河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その1)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。]
(四)乾鮑の說
乾鮑(ほしあはび)は鮑肉(あはびにく)の乾(かは)かしたるものにて、一《いつ》に[やぶちゃん注:ここは「また」の意。]「ほしこ」「むしあはび」「むしかひ」とも云ひ、淸國にて『鮑魚(ほうぎよ[やぶちゃん注:ママ。以下、正しい「はう」と「ほう」の混在はママ。恐らくは、植字工の誤りと思われる。])』と稱せり。而して、此鮑は、介中(かいちう)の長(ちう[やぶちゃん注:ママ。])として古へより賞美し、朝貢(みつぎもの)・神箭(ごくう)[やぶちゃん注:「御供(ごくう)」(「ごく」の音変化)に同じ。神仏への供え物。]に供(きやう)したり。而して又、淸國ヘ輸出する海產の重要品たり。「新撰字鏡」に『鮑(ほう)』、並(ならび)に『※(ふく)』[やぶちゃん注:「※」=(へん)「魚」+(つくり)「辶」+「福」。後注参照。]の二字を『阿波比(あはび)』と訓じ、「延喜式」は『鰒(ふく)』の字とし、「和名鈔」は『鰒、一名(《いち》みやう)、鮑(はう)、和名(わみやう)、阿波比(あはび)。』とし、「鰒(ふく)」、「鮑(ほう)」の二字を用ふること、久し。而して、「本朝食鑑」は、『「鰒」は俗稱、「鮑殼(あはびから)」を「石决明(せきけつめい)」と名(なつ[やぶちゃん注:ママ。])く』とし、「大和本艸」は、『石决明、又、蚫(あはび)と云ふ』とあり。本艸書、及び、「府縣志」等(とう)、數十部の書を案ずるに、「鰒(ふく)」及び「石决明」の文字あるも、「鮑(ほう)」・「蚫(ほう)」の二字を「あはび」に充(あつ)るを、見ず。弘景・蘇恭は、「石决明」と「鰒魚(ふくぎよ)」を一物(《いち》ぶつ)とし、「異魚圖賛」にも『二名同物(にめいどうぶつ)』とす。而して、蘇頌(そしやう)と時珍は、『一種二類』とし、「閩書(みんしよ[やぶちゃん注:ママ。既に述べた通り、「びんしよ」が正しい。])」は『石决明』、『鰒魚(ふくぎよ)』との、二種、あるが如く記載したるを以て、小野蘭山は「石决明」を「あはび」、「鰒魚」を「とこぶし」に充てたり。而して、各書とも『「鮑(はう)」は「乾魚(かんぎよ)」なり』とありて、更に「石决明(あはび)」、「鰒(あはび)」等(とう)の名に、あらず。然(しか)れども、方今(ほんこん)、淸俗は『鮑魚(ほうぎよ)』の字を用ゆ。故に、此編、專ら、これに從ふ。
[やぶちゃん注:アワビ類に就いては、古くは、
サイト版の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の冒頭に配された「鰒(あはび) [アワビ]」
があるが、最も新しいものでお薦めなのは、
『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 石决明雌貝(アワビノメガイ)・石决明雄貝(アワビノヲカイ) / クロアワビの個体変異の著しい二個体 或いは メガイアワビとクロアワビ 或いは メガタワビとマダカアワビ』
である。一見されたい。後者で、本邦種の学名その他を注してあるので、今、ここでは、改めて示すことはしない。必要と判断したところでは、無論、示し、解説を加える。なお、私は、「鰒」の字が、現行の日本では、専ら「フグ」類を指すので、これをアワビに当てるのは、甚だ、好まないが、仕方がない。
「ほしこ」漢字表記は「干し鮑」であろう。所謂、先行する「煎海鼠」を「いりこ」と呼称する場合は、「なまこ」の「こ」であるが、小学館「日本国語大辞典」の「ほりこ」では、「干海鼠」を第一義に挙げた後に、『方言』として『小鰯(いわし)の干物』と後に、『②鮑(あわび)を乾したもの。千葉県夷隅』採集とする。しかし、これでは、「こ」の原義が判らない。この場合は、私は「成貝を干して製品にしたもの」を「本来のものから作った「子(こ)」=製品」を広く意味するものと採っている。大方の御叱正を俟つ。
「むしあはび」「蒸し鮑」。
「むしかひ」「蒸し貝」。
『「新撰字鏡」に『鮑(ほう)』、並(ならび)に『※(ふく)』[やぶちゃん注:「※」=(へん)「魚」+(つくり)「辶」+「福」。後注参照。]の二字を『阿波比(あはび)』と訓じ』「新撰字鏡」は平安時代の漢和字書。全十二巻。僧の昌住(しょうじゅう)著とされるが、事績は不詳。昌泰年間(八九八年~九〇一年)に成立。漢字二万余字を偏・旁などによって百六十部に分け、字音・字義・和訓を付したもので、現存する最古の漢和字書である。一説に寛平四(八九二)年に三巻本が完成したとされるが、原本や写本は伝わっていない。その三巻本を元に増補した十二巻本が同年間に完成したとされ、写本が現存する。この十二巻本には約二万千字を収録する。しかし、ネット上で当該本を画像化されたものについて、二つのサイトで「魚部」を調べたが、いっかな、見つからなかった。因みに、奇体な「※」の単漢字も、それ自体をネットで探してみたが、どこにも記載がない。万事休すである。識者の御教授を乞うものである。
