阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「こもとうの靈《りやう》」
[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]
「こもとうの靈《りやう》」 安倍郡《あべのこほり》口仙俣村《くちせんまたむら》にあり。傳云《つたへいふ》、
「『こもとう』は、徃昔《わうじやく》、柿島村《かきしまむら》の西平と云《いふ》所に居住する武人也。某《なにがし》の爲に、夜討《やうち》せられ、當村、廣海戶に落來《おちきた》り、終《つひ》に討死す。其《その》靈《りやう》、祟《たたり》を、なす。里人《さとびと》、恐れ、祭りて、山神《やまがみ》とす、云云《うんぬん》。」。
今、古傳《こでん》を失《しつ》す、故に、事蹟、詳《つまびらか》ならず。
[やぶちゃん注:「靈」は、この場合、「御霊」(ごりょう)であるから、かく、読んでおいた。
「口仙俣村」平凡社「日本歴史地名大系」に、『口仙俣村』『くちせんまたむら』とあり、『静岡県』『静岡市旧安倍郡地区口仙俣村』とし、現在の『静岡市口仙俣』とする。ここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。『中河内(なかごうち)川支流の仙俣川流域に位置し、南は柿島(かきしま)村枝郷』(えだごう)『上落合(かみおちあい)。戦国期には尊俣』(そんまた)『に含まれていた。領主は安西外(あんざいそと)新田と同じ』(同書で調べたところ、寛永九(一六三二)年、幕府領となり、幕末に至った、とあった。しかし、以上の話は、江戸以前であるから、領主は別。明確ではないが、以下の「柿島村」で示した国立国会図書館デジタルコレクションの資料が参考にはなろう)。『元禄郷帳では高六石余。旧高旧領取調帳では幕府領六石余・祐昌寺(涌泉寺)除地四斗余。「駿河記」では家数一七』とある。
「柿島村」口仙㑨の南方。ここ。北に口仙俣を配しておいた。但し、「駿河國新風土記」第七輯」(新庄道雄著・修訂/足立鍬太郎・昭和九(一九三四)年志豆波多會刊・ガリ版刷)では、「かきじま」と濁音になっている。しかも、「こもとう」は、そこでは、「トモトフ」(右傍線有り)となっている。そちらは、戦国時代とし(時期は『いづれの時にか有けん』と明確ではない)、もっと前後の史実的記載が詳しく書かれてあるので見られたい。
「西平」「ひなたGIS」で「柿島」の戦前の地図を見たが、同地区や周辺を見ても、見当たらない。
「廣海戶」この地名も同前で調べたが、見当たらない。読みも判らない。国立国会図書館デジタルコレクションの「湖西市史 資料編 6」(湖西市史編さん委員会編・一九八六年湖西市刊)のここ(一八一ページ下段の村方の地下文書の箇条の最後に『字廣海戶』とあったが、湖西市では、全く位置が合わないので、同名異所である。]
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