河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その12)~図版・注・分離公開(そのⅢ)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここの左ページ。なお、本図版に就いては、(その10)の冒頭注記を、必ず、見られたい。]
【図版3】[やぶちゃん注:左ページ。]
■「其 三」
[やぶちゃん注:上罫外の標題。
ここでは、左下方に、串二本で突き刺した五個体の製品と、軟らかい繩様の物で中央部を貫いた十二個体の図(かなり大きい)があるが、それらは、最後に配しておいた。]
■「陸奥國《むつおくのくに》
東津輕郡《ひがしつがるのこほり》
小湊村産」
「二匁ヨリ、十五匁。取交□。
[やぶちゃん注:最後の□は、東洋文庫版の巻末に近い位置にあるキャプションを活字に起こした表では、『□』となっていて、判読不能である。しかし、これは、私は「ゼ」、或いは、「也」であろうと判読している。前者なら、「とりまぜ」であり、後者なら、「とりかはせなり」となろうが、前で重量を述べているのであるから、前者の可能性(「重さ・大きさがマチマチのものを取り交ぜたものである」の意)が極めて高いと考えている。
「陸奥國《むつおくのくに》」「昆布の說」の本文で、河原田氏は、「陸奥」に、かくルビを振っているのに従った。
マナマコ比定。]
■「讚岐國大內郡《おほちのこほり》
日引村《ひけたむら》産」
[やぶちゃん注:「讚岐國大內郡日引村」旧大川郡引田町(ひけたちょう)大字引田で、現在の香川県東かがわ市引田(ひけた)。当該ウィキによれば、『播磨灘に面する港町で、醤油醸造で栄えていた時代の古い町並みとともに、世界で初めてハマチ』(スズキ(アジ)目スズキ亜目アジ科ブリモドキ亜科ブリ属ブリ Seriola quinqueradiata の「出世魚」の大きさで分けた地方名の一つ。ウィキの「ブリ」によれば、『関西』で、『モジャコ(稚魚)→ ワカナ(兵庫県瀬戸内海側)→ ツバス、ヤズ(40 cm以下)→ ハマチ (40-60 cm) → メジロ (60-80 cm) → ブリ(80 cm以上)』、『南四国』で、『モジャコ(稚魚)→ ワカナゴ(35 cm以下)→ ハマチ (30-40 cm) → メジロ (40-60 cm) → オオイオ (60-70 cm) → スズイナ (70-80 cm) → ブリ(80 cm以上)』とあり、『80 cm 以上のものは関東・関西とも「ブリ」と呼ぶ。または80 cm以下でも8キログラム』『以上(関西では6 kg以上)のものをブリと呼ぶ場合もある。和歌山県は関西圏だが』、『関東名で呼ぶことが多い。流通過程では、大きさに関わらず養殖ものをハマチ、天然ものをブリと呼んで区別する場合もある』とある。なお、『「ハマチ」の漢字に「魬」が、「ワカシ」の漢字に「𮬆(魚偏に夏、魚+夏)」が使われる』とある)『の養殖に成功した地としても知られる。』とある。マナマコの産地としても知られる。]
■「後志國《しりべしのくに》
岩内郡《いはないのこほり》
三島町《みしまちやう》産」
[やぶちゃん注:「後志國岩内郡三島町」現在の岩内郡岩内町(いわないちょう)御崎(みさき:字名(あざめい))。平凡社「日本歴史地名大系」の「三島町」「みしままち」(この読みは不審。後を見よ)に、『明治初年(同二年八月―九年の間)から同三三年(一九〇〇)まで存続した町。岩内市街のうちで、堀江(ほりえ)町の西に位置する。明治九年の大小区画沿革表に三島町とある。同二一年の戸数八五・人口三二〇、同二四年の宅地は一町二反余(岩内古宇二郡誌)』とある。既に述べたが、北海道では、「町」を「まち」と読むのは、茅部郡(かやべぐん)森町(もりまち)のみである(ここ)。これは、北海道の開拓時代に於いて、行政区画としての「町」が設定された際、「ちょう」という読み方が採用されたことに由来するので、先に「不審」としたのである。
本種は、間違いなくマナマコである。北海道岩内郡岩内町字大浜の「一八興業水産株式会社」公式サイト「一八食堂」の「ナマコのお話」に、『岩内町の市場では、さまざまな魚種の水揚げが減っていますが、ナマコの水揚げはそれなりにあります。価格も中国での需要が強いために、高値で取引されています』。『正式名称は「マナマコ」。岩内ではナマコと言えば、「生子」と書いて「生助子(なますけこ)」の事を指し、生スケトウダラの子、いわゆる』、『たらこの生の原料の事を言いますが、最近では』、『このイボイボの海鼠が一般的になりました』。『昔からナマコは薬効があるとされ、中国では陸の人参(朝鮮人参)と対比し、干しナマコは海参と呼ばれています。古書では強精剤としての効能が強調されていますが、外観の異様さからの思いこみのようで、真偽のほどは?です。試してみてはいかが?』とされ、『岩内のナマコは他地域のものにくらべ』、『イボイボのとんがりが強いために、評価が高いのです。岩内の荒波の海で生き延びたからでしょうか。目先だけの漁でなく、資源管理をしっかりしながらの漁獲を期待したいものです。』とあった。如何にも、がっちりした褐色の、上手そうな生体写真もあるので、見られたい。]
