河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その16)~図版・注・分離公開(そのⅦ) / (三)煎海鼠の說~了
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。なお、本図版に就いては、(その10)の冒頭注記を、必ず、見られたい。
なお、これを以って、「(三)煎海鼠の說」は終わっている。二十二日もかかったが、達成感は計り知れない。]
[やぶちゃん注:以下は、斜め右方向で、まず、示し、左側の中央、その右下の個体の順に示した。]
■「其二」
[やぶちゃん注:前の図の標題が「生海鼠《いきなまこ》」であるので、注意されたい。]
■「琉球やへやまなまこ」
「一《いつ》に、『ちりめん』といふ。」
「凡、十分《の》一。」
[やぶちゃん注:「やへやまなまこ」(八重山海鼠)「ちりめん」(縮緬)は、「その8」の注で示した、
楯手目クロナマコ科クリイロナマコ属トゲクリイロナマコ(刺栗色海鼠) Actinopyga echinites
である。]
■「同」 「はねぢなまこ」
[やぶちゃん注:これも、「その8」の注で示した、
クロナマコ属ハネジナマコ(羽地海鼠)Holothuria ( Metriatyla ) scabra
である。]
■「同」 「まるなまこ」
[やぶちゃん注:「まるなまこ」は「丸海鼠」であるが、一般に、本土では、「丸ナマコ」と呼称する場合、マナマコの「アカ」型を指すことが多いと思う。しかし、ここは、琉球産であり、マナナコは棲息しない。従って、この黒っぽいずんぐりムックリの形状から、間違いなく、
クロナマコ科クロナマコ属クロナマコHolothuria (Halodeima) atra
である。疑う方は、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」同種のページの画像を見られよ。]
■「きんこ」
「脊《せ》」
「半形《はんけい》。」 「凡、三分《の》一。」
「腹」
[やぶちゃん注:文句なく、
ナマコ綱樹手亜綱樹手目キンコ(金古・金海鼠)科キンコ属Orange-footed sea cucumber亜種 Cucumaria frondosa japonica
である。注意しなくてならないのは、この種は、上部四個体(「をきなまこ」は除く)とは関係なしに、図が空いていた箇所に横のオキナマコと一緒に投げ込んだものと思う。既に述べた通り、キンコは、沖縄には、いない。同種は北方分布で、
茨城県以北・千島・サハリンに分布
するのである。
「半形《はんけい》」「半円」に同じ。これは、キンコの成体の形状を、よく示している熟語である。当該ウィキに拠れば(注記号はカットした)、『長楕円形をしており、全長 10–20cm(カナダ太平洋沿岸では、30cm以上の個体もみつかる)で、幅・高さはその半分程度、ずんぐりと太い。体色はさまざまで、灰褐色のものが多いが、暗褐色、濃紫色、黄白色のものは肥厚して滑らかな触感である』。『細かい枝に分岐した触手を10本持っており、長さは均等である(腹側の2本も他の8本と同大)。口周りや、すぼめた触角は白や赤交じりでかなり色彩豊かであるが、叢状に広げられた触角は黒色である』。『背腹の区別がつきにくいが、腹側は湾曲し、背側は扁平ぎみである。』とある。取り敢えず、同ウィキの画像を見て貰うと、特異な形状が、ある程度、判るであろう。今一つ、学名で画像検索したものもリンクさせておく。則ち、横から見たキンコの成体は、球体を中心で切ったような形に見えるというのである。
しかし、読者の中には、「どこが半形なんだよ!?」とツッコみを入れる御仁があろうから、言っておく。思うに、河原田氏は、学者ではないが、本書の構成を見れば判る通り(本電子化の初回の「目次」を見よ)、当時の水産物のエキスパートなのである。本書では、扱っていないが、「真珠」の知識も、一般人よりも遙かに、よく知っていたはずである。但し、本書の刊行時(明治一九(一八八六)年)には、天然真珠しか存在しない。
