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2025/12/31

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「水上池惡龍」

[やぶちゃん注:底本はここから。非常に長いので、段落を成形し、句読点・記号を補塡した。欠字の「□□」部分は底本では、長方形。三つ目の漢文部分は、後で訓読する。読みの内、ネットで確認出来なかった場合、複数候補を示しておいた。長さから、ほぼ割注で対応した。

 但し、この漢文部には、底本、及び、「近世民間異聞怪談集成」(別写本底本)ともに、訓点として、通常の訓点では、必要な助詞・助動詞の欠落・省略が、多量に、ある。丸括弧で追加しようと思ったが、余りにも、それが多過ぎるので、底本通りとし(私が追加した句読点は別)、訓読で、私が補正訓読して追加しておいた。いちいち、それを丸括弧・下線などで示すと、却って読み難くなるだけなので、指示はしていない。因みに、仏教関連の文書では、こうした省略は、ごく普通にあるものでは、ある。

 

      志  駄  郡《しだのこほり》

 「水上池《みづかみいけ》惡龍《あくりゆう》」 志駄郡[やぶちゃん注:調べた限りでは、「志太郡」が正しい。]水上村《みずかみむら》□□山萬福寺【曹洞、富洞院末。】[やぶちゃん注:現在の静岡県藤枝市(ふじえだし)水上(みずかみ)のここ(グーグル・マップ・データ。以下、基本、無指示は同じ)。サイド・パネルのこの入り口の画像にある石造の寺名表記には、山号「大池山」とある寺の公式サイトはないので、一応、「だいちざん」と読んでおく。]にあり。「本尊水干不動緣起由」[やぶちゃん注:同前に理由で読み不詳(国立国会図書館デジタルコレクションで複数のものを見たが、ルビはない。取り敢えず、「ほんぞんすいかんふどうえんぎいう」と読んでおく。寺社の縁起で「由」がつくものは、今までの私が見たものでは、皆無である。]云《いはく》、

『水上村は、昔、一面の大洋池《だいやうち》[やぶちゃん注:「広い池」の意。]にて、東・南新屋、西・鳥帽子山、南・瀨戶新屋六地藏[やぶちゃん注:「ひなたGIS」で示す。右の現代の国土地理院図でも、現在の地名として総てが生きていることが確認出来る。「瀨戶新屋」の「六地藏」もグーグル・マップ・データで調べたところ、同地区のここに現存している。]を限り、凡《およそ》周程《しうてい》三十六町餘《あまり》。

 池中《ちちゆう》に、毒龍、有《あり》て、累歲《るいさい》[やぶちゃん注:「何年もの間」の意。]、徃來《わうらい》の人民《じんみん》を、なやませり。

 里民《りみん》、是を患《わずら》ふ。

 時に、一法師《いちはふし》、宇陀上人《うだしやうにん》と云《いふ》者、あり。密宗の祕法を修練して、髙德の聖《ひじり》なり。民人《たみびと》、是を屈請《くつしやう》[やぶちゃん注:丁重に人を招くこと。]し、池水《ちすい》を祈《いのり》て、潛龍《せんりゆう》を降伏《かうぶく》せん事を欲《ほつ》し、衆議して、上人に告ぐ。

[やぶちゃん注:「宇陀上人」調べたが、人物不詳。但し、国立国会図書館デジタルコレクションの「駿河の傳說(小山有言編・昭和一八(一九三三)年安川書店刊)の「青島町」の『六八 水上池池惡龍』(これは、本底本準拠)に名が出ており、さらに、まさに以下に語られる内容とほぼ一致する(但し、龍ではなく、蛇)「七一 七ツの護摩壇」に、「傳說昔話集」を元に『又いふ。この地方は夏はこの地方は夏は一面の池になる。池には毒蛇がゐて人々を惱ました。宇陀上人がまわって來て、毒蛇退治を思ひ立ち、七ケ所に壇を築き不動尊像を安置して護摩をたいて、池水を干し涸らさしめた。毒蛇は惡鬼と化し藤枝の鬼岩寺に飛で行つた。そこで水干不動と呼び、萬福寺を建てゝ奉安した。七ツの壇は宇陀上人修法[やぶちゃん注:「しゆほふ」。]の所であつたともいはれてゐる。』とあった。]

 上人、招《まねき》に應じて、まづ、水想觀《すいさうくわん》に入《いり》、驗ㇾ之《これを、げんじ》、朝暮思ㇾ之想ㇾ之《てうぼ、これを、おもひ、これを、さうし》、念々無ㇾ措《ねんねん、おかず》、一夕《いつせき》、靈夢《れいむ》の告《つげ》を獲《え》て、筑紫の博多より、不動の靈像【智證大師作。】〕を迎へ、梵壇《ぼんだん》を東山《ひがしやま》に築き、これを安置し、眞言の密印を以《もつ》て、加持三昧《かじざんまい》の妙力咒禱《みやうりきじゆとう》せしかば、則《すなはち》、明王《みやうわう》の靈驗《れいげん》にや、潛《ひそめ》る猛龍《まうりゆう》、德の爲に降《くだ》せられ、洋々たる池水《ちすい》、法《ほふ》に依《より》て、陸と變ず。然《しか》してより此《この》かた、民人、始《はじめ》て、安堵《あんど》の思《おもひ》をなし、此里に居住す。云云《うんぬん》。』。

[やぶちゃん注:「水想觀」。「觀無量壽經」に説く十六観の一つ。水や氷の清らかなさまを想うことによって極楽浄土のさまを観想する方法。「水観」とも言う。]

 同郡《どうこほり》鬼岩寺村《きがんじむら》、「楞嚴山《りやうがさん》鬼岩寺《きがんじ》【眞言、髙野山無量光院末。】緣起」云《いはく》、

[やぶちゃん注:「鬼岩寺村」平凡社「日本歴史地名大系」に拠れば、『現在地名』は『藤枝市音羽町(おとわちょう)一丁目・茶町(ちゃまち)一―三丁目・藤枝一―三丁目・鬼岩寺』とし、『東海道藤枝宿の北、若王子(にゃくおうじ)村の西に位置し、鬼岩寺山南麓に立地する。東海道が通り、瀬戸谷(せとのや)街道の分岐点にあたる。志太(しだ)郡に属する。東遊歌神楽歌の駿河舞の第四句にみえる「いはたしたえ」の岩田(いわた)は藤枝の旧称とされ、岩田山は鬼岩寺山のことという(掛川誌稿)。また「したえ」は志太江とされ、現藤枝市・島田市の南に広がっていた入海の浦浜の総称という(駿河記)。室町時代から鬼岩寺山麓にある鬼岩寺の門前町として栄え、戦国期には市も開かれていた。』とあった。ここ(「音羽町」をポイントし、東に「鬼岩寺」、その南直近に「藤枝」の当該丁目がある)。なお、「鬼岩寺」は高野山真言宗で、「藤枝市スポーツ文化観光部 街道・文化課」公式サイト内の「ふじえだ東海道まちあるき」の「藤枝宿 鬼岩寺 きがんじ」に、神亀三(七二六)『年に行基上人により開創されたと伝わる古刹です。寺名は、寺の裏山にある鬼岩(おにいわ)と言われる巨岩・岩穴に由来しており、弘法大師空海が人々を苦しめる鬼を封じ込めた岩穴と伝えられています。境内には鬼が爪を研いだ跡と言われる「鬼かき石」が安置されているほか、黒犬伝説と神犬クロを祀る「黒犬神社」があります。』とあった。]

『靜照上人《じやうしやうしやうにん》とて、弘法大師の躅《あと》を闢《ひらき》[やぶちゃん注:「事跡を忠実に踏み開き」。]、令德雄才《れいとくゆうさい》[やぶちゃん注:「令德」とは「美徳・善行」の意。]・事敎《じけう》[やぶちゃん注:仏教で、「理」、即ち、「本体」と、「事」、即ち、「現象」とを明確に区別する教えを指す。]兼備の上人、住山《ぢゆうさん》の時に當《あたり》て、南里《みなみのさと》[やぶちゃん注:地名しては見出せないので、普通名詞として、かく読んだ。]、淵《ふち》に、巨龍《きよりゆう》在《あり》て、方里《はうり》の土民、農作耕《のうさくこう》を成《なす》事、あたはず。

[やぶちゃん注:「靜照上人」「WEB版新纂浄土宗大辞典」の当該項に拠れば、生年不詳で、『長保五年(一〇〇三)正月八日』没の『天台宗の学僧。高階成忠(たかしななりただ)の子として生まれ、出家後、賀縁の弟子となり、後に比叡山の東塔功徳院に住したというが』、『不明な点が多い。永延元年(九八七)に、円教寺講堂供養に講師、長保二年(一〇〇〇)に覚運(九五三—一〇〇七)や源信と同じくして法橋に叙任されている。また、同年法華八講の講師を務める。浄土教に関心が深く、その著に『観経』の十六観を注釈した『極楽遊意』、『無量寿経』に説かれる四十八願を注釈した『四十八願釈』各一巻などがある。』とあった。]

 上人、是を慈恕《じじよ》し[やぶちゃん注:情け深く、思いやりを成すことを言う。]、七か所に、檀《だん》を築《きづき》て、不動護摩を精修《せいしゆう》す。神效《しかう》、不可思議、湛池《たんち》[やぶちゃん注:水を湛えていた池。]、水、涸れ、燥陸《さうりく》に變ず。上人、敎化《しやうげ》して、巨蛇《きよじや》を封窂《ふうらう》す[やぶちゃん注:封じて閉じ込めた。]。云云【檀上の尊佛は鬼岩寺護摩堂の本尊也。】。

 同郡志太村□□山九景寺【淨土、藤枝、西光寺末。】所藏詩序云、鬼岩者有惡龍潜於水上池、水上池鬼岩二十町、凡人物之經スル於池邊者、無ㇾ不以葬於腹一、村民患ㇾ之、多招有驗之僧、欲ㇾ去ント惡龍、三論之俊、唯識之芼、華嚴之英、佛神之傑、不ㇾ能以伏ㇾ之、皆拱ㇾ手而退、有一法師、弘法大師之流而通金剛頂經毘盧遮那經之薀、且傳秘密之印信、先入三摩提見ㇾ之、知彼龍ヿヲ阿耨達池龍王之族一、於ㇾ是、築於池上、安不動尊像、入水想觀、詳ニシ水之淵源、抽テ二大根器神變之法、明王忽火熖、使下二池水、其壇護摩壇、其像水干不動、及ㇾ今存ㇾ跡、人尊崇之、然龍不ㇾ得其處、化成惡鬼、飛此山、法師追亡逐逃念珠鬼之頭、鬼乃開般若之眼、初菩提心、法師授ㇾ之以阿字一力、鬼高聲得道、作ㇾ禮而去。法師又以那羅延力盤石於其化處以爲之封、名之鬼岩、村民歸法師之密驗、建梵刹鬼岩寺。【下畧】云云。

[やぶちゃん注:冒頭で述べた通り、送り仮名その他が不全であるので、大々的に推定訓読したものを以下に示す。

   *

 同郡(どうこほり)志太村(しだむら)□□山九景寺(くけいじ)【淨土、藤枝、西光寺(さいかうじ)末(まつ)。】[やぶちゃん注:鬼岩寺と萬福寺の、やや鬼岩寺寄りの瀬戸川右岸に「九景寺古墳」があり、その近くに、「九景結社」という浄土宗寺院がある。「静岡教区浄土宗青年会」のこのページを見ると、この寺の開基は治承四 (一一八〇)年である。]所藏の「詩序」に云(いはく)、鬼岩(きがん)は[やぶちゃん注:「には」の意で採る。]、惡龍(あくりゆう)、水上池(みなかみのいけ)に潜(ひそ)む有り。水上池は、鬼岩を去ること、二十町[やぶちゃん注:二・一八二キロメートル。南南西に直線で二キロ強で、まさに萬福寺がある。]、凡そ、人・物の池邊(いけべ)を經過する者、以つて、腹に葬(はう)むらざる無し。村民《そんみん》、之れを患(わづら)ふ。多(おほ)く、有驗(うげん)の僧を招きて、惡龍を去らんと欲(ほつ)し、三論(さんろん)の俊(しゆん)、唯識(ゆいしき)の芼(ぼう/もう)、華嚴(けごん)の英(えい)、佛神の傑(けつ)、以つて、之れを伏(ぶく)すること能はず、皆、手を拱(こまね)きて退(しりぞ)く、一法師(いちほふし)、有り、弘法大師の流(りう)にして、「金剛頂經(こんがうちやうきやう)」・「毘盧遮那經(るびしやなきやう)」の薀(うん)通じ、且つ、秘密の印信(いんじん)を傳へ、先づ、三摩提(さんまだい)に入り、之れを見(み)、彼(か)の龍の、阿耨達池龍王(あのくだつちりゆうわう)の族(うから)に非(あ)らざることを、知る。是(ここ)に於いて、壇(だん)を池(いけ)の上(ほとり)に築(きづ)き、不動尊像を安(あん)じ、水想觀に入り、水(みづ)の淵源を詳(つまびらか)にし、大根器(だいこんき)を抽(ぬ)きて、「神變(しんぺん)の法(ほふ)」を修(しゆ)す[やぶちゃん注:実際にそのような修法(しゅほう)があるわけではない。常人にはない特別な神通(じんつ))が備わった者が獲得出来る摩訶不思議な現象=神変を現出させる法を駆使したのである。]。明王、忽(たちま)ち、火熖(くわえん)を出(いだ)し、池の水を乾かしせしめ、其の壇を「護摩壇」と呼び、其の像を「水干不動(みづほしふどう)と號(がう)し、今に及び、跡(あと)、存し、人、之れを尊崇(そんすう)す然れども、龍、其處(そこ)に得られずして二一、化(け)して、惡鬼(あくき)と成り、此の山に飛び、法師、逐逃(ちくたう)を追亡(ついばう)し、念珠(ねんじゆ)を以つて、鬼(おに)の頭(かしら)を打つ。鬼、乃(すなは)ち、般若(はんにや)の眼(まなこ)を開き、初めて、菩提心(ぼだいしん)を發し、法師、之れに授(さづ)くに、「阿」の字の一力(いちりき)を以つて、鬼、高聲(たかごゑ)に「得道(とくだう)」を稱(とな)へて、禮を作(な)して、去る。法師、又、那羅延力(ならえんりき)を以つて、盤石(ばんじやく)を其の化(け)したる處(ところ)に投(とう)じ、以つて、之れに封(ふう)を爲す。之れ、「鬼岩(きがん)」と名づく。村民、法師の密驗(みつげん)に歸(き)し[やぶちゃん注:帰依し。]、梵刹(ぼんさつ)を建立(こんりふ)して、「鬼岩寺」と號す。【下畧。】云云(うんぬん)。

   *

「三論」三論宗。小学館「日本国語大辞典」に拠れば、『南都六宗の一つ。中論(中観論)・十二門論・百論の三論をよりどころとして、大乗の教えを説くもの。もともとインドでおこり、鳩摩羅什(くまらじゅう)が中国に伝え、隋の吉蔵が大成したという。日本には、推古天皇の三三年(六二五)、吉蔵の弟子、慧灌が渡来して広め、智蔵、道慈が入唐して宗旨を修めて以後、宗の名を立てた。天台宗などのような、教団として発展したものではないので、中古以後は衰え、法隆寺や東大寺などに学問として伝えられた』とある。

「唯識」同じく、仏教の認識論の一つで、『一切の諸法は識としての心が現わしだしたものに』過ぎず、『識以外に存在するものはないということ』。但し、『この識も妄分別するものとしてあるに』過ぎず、『真実にあるものではない』、『という意を含んでいる。』とある。但し、ここは前後から見て、「唯識」を別称とする「法相宗」(ほっそうしゅう)を指していると考えるべきで、同じく、『仏教の一宗派。奈良時代を通じて最も盛んであった、いわゆる南都六宗の一つ。解深密(げじんみつ)経・瑜伽(ゆが)論などをもとに、万有は唯識、すなわち』、『心のはたらきによって表わされた仮の存在にすぎず、識以外の実在はないとし、万法の諸相(法相)を分析的、分類的に説くもの。この学は玄奘によりインドから唐にもたらされ、弟子の慈恩大師窺基より一宗をなしたが、日本へは白雉四年(六五三)入唐した元興寺の道昭以後、伝えられた。行基・良弁など多くの学匠を生み、また他宗の学徒も多くこれを学んだ。現在は興福寺・薬師寺(法隆寺は一八八三年聖徳宗として独立)を大本山に七〇余の末寺をもつのみである』とある、それである。

「芼」第一義は「選ぶ・抜き取る」の意。先鋭の者。

「華嚴」華厳宗。同じく、『華厳経を所依として中国唐代杜順に起こり、賢首(げんじゅ)大師法蔵によって組織大成された大乗の一宗。日本には天平八年(七三六)唐の道璿(どうせん)が伝えたといい、同一二年、良弁(ろうべん)の請いにより』、『新羅僧審祥』(しんじょう)『が金鐘道場』(きんしょうどうじょう)『(東大寺法華堂)で』、『この経を講じたという。その後、良弁が東大寺で宣教し興隆したがやがて衰微し、鎌倉時代には高弁・凝然が出て復興に努めた。明治初年、一時』、『浄土宗に属し、同一九年(一八八六)独立して東大寺を大本山とし、現在は末寺約五十か寺、信徒約五万人。五教十宗の教判の下に、法界縁起(ほっかいえんぎ)と十玄六相の事々無礙(じじむげ)を説き、三生成仏(さんしょうじょうぶつ)を唱える。南都六宗の一つ』とある。

「金剛頂經」同じく、『通常は不空訳の「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」三巻をさす。別に金剛智訳と施護訳がある。真言密教の秘経の一つ。大日如来成仏』『の次第を通じ、釈迦』、『すなわち』、『金剛界如来が、金剛界三十七尊を出生したことや、この金剛界曼荼羅建立の儀則、弟子を曼荼羅に導入する法などを説いた経典。』とある。

「毘盧遮那經」正しくは、「大毘盧遮那成佛神變加持經」(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)で、略して「大毘盧遮那經」、或いは、「大日經」と呼び、大乗仏教に於ける密教経典である。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『八世紀に、善無畏・一行の共訳による漢訳』、及び、『シーレーンドラボーディとペルツェクの共訳であるチベット語訳が相次いで成立したが、梵文原典は現存しない』。「金剛頂經」『とともに真言密教における根本経典の一つとされる』。『7世紀半の前後約30年間という栂尾祥雲1933年発表の説が一般に承認されている。500年ごろにはすでに成立していたという説もあるが定説とはなっていない』。『内容は、真言宗のいわゆる事相(行法)と教相(教理)に相当する2つの部分から成り立つが、前者である胎蔵曼荼羅(の原形)の作法や真言、密教の儀式を説く事相の部分が大部分を占める』。『仏部・金剛部・蓮華部の三部分類や、胎蔵界五仏の構成などについても説かれる』。『また、この部分の記述は具体的であるが、師匠からの直接の伝法がなければ、真実は理解できないとされている』とあり、『教相(教理)に相当するのは冒頭の「入真言門住心品」だけといってよく、ここで密教の理論的根拠が説かれている。構成は、毘盧遮那如来と金剛手(秘密派の主たるもの)の対話によって真言門を説き明かしていくという、初期大乗経典のスタイルを踏襲している』。『要諦は、金剛手の問いに対し、毘盧遮那如来が一切智智を解き明かすことにあり、菩提心とは何かを説くところにある。』とある。

「薀」仏教に於いては、「五取蘊」(ごしゅうん)、或いは「五薀」として、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の総称であるが(詳しくは当該ウィキを見られたい)、ここは、「薀」の一般的な意味を嗅がせた、「(正しき仏教の真の知識を)積んで蓄えている者」の意で採ってよい。

「印信」密教で、「師僧が秘法を伝授した証拠として弟子に授与する書状」を指す。

「三摩提」「三昧(さんまい)」に同じ。小学館「日本国語大辞典」の「三昧」に、『([梵語]samādhi の音訳。三摩提・三摩地とも音訳。定・正定・等持などと訳す )雑念を離れて心を一つの対象に集中し、散乱しない状態をいう。この状態に入るとき、正しい智慧が起こり、対象が正しくとらえられるとする。三摩堤(さんまだい)。三昧正受。』とある。

「阿耨達池龍王」「阿耨達池」は小学館「日本国語大辞典」に、『阿耨達龍王(あのくだつりゅうおう)が住むという池。瞻部洲(せんぶしゅう)の中央、香山(こうざん)の南、大雪山』(だいせつざん)『の北にあって、周囲八百里、金、銀、瑠璃などがその岸を飾る。四つの河を分出して、清冷水により全世界を潤すという。阿那婆達多(あなばだった)。』とある。ここは、その真正の神聖なる龍族の仲間ではない、と見破ったことを指す。

「大根器」禅問答の中で見たことがある。「偉大な品性」を指す語である。]

 里人、云《いふ》、

「以上、三所《さんしよ》の記を按《あんず》るに、事蹟は同所《おなじところ》にして、其說、異《ことなる》也《なり》。何《いづ》れか、可ならん。風土を閱《み》るに、古昔《こじやく》、大池《おほいけ》成《なる》事、疑《うたがひ》なし。今、『護摩壇《ごまだん》』と稱する所、七か所あり、謂《いはれ》は『六地藏』・『西山《にしやま》』[やぶちゃん注:「ひなたGIS」の戦前の地図で調べたが、不詳。]・『曲山』[やぶちゃん注:同前。]・『南新屋』[やぶちゃん注:萬福寺のごく直近に現存する。ここ。]・『鵜糞山』[やぶちゃん注:不詳。一つ、気になったのは、萬福治の東直近にある「烏帽子山」である。]・『萬福寺』・『東山』[やぶちゃん注:不詳。]也。何《いづ》れも、山上《さんじやう》、一段、高く築上《つきあ》げ、頂《いただき》、平《たひら》にして、形《かた》ち、圓《まろ》く、經《めぐり》、五、六間[やぶちゃん注:約九・一~十・九メートル。]計《ばかり》りあり。又、水上村の中筒井[やぶちゃん注:不詳。]など掘るに、土中より、菱《ひし》・芦《あし》等《など》の實《み》、或《あるい》は、根《ね》の類《たぐゐ》、色黑きもの、多く出づ。是《これ》、洋池の證《しやう》也。又、鬼岩寺靜照上人は、養和元年[やぶちゃん注:一一八一年。前に注したデータと全く合わない。]七月十五日、寂す。今、六百四十七年に及ぶ。事跡、詳《つまびらか》ならざるも、可《か》、也《なり》[やぶちゃん注:問題はない。]。今、『瀨戶町《せとちやう/せとまち》の染飯《そめいひ》』とて、名產とする物も、此龍鱗《りゆううろこ》を、形どる遺跡也。云云。」。

[やぶちゃん注:「瀨戶町の染飯」ウィキの「瀬戸の染飯」に拠れば、『現在の静岡県藤枝市上青島である駿河国志太郡青島村付近で戦国時代から販売された黄色い米飯食品である。東海道藤枝の名物であり、文化庁の日本遺産『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅』の「構成文化財」に認定された』。『瀬戸の染飯は、強飯(こわいい/こわめし・蒸した餅米、おこわ)をクチナシ(梔子)の実で黄色く染めて磨り潰し、平たい小判形や三角形(鱗形)、四角形などにして乾燥させたものである』。『江戸時代には藤枝宿-島田宿間にある瀬戸の立場(休憩所)で売られていた。漢方医学では、クチナシには消炎・解熱・利胆・利尿の効果があるといわれ、また足腰の疲れをとるとされることから、難所が多い駿河の東海道を往来して長旅に疲れた旅人たちから重宝された』。『物語や和歌、浮世絵の題材としてたびたび取り上げられ、1792年(寛永4年)に西国を旅した小林一茶は藤枝で「染飯や我々しきが青柏」と詠んでいる。1797年(寛政9年)の『東海道名所図会』には染飯を売る茶屋の挿絵があり、葛飾北斎の1804年(享和4年)頃の浮世絵『東海道中五十三駅狂画』でも四角い染飯を売る茶屋の娘が描かれた作品がある』。『十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(1802-1814年初刊)にも登場する』。『その始まりは古く、『参詣道中日記』1553年(天文22年)の記録や『信長公記』1582年(天正10年)の記録に記載があるため戦国時代にさかのぼる。東海道の街道名物としては最古級である』とあった。]

 

2025/12/30

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「瘧神人と婬」【R指定】

[やぶちゃん注:底本はここから。非常に長いので、段落を成形し、句読点・記号を補塡した。而して、語注は、殆んどを割注化した。

 なお、底本の本篇では、セクシャルな部分が「△」で多量に伏字となっていて、全く以って正常に読むことが出来ない。しかし、別底本(写本)に拠る「近世民間異聞怪談集成」では、それらが、総て活字化されていることから、それを参考にして、恣意的に正字化して、復元した。その部分は太字とした。

 

 「瘧神《おこりがみ》人《ひと》と婬《いん す》」 安倍郡府中に有り。「駿府雜談」云《いはく》、

『今は昔、一歲《ひととせ》、駿府の町々、瘧病《おこりやまひ》、大《おほい》に流行して、武家・商家、共に、人、多く、死す。

 此時、

「『吉屋傳治郞家』と門に張置《はりお》く時は、其家に、病者、なし。」

とて、戶每《とごと》に、此名を、はりけり。

 其由來を尋《たづぬ》るに、此《この》「傳治郞」と云《いふ》は、府中吳服町の住《ぢゆう》なるが、極《きはめ》て、家、富《とみ》、豐成《ゆたかなり》ければ、常に、二丁町に徃(ゆき)て、倡女《しやうぢよ》[やぶちゃん注:遊女。妓女。]、あまた、揚《あげ》て、樂《たのし》みけり。

 或夜《あるよ》、例の如く、行《ゆき》けるに、傳治郞が思ひ人、「春風《はるかぜ》」と云《いふ》姚女《えうぢよ》[やぶちゃん注:見目よい女。]、瘧り有りければ、傳治郞、心、樂まず、

「今宵《こよい》は、敏《と》く[やぶちゃん注:早く。]、歸るべし。」

とて、まだ、夜深《よふか》きに、歸りける。

 路の傍《かたはら》に、麗《うるは》し氣成《げなる》る女《をんな》の、只一人《ただひとり》、彳(たたずみ)たり。

 傳治郞、心の內に、

『定《さだめて》、戀故《ゆゑ》に、人待居《ひとまちを》るにや、其樣《そのさま》を見ばや。』

と、側《かたはら》に近寄り、星の光に、すかし見れば、其艷顏《えんがん》、譬《たと》ふるに物なく、窈窕《えうてう》たるが[やぶちゃん注:美しく淑やかな、上品で奥ゆかしいさまで。]、

「さめざめ」

と泣居《なきゐ》たり。

 傳治郞、不思議に思ひ、其旨《そのむね》を問へば、彼女《かのをんな》申やう、

「某《それがし》は、當國島田の者なるが、故在《ゆゑあ》りて、住事《すむこと》[やぶちゃん注:「近世民間異聞怪談集成」(別写本底本)では『往事』とある。私は、本書の「住」の方が、すんなり受け取れる。]、叶はず、府中の驛へと志し、夫婦諸共《めうともろとも》來りしに、昨日《きのふ》、此安倍川の邊りにて、吾夫《あがをつと》、俄《にはか》に心變りして、我《あ》を捨《すて》て、江戶に徃《ゆき》ぬ。

『吾も共に徃かん。』

と云へば、

『此府《このふ》は、江戶にも增《まさ》る繁花《はんくわ》なり。爰《ここ》に、止《とま》りて、我《われ》が登《のぼ》るを、待て。』

と別れしより、『獨り、府中に至らん。』と思へ共《ども》、行《ゆく》べき道を、知らず。詮方なくて、此處《ここ》に侍《さぶら》ふ。」[やぶちゃん注:「島田」現在の静岡市島田市。静岡県の中部で、大井川の両岸に当たる。]

と云。

 傳治郞、哀《あはれ》に思ひ、

「某《それがし》こそ、府中の者にて候へ、伴ひ申《まう》さん。」

と云《いふ》に、彼女《かのをんな》、悅び、莞爾(かんじ)としたる[やぶちゃん注:「につこりとした」。]形容《けいよう》、亦、類《たぐ》ひなき美人成しかば、頻《しきり》に、心、動き、女の手を取《とり》て、道ならぬ事抔《など》、口說《くどき》ける。女、いと恥かし氣《げ》にて、兔角《とかく》の答《こたへ》もなく、差《さし》うつ向《むき》て居《をり》たる。折節、往來の人も、なし。

『能き𨻶《ひま》也《なり》。』

と寄添《よりそ》ふに、流石《さすが》、岩木《いはき》にあらざれば、終《つひ》に、傳治郞が心に隨《したがひ》けり。[やぶちゃん注:この伝次郎の「能き𨻶也」とは、まず、「心の隙(すき)。それから生ずる態度・体勢の油断。」が第一義であり、さらに進んで、「事を行なう時期。行動をするのに都合のよい時。機会。」、即ち、その第一義の「信頼」を逆手にし、上手く懐柔して、手籠めにしようという好色性を大いに含んだものであることは言うまでも、ない。]

 夜もいたく更《ふけ》ぬれば、

「いざ。伴ひ行《ゆか》ん。」

と、すゝむるに、

「昨日よりの勞《いたはり》にて、一足《ひとあし》も步み難し。」

と云《いふ》にぞ、詮方なく、傳治郞が、脊《せ》に負《おひ》て往く事、一町《いちちやう》[やぶちゃん注:百九メートル。]計り、時しも、秋の星月夜、忽《たちまち》、やみと成り、頻《しきり》に、雨、降り、雷電、轟《どどろ》き渡《わたり》て、耳を響《ひびか》し、目を駭《おどろか》す。

