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2025/10/19

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「淚雨」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]

 

 「淚雨」 安倍郡、安部河原《あべかはら》にあり。傳云《つたへいふ》、

「往昔、有渡郡《うどのこほり》河鍋村《かはなべむら》天坪【小地名《せうちめい》。】に、七兵衞と云《いふ》農夫あり。

 一日《いちじつ》、彼《かの》居地《きよち》を穿《うがち》て、一《ひとつの》壺《つぼ》を得たり。其製、甚《はなはだ》、奇佳《きか》[やぶちゃん注:あまり見慣れない熟語だが、「珍奇佳麗」の意。]也。後《のち》、是を江都《かうと/えど》に獻ず。

 卽《すなはち》、上覽に備《そなふ》る處、頗《すこぶる》、名器たるに依り、永く、御數奇屋《おすきや》に納《をさめ》られて御寶物《ごはうもつ》となる。

 今に至《いたり》て、此壺、御茶詰入《おちやつめいれ》として、城州宇治に往來する時、安倍川を過《すぐ》れば、必《かならず》、雨、降る。

 里人《さとびと》、號《なづけ》て、

「故鄕を、すぐる、淚雨《なみだあめ》。」

と云《いふ》。

 又、其壺を得たる所を、「天坪《てんつぼ》」と唱へて、小地名とす。云云。」。

 按《あんず》るに、「天壺」と稱する御壺《おんつぼ》、御數奇屋にあるを聞かず。今、紀伊殿に「有明《ありあけ》」と號《がう》して、祕藏の名壺あり。是、大納言光貞卿[やぶちゃん注:後の時宗の父。]の時、大猷院殿大樹[やぶちゃん注:家光。「大樹」は征夷大将軍の唐名。]より拜領せらるヽ處の御茶壺也。『此壺を出《いだ》せば、極《きはめ》て、雨、ふる故に、近頃、是を出されず。云云。』。若《もしく》くは、此「有明」の名壺、彼《かの》「天坪」より、掘得《ほりえ》る處にして、後、光貞卿に玉《たま》ふか。或云《あるいはいふ》、『「天坪」は、壺を、改《あらた》め書《しよ》する處[やぶちゃん注:壺銘を改めて名付け変えた仕儀。]也。云云。』。

 

[やぶちゃん注:この地名として「天坪」であるが、「静岡観光コンベンション協会」ホームページ内のサイト「大御所四百年記念 家康公を学ぶ」の「安倍川をめぐる出来事」のページの、「樋泉(といずみ)」の項に、

   《引用開始》

 樋泉という地名が現在の駿河区泉町にある。「昭和6年までは「樋泉町」(といずみちょう)と呼ばれている地名で、戸籍にも記されている。その昔、現在の静岡駅周辺は、安倍川の伏流水として流れていたため、安倍奥を水源とする綺麗な水脈が流れ、この辺りで一気に溢れ出てて[やぶちゃん注:ママ。]いた。そのため清水尻(シミンジリ)とよばれた湧水池帯であった」と語るのは泉町にお住まいの萩原敦子さんである。この湧水は柿田川遊水地に劣らないほどの広大な規模であったという。

 この周辺は、新幹線と静岡駅の工事で一変したという。世紀の大工事で周辺人家の移転もさることながら、水を守るお地蔵さんも引越した。地続きの旧川辺村字天坪も昔は一つの村で、大御所時代には家康公に仁兵衛なる人物の井戸水は名水で、お城に御茶の水を運んでいたと伝えられている。仁兵衛の屋敷から一つの壺が出土し、名器とされて宇治に遣わす茶壷(天壺が茶壺の名前になったとも)の一つに加わったという(萩原敦子様談)。

   《引用終了》

とあることで、現在の安倍川河口近くの左岸で、駿府城の南東直近の市街地である駿河区泉町(いずみちょう)町内(グーグル・マップ・データ)である。ひなたGIS」の戦前の地図で、「樋泉」を確認出来る。

「御數奇屋」江戸幕府の職名の一つであった、若年寄の支配に属した数寄屋頭の指揮を受けて、将軍を始め、出仕の幕府諸役人に茶を調進し、茶礼・茶器を司った数寄屋坊主によって、茶・茶道具を管理した部署・部屋を指すのであろう。

「城州宇治に往來する時」所持する平凡社「世界大百科事典」の「茶壺道中」の項に、『江戸時代,幕府が毎年,茶道頭以下に命じて山城の宇治茶を取り寄せ』、『将軍に献上した行事,また,その茶壺の往来をいう。宇治から茶壺を禁裏などに進献する行事は,すでに室町時代にみられるが,統一政権の成立後は豊臣秀吉や徳川家康の代にその原型ができ,3代将軍徳川家光の1632年(寛永9)より制度化した。初期には茶壺を数寄屋坊主23人に持たせ,徒士頭(かちがしら)1人と走衆数人を引きつれて宇治にいたり,御物茶師の上林家らに銘茶を選んで詰めさせ,密封して山城愛宕山上に100余日格納したあと,江戸城に持ちかえって将軍や大奥などの飲用に供し,日光妓・久能山にも供え,一方,禁裏・仙洞へも進献した。その後,5代将軍綱吉の代になると,茶壺の愛宕山格納を廃して,帰路は中山道・甲州道中経由,甲斐都留郡の谷村(やむら)城内の風穴に格納したが,さらに1738年(元文3)には東海道を直送,江戸城内の富士見櫓の上層に納めることになった。茶壺道中は将軍家御用であるため,上使と三縁の中間に位する威儀をもち,東海道などの諸大名や沿道住民に対する横暴もはなはだしく,種々の弊害を生じた。なお,水戸徳川家など三家でも茶壺の往来があった。』とある。いやはや……。]

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