以下、やや脱線なので、時間が惜しい方は、読まんでもいい。本邦の真珠養殖は、明治二六(一八九三)に、「東京帝國大學理科大學附屬三崎臨海實驗所」を開所していた、前にちらりと注した、同大の動物学教授(本邦最初の日本人教授)箕作佳吉(みつくりかきち 安政四(一八五八)年 明治四二(一九〇九)年)先生(この方は、私のような素人の海産生物フリークで知らない者は、まず、いないのである)の指導をうけた御木本幸吉氏が、英虞湾神明浦(しめのうら)で、養殖アコヤガイの半円真珠の生産に成功するのが、前史であり、明治三八(一九〇五)年に御木本幸吉が、英虞湾の多徳島(たとくしま/たとくじま)で、半円の核を持つ球状真珠を採取したことも知られている。この採取によって御木本幸吉は真円真珠の養殖成功を確信し、後、大正五(一九一六)年と六年に、彼の姻族が真円真珠生産の特許を得ている。)が、以上も参考にしたウィキの「真珠」にある通り、『真珠養殖の歴史は古く、中国大陸で1167年』(本邦では、仁安元・二年相当。この二月に平清盛が太政大臣となっている)『の文昌雑録に真珠養殖の記事があり』、一三『世紀には仏像真珠という例がある』。但し、『これらは』、『貝殻の内側を利用する貝付き真珠である』とある通り、この仏像真珠は、私も、多数、中国及び日本で見たことがあるが、内側に真珠層を持つ淡水貝類(斧足綱イシガイ(石貝)目イシガイ科カラスガイ(烏貝)属カラスガイ Cristaria plicata・イシガイ科ドブガイ(溝貝)属ヌマガイ(沼貝) Sinanodonta lauta(ドブガイA型/大型になる)・ドブガイ属タガイ(田貝) Sinanodonta japonica(ドブガイB型/小型)等。知らん人のために、私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 馬刀(バタウ)・ミゾ貝・カラス貝・ドフ(ドブ)貝 / カラスガイ』をリンクしておく)の中に、鉛製の小さな仏像を生貝の内側を掘って埋め込むことで、まさに半円型に脹れた真珠層が形成されるのである。知らない読者のために、鉛製であることを参考にした「株式会社未来宝飾」公式サイト内の『真珠の歴史を振り返る!「世界最古の養殖真珠」編』をリンクしておく。そこには書かれていないが、多分に、奇蹟の超自然の仏陀の力で出来たものとして、トンデモない値段で売る詐欺師も、かなり、いた。また、『このステップを踏み』、『仏像真珠が作られますが、あくまで核のみの挿入であり、パールサック(真珠袋)を形成しない』ため、『完全には養殖真珠とは言えないかもしれません。しかしながら』、『この中国由来の仏像真珠が養殖真珠の元祖として捉えられていることは事実で、そこから500年以上の停滞期を経て欧州で多くの養殖技法開発が行われるようになるのです』。『なお』、『清朝が滅亡し』、『この技術も失われかけましたが、現在はマベ貝』(斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ亜目ウグイスガイ上科ウグイスガイ科ウグイスガイ属マベガイ Pteria penguin :これは海産。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページをリンクしておく)『などを使用し、異なる形の核を外套膜の下に挿入した半形状の養殖真珠が作られています。また中国の養殖真珠のパイオニアであるYu-Shun Yangを偲ぶ寺院も建てられており、私達が御木本幸吉に畏敬の念を覚えるのと同様に崇められています』とあった。則ち、もっこり半円型の種を以って真珠層の物品が出来ることは、古くから知られていたのである。
さても、話しを本題に戻すと、現代の真珠養殖に於いても、この手法で、斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ亜目ウグイスガイ上科ウグイスガイ科アコヤガイ(阿古屋貝)属アコヤガイ Pinctada fucata に核を植え込んで真珠が作られるのであるが、その一つに、
★半形養殖真珠
があるのである。一般社団法人 日本真珠振興会の「真珠スタンダード2014年版」の中に(同振興会公式サイトのここで、PDFでダウンロード出来る)、
《引用開始》
Ⅰ--3 半形養殖真珠(養殖ブリスター)半形状(3/4形も含む)の核を人為的に真珠貝の貝殻内面層に固着させ、核表面を真珠層で覆ったもの。養殖時に使用された核が養殖後も真珠中に残るか、あるいは除去され他の物質に置換されるか否かは問わない。天然真珠あるいは真円養殖真珠を切断、研磨などにより半形状または3/4形状に整形されたものはこの範疇外とする。
《引用終了》