 不思議や、今迄は、木《こ》の葉の如く輕かりし女《をんな》の、大盤石《だいばんじやく》よりも重く成り、傳治郞が背を押碎《おしくだ》くばかり也。

 振返《ふりかへ》りて、女を見れば、艷《えん》なりし形《かたち》は、鬼と變じ、額《ひたひ》に雙《ふたつ》の角《つの》を生じ、

「はた」

と白眼《にらみ》し、其形容、怖《おそろし》し共云計《ともいふばか》りなし。

 傳治郞、少しも、是に、恐怖せず、

「汝《なんぢ》、樣々に形を變じて、吾を駭す。察する處、古狐《ふるぎつね》の誑《たぶらかす》、と覺《おぼえ》たり。背に負《おひ》しぞ、幸《さひはひ》なれ、〆殺(しめころ)さん。」

と云儘《いふまま》に、力の限り、引《ひき》しむる。其時、彼女《かのをんな》、云《いふ》やう、

「汝、怪しむ事なかれ。吾《われ》は是《これ》、疫癘《えきれい》の司神《つかさがみ》也。それ、疫神《えきじん/やくがみ》と云《いふ》は、陽神《やうじん》は熱を司《つかさど》り、陰神《いんじん》は瘧《おこり》を司《つかさど》れり。吾夫婦《わがめをと》、久敷《ひさしく》、島田の驛に在《あり》て、數多《あまた》の人を腦[やぶちゃん注:ママ。「近世民間異聞怪談集成」でも同じであるので、原本の「惱」の誤記と思われる。]《なやま》せしに、有驗《うげん》の髙僧・神主《かんぬし》等、大法・祕法を行《おこなひ》て住所《すみどころ》を追ふ故に、住事《すむこと》、叶《かな》はず、爰《ここ》に來りしに、陽神は、昨日《きのう》の暮、旅人に附《つき》て、東方《とうはう》に往《ゆき》ぬ。一定《いちぢやう》、江戸は、熱病、流行《はや》るべし。吾は、此府中に止《とどま》りて、瘧を流行《はやら》せ、萬民を苦しません。去《さり》ながら、吾、汝に伴《ともなは》れて、是迄、來《きた》るの恩のみに非ず。亦、先《さき》の妹背《いもせ》の契《ちぎり》、有り。旁《ひとへに》深き由緣《ゆえん》あれば、汝が家には瘧疾《ぎやくしつ》を除くべし。少《すこし》も疑事《うたがふこと》、勿《なか》れ。」[やぶちゃん注:「妹背の契、有り」の台詞は、「この世と冥界の絶対的隔たりはあるが、親しい男女の関係を受け入れて、心から謂い交わした約束は、確かなことであり、人と冥界を問わず守る」という時空を超えた約束を、永劫、守る、という彼女の決意を示したものである。しかも、直後で「旁深き由緣あれば」を添えることで、「この契りは、幽冥の隔てを越えて、定まった必定であることを確かに誓約するものである」ということを断言するものであって、本邦に限らぬ幽冥怪奇談の異類冥婚の話の中でも、そうそう見ないガッチりとした台詞である、と言ってよいように思われる。

と云《いふ》かと思へば、傳治郞が足、地を離れ、空中に舞上《まひあが》り、彼《かの》鬼女《きぢよ》、背中を拔け出《いで》、行衞《ゆくゑ》も知《しら》ず成《なり》にけり。

 傳治郞は、

「どふ」

と落《おち》、現心《うつつごころ》もなかりしが、夜明《よあけ》て、心附《こころづき》、邊《あた》りを見れば、吾家《わがや》の庭內《にはうち》に落居《おちゐ》たり。

 傳治郞、深く此事を愼《つつしみ》て、口外《こうがい》せざりければ、誰《たれ》知る人もなかりしに、其後《そののち》、傳治郞、春風が許《もと》に行《ゆき》たりしに、折節《をりふし》、瘧を煩《わづらひ》て臥居《ふしゐ》たり。

 春風、心淋《こころさび》しき折《おり》にて、

「是非に。今宵は、泊るべし。」

と進むるにぞ、側《そば》に附添《つきそ》ひ、介抱するに、例の時[やぶちゃん注:瘧の劇熱症症状の発現を指す。]、至り、惡寒《おかん》、甚しく、身体《しんたい》、大《おほき》に震ひ出《いで》て後《のち》、熱氣、盛んに成《なり》ける時、春風、

「むく」

と起上《おきあが》り、傳治郞が手を、取《とり》て云《いひ》けるは、

「堵《さて》も。不思議の緣《えにし》にて、すぎし夜《よ》の妹背事《いもせごと》[やぶちゃん注:伝次郎との情事。]、忘《わすれ》やらず、『何とぞ、今一度《いまひとたび》、逢見《あひみ》る事も。』と、朝夕《あさゆふ》、願《ねがひ》しが、此春風は、御身《おんみ》の心を慰めて、常に添寢《そひね》の中《なか》[やぶちゃん注:「仲」と]と仄聞《そくぶん》たる故《ゆゑ》[やぶちゃん注:噂で聴いておりましたから。]、皮肉の內に分入《わけいり》て、執着を晴《はら》すべし[やぶちゃん注:かなり捩じれた評言で]と思附《おもひつき》たる甲斐、有りて、今の逢瀨《あふせ》の嬉しさよ。吾夫《わざをつと》は、江戶に下りて、獨り寢の、只《ただ》さへ長き秋の夜《よ》を。」

と、傳治郞に抱附く。

[やぶちゃん注:この台詞は、非常に凝った構造を持っているので、細心の注意が必要である。これは、一見、春風の語りのように見せかけつつ、実は、瘧神の女の語りへと、漸次、中間部で台詞が、二者の混淆が生じ、異様なメタモルフォーゼしているものなのである。そのコペルニクス的転回点のポイントは、「此春風は」である。これは、春風自身の一人称の言葉では――ない――のである! 既にして――女瘧神の言う三人称としての「この恨めしき春風は」という嫉視を強く含んだそれ――なのである。この台詞を、現代語訳してみよう。

   *

「さても……不思議な縁(えにし)にて……かの過ぎ去った……あの夜(よる)の……情事が……忘れられぬ!……『どうか、何卒(なにとぞ)、今、一たび、逢い見ること、ありかし!……』と、朝夕、願いておりましたが……この「春風」という女は……『あなたさまの、み心を慰めて、添い寝する、しっぽりとした仲の女だ。』と、世間で噂されていることを、ちらと、聴いてしまったから……この憎(にっ)くき遊び女(め)の皮肉の間(あいだ)に分け入って……やすやすと潜り込み……妾(わらわ)の……あなたさまへの……こんな女とは違って……はるかに強い私の愛着(あいじゃく)を晴らさんと思いついたのです……その甲斐が、見事に成就致しました!……今、私(わたくし)とあなたさまとの逢う瀬を得た嬉しさよ!……私の夫は江戸に下って、私は、ただでさえ、独り寝をかこっておりましたのです! この長い秋の夜を!……」

   *

である。而して、もう、多くの方は判っておられるであろうから、謂わずもがなではあるのだが、まず、これは――知られた「源氏物語」の第九帖「葵」で、源氏が、葵の見舞いに来た折り、病床で語る葵の上の言葉が、実は御息所の物の怪の語りであったという戦慄のクライマックスのシークエンスを見事にインスパイアにしたものに他ならない――と断定してよいのである。

 始《はじめ》の程は、

『熱に犯されて、根なし事、口走るか。』

と思《おもひ》しが、聞每《きくごと》に、心に覺《おぼえ》の有《あり》けるにぞ、何と答るよしも無く、物をも、いはで、居《をり》たりしが、

『所詮《しよせん》、彼《かれ》が心に、まかせ、飽迄《あくまで》交合《まじはり》せば、執着《しうぢやく》も、晴《はれ》ぬべし。』

と、一決《いつけつ》し、夜半《やはん》の下紐《したひも》、解け合《あひ》けり。

 然《しか》るに、此傳治郞、精水不漏《せいすいふろう》の術《じゆつ》を得たりければ、終夜、交《まぢは》れ共《ども》、冐子《ぼうし》、凋事《おとろふこと》、なかりけり。

[やぶちゃん注:「精水不漏の術」射精を、自身の意志でしないようにする閨房術。「冐子」見かけない熟語であるが、「冐」には「露わにする・曝け出す」の意があるので、「子」は「精子」を指し、エレクトを持続しつつ、しかも射精をせずに持続することを指しているものと読める。]

 病者、悅び、うなれ[やぶちゃん注:「唸れ」。]共《ども》、熱の强《つよき》にや、とて、更に疑ふ者《こと》なし。[やぶちゃん注:「者」には、特定の事柄を指す「こと」の意がある。]後には、疫神も弱り果て、

「免《ゆる》せ、免せ。」

と、わぶるにぞ、傳治郞、漸《やうや》く、手を放《はな》ち、別れ別《わまれ》に成《なり》ける。

 春風、目を覺《さま》し、元の正氣《しやうき》に立歸《たちかへ》り、

「さても。怖敷《おそろしき》夢を、見たり。」

とて、白湯《さゆ》など呑《のむ》に、傳治郞、

「瘧は、必《かならず》、落《おち》たれば、心安し。跡《あと》の療養こそ、肝要なれ。」

と云《いふ》に、春風、其謂《そおいはれ》を、問ふ。

 傳治郞、白地《あからさま》にも云兼《いひかね》て、

「家《いへ》の祕法にて、發熱して前後を知《しら》ざる時、咒《まじなひ》を、なしたれば。」

とぞ、答《こたへ》ける。

 果して、瘧は落《おち》たり。

 是より、婦人の瘧を煩ふ者、賴《たのみ》ければ、四方に屛風《びやうぶ》を立廻《たてめぐら》させ、人の出入を禁じて、此《この》傳《でん》を行ひけり。

 男子には、吾《わが》家札《いへふだ》を張らせけるに、皆、落《おち》けり。

 此年《このとし》、江戶には、熱病、大《おほい》に流行し、人、多く、死《しに》ける。

 故有《ゆゑあり》て、深川の水屋淸七と云《いふ》者に、疫神、

「恩を請《うけ》たり。」

とて、彼《かの》名札《なふだ》を張置《はりお》く家には、疫癘《えきれい》[やぶちゃん注:流行性の質(たち)の悪い病気。「疫病」に同じ。]なかりし、とぞ。

 彼《かの》鬼女《きぢよ》の云《いひ》ぬる事、符節《ふせつ》を合せたるが如し。[やぶちゃん注:「符節を合せたるが如し」「割符(わりふ)を合わせたように、必ず、見事に実現した。」の意。]

「美男子には非ざれ共《ども》、疫病神に迄《まで》、戀慕《こひした》はれしは、此《この》傳治郞成《なり》。」

とて、自讃しての物語り也、云云《うんぬん》。

 

[やぶちゃん注:「瘧神」「瘧」は、熱性マラリア(ドイツ語:Malaria/英語:malaria/語源は「悪い空気」を意味する古イタリア語の“mala aria”に基づく)のこと。マラリア原虫(真核生物ドメインアルベオラータ上門Alveolataアピコンプレックス門 Apicomplexa無コノイド綱 Aconoidasida住血胞子虫目 Haemosporidaプラスモジウム科 Plasmodiidaeプラスモジウム属 Plasmodium )(約二百種)のうち、少なくとも、十種がヒトに感染する。ハマダラカ(羽斑蚊・翅斑蚊=双翅(ハエ)目カ(長角・糸角)亜目カ下目カ上科カ科ハマダラカ亜科 Anophelini 族ハマダラカ属 Anopheles 。約四百六十種が知られている内、凡そ百種がヒトにマラリアを媒介させることが可能とされる)の♀が媒介するマラリア原虫が病原体であり、原虫の違いにより「熱帯熱マラリア」(一般にマラリア原虫をヒトに媒介しているのは、そのうちの三十 から四十種とされ、ハマダラカで最も知られている種は、マラリア原虫の中でも、最も悪性である熱帯熱マラリア原虫( Plasmodium falciparum )を媒介するガンビエハマダラカ( Anopheles gambiae )である。)・「三日熱マラリア」・「四日熱マラリア」・「卵形マラリア」・「サルマラリア」の五種類に大別される。当該ウィキの「日本」から、まず、引く。『1903年(明治36年)時には全国で年間20万人の土着マラリア患者があったが、その後は急速に減少し、1920年(大正9年)には9万人、1935年(昭和10年)には5,000人に激減している。第二次世界大戦中・戦後に復員者による一時的急増があったが、減少傾向は続き、1959年に滋賀県彦根市の事例を最後に土着マラリア患者は消滅した』。『しかし、『現在も海外から帰国した人が感染した例(いわゆる輸入感染症)が年間100例以上ある。また、熱帯熱マラリアが増加傾向にある。現在第4類感染症に指定されており、診断した医師は7日以内に保健所に届け出る必要がある』。『日本もマラリア対策に協力しており、その一つに伝統的な蚊帳づくりがある』。以下、「日本におけるマラリア」の項。『日本では、1903年時に全国で年間20万人のマラリア患者があったが、1920年には9万人、1935年には5,000人へと激減し、戦中・戦後の混乱期にもかかわらず減少を続け、1959年に滋賀県彦根市の事例を最後に土着マラリア患者が消滅している』。『沖縄県ではアメリカ統治下の1962年に消滅した』。『日本の古文献では、しばしば瘧(おこり)・瘧病(おこりやまい/ぎゃくびょう)と称される疫病が登場するが、今日におけるマラリアであると考えられている。養老律令の医疾令では、典薬寮に瘧の薬を備えておく規定がある』。『『和名類聚抄』には別名として「和良波夜美(わらわやみ)」「衣夜美(えやみ)」が記載されている(アーサー・ウェイリー訳ではague「マラリア」と訳してある)。前者は童(子供)の病気、後者は疫病の意味であると考えられている。『源氏物語』の「若紫」の巻では光源氏が瘧を病んで加持(かじ)のために北山を訪れ、通りかかった家で密かに恋焦がれる藤壺(23歳)の面影を持つ少女(後の紫の上)を垣間見る設定になっている。『御堂関白記』『日本紀略』には東宮敦良親王が寛仁2年(1018年)8月に瘧病を病んだとの記述があり、天台座主慶円の加持を受けたことが分かる』。『中世日本においてマラリアはありふれた病気であり』、平清盛、『九条兼実、藤原定家、夢窓疎石といった人物が発病している他、『言継卿記』には』、『作者山科言継の妻、南向が病んだ「わらはやみ」について詳しい記録がある』。『近代以前には西日本の低湿地帯において流行がみられた。歌舞伎の『助六由縁江戸』の口上は「いかさまナァ、この五丁町へ脛を踏ん込む野郎めらは、おれが名を聞いておけ。まず第一、瘧が落ちる(熱病が治る)…」である。江戸時代の川柳の題材としてもしばしば用いられていた』。『20世紀に沈静化した』とする。最後に。私と同年で優れた社会科教師でもあった畏友永野広務は、二〇〇五年四月、草の根の識字運動の中、インドでマラリアに罹患し、斃れた(私のブログの追悼記事)。マラリアは今も、多くの地上の人々にとって脅威であることを、忘れてはならない。

2025/12/29

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「淸水御櫓の奇」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を補塡した。]

 

 「淸水御櫓《しみづおやぐら》の奇《き》」 安倍郡府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、

「今は昔、駿府御城內に淸水櫓と云《いふ》御櫓あり。此御櫓より、江尻・淸水の邊《あたり》、目の下に見ゆる故、『淸水櫓』と云《いふ》とかや。此御櫓、

『三重《さんじゆう》めの板敷《いたじき》を、釘を以《もつ》て張る時は、必《かならず》、破壞す。』

と云傳《いひつた》ふ。

 故に、只、板を竝べ置く事とかや。

『然《しか》れ共《ども》、其事實を知る者、なし。』

と、在番の健士《けんし》大久保某《なにがし》の物語り也。云云。

 

[やぶちゃん注:「江尻・淸水」これは、櫓の上から見えるという以上、それぞれ、当時の「旧江尻城」及び「旧清水袋城」(単に「袋城」「清水城」とも呼称した)の旧跡周辺を指しているものと思われる。ここである(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキに拠れば、江尻城は、永禄一三(一五七〇)年に甲斐国の武田氏により築城されたが、『武田氏滅亡後は徳川氏の勢力下になり、徳川氏の庇護を受けた穴山勝千代(信治)が城代となるが、勝千代の夭折により』慶長六(一六〇一)年『に廃城になった』とあり、一方の清水(袋)城は、個人サイトと思われる「綺陽堂」の「袋城」のページに、「武田三代記」では、永禄一二(一五六九)年、本「駿國雜志」『では』同一三年『に、武田信玄の下命で馬場美濃守信春が縄張り・築城したとされる』とし、『武田氏が滅亡すると、駿河の武田水軍は徳川氏に継承されたが、袋城の詳しい扱いについては定かでない。ただし、城自体はその後も存続していたようで、慶長』一九(一六一四)年『に駿府城の大御所となっていた徳川家康の命によって廃城となった。城跡は堀を埋めて清水の町場とされ、今日に至っている』とあった。

「健士」ここは、特に武勇に優れた武士の意。]

2025/12/28

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「燈明榎の怪」

[やぶちゃん注:底本はここ。やや長いので、段落を成形し、句読点・記号を補塡した。]

 

 「燈明榎《とうみやうえのき》の怪《くわい》」 安倍郡府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、

『今は昔、駿府御城內東小屋に、「燈明榎」とて、大木、有り。木の廻《めぐ》り、十圍《とかかへ》計りにして、二本に成り、生茂《おひしげ》りけるが、如何《いかが》しけん、一木《いちぼく》は枯《かれ》にけり。

 其木《そのき》、朽《くち》て、大成《おほきな》る虛《うつ》ろ、在り。

 何《いつ》の頃にか有《あり》けん、一歲《ひととせ》、六、七月の間《あひだ》、此《この》虛穴《うつろ》より、夜々《よなよな》、金色《こんじき》の光、さし輝きけり。

 皆人《みなひと》、怪《あやし》みしを、或《ある》者、見出《みいだ》してより、日每《ひごと》に、大勢、集り、數千《すせん》の玉蟲《たまむし》を取得《とりえ》たり。

 是より、彼《かの》光明《こうみやう》は消失《きえうせ》たり。

 それより、四、五日もすぎて、亦、光明を發する事、每夜也。

 此度《このたび》は、玉蟲には非《あら》ずして、

「大《だい》の法師《ほふし》の黑染《くろぞめ》の衣《ころも》を着《き》、菅笠《すげがさ》を被《かぶ》りて、燈明の油《あぶら》を吸《すふ》。」

と、流說《りうせつ》するに、違《たが》はず。

 宿老《しゆくらう》、評議して、

「御番衆《ごばんしゆ》織田某《なにがし》は、力量、衆《しゆ》に越え、心《こころ》、剛《かう》なれば。」

迚《とて》、

「變化退治《へんげたいぢ》の將《しやう》。」

と定む。

 織田、悅び、

「生捕《いけどり》て、高名《かうみやう》せん。」

と、只一人《ただひとり》、東小屋《ひがしごや》に立向《たちむか》ひ、彼《かの》榎を見渡せば、聞《きき》しに違《たが》はず、光明を發し、大の法師、菅笠に顏《かほ》さし入《いれ》て彳《たたずみ》たり。

 織田、

「つかつか」

と、側《かたはら》により、

「得たり。」

と、組付《くみつく》に、動かず、腰の太さ、手も廻《まは》らず。

 組伏《くみふさ》んとするに、其强き事、譬《たちへ》るに、物、なし。

 兼《かね》て用意の早繩《はやなは》を取り出《いだ》し、十重二十重《とへふたへ》に繩《くく》り付《つけ》、大音《だいおん》あげ、

「先祖平の忠盛、祇園行幸《ぎをんぎやうかう》の例《ためし》に倣《なら》ひ、燈明榎の大法師を、織田某《それがし》、生捕《いけどり》たり。」

と呼《よば》はれば、東小屋に有合《ありあふ》者共、

「劣《おと》らじ。」

と缺付《かけつき》て、前後左右より、取卷き、押せども、動かず。

 人々、不審に思ひ、挑燈《てうちん》にて、すかし見れば、榎の切口《きりくち》に、下男《げなん》の麻看板《あさかんばん》を掛《かけ》たる也。

 餘りの事に、興《きやう》、さめて、彼《かの》看板を取除《とりの》れば、土器《かはらけ》に、油《あぶら》、さし、燈《ともし》附《つけ》て、虛《うつろ》に入れ、雨よけに、上より、古菅笠《ふるすげがさ》を覆《おほひ》たり。此《この》麁服《そふく》は、風よけに張《はり》けるなりけん。

 何者の仕業《しわざ》にや、知る者、更に、なかりき。

 やがて、

「此度《このたび》の褒賞《はうしやう》。」

迚、彼《かの》菅笠を、織田に贈られしが、終《つひ》に、家《いへ》の重器《ぢゆうき》と成《なり》ける。

「其榎も、今に朽《くち》ずして、『燈明榎』と呼《よぶ》也。」

と、府中の道具屋惣兵衞と云《いふ》者の語りし也。云云《うんぬん》。

 

[やぶちゃん注:「榎」双子葉植物綱バラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis 。小学館「日本大百科全書」に拠れば、『本州、四国、九州の低地に生え、朝鮮、中国南部、インドシナに分布する。名は』、『餌(えさ)の木の意味ではないか』、『といわれ、榎と書くのは、道端に茂って木陰をつくることから、夏の木の意味の』国字『である』とし、また、『植物学者前川文夫博士の説によれば、この木は古くは』、『神の木として信仰の対象にされ、神が降下するという長野県諏訪』『明神のタタイ木は、元来』、『エノキであり、その名はタタイノキ→タタエノキ→エノキと変化したとする。またかつては道路の一里塚や屋敷の北西に植えられたが、これらも神木であった名残(なごり)で、東京都板橋区本町にある「縁切榎(えんきりえのき)」もその変形とする。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に名がみえ、『万葉集』にも1首詠まれている。』とある。但し、諏訪神社の『タタイ木』というのは、現在の同神社が正式に認めている呼称ではない。

「玉蟲」鞘翅(コウチュウ・甲虫)目多食(カブトムシ)亜目Elateriformia下目タマムシ(玉虫)上科タマムシ科ルリタマムシ(瑠璃玉虫)属タマムシ Chrysochroa fulgidissima

「宿老」「宿德老成の人」の意。本来は「十分に経験を積んだ老人」を広く指す語であるが、そこから転じて、「古参の臣」や「家老」等の重職の地位に就く者の称となった。参照した当該ウィキに拠れば、『江戸時代では』、『幕府における老中や諸大名家に』於ける『家老を指す称として用いられた』とある。

「御番衆」「番」を編成して宿直警固に当たる者たちを指す。

「得たり」この場合は感動詞で、一般的に「と」を伴って用いる。小学館「日本国語大辞典」によれば、『物事が自分の思う通りにうまくいったと思われるときに発することば。しめた』! の意。

「早繩」小学館「日本国語大辞典」に、『人を捕えた時に手早く縛るようにたずさえている縄。捕縄(とりなわ)。』とある。

「麻看板」武家の中間(ちゅうげん)や小者(こもの)などが、お仕着せとして貰った麻製の短い衣類で、その背に主家の紋所などを染め出したもの。

「虛《うつろ》」「洞(ほら)」と同義で、老大木の根元や大木の朽木などにある、中のうつろな穴を言っている。

「麁服」粗末な衣服、布地の粗悪な服のこと。]

昨夜のクラス会

昨日のクラス会は楽しかった! 小さなお店だったが、なかなかスゴかった!

20251227

2025/12/27

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(五)鱶鰭の說(その1)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。本文は千七百二十八字であるに対し、注は実に、三万九千七百六十四字になってしまった。恐らく、ブログ一記事では、空前の最大注となった。

 

淸國

  日本水產圖說中卷

輸出

        河 原 田 盛 美  撰

   (五)鱶鰭(ふかひれ)の說

鱶鰭は、鯊(ふか)の鰭を乾製(かんせい)したるものなり。此魚(このうを)は軟骨魚類にして、九州にては『ふか』、東國にては『さめ』といふ。『さめ』と『ふか』とは、別物なれども、槪(おほむ)ね、混稱(こんしやう)す。『ふか』には、種類、多く、今、「水族志」に載する所、三十五種あり。『めじろふか』【此ものは、伊勢にて『むぎはらさめ』、紀伊長島にて『いらざめ』、同國九木浦《くきうら》にて『あぶらざめ』、淡路にて『つのこ』、紀伊熊野にて『つまりぶか』といふ。是、「雨航雜錄」「漳州府志」等の『白鯊』《ハクサ》なり。】)、曰く、『ほしざめ』【一名、『かすごろう[やぶちゃん注:ママ。]』。】、曰く、『くろぼし』【一名、『ほしざめ』。】、『ちからざめ』【一名、『ほうずぶか[やぶちゃん注:ママ。]】、曰く、『しろぶか』、曰く、『めじろぶか』【一名、『まいらぎ』、又、『だれ』といふ。漢名、『白眼鯊《ハクガンサ》』。】、曰く、『つのじ』【一名、『つの』、又、『はりさめ』・『つのさめ』。漢名「寧波府志」の『剌鯊《シサ》』。】、曰く、『ぎんさめ』【一名、『ぎんぶか』、又、『はたざめ』・『つのじ』ともいふ。「福州府志」の『劍鯊《ケンサ》』。】、曰く『てんぐふか』【一名、『てんぐさめ』、又、『はたざめ』といふ。】、曰く、『はたざめ』【一名、『てんかひざめ』。漢名、「黑鯊《コクサ》」。】、曰く、『こつうを』【一名『さがぼり』。漢名、『燕尾鯊《エンビサ》』。】、曰く、『かつたひざめ』、曰く、『うばざめ』【一名、『うはぶか』、又、『うさめ』】、曰く、『いつちやう』、曰く、『しゆもくぶか』【一名、『しもくざめ』、又、『かぜふかいてうさめ』。漢名は「閩書《びんしよ》」の『雙髻鯊《サウキツサ》』。】、曰く、『もだま』【大なるを、『いなき』といふ。漢名『魚鮠《ギヨグワイ》』。】、曰く、『おきむば』【一名、『なぬかぶか』、伊勢にて『あぶらこ』、尾張にて『のうくり』、備後因島《いんのしま》にて『お〻ぜ』。「臺灣府志」に云《いはく》、『龍文《りゆうもん》、沙《さ》にして、最佳《さいか》にして、其翅《そのひれ[やぶちゃん注:魚であるので「はね」ではなく、「ひれ」と読んだ。或いは、「はね」と読んでいるかも知れない。]》、尤《もつとも》、美なり。』とす。】、曰く、『おふぜ』【一名、『どぜうざめ』、又、紀伊熊野にて『したち』、『熨斗鯊《のしぶか》』ともいふ。】、曰く『しヽむしやう』、曰く、『さヾいわり』【一名、『ころざめ』、又、紀伊若山にて『ねこざめ』、筑前福間浦《ふくまうら》にて『かねうち』、漢名『虎頭鯊《コトウサ》』。)】、曰く、『なでぶか』【一名『みづいらき』、又、『ひれなか』。】、曰く、『水ぶか』、曰く、『鼠《ねずみ》ざめ』、曰く、『おろか』、曰く『すねぶか』、曰く、『つまりぶか』、曰く、『からす』、曰く、『とがり』、曰く、『たちをざめ』【一名、『はりざめ』、又、『しらざめ』、漢名、「臺灣府志」の『鋸鯊《キヨサ》』。】、曰く、『ゑびざめ』【一名『ゑびぶか』、漢名「廣東通志」の『蝦錯《カサク》』。】、曰く、『ひらかしら』、曰く、『かつたひうちは』【一名、『うちは』、又、『こふたゑひねこ』等なり。】、曰く、『うちはざめ』、曰く、『のこぎりぶか』(漢名は「廣東名勝志」の『鋸鯊《キヨサ》』)、『さかたぶか』【一名、『かいめ』、又、『すきのさき』・『すきゑひ』、漢名、「閩書」の『犁頭鯊《リトウサ》』。】等なり。亦、東國にて鱶を採り、製するものは、『靑(あを)ざめ』・『目白(めじろ)ざめ』【『まめじろ』・『つまり』・『とがり』・『ひらかしら』・『へら』等の別あり。漢名、「寧波府志」の『白眼鯊《ハクガンサ》』。】、『ばげ』、『尾長(をなが)』、『尾羽毛(をぞけ)』、『星鮫(ほしざめ)』、『白鮫(しろざめ)』【漢名、「寧波府志」の『鮧鯊《イサ》』。】、『姥鮫(うばざめ)』、『四ツ目ざめ』、『いらぎ』、『かせざめ』、『みすざめ』、『しゆもくざめ』(漢名『閔書』の『雙馨戴』)、『ふしきり』等(とう)なり。

