「本朝式」に、『海鼠(こ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])』に「熬(いる)」の字を加へて、『伊里古(いりこ)と云ふ』とあり。又、「類聚雜要(るいじうざつえう[やぶちゃん注:ママ。])」にも、『鮮(なま)なるを生海鼠(なまこ)』とし、『熬(い)りたるを熬海鼠(いりこ)とす』とありて、海鼠(なまこ)を熬り乾したるものヽ稱(しやう)なり。往昔(むかし)は、熬り、乾製(ほしせい)を是(よし)とし、「玉造(たまつくり)」に『焦鼠(いるこ)』とし、「伊勢守貞陸記(いせのかみていりくき)」に『くろもの』[やぶちゃん注:底本では、珍しく鍵括弧であるが、私の定めた凡例に従い、変えた。]の名ありしも、後世(のちのよ)、『煎乾(にぼし)』の製あるより、「塵添壒囊鈔(ぢんてんあいのうせう[やぶちゃん注:底本のルビは『あい』となっているが、誤植と断じて特異的に訂した。])」に『煎海鼠(ぜんかいそ)』の文字(もじ)あるに至れり。而して、此(この)煎海鼠(いりこ)は、「延喜式」神祗、主計(かぞへ)等の部に、志摩、若狹、能登、隱岐、筑前、肥前、肥後等より、朝貢(みつぎもの)とし、神饌(しんせん)、內繕(ないぜん)に供(きやう)し、賦役調庸(ふやくてうよう)の資(し)に充(あ)て、往古(わうこ)より、世に貴重せられたり。
[やぶちゃん注:「熬海鼠」「熬」は音「ガウ(現代仮名遣「ゴウ」)」、訓「いる」であり、第一義で「煎(い)る」の意である。
「古事記」所謂、『天宇受賣命(あめのうずめのみこと)』が、水中の『廣物鰭(ひろはたもの)』(ありとある水産生物総体)を集め、『天神(あまつかみ)の御子(みこ)に仕へ奉らむや』と問うた時に、『皆、仕へ奉らむ』と答えた中で、ただ、『海鼠(こ)、白(まを)さず』であったために、彼女が、『海鼠に謂ひけらく、「此の口や、答へせぬ口」と云ひて、紐小刀(ひもこがたな)以(も)ちて、其の口を拆(さ)きき。故(かれ)、今に海鼠の口、拆けたり』というシークエンスを指す。所謂、海鼠の口吻部の触手が開いているのは、そうした不遜のために、口を切られたのだとする神話解釈として、甚だ面白い生物学的観察視線が感じられる有名なシークエンスである。未読の方のために、国立国会図書館デジタルコレクションの幸田成友(しげとも)校訂「古事記」(昭和一二(一九四七)年岩波文庫刊)の当該部をリンクさせておく。謂わずもがなだが、本邦の古書中、初めて「海鼠」(ナマコ)を明確に同定して記述したものとされるものである。左ページの最終段落である。
『「和名鈔」、これを『伊里古(いりこ)』と訓(よ)ましむ』「和名類聚鈔」の「卷十九」の「鱗介部第三十」の「龜貝類第二百三十八」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)板を参考に推定訓読する。
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海䑕(コ) 崔禹錫が「食經」に云(いは)く、『海䑕(かいそ)【和名、古(いにしへ)、「本朝式」に、「𤎅」の字を加《くはへ》て、「伊里古(いりこ)」と云ふ。】は、蛭(ひる)に似て、大なる者なり。』と。
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この『崔禹錫が「食經」』というのは「崔禹錫食經」で、唐の崔禹錫撰になる食物本草書。「和名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測されている。
「本草和名」深根輔仁(ふかねのすけひと)の撰になる日本現存最古の薬物辞典(本草書)。「輔仁本草」(ほにんほんぞう)などの異名がある。当該ウィキによれば、『本書は醍醐天皇に侍医・権医博士として仕えた深根輔仁により』、『延喜』一八(九一八)年に『に編纂された。唐の』「新修本草」(高宗が蘇敬らに書かせた中国最古の勅撰本本草書。陶弘景の「神農本草經集注」(しんのうほんぞうきょうしっちゅう)を増訂したもの)を『範に取り、その他漢籍医学・薬学書に書かれた薬物に倭名を当てはめ、日本での産出の有無及び産地を記している。当時の学問水準』の限界のため、『比定の誤りなどが見られるが、平安初期以前の薬物の和名を』、『ことごとく記載しており』、且つ、『来歴も明らかで、本拠地である中国にも無い』所謂、『逸文が大量に含まれ、散逸医学文献の旧態を知る上で』も、『また』、『中国伝統医学の源を探る上でも貴重な資料である』。本書は、後の『丹波康頼の』知られた「医心方」にも『引用されるなど』、『後世の医学・博物学に影響を与えた。また、平安時代前期の国語学史の研究の上でも貴重な資料である』。後、永らく、『不明になっていたが、江戸幕府の医家多紀元簡が紅葉山文庫より上下』二『巻全』十八『編の古写本を発見し』、『再び世に伝えられるようになった。多紀元簡により発見された古写本の現時点の所在は不明であるが、多紀が寛政』八(一七九六)年に『校訂を行って刊行し』、六『年後に民間にも出された版本が存在する他、古写本を影写した森立之の蔵本が台湾の国立故宮博物院に現存する』とある。