■「靑森縣川內村《かはうちむら》産」
[やぶちゃん注:「靑森縣川內村」正確には、旧青森県三戸郡(さんのへぐん)切谷内村(きりやないむら)。旧村名では、現在の三戸郡五戸町(ごのへまち)切谷内(大字名)かそれに近いが、ご覧の通り、かなり内陸であり、一方の合併(明治二二(一八八九)年)して「川内村」となった上市川村(かみいちかわむら)の方が、比較的に海浜に近いので、少なくともナマコを採取していたのは、この上市川村であろうか。しかし、「ひなたGIS」の戦前の地図を見ると、上市川から、さらに海岸辺に当たる地域に「市川村」があり、ここが実際のナマコ漁を仕切っていたであったのであり、煎海鼠を作るのは、内陸の上市川・切谷内ででもあったものかも知れない。
マナマコ比定。]
■「陸奥國西津輕郡《にしつがるのこほり》
鯵ケ澤村《あぢがさはむら》産」
[やぶちゃん注:「陸奥國西津輕郡鯵ケ澤村」青森県西津軽郡鰺ヶ沢町(あじがさわまち)。
塩谷亨氏の論文「青森県における魚類等の方言名について」(『北海道言語文化研究』(巻14・二〇一六年四月二十七日北海道言語研究会発行・「室蘭工業大学学術資源アーカイブ」のここでダウンロード可能・PDF)を見たところ、資料リストの中に以下のようにあった(標準和名の後の地方名の記号は、「SM」が石戸芳男著「八戸魚物語」(二〇〇八年デーリー東北新聞社刊)、「HM」が東北農政局青森統計情報事務所編「青森県さかな方言名」(一九九一年同事務所刊)、「HS」が 日下部元慰智(もといち)著「青森県さかな博物誌」(一九八八年東奥日報社刊)、「TN」が工藤祐著「津軽と南部の方言 青森県の文化シリーズ15」一九七九年北方新社刊にリストされている方言名を意味すると冒頭にあった。また、半濁音(「゜」)は、「津軽と南部の方言」『ではカ行に半濁点の付された表記がある。これについてはおそらく鼻濁音であろうと思われる。』とあった)。
《引用開始》
- <ナマコの仲間>
➢ ナマコ: [HM なまこ、あかなまこ] [TN ナマコ゜、ハナタラシ(津軽)]
➢ オキナマコ: [HM おきなまこ]
➢ マナマコ: [HS ナマコ] [TN クロナマゴ(八戸)]
➢ ムラサキクロナマコ: [TN アガナマゴ・シマナマゴ(津軽)]
➢ フジナマコ: [TN フンジナマコ(西海岸地方・大間)、フンチコ(青森・鰺ヶ沢)]
➢ 不詳(ナマコの一種): [TN アカナマゴ(八戸)]
➢ 不詳(ナマコの一種): [TN スナナマゴ・アオナマゴ(青森周辺)]
➢ 不詳(ナマコの一種): [TN イシナマゴ(鰺ヶ沢)]
➢ 不詳(ナマコの一種): [TN オギナマゴ(鰺ヶ沢)]
《引用終了》
因みに、単なる
◎「ナマコ」は「マナマコ」
で、
◎「オキナマコ」は(その3)で示した楯手目シカクナマコ科マナマコ属オキナマコApostichopus nigripunctatus (シノニム:Parastichopus nigripunctatus )
でよいが、
✕「ムラサキクロナマコ」というのは、標準和名に存在しない。
✕ムラサキクルマナマコ(紫車海鼠)=無足目クルマナマコ科ムラサキクルマナマコ属ムラサキクルマナマコ Polycheira rufescens は存在するが、相模湾以南にしか棲息しないので、違う。別に、
✕ナマコ綱樹手目Dendrochirotidaスクレロダクティラ科 Sclerodactylidae ムラサキグミモドキ属ムラサキグミモドキ Afrocucumis africana がいるが、これも、房総半島南部と、紀伊半島以南にしか棲息しないので、これもアウトである。
されば、
◎方言名の「アガナマゴ」は「アカナマコ」で「アカ型」のマナマコで、
◎「シマナマゴ」は「シマナマコ」=「縞海鼠」で、即ち、背部の地色が薄桃色、又は、淡赤褐色で、赤褐色、又は、暗赤褐色の模様が「斑(まだら)」に出るところの、同じく「アカ型」のマナマコ、
或いは、逆に、既に、私が(そのⅡ)の「藤海鼠(ふじこ)」の注で推理したように、
◎一般に暗青緑色=藤色を呈しているマナマコの「アオ」型のマナマコなのではないか?