[やぶちゃん注:「鱶鰭」ウィキの「ふかひれ」に拠れば(注記号はカットした。下線・太字は私が附した)、『大型のサメ(鱶)のひれ(鰭)(主に尾びれや背びれ部分)を乾燥させた中華料理の食材。中国語では「魚翅」』(ユイチー:yúchì)『と言う』。『中国で』、『ふかひれが食べられだしたのは』、『明の時代と言われている。潮州料理など、中華料理の高級食材として利用される。ほぐれた状態のふかひれをスープや点心の具として使うほか、ヒレの形のまま煮込む料理などがある。ジンベエザメ』(軟骨魚綱テンジクザメ目ジンベエザメ科ジンベエザメ属ジンベエザメ Rhincodon typus )『、ウバザメ』(ネズミザメ目ウバザメ科ウバザメ属ウバザメ Cetorhinus maximus )『のものが最も高級とされ、アオザメ』(ネズミザメ目ネズミザメ科アオザメ属アオザメ Isurus oxyrinchus )『、イタチザメ』(メジロザメ目イタチザメ科イタチザメ属イタチザメ Galeocerdo cuvier )『などのものも高級である。一般的には、ヨシキリザメ』(メジロザメ目メジロザメ科ヨシキリザメ属ヨシキリザメ Prionace glauca )『のものが使用されることが多い』。『日本は世界有数のふかひれ生産国であり、江戸時代にはナマコ、アワビと共に中国(明、清)へ輸出されていたが、近年ではシンガポールやインドネシアの生産量の方が上回っている。日本では気仙沼の水揚げが最も多いが、この多くはマグロ延縄漁業の際に釣れたサメからとられたものである。日本の気仙沼産が有名で且つ高級品として扱われるのは、加工技術が優れているためと言われる』。以下、「乾燥品の製法」の項。『生のふかひれを茹でるか』、『鉄板で加熱してから、表面の鮫肌をブラシでこすり』、『取り除く。油脂分を落とし天日干しにして、乾燥品が完成する。皮付きのまま乾燥にした加工品もある』。以下、「調理法」の項。『調理する際は、乾燥したふかひれをまずネギやショウガとともに茹で、さらに蒸した上で皮を剥き、水にさらす。このように下処理をしてから上手に煮込むと』、『臭みが消え、軟骨魚特有の柔らかなゼラチン質の食感が楽しめる珍味となる。ふかひれ自体に』は『味は』、『ほとんどない』。以下、「種類」の項。『ふかひれは』、『形状と大きさにより』、『価格が大きく異なる。形状により』、『味が異なるわけではないが、一般的には元のヒレの形を保ったふかひれが高級品とされている。これは排翅』(パイチー:páichì:より狭義のフカヒレの姿、特にヒレの形をそのまま残した状態のフカヒレを指す中国語である。)『の入手が困難である理由と、形状が保たれている排翅の方が加工済みの魚翅より品質を見極めやすい理由による』。『散翅(サンチー, sǎnchì)』は『最初からバラバラにほぐれたヒレ。缶詰やレトルトパックでも販売されており、一番安価で手ごろに食べられる』。『魚翅(ユイチー, yúchì)』は『中国語でのふかひれの総称。または手のひら程度の小ぶりの物や、一本一本バラバラにほぐれた散翅を指すこともある。基本的にスープとして提供される。主に胸びれが使われる。排翅と比べると値段は安い』。『排翅(パイチー, páichì)』は『 扇のような形状を保った丸ごとの大ぶりなヒレ。基本的に姿煮として提供される。主に背びれと尾びれが使われる。大きさ・形・厚さで値段が大きく変わる』。『天九翅(ティェンジュウチー, tiānjiǔchì)』。『最高級品』で、『ジンベエザメとウバザメの背びれのみ』が『天九翅になる。一本ずつの繊維が』、『モヤシより太い。ジンベエザメとウバザメは捕獲と取引が国際的に規制されているため、天九翅は稀少である。特に形の良い天九翅は、しばしば』、『料理店の権威を表』わ『す店頭ディスプレイとして展示される』とある。以下、「人工ふかひれ」・「贅沢品としての規制」・「原材料となるサメを保護する動き」の項があるが、これは現代の問題であるので、各自で見られたい。

「鯊(ふか)」漢字は誤りではない。「鯊」は本邦では、通常、「はぜ」(=脊索動物門脊椎動物亜門条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科 Gobiidaeの類の総称)と読むことが一般的であるが、漢語としては、第二義で「さめ」(無論、和語)、或いは、「ふか」(=サメ類(軟骨魚綱板鰓亜綱 Elasmobranchii)の特に大きいものの俗称だが、「さめ」と同義としても用いるケースは多い。学術的な言い分けではない。その証拠に、以下の解説中に四~六メートルにもなるシュモクザメ(本邦には三種棲息する)が出ている)を指す。

『「水族志」に載する所、三十五種あり』私はブログ・カテゴリ『畔田翠山「水族志」』を作っている。その初回、『カテゴリ 畔田翠山「水族志」 創始 / (二四六) クラゲ 《リロード》』を見られたい。原文を活字化するのが、手作業であるため、この二年程、御無沙汰しているが、そろそろ再起動しないといけない、とは思っている。その底本の国立国会図書館デジタルコレクションの当該箇所は、ここの「○第六編 鯊魚類」の冒頭の「フカ」以下である。そこに同プロジェクトが進むのは、かなり先になるので、この際、必要な箇所を、概ね、電子化することとした。結果して、★有意に迂遠に長大な電子化注★となってしまった。何故か?

 実は――大きな問題が以下に横たわっているから――である!

河原田氏は以下に続く部分に於いて正に以上の「水族志」の記載にまるまる則って「ふか」の種の名前を列挙して異名及びその採取した地方・地名も――ソノマンマで全く以って無批判に引用している(全部ではない。また、凡そ鱶鰭にならない種まで含まれており、選択基準もワケワカランである!)――という驚天動地の事実

なのである! 仕方がない。以下、蜿蜒と各個撃破してゆくことにする。なお、畔田は、総論の後の、フカ類の各論の冒頭で、ズバり(右丁九行目)、

   *

㋑フカ 一名ムギハラザメ【勢州土師】イラザメ【熊野長島】アブラザメ【同上矢口浦九木浦】ツノコ【淡州都志浦】ツマリブカ【熊野】白(シロ)ブカ【大和本草】白蒲鯊【兩航雜錄寧波府志作白鯊】漳州府志ニ白鯊刮ㇾ皮翦作ㇾ鱠ト云即此也此魚五月麥稈ノ黃變時多ク出故ニ「ムギワラザメ[やぶちゃん注:「ワラ」はママ。以下同じ。]」と云勢州人敎善云「ムギワラザメ」ニヨウ[やぶちゃん注:ママ。「醉(よ)ふ」。]ト云者背骨ノ中心空虛ナル內ニ付着セリ故ニ諺ニ「サメ」ヲ食トモヨウヨヲ食[やぶちゃん注:「くふ」。]事ナカレト云此魚背骨管ノ如シ內ニ燈心ノ如キ軟白肉ヲ小竹枝ニテ突ヌキ去ベシ此ヲ食シレバ臭氣アリテ味不ㇾ美本草啓蒙[やぶちゃん注:小野蘭山の「本草綱目啓蒙」のこと。]曰長サ二三尺細沙アリ灰白色味尤美ナリ齒モ沙ノ如クメウガ介ニ似テ極テ細カナリ按[やぶちゃん注:「あんずるに」。]「フカ」ハ背ハ灰白色ニ乄淡紅色ヲ帶腹淡白色五六尺ニ及ブ者アリ大和本草曰白ブカ味尤美ナリ

   *

とあり、これは次の「メジロザメ」類、或いは、メジロザメを指していると考えてよい。

「めじろふか」軟骨魚綱メジロザメ(目白鮫)目メジロザメ科メジロザメ属Carcharhinusに属する十四種の総称で、特に名にし負う種は、メジロザメ(別名ヤジブカ:こちらを正式和名とする記載もあるが、「BISMaLが『メジロザメ/ヤジブカ』とするのに従った。後者の由来は、調べた限りでは、「親父鱶(おやじぶか)」の縮約のようである) Carcharhinus plumbeus 平凡社「世界大百科事典」の「メジロザメ(目白鮫)」を引く。『メジロザメ requiem sharkgrey shark』は『メジロザメ目メジロザメ科メジロザメ属の海産魚の総称。眼が白っぽい瞬膜(しゆんまく)におおわれることに由来した名称。メジロザメ属には100種以上の種の記載があるが,最近』、『整理されて30種が世界に分布することがわかった。日本産魚名リストによれば,日本近海にはハナザメ Carcharhinus brevipinna ,スミツキザメ C. dussumieri ,クロトガリザメ C. falciformis ,ヨゴレザメ C. longimanus ,ツマグロ C. melanopterus ,ヤジブカ(メジロザメ)C. plumbeus ,ホウライザメ C. sorrah など15種が分布する。このうち,クロトガリザメ,ヨゴレザメ,ヤジブカはほぼ全世界の暖海に生息し,ハナザメは東部太平洋以外の全世界の暖海に,スミツキザメ,ツマグロ,ホウライザメはインド太平洋域の暖海に分布する。大きさはスミツキザメが1m,ホウライザメが1.5mほどの小型種であるが,残りは23mになる』。『典型的なサメ型をしていて,瞬膜をもつこと,上顎歯』『の縁辺が』、『のこぎり状であるのが』、『特徴。クロトガリとヨゴレザメの2種は外洋性だが,他は沿岸性もしくは浅海性。卵黄の臥胎盤をもつ胎生で,ヤジブカの例では分鞄期は初夏,妊娠期間はほぼ1年。スミツキザメは2尾の胎児しかないが,他は平均56尾の胎児をもつ。マグロ』延縄『や底引網で漁獲され,肉は練製品の原料に,ひれは』、『ふかひれスープの材料となる』とある。

「めじろふか」既注のメジロザメの異名。

「伊勢にて『むぎはらさめ』」サイト「美味求真」の「第八章 魚類篇」の「鮫(さめ)」の「白鮫」に、『鮫の中で大きさが最も小さいものである。麦が熟する頃に漁獲が増えるのでムギワラザメという別名もある』とあった。さても、最小という謂いからには、これは「メジロザメ」の異名というのは、誤りであり、これは文字通りの、

メジロザメ目ドチザメ科ホシザメ属シロザメ Mustelus griseus

である。当該ウィキに拠れば(注記号はカットした)、『地方名はノウソ、マノクリ。全長1 m。日本を含め、アジア沿岸海域で普通に見られる比較的小型の底生性のサメである。肉や鰭は食用になる』。『北西太平洋の熱帯から温帯海域(北緯11度』から『40度)に分布する。北海道以南の日本各地および朝鮮半島、中国、台湾、ベトナムにかけて、東シナ海・南シナ海沿岸の海底付近に生息する。砂泥質の海底を好む。生息水深帯は、浅海から水深2,000mを超える深海まで』。『最大全長101cm。体型は細長い流線形。体色は背側が灰色から褐色、腹側は白色である。ホシザメ M. manazo によく似ているが、シロザメには体表に小白斑が見られないことで区別できる。歯の形状は敷石状』。『主に底生性の無脊椎動物を捕食するが、とくに甲殻類を好み、とりわけカニ類を主食としている。甲殻類では他にエビ類、ヤドカリ類、シャコ類などが餌生物として含まれ、甲殻類以外ではゴカイなどの多毛類の比率が高い』。『胎生。胎盤を形成し、胎仔は母親から直接栄養を供給されて育つ。妊娠期間は約10ヶ月で、雌は全長28-30cmの子どもを2-20尾』、『産む』。『延縄、刺し網、底引き網、定置網などで漁獲される。肉や鰭は食用として高値で取引される。肉は生食用や練り物原料になり、鰭はフカヒレに加工される』。『人には危害を加えない。飼育にも適しており、水族館などでよく展示される』とあった。

「紀伊長島」旧三重県北牟婁郡紀伊長島町(きいながしまちょう)で(旧町域はウィキの「紀伊長島町」地図を参照)、現在の三重県北牟婁郡紀北町(きほくちょう:グーグル・マップ・データ。以下、今まで通りで、無指示の場合は同じ)の長島地区である。「ひなたGIS」の戦前の地図で「長島町」が確認出来る。

「いらざめ」これもメジロザメではないと思われる。これは、

ネズミザメ目ネズミザメ科アオザメ(青鮫)属アオザメ Isurus oxyrinchus

であろう。何時もの「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの「地方名・市場名」に、『イラザメ』とある。但し、その地方名は『和歌山県辰ヶ浜』(文献よりとする。この附近)で、長島町は、紀伊半島の東の対称位置で大きな隔たりがあるものの、個人的には、そこでも、同種を指しているものと私は判断する。「イラザメ」の語源は不詳。万一、旧紀伊長島町でシロザメの異名とするということを知っておられる方は、お教え戴きたい。

「同國九木浦」戦国時代の九鬼水軍で知られる尾鷲市九鬼(くき)町九鬼湾の、ほぼ中央北岸に位置する。ここ

「あぶらざめ」アオザメの異名としては、確認出来ない。「あぶらざめ」と呼称されるものに、ツノザメ上目ツノザメ目ツノザメ科ツノザメ属アブラツノザメ Squalus suckleyi がいるが、同種は太平洋側では相模湾以北にしか棲息しないので、違う。

「つのこ」アオザメの異名としては、確認出来ない。これは、単純に考えると、「ツノザメの子」と読め、ツノザメ目 Squaliformesツノザメ科 Squalidae のツノザメ類は二属三十二種がいるが、本邦で知られる種は、

ツノザメ属アブラツノザメ Squalus suckleyi

が、最も知られる種ではある。しかも、前の異名「あぶらざめ」とも親和性がある。当該ウィキに拠れば(下線・太字は私が附した)、『サメ類のなかでは美味な種の一つとして、食用とされて』おり、日本では』、『東北を中心にムキサメと呼んで切り身が販売され、煮付けや照り焼き、フライや唐揚げなどにも使われるほか、頭や卵など多くの部位が食用となる。魚肉練り製品原料や安価なフカヒレとしても利用される。 青森県の津軽地方には、煮込んだ頭からほぐした肉と軟骨を、大根おろしや味噌で和える「すくめ」という郷土料理がある』。『和名が示すように魚油が多く得られ、大正期から戦後にかけて肝油の原料とされた。1950年頃まで国際的にビタミンAの原料として漁獲量が急増したが、合成技術の発達により10年ほどで急減した。 現在は軟骨エキスなどサプリメントや化粧品の原料として需要がある』。『初期は魚粕肥料としての需要が中心で、現在はペットフードや観賞魚用の餌、魚粉の材料としても用いられている』。『本種は丈夫な種である為、水族館や実験施設などでも飼育され、教育用の解剖素材にも利用される』とあるのだが、以上の記載から推定出来るように、棲息域は『日本海以北、太平洋側では相模湾以北。ベーリング海』「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの「生息域」より引用)であり、』『淡路』島周辺には棲息しないから、畔田の言うのは、本種ではない。ただ、「つのこ」を「角(つの)の魚(こ)」と解釈すると、頭部先端が「尖(とん)がる魚」の意にも採れ、そうすると、アオザメの異名としては、しっくりくるようには思われは、する。

「紀伊熊野」アオザメがいても、問題はない。

「つまりぶか」現行のアオザメは勿論、サメ類の異名としては、確認出来ない。

「雨航雜錄」明代後期の文人馮時可(ひょうじか)が撰した雑文集。魚類の漢名典拠としてよく用いられる。四庫全書に含まれている。

「漳州府志」原型は、明代の文人で、福建省漳州府龍渓県(現在の福建省竜海市)出身の張燮(ちょうしょう 一五七四年~一六四〇年)が著したものであるが、その後、各時代に改稿され、ここのそれは、清の乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌を指すものと思われる。

「ほしざめ」これは、

メジロザメ目ドチザメ科ホシザメ(星鮫)属ホシザメ Mustelus manazo

である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページに拠れば、和名は『白い星状の斑文が目立つため』とある。

「かすごろう」ママ注記は「ごろう」は「五郞」であろうと踏んだからだが、「水族志」で確認したところ、畔田は、ちゃんと『カスゴラウ』としていたので(ここの左丁の六行目)、河原田氏の誤記である。ホシザメの面付きは、侠客のような鋭さであるから、しっくりくるネーミングではある。白い斑紋点が散らばる(「滓(かす)」)のと、親和性はある異名として納得は出来るが、この異名は確認出来なかった。しかも、次の注を見よ。

「『くろぼし』【一名、『ほしざめ』。】」こっちが、正統なホシザメということになるのだが、そもそも、この「くろぼし」はホシザメの異名としては、矛盾がひどい。そこで、「水族志」の当該部を見ると(左の「二百五」ページの後ろから七~八行目)、

   *

㋩黑(クロ)ボシ 一名ホシサカ【本草啓蒙 水戶】啓蒙自身ニ黑星アル者ヲホシサカト云

   *

であり、河原田の引用間違いで、「ほしさか」とすべきであることが判明する。

「『ちからざめ』【一名、『ほうずぶか』。】)」ワケワカラン! 再び、「水族志」を引く(ここの左丁九行目)。

   *

㊁チカラブカ【紀州】一名ボウズブカ[やぶちゃん注:ママ。]形狀フカニ同乄[やぶちゃん注:「おなじくして」。]背橫ニ淡黑色ノ條斑アリ斑內ニ黑星㸃アリ味フカニ劣ル一種

   *

「しろぶか」「水族志」には(ここの、左ページ後ろから四行目以降)

   *

㋭シロブカ【有同名】大者アリ身白色ニ乄背淡黑色ヲ帶眼後ヨリ脇ニ至リ淡黑色ノ條アリ半[やぶちゃん注:「なかば」。]ニテ薄ク尾本至テ淡黑條アリ遍身ニ白沙アリ眼中藍色腹下翅白色淡黑ヲ帶尾此レ物理小識ニ載ル白皮ナリ

   *

とある。これは、「尾が白い」というのは不審だが、

ネズミザメ上目メジロザメ目ドチザメ科ホシザメ属シロザメ Mustelus griseus

としてよいだろう。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見ると、『1.1m FL』(fork lengthの略号。「尾叉長(びさちょう)」・「尾叉体長」と言う。魚の吻部の前端から、尾鰭の湾入部までの直線距離を指す。)『前後になる。細長く紡錘形。体表に斑文がない。臀鰭は第2背鰭起部よりも後ろにある。眼に瞬膜(しゅんまく』/『まぶた)がある。両顎の歯はトゲトゲしない。口角のそばにある唇褶は内と外が同じ長さ。』とあり、「由来・語源」には、『体色が白いわけでもないので不明』とし、『〈是に(ホシザメ』(ホシザメ科ホシザメ属シロザメ Mustelus griseus )『に)頗る近いものに東京でアカボシ、高知でコシナガと云うのがある。是はGaleorhinus griseus (Pietschmann)〉であるが、類似の別種か同一種か不明で即ち疑問種の好資料である。是では全く白點がなく……。〉『図説有用魚類千種 正続』(田中茂穂・阿部宗明 森北出版 1955年、1957年)』とあり、『明治時代から1938年以前にホシザメは種として確認されていたが、シロザメは種として確認されていなかった。』とある。畔田の先見性が、見て取れる。

「『めじろぶか』【一名、『まいらぎ』、又、『だれ』といふ。漢名、『白眼鯊《ハクガンサ》』。】」「水族志」には(ここの、左ページ最後の一字から、次のコマにかけて)

   *

㋬メジロブカ 一名マイラギ【紀州田邊】白目鯊 啓蒙[やぶちゃん注:「本草綱目啓蒙」。]曰「メジロブカ」形狀「シロブカ」ニ似テ齒微ク[やぶちゃん注:「すこしく」。]粗ク尖レリ鬣ニ刺ナク沙細ナリ[やぶちゃん注:「こまかなり」。]

   *

とある。小学館「日本大百科全書」の「メジロザメ」の終わりに、『メジロザメ属は第1背びれが大きく、その高さが第2背びれの2倍以上あること、第2背びれが臀(しり)びれの下か、それより前から始まること、尾柄側面にキール(隆起線)がないことなどが特徴で、35種ほどが知られている。日本近海からはヤジブカ(メジロザメ)のほかに、ヨゴレ、オオメジロザメC. leucas 、クロヘリメジロザメ C. brachyurus など13種が知られている』とあったから、その中の一種であろう。なお、高知県高知市の「桂浜水族館 公式」ブログの「261 (再)大敷網漁の魚達⑮マイラ」で、アオザメの異名として「マイラ」があることが記されてあるものの、冒頭で、『アオザメがなぜマイラと呼ばれているかはわからない』と述べてある。しかし、畔田の語りは、アオザメとは思われない。

「『つのじ』【一名、『つの』、又、『はりさめ』・『つのさめ』。漢名「寧波府志」の『剌鯊《シサ》』。】」]「水族志」には(ここの右ページ二行目から)、

   *

㋣ツノジ 一名ツノ【大和本草四國】ハリサカ【本草啓蒙水戶】ツノサメ【八丈島物產記】刺鯊 大和本草曰「ツノジ」「フカ」の類ナリ北土及び因幡、丹後ノ海ニアリ其皮鮫ノ如クシテ灰色長三四尺アリ筑紫ニテ「モダマ」ト云魚ニ似タリ肉ニ似タリ肉ニ脂多シ味ヨカラズ賤民ハ食フ其肝大也肝ニ油多シ北國ニハ之ヲ燈油トス西國ニテ「ツノ」ト云モ同物ナルヘシ背ニ刀ノ如ナルヒレアリ又曰「ツノジ」ハ「モタマ」ニ似タリ只背スヂニ角ノ如ナル物二三アリ是「モダマ」ニカハレリ本草啓蒙曰形「メジロフカ」ニ同ク乄鰭ゴトニ一刺アリ是「モダマ」ニカハレリ本草啓蒙曰形「メイジロフカ」ニ同ク乄鰭ゴトニ一刺アリ沙最細ク灰色ナリ淡乾スル者九萬疋【同名アリ】ト云京師ニテハ上巳ノ節物[やぶちゃん注:「せつもの」。季節物(きせつもの)。]トス八𠀋島物產記曰「ヲノザメ」背ニ角ノ如キモノアリ臭氣深シ長三尺餘膽ヲ煎テ[やぶちゃん注:「いりて」。]油ヲ取[やぶちゃん注:「とる」。]ニ六七合アリ

   *

とある。これに就いては、「大和本草附錄巻之二 魚類 フカノ類 (サメ類)」(二〇二一年四月十八日投稿)の注で(種を示す部分を改行した)、

   *

「つのじ」「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」に、『○「つのじ」。「ふか」類なり。北土及び因幡・丹後の海にあり。其の皮、鮫のごとくにして、灰色。長さ三、四尺あり。筑紫にて「もだま」と云ふ魚に似たり。肝に、脂、多し。味よからず。賎民は食ふ。其の肝、大なり。肝に、油。多し。北土には是れを以つて燈油とす。西土にて「つの」と云ふも同物なるべし。背に刀のごとくなるひれあり』とあり、また、「大和本草卷之十三 魚之下 鱧魚(れいぎよ)・海鰻(はも) (ハモ・ウツボ他/誤認同定多数含む)」には、『或いは曰く、『丹後の海に「つのじ」と云ふ魚あり。これ、鱧なるべし』と云ふ〔も〕非なり。「つのじ」は「ふか」の類〔にして〕皮に「さめ」あり。筑紫にて「もだま」と云ふ魚に能く相ひ似たり。鱧とは別なり』と記している。それらでさんざん考証したが、

「ツノジ」はメジロザメ目ドチザメ科ホシザメ属ホシザメ Mustelus manazo 

或いは、

ホシザメ属シロザメ Mustelus griseus の異名

としてもあるのであるが、それ以上に実は、「サメ」とは遠い昔に分かれてしまった、現行の生物学上は狭義の「サメ」ではない、

軟骨魚綱全頭亜綱ギンザメ目ギンザメ上科ギンザメ科ギンザメ属ギギンザメ類(軟骨魚綱全頭亜綱ギンザメ目 Chimaeriformes

或いは、

代表種ギンザメ目ギンザメ上科ギンザメ科ギンザメ属ギンザメ Chimaera phantasma )の異名

として、現在も広汎に見られる呼称である。私の『栗本丹洲 魚譜 異魚「ツノジ」の類 (ギンザメ或いはニジギンザメ)』(丹洲の同「魚譜」には六図に及ぶギンザメ類が描かれている。私のカテゴリ「栗本丹洲」を参照)や、『博物学古記録翻刻訳注 ■17 「蒹葭堂雑録」に表われたるギンザメの記載』を見られたい。ここで益軒が言っている「背すぢに、角のごとくなる物、二、三あり」というのはギンザメの様態記載として肯ずるものである(多くの種で第一背鰭が独立して一棘を成し(強くはないが有毒腺を持つ)、その背後の背鰭が高く突き出る)。ところが、それでは、実は決着しない。益軒の呼称と比定種には、彼自身の中で激しい混乱があって、彼の『「もだま」に似たり』という謂いもそれに拍車をかける。私は「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」で、この「もだま」は当初、

メジロザメ目ドチザメ科ホシザメ属ホシザメ Mustelus manazo

と断定した(それに至るまでの考証では「1」から「5」までの候補とその理由を挙げたので見られたい)。ところが、他の益軒に記すそれらの属性を並べてみると、これが、ホシザメでもギンザメでもない感じがあるのである。而して私の結論としては、益軒が――「つのじ」や、それが似ている「もだま」――と言う場合、彼は実は、エイのように平たい、

軟骨魚綱板鰓亜綱カスザメ目カスザメ科カスザメ属カスザメ Squatina japonica

或いは、その近縁種の、

カスザメ属コロザメSquatina nebulosa

の類を念頭に置いていたように考えられるのである。

   *

と述べた。以上の注は、相応に、ここで、参考になるだろうと思う。

『「つのじ」【一名、『つの』、又、『はりさめ』・『つのさめ』。漢名「寧波府志」の「剌鯊《シサ》)。】、曰く、『ぎんさめ』【一名、『ぎんぶか』、又、『はたざめ』・『つのじ』ともいふ。「福州府志」の『劍鯊《ケンサ》』。】」これも、前の注を参照されたい。一応、「水族志」も引いておく(ここの右丁の後ろから二行目から、次のコマまで)。

   *

㋠銀(ギン)ザメ【日東魚譜】一名ギンブカ【紀州若山】ハタザメ【本草啓蒙】ツノジ【食療正要啓蒙曰几上ニ置クトキ[やぶちゃん注:原文は約物の「トキ点」。]ハ草書つノ字ノ影ノ如シ故ニツノジト名ク刺鯊ノツノジト異ナリ】劔鯊 福州府志曰劔鯊尾長似ㇾ劔閩書曰有劔尾長似ㇾ劔可以斃曰東魚譜曰「ギンザメ」皮無ㇾ沙其色如ㇾ銀味佳美而無二臭氣一本草啓蒙曰沙ナクシテ色白シ光アリテ銀箔ノ如シ背鰭ニ長キ鋸齒アリ尾ハ漸ク細長ニ乄絲ノ如シ帶魚(タチノヲ)[やぶちゃん注:条鰭綱サバ目タチウオ科タチウオ属タチウオ Trichiurus lepturus のこと。後に「ノ」が欲しい。]尾ニ似タリ按[やぶちゃん注:「あんずるに」。]「銀ブカ」[やぶちゃん注:これは、以上と以下の記載から、ギンザメ Chimaera phantasma に間違いない。]ハ形狀「フカ」ニ同[やぶちゃん注:「おなじく」。]乄頭背尾上ニ至リ銀色ヲ帶[やぶちゃん注:「おび」。]腹白色皮上沙ナシ鼻圓ク尖出乄[やぶちゃん注:「とつしゆつして」。]世俗ニ云天狗鼻ノ短カ[やぶちゃん注:「短キガ」の誤記か。]如シ鼻上淡黑色ニ乄下白色透明柔軟鼻骨ナシ鼻ヨリ口腮ニ至ル迄淡白色ニ淡紅ヲ帶口頷下ニアリ唇厚ク上唇麁[やぶちゃん注:「あらい」。]皮アリテ板牙[やぶちゃん注:「ばんが」。ギンザメの歯は、互いに癒合して歯板状になっており、上顎に二対、下顎に一対ある。]也口ノ上ニ長圓ナル鼻穴アリ眼大ニ乄白色瞳黑シ頭頂大ニ乄「ホウボウ」ノ頭ニ似タリ身ノ半[やぶちゃん注:「なかば」。]ヨリ下ハ鯰魚ニ似タリ尾長ク細ク末尖テ[やぶちゃん注:「とがりて」。]帶魚尾ノ如シ背ノ下鬣[やぶちゃん注:「したびれ」。]淡黑色ニ乄端微黑色ニ乄端微黑色尾ニ連レリ腰下鰭淡黑色ニ乄淡紅ヲ帶外黑色ヲ帶刺ノ背上ノ方左右ニ並ヒ鋸齒アリ刺ノ次ニ續キ短鬣アルヿ[やぶちゃん注:「こと」。]「フカ」ノ如シ色淡黑脇翅大ニ乄本ヨリ端ニ至リ肉アリテ端薄キヿ「フカ」ノ翅ノ如シ色淡黑ニ乄本ニ淡紅色ヲ帶腰下ニ又短鬣一ツアリテ淡黑色其鬣ノ下ニ足アリ鳥足ノ如シ脚肉色ニ乄末ハ骨ノ如シ紅白色長サ五七寸趾ニ至リ三叉ヲナシ各一指骨アリテ末尖リ左右肉紅色ノ砂アル皮附テ[やぶちゃん注:「つきて」。]鷄冠ノ色薄カ[やぶちゃん注:「ガ」。]如シ兩脚ノ間ニ鋸齒ノ如キ刺アリ按ニ山堂肆考ノ有劔鯊觜如ㇾ劔對排牙棘人不敢近ト云者ハ鋸鯊ニ乄「ノコギリブカ」[やぶちゃん注:これは、ノコギリザメ目ノコギリザメ科Pristiophoridaeのノコギリザメ類(タイプ種:ミナミノコギリザメ Pristiophorus cirratus を指す。なお、ギンザメのは、当該ウィキに拠れば、『背鰭前縁に1本の毒腺のある棘をもつ。刺されると痛むが、人に対する毒性は弱い。』とある。]也