これは、現代に続く養殖真珠時代の用語ではあるものの、仏像真珠工程の場合も、この語は既に使用されていたのではないか? と私は思うのである。而して、中国で用いられていたものか、当時の日本で使われていたかは、判然としないのだが、単に、丸いものを半分の形にしたというのを、「半形」と書いたとは、どうも、私には思えないのである。大方の御叱正を俟つものではある。]
■「琉球慶良間(ケラマ)島産」
「凡、六分《の》一。」
[やぶちゃん注:産地と、食用ナマコで、長さ約二十七センチメートルほどであること、背部が細かな横線で描かれていること、描かれている口部の触手の描き方が如何にも多くあるように見えること等を勘案すると、私は、少し迷いつつも、
クロナマコ科クリイロナマコ(栗色海鼠)属トゲクリイロナマコ Actinopyga echinites
を第一候補に挙げることとする。
根拠は、本邦では沖縄のみに分布すること、長さは十五~三十センチメートルであることがポイントであるが、触手は二十本で、同じ本数のナマナコ(沖縄には分布しない)に似て見えるのは納得される。
しかし、
『トゲクリイロナマコの背部には、細かくて小さな疣足が密生しているのだが、果して、それをランダムな多量の横線で描くものだろうか?』
という疑問が生じて、ちょっと引っ掛かるのである。そして、トゲクリイロナマコを挙げるなら、沖縄・八重山でゾウリゲタの異名を持つ、
クリイロナマコ属クリイロナマコ Actinopyga mauritiana
も、同等、或いは、二番手の候補としないと、おかしいとも思うのである。クリイロナマコは、小笠原と奄美大島以南の岩礁帯に普通に見られ、上からみると楕円形に近く、背面は褐色から濃い褐色を呈し、白い斑点があること(しかし、それを、本図の如く横線で描くかどうかという疑義は、ある)、触手は大きく、トゲクリナマコよりも多い二十五本であることから、対抗馬の資格は十二分にあると言えるのである。]
■「をきなまこ」[やぶちゃん注:ママ。]
「此《この》ものハ、
中國にて、『ふぢこ』。」
[やぶちゃん注:「をきなまこ」「沖海鼠」であるから、この表記は誤りである。
シカクナマコ科マナマコ属オキナマコ Apostichopus nigripunctatus (シノニム:Parastichopus nigripunctatus )
である。これは、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページが、都合が、甚だ、よい。「由来・語源」に、『沖合いで揚がるナマコという意味。』とあり、「生息域」には、『海水生。水深20-600m。』『北海道〜九州までの太平洋・日本海沿岸。』とし、「基本情報」に、『北海道から九州までの太平洋、日本海での底曳き網などで揚がる。主に加工用であり、生鮮品として出廻ることはない。福島県相馬市原釜などでは出荷されているので、干しナマコなどの原料として利用されているのだと思われる。』とある。
「中國にて、『ふぢこ』」問題は、ここである。先のリンク先の写真を見て貰うと、捕獲からそれほど経っていないと思われる下の個体は、くすんだ藤色をしていると表現してよく、「藤子」でいいのだが、上記の通り、本種は中国沿岸には棲息しないのである。しかも、ぼうずコンニャク氏のおっしゃるように、清国へは、「煎海鼠」の一種である「乾し海鼠」の製品として送られていたのであり、即ち、清の人々は、それを見て、「藤海鼠」と呼称していたことになる。そうなると、「オキナマコの乾し海鼠」自体が紫色をしていなければ、「藤海鼠」とは呼ばないことになる。そこで調べてみた。あった! 島根県海士町(あまちょう)の『小さな離島で冬場だけ、ひっそりと稼働するなまこの加工場です。』とする「たじまや」公式サイトの「干しなまこ」だ! その上から四番目の笊に盛られた「干しなまこ」は! しっかりと! 藤色をしているじゃないか!!! このページには、このナマコがオキナマコとはどこにも書いてない。しかし、そもそも、この場所は日本海で、まさに、オキナマコに相応しい隠岐(おき)諸島の隠岐郡の島前にある中ノ島を主島とするのが海士町なのだ! さても、その画像の次の三枚は、食するために、水に入れて、戻しの様子を撮影したものであるが、これを見た、私は思わず――「オキナマコ!」――と叫んだのである。最後の注を、自信を持って終えることが出来た。私は隠岐が大好きである。再訪する時は、必ず、「たじまや」を訪ねて、じかに、この「干しなまこ」を買って、御礼したいと思うのであった。]
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