という見解を述べておく。
かくなれば、次の「フジナマコ」も、やはり、(そのⅡ)の「藤海鼠(ふじこ)」の注で示した、三浦三崎・小湊・白浜・淡路島・壱岐島・豊後・高知を棲息域とする
✕クロナマコ科クロナマコ属フジナマコ亜属 Holothuria ( Thymiosycia ) decorata フジナマコ
ではあり得ず、前掲の私のマナマコとするしかないと、私は断言するものである。
序でなので、終わりの頃の「不詳」とされる、方言の内の「イシナマコ」であるが、これも、同名和名種があることは、ある。
クロナマコ科クロナマコ属イシナマコ亜属イシナマコ Holothuria ( Microthele ) nobilis
であるが、本邦では、沖縄諸島にしか棲息しないので、ダメである。
迂遠な注となった。この図の個体は、無論、マナマコ比定である。
■「隱岐國《おきのくに》和夫郡産」
[やぶちゃん注:「和夫郡」は「知夫郡」の誤記。読みは「ちぶのこほり」。現在の知夫島を中心とした隠岐郡西ノ島町(にしのしまちょう)知夫村(ちぶむら)に当たり、島根県で唯一の「村」である。私は一度、行ったことがある。悔しいのは、腹足綱異鰓上目真後鰓目無楯(アメフラシ)亜目アメフラシ上科アメフラシ科アメフラシ属アメフラシ Aplysia kurodai を食いそこなったことだった。離島は、どこも、大好きだ! 近々、五島列島に行く予定である。遂に、念願だったハコフグが食える!!!
頭部が捩じれているが、マナマコ比定。]
■「三重縣甲賀村《こうかむら》産」
[やぶちゃん注:現在の滋賀県の甲賀市ではないので注意! 三重県志摩市阿児町甲賀(あごちょうこうか:大字)である。ここだ! 甲賀との関係は当該ウィキの「歴史」を見られたい。
前図のものよりも強く、有意に捩じれている。これは乾した際の物理的に生じたものなのかも知れないという気がしてきた。マナマコ比定。]
■「串海鼠(くしこ)」
[やぶちゃん注:產地も何も書かれていない。ふと、『前の二図と、三つで、ある、合わせとして、河原田氏が、配したのではないか?』という思いつきが生じた。前の二個体の製品は頭部を捩じって、紐で縛った二個体を、一本の比較的太い橫竿に跨らせて乾したのではなかったか? 而して、それらより、小型のものは、串に刺してぶら下げたのではないか?……私の――煎乾海鼠妄想――である。マナマコ比定。]
■「福良海村産」
[やぶちゃん注:「福良海村」これは、恐らく「福良浦村《ふくうらむら》」の誤記である。現在の淡路島の南端中央にある、福良港を擁する兵庫県南あわじ市福良(ふくら)である。当該ウィキに、明治二二(一八八九)年四月一日に、『町村制の施行により、近世以来の福良浦が単独で自治体を形成して三原郡福良町が発足』しているとあることから、この繁盛がよく判る。しかも、『福良港や鳴門海峡で釣れる魚種は、鳴門鯛』(スズキ目スズキ亜目タイ科マダイ亜科マダイ属マダイ Pagrus major のブランド名)『をはじめとしてアオリ、カレイ、アジ、キス、サバ、タチウオ、サヨリ、ハマチ、スズキ、チヌ、メバルなどである』とある。食われるマナマコも、これまた、繁殖しているに違いない。]
■「伊勢木谷村《いせきだに》産」
[やぶちゃん注:「伊勢木谷村」現在の三重県度会郡南伊勢町(いせちょう)木谷(きだに)。マナマコ比定。]
■「天比國増毛郡《ましけのこほり》増毛村産」
[やぶちゃん注:「天比國増毛郡増毛村」「天比國」は、どうしたら、こんな誤記が出来てしまうのか、甚だ、不思議だが、「天塩國《しほのくに》」(今までは「天䀋」と書くことが多かった)の誤りである。現在の北海道増毛郡増毛町である。
マナマコ比定。]
■「山口縣大島郡《おほしまぐん》産」
「背」
「腹」