   *

「『てんぐふか』【一名、『てんぐさめ』、又、『はたざめ』といふ。】」「水族志」には(ここの右ページ五行目から)、

   *

㋷天狗(テング)ザメ一名天狗(テング)ブカ【熊野】本草啓蒙曰ハクザメ此一種淡褐色ナルモノヲ「テングザメ」ト云

   *

まず、平凡社「世界大百科事典」の「ウバザメ(姥鮫)」を引く(太字は私が附した)。ネズミザメ目 ウバザメ科ウバザメ属『ウバザメ Cetorhinus maximus 』『ネズミザメ目ウバザメ科の海産魚』。『歯が小さく一見したところ歯がないように見え,また長い鰓孔(えらあな)がしわのように見えるので,おばあさんの意味の姥(うば)からこの名が生じた。愚鈍に見えるのでバカザメ,幼時には鼻先がとがるのでテングザメともいう。英名は basking shark(ひなたぼっこをするサメの意)。世界に111種で,全世界の寒海部に多く,日本近海では春先に沿岸域に出現する。体が大きく,のどから背中までのびる鰓孔をもつのが特徴。全長12mに達する。人間には危害を加えない。おもに表層域で生活し,大口を開けて時速4kmほどのスピードで泳ぎながら,密生した鰓耙(さいは)で動物プランクトンや小魚をこし取って食べる。歯は円錐形で細かく,ほとんどかむ機能はない。冬には鰓耙は抜け落ちて深海底で冬眠するといわれる。卵胎生。肉はほとんど利用されないが,肝臓中に含まれるスクアレンは化粧品などの原料になるので漁業の対象となる。』とある。画像は、学名でグーグル画像検索したものをリンクさせておく。当該ウィキは解説は、非常に詳しいのだが、画像が全体像写真がなく、良くないからである。一部を引用すると(太字は同前)、『歴史的に泳ぎの遅さ、非攻撃的な性質、そして以前は豊富な個体数のために、漁業の主要産物であった。商業的にさまざまな形で利用され、肉は食品や魚粉に、皮膚は皮革に、スクアレン成分の含有量が高い肝臓は油に用いられた』。『アイスランドでは、肉を発酵させたものをハウカットルと呼んで珍重しており、サメ独特のアンモニア臭が特徴である。現在では、主に鰭(ふかひれ)を取るために捕獲されている。体の一部(軟骨など)は伝統中国医学の薬や、日本では媚薬としても用いられている。』とあった。実は、私は当初、大きく突出した扁平な吻(頭部先端の尖った部分)が特徴である、ネズミザメ目ミツクリザメ科ミツクリザメ属ミツクリザメ Mitsukurina owstoni を候補の一つに考えていた。それは、例えば、当該ウィキで、同種は『英語では Goblin shark と呼ばれているが、これは本種の別名、テングザメの翻訳である』とあったことにも拠る。しかし、『世界各地から報告があるが、出現はまれ。これまでの報告はほとんどが日本からのもので』、『とくに駿河湾や相模湾など水深が1,000 m以上になる深海湾でよくみられる』とあるばかりで、およそ「ふかひれ」の対象になりそうもないなぁ、と思った。小学館「日本大百科全書」の『ミツクリザメ』『みつくりざめ/箕作鮫』には、『軟骨魚綱ネズミザメ目』(Lamnidae)『の科や属の総称、またはその1種の名称。ミツクリザメ科Mitsukurinidaeはミツクリザメ属MitsukurinaのミツクリザメM. owstoni 11種からなる。ミツクリザメ(英名goblin shark)は柔らかい体、扁平』『な長い吻』、『非常に突出しやすい口、釘』『状の鋭い歯などをもつのが特徴である。ミツクリザメは横浜沖の深海で捕獲された個体に基づいて、アメリカの魚類学者ジョーダンDavid Starr Jordan18511931)により、1898年(明治31)に新科新属新種として発表された。その科名と属名は本種の報告に貢献した東京大学の動物学者であった箕作佳吉(かきち)に、種名は発見者のイギリス人オーストンAlan Owston18531915)に捧げられたものである。最初は日本特産のサメと考えられていたが、深海調査が進むにつれて世界各地に分布することが明らかになった。日本では東京湾、相模湾』『や駿河湾』『などから採集されている。』とし、『ミツクリザメは深海性で、水深1300メートルくらいまでの大陸斜面に生息し、魚類やイカ・タコ類などを食べる。餌』『が少ない深海域にすみ、遊泳力が弱いため、餌を追いかけてとらえるよりは、静かに獲物に近づき、上下両顎(りょうがく)を一瞬で大きく前方に押し出して、油断している獲物をつかまえるという効率的な摂餌』『方法を獲得した、と考えられている。生殖方法は不明であるが、ネズミザメ目に属することから、食卵型の胎生であると考えられる。全長6メートルほどになる。学問的には貴重なサメであるが』(☞)『産業的には価値がない。水族館で飼育が試みられているが、現状では長期飼育はむずかしい。国際自然保護連合(IUCN)のレッド・リストでは、低懸念(LC)とされている(20219月時点)。』とあったので、退場して頂くこととした。因みに、一九七一年に公開された「ガメラ対深海怪獣ジグラ」を見た時、ビキニ姿の海女さんなんぞより、ジグラの造形を見て、「こりゃ、ミツクリザメだがね!」と歓喜したのを覚えている。

「『はたざめ』【一名、『てんかひざめ』。漢名、「黑鯊《コクサ》」。】」「水族志」は(ここの七行目以降)、

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㋦ハタザメ【日東魚譜】一名テムカイザメ【同上】黑魦[やぶちゃん注:「魦」は「鯊」の異体字。] 本草啓蒙曰形佛幡[やぶちゃん注:「ぶつばん」。仏教の荘厳具(しょうごんぐ)の一種。現行では、木製の物も多いが、本来的には布製の旗で、寺門の外に飾ったり、室内に掛けたりする。]ニ似タリ褐色味美ニ乄臭氣ナシ生食モ亦佳ナリ此皮物ヲ鎊[やぶちゃん注:「けづり」と訓じているか。]スルニ上トス他[やぶちゃん注:「ほか」。]沙ニ勝レリ按[やぶちゃん注:「あんずるに」。]「ハタザメ」ハ形狀「フカ」ニ似テ扁ク頭ノ下左右ヘ長ク出ツ[やぶちゃん注:「ヅ」。]「ハクラヱイ」ノ如シ其下ニ小ナル出タル者アリ皆翅也尾ハ長ク乄「フカ」ノ如シ末ニテ扁シ總身淡黑色ニ乄靑ヲ帶沙ハ褐色ニ乄細シ腹白色

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二つの名で検索しても見当たらないので、使いたくないが、AIを見ると、二種のシュモクザメを挙げていた。確かに、『頭ノ下左右ヘ長ク出ツ』は、しっくりくる。

メジロザメ目シュモクザメ(撞木鮫)科 Sphyrnidaeシュモクザメ属ヒラシュモクザメ Sphyrna mokarran

シュモクザメ属アカシュモクザメ Sphyrna lewini

である。ウィキの「ヒラシュモクザメ」「アカシュモクザメ」を見られたい。孰れも、鱶鰭にする、と書かれてある。

「『こつうを』【一名『さがぼり』。漢名、『燕尾鯊《エンビサ》』。】」「水族志」を引いておく(ここの右丁の後ろから三行目から)。

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㋸コツウヲ【本草啓蒙備後鞆[やぶちゃん注:「鞆の浦」のこと。]】一名サガボウ【同上羽州山形】燕尾鯊 本草啓蒙曰全身釘の形ニ似タリ沙アリテ皂[やぶちゃん注:「黒」に同じ。]白色口頷下ニアリ四五尺ヨリ二丈餘ニ至ル形燕尾ノ如シ

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Decodecochibita氏のブログ「釣り人語源考」の「サメとコチ(後編)」に、諸本を検証された上で、『『日本魚名集覧』(1958年 渋沢)の「エドアブラザメ」の項で「備後鞆ではこれを”コツウヲ”と呼ぶ」と記している』。『エドアブラザメは深海のサメで食用ではない』。『たぶん』、『間違えてアブラツノザメのことだろうと思われるが、もちろん瀬戸内海では冷水を好むアブラツノザメは生息しない』。『備後ではアブラツノザメは食べないし』、『そのような地方名は存在しない』。『渋沢は』、『たぶん『本草綱目啓蒙』(享和3 1803年 小野蘭山)の記述を引用していて、「備後鞆浦に”許都宇乎コツウオ”あり。是は”許都宇コツウ”のことで色は黒と白、口はアゴの下にあり、長さは小さきものは四五寸、大きなものは二丈余り。尾は燕尾のごとし。是は”燕尾鯊”に当たるものであろう。」と記述しているのを参照し、さらに『本草薬名備考和訓鈔』(文化4 1807年 錦小路嶧山)の「燕尾鯊は俗に”左賀菩宇さがぼう”とよぶものなり。」を見たのであろう』。『「さがぼう」は福島県・栃木県の山間部でのアブラツノザメの呼び名で、むき身の状態で産地の青森県や宮城県から送られてくる』。『「燕尾鯊」はオナガザメやニタリのことだろう』。『「こつう」というサメはよく分からないが、アオザメの地方名に「カツザメ・カツオザメ」があり』、『少し似ている。』と推定しておられる。ただ、最後で、『古文書の記述をよく考えると、とても古い時代ではコチを「さめ(狭目)」と呼んでいたのではないだろうか』。『あの「ハートや樹木型の眼」こそコチ類の見分け方、かつ「食べては目が悪くなる」言い伝えの根拠なのだ』。『コチの腹の皮はフラットフィッシュであるので海底との接触に非常に強く頑丈だ』。『こちらのコチの方が本家本元の「狭目皮さめがわ」として日用品の魚皮として革製品に利用されたのではないか』。『かなりややこしい話ではあるが…』『律令制が徐々に整う奈良時代、「ふか」と呼ばれた軟骨魚類が徐々に「さめ」という呼称に置き換わってきた』。『そのため』、『元々「さめ」と呼ばれ、食べると目が悪くなるとされた魚を、都の役人が「笏コツに似ているから”コツ”(許都)」と改名し、全国共通として皮を税とし納めさせた』。『それが平安時代を過ぎると、すでに謂れが分からなくなってしまったというわけだ』。『古文書にはサメの記述に「コチに似て・・・」とよく出てきて、底生のサメとコチを同類のように扱っているような印象がある。』という見解も添えておられる(但し、畔田が「コチ」を「フカ」と勘違いする可能性は、まず、ない、と私は考えるので、この考証はしない)。

 さて、まず、「さがぼう」=アブラツノザメは既注であるが、気になるのは、『福島県・栃木県の山間部での呼び名で、むき身の状態で産地の青森県や宮城県から送られてくる』というのが、気になる。既に述べた通り、同種は、太平洋側では相模湾以北とされるからである。「水族志」の記載は、紀伊半島周縁であるである。これは保留する。

 次に、『「燕尾鯊」はオナガザメやニタリのことだろう』であるが、まず、前者は、

ネズミザメ目オナガザメ科オナガザメ属マオナガ(真尾長/オナガザメ) Alopias vulpinus

である。BISMaLの同種の和名は、マオナガのみである。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページも「マオナガ」で、「代表的な呼び名」の項で「オナガザメ」とする。冒頭の解説では、『6m前後 TL 前後になる。細長く胸鰭上方に白色域がある。背鰭は2基。尾鰭上葉が非常に長い。瞬膜がない。』とあり、「由来・語源」で、『模式標本のオナガザメであるためだと思われる。それで「真」をつけた。』とある。「生息域」は『沿岸および外洋の表層付近〜水深650m。若い個体はよく内湾の浅いところに姿を見せる』とされ、『北海道の日本海、能登沖、北海道の太平洋沿岸、福島県以南の黒潮域沿岸、九州沿岸』で、『日本海には少ない。』とある。但し、『一般に練り製品などに加工される』とし、『また和歌山県、三重県などでは「一塩いらぎ(干もの)」になる。』とあるだけで、鱶鰭にする記載はない。しかし、当該ウィキに拠れば、鰭を利用する、とある。問題ないので、私は、マオナガに比定する。

「『かつたひざめ』、曰く、『うばざめ』【一名、『うはぶか』、又、『うさめ』】」「水族志」は以下(ここの右ページ最終行から)。

   *

㋾カツタイザメ 日東魚譜曰「カツタイザメ」赤褐色有二斑文一如ㇾ癬[やぶちゃん注:音「セン」で、訓は「たむし/ひぜん」。皮膚病の一種。]味佳也本草啓蒙曰カツタイザメ虎頭鯊ニ似テ口邊ニ小肉贅アリテ醜シ軆灰赤色ニ乄微黑ヲ帶斑アリテ癩癬ニ似タリ味佳ナリ魚鑑曰「カツタイザメ」色灰黑ニタムシノコトキ斑アリ口吻(ワキ[やぶちゃん注:読みは「吻」のみにある。])ニ瘤アリ

   *

もう、ご覧の通り、これは、ハンセン病の差別用語であった「かったい」を用いた、今はあり得ない差別和名である。しかし、以上の記載から、「カツタイザメ」は古い名であり、標準和名として生きていたものと推定された。調べたところ、国立国会図書館デジタルコレクションで掛かってきた。「箕作博士の著作」(五島淸太郞・『東京動物學會』(明治四三(一九一〇)年二月発行・PDF)箕作佳吉博士の「新年の初夢」(現資料の「六一」ページ下段中央)を引用されてあり、そこで箕作博士御自身の直接話法の中に、この「カツタイザメ」が出現している。かの博士が、標準和名でないものを使うことは考えられないから、まず、これは、当時、標準和名であったと断じて良いだろう。

 さて、これは現在の如何なる種か? 以上の畔田の記載から類推するに、私は、

ツノザメ上目カスザメ(糟鮫)目カスザメ科カスザメ属カスザメ Squatina japonica

ではないか? と推定する。誤りとならば、御教授願いたい。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページと、当該ウィキを、リンクさせておく。

「いつちやう」「水族志」は以下(ここの左ページ七行目から)。

   *

㋕イツチヤウ一丁【大和本草】イテウザメ【魚鏡】大和本草曰一キヤウト云「フカ」アリ口廣クシテ人ヲ喰フ甚タケクシテ物ヲムサボル

   *

これは、既に、「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」で以下のように考証している。

   *

「一(いつ)ちやう」これは当初「一(いつ)ちまう」かと思ったものの(他の部分の表記と比較しても「ヤ」のそれではない)「東洋文庫」の「本草食鑑」の注で『一(イツ)チャウ』と翻刻しているので、それに従った)。しかし「イッチョウ」(「一丁」?)でも或いは「イッチモウ」(漢字表記想定出来ず)でもある種のサメの異名としては全く掛かってこない。一つの鍵は「口」が「廣く」、「人を喰」らい、非常に獰猛で、摂餌対象を残酷に貪(むさぼ)るという点である。世界に棲息するサメのうちで「人食いザメ」、人を積極的に襲い捕食することが確実とされている種は、実は三種しかいない。まず、スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)監督の“Jaws”(1975年・アメリカ)で知られる、

ネズミザメ目ネズミザメ科ホホ(ホオ)ジロザメ属ホホ(ホオ)ジロザメ Carcharodon carcharias

それと同様に危険度が高い以下の二種、

メジロザメ目メジロザメ科イタチザメ属イタチザメ Galeocerdo cuvier

メジロザメ目メジロザメ科メジロザメ属オオメジロザメ Carcharhinus leucas

である。但し、本邦に限ると、亜熱帯から亜寒帯まで世界中の海に広く分布するホホジロザメを除くと、その分布はオオメジロザメは南西諸島に限られ、イタチザメも概ね九州以南である。ただ、昔から本邦では、“Hammerhead shark”の英名で知られる、メジロザメ目シュモクザメ(撞木鮫)科 Sphyrnidae のシュモクザメ類(世界で二属九種。本邦で見られるのはシュモクザメ属 Sphyrna の三種ほど)が人を襲うと信じられている向きがある。一九八二年八月に熊本県天草郡大矢野町沖の羽干島(グーグル・マップ・データ)近くで十三歳の女子中学生が襲われて死亡したケース(三人の子をヨットの船尾に結んだロープに繋いで曳航して遊ばせていた際の事故という少し特殊な状況下での不幸であった)では、シュモクザメが疑われているが、確定されてはおらず、シュモクザメが人を襲った事例は殆んど見当たらない。襲うシーンが出る小説を知っているが、寧ろ、シュモクザメの奇体な頭部が、凶悪な印象を生んでいるだけのように私には思われてならない。ダイバーなどが襲われたケースも私は知らない。但し、シュモクザメはサメとしては珍しく、群れを成して行動し、時にその数は数百匹のレベルに及ぶこともある。それらが大型個体であった場合、そのインパクトは絶大で、熟練したダイバーでも慄っとしたという証言を聴いたことはある。幾つかの記載に、人間にとっては潜在的に危険、と記すものが見られることは事実ではある。ただ、シュモクザメは以下の「かせぶか」がその別名であることからも、この同定候補にはなり得ない。従って、福岡在の益軒を考えると、この謎の「一(いつ)ちまう」はホホジロザメかイタチザメが同定候補となる。勘でしかないないが、冒頭に出ること、わけの判らぬ乍ら、名前が如何にも大きそうな雰囲気があることから、平均体長が四~四・八メートルにもなる最大最強にして凶悪のホホジロザメとする方がいい気がする

   *

「『しゆもくぶか』【一名、『しもくざめ』、又、『かぜふかいてうさめ』。漢名は「閩書《びんしよ》」の『雙髻鯊《サウキツサ》』。】」「水族志」は以下(ここの左ページ後ろから六行目から)。

   *

㋵シモクブカ 一名シモクザメ【日東魚譜】カセブカ【大和本草】イテウザメ【魚鏡】雙䯻[やぶちゃん注:この漢字は中国のサイトでも意味不明とする。]鯊 大和本草曰 「カセブカ」其首橫ニホロシ甚大ナルアリ又曰「カセブカ」其橫ハ縱ニ比スレハ少短シ橫ノ兩端ニ目アリ本草啓蒙曰撞木(シユモク)ノ形ノ如ク橫首杖(カセヅヘ[やぶちゃん注:ママ。])ノ頭ニ似タリ魚鏡曰「イテウザメ」頭鴨脚葉[やぶちゃん注:「あうきやくやふ」。イチョウの葉を指す中国語由来の語。因みに、「大辞泉」に拠れば、『本邦の「いちやう(いちょう)」は、江戸時代以来、語源を「一葉」と考え、歴史的仮名遣いを「いてふ」としてきたが、「鴨脚」の宋音ヤーチャオ』(yājiǎo:或いはイーチャオ)『に由来するもので、「いちゃう」が正しいとする。』とある。]ニ似タリ形狀「フカ」ニ同シテ[やぶちゃん注:「おなじくして」。]灰色腹下白色頭ハ銀杏葉ノ如ク末ニテ開ク左右ノ端ニ眼アリ閩書曰䯻鯊頭如木枴[やぶちゃん注:二字で「杖」の意。]又名雙䯻紅言鯖曰了頭今人呼侍婢曰了頭盖言其頭上方梳雙䯻未ㇾ成ㇾ人之時即漢之所謂偏䯻也

   *

これは、「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」で、以下のように考証した。

   *

「一(いつ)ちやう」これは当初「一(いつ)ちまう」かと思ったものの(他の部分の表記と比較しても「ヤ」のそれではない)「東洋文庫」の「本草食鑑」の注で『一(イツ)チャウ』と翻刻しているので、それに従った)。しかし「イッチョウ」(「一丁」?)でも或いは「イッチモウ」(漢字表記想定出来ず)でもある種のサメの異名としては全く掛かってこない。一つの鍵は「口」が「廣く」、「人を喰」らい、非常に獰猛で、摂餌対象を残酷に貪(むさぼ)るという点である。世界に棲息するサメのうちで「人食いザメ」、人を積極的に襲い捕食することが確実とされている種は、実は三種しかいない。まず、スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)監督のJaws1975年・アメリカ)で知られる、

ネズミザメ目ネズミザメ科ホホ(ホオ)ジロザメ属ホホ(ホオ)ジロザメ Carcharodon carcharias

それと同様に危険度が高い以下の二種、

メジロザメ目メジロザメ科イタチザメ属イタチザメ Galeocerdo cuvier

メジロザメ目メジロザメ科メジロザメ属オオメジロザメ Carcharhinus leucas

である。但し、本邦に限ると、亜熱帯から亜寒帯まで世界中の海に広く分布するホホジロザメを除くと、その分布はオオメジロザメは南西諸島に限られ、イタチザメも概ね九州以南である。ただ、昔から本邦では、“Hammerhead shark”の英名で知られる、メジロザメ目シュモクザメ(撞木鮫)科 Sphyrnidae のシュモクザメ類(世界で二属九種。本邦で見られるのはシュモクザメ属 Sphyrna の三種ほど)が人を襲うと信じられている向きがある。一九八二年八月に熊本県天草郡大矢野町沖の羽干島(グーグル・マップ・データ)近くで十三歳の女子中学生が襲われて死亡したケース(三人の子をヨットの船尾に結んだロープに繋いで曳航して遊ばせていた際の事故という少し特殊な状況下での不幸であった)では、シュモクザメが疑われているが、確定されてはおらず、シュモクザメが人を襲った事例は殆んど見当たらない。襲うシーンが出る小説を知っているが、寧ろ、シュモクザメの奇体な頭部が、凶悪な印象を生んでいるだけのように私には思われてならない。ダイバーなどが襲われたケースも私は知らない。但し、シュモクザメはサメとしては珍しく、群れを成して行動し、時にその数は数百匹のレベルに及ぶこともある。それらが大型個体であった場合、そのインパクトは絶大で、熟練したダイバーでも慄っとしたという証言を聴いたことはある。幾つかの記載に、人間にとっては潜在的に危険、と記すものが見られることは事実ではある。ただ、シュモクザメは以下の「かせぶか」がその別名であることからも、この同定候補にはなり得ない。従って、福岡在の益軒を考えると、この謎の「一(いつ)ちまう」はホホジロザメかイタチザメが同定候補となる。勘でしかないないが、冒頭に出ること、わけの判らぬ乍ら、名前が如何にも大きそうな雰囲気があることから、平均体長が四~四・八メートルにもなる最大最強にして凶悪のホホジロザメとする方がいい気がする

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なお、大和本草諸品圖下 鮪(シビ)・江豚(イルカ)・スヂガレイ・カセブカ (マグロ類・イルカ類・セトウシノシタ・シュモクザメ)」も見られたい。ブットびの絵図を見ることが出来ますぞ!

「『もだま』【大なるを、『いなき』といふ。漢名『魚鮠《ギヨグワイ》』。】」「水族志」は以下(ここの右ページ二行目から)。

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㋟モダマ 鮠魚 大和本草曰「モダマ」「フカ」ノ類ナリサメアリ灰色白星アルモノアリ長三四尺肉白シ肝ニ油アリ其大ナルヲ「イナキ」ト云長サ一丈バカリアリ其乾タルヲ「ノウサバ」ト云本草啓蒙曰「モダマ」形鮧魚(ナマズ)ニ似テ大ナリ皮ニ細沙アリ

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これも、「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」で、以下のように考証した。かなり長い。

   《引用開始》

「もだま」メジロザメ目ドチザメ科ホシザメ属ホシザメ Mustelus manazo「WEB魚図鑑」のホシザメから引く。『成熟サイズは全長6270cm。全長25cmほどで出産され、雄で最大96cm、雌で117cmに達する。体は灰色ないしは茶褐色で、体側に多数の白色斑点が散在すること、背鰭は暗色で縁取られないこと、上側の唇褶は下側よりも長いこと、歯は尖らず、敷石状に並ぶことから』、『他の日本産ドチザメ科』Triakidae『魚類と区別できる。ホシザメ属には体側に白色点をもつものが他に何種か知られているが、白色点を持つ種で北西太平洋に分布するのは本種のみである』。『主に北西太平洋。北海道~九州の各沿岸(オホーツク海を除く)、南シベリア、朝鮮半島、中国、台湾、ベトナムに分布する』が、『例外的に西インド洋のケニア沿岸からも知られる』。『大陸棚上の潮間帯を含む浅海域の砂地や泥底に生息』し、『底生無脊椎動物、特に甲殻類を捕食する』。『卵胎生で胎盤をもたない。交尾期は夏。妊娠期間は10ヵ月ほどで、4月に母親の体サイズに合わせて122尾の仔ザメを出産する(普通26尾、平均5尾の仔ザメを産む)。成長が早く、34年で成熟する。食用で、日本、中国、韓国では延縄で漁獲される』とある。ぼうずコンニャク氏の「市場魚貝類図鑑」のホシザメのページの「地方名・市場名」の項に『福岡県博多(福岡市)ではモダマ』と出、また、『福岡県玄海町』では『ノウサバ』『ノーサバ』の異名を載せる(益軒の『其の乾したるを「のうさば」と云ふ』と合致)。そこには、『体長1.5メートル前後になる。細長く、白い星状の斑文が散らばる』ともあり、「白星あるもの、あり」とも一致するが大型個体の「いなき」は確認出来なかった。「いなぎ」かも知れない。その場合、「稲置」で或いは「稲木」で刈り取った稲を掛ける横木のことを指すのではないかとも思ったりした。「もだま」は「藻玉」か? 意味不明。一部の卵生サメ類の皮革状卵嚢はまさに「藻玉」に相応しいが、本種は卵胎生であるから違う。或いは、別種の卵生のサメのそれを本種のそれと誤認したものかも知れない(例えば、後に「さゞいわり」の私の後者の方のリンクの図を参照)。【2019年8月23日追記】いつもお世話になっているT氏よりメールを頂戴した。それによれば、ネットで「モダマ」で捜すと、まず、

1・ドチザメ比定

「大海水産株式会社」公式サイト内の「大海水産のお勧め魚 熊本県産ドチザメ」に、『熊本県産ドチザメ』(メジロザメ目ドチザメ科ドチザメ属ドチザメ Triakis scyllium)『熊本では、モダマと呼んでい』るとある(益軒の近在)。

2・ホシザメ比定

abukamo氏のブログ「あぶかも」の「モダマ三種」では「モダマ」を私が同定したホシザメと比定し、しかも『博多では「モダマ」という名前で湯引きした』ホシサメがごく普通に売られている旨の記載があった(益軒は人生の殆んどを福岡で過ごした)。

3・カスザメ比定

syunsi3氏のブログ「『車いすで楽しめる食事処』・レシピ&ガーデニング」の「モダマ」(このブログ主は他の記事からみて福岡在の方である可能性が高い)の料理を掲げられた上、当該種を写真で掲げられており、「WEB魚図鑑」の当該種をリンクさせておられるが、それはエイ型形状に近い(しかしサメ)カスザメ(軟骨魚綱カスザメ目カスザメ科カスザメ属カスザメ Squatina japonica)である。問題は「2」との齟齬で、福岡(もしかすると別の地方でも)では或いは広く「サメ」「フカ」或いは鮫の肉を「モダマ」と呼んでいる可能性があるようにも思われる

4・ドチザメ比定

「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」の「ドチザメ」(メジロザメ目ドチザメ科ドチザメ属ドチザメ Triakis scyllium)の「地方名・市場名」の中に「モタマ」「モダマ」とある(多くの別種のサメ類の異名に「モダマ」があることは私も承知してはいた)

さらにT氏は例の「大和本草」の「諸品図二巻」を調べられ、その「カイノ」と標題する図(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの画像。左頁下)に、キャプションで(一部に句読点等を施して読み易くした)、

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モダマ・ツノジノ類。形、甚、「コチ」ニ似タリ。味ハ、「コチ」ニ不似、「モダマ」ニ似タリ。薄ク斬リ、能煮テ、スミソニテ食フ。

カイメノ腹[やぶちゃん注:下部。以下は刊本に書入れされたもの。]

「カイメフカ」・「カイメサメ」・「ナカヱイ」トモ。兵庫「ウカシ」。

コノ魚肉ニテ、生ニテ酢ミソニテ食ス。味、佳也。

漢名「犂頭魚」【閩書】。

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とある図を指摘し、T氏は、この『腹側の図は「エイ」としか見えない』とされ、『頭と胸鰭の形から、カスザメ又はコロザメのよう』であると指摘されていおられる。これからは少なくとも、益軒は「モダマ」「ツノジ」を、

5・カスザメ/コロザメの類と比定

していたことが判る。因みにエイ型ではあるが、

軟骨魚綱カスザメ目カスザメ科カスザメ属カスザメ Squatina japonica(リンク先は「WEB魚図鑑」)

カスザメ属コロザメSquatina nebulosa(同前)

はサメ類である(因みに、『カスザメは二基の背鰭が腹鰭より後方に位置すること、大きな棘の列が背面の正中線上にあること、胸鰭の先端の角度が小さいことで近縁のコロザメと区別できる』とウィキの「カスザメ」にある)。ともかくも、丁寧に調べ上げられたT氏に感謝申し上げるものの、異名で調べると、却って同定比定が困難になる厄介者ではあるのである。

   《引用終了》

実は、この「モダマ」は「大和本草」の他の項の中で、何度も考証してきたのだが、一応、上記が私の決定版と考えて頂いてよろしいと思う。

「『おきむば』【一名、『なぬかぶか』、伊勢にて『あぶらこ』、尾張にて『のうくり』、備後因島《いんのしま》にて『お〻ぜ』。「臺灣府志」に云《いはく》、『龍文《りゆうもん》、沙《さ》にして、最佳《さいか》にして、其翅《そのはね》、尤《もつとも》、美なり。』とす。】」「水族志」は以下(ここの右ページ五行目から)。