『「和名鈔」は『鰒、一名(《いち》みやう)、鮑(はう)、和名(わみやう)阿波比(あはび)。』とし』「和名類聚鈔」の「卷十九」の「鱗介部第三十」の「龜貝類」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板を視認して推定訓読する。冒頭の「鰒」のルビは「アハヒ」であるが、「ビ」と濁点を打った。
*
鰒(アハビ) 四聲、「字苑」に云(いは)く、『鰒【「蒲」と「角」の反。「雹《ボク/ハク[やぶちゃん注:前が呉音、後が漢音。前者の方が納得出来る感じはする。]》」と同じ。今、案ずるに、一音は、「伏《フク》」。「本草音義」に見たり。】、魚《うを》の名。蛿《オフ》に似て、偏《ひらた》に石に著《つ》く。肉、乾して、食《くひ》つべし。靑州《せいしう》の海中に出づ。「本草」に云《いはく》、『鮑、一名は鰒【「鮑」、音「抱」。和名、『阿波比《あはび》』。】《と》。崔禹錫が「食經」に云《いはく》、『石決明【和名、上に同《おなじ》。】、之《これ》を食へば、心《しん》・目《もく/め》、聡了《さうりやうす》。亦、石に附《つき》て生ず。故に、以て、之《これを》名《なづく》。]
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やや注が必要である。
・「魚」は魚貝類の通称。
・「蛿」は現代仮名遣「オウ」で、小学館「日本国語大辞典」の『おう おふ 白貝〘名〙「うばがい(姥貝)の古称。』とあって、引用例に、『*常陸風土記』(霊亀三・養老元(七一七)年年から養老・神亀元(七二四)年頃の成立)『―行方「其の海に、塩を焼く藻・海松(みる)・白貝(おふ)・辛螺(にし)・蛤(うむき)・多(さは)に生(お)へり」*新撰字鏡「蛿 於夫 又阿波比』(以下、略すが、この直後に「延喜式」の「內膳司」から引いて『年料』『尾張国』から『白貝二担四壺』と出る)とあった。この「白貝」「うばがひ」「姥貝」というのは、
最近では流通名「ホッキガイ」で専ら知られる、斧足綱異歯亜綱バカガイ科ウバガイ属ウバガイ Pseudocardium sachalinense のこと
である。「ホッキガイ」は知っていても、成体を見たことがある人は、それほど、いないだろうから、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ウバガイ」のページを見られたいが、すると、
「何で、こんな二枚貝が、巻貝のアワビに似てると言うんカイ!? チャウやろ!!」
と喚くであろうが……では、あなただって、寿司屋で「青柳!」と注文する貝の生貝の一般的な大きさがどれくらいで、貝殻外面の模様が、どんなものか、即座に、正確に、絵に描けますかね? 出来んでしょう?……あなたでさえ、さればこそだ、中古の頃の内陸の人々は、圧倒的に、実際の多くの生貝を見たことは、殆んど、ないのである。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の写真解説に『殻長15cm、殻高12cm、重さ600gを超える。黒っぽい殻皮があり、膨らみが非常に高く三角お握り型。前後の側歯は強く大きい。』とあるので想像出来るであろう。内陸の民俗社会では大方、せいぜい、淡水産の貝類で二枚貝を見る程度でしか知っていたに過ぎない(貴族は「貝合わせ」で二枚貝であることは古くから知ってはいた)。而して、「磯の鮑の片思い」の謂いで判る通り、鮑は大きな貝の片割れと喩える認識程度のレベルでしかなかったのだ。だから、「字苑」の筆者東晋の道士葛洪(かっこう)も(というより、古代中国では、海浜地方でない内陸では、同様だったのは言うまでもない)、風土記の記載者も、そのような幼稚な比較認識しか持っていなかったのである。寧ろ、「四聲字宛」(私には書誌不詳)の作者の叙述はアワビの生態をしっかりと認識している点で、よく書けている。しかし、大半は、則ち、「表は黒くてでっかい」だけで、十分に「似ている」と言うのが、これ、至極、当然なのである。