「類聚雜要」平安時代に書かれた寝殿造の室礼と調度を記した古文献「類聚雜要抄」(歴史的仮名遣「るゐじゆうざうえうしやう」)は摂関家家司であった藤原親隆が久安二(一一四六)年頃に作成したと推定されているもの。国立国会図書館デジタルコレクションの『群書類從』「新校・第二十卷」(内外書籍株式会社編・同社昭和四(一九二九)年刊)の当該部をリンクしておく。左ページ上段の四行目の『次酒器』の『次』の割注の最後に、『生海鼠』とある。これは、「和名類聚鈔」に照らせば、まず、「生」で「なま」、「海鼠」で「こ」で、全体で「なまこ」と読んでいるものと断じてよい。但し、私が調べた限りでは、この刊本には、「熬海鼠」は、ない。写本が国立国会図書館デジタルコレクションにはあるが、流石に、それを蜿蜒と探す気は起らない。悪しからず。但し、「本朝式」に載るのだから、あって当然であろうし、生の海鼠を食う以前に、熬(煎)海鼠は食されていたことは、百%、間違いない。
「玉造」ここで、大いに困った。これは、文章の前後から判断して、書名と採るしか、ない。ところが、東洋文庫版で、躓いた。そこでは、他の明らかな書名には、総て鍵括弧が打たれているのに、この「玉造」には、鍵括弧がないのである。注も、ない。ネットでこの書名の古書を探したが、存在しない。そこで、国立国会図書館デジタルコレクションで、「焦鼠 玉造」で検索した結果、一九七七年国書刊行会刊の北水協会編纂「北海道漁業志稿」を見つけた。ここである。そこでは、「焦鼠」に「いれるこ」という別なルビがあって、後に『(玉造)』とあったので、欣喜雀躍したのだが、この部分の文章を読むに、明らかに、本書の叙述とコンセプトが酷似しているのに、甚だ、疑問を持った。そこで、調べると、当該書の冒頭に書かれている『引用書目』(と言っても、引用注は存在しない参考書目である)のここ(左丁の上段六行目)に本書が挙がってあったので、無批判に使用したことが判ったから、これはアウトとなった。他には、「玉造」という書名は見出せなかった。ただ、私は、嘗つて、海産生物だったと思うが、「~たまつくり」と称した江戸期の随筆か、料理書を国立国会図書館デジタルコレクションで視認した記憶があったので、調べたが、徒労で、見出せなかった。そこで、一縷の望みを賭けて、「焦鼠」で同所で検索した結果、私の尊敬する大島廣先生の論文に載っているのを見出した。『九州帝國大學農學部學芸雜誌 』(6(2)・九州帝國大學農學部発行・一九三五年二月発行・雑誌合本)の「沖繩地方產食用海鼠の種類及び學名」の冒頭で、『海鼠の內臟を去り煮て乾燥し食用に製品となしたものを我國では延喜式以來“熬海鼠”と書いてイリコ(伊里古)と訓ましてあるが, なほ“焦鼠”“煎海鼠”なとと書く場合もある。』と述べておられるので、この「焦鼠」が、異称として存在したことは確かでは、ある。なお、この論文は、各個種を詳細に解説した優れたものである。全文をじっくりと読みたいものである(今は、そんな時間がないのが、悔しい!)。私に出来ることは、ここまでである。どなたか、「焦鼠」を載せた古書で、「玉造」或いは「たまつくり」を書名に持つものを御存知の方は、切に御教授願いたい。
「伊勢守貞陸記(いせのかみていりくき)」東洋文庫版では、『〔『伊勢貞陸自筆記』カ〕』(同書では、書名は二重括弧である)と割注してあったので、当該書を国立国会図書館デジタルコレクションで調べたが、ない。ネット検索で、「宮内省書陵部」公式サイトで「貞陸自筆記」を見つけたが、閲覧申請をしないと、見ることが出来ないので、諦めた。
因みに、作者は、室町・戦国時代の武将伊勢貞陸(いせさだみち 寛正四(一四六三)年~永正一八(一五二一)年)で、伊勢貞宗の長男。二度、山城守護となり、同国の一揆後の混乱収拾に当たった。将軍足利義稙に仕え、延徳二(一四九〇)年、幕府政所執事となった。武家の故実に通じ、「常照愚草」などを著わした。初名は貞隆で、後に貞綱と名乗った。通称は七郎で、号は汲古斎である(講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」に拠った)。
「くろもの」確認は出来ないが、この呼称は如何にも納得出来る。
「後世(のちのよ)、『煎乾(にぼし)』の製あるより」この「」は、所謂、お馴染みの「煮干し」のことである。一般には、ニシン上目ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonicus で作ったものであるが、ニシン亜目ニシン科ニシン亜科マイワシ属マイワシ Sardinops melanostictus・ニシン科ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus teres・ニシン科キビナゴ亜科(或いはウルメイワシ亜科)キビナゴ属キビナゴ Spratelloides gracilis 、また、アジ目アジ科
アジ亜科 Caranginae のアジ類・サバ亜目サバ科 Scombridaeに属するサバ類・新鰭亜綱棘鰭上目ダツ目トビウオ科 Exocoetidaeのトビウオ類の幼魚などを原料とするものもある。
「塵添壒囊鈔」単に「壒囊鈔」とも呼ぶ。十五世紀の室町時代に行誉らによって撰せられた百科辞書・古辞書。同書の記載は、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの活字本の、巻一の「五十九」条の、ここ、である。
「『煎海鼠(ぜんかいそ)』の文字(もじ)ある」上記リンク先では、「イリコ」とルビが振られており、この「ぜんかいそ」というルビは、誤りである。]
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