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㋹オキムバ【勢州阿曾浦[やぶちゃん注:「あそら」と読む。現在の三重県度会郡南伊勢町阿曽浦(あそら)。ここ。]】一名ナヌカブセ【紀州若山】アブラコ【勢州土師[やぶちゃん注:現在の三重県鈴鹿市土師町(はぜちょう)。ここ。]】モサメ【尾州常滑】ノウクリ【備後因島】オヽゼ【筑前福間浦[やぶちゃん注:現在の福岡県福津市西福間にある福間海岸。]】龍文沙 形狀守宮(ヤモリ)ニ似テフカノ如シ頭圖ク乄扁シ全身灰色ニ乄微紅ヲ帶背ニワラビ形ノ黑文アリ脇ニ小黑星㸃アリ亦小白圏ヲナス處モアリ腹白色微ニ赤色ヲ帶凡テ沙アリ續脩臺灣府志曰鯊其最佳者皮上有二黑白圏文曰龍文沙其翅尤美

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これは、

板鰓亜綱テンジクザメ(天竺鮫)目オオセ(大瀬)科オオセ属オオセ Orectolobus japonicus

である。個人的には、そのフォルムと色が、モロ、迷彩服見たようで、大好きな魚である(ウィキの画像をリンクしておく)。ウィキの「オオセ」によれば、『キリノトブカなど』、『地方名』を『多数』有する。『全長1mの底生性のサメで、オオセ科』Orectolobidae『では日本近海に分布する唯一の種』である。『太平洋西部、南日本から朝鮮半島、フィリピン、東シナ海、東南アジアにかけて分布する。沿岸の水深200mまでの砂泥質の海底や岩礁、サンゴ礁などに生息する』。全長は一メートルで、『体型は上下に押しつぶされたような縦扁型。吻は平たく、丸い。口はほぼ頭部前面に幅広く開口する。口の辺縁には複数の皮弁が存在するが、オオセは皮弁数が7-10本であること、先端が二叉することが特徴であり同定のキーとなる。噴水孔』(目のすぐ後ろにあり、ここから呼吸に使う水を吸うことが出来るようになっている。但し、遊泳主体の通常のサメ類ではあっても小さいか塞がっている。本種は底在性傾向を示すために機能している)『は涙型で大きい』。『体色は全体的に褐色のまだら模様で、薄褐色、濃褐色、灰色などの雲状斑が大小モザイク状に配列し、全身に小白色斑が散在する。背鰭2基は体後方に位置する。胸鰭はやや大きい。臀鰭は尾鰭のごく近くに付く。尾鰭は上葉が長く、欠刻がある。下葉はない』。『詳しい生態や生息数に関してはよく分かっていない。体色の模様はカモフラージュであり、夜行性で海底や岩などに姿を隠している』。『待ち伏せ捕食型で、底生の硬骨魚類や甲殻類、サメ、エイなどを狙う』。『卵胎生』で『21-23cmの子どもを最大20-27尾まで産む』。『妊娠期間は約1年と推定される』。『日本では漁獲され』、『食用になる。その他、中国、台湾、韓国、ベトナムなどでも漁獲される』が、『近づくと咬まれる危険性がある』とある。因みに、漢字表記は「大瀬」であるから、歴史的仮名遣は「おほせ」が正しい。

「『おふぜ』【一名、『どぜうざめ』、又、紀伊熊野にて『したち』、『熨斗鯊《のしぶか》』ともいふ。】」前に同じだが、「水族志」では、続いて、独立項となっている(ここ。右丁後ろから五行目)。

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㋞オフセ[やぶちゃん注:ママ。]【大和本草】一名ドゼウザメ【熊野新宮】ナヌカザメ【本草啓蒙熊野】シタチ【尾州常滑】熨斗鯊 大和本草曰「オフセ」遍身ウス子ヅミ[やぶちゃん注:「うすねづみ」。「薄鼠」。]色ナリ黑㸃多シ腹白ク口濶[やぶちゃん注:「ひろく」。]鬣大小三所ニアリヒゲアリ「マナヅ」ノ如シ目ノ傍ニ耳穴アリ其性强シテ死[やぶちゃん注:「しに」。]ガタシ身ヲ切猶動[やぶちゃん注:「身を切(るも)、なほ、うごく」。]湯ヲ以ユビキテ指身[やぶちゃん注:「さしみ」。刺身。]トス味ヨシ形コチニモ蟾[やぶちゃん注:「ひきがへる」。]又曰オホセ尾キハ角アリ本草啓蒙曰此魚上大ニ下小ク[やぶちゃん注:「ちさく」。]科斗(カイルコノ)[やぶちゃん注:「ノ」がルビに入っているのは、ママ。お判りとは思うが、「科斗」は「蝌蚪」(カト/おたまじやくし)で、「オタマジャクシ」で、ルビは『かへる』の子の」である。]形ニ似タリ水ヲ離シ十日ニ至リテ死セズ

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このオオセの記載の後半部には、強い違和感を持つ方が多いであろう。私もそうであった。されば、それに就いては、やはり、大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」で蜿蜒と考察を行ってあるので、そちらを見られたい。なお、図入りの「大和本草諸品圖下 クチミ鯛・ナキリ・オフセ・クサビ (フエフキダイ・ギンポ・オオセ・キュウセン)」も見られたい。なお、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの「地方名・市場名」には、多数の異名があり、ここに出るもの、及び、類似するものとして、『オウセ』(『紀州』)・『ドジョウザメ』(『和歌山県』)が確認出来る。また、『ナヌカザメ』(『三重県熊野市』:採集地。以下同じ)・『マムシワニ』(『島根県出雲市大社町杵築』)・『カメザメ』(『東京』)・『キリノトブカ』(『東京市場』)・『トラ』(『神奈川県江ノ島』)・『ホンヤモリ』(『長崎県長崎市』)・『カキノコロモ』(『静岡県下田』)・『オニウチノクリ』(『鹿児島』)等の興味深い、或いは、ぶっ飛んだ異名が並ぶ。

「しヽむしやう」名前だけで、解説がない。「水族志」は以下(ここの左ページ二行目から)である。

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㋡シ﹅ムシヤウ 大和本草曰シヽムセヤウ橫廣シ「ヒキカヘル」ノ形ノ如シ

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しかし、畔田の引用は誤っている。私の「大和本草附錄巻之二 魚類 フカノ類 (サメ類)」が引用元であるが、そこでは、

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○サヾエワリ橫廣シヒキガヘルノ形ノ如シ

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である。而して、次の「『さヾいわり』【一名、『ころざめ』、又、紀伊若山にて『ねこざめ』、筑前福間浦《ふくまうら》にて『かねうち』、漢名『虎頭鯊《コトウサ》』。)】」と同じで、「さゞえわり」「榮螺割(さざゑわり)」で、ネコザメ目ネコザメ科ネコザメ属ネコザメ Heterodontus japonicus の異名としてよく知られる。「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」も見られたい。一応、後者の「水族志」を、長いが、示しておく

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㋧[やぶちゃん注:原本は「子」に「○」。]サヾイワリ 一名コロザメ【紀州熊野九木浦】ネコフカ【紀州若山】カネウチ【筑前福間浦】虎頭鯊 形狀「フカ」ノ如ニ乄沙アリ頭ハ金頭(カナンドウ)[やぶちゃん注:これは、スズキ目カサゴ亜目ホウボウ科カナガシラ属カナガシラ Lepidotrigla microptera のことである。魚体が浮かばない方のために、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページをリンクしておく。]ノ如ク方[やぶちゃん注:「はう」。四角。]ニ乄刺ナシ背淡茶紅色腹白色脇ニ紅色ノ斑あり背ニ深褐色ト淺褐色ノ橫條斑ヲナス大和本草曰「サヾイワリ」ト云魚アリ頭大ニ兩目ノ上ノキハタテニカド各[やぶちゃん注:「おのおの」。]一スヂアリテ首方ナリ細齒多シ腮ハヨコニ五キレタリ兩鼻アリ背ニ鰭二[やぶちゃん注:これは、字の誤植で「ニ」である。]各大ナル刺アリテ尖レリ口ハ腮ノ下ニアリ両ワキニ大ナルヒレアリ[やぶちゃん注:恐らく編者の「腰」の脱字。]ニモ小ナルヒレ[やぶちゃん注:恐らく編者の「二」の脱字。]アリ尾ハ小岐アリ[やぶちゃん注:カットがある。「大和本草」では『凡常ノ魚ノ形ニカハレリ』が、ここにある。]皮ニサメアリ色斑ナリ薄ク切[やぶちゃん注:「きり」。]酒ノ糟ヲ加ヘ羹トシテ食ス又指身[やぶちゃん注:刺身。]ニ乄最ヨシ「ツノジブカ」ニマサレリ本草啓蒙曰此魚桔梗ノ蕾ニ似タリ兩鼻アリソノ齒至テ硬强拳螺(サヽビ)[やぶちゃん注:サザエのこと。国立国会図書館デジタルコレクションの「本草綱目啓蒙」の原本(版本)に当たったところ(右丁二行目)、確かに「サヾビ」と振ってあった。]殼モヨク嚼破(カミヤブ)ル齒ノ形蓑荷(ミヤウガ)[やぶちゃん注:漢字は同前で確認したが、やはり「蓑荷」であった。]笋[やぶちゃん注:「たけのこ」。]ノ如シ大ナル者ハ長サ五六寸色白シ背ノ兩鰭各大尖刺[やぶちゃん注:「だいせんし」と音読みしておく。]アリ周身[やぶちゃん注:「みのまはり」と訳読みしておく。]黃褐色ニ乄黑斑アリ沙微ク[やぶちゃん注:「すこしく」。]粗シ

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「『なでぶか』【一名『みづいらき』、又、『ひれなか』。】」「水族志」は以下(ここの右ページ冒頭行から)である。

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㋤ナデブカ 一名ミヅイラギ【紀州田邊】ヒレナガ【大和本草】極テ大ナル者アリ黑色ニ乄腹淡黑色赤ヲ帶其尾上長ク乄身ニ半ス下ハ短シ腹下ノ二翅細長也此魚漁舟の海上ニ泊スルニ逢ヘハ尾ヲ舟中ニ勾入テ[やぶちゃん注:「まがりいれて」と訓じておく。]人ノ有無ヲ探ル大和本草曰ヒレ長ト云アリヒレ甚長シ

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「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」で私は、これを以下のように比定した。一部に追加を添えた。

   《引用開始》

「ひれ長」一般に鰭の長いサメというと、一番に想起されるのは、板鰓亜綱ネズミザメ目オナガザメ科オナガザメ属 Alopias(一属三種)であろう。本邦(但し、南日本)にはニタリ(似魚) A. pelagicus・ハチワレ(鉢割) A. superciliosus・マオナガ(真尾長) A. vulpinus の全種が分布する。ウィキの「オアナガザメ」によれば、『全世界の熱帯から温帯、また亜寒帯海域まで広く分布する。全長の半分を占める長い尾鰭により、他のサメと見間違えることはない。大型になり、最大全長は3m7mを超えるものまである。繁殖様式はいずれも胎生で、ネズミザメ目に共通して見られる卵食型である。主に外洋を回遊し、非常に活動的である』が、『人に対しては攻撃的で』はなく、『むしろ』、『海中では警戒心が強く、近寄ることさえ難しい。マグロ延縄などで混獲され、肉や鰭、脊椎骨、皮、肝油が利用される』。『魚の尾鰭は上半分を上葉、下半分を下葉といい、サメ類では』大抵、『上葉が長くなっている異尾(いび)であるが、オナガザメ属では上葉の伸長がとりわけ著しく、胴体とほぼ同じ長さか』、『それ以上になる。尾の付け根の筋肉が発達しており、マグロやカジキ、サバなどを切り裂いたり』、『気絶したところで食す』とある。

   《引用終了》

但し、次の「水ぶか」をマオナガと比定同定したことから、ニタリ、及び、ハチワレの二種を候補として絞って限ることも可能となったとは思う。

「水ぶか」「水族志」は以下である(ここの右ページ四行目から)。

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㋶水(ミヅ)ブカ 形狀「ナテブカ[やぶちゃん注:ママ。前の「ナデブカ」。]」ニ似テ尾翅短シ背黑色腹淡黑色切レハ[やぶちゃん注:「バ」。]肉水トナリテ不ㇾ可ㇾ食

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これは、板鰓亜綱ネズミザメ目オナガザメ科オナガザメ属 Alopias(一属三種)のうち、マオナガAlopias vulpinus としてよい。ウィキの「オナガザメ」によれば、「分類」の項のマオナガに関して(下線太字は私が附した)、『オナガザメ属の中で最も大きくなる種。他の2種に比べて特に外洋性の傾向が強く、沿岸部ではあまり見られない』とし、『2種に比べて特に尾が長く、体長と同じかそれ以上の上葉をもつ。マオナガの“マ(真)”という名称もここに由来する。尾の長さ以外の全体的形状は、ネズミザメ』(ネズミザメ目ネズミザメ科ネズミザメ属ネズミザメ Lamna ditropis )『に近似している』。『英名の Thintail thresher とは、“厚みのない尾を持つオナガザメ”の意。Common thresherShark)(一般的なオナガザメ、の意)とも呼ばれ、英語圏では単に「オナガザメ(Thresher Shark)」といった場合は通常はこの種を指す。』とあることに拠る。

「鼠《ねずみ》ざめ」これはそのままで、

ネズミザメ目ネズミザメ科ネズミザメ属ネズミザメ Lamna ditropis

である。当該ウィキに拠れば(注記号はカットした)、『地方名でモウカザメ、カドザメ、モウカ、モーカなどとも呼ばれる。全長3 m。太平洋北部の亜寒帯海域に生息する大型の捕食者である』。『特殊な筋肉系、循環系により体温を海水温よりも高く保ち、高速遊泳を行う。季節回遊を行うことも知られている』。『属名 Lamna は「凶暴な魚」。種名 ditropis は、「2つの」を意味する接頭語"di"と「隆起線」を意味する"tropis"が合わさったもので、本種の尾柄部と尾鰭にある2本の隆起線に由来している』。『標準和名はネズミザメであるが、いくつかの別名がある』。『モウカザメ(毛鹿鮫)は東北地方でよく使われる名称で、マフカザメ(真鱶鮫)が訛ったものだといわれる。マダイ(真鯛)やマアジ(真鯵)などを見ても分かるように、魚名に「マ(真)」がつくものは「代表種」の意味合いを持っており、東北地方の代表的なフカ(サメのこと)であることからマフカの名が付けられたのであろう。実際、東北はネズミザメの水揚量が多い』。『カドザメ(カトザメ・カトウザメとも)の由来には』、『いくつかの説があり、渾然一体としている。「カド」がニシンの地方名であり、これを捕食することからというもの。また「カド」はカツオの地方名でもあり、やはりこれを捕食することからというもの。これらとは別にネズミザメ漁を初めて行った江戸時代の漁師、加藤音吉の名から来ているという説もある。一部の地方ではカトザメがアオザメを表すこともある』。『サケザメ(鮭鮫)は、英語でもサーモン・シャーク "Salmon shark" と呼ばれるように、サケを捕食することに由来する。漁業ではサケを食害するサメということで、漁師には歓迎されない』。『他に、ラクダザメやゴウシカがある』。『北部太平洋の亜寒帯海域を中心に分布し、ベーリング海やアラスカ湾、プリンス・ウィリアム湾などを主な生息地とする。日本近海では日本海やオホーツク海に現れる。寒冷な環境を好むが、回遊によってかなり南の海域まで進出することがある。最も低い緯度ではハワイ沖(北緯22°)まで南下した例が報告されている。他に、カリフォルニア州沿岸でも生息が確認されており、さらに南のメキシコ沿岸まで進出している可能性もある』。『沿岸域・外洋域の両方に出現する。普段は海表面近くを遊泳するが、水深700 m 程度まで潜ることもある。また、亜熱帯海域では温度躍層を避けて、300 - 500 m 程度の深度を遊泳することが多いようである』。『最大で全長305cm、体重175.0kg。体は紡錘型で水の抵抗を受けにくい。背側の体色は青みを帯びた灰色もしくは黒色、腹側は白色で濃色の斑紋が点在する。尾鰭は上葉がわずかに長いものの、上下がほぼ同じ長さで三日月型をしている。尾柄には明瞭な隆起線があり、さらに尾鰭の中央よりやや下にも隆起線が見られる。種名 ditropis (「二つの隆起線」の意)はここからきている』。『外見は小型のホホジロザメのようにも見えるが、やはり隆起線の数で見分けることができる。同属にニシネズミザメがいるが、形態的にはニシネズミザメの第一背鰭の後縁が白色なのに対し、本種ではそれがないことで見分ける』。『サケザメやサーモン・シャーク "Salmon shark" の名の通り、サケを捕食することでよく知られている。またニシンも好んで食べる。亜寒帯海域では最高次捕食者の地位を占めている』。『太平洋北東部の個体の方が、北西部の個体よりも早く成熟する傾向がある。太平洋北西部では雄は全長約177186cm、雌は200-223cmで成熟し、成熟年齢は雄5年、雌810年である。太平洋北東部では雄158cm35年、雌205cm69年で成熟する』。『胎生』であるが、『胎仔と母親を直接つなぐ胎盤のような器官は持たない。子宮の中で卵黄の栄養を使ってある程度の大きさになった胎仔は、卵巣から排卵される栄養の豊富な未受精卵を食べて育つ。これはネズミザメ目に見られる卵食型である。妊娠期間は約9ヶ月、産仔数は2-6尾、出生時の大きさは84-96cm』。『以前は卵胎生と呼ばれたが、子宮の中で母親から卵という形で間接的に栄養分をもらって育つことから、広義の胎生に含める』。『ほとんどの種が外温動物(変温動物)である魚類の中にあって、ネズミザメは外部温度に』関わらず』、『体温をある程度一定に保持することができる性質(内温性)を備えている。内温性魚類は、同じネズミザメ科のアオザメやホホジロザメ、真骨魚ではマグロやカツオ、カジキといった種類である。これらはみな高速遊泳を行うという点で共通している』。『ネズミザメの赤筋(遅筋、血合肉)の分布位置は他の魚と異なり、体の中央深部、脊椎骨の周囲に集中している。持続的遊泳に使われる赤筋を外界から遠ざけることで代謝熱を保持し、周囲にある白筋(速筋)へ効率良く伝導させる。さらに筋肉には奇網』(きもう:当該ウィキに拠れば、(『ラテン語: rete mirabile, 複数形 retia mirabilia)または怪網(かいもう)は、脊椎動物に見られる、動脈と静脈からなる構造である。これらの血管は非常に細く、ごく近接して配置されており、内部の血流は互いに逆方向になっている。これは対向流交換系と呼ばれ、熱・イオン・気体などを血管壁を通して効率よく交換することができる。rete mirabile はラテン語で「驚異的な網」を意味する』とあった)『が発達し、保温能力を高めている。奇網では』、『体内からの温かい血液と体表からの冷たい血液が対向流交換系をなし、熱の伝導が行われる』。『この内温性により、ネズミザメは大抵のサメ類が寄り付かない亜寒帯海域という地理的なニッチを獲得している』。『寒い海に生息するので、人が襲われた記録はないものの、大型で獰猛なサメに入るので、危険な種である』。『サケ類を捕食することから、水産上の重要害魚という形で扱われることもある。千葉県勝浦市沖ではかつて、年末から翌年2月ごろまでネズミザメなどのサメを専門に狙う延縄漁業が行われていたが、1993年(平成5年)ごろにはサメの需要の低さからかサメ漁は行われなくなっており、同年3月にはネズミザメがキンメダイ漁を阻害するとして、勝浦漁港のキンメダイ漁業者たちがサメを延縄で捕獲して駆除していた』。『一方で、ネズミザメは食用魚としての利用のために漁獲されている。またマグロ漁で混獲することも多い。漁には延縄や流し網が用いられる。日本国内においてはそのほとんどが気仙沼港(宮城県)に水揚げされ、気仙沼での水揚げ量はヨシキリザメに次いで多い』。『サメ類の中では比較的アンモニア臭が少なく味も淡白で癖が少ないため』、『食用向きとされ、刺身として気仙沼周辺や、それと対照的に備北地方(「ワニ肉」として有名)などの山間部で、切り身は東北地方や栃木県』『では定番、関東地方であれば散見される程度に販売』され、『食されている。一方で東海・北陸や西日本では一部の地域以外ではほとんど目にする機会がなく、知名度も低いためサメ肉と聞いただけで拒否反応を起こす人の割合も高い』。『その他』、『全国的に魚肉練り製品の原料として消費される』。『心臓はモウカの星とよばれ、気仙沼を中心に刺身や酢味噌和えにされる。仙台や東京など東日本の一部居酒屋でも提供されていることがある。こちらは味が独特であり』、『人によって好みが分かれる。また』(☞)『ふかひれも採取される。』とあった。なお、近縁種に『ニシネズミザメ Lamna nasus 』がおり、『ネズミザメに非常に近縁であり、1947年にネズミザメが記載されるまで同一種であると思われていた。両者の決定的な違いは分布域である。ニシネズミザメは大西洋の北部と南半球に分布するのに対し、ネズミザメは太平洋の北部にしか分布しない』とあったので、ニシネズミザメは、ここの比定種には含まれない。

「おろか」「水族志」は以下である(ここの右ページ七行目から)。

   *

㋼ヲロカ 大和本草曰「ヲロカ」ト云「大フカ」アリ人ヲ食ス

   *

これは、私が、「大和本草附錄巻之二 魚類 フカノ類 (サメ類)」で、

   《引用開始》

「をろか」「大和本草卷之十三 魚之下 フカ (サメ類(一部に誤りを含む))」に『「をろか」と云ふ大ぶかあり。人を食す。」あり』と出る(「をろか」の表記はママ)。そこで私は、

軟骨魚綱板鰓亜綱『メジロザメ目メジロザメ科イタチザメ属イタチザメ Galeocerdo cuvier

としたい。「をろか」は不明(「愚か」は歴史的仮名遣では「おろか」で一致しない)』と注した。追加情報はない。

   《引用終了》

とした。現在も、新たな情報は得られていない。

「すねぶか」「水族志」は以下である(ここの右ページ八行目から)。

   *

㋨ス子ブカ 大和本草曰「ス子ブカ」色白シ

   *

私は、「大和本草附錄巻之二 魚類 フカノ類 (サメ類)」の注で、『不詳。』とした。新たな情報は得られていない。

「つまりぶか」「水族志」は以下である(ここの右ページ九行目から)。

   *

㋔ツマリブカ 大和本草曰「ツマリフカ」頭ノ兩方ニ穴二ツアリ

   *

これについては、「大和本草附錄巻之二 魚類 フカノ類 (サメ類)」の注で、

ツノザメ目ツノザメ科ツノザメ属ツマリツノザメ Squalus brevirostris 

であろう、とし、『漢字表記は「詰まり角鮫」かと思われる。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを参照。但し、「穴、二〔(ふた)〕つあり」は不審。鰓孔が四対しかないサメはいない(サメ類のそれは五~七対)と思うが?』と述べた。追加情報はない。

「からす」「水族志」は以下である(ここの右ページ十行目)。

   *

㋗カラス 魚鑑曰「カラス」黑ク肉白シ

   *

これは、

ツノザメ上目ツノザメ目カラスザメ(烏鮫)科カラスザメ属カラスザメ Etmopterus pusillus

である。今まで私の記事で出たことはない。当該ウィキに拠れば(注記号はカットした)、『太平洋・大西洋に広く分布する。深度0 - 1,000メートルの範囲で日周鉛直移動を行う。リュウキュウカラスザメと種群を構成する。体は細長く暗褐色、体側に黒い模様がある。50センチメートルに達する。卵胎生で成長は遅い』。『1839年、イギリスの生物学者Richard Thomas Loweが学術誌Transactions of the Zoological Society of Londonにおいて、Acanthidium pusillumの名で記載した。その後』、『本種はカラスザメ属 Etmopterus に移された。種小名 pusillus はラテン語で"弱い"を意味する。リュウキュウカラスザメと共に、乱雑に並んだ切り株状の皮歯を特徴とする種群を構成する』。『大西洋では、西はメキシコ湾からアルゼンチン、東はポルトガルからカーボベルデ・アゾレス諸島・南アフリカ、大西洋中央海嶺上。インド洋では、クワズール・ナタール州沖・マダガスカル。太平洋では東シナ海から南日本・天皇海山群・オーストラリア沖・ニュージーランド・ナスカプレート上(Amber Seamountからサラ・イ・ゴメス島沖)から報告されている』。『大陸棚・大陸斜面の海底付近(深度274 - 1,000m)に生息する。1,998メートルまで潜る可能性もある。ポルトガル南方沖のデータによると、岩礁底を好み』、『日周鉛直移動を行うようである。南大西洋では、外洋の0 - 708メートルにも生息。熱水噴出孔でも確認されている』。頭部の『骨格は華奢で、大きな頭部、大きな楕円形の眼、鼻孔には短い前鼻弁がある。上顎歯列は22 - 31、下顎は30 - 53。上顎歯の尖頭は細く滑らかで、1 - 2対の小尖頭が隣接する。38センチメートルを超える雄では』、『小尖頭が増える。下顎歯は滑らかでナイフ状の尖頭を持ち、全ての歯が基部で結合して一枚の刃を構成している。大きな5対の鰓裂がある』。『胸鰭は丸く、その後端上方に第一背鰭があり、背鰭前部には頑丈な棘がある。第二背鰭は第一より大きく、棘も長い。腹鰭は低く角張り、臀鰭はない。尾鰭は短くて幅広く、下葉は発達して上葉には欠刻がある。皮歯は小さく塊状で、間隔が広く乱雑に並んでいるために滑らかな印象を与える。体色は一様な暗褐色で、腹鰭上部からその前後にかけて体側に黒い模様が伸びる。リュウキュウカラスザメ』( Etmopterus bigelowi :一九九三年に日本人に記載された。分布は沖縄に限るわけではなく、全世界の深度百十から千メートル海底・中深層に棲息する)『に似るが、本種は50センチメートルを超えず、腸の螺旋弁の数が少ない(本種は10 - 13、リュウキュウカラスザメは16 - 19)ことで区別できる』。『歯は性的二型を示す』。『餌はイカ・小型のツノザメ・ハダカイワシ・魚卵。卵胎生で胚は卵黄栄養で育つ。産仔数は10。雄は31 - 39センチメートル、雌は38 - 47センチメートルで性成熟する。性成熟時のサイズは地域によって異なり、西大西洋ではクワズール・ナタール州沖より大きい。成長は遅く、体は成長と共に細長くなっていく。ポルトガル南方沖からのデータでは、最低でも雄は13年、雌は17年生きる』。『東部大西洋、日本沖合などで、大量の稚魚が延縄で、少数が底引き網や定置網で混獲されている。ポルトガル南方沖では、深海漁業で多く混獲される3種のサメのうちの1種である。ほとんどは廃棄されるが、少数が干物・塩漬け・魚粉などとして利用されていると見られる。繁殖力は低く成長も遅いため、持続的な漁業圧には耐えられないと考えられる。だが』『、このような事態を示す証拠はなく、分布域も広いことから』、『IUCNは保全状況を軽度懸念としている』。『比較的多く漁獲されるため』、『沼津港深海水族館といった水族館などで短期の飼育記録はあるが、長期飼育はいまだに成功していない』とある。言うまでもないが、鱶鰭にはならない。

「とがり」「水族志」は以下である(ここの右ページ十行目)が、以下の通り、短い。『㋳トカリ【魚鑑】』。メジロザメ目に、イタチザメ科トガリメザメ属トガリメザメ Loxodon macrorhinus(一属一種)がいるが、英文の当該種ウィキを見るに、この種の棲息域は『北緯34度から南緯30度のインド西太平洋の熱帯海域』とするので、違う。トンがったサメはワンサカいるから、判らんね。

「『たちをざめ』【一名、『はりざめ』、又、『しらざめ』、漢名、「臺灣府志」の『鋸鯊《キヨサ》』。】」「水族志」は以下である(ここの右ページ十行最末から)。

   *

㋮タチヲサメ【紀州日高】一名ハリザメ【勢州慥柄浦[やぶちゃん注:「たしからうら」。現在の三重県度会郡南伊勢町(みなみいせちょう)慥柄浦。ここ。]】シラサメ【紀州】扁鯊續脩臺灣府志曰扁鯊身扁尾小泉州境漁人曰「タチヲザメ」ハ「ハクザメ」ト云勢州及熊野海ニ出文化八年紀州日郡ニテ捕ル者長サ一間半許橫濶一尺許扁乄厚サ一寸許形狀帶魚ノ如シ觜[やぶちゃん注:「スイ/くちばし・はし」。]火筩(ヤカラ)[やぶちゃん注:これは「矢簳(やがら)」と同義であろう。]觜ニ似テ扁ク頭ノ狀馬頭ニ似タリ圓[やぶちゃん注:「まろき」。]眼大サ寸許白色ニ乄一部許ノ白沙アリ腹ニ至テ沙粗ク頭尾ニ至テ細也尾ノ方自然ト細ク末尖リ背ニ皮ニテ包メル鬣アリ

   *

これは、記載から思うに、既に出た、

ホシザメ科ホシザメ属シロザメ Mustelus griseus

と思われる。

「『ゑびざめ』【一名『ゑびぶか』、漢名「廣東通志」の『蝦錯《カサク》』。】」「水族志」は以下である(ここの左ページ三行目から)。

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㋘ヱビザメ 一名ヱビブカ 蝦䱜[やぶちゃん注:「䱜」鮫の一種を指す漢語。] 形狀鯊魚同乄頭圓ク上唇圓シ其尾腹下ニ曲リテ蝦ノ如シ廣東通志曰又有二蝦錯一尾似ㇾ蝦