[やぶちゃん注:「山口縣大島郡」当該ウィキ(郡)によれば、現在は周防大島町(すおうおおしまちょう)『一町』(=屋代島(やしろじま))『で同郡を形成している。但し、明治一二(一八七九)年に『行政区画として発足した。当時の郡域は、』大島『町に柳井市の一部(平郡島)』(「へいぐんとう」と読む。ここ)『を加えた区域にあたる。なお』、『本州の神代村』(こうじろそん)『・大畠村』(おおばたけむら)『・遠崎村』(とおざきむら)『は』、『明治』九(一八七六)『年』『に大島郡から玖珂郡』(くがぐん)『へ移されていた』とあるので、本書刊行当時は、実質、屋代島及び平郡島産ということになろう。
マナマコ比定。]
■「イリコ」
「長嵜縣産」
マナマコ比定。]
■「渡島國《としまのくに》
茅部郡《かやべのこほり》
砂原村《さはらむら》産」
「一個量、六匁。」
[やぶちゃん注:「渡島國茅部郡砂原村」現在は、同じ茅部郡の森町(もりまち:既に述べた通り、現在の北海道で「町」を「まち」と読む唯一の町名である)と二〇〇四年に合併協定書を調印し、茅部郡森町砂原(さわら)となっている。「郵政その他、皆、「さわら」である。果して、明治十九年段階で歴史的仮名遣で正しく「さはら」と表記したことは、取り敢えず、「ひなたGIS」の戦前の地図では、駅名が、確かに「さはら」となっては、いる。しかし、ウィキの「砂原町」によれば、『町名の由来はアイヌ語の「サラキウシ」(鬼茅のある所の意)から』とあり、この「鬼茅」は、一応、「葦原」・「茅(かや)」の意味であるらしい(あまいものこさんのサイト「甘藷岳山荘」の「山名考」の「砂原岳」の緻密な考証の中で意味を拾った)。私がここでの歴史的仮名遣に問題を感じるのは、アイヌ語由来であるものを、安易に漢字表記から歴史的仮名遣に無条件に変換してよいかどうかについて、甚だ疑問を感じるからである。確かに、旧近現代地名では「さはら」でも、現在は「さわら」である。しかし、本書刊行の明治十九年時点で、現地の人々、取り分け、原住民であるアイヌの方たちが、実際に現に「サワラ」と発音していたとすれば、それを「さはら」として、伝家の宝刀の如く、歴史的仮名遣表記をすること自体が、完全に無効となると、私は、考えるからである。
マナマコ比定。]
■「廣島縣賀茂郡《かものこほり》産」
[やぶちゃん注:図は二個体を左右に並べている。
「廣島縣賀茂郡」当該ウィキによれば、明治一一(一八七八)『に行政区画として発足した当時の郡域は』、『広島市安芸区の一部(阿戸町)』・『呉市の一部(倉橋町・下蒲刈町各町・蒲刈町各町・豊浜町各町・豊町各町を除く阿賀南、阿賀町、阿賀北、郷原町以東)』・『東広島市の大部分(河内町各町・入野中山台・河内臨空団地・福富町各町・豊栄町各町・安芸津町木谷・高屋町小谷・高屋町造賀を除く)』・『竹原市の大部分(忠海各町・福田町・高崎町・吉名町・田万里町を除く)』とあるが、昭和三一(一九五六)年『に隣接する豊田郡との間で所属町村の入れ替えが実施されたことにより』、『郡域が大幅に変動し、広島県中南部の内陸部で構成される郡となった』とあるので、グーグル・マップ・データのこの瀬戸内海側の広い海岸地区を指すことになろう。「ひなたGIS」の戦前の地図も参照されたい。
図は二つとも、今までの図と異なり、頭部が有意に大きい。一応、マナマコ比定としておく。]
■「肥前國産」
「切斷したるもの。」
[やぶちゃん注:左右に二個体(後者はキャプション通りの製品断片)を左右に並べてある。
「肥前國」当時、既に現在の佐賀県と長崎県(厳密な旧国名に従うなら、壱岐・対馬は含まない)に相当する。
マナマコ比定。]
■「筑前國産」
[やぶちゃん注:当時、既に福岡県の大部分に相当する。
マナマコ比定。]
■「出雲國島村産」
[やぶちゃん注:図個体が異常である。噴門部が、左右に逆Y字に尖って出ている。後部に発生した傷で、左右に再生治癒してしまった個体か、内臓の抜き出しに失敗したものか? しかし、後者の場合は、凡そ、製品とする価値はないはずである。『この場合は、キビが悪い!』と当初は思ったが……しかし、これは、生物学的に、と言うよりも、製品としての正しい向きにしたままなのであって、清国に送った場合は、まず、上下を問題にしないと考えられる。則ち、「其二」の「第一」品等である双頭のマナマコと同じであって、問題なかろうと思うに至った。