『「本朝食鑑」は、『「鰒」は俗稱、「鮑殼(あはびから)」を「石决明(せきけつめい)」と名(なつ[やぶちゃん注:ママ。])く』とし』国立国会図書館デジタルコレクションの元禄一〇(一六九七)年板の当該部(左丁「介類」の冒頭)を、訓点が致命的にひどいので、大幅に手を入れて読み易くした推定訓読で示す。読者は原文と対照して見られたい。
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鰒【音、「薄」[やぶちゃん注:ママ。「鰒」は呉音「ブク」、漢音「フク」で、「薄」は呉音「バク」漢音「ハク」で一致しない。]。本邦、讀みて、音は「伏」。「阿和比(あはび)」と訓ず。】
釋名鮑【俗稱。】殻を「石决明」と名づく【「本草」、〇鮑、本邦、素(もと)より、此の字を用ゆ。𢴃(よ)れるところ、無きに非ず。源順が曰はく、『「四聲字苑」に云く、『鰒は、「薄」-「⻆」の反。「窇(ハク/バク)」と同じ。今(いま)、案ずるに、一音は、「伏」。「本草音義」に見えたり。又、「本草」に云はく、『鮑。一名は「鰒」。音は「抱」。和名に「阿和比(あわび)」』と。愚、按ずるに、源順が言ふ「本草」は、未だ、詳かならず。時珍が「綱目」に曰はく、『鮑は乾魚なり。今(いま)、此の諸說を以つて、之れを考ふれば、則ち、「鰒」を以つて、「鮑」と爲(す)る者(もの)、本(もと)、訛(あやま)れり。謝肇淛が「五雜爼」に曰はく、『鰒、音「撲」。今(いま)、又、讀みて、「鮑」と作(な)す者(もの)は、非なり。』と。】。
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『「大和本艸」は、『石决明、又、蚫(あはび)と云ふ』私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 石決明 (アワビ)」を見られたい。
『弘景・蘇恭は、「石决明」と「鰒魚(ふくぎよ)」を一物(《いち》ぶつ)とし』「弘景」は、六朝時代の医師で本草学者道士の陶弘景。「蘇恭」は蘇敬(五九九年~六七四年)の別称。初唐の官人で本草家。二人とも、明の李時珍の「本草綱目」によく引かれ、これも同書からの孫引きである。「漢籍リポジトリ」の当該巻のガイド・ナンバー[108-11b]の「石决明」の項の「集解」の冒頭の部分が、それ(漢字に一部に手を入れた。太字下線は私が附した)。
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集解弘景曰俗云是紫貝人皆水漬熨眼頗明又云是鰒魚甲附石生大者如手明耀五色內亦含珠恭曰此是鰒魚甲也附石生狀如蛤惟一片無對七孔者良今俗用紫貝全非
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『「異魚圖賛」にも『二名同物(にめいどうぶつ)』とす』この「異魚圖賛」は、明の楊慎の撰になる「異魚圖贊」(四巻)のこと。同名の書名は日中に複数あるので、注意が必要である。楊愼(一四八八年~一五五九年)は明の優れた文人。当該ウィキによれば、一五一一年『の会試に第2位、殿試では24歳で第1位(状元)となり、翰林修撰を授けられる』一五一四年には『経筵展書官となり「文献通考」を校訂する。楊慎は時の皇帝であった武宗正徳帝が宣府鎮・大同鎮・楡林鎮などを軍人訓練と称して巡回』と称して『遊蕩にふけっていたことを憂い、たびたび切諫したが』、『聴かれなかった。世宗嘉靖帝が即位し』、『経筵(皇帝に対し講義をする役職)を開いたとき』、『その講官となり』、『「尚書」を進講した』。一五二三年には『「武宗実録」を編纂』した、しかし一五二四年、『父の楊廷和が大礼の議問題のために内閣大学士を辞任し、さらに桂萼・張璁らが起用されたことに反対し、皇帝に再三』、『具申したため』、『平民に落とされ』、『雲州永昌衛に流刑となり』、そこで没した。『享年72。著述は百余種におよび、ほとんど』三千『巻に近いという』とある博覧強記の博学者でもあった。当該記事は、「維基文庫」のここで電子化されている(四庫全書本)。その卷四に以下のようにある(一部の漢字に手を入れた。太字下線は私が附した)。
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石决明
鰒【朱角切句】似蛤【句】無鱗有殼一靣附石【石叶音錯】細孔雜雜或七或八【入藥品者以七孔八孔爲佳九孔十孔不堪用也 郭璞爾雅贊 此贊尤竒】
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詳しくはここでは述べないが、この彼のアワビ類の観察や、続く蘇頌のそれは、孔の数に問題はあるものの、その孔を以って、種の違いを無意識的に嗅ぎ出して、ちゃんと記しているのは、流石である!