   *

全く比定不能。中文の検索の掛けたが、私の力では捜し得なかった。識者の御教授を乞う。

「ひらかしら」「水族志」は以下である(ここの左ページ後ろから二行目以降)。

   *

㋙ヒラガシラ 形狀「フカ」ニ同乄觜末濶大也泉州堺浦漁人曰「フカ」ニ一種類ノ如ク扁キ[やぶちゃん注:「ひらたき」。]アリ此ヲ「ヒラガシラ」ト云按大者𠀋ニ至ル全身灰黑色ニ乄沙アリ腹白色也

   *

これは、文字通りの、

メジロザメ目メジロザメ科ヒラガシラ(平頭)属ヒラガシラ Rhizoprionodon acutus

である。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『インド洋、東大西洋、太平洋。南アフリカ共和国からオーストラリアにかけて(インド太平洋)。マデイラからモーリタニア・アンゴラにかけて(東大西洋)』分布する。『インド洋では南アフリカからマダガスカルを経てアラビア半島、南アジア・東南アジア。太平洋では中国から南日本・フィリピン・インドネシア・ニューギニア・オーストラリア北部に分布する[3]。中新世にユーラシアとアフリカ大陸が衝突するまでは、テチス海に沿って連続した分布域を持っていたようである』。『ヒラガシラ属の最大種であるが、ほとんどの個体は1.1mを超えない。通常は雌は雄よりも大きい。西アフリカからは、最大で雄は1.78m22kg、雌は1.65m17kgという報告があるが、これらが本種であるかどうかには不確実な点がある』。『体は細く、吻は長く尖る。眼は丸くて大きく、瞬膜を備える。噴水孔はない。口角の直後には7-15個の孔がある。鼻孔は小さく、三角形の前鼻弁が付随する。口角には長い唇褶があり、上下の顎に伸びる。歯列は上下ともに2425。上顎歯には細かい鋸歯があり強く傾く。下顎歯は似た形だが』、『鋸歯が小さく、先端は緩やかに上を向く。幼体の歯には鋸歯はない』。『胸鰭は幅広く三角形で、第3か』、『第4鰓裂の下から起始する。臀鰭は第二背鰭の2倍の長さで、その前方には長い隆起線がある。第一背鰭は胸鰭の後端の上から起始する。第二背鰭は第一よりかなり小さく、臀鰭の基底の後部1/3の点から起始する。背鰭の間に隆起線はない。尾鰭下葉はよく発達し、上葉の後縁先端には欠刻がある。背面は一様な灰色・灰褐色または紫灰色で、腹面は白い。第一背鰭の前縁と尾鰭の後縁は黒く、胸鰭の後縁は白くなることがある』。『分子系統解析から、少なくとも4種に分かれることが示唆されている』。『種小名はラテン語で"鋭い"を意味する。その後、本種は Carcharhinus 属や Scoliodon 属に含められたが、最終的には Rhizoprionodon 属のタイプ種 R. crenidens のシノニムとして Rhizoprionodon 属に置かれた。リュッペルはタイプ標本を指定しなかったため、1960年、Wolfgang Klausewitzは』、『サウジアラビアのジッダで得られた44cmの雄個体をレクトタイプ』(lectotype:生物学に於ける「選定基準標本」を指す。原記載でホロタイプが指定されなかった場合、ホロタイプ(holotype:動植物学では「正基準標本」或いは「正模式標本」と言い、原生動物では「正基準」。)が行方不明の場合、又は、ホロタイプに二種類以上の生物が混じっていた場合、新たに選び直されたり、作り直されたりした標本を指す)『に指定した』。『英名"milk shark"はインドにおいて、本種の肉が母乳の出を促進すると信じられていることによるものである。他の英名としてfish sharkgrey dog sharklittle blue sharkLongmans dogsharkmilk dog sharksharp-nosed (milk) sharkWalbeehm's sharp-nosed sharkwhite-eye sharkなどがある。1992年のアロザイムを用いた分子系統解析では、解析に含められた4種のヒラガシラ属の中で最も基底的な位置にあった。フランス南部とポルトガルの中新世中期(1600-1200万年前)の層から産出する R. fischeuri も、本種と同一である可能性がある』。『岸近くの砕波帯から深度200mまでで見られ、砂浜沖の濁った水域を好む。河口に入ることもある』。『低い塩分濃度を嫌うとしている資料もあるが、トンレサップ湖』(ここ)『など』、『カンボジアの淡水域から数回記録されている。生息深度は選ばず、表層から海底まで見られる』。南アフリカの『クワズール・ナタール州』(ここ)『では、個体数は夏をピークに周年で変動し、回遊を行っていることが示唆される。分布域の沿岸では最も豊富に見られるサメの一つで、主に群れを作る底生の小さな硬骨魚を捕食する。稀に頭足類・甲殻類・腹足類を食べることもある』。オーストラリア西岸の『シャーク湾』(ここ)『では、トウゴロウイワシ科・マルスズキ』(スズキ目スズキ亜目スズキ属 Lateolabrax Japonicus 。日本と韓国の一部にのみ分布する。)『・キス・ベラが重要な餌であり、海草に隠れているため』、『他のサメに捕食されないアカメモドキ』(スズキ亜目アカメ科アカメモドキ(赤目擬)属アカメモドキ Psammoperca waigiensis 。分布はオーストラリア南岸のみ。)『を捕食する唯一のサメである』。オーストラリア北岸の『カーペンタリア湾では』(ここ)『主にサヨリ科・マルスズキ・ボラを捕食しており、クルマエビ科の主要な捕食者でもある。小型個体は主に甲殻類・頭足類を食べるが、成長に連れて魚が中心になってゆく』。『カマストガリザメ』(メジロザメ属カマストガリザメ Carcharhinus limbatus )『・Carcharhinus tilstoni 』(英名:Australian blacktip shark)『のような大型のサメや、おそらく海獣も本種を捕食する。クワズール・ナタール州では、人間活動によって大型のサメが減少していることで、本種の個体数が増加している。寄生虫として、カイアシ類』(甲殻亜門多甲殻上綱六幼生綱カイアシ亜綱新カイアシ下綱 前脚上目 カラヌス目 Calanoida)『のPseudopandarus australis が知られている。雌雄は互いに分かれて生活していると考えられる証拠がある』。『他のメジロザメ科同様に胎生である。雌は左側の卵巣と、左右の子宮が機能する。子宮内は胚を1個ずつ収める区画に仕切られている。生活史の詳細は地域ごとに異なる。一般的には毎年繁殖するが、2年おき・3年おきに繁殖するものもある。出産・交尾は、西-南アフリカでは春から初夏(4-6月)、インドでは冬に起こる。これとは異なり、オマーンでは春にピークはあるが、出産は』、『年中』、『行われる。オーストラリアでも出産は年中行われ、シャーク湾のHerald Bightでは、新生仔の個体数は4月と6月にピークを迎える。定まった繁殖期を持たない集団がいる理由としては、(実際に観察されたわけではないが)胚発生時の休眠期間などによって繁殖サイクルが延長されたり』、『複雑になったりしている可能性が考えられる。雌が体内に精子を蓄えることはない』。『産仔数は1-8だが、典型的には2-5であり、母体の大きさに連れて増える。オマーン近海では、雌:雄の性比は2:1以上になり、産まれる個体が全て雌であることも珍しくない。セネガルやインド東部からも、これほど極端ではないが同様の性比の偏りが観察されている。この偏りの原因は不明で、ニューファウンドランドヒラガシラのような近縁種では観察されていない。胚は3段階を経て発達する。第一段階は胚が63-65mmになるまで2ヶ月間続き、この期間の胚は卵黄によって成長し、ガス交換を外皮や、おそらく卵黄嚢の表面を通して行う。第二段階は81-104mmになるまで2ヶ月間続き、外鰓が発達して卵黄が吸収され始め、胚は母体が分泌する子宮乳によって成長する。第三段階は6-8ヶ月続き、内容物を失った卵黄嚢は胎盤に転換され、胚は出産まで母体から直接栄養されるようになる』。『出生時は32.5-50.0cm127-350g。非典型的な記録では、ムンバイで捕獲された雌が、妊娠期間が完了するかなり前に、既にほぼ発達が完了した23.7cmしかない胎児を含んでいた例がある。雌は、暖かく餌の豊富な沿岸の成育場に移動して出産する。成育場としてモーリタニアのバン・ダルガン国立公園・クイーンズランド州のCleveland Bay・シャーク湾のHerald Bightなどが知られている[19][20][21]Herald Bightでは、浅い潮だまりや、密で高い植生によって捕食者から姿を隠せるような海草藻場で大きな群れを作っている小型個体が見られる。これらの個体は、性成熟に達するとこのような湾内から離れる』。『西アフリカでは雄は84-95cm・雌は89-100cm、アフリカ南部では雄は68-72cm・雌は70-80cm、オマーンでは雄は63-71cm・雌は62-74cmで性成熟する。この不一致は地域差か、高い漁獲圧による人為選択の結果だと考えられる。チェンナイで計測された成長速度は、1年目は10cm2年目は9cm3年目は7cm4年目は6cm5年目は5cm・それ以降は毎年3-4cmというものだった』。『肉や鰭』(☜)『が食用とされることもあり、乾燥させたり』、『塩漬け・燻製などにされることもある。魚粉として利用されることもある』。『漁業や混獲・スポーツフィッシングなどにより、多くの生息地で生息数が減少している。沿岸部に生息するため、東南アジアではマングローブ林の開発による影響も懸念されている』。『小型で歯も小さいため、人には無害である。個体数が多く、分布域全域で地域漁業や商業漁業において重要種となっている。セネガル・モーリタニア・オマーン・インドでも最も商業的に重要なサメの一つである。ゲーム』・『フィッシュとして扱う遊漁者もいる。1980年代から1990年代前半にかけてのインド、ベラバルの沿岸での資源量調査では、刺し網とトロールによる漁獲量は持続可能なものであると結論された。だがこの調査は、後に個体数調査には不向きと証明された方法論によって行われている。この評価の後にも、地域の漁獲量は大幅に増加している』とあった。

「『かつたひうちは』【一名、『うちは』、又、『こふたゑひねこ』等なり。】」これは、次に独立させてしまっている「うちはざめ」の異名にして、既に出た差別和名の一つである。「水族志」の、ここの右ページの二行目以降。

   *

㋓ウチハザメ」[やぶちゃん注:鍵括弧始めがないのはママ。] 一名カツタイウチハ【紀州若山】スブタヱイ【大和本草】子コ[やぶちゃん注:ネコ。]【熊野三老津[やぶちゃん注:「みらうづ」と読む。」和歌山県すさみ町(ちょう)見老津(みろづ)。]】大和本草曰「スブタヱイ」「カイメ」ニ似タリ「カイメ」ヨリヒラク大ナリ目口ヒレ尾「カイメ」ニ同シ按形狀「カイメ」ニ似テ頭「ヱイ」ノ如シ身尾ハ「カイメ」ニ[やぶちゃん注:原本の鈎括弧閉じる位置がおかしいので、補正した。]似テ同腹ノ左右ノ稜ニ鬣ノ如キ短皮アリテ尾上ヨリ首ニ至ル背淡黑色ニ乄淡紅黃ヲ帶ヒ沙アリ頭ノ中心ニ三ツ左右ニ四眼ノ前ニ二ツ大小ノ黃星㸃アリ眼後ニ水噴ノ穴アリ穴細長ニ乄藍黑色背ヨリ尾ニ至テ細ク短キ刺並ブ腹ハ白色口は「カイメ」ノ如シ肉臭シ食乄腹痛スルヿアリ

   *

もうお分かりの通りで、これは、サメ・フカではなく、エイである。まあ、「エイひれ」もあるから、問題はなかろう。種は、既に、「大和本草附錄巻之二 魚類 エイノ類 (エイ類)」で考証してあるので、詳しくは、そちらを見られたい。結論だけを言うと、

サカタザメ(エイ区エイ上目サカタザメ目サカタザメ科サカタザメ属サカタザメ Rhinobatos schlegelii

であり、「カイメ」というのも、

九州・福岡志賀島・長崎でサカタザメの異名

としてあるのである。而して、後に本文に出る「『さかたぶか』【一名、『かいめ』、又、『すきのさき』・『すきゑひ』、漢名、「閩書」の『犁頭鯊《リトウサ》』。】」も同種となる。

「『のこぎりぶか』(漢名は「廣東名勝志」の『鋸鯊《キヨサ》』)」「水族志」は以下である(ここの右ページ後ろから五行目以降)。やっと、本書の「水族志」の引用が終わった。

   *

㋐「ノコギリブカ」[やぶちゃん注:鍵括弧閉じるが欠しているのはママ。]鋸鯊本草啓蒙曰蠻來者ハ至テ大ナル者アリ廣東名勝志曰有鋸魚南越謂之狼藉魚身長二丈口長六尺廣三寸左右生ㇾ齒如ㇾ鋸按形狀「フカ」ニ同乄上嘴長ク出扁薄左右ニ配列セリ一ハ長ク次ハ短シ刺色白ク透明嘴長ク出扁薄左右ニ排刺[やぶちゃん注:「はいし」。並び方や鋭さが特徴的なトゲ。]アリ一ハ長ク次ハ短シ刺色白ク透明嘴背ハ淡褐色ニ乄醬色ノ條アリ嘴ノ半ノウラノ左右ニ嘴下ノ內左右𪜈一行ニ短刺アリ口ハ觜ノ本ヨリ少シ下ノウラニアリ口ノ籩頬ニモ刺アリテ內ヘ曲レリ背灰色ニ乄首ヨリ背ノ左右ニ分レ淡茶色ノ縱條アリ大者此條ナシ腹白色首以下「フカ」ノ左右ノ如シ細沙アリ本草啓蒙ニ其ノ上唇長シト云非也閩書ニモ有二鋸鯊一上唇長三四尺兩旁有ㇾ齒如ㇾ鋸ト云リ「ノコギリブカ」ハ上唇長ク出テ下唇ハ無者也

   *

文句無しで、

板鰓亜綱ノコギリザメ目ノコギリザメ科ミナミノコギリザメ Pristiophorus cirratus

である。ノコギリザメ科 Pristiophoridae には全世界に二属十種がいるが、日本産は、この Pristiophorus japonicus 一種のみである。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページをリンクさせておく。ただ、鱶鰭になるかどうかは、検索して見たが、出てこない。体長一・五メートル前後で、鰭も、あまり大きくないので、商品価値がないように見受けられる。

「ばげ」これ以下は、「鱶鰭」に製造する対象を、東日本で、どう呼称するかというリストなのだが、試みに国立国会図書館デジタルコレクションで「鱶鰭 ばげ」のフレーズで検索して見たが、思うように「ばげ」なるものが見出せなかった。以下、これを蜿蜒と行うことに、私は、有益な結果が出るとは思われなかった。例えば、「尾長(をなが)」・「星鮫(ほしざめ)」・「『白鮫(しろざめ)』【漢名、「寧波府志」の『鮧鯊《イサ》』。】」・「姥鮫(うばざめ)」・「『しゆもくざめ』(漢名『閔書』の『雙馨戴』)」は、既に注したもので、ここまでお附き合いして下さった諸君には、屋上屋となろうからして、注をする必然性を全く見出せないのである。気になったものだけを、チョイスすることとした。悪しからず。

「尾羽毛(をぞけ)」福岡市の「カネ又田中商店」公式サイト内の「【尾羽毛(オバイケ)】」に、『さかなの尾びれにあたる部分で内部は白いゼラチン質が豊富です。通常さらし鯨(塩漬けのスライスをボイルし冷水にさらしたもの)になっておりますので良く冷やし、酢味噌または、からし酢味噌でお召し上がりください。』とあった。見た目は、私の好きな「クジラのさらし」に酷似ている。大型のサメ類からも、類似品が加工出来ないことはないとは思った。

「四ツ目ざめ」サイト「oceanα」の「ジンベエザメには目が四つ!? 世界最大の魚の生態と魅力を徹底紹介」(山本 真紀さん記載)の「ジンベエザメには目が4つ?」に、『ジンベエザメの眼の後ろには小さな孔が開いています。これは噴水孔という軟骨魚類(エイ・サメ)に特有の器官で、呼吸を助けるためのもの。海底で生活をする種類ではよく発達しており、エイ類などでは眼より大きいくらいです』。『遊泳性のジンベエザメでは痕跡程度ですが、本来の眼が小さいのでちょうど同じくらいのサイズ。ほら、まるで四つ目に見えませんか』? とあった。そういえば、ここまで、サメや軟骨魚類のみならず、総ての魚類の中(哺乳類である鯨類を除く)、最大種である、

軟骨魚綱テンジクザメ(天竺鮫)目Orectolobiformesジンベエザメ(甚兵衛鮫・甚平鮫)科 Rhincodontidaeジンベエザメ科ジンベエザメ属ジンベエザメ Rhincodon typus

らしき記載がなかったのに気づいた。ここは、俄然、この大御所にトリをとって頂くことと致そう。平凡社「世界大百科事典」から引く。なお、そこでは、別の表記の「ジンベイザメ」で記載されてある。『ジンベイザメ』『 Rhincodon typus 』『ネズミザメ目ジンベイザメ科の海産魚』。『ジンベエザメともいう。英名は whale shark といい,その巨体に由来する。全世界の熱帯から温帯にかけての外洋域に分布する。日本近海には初夏に暖流にのってカツオとともに北上してくる。口が吻端(ふんたん)近くにあり,背中から尾にかけて数本の縦縞と白色または黄色の斑紋があるのが特徴。現生の魚類中最大で,全長18mに達し,体重は数十tに及ぶ。性質はおとなしく人間を襲うことはない。卵生のサメで長さ30cm,幅14cm,厚さ9cmの長方形の卵殻に包まれた卵が見つかったことがあり,その中には36cmの幼魚が孵化(ふか)していた。海の表層を泳ぎ,歯は円錐形できわめて小さく,物をかむ機能はないが,代りにふるい状の鰓耙(さいは)が発達して,小魚や動物プランクトンをろ過して食べる。ときには口を垂直にして多量の品を食べることがある。カツオの中には,このサメといっしょに泳ぐ群れ(サメ付き群)がある。このためカツオの群れを見つける目安となるので,間接的には漁業に役だってはいるが食用にはしない。』とあるが、当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『フカヒレは最高級のものとされ、天頂翅と呼ばれ珍重される。先進国の中華料理店でフカヒレが好まれていることが、発展途上国の漁師によるサメ全体の乱獲に繋がっている』とあり、『肉が食されることは少ないが、味はあっさりしているという』とあった。

「いらぎ」「和歌山県」公式サイト内の「東牟婁振興局 」の「いらぎ(アオザメ)」に、「いらぎ(アオザメ) 東牟婁地方の食材コレクション」・「マグロに隠れた紀南地域の美味しい名産品」として、『●特徴』に『サメ類はまぐろはえ縄漁の外道として漁獲され、マグロと一緒に勝浦漁港に水揚げされる。サメ類は主に“フカヒレ” としての利用が有名だが、紀南地方ではアオザメの身を干物にして食べており、 土産物としても売られている』とあり、『●食べ方』に『塩干しや味醂干しの形態で販売されており、火で炙って食べる。独特の風味は、酒のお供に最高。』とする。『●旬』は『周年』で、『●産地』は『那智勝浦町』である。既注のネズミザメ目ネズミザメ科アオザメ(青鮫)属アオザメ Isurus oxyrinchus である。

「かせざめ」これは、正しく、ツノザメ上目カスザメ(糟鮫)目カスザメ科カスザメ属カスザメ Squatina japonica である。

「みすざめ」これは、既に出た、オナガザメ属マオナガ(真尾長/オナガザメ) Alopias vulpinus である。

「ふしきり」最後の最後が、幾ら調べても見当たらぬ。しかし……これって……文字列から言って、メジロザメ科ヨシキリザメ属ヨシキリザメ Prionace glauca では御座らぬかのぅ?

2025/12/22

甲子夜話卷之八 33 諏訪備前守、尾州へ御使の途中、松山侯と爭論、石川主水正裁斷せし事 /甲子夜話卷之八~了

8―33 諏訪備前守、尾州へ御使の途中、松山侯と爭論、石川主水正裁斷せし事

 

 近き頃のことなり。

 番頭(ばんがしら)諏訪備前守、尾州ヘ、御使(おんし)、蒙りて赴(もむき)しに、東海道の何驛にてかありし、松平隱岐守が松山表(おもて)よりの飛脚、行違(ゆきちがひ)しに、上使(じやうし)の事なれば、往來の者に聲掛け、下坐させしに、其飛脚計(ばかり)、下坐せざりしかば、諏訪の徒士(かし)、飛脚を捉(とら)へけるに、下供(しもども)[やぶちゃん注:諏訪備前守の道中に付き添う下級の中間ら。]、馳集(はせあつま)り、散々に打擲(ちやうちゃく)しけり。

 このこと、松山の邸吏(ていり)より、勘定奉行の道中方心得(だうちゆうがたこころえ)たる服部備後守へ訴出(うつたへいで)て、雙方(さうはう)、吟味になりける。

 松山藩にては、

「上使にてもあれ、餘り、無體(むたい)の仕方なり。」

とて、大(おほい)に怒り、其(その)曲直(きよくちよく)を明白に立(たて)んとす。

 又、番頭(ばんがしら)の輩(やから)は、

「此事、もし、松山の意(い)、立(たつ)ときは、上使の權(けん)の、輕重に預(あづか)ることなり。」

とて、各(おのおの)、諏訪に荷擔(かたん)して、紛々(ふんぷん)の論、起(おこ)る。

備後守も、裁判(さいはん)しかねて、數日(すじつ)を經(ふ)る中(うち)に、轉職して、小普請組支配(こぶしんぐみしはい)となり、其獄(そのごく)[やぶちゃん注:この場合の「獄」は「訴え」の意味であるので注意。]は、跡役(あとやく)の石川主水正(もんどのしやう)へ送りに成(なり)ける。

 主水正は、再吟味にも及ばず、松山の邸吏を呼(よび)、

「扨(さて)。此度(このたび)のこと、曲直(きよくちよく)の論は、姑(しばら)く置き、第一、公義を憚らず、我意(がい)を立てゝ、上使の權を挫(くじか)んとするは、御普第(ごふだい)の家(いへ)の本意(ほい)に非(あらざ)るべし。此事(このこと)、定めて、隱岐守の所存(しよぞん)なるべからず。役人の心得違(こころへちがひ)なるべし。よく、此旨(むね)を家宰(かさい)に申(まうし)て、明日(みやうにち)、來(きた)り、答詞(たうし)を述(のぶ)べし。夫(それ)とも、官威(くわんい)を立(たつ)るの意なく、其藩の威(い)を立(たて)んとして、勝負を爭(あらそふ)の心あらば、我等、再吟味の上、たとひ、松山の人の、直(ちよく)なるにもせよ、奉行所にては、曲事(くせごと)に申付(まうしつく)べし。」

と、色を厲(な)して言(いひ)けるに、邸吏も、頓首(とんしゆ)して退(しりぞ)きけるが、翌朝、邸吏、來り、

「昨(きのふ)の利解(りかい)を、家宰に申聞(まうしき)けるが、松山の家においては、殊更(ことさら)、官へ對し、曲直勝負(きよくちよくしやうぶ)を爭ふこと、いかであるべき。眞(まこと)に恐懼(きようく)の至(いたり)なり。此一件、何とぞ、内濟(ないさい)に奉ㇾ願(ねがひたてまつる)。」

の旨(むね)を演說しければ、卽(すなはち)、願(ねがひ)の通り、內濟に申付(まうしつけ)しとなり。

 實(まこと)に「片言析獄[やぶちゃん注:ママ。]」とも云(いひ)つべし。

 

■やぶちゃんの呟き

 まず、最後の静山の附言の「片言析獄」は恐らく、底本(東洋文庫版)の誤判読か、誤植であろう(ママ注記はないから、静山の誤字ではない)。「片言折獄(へんげんせつごく)」で、「辞書オンライン 四字熟語辞典」のここによれば、『一言で人々を納得させる裁判の判決を下すこと。また、一方の言い分だけを信じて裁判の判決を下すこと。』とあり、『「片言」は短い言葉や一方的な言い分。』、『「折」は「断」と同じ意味で、善悪を判断して決定を下すこと。』、『「獄」は訴訟のこと。』とあり、『「片言(へんげん)獄(ごく)を折(さだ)む」とも読む。』とある。

「諏訪備前守」諏訪頼存(よりつぐ)か。判らぬ。識者の御教授を乞う。

「松平隱岐守」伊予松山藩の藩主であるが、誰かは、私には判らない。識者の御教授を乞う。

「服部備後守」後に幕府勘定奉行となった旗本服部貞勝か。判らぬ。識者の御教授を乞う。

   *

 なお、本篇は、百合の若氏の「甲子夜話のお稽古」のこちらに、現代語訳がある(但し、注はない)。

   *

 遅々として進まぬものの、やっと、「卷九」を終えた。私の多くに手をつけてしまった諸電子化注プロジェクトの中で、私が死ぬまでに全部を完遂することは、不可能と思っている。せめても、脳が働くなるまでに、正編は終わらせたいとは思っているが……さればこそ、「やぶちゃん注」ではなく、「やぶちゃんの呟き」と手抜きをしているのである。お許しあれかし……

甲子夜話卷之八 32 大番頭水野山城守の事

8―32 大番頭水野山城守の事

 

 享保中、番頭(ばんがしら)勤めし水野山城守、初(はじめ)は十兵衞と呼(よび)しが、今に人口に膾炙する一代の偉人なり。

 若き時、いまだ、寄合(よりあひ)にて在(あり)し頃、徒士(かち)なども、大男を擇(えら)び、召(めし)つれて、道の眞中(まなか)を通りけるに、小身(しやうしん)の御旗本衆(おはたもとしゆ)、侍に草履取(ざうりとり)計(ばかり)の行粧(かうさう)にて來りしが、これも同(おなじ)く道の眞中を通りて避(さけ)ず。

 既に口論に及ばんとせしが、とかくして、濟(すみ)ぬ。

 後に城州(じやうしう)、兩番頭(りやうばんがしら)となりしとき、その人、組の番士たりしが、

「勇氣あり。」

とて、城州、目を掛(かけ)し、となり。

 又、惇廟(じゆんびやう)[やぶちゃん注:徳川家重のこと。]、御多病(ごたびやう)により、

「御運動(おんうんどう)の爲め、亂舞(らんぶ/らつぷ)の御相手なるべき人を、擇(えらめ)る。」とて、參政より、

「組の中に、亂舞、よくする人や、ある。」

と、尋(たづね)しかば、

「拙者組(せつしやぐみ)に、左樣の田分者(たはけもの)は、御坐なく候。」

と、答へし、となり。

 又、組より、進物番(しんもつやく)へ出役(しゆつえき)せしもの、何(なん)の時にや、席の疊目(たたみめ)を違(たが)へしことありて、とやかく、むづかしかりしを、城州、一向に聞入(ききい)れず。

「我等、見て居(をり)候が、疊目は、違(たがひ)申さず。」

と、云張(いひはり)て、その者の不調法(ぶちやうはう)に、せず。

 扨(さて)、後(のち)、その者を呼びて、

「頃日(けいじつ)[やぶちゃん注:近頃。]のことは、いかにも、疊目、違ひたり。然(しか)れども、『武士を、疊目の違ひたるなど、云(いふ)ことにて、恥かゝすることや、あるべき。』と、我等、御役(おやく)に替(かへ)ても、云張(いひはり)たり。倂(しかし)、もし、事に臨(のぞみ)たるとき、一足(ひとあし)も、引(ひか)ば、それは、許しは、いたさぬぞ。」

と戒(いましめ)し、となり。

 其(その)風采(ふうさい)、おのづから、上にも聞(きこえ)し及(およ)ばせ玉(たま)ひしや、大番頭(おほばんがしら)へ擢(ぬきんで)られしとき、上意(じやうい)を蒙(かうむ)ると、平伏して、暫(しばらく)、頭(かしら)を揚(あげ)ず。

 やうやうに、御次(おんつぎ)へ退(の)きし跡(あと)に、落淚の痕(あと)、席に殘りしを、德廟[やぶちゃん注:徳川吉宗。]、御覽ありて、御小姓衆(こしやうしゆ)に指(ゆび)さしたまひ、

「あれ見よ、鬼(おに)の淚は、これぞ。」

と、仰(おほせ)ありし、となり。

 其後(そののち)、何事か、殿中にて、老職衆(らうしよくしゆ)、

「面談する。」

とて、城州を呼(よば)れけるとき、同朋頭(どうぼうがしら)、申傳(まうしつた)へしに、城州、徐々(ゆるゆる)と、步み來(きた)る。

 同朋頭、

「早く、步み玉へ。某殿(なにがしどの)、待居(まちゐ)られ候に。」

と、云へば、大番頭は、

「左樣に、かけ𢌞(まは)るものにては、無し。」

と云(いひ)て、自若(じじやく)たりし、となり。

 又、淸水殿【俊德院殿。[やぶちゃん注:徳川家重の次男で、後の清水徳川家初代当主なった徳川重好。]】、幼稺(えうち)のとき、御表(おんおもて)の席々へ、遊びながら、出玉)いでたま)ふこと、あるに、其席にあるもの、樣子を見繕(みつくろ)ひ、皆、逃(のが)るゝことなりしに、一日(いちじつ)、「菊の間」に、城州、ありしとき、淸水殿參られしが、付添(つきそひ)たる小納戶衆(こなんどしゆ)、城州を見て、

「早く、にげたまへ。」

と云(いひ)ければ、城州、何(なに)しらぬ顏(がほ)にて、

「番頭は、にげるもので、なし。」

と云(いひ)て、堅坐(けんざ)して、動かざりし、となり。

 

■やぶちゃんの呟き

「水野山城守」水野忠英である。個人ブログらしき「寛政譜書継御用出役相勤申候」の「水野 6700石(元高6000石)」のページに、『甲子夜話(1)147頁』(=本文)『に出ている水野山城守はこの人の祖父(忠英『寛政譜』(6)117頁)。道を譲る譲らないで自分に盾突いた相手を見どころありと抜擢する話。その相手の旗本は、『耳袋』(岩波文庫版)上巻243頁で瀬名伝右衛門と知れる。』とあった。この話、実は、私の二〇一〇年四月九日に公開した「耳囊 卷之二 瀨名傳右衞門御役に成候に付咄しの事」がそのものであり、その注で、既に考証してあるので、見られたい(古過ぎて、すっかり忘れていた。トホホ……)。

「亂舞」この場合は、能楽で、演技の間に行う速度の速い舞。また、能のこと。「らっぷ」とも言う。

「疊目」「疊の目」とも言い、これは、「畳の敷き方」を指す。そこには、祝儀・不祝儀に扱われる複雑な禁則規定が存在する。幾つかのサイトを見たが、この本文の書き方では、どのような誤りがあったのかが、判然としないので、具体的な問題個所は、よく判らない。目から鱗の解説に遂に行き至らなかった。取り敢えず、「さわはた畳屋」公式サイトのブログの「畳の敷き方にも基本的なルールがあります。こっちの畳とあっちの畳を入れ替えてみたいけどできるの?」で、何となく、私は理解し得たと感じた。本文の謂いを、より、ズバリと解き明かしているところがあるのであれば、御教授下されると、幸いである。

2025/12/21

甲子夜話卷之八 31 大岡越州よく鄙事に通達せし事

8―31 大岡越州よく鄙事(ひじ)に通達せし事

[やぶちゃん注:チョー有名人が出現した。「鄙事」は、この場合、冒頭で「瑣事(さじ)」(少しばかりのこと・取るに足りないつまらないこと)と言っているように、広義の「俗事(ぞくじ)」の意。今回は、早合点で、途中で注を施してしまった……トホホ……。]

 

 大岡越前守は名譽の町奉行なり。瑣事までも、よく、下情(げじやう)に通じ、その敏捷(びんせふ)なるを想ひやらるゝこと、あり。

 一日(いちじつ)、いづれの町よりか、其店(そのたな)に、

「無商賣にて、相應に暮(くら)すものあり。」

とて、訴へ出(いで)しを、與力(よりき)、取次(とりつぎ)て申聞(まうしき)ければ、白洲(しらす)へ呼出(よびいだ)し、越州(えつしう)、出坐(しゆつざ)して、

「其方(そのはう)は、地搜(ぢさがし)か。」

と尋(たづ)ぬ。

「左候(ささふらふ)。」

と申(まうし)ければ、

「許してやれ。」

迚(とて)、坐を起(たち)ける。

[やぶちゃん注:「地搜(ぢさがし)」(読みは、東洋文庫版にあった)は、流石に、ピンとこなかった。静山は、実は、本文の終わりで説明しているのだが、各個撃破ばかり考えて、全文を読まない癖がついたのである。国立国会図書館デジタルコレクションで検索を掛けたら、幸いに、バッシ! と模範解答を見つけることが出来た。「大名小路から丸の内へ 江戸絵図が語る丸の内三〇〇年」(玉野惣次郎編著・一九九五年菱芸出版刊)の「名奉行・大岡越前守の実像」のここで、まさに本文の当該部が引用された後に、『〝地捜し〟とは、最近は見かけなくなったバタ屋の隠語である。与力さえ知らなかった言葉を、奉行の越前守が知っていて、地捜しも商売と判断したのであった。』とあった。若い諸君は「バタ屋」でもピンとこないだろうから、老婆心乍ら謂い添えておくと、「屑屋(くずや)」・廃品回収業者のことである。当該ウィキに拠れば、『別名にバタ屋、紙くず屋、ボロ屋、くず鉄屋、てん屋がある。』とあるが、「地捜し」はない。ウィキさんよ、入れといた方がいいぜ! 私は、嘗てはウィキペディアンだったが、いい加減、勝手に私が修正したものを元に戻すことが数回あって、堪忍袋がキレて、永久にオサラバしたので、やる気はネエよ!