「出雲國島村」大問題は、コッチだッツ!!! 当時、既に島根県で、現在の出雲市島村町(しまむらちょう)で、ここであるのであるが、非常に困った! ここは御覧の通り、★汽水湖である宍道湖の――しかも西端!――★で、しかも、斐伊川が流入する河口であるからである。汽水湖のこの位置では――塩分濃度は著しく下がるのである! いやさ、そもそも、宍道湖でナマコが採れるというネット記事は存在しないし、AIも生息していないとするのである。これ以上、私には、言い添えることが出来ない。識者の御教授を、切に乞うものである。見た感じは、マナマコではあろうが……或いは、この「島村」は煎海鼠を製品化する場所に過ぎず、生体は、同島村から最も近い、西北の島根半島西部にある、出雲市十六島町(うっぷるいちょう)の十六島湾(難読名で「十六島」で「うっぷるい」と読む。私の「大和本草卷之八 草之四 黑ノリ (ウップルイノリ)」の私の注「十六島」を見られたい)辺りで捕獲したマナマコをここへ運び、処理し、宍道湖を汽船で運び、出荷したものかも知れぬ。その辺りの、当時の情報が判る方が居られれば、是非、御教授願いたい!……しかし、だ!……先般より、河原田氏は、しばしば、地名を誤っていることを考えると……「島村」は……トンデモ誤記なのかも知れぬ……と……疑い始めているのでも、ある…………]
■「熨斗海鼠(のしこ[やぶちゃん注:原図の四文字へのルビ。])」
「北海道產」
[やぶちゃん注:冒頭注で述べた通り、ここでは、左下方に、串二本で突き刺した五個体の製品と、軟らかい繩様の物で中央部を貫いた十二個体の図(かなり大きい)の二図が示されてある。さても、この描き方は、二箇所のキャプションを合わせて見るに、明らかに、煎海鼠の、同じ「北海道産」の、異なる二つの製品を示しているとしか思われないのである。
まず、上方の「熨斗海鼠」であるが、
――頭部と噴門部に、恐らく、丸い竹串を突き刺した(海鼠個体は五体)ものの部分画像で、思うに、それぞれのその串を、反対方向に引っ張って、日乾ししたものであろう。その結果、中央部が伸びて、細くなっているのである――
なかなか、面白い図である。思うに、製品名のそれは、所謂、狭義の左右三角に尖った三つの出っ張りからなる「熨斗」ではなく、
熨斗の中央の「水引」の形に擬えたもの
と思われる。
残念ながら、この図と同様の煎海鼠製品は、ネット上では、見当たらなかった。
……✕余談であるが、それを探すために多数のサイト(国立国会図書館デジタルコレクションを含む)・ブログを多様なフレーズ検索していた途中……『!?!?!!!』……明らかに、私が、サイト版やブログ版で電子化した複数の画像や原文、私の注記内容を――そのマンマ――流用しているものを見つけて、アいたナマコ口が閉まらなくなった。画像を検証したところ、私がトリミングしたものと、一ミリも違わない全く同じものであり、抄文原文も、私が神経症的に振ったオリジナルの句読点も! これまた! 全く以って――おんなじ――なのだ! しかし、私のものを使用したとする注記は、これ、どこにも、ないのである! 敢えて、どのブログかは、示さない。ブログ主のオリジナルな訳(ミスタイプが目立つ現代語訳や御意見は、まあ、そこそこに読めるシロモノだが――キサマの偸盗部分は! 生涯! 許さねえゼエッツ!!! 覚えトケ! クソ馬鹿野郎!!!✕……
閑話休題。下方の、編んだ縄(かなり細いが、編んであるのは、拡大すると斜めの筋が描かれているので、判る)一本で煎海鼠の中央部を貫いたもの(製品個体は全部で十二個で、大きさは、前の「熨斗海鼠」のように同じ大きさではない)である。
これも、幾つかのフレーズ画像検索をしたが、見当らなかった。
前の図とともに、御存知の方があれば、お教え下さると、恩幸、これに過ぎたるはない。
これは、産地から、マナマコ比定である。]
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