阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「山男」
[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を、ごく一部で補塡した。欠字は底本では、長方形二字分。「甲折處」の「折」は(てへん)ではなく、「土」で、「圻」である。この「圻」は、音「キ・ギン・ゲ・ゴン」で、訓は「かぎり(限り)・さかい(境)」である。「近世民間異聞怪談集成」では、『拆』とあり、これは音「タク・チャク」で、訓は「さく(割く)・ひらく(開く)」である。しかし、どうも、孰れも違う気がした。中国漢文の中で見かけた記憶があったからである。而して、これは『「甲」との熟語である』という気がしたのである。調べたところ、図に当たった。「甲坼」という熟語があり、小学館「日本国語大辞典」には、『こう‐たくカフ‥』『【甲坼】』とあり、『草木が芽を出すこと。実生(みしょう)。〔易経‐解卦〕』とあったのが、意味としても、しっくりくるので、それを採用した。漢文中の歴史的仮名遣の誤り、「見ヘ」はママである。]
「山男《やまをとこ》」 安倍郡□□村の深山《しんざん》にあり。「日本國事跡考」云《いはく》、
『阿部山中有リㇾ物、號テ曰二山男ト一、非ㇾ人非ㇾ獸、形似二巨木斷キレニ一有二四肢一、以テ爲ス二手足一、木皮有二兩穴一、以爲二兩眼一、甲坼處以爲二鼻口一、左肢ニ懸テ二曲木與ト與一レ藤以テ爲二弓弦ト一、右肢ニ懸ケ二細枝ヲ一以テ爲スㇾ矢ト。一旦獵師相逢テ射ㇾ之倒ㇾ之、大ニ恠テ牽ケハㇾ之、觸テㇾ岩ニ流スㇾ血ヲ、又牽ケバ之甚ダ重乄不ㇾ動カ。驚キ走リ歸ㇾ家ニ與ㇾ衆共ニ徃テ尋ルニㇾ之不ㇾ見へ焉、唯見三血ノ灑クヲ二岩石ニ一耳。云云。』。
[やぶちゃん注:漢文部を推定訓読する。一部の読み・句読点・訓点・記号(特に送り仮名)は、私が必要と考えたものを大幅に増量し、変更を行なってある。読み易さを考え、段落を形成した。「見へず」はママとした。「灑く」は古くは清音であるから、問題としない。
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阿部山中(あべさんちゆう)、物(もの)有り。號(なづけ)て、「山男」と曰(い)ふ。
人に非(あら)ず、獸(けだもの)に非ず。
形(かたち)、巨木(きよぼく)の斷(たちき)れに似(に)、四肢(しし)、有り、以(も)つて、手足と爲(な)す。
木皮(ぼくひ)には、兩(りやう)の穴(あな)、有り、以つて、兩眼(りゃうがん)と爲し、甲坼(かふたく)の處(ところ)、以つて、鼻・口と爲す。
左肢(さし/ゆんで)に、曲木(まがりぎ)と、藤(ふぢ)とを、懸けて、以つて、弓弦(ゆづる)と爲し、右肢(うし/めて)に細枝(ほそえだ)を懸けて、以つて、矢と爲す。
一旦[やぶちゃん注:一度。]、獵師(れうし)、相逢(あひあ)ひて、之れを射て、之れを倒(たふ)す。
大(おほき)に、恠(おそ)れて、之れを牽(ひ)けば、岩に觸れて、血を流す。
又、牽けば、之れ、甚だ、重くして、動かず。
驚き、走り、家に歸る。
衆(しう)と共(とも)に、徃(ゆ)きて、之れを尋(たづぬ)るに、見へず。
唯(ただ)、血の、岩石に灑(そそ)くを見るのみ。云云(うんぬん)。
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「日本國事跡考」林羅山の三男で幕府儒官であった林春斎(林鵞峰(はやしがほう:元和四(一六一八)年~延宝八(一六八〇)年)が、諸国を行脚して、それぞれの事跡を記載・考証したもの。寛永二〇(一六四三)年に著したもので、特に、松島・天橋立・宮島を「日本三景」として絶賛した嚆矢として知られる。
「安部山中」平凡社「日本歴史地名大系」に「安部山 あべやま」がある。『静岡県』『静岡市旧安倍郡地区安部山』とし、『安倍川の上流(大河内川とも称する)域と、その支流である中河内(なかごうち)川』、及び、『西河内川流域一帯を含む中世の広域地名。およそ安倍川と中河内川合流地点以北の山間部をいう。阿部山・安倍山などとも記す。また』、『安部郷とか単に安部・安倍・阿部と記されている場合も、当地域一帯をさすと思われる』とあった。「ひなたGIS」で示しておく。]
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