 又、町より、

「肴賣(さかなうり)を、其(その)最寄(もより)寺院の、女犯(によぼん)の媒(なかだち)する。」

迚(とて)、訴へ出(いで)し、あり。

 是も白洲にて、

「其方は、南向(みなみむき)か、北向か。」

と尋けるに、

「南向に候。」

と、答ければ、

「大目に見てやるぞ、北向ならば、許さぬぞ。」

と、言棄(いひすて)て、起(おこし)て、入りける。

[やぶちゃん注:「南向か、北向か」これもさっぱり判らなかった(同前で、静山は、終わりで説明している)。やはり、国立国会図書館デジタルコレクションで、又しても、模範解答を見出した。「人物探訪日本の歴史 7 将軍と大名」(一九八三年暁教育図書刊)の、徳永信一郎氏の「大岡忠相 裁決明断の江戸町奉行」の最後のここで、当該本文を次のように訳した上で、以下のように補足している。下線太字は私が附した。

   《引用開始》

 あるとき、魚売りが近所の寺院で女犯の媒介[やぶちゃん注:「なかだち」に同じ。]をしている――と訴え出たものがあった。

 忠相は、寺院の住職を白洲(しらす)へ呼び出し、

「その方は南向きか北向きか」

と問い、南向きだと答えると、

「南向きなら大目に見てやる。北向きなれば許さぬぞ」

と叱りつけ席を立った。そのころ吉原のことを北向き、魚を食うことを南向きというのが僧侶の隠語(いんご)であった。忠相が下情に通じていたという一例である。

   《引用終了》

私は、本文の「肴賣を」の「を」から、迂闊にも、魚売りが呼び出されて尋問されたものと読んでいたが、考えて見れば、この場合、それが事実なら、問題なのは、遙かに、その寺の住職であって(女犯(にょぼん)は浄土真宗僧以外は死罪であった)、当然、住職が召喚されるのが当然だと、横手を打ったのであった。

 後(のち)に、與力、

「何事なりや。」

と問(とひ)しかば、

「是等のことも知らで、町與力が、勤(つとま)るものか。」

と、叱り付けられ、與力も、

「膽(きも)を落(おと)せり。」[やぶちゃん注:「啞然とするばかりであった」の意。]

と、なり。

 この「南向」とは、「僧の肴喰(さかなぐひ)」ことなり。「北向」とは、「女犯」のことなり、とぞ。

 「地搜」とは、早天(さうてん)に、夜中、道路に落(おち)たるものを、拾ひ、賣代(うりしろ)なして、活計(くわつけい)にする名なり、とぞ。

 いづれも、そのことを匿(かく)して、人に分らぬやうに云(いふ)、鄙言(ひげん)なり、と、云(いふ)。

 

■やぶちゃんの呟き

 因みに、大岡忠相は延宝五(一六七七)年生まれで、宝暦元年十二月十九日(一七五二年二月三日)に亡くなっている。当該ウィキに拠れば、死因については、『呼吸器系・消化器系の疾患を患っていたと考えられている』とある。静山は、その死の九年後の宝暦十年一月二十日(一七六〇年三月七日)に生まれている。

 

甲子夜話卷之八 30 番頭高井兵部少輔、組士井上圖書のこと。又、其頃の番頭、風儀の事

8―30 番頭高井兵部少輔、組士井上圖書のこと。又、其頃の番頭、風儀の事

 高井兵部少輔(ひやうぶせういう)、番頭(ばんがしら)、勤めし頃は、世風(せふう)、おのづから武氣(ぶき)ありて、今の如き、軟弱の習(ならひ)は無(なか)りし、となり。

 後(のち)、大目付までに昇りし井上圖書頭(づしよのかみ)は、その組(くみ)にて、ありしが、殊に貧困にして、勤め續(つづく)べからざるほどのことなりしを、

「人物に、見所(みどころ)あり。」

とて、色々に勸めて、勤(つとめ)させ、遂に、御目付へ、申上(まうしあげ)て、御用召(ごようめし)になりしとき、兵部の宅へ、圖書、來り、

「明日(あす)は、召(めさ)せられ、難ㇾ有(ありがたき)ことに候へども、迚(とて)も勤め候ことは、出來不ㇾ申候(できまうさずさふらふ)に付(つき)、病(びやう)きにて、引(ひき)候の外(ほか)は無く候。格別に御見立(おみたて)下され候へぱ、御禮(おんれい)を申(まうし)て引(ひき)候。」

と、愁然として申(まうし)けるに、兵部、近習(きんじふ)を呼べば、物蔭より、廣蓋(ひろぶた)を持出(もちいで)て、圖書の前に置く。

 これを見れば、井上家紋の小袖、麻上下(あさかみしも)に金五十片を添(そへ)たり。

 其時、兵部、云(いふ)。[やぶちゃん注:底本の句点を採用したので、ここは「いはく」では、合わないと判断した。]

「いかやうにもして、勤め續れ候へ。」

と、ありしかば、思ひよらぬ厚意に感じ、圖書、翌日、登城(とじやう)し、御役(おやく)を蒙(かふむ)り、勤めし、とぞ。

 又、

『組の某(なにがし)を、見立(みた)て申上(まうしあげ)ん。』

と思惟(しゐ/しゆい)せしが、尙も、その人物を試(ためさ)ん迚(とて)、ある日、某の宅に來りて、供の者は、途中にて、辨當、用(もちひ)させたり。

「予は、『これより先に、親族、あれば、その所に至り、飯(めし)用(もちひ)ん。』と思ひしが、『近く、相番(あひばん)のあるに、それ迄へ行(ゆく)にも及ばじ。』と思ひ立(たち)、よりたり。茶漬飯(ちゃづけめし)、所望(しよまう)す。」

と、云(いひ)ければ、某(なにがし)、とりあへず、飯に香物(かうのもの)・座禪豆(ざぜんまめ)計(ばかり)にて、茶漬を出(いだ)しければ、快(こころよ)く、數椀(すわん)を喫(きつ)し、歸りて、決心して、某を書上(かきあげ)し、となり。

 その、眞率にして、少しも取飾(とりかざり)なきを、めでしなり。

 又、その組より出(いで)て、御目付勤めし某(なにがし)、あるとき、殿中(でんちゆう)混雜せし折節(をりふし)、兵部の坐(ざ)して在(あり)しに、立(たち)ながら、物言(ものいひ)けること、ありしかば、

「御自分は、我等組より見立てゝ申上(まうしあげ)しものなり。かゝる不禮の擧動におひて[やぶちゃん注:ママ。]は、申上げて、御役御免(おやくごめん)にすべし。」

と、怒りしかば、某、罪を謝しけれども、用ひず。同寮(どうりやう)、交(かは)る交る、陳謝して、やうやく、事無く濟(すみ)し、となり。

 此頃(このころ)、北條安房守、西鄕筑前守など、いづれも、番頭なりしが、皆、手强(てごは)なる、やかましき男(をのこ)どもなりし、とぞ。

 同僚、集會(しふくわい)のとき、袴(はかま)を脫(ぬぐ)と云(いふ)こともなく、遊興(いうきよう)がましきこと、少しも、無し。

「畫工(ぐわこう)を呼(よん)で、丹靑(たんせい/たんぜい)など、さすれば、珍しき遊興にてありし。」

と、人も云(いひ)たるほどのことなりし、とぞ。

 こは、『番士の手本ともなるべき身なれば』とて、互(たがひ)に嚴重(げんじゆう)なる事にて、ありし、と、なん。

 

■やぶちゃんの呟き

標題の「風儀」とは、「外形で見たところの人(々)の品行」の意。

「高井兵部少輔」花岡公貴氏の論文「高田藩の宝暦地震史料」(『上越市立歴史博物館 年報』紀要(第四号)・二〇二四年発行・PDF。宝暦は一七五一年から一七六四年まで。徳川家重・家治の治世)の中に、田沼意次の時代に、高井兵部少輔詮房の名を確認出来た。この人物であろう。

「番頭」江戸幕府の大番頭・書院番頭・小姓番頭・新番頭などを指す。

「大目付」老中の支配下にあって、幕府の政務の監督、諸大名の監察などに当たった。定員は四~五名で、旗本から選ばれた。

「井上圖書頭」思うに、「耳囊」の「卷之四 井上氏格言の事」に、高井の話によく似た毅然とした物言いをした、井上図書頭正在(いのうえまさあり 享保十六(一七三一)年~天明七(一七八七)年)の話がある。そこで私は、彼は、明和四(一七六七)年御小性組頭、安永二(一七七三)年大目付、安永八(一七七九)年従五位下図書頭、天明五(一七八五)年普請奉行。ネット情報では、杉本苑子の小説「冬の蝉」では、まさに硬骨漢として描かれているらしい、と注した。

「金五十片」金五十両であろう。

「見立て」観察して適当な者を選び出すこと。抜擢。

「座禪豆」「唐納豆」の別名で、納豆の一種で、大豆を蒸煮して、煎った小麦粉を加えて発酵させ、食塩水に漬け、さらに香辛料を加え、長期間、乾燥させた粒状の納豆で、味噌に似た風味を持つものを指し、主として寺院で製造され、僧が座禅中、小用に立たないために食べたところからの名とされる。「ざぜまめ」とも言う。但し、この場合は、「黒大豆を甘く煮た食べ物」の意であろう。

「御目付」江戸幕府では、若年寄の支配下で旗本・御家人を監察した。

「北條安房守、西鄕筑前守」忙しく、私は調べる価値を認めないので、御自分でお調べ下され。

「丹靑」絵の具で描くこと。

2025/12/20

甲子夜話卷之八 29 十八大通の事

8―29 十八大通事

 寶曆の後(のち)の事かとよ。

 江都に「十八大通(じふはちだいつう)」と云(いへ)る狂客(きやうかく)ありて、その「巨魁(きよくわい)」と呼(よび)しは、「杏雨(きやうう)」と號せし者なり【御藏前(おくらまへ)の札刺(ふださし)坂倉治兵衞(ぢへゑ)。後(のち)、隱居して更名(かうめい)、又、「杏翁(きやうわう)」とも云へり。】。

 或時、いづ方の町か、肆店(してん)にて、口論あり。相手は、鳶(とび)の者の强氣(つよき)なりし男(をのこ)なれば、中々、諸人(しよにん)、手に合はず。

 人を、はせて、杏雨に告ぐ。

 杏雨、速(すみやか)に、その處に來り見れば、鳶の男は、夜叉(やしや)の如き體(てい)なるを、杏雨は、意ともせず、

「己(をの)れ、憎き奴(やつ)かな、早々、立去(たちさる)べし。」

と、云(いひ)ながら、鳶の手先を、とりて、ねぢつけたるに、さしも、剛强(がうきやう)と見へし鳶、

「あいた、あいた、」

と言(いふ)まゝに、地上に、ねぢ伏せられたり。

 杏雨は、やがて、懷中より、煙管(きせる)づゝを出(いだ)し【此頃(このころ)は、裂(キレ)にて、長き烟管筒(きせるづつ)を縫ひ、上を結べる習(ならひ)なればなり。】、兩手を縛り、引(ひき)ずりて、町役人に、

「この野郞を、町外(まちそと)に連行(つれゆ)き、縛(ばく)を解(と)き、追放つべし。」

迚(とて)、還りぬ。

 見(みる)者、堵(かき)の如し。

 皆、駭入(さはぎいり)て、

「流石(さすが)、杏翁かな。年、既に八十に及べる老人の、かゝる夜叉を、自在にすることよ。」

とて、感歎せぬは、無(なか)りける。

 後(のち)、竊(ひそか)に聞(きく)に、杏雨、告(つげ)を聞(きく)と、卽(すなはち)、其(その)口論の譯(わけ)を問(とふ)に、僅(わづか)に一星金(いつせいきい)を、借(か)れども、貸(かさ)ざるの出入(でいり)[やぶちゃん注:悶着沙汰。]なり。

 因(より)て、金五片を密(ひそか)に持往(もちゆ)き、かの手を、握るとき、持添(もちそへ)て、ねぢたる[やぶちゃん注:捻じ込んでやった。]ゆゑ、一言(いちごん)に及ばず、自由にせられたり、と也(なり)。

「是(これ)ぞ、『十八大通』の所以(ゆゑん)なるべし。」

と、人、評せり。

 

■やぶちゃんの呟き

「寶曆」一七五一年から一七六四年まで。徳川家重・家治の治世。本書は、文政四(一八二一)年十一月の甲子の夜に執筆を開始しているから、六十年ほど前の話となろう。

「十八大通」「大通」は小学館「日本国語大辞典」に拠れば、『遊里の事情や遊興の道によく通じていること。また、その人。ほんとうの通(つう)。明和年間(一七六四‐七二)に江戸に起こった語で、安永年間(一七七二‐八一)に大いに流行し、それが西にひろがり、寛政(一七八九‐一八〇一)から文化・文政(一八〇四‐三〇)にかけて上方でも流行語となった。』とあるが、この手の話は、私は興味が全くないので、ウィキの「十八大通」を見られたい。

「狂客」原義の「並外れた奇抜な行ないをする酔狂人」を含んだ「風流を愛する人」の意。

「杏雨」「坂倉治兵衞」ウィキの「十八大通」のリストの冒頭に挙がっている、号・通称『暁雨・暁翁』で、屋号は『大口屋治兵衛』、商売『札差、明和四年』(一七六一~二年)『廃業』とあるのが、彼である。前の解説に『その多くは札差であった』とある。

「御藏前」現在の台東区蔵前

「札刺」札当該ウィキ「札差」を見よ。

「更名」雅号の改名。

「杏翁(きやうわう)」この読みは確認出来なかったので、私の推定である。

「一星金」「一分金(いちぶきん)」(金貨)の別称。一両(一千文)の四分の一。米価が安定していた宝暦頃では、一両は米換算で現在の五~六万ほどで、一万二千五百円から一万五千円ほどになるか。まあ、一般町人にとっては、それよりも、やや低めであろう。

「借れ」「貸してくんな!」で『「つけ」にしろ!』と言ったのである。

「出入」悶着沙汰。

「金五片」小判五両であろう。

「ねぢたる」手の中に捻じ込んでやった。

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「神隱《かみかくし》」

[やぶちゃん注:底本はここ。やや長いので、段落を成形し、句読点・記号を補塡した。]

 

 「神隱」 安倍郡《あべのこほり》府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、

『今は昔、駿府御城內に「神隱し」と云《いふ》事ありて、自然に、人の見えざる事[やぶちゃん注:何らの理由や原因なしに、人が行方知らずになること。]、有り。

 何《いつ》の頃にや有《あり》けん、岩手伊左衞門某《なにがし》と申《まうす》人、駿城《すんじやう》に、在番《ざいばん》有りしに、其家士《かし》に浪足金六郞《なみあしきんごらう》と云《いふ》者、あり。生得《しやうとく》、儀《ぎ》なる人[やぶちゃん注:実直な人。]にて、能《よく》勤《つとめ》ければ、岩手氏も、甚《はなはだ》、寵愛されにけり。

 然《しか》るに、此金六郞、

「聊《いささか》、風邪に犯《おかさ》れたり。」

迚《とて》、一兩日、臥居《ふしゐ》たりけるが、一夜《ひとよ》、以《もつて》の外《ほか》、苦《くるし》みければ、朋友等《ら》、夫々《それぞれ》に心付《こころづけ》て、樣々《さまざま》に介抱しければ、惱亂《なうらん》、漸々《やうやう》靜《しづま》りけり。

 附添《つきそひ》し人々、

「今は、心安し。」

とて、各《おのおの》、其傍《そのかたはら》に轉《まろ》び宛《つつ》、宵《よひ》よりの勞《いたはり》に、前後も知らず、臥居《ふしゐ》たり。

 時に、金六郞、起上《おきあが》り、枕元に掛置《かけおき》し己《おのれ》が刀《かたな》を拔き持《もち》て、裏の方《かた》へ出《いで》けり。

 附添し人々は、一寢入《ひとねいり》して、目を覺《さま》し、あたりを見れば、金六郞が刀の、鞘《さや》のみ、貽《のこ》り有《あり》て、金六郞は居《をら》ざりけり。

「こは、いかに。」

と怖《おそれ》て、家內《かない》[やぶちゃん注:家人の者ら。]を起《おこ》し、如々《しかじか》の由を告げ、挑灯《ちやうちん》・松明《たいまつ》にて、尋《たづね》ける。

 時しも、八月下旬にて、庭に茂りし一村《ひとむら》の薄《すすき》の中《なか》に立居《たちゐ》たり。

 見附《みつけ》し者共、聲、掛け、

「金六郞は、爰《ここ》に居《をり》たるぞ。」

と云ふ。

 人々、悅び、駈付《かけつき》しを、薄の中より、走り出《いで》、向《むか》ふ者を、二、三人、數か所に、創《きず》を負《おは》せければ、恐《おそれ》て、近付《ちかづく》者もなく、只《ただ》、遠卷《とほまき》にして見居《みをり》たるに、不思議哉《や》、金六郞、鳥《とり》の如くに、舞上《まひあが》り、虛空《こくう》をさして、翔《かけ》り行く。

 並居《なみをり》し人々、膽《きも》を消《け》し、

「あれよ、あれよ、」

と云《いふ》內《うち》に、土居《どゐ》[やぶちゃん注:高級な武家屋敷の防御目的の相応の高さの土塁を指す。]より、高く、舞上《まひあが》り、龍爪山《りゆうさうざん》に飛行けり。是天狗の業成りとぞ。

 其後、菅沼圖書《すがぬまづしよ》某《なにかし》の家士芦原源藏《あしはらげんざう》某《なにがし》と云《いふ》者、神隱しにあひて、見えざりけるが、謂《いはれ》、有りて、其譯《そのわけ》、立《たち》がたし。終《つゐ》に、菅沼家、斷絕す。

 亦、其後《そののち》、御定番《ごじやうばん》金田遠江守某、中間《ちゆうげん》源藏と云《いふ》者、神隱しにて、行衞《ゆくゑ》、知れず。

 亦、其後、御城代《ごじやうだい》杉浦出雲守某、中間金六と云《いふ》者、神隱しにあひけり。

「金六・源藏と名乘る者、四人迄、神隱しにあひけるも、不思議成《なり》し事。」

と、府中吳服町《ごふくちやう》の肴屋太兵衞《さかなやたへゑ》と云《いふ》者、語りし也《なり》。

 

[やぶちゃん注:家士は、主家によりけりであるが、プレッシャーは相対的に大きい。実直にしてよく勤ていたとあり、主人も重用していたからには、精神的には、逆に、かなり気配りを過剰に行っていたものと推察出来る。こうした、生まれつき、神経質な人物は、往々にして、生得的に癲癇気質を持っていたり、ストレスが限界を超えると、他虐的な統合失調症状に至ることは、まま、ある。一番、典型的なのは、菅沼図書某の家士である芦原源蔵某のケースで、「謂、有りて、其譯、立がたし。終に、菅沼家、斷絕す。」という部分で明白である。この主人菅沼図書某は、恐らく、城代等にも仕事や人格・素行に問題があると知られていた人物であったものと思われ、されば、家士の理由不明の失踪が、主人の扱いに耐え切れずに出奔したものと城代が判断したからこそ、相応の主人側の不埒な家士の扱いが悪しき「謂われ」こそが元凶であると断罪され、一家断絶となったと考えられるからである。後半に出る中間の場合は、もっと地位が低く、社会的安定性も極めてよくないことから、適当にこなすズル賢い知恵がない、却って真っ正直な者に限って、上手く立ち回ることが出来ず、情緒不安定に陥る可能性は、いや高くなる。これは、私が電子化注してきた有象無象の江戸の市井談集や怪奇談集の登場人物に、しばしば、半グレその者のような輩が、結構、見られ、その反対の実直な誠実な中間も、これまた、相応に、いるからである。

「龍爪山」複数回既出既注。ここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「府中吳服町」現在の静岡市葵区呉服町(ごふくちょう)。]

2025/12/19

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 目録・山草類 上卷・黃耆

 

Ougi

 

わうぎ   黃茋 戴糝

      戴椹 芰草

黃耆   王孫 百本

    【耆長也色黃爲

     諸藥之長故名】

     【倭名夜波良】

ハアン スウ 久佐

 

綱目黃茋葉似槐葉而微尖小又似蒺藜葉而微濶大青

白色開黃紫花大如槐花結小尖𧢲長寸許根長二三尺

[やぶちゃん注:「𧢲」は「角」の元字。]

以緊實如箭簳者爲良嫩苗亦可𤉬淘茹食其子收之十

月下種如種菜法亦可有數種

 白水黃茋 赤水黃茋 綿黃茋 土黃茋

蓋白水赤水者共陝西之鄕名綿者出於山西沁州綿上

故名或云用其皮折之柔靱如綿者爲良乃謂之綿黃茋

木黃茋者短而理橫今人多以苜蓿根假之俗呼爲土黃

耆伹堅而脆味苦令人瘦黃耆柔而味甘令人肥大異用

者宜審木黃耆亦勿用

氣味【甘徵温氣薄味厚】 可升可降陰中陽也人參補中黃耆實

 表藥中補益呼爲羊肉其用有五補諸虛不足益元

 氣壯脾胃去肌熱排膿止痛活血內托陰疽爲

 瘡家聖藥元氣弱肥白而多汗者止之虛熱無汗

 則發之防風能制黃耆黃耆得防風其功愈大乃相畏

 相使也【伏苓爲之使悪𬹝甲白鮮皮】

[やぶちゃん字注:「𬹝」は「龜」の異体字。]

△按今藥肆不論出𠙚好悪皆號綿黃茋售之伹擇取切

 口黃色柔靱者可用是亦經年者爲堅實而不佳故新

 渡者良又出於倭者名富士黃耆經久則堅脆味亦不

 甘疑此苜蓿根矣不堪用故令售者禁止也

 

   *

 

わうぎ   黃茋《わうぎ》 戴糝《たいさん》

      戴椹《たいじん》 芰草《きさう》

黃耆   王孫《わうそん》 百本《ひやくほん》

    【「耆」は「長《ちやう》」なり。色、黃に

     して、諸藥の「長」爲す。故、名づく。】

     【倭名、「夜波良久佐《やはらぐさ》」。】

ハアン スウ

 

「綱目」に曰はく、『黃茋、葉、槐《えんじゆ》の葉に似て、微《やや》、尖《とが》り、小《ちさ》し。又、蒺藜《しつり》の葉に似て、微《やや》、濶(ひろ)く、大《おほき》く、青白色《せいはくしよく》。黃紫《きむらさき》の花を開く。大《おほい》さ、槐の花のごとく、小《ちさ》く、尖《とが》りたる𧢲《さや》を結ぶ。長さ、寸許《ばかり》。根の長さ、二、三尺。緊實《きんじつ》にして箭-簳(やがら)のごときなる者を以《もつて》、良と爲《なす》。嫩《わかき》苗≪も≫亦、𤉬(ゆ)で[やぶちゃん注:「茹で」に同じ。]、淘《よな》≪ぎて≫[やぶちゃん注:水で綺麗に洗い流して。]、茹-食(くら)ふべし。其《その》子《み》、之《これ》を收《をさ》めて、十月に、種《たね》を下《くだ》す。菜を種《うう》る法《はう》のごとくにして、亦、可なり。數種、有り。』≪と≫。

[やぶちゃん注:以下は、五つの名は、ブラウザの不具合を考えて、一行で分けた。]

『白水《はくすい》の黃茋《わうぎ》』

『赤水《せきすい》≪の≫黃茋』

『綿《めん》≪の≫黃茋』

『土《ど》≪の≫黃茋』

『蓋《けだ》し、「白水」・「赤水」とは、共に陝西の鄕《がう》の名なり。「綿」とは、山西《さんせい》の沁州《しんしう》綿上《めんじやう》より、出《いづ》る。故《ゆゑ》に名《なづく》るなり。或《ある》人の云《いは》く[やぶちゃん注:「人」は送り仮名にある。]、「其《その》皮を用《もちひ》て、之を折るに、柔-靱(しな)へて、綿のごとくなる者を、良《よし》と爲《なし》、乃《すなはち》、之を、『綿黃茋』と謂ふ。」と。「木黃茋」は、短《みじかく》して、理-橫(すぢざま)なり。今の人、多《おほく》、「苜蓿根《もくしゆくこん/むらさきむまごやしのね》」を以て、之に假(に)せる。俗、呼《よん》で、爲「土黃耆《どわうぎ》」と爲《なす》。伹《ただし》、堅《かたく》して脆《もろ》く、味、苦《にが》く、人をして瘦(や)させしむ。黃耆の《✕→は》、柔《やはらか》にして、味、甘く、人をして肥《こえ》れ《✕→せしむ》と、大《おほき》に異《こと》なり《✕→なれり》。用《もちふ》る者、宜《よろしく》、審(つまびら)かにすべし。「木黃耆」も亦、用ること、勿《なか》れ。』≪と≫。