『蘇頌(そしやう)と時珍は、『一種二類』とし』蘇頌(そしょう 一〇二〇年~一一〇一年)は北宋の科学者で宰相。時珍の引くのは、恐らく、一〇六一年に完成した「本草圖經」である。もとは二十巻だったが、散佚した。但し、「証類本草」に引用されたものを元にして作られた輯逸本が残る。而して、やはり「本草綱目」によく引かれ、これもまた、同書からの孫引きである。「漢籍リポジトリ」の当該巻のガイド・ナンバー[108-11b]の「石决明」の項の「集解」の以下の部分が、それ(漢字に一部に手を入れた。太字・下線は私が附した)。
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頌曰今嶺南州郡及萊州海邊皆有之采無時舊注或以爲紫貝或以爲鰒魚甲按紫貝卽今砑螺殊非此類鰒魚乃王莽所嗜者一邊着石光明可愛自是一種與决明相近也决明殻大如手小者如三兩指大可以浸水洗眼七孔九孔者良十孔者不佳海人亦噉其肉宗奭曰登萊海邊甚多人采肉供饌及乾充苞苴肉與殻兩可用時珍曰石决明形長如小蚌而扁外皮甚粗細孔雜雜內則光耀背側一行有孔如穿成者生於石崖之上海人泅水乘其不意卽易得之否則緊粘難脫也陶氏以爲紫貝雷氏以爲眞珠牡楊倞註荀子以爲龜甲皆非矣惟鰒魚是一種二類故功用相同吳越人以糟决明酒蛤蜊爲美品者卽此
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『「閩書』(びんしよ)『」は『石决明』、『鰒魚(ふくぎよ)』との、二種、あるが如く記載したる』「閩書」は、明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南產志」。一六〇八年成立。この書、今までも何度も探すのだが、バチッと一致するものに遭遇出来ない。この回も、やはり試したが、だめなので、明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書で、一五九六年成立である「閩中海錯疏」を「漢籍リポジトリ」(ガイド・ナンバー[003-10b]以下)で同内容と見受けられる箇所を見出せた(字下げ部分はそのまま再現し、漢字の一部に手を加えた。ここでは「石决明」でなく「石決明」であるが、「决」に代えた。太字・下線は私が附し、後の注のために太字番号を振った)。
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石决明①附石而生惟一殻無對大者如手小者如兩三指旁有十數孔一說卽鰒魚本草圖經云②鰒魚别是一種與决明相近◦③石决明俗名將軍帽溫州與登州海中俱有之卽名鰒魚溫人醃用登人淡晒乾串入京餽遺【補疏】
按閩部䟽云蠣房雖介屬附石乃生得潮而活凡
海濵無石山溪無潮處皆不生余過莆迎仙寨橋
時潮方落兒童羣下皆就石間剔取肉去殼連石
不可動或留之仍能生其生半與石俱情在有無
之間殆非蛤蜊比也後漢書鰒魚註云鰒無鱗有
殻一面附石細孔雜雜或七或九卽以狀蠣房何
所不可南蠣北鰒是故造化介生别搆
*
①の最後では、「石决明は、一説に、即ち、鰒魚である。」と言っている。この「一説に」は、しかし、断言ではなく、別物とする考え方があるということを強く含むように読める。
②では、「鰒魚は、別の一種で、(石)决明と互いに似ている。」として、似ているが、同属別種と述べている。
③では、「石决明は俗名を『将軍帽』とする。温州と登州の海中には、どちらにも、これが棲息し、即ち、それを『鰒魚』と名づける。」であって、これは、全くの同一種扱いである。
〇最後の下った段落部分の終わりの記載は、『「漢書」の「鰒魚」の注に言うに、『鰒には鱗(真珠光沢か?)が無く、殼一面に石が附着し、細い穿孔があるが、雑然としていて、七つ、或いは九つで、見た感じは、南方の牡蛎(カキ:このカキはお馴染みのマガキではなく、温暖な南方に棲息する斧足綱翼形亜綱カキ目イタボガキ亜目カキ上科イタボガキ(板甫牡蠣)科イタボガキ属イタボガキ Ostrea denselamellosa が念頭にあろう)類と、北方の鮑(アワビ:本邦のお馴染みのアワビ類の棲息域は中国本土から見れば、北方に当たる)の殼の形態の違いを、理解出来ない。自然は、実に計り知れない別々の生き物を創造したのである。』と言っているか? 但し、この引用は、「漢書」で、以上の三つに比べて、古過ぎ、比較にはならない。しかし、作者は、その殻の激しい相違だけを問題にいており、暗に、同一だと匂わせているようにも、私には見えるのである。
『小野蘭山は「石决明」を「あはび」、「鰒魚」を「とこぶし」に充てたり』国立国会図書館デジタルコレクションの弘化四(一八四七)板の「重訂本草綱目啓蒙」のここから「石决明 アハビ」が視認出来る。読み易いので、全文電子化はしない。当該部は次のコマの左丁の五行目からである(読み易さを考えて句読点・記号を打った。漢文部は推定訓読した、そこでは、バランス上、読み以外はカナカナを用いた)。
*
トコブシハ、鰒魚ナリ。陶弘景ハ石决明・鰒魚ヲ以テ一物トス。非也。蘇頌・李時珍ハ一種二類トス。可也。「蝦夷志」ニ『鰒魚・石决明、一類兩種。其形、小大、亦、自《おのづから》同ジカラズ。石决明ヲ以ツテ、鰒魚ト爲スハ、疑フニ非《あら》ズ。』ト云《いふ》。
*
ここで、学名を示す必要が起った。本邦産のアワビ属は、以下の三種である。
腹足綱直腹足亜綱古腹足上目原始腹足目ミミガイ科アワビ属クロアワビ(黒鮑) Haliotis discus discus
アワビ属メガイアワビ(雌貝鮑) Haliotis gigantea
アワビ属マダカアワビ(眼高鮑) Haliotis madaka
アワビ属クロアワビ(北方系)亜種エゾアワビ Haliotis discus hannai (クロアワビと同一種という向きもある)
……而して……
ここで問題になっている「トコブシ」であるが、これは「BISMaL」や英文“Haliotis diversicolor”では、以前と同様、
ミミガイ科アワビ属基亜種フクトコブシ(福床臥)Haliotis diversicolor diversicolor
アワビ属亜種トコブシ Haliotis diversicolor aquatilis
であるのだが、
ウィキの「トコブシ」を見て驚いた!
そこでは、
ミミガイ科トコブシ属(或いはミミガイ属 Haliotis )基亜種フクトコブシ(福床臥)Sulculus diversicolor diversicolor (同ウィキには、『インド洋、西太平洋全域の岩礁潮間帯に分布し、模式産地はオーストラリア。日本では九州南部以南、奄美群島、沖縄諸島、八丈島に分布する。』とある)
ミミガイ科トコブシ属(或いはミミガイ属 Haliotis )フクトコブシ亜種トコブシ Sulculus diversicolor supertexta (同ウィキには(下線は私が附した)、『日本固有亜種で、北海道南部、男鹿半島以南、九州以北の日本全国の潮間帯から水深10mぐらいまでの岩礁浅海域に分布し、原記載の模式産地は長崎。殻長7cm、殻幅5cm、殻高1.5-2cmに達し、クロアワビ、メガイアワビ、マダカアワビといった狭義の、大型のアワビの子供に似る。殻の表面は黒みを帯びた褐色で、個体によっては緑褐色の斑紋がある。殻の内側は強い真珠光沢を持つ真珠層で覆われる。トコブシの名称は、海底の岩に臥したように付着している姿からつけられたと考えられている』。『狭義のアワビの子供とは、殻の背面に並ぶ穴の状態で識別できる。この穴は鰓呼吸のために外套腔に吸い込んだ水や排泄物、卵や精子を放出するためのものであるが、殻の成長に従って順次形成された穴は古いものからふさがっていき、常に一定の範囲の数の穴が開いている。アワビではこの穴が4-5個なのに対し、トコブシでは6-8個の穴が開いている。また、アワビでは穴の周囲が富士山の噴火口のように管状に盛り上がっており』、『穴の直径も大きいのに対し、トコブシでは』、『穴の周囲は管状に盛り上がらず、それほど大きくは開かない。』とある)
となっており、そこでは既に、
既にして「アワビ属」ではなくなってしまっている
のである。後者に就いては、個人的には『相応に美味しい……ちっやなトコブシちゃん……可哀そう……』と呟く私では、あるのだが……向後の学名の推移に注意を向けておこう。]
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