『氣味【甘、徵温。氣、薄《うすく》、味、厚《あつ》し。】』『升《のぼ》すべく、降《くだ》すべく、陰中《いんちゆう》の陽《やう》なり。人參は、中《ちゆう》を補《おぎな》ひ、黃耆は、表《へう》[やぶちゃん注:皮膚。]を實《じつ》[やぶちゃん注:本来の正常な生き生きとした皮膚の状態を指す。]≪に≫す。藥中《やくちゆう》の補益、呼んで、「羊肉《やうにく》」と爲《なし》、其《その》用、五つ、有り。諸《もろもろ》≪の≫虛《きよ》≪の≫不足を補ふ【一つ。】。元氣を益す【二つ。】。脾胃《ひい》を壯《さう/さかん》にす【三つ。】。肌熱《ひねつ》を去る【四つ。】。膿《うみ》を排《のぞ》き、痛《いたみ》を止《と》め、血を活《かつ》し、陰疽《いんそ》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に『(表面に出ない瘍)』とある。]を內托《ないたく》す[やぶちゃん注:『膿を外へ追い出す力もないような』患者『の体力をつけて、体の内側の回復力(免疫力)を高めて、膿を排出させ、肉芽の形成を促進させる』こと。引用元等、必ず、後注を見られたい。]。瘡家《さうか》[やぶちゃん注:皮膚科医。]の聖藥と爲《なす》なり[やぶちゃん注:この「也」は割注の下にあるが、引き上げた。]【五つ。】。元氣、弱(《よ》は)く、肥白《ひはく》[やぶちゃん注:肉付きが強く、肌の色が白いこと。]にして、汗、多き者は、之を止《と》め、虛熱《きよねつ》にして、汗、無きは、則《すなはち》、之を發《はつ》す[やぶちゃん注:発汗させる。]。防風《ばうふう》、能く、黃耆を制し[やぶちゃん注:ここは、「最も効果的に制御し」の意。]、黃耆は、防風を得て、其功、愈(《いよ》いよ[やぶちゃん注:原本では「愈」の右下に踊り字「〱」がある。])、大なり。乃《すなはち》、相畏《あひおそ》れて、相《あひ》使《し》なり[やぶちゃん注:互いに相畏(そうい:互いに相手の作用を弱めることで、毒性や刺激性、副作用を軽減する配合のこと)であることを言う。「藥品(6) 相畏」を参照のこと。]【伏苓《ぶくりやう》、之れが使《し》と爲す。𬹝甲《きつかう》・白鮮皮《はくせんひ》を悪《い》む。】。』≪と≫。

△按ずるに、今、藥肆《やくし》に、出𠙚《しゆつしよ》・好悪《よしあし》を論ぜずして、皆、「綿黃茋《めんわうぎ》」と號《がう》して[やぶちゃん注:称して。]、之を售(う)る。伹《ただし》、切口《きりくち》≪の≫黃色にして、柔-靱(しな)へたる者を擇-取(えらびと)り、用《もち》ふべし。≪然れども、≫是《これ》亦、年《とし》經《へ》たる者は、爲(《た》め)に、堅實《けんじつ》にして、佳《か》ならず。故《ゆゑ》、新渡《しんわたり》の者、良し。又、倭《わ》より出《いづ》る者、「富士黃耆《ふじわうぎ》」と名《なづ》く。久《ひさしき》を經《へ》れば、則《すなはち》、堅《かたく》脆《もろ》く、味、亦、甘《あま》からず。疑《うたが》ふらくは、此《これ》、「苜蓿根」か。用《もちふ》るに、堪へず。故《ゆゑ》、售《う》り者をして、禁止しせし《むる》なり。

 

[やぶちゃん注:この「黃耆」=「黃茋」は二度ほど、注をしてあるが、独立項なので、詳細に解説する。まず、基原は、

双子葉植物綱マメ目マメ科ゲンゲ(紫雲英・翹揺)属キバナオウギ(黄花黄耆) Astragalus membranaceus の根

及び

ゲンゲ属ナイモウオウギ(黄花黄耆:別名モウコオウギ(蒙古黄耆))Astragalus mongholicus の根

で、「東京生薬協会」公式サイトの「新常用和漢薬集」の「オウギ (黄耆)」に拠れば、「産地」は『日本(北海道,岩手県),中国(内蒙古自治区,山西,黒竜江,河北省など),韓国,ロシアなどで栽培』するとあり、「性状」は『ほぼ円柱形を呈し,長さ 30 100 cm,径 0.7 2 cmで』、『ところどころに小さい側根の基部を付け,根頭部の近くはねじれている.外面は淡灰黄色 ~ 淡褐黄色で,不規則な粗い縦じわと』、『横長の皮目様の模様がある.折りにくく,折面は繊維性である.横切面をルーペ視するとき,最外層は周皮で,皮部は淡黄白色,木部は淡黄色,形成層付近は』、『やや褐色を帯びる.皮部の厚さは木部の径の約1/3 1/2で,細いものでは木部から皮部にわたって白色の放射組織が認められるが,太いものではしばしば放射状の裂け目となっている.通例,髄は認めない.』とし、『弱いにおいがあり,味は甘い.』とある。本文の選別に関わる点で、大事な部分は「選品」の項で、そこには『柔軟で質が緻密で甘味があり,香気の高いものが良い.質が粗雑で苦味があり,黒色をおびるものは良くない.』とする。「適応」の項には、『止汗,利尿,強壮の効を期待し,身体虚弱・皮下組織の水毒停滞を改善し,皮膚の増殖,排膿を目的とする薬方に配合する.』とあった(根・生体の写真有り)。因みに、「備考」に『基原植物の変種のタイツリオウギ A. membranaceus var. obtusus が日本に分布している.イワオウギ Hedysarum iwawogiは和黄耆として用いられたが』、『現在は共に正品ではない.』とある。

 さても。やはり、久しぶりに各個植物に戻ったので、最も信頼している神農子さんのものを引用させて戴く。「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 黄耆(オウギ)」である。

   《引用開始》

 黄耆は『神農本草経』の上品に収載された補益薬(補気薬)で、「味甘微温。主癰疽久敗瘡排膿止痛大風癩疾五痔鼠瘻補虚小児百病」と記載されました。現在でも「補中益気湯」「十全大補湯」「防己黄耆湯」など虚証を対象とした多くの重要処方中に高い割合で配合されています。華岡青洲方に収載されている「帰耆建中湯」での黄耆の役割も、気血を補い、肌を生かし、托裏排毒であるとされ、まさに『神農本草経』の記載のとおりです。李時珍は、「耆」には長の意味があり、黄耆は黄色で補薬の長であるから名前がついたと書いています。黄耆は中国人が人参以上に愛する補益薬です。

 黄耆にはいくつかの種類があります。それぞれ「綿黄耆」「紅耆(晋耆)」「土黄耆(木耆)」「和黄耆」などと称され、原植物が違っています。「綿黄耆」は現在黄耆の正品とされているもので、マメ科のキバナオウギ Astragalus membranaceus Bunge 又は ナイモウオウギ Amongholicus Bunge の根とされます。また、「紅耆」はマメ科の Hedysarum polybotrys Hand.-Mazz.の根、「土黄耆」は中国安徽省や山西省に産し、やはりマメ科のムラサキウマゴヤシ Medicago sativa L.、シナガワハギ Melilotus suaveolens Ledeb.、コゴメハギ Melilotus albus Desr.などの根で、これらはすべて黄耆の代用品とされています。また、「和黄耆」はわが国に野生するイワオウギ Hedysarum vicioides Turcz.の根で、かつてわが国で黄耆が品薄のときに代用されていました。

 以上のごとく原植物は4属にわたっていますが、『図経本草』に「黄耆の茎は一本立ちし、叢生する。根皮を折ると綿のように繊維質であるので綿黄耆と言うのだ」とあるところから、Astragalus 属植物を正品としてよいように思われますが、花の色が「黄紫」と記されている点は合致せず、宋代にはすでに原植物が混乱していた現れのように思われます。上述の植物の中ではムラサキウマゴヤシのみが紫系の花を咲かせます。なお、Astragalus Hedysarum は互いによく似ていますが、植物分類学的な相違は、豆果が Astragalus 属では全体的に膨れるのに対し Hedysarum 属では種子毎にくびれて節状になることです。『図経本草』の図には花も豆果もなく属を判断することはできませんが、清代に書かれた中国初の植物図鑑『植物名実図考』の図は 、豆果が全体的に膨れていることから Astragalus 属だと判断されます。

 Astragalus 属以外の黄耆のうち「紅耆」は、『中葯志』に黄耆とは別項に収載され、性味・功効は全く同じで、黄耆と同様に使用できるとされています。本品は古くから「晋耆」の名前で良質品として利用されてきたものです。この紅耆は中国の薬局方である『中華人民共和国薬典』では1977年度版には記載が見られますが、1985年度版以降は収載されていません。また和黄耆の原植物 Hedysarum vicioides も同様に利用できるとする書物もありますが、わが国では第8改正日本薬局方から純度試験の項で「内部形態的に繊維束の外辺にシュウ酸カルシウムの単晶を含む結晶細胞列のある」和黄耆は不適となりました。同時に、それまで良質品とされていた同属植物由来の紅耆も局方不適となりました。なお、品質的には、味がわずかに甘く、噛むと豆の香りがし、質は堅いが折れにくく、断面は繊維質で粉性に富み、内部は黄白色、外部の黄色いものが良質品であるとされます。[やぶちゃん注:この箇所、本本文の謂いと一致を見る。]

 黄耆の原植物の混乱は、マメ科植物の地上部や地下部の形態がよく似ていることに起因したものと考えられますが、一方で中国ではこれら原植物の異なる黄耆を同効品として扱ってきました。黄耆は、原植物が同属でなくとも同じ薬効を有する数少ない例なのかも知れません。日華子は「木耆の効能は黄耆とほとんど同じであるが、力が及ばないので倍量を用いればよい」としています。限りある資源の有効利用を考えるとき、こうした利用方法も選択枝として考えるべきかも知れません。

   《引用終了》

『倭名、「夜波良久佐《やはらぐさ》」』これは、ゲンゲ属モメンヅル Astragalus reflexistipulus であるが、以上の記載に出現しない。しかし、「林野庁 近畿中国森林管理局」のパンフレットで、二〇一三年七月一日発行の第五十四号の『箕面森林ふれあい推進センター・こだま通信』PDF)の、「箕面国有林の植物紹介モメンヅル(学名:Astragalus reflexistipulus)」(斜体でないのはママ)に、『牧野薬草大図鑑によれば、漢方のオウギの代用に使用されたこともあるそうです。』とあった。但し、この書名は、恐らく「原色牧野和漢藥草大圖鑑」が正式な書名と思われる。国立国会図書館デジタルコレクションでは、閲覧出来なかったので、確認はしていない。その内、図書館で確認しようとは思っているが、所持される方は、載っているかどうかだけでも、お教え下さると助かります。

「槐」「卷第八十三 喬木類 槐」を見られたい。

「蒺藜」漢方としてならば、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 蒺藜子(シツリシ)」に、基原を、ハマビシ目ハマビシ科ハマビシ属『ハマビシ Tribulus terrestris L. の未成熟果実』とする。当該ウィキに拠れば、『南アジアから東欧にかけてみられるハマビシ科の多年草である。砂浜に生える海浜植物であるが、乾燥地帯では内陸にも生育する』とある。私の好きな花である。

「茹-食(くら)ふ」「奈良文化研究所」公式サイトの「なぶんけんブログ」の『「茹でる」のナゾ』の一部を示す。

   《引用開始》

 さて、調理法の基本のキの一つは"ゆでる"です。魚やドングリをとっていた縄文時代でも、多彩なインスタント袋麺が並ぶ現代でも欠かせない調理法です。漢字では「茹でる」と書き、正倉院文書に残る写経所への食材配給の記録に「薪一荷 大豆茹料」や「薪十束 二束麦茹料」、市での買物記録に「羹茹料」などの表記が見られます。薪は燃料ですし羹は汁物料理なので「茹」も現代と同じ意味に見えますが、実はこれがなかなか曲者なのです。漢字発祥の国である中国ではこの字を"ゆでる"という意味では使わないからです。

 「茹」の動詞での本来の意味は"たべる"だとされます。漢代成立の漢字字典であり日本でも律令制の大学寮で用いられた『爾雅』にも「茹」は「啜」の同義語として載っているので、大学寮で教育を受けた役人のタマゴたちも"たべる"という意味を知っていたと思われます。なお、くさかんむりの字ですが用例は草食限定ではなく、仏典に「茹菜」という文言もあるものの、儒家経典の『礼記』では「飲其血、茹其毛=まだ火を使えない頃の人類が肉を生で食べる様子」というかなり血なまぐさいイメージで使われています。

 一方で「茹」は名詞としては"たべられる草"という意味になり、前漢の歴史を記す『漢書』に「菜茹は畦に有り」という語句があります。これは現代の日本で食用にする草しか「菜」と呼ばないのと同じような使い分けかもしれません。この点を考えると「羹茹」は"羹に入れる野菜"という意味でも通じます。中国でも時代が下る宋代の『爾雅翼』という辞書では"加熱調理した菜"という意味にとれる用例があるのですが、ヨモギ類の説明文中で「蒸して茹と為す」というので"ゆで野菜"ではありません。

 ここで改めて日本における"ゆでる"という調理法の意味を確認すると、かなり限定的な調理法を指していることに気付きます。なぜなら野菜でも魚でも、ダシや調味料を加えた湯で加熱調理することは「煮る」というからです。つまり"ゆでる"とは特に白湯か塩湯で加熱調理する場合のみを指しており、日本の調理文化はこの違いを明確に区別しているのです。

   《引用終了》

とあった。良安が、この二字に対して、かく振ったのは、まさに「食べる」の意としているのであり、「草本の一種を食べる」という正確な中国語の意味を正確に振っているのだと判明するのである。

「白水の黃茋」「白水」は以下にある通り、中国の地名である。「富山県薬業連合会」の富山県薬事研究所 付設薬用植物指導センター所長村上守一氏の「配置薬に使用される生薬の特徴②」PDF)に、『黄耆はマメ科ゲンゲ属のキバナオウギ(A. membranaceus)とナイモウオウギ(A. mongholicus)の 2 種を原植物としています。中国では主に内蒙古、山西、黒龍江、河北省等で生産され、上述の山西省泌州綿上』(現在の山西省沁源県北部。グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)『産の綿黄耆や陜西省同州白水』(現在の陝西省渭南市白水県。ここに「綿上学校」が確認出来る)『産の白水黄耆が良品のものとされ、質が柔靭で皮の色が微黄褐色、中が白色のものです。他に赤水黄耆、木黄耆、土黄耆等がありますが、いずれも品質がおちます。 日本では江戸時代に国産の黄耆が探されたようで、ゲンゲ属のモメンズルやムラサキモメンズル』( Astragalus adsurgens )『等が試験されたようです。特に「加州白山、越州立山、和州金剛山より出す者根、柔にして味甘し」と記されている種はキバナオウギの変種、タイツリオウギ』(鯛釣黄耆)『(A. membranaceus var. obtusus)と推測されます。名前の由来は鞘果にあります。1㎝程の柄があり、長さ23㎝、幅11.5㎝で大きく膨らんで下垂する鞘果の様子が数匹の鯛を吊り下げたように見えるためです。キバナオウギやナイモウオウギの鞘果も同様です。』とあった。

「赤水黃茋」これは、貴州省四川省を経て、四川省瀘州市合江県(ごうこうけん)で長江に流入する赤水河(せいきすいが)の流域、或いは、貴州省遵義市に位置する赤水市辺りの産のものを指すものと思われる。

「苜蓿根《もくしゆくこん/むらさきむまごやしのね》」この場合の、「苜蓿」は、本邦で「アルファルファ」(スペイン語:alfalfa)で知られる、中央アジア原産の帰化植物(江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した)であるマメ目マメ科マメ亜科シャジクソウ連ウマゴヤシ(馬肥・苜蓿)属ウマゴヤシ Medicago polymorpha の、

西南アジア原産の古い品種であるムラサキウマゴヤシ(紫苜蓿・紫馬肥) Medicago sativa の根

を指す。ハーブのショップ/スクールサイトである「クラウターハウス」の「牧草の女王は栄養価の高い機能性野菜~アルファルファ」が、学術的で、非常によく書けている。転写出来ないようになっているので、各自で、お読みあれ。

「羊肉」サイト「ピヨの漢方」の「羊肉の薬効と活用法:東洋医学の視点から」に拠ると、漢方では、『羊肉は東洋医学において、非常に「熱性」の強い食材とされています』とした上で、『羊肉には主に3つの重要な薬効があります。特に冷えに悩む方や体力回復が必要な方に適した食材です。』とし、『1. 温陽暖下(おんようだんげ)』で、『体を内側から温め、下半身の冷えを改善する効果があります』。『脾胃虚寒(ひいきょかん)による食欲不振の改善』、『小腹冷痛(へその下)の冷え痛みの緩和』、『重症の冷え性の改善』とある。次に、『2. 益気補虚(えっきほきょ)』では、『気を補い、虚弱体質を改善する効果があります』。『過労による体力低下の回復』、『腎虚(じんきょ)による腰膝の痛みの緩和』、『脾腎両虚(ひじんりょうきょ)による慢性下痢の改善』、『気虚による不安定な精神を落ち着かせる』、『気虚による動悸の軽減』、『高齢者や虚弱体質の方の肩腰の痛みや冷えの解消』を列挙する。而して、『3. 通乳治帯(つうにゅうちたい)』で、『産後の健康回復を助ける効果があります。』として、『出産後の母乳分泌不足の改善』、『帯下(たいげ:おりもの)の調整』とあった。まさに、薬剤としての広範な有効性を持った模範的食材であり、そうした「羊肉」に匹敵する薬効を讃えて、この別名を与えたのであろうことが推察出来る。

「脾胃」何度も注しているが、漢方で「消化器系全般の働き」を指す。

「虛熱」陽気は正常値であるが、陰気が不足しているために発生する熱性症状を指す。

「防風」セリ目セリ科ボウフウ属ボウフウ Saposhnikovia divaricata の根、及び、根茎を乾燥させた生薬名。但し、本種は中国原産で本邦には自生はしない。発汗・鎮痛作用があり、風邪の頭痛・眩暈(めまい)・関節痛などに効果を持つ。漢字名は「風邪から守る」の意である。なお、本邦産で和名の最後に「ボウフウ」を持つ種が多くあるが、本首都は全くの別属であり、植物学的にも、漢方薬剤としても、ボウフウとは全く無関係であるので注意されたい。

「伏苓」先行する「茯苓」を見よ。

「𬹝甲」「藥品(5) 藥七情」の「龜甲」の私の注の引用の中で、明らかにされている。

「白鮮皮」既出既注だが、再掲すると、ムクロジ目ミカン科ハクセン属ハクセン Dictamnus albus の根皮を基原とする生薬で、当該ウィキによれば、『唐以降の書物に見られ』、『解毒や痒み止めなどに用いられていたが、現在は』殆んど『用いられない。ヨーロッパでは、皮膚病の薬や堕胎薬として用いられていた』とある。]

2025/12/18

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その15) 【図版8】 / 「乾鮑の說」~了

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。なお、前回分と同じく、この図版でも、黒い貝殻表面の一部に、印刷スレの縦の白い筋が甚だしく目立つケースがあったため、特異的に、その部分を黒く潰して違和感を緩和しておいた。

 これを以って、本書の「乾鮑の說」を、一ヶ月かかって、終わった。私は、幼少期からの貝類フリークであることから、拘りが、強く働いた。種同定等で誤りがある場合は、お知らせ下されば、幸いである。

 

【図版8】

 

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■「和泉《いづみ》」

[やぶちゃん注:クロアワビ比定。

「和泉」現在の大阪府南西部相当。クロアワビは、瀬戸内海にも分布する。]

 

■「志摩國《しまのくに》」

[やぶちゃん注:クロアワビ比定。]

 

■「伊勢國《いせのくに》産」

[やぶちゃん注:クロアワビ比定。]

 

■「常陸國《ひたちのくに》」

[やぶちゃん注:現在の茨城県。クロアワビ比定。]

 

■「磐城國《いはきのくに》

  十名濱村産」

 「めかい」

       「七寸七分」

[やぶちゃん注:最後の「七寸七分」(二十三・三センチメートル)は、特異的に、貝殻の表面の上方の白い部分に記されてある。字体が全く以ってキャプションと同じであるから、スケッチした貝殻の上に書かれていたものではなく、図版作成者が書き込んだものである。考えてみると、本「乾鮑の說」では、先行する諸説パートと異なり、図のスケール(縮尺比)の記載が全くなかった。或いは、この時、図作成者(今まで見た限り、河原田氏本人ではない可能性が高いように感じている。既に述べた通り、一人ではない可能性が極めて高い)が、せめても、この貝殻部に於いて、大きなこれの、頭頂部から螺塔までの長半径を示してみようと考えたもの、と推定される。しかし、描いた殻の上に描き込んだ点で、この作図者は、タッチが非常に達者であるものの、ボタニカルの専門家ではない、と思う。そうした人なら、絵を汚さずにキャプションで附すはずだからである。

 なお、これは形状から見て、

真正のメガイアワビである

が、通常の同種の殻長は、十六から二十センチメートルであるから、この個体は異様に大きい老成個体であることになる。その大きさが特異的であったからこそ、作成者は、思わず、それを記載したくなったのだ、という気が、するのである。

「十名濱村」どう見ても、「十」であるが、これは「小」の誤字と思われる。これは、間違いなく、現在の福島県いわき市小名浜(おなはま)である。但し、そうなると、大きな疑問が生ずる。現在、

メガイアワビの北限は、千葉県銚子、或いは、茨城県とされているから

である。しかし、本書の刊行が明治一九(一八八六)年で、この前に、黒潮の大蛇行が発生していれば、福島でメガイアワビで漁獲されたとしても、おかしくないと私は考えている。調べてみたところ、海洋研究開発機構(JAMSTEC)アプリケーションラボ(APL)が実施している日本沿海予測可能性実験(JCOPE)による予測実験と、関係する様々な話題を提供している「黒潮・親潮ウォッチ」の美山透氏の「黒潮大蛇行の歴史」を見ると、冒頭で、『ある程度まとまった黒潮の観測があるのは1960年代以降にな』るとされ、『1960年代以前の黒潮については、はっきりした観測がありません。しかし、限られた観測や、串本・浦神の潮位、漁師の体験談などから、黒潮大蛇行期間が推測されています』とあり、不確かなものだが、安政元(一八五四)年の、ペリー艦隊による観測として、あったことが推定され、さらに、明治三(一八七〇)年から明治八(一八七五)年の六年間、大蛇行があったとある。この時、メカイアワビが北上し、福島附近まで達していたことは、十分にあることだと、私には、思われるのである。なお、元資料を確認出来なかったものの、AIが、『福島県では、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故後、長らく休止していたアワビ漁(メガイアワビ含む)が試験操業を経て再開されており、漁獲されています。』ともあった。私に出来るディグは、ここまでである。確かな資料を御存知の方は、是非、お教え下さい。

 

■「越後國《えちごのくに》

  岩船郡《いはふねのこほり》

  粟生島《あはしま》産」

[やぶちゃん注:ここは、現在の新潟県の北部の、日本海に浮かぶ粟島(あわしま)で、現在は、新潟県岩船郡(いわふねぐん)粟島浦村(あわしまうらむら)で、一島一村を形成する自治体(基礎自治体)である。クロアワビである。クロアワビは、日本海側では、北海道南部から九州にかけての外洋性岩礁域に広く分布する。]

2025/12/17

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その14) 【図版7】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。なお、この図版では、黒い貝殻表面の一部に、印刷スレの縦の白い筋が甚だしく目立つケースがあったため、特異的に、その部分を黒く潰して違和感を緩和しておいた。]

 

【図版7】

 

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■「薩摩國《さつまのくに》」

[やぶちゃん注:表側。クロアワビである。]

 

■「豊後《ぶんご》北海部《きたあまべ》

  關村産」

[やぶちゃん注:裏側。クロアワビ比定。

「北海部」は「北海部郡《きたあまべのこほり》」とすべきところであり、「関村」は現在の大分市佐賀関(さがのせき)である。ウィキの「佐賀関」によれば、『旧北海部郡佐賀関町時代の大字名は関』(☜)『であったが、大分市との合併後の』二〇〇六年四月一日『に現在の大字名に改称した』とある。]

 

■「肥前國《ひぜんのくに》

  北松浦郡《きたまつうらのこほり》

   平村海産」

[やぶちゃん注:「肥前國北松浦郡平村海」これは、探すのに苦労したが、AIのデータに、『「松浦郡平村」は、かつて長崎県北松浦郡に存在した行政区域であり、現在は主に佐世保市宇久町』(うくまち)『平』(たいら)『(旧北松浦郡宇久町の一部)』(長崎県の五島列島の北端の宇久島(うくじま)の北東部分の、ここである)『や』、『その他の周辺地域に相当します。』とあったのが手掛かりになった。ウィキの「宇久町」(うくまち)によれば、『五島列島の最北端に位置し、宇久島(面積24.92 km2) と寺島(面積1.27 km2)の2つの有人島とその属島からなる。人口のうち』、『ほとんどは』、『宇久島に住む』とある。にしても、この「平村」の下の「海」は、いらないように思われる。「宇久町観光協会」発行の観光パンフレットPDF)に、『宇久島のアワビ漁は古来より営まれていましたが、来島した平家盛が地元海士に厚く歓迎を受け、お礼として五島一円の永久採鮑権を与えたことにより島の歴史舞台に登場することとなりました。 現在に至るまで続くアワビ漁は、宇久島の活性化に大きな影響をもたらした宇久島の伝統的な産業です。写真は昭和まで続いたアワビ漁の伝統のスタイル「裸もぐり」の様子です。浜方ふれあい館には当時の道具や記録が大切に保管されており、アワビ漁の歴史がわかりやすく展示されています。』とあった。クロアワビ比定。]

 

■「壹岐國《いきのくに》

  石田郡《いしだのこほり》

  渡良村《わたらむら》産」

[やぶちゃん注:「壹岐國石田郡渡良村」現在の長崎県壱岐市郷ノ浦町(ごうのうらちょう)渡良浦(わたらうら)に相当する。「ひなたGIS」の戦前の地図で「渡良村」及び「渡良浦」の明記が確認出来る。]

 

■「對馬國《つしまのくに》産」

[やぶちゃん注:私は、このページの図版は、一切の種名が示されないことから、初っ端は、『総てが、同一種で、クロアワビであろうか。』と思ったのだが、この図は、明らかに、本図版の前の四個体と異なり、貝殻は強い丸みを示していることから、これはメガイアワビと比定する。前の郷ノ浦町のアワビ漁獲を調べると、クロアワビとメガイアワビであることが確認出来た。

 

■「隱岐國《いきのくに》産」

[やぶちゃん注:同前で、貝殻の丸みから、メガイアワビに比定する。

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その13) 【図版6】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。図は、右上と中央→左上→最下段右→同左の順とする。]

 

【図版6】

 

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■「めかひ」

  「外面」

[やぶちゃん注:以下、同一個体の側面と考えてよいものが、ページ中央にあるので、ここに合わせる。]

 「めかひ」

[やぶちゃん注:メカイアワビ。]

 

■「くろかひ」

  「肉着內面《にくちやくないめん》」

[やぶちゃん注:クロアワビ。]

 

■「とこぶし」

 「相摸國《さがみのくに》産」

[やぶちゃん注:以下は、真下に上下二段で書かれているが、読み方は、まず、上から下で、次いで、右から左への順で、さらに、ひらがなの崩し字があるため、一見、読み難いので、注意されたい。なお、既に述べた通り、本書では、中国の国名「淸・清」は、総て「しん」ではなく、「せい」とルビされている。今まで、それは現代から見て、違和感が大きいので、敢えて読みを附していないとするとしてきたが、ここは、それに則り、「せい」と読んでおくので、注意されたい。

 

 「此《この》ものハ、

  清《せい》向《むけ》薄片《うすへん》を、

  するに、よろし。」

[やぶちゃん注:異なった二個体の表を左右に配置。孰れも下が螺頂で、上が頭部。通気孔(アワビ同様、呼吸の他に排泄・生殖でも重要な器官である)の数が異なっている。右個体は、私に明確に認知出来るものが、八個で、左個体は、十個と読んだ。これは、同種の呼吸孔の数の、六~八個から十個、と一致する(この個数は諸記載でブレがあるが、成体個体で最も少ないものと最も多いものを採った)。図を描いた人もそれを示すために、かく、二個体を描いたと確認させる。

これは、図像の形状からも、ミミガイ科アワビ属基亜種フクトコブシ(福床臥)亜種トコブシ Haliotis diversicolor aquatilis(或いは、ミミガイ科トコブシ属(或いはミミガイ属 Haliotis )基亜種フクトコブシ亜種トコブシ Sulculus diversicolor supertexta )で間違いない。

「薄片」「(その10)」を見よ。以上の河原田氏の高評価から、やはり、そこで私が図について判断したことは、誤りでなかったと思う。

 

■「みみかひ」

 「琉球慶良間(けらま)島産」

[やぶちゃん注:同前で注意されたい。]

 「此《この》みみかひハ、

  清国《せいこく》向《むけ》の、

  薄片鮑《うすへんあはび》に

  製するに、よろし。」

[やぶちゃん注:アワビ属ミミガイ(耳貝) Haliotis asinina である。左右に二図だが、恐らくは、同一個体の裏(右)と表(左)の図であろう。何故なら、呼吸孔が、孰れも、はっきりと、十二、数えられ、しかも貝殻の形も、完全に一致するからである。なお、「(その5)」の最後の注で解説を引用したが、吉良図鑑も奥谷先生も、貫通孔数を57個としているが、これは完全に貫通している呼吸孔の数であって、古い孔は、順次、閉じて、実際には繋がっていないのである。而して、十二あっても、おかしくないのである。実際、所持する荒俣宏氏の「世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物」の103ページにある、クノールの「貝類図譜」(ドイツの版画家にして化石の収集家であったゲオルク・ヴォルフガンク・クノール Georg Wolfgang Knorr :一七〇五年~一七六一年:作の`  Verlustging der Oogen en van den Geest & c.1764年から1775年の作)からの図)のミミガイの呼吸孔は十三を数えるからである。

 而して、かなり手古摺ったが、“Internet archive”の彼の“G. W. Knorrs Verlustiging der oogen en van den geest ; of Verzameling van allerley bekende hoorens en schulpen, die in haar eigen kleuren afgebeeld zyn”(書名は「目と心の喜び、或いは、それぞれの色で描かれた、よく知られたあらゆる種類の角と貝殻のコレクション」)の、ここの右丁の中央の「1」で見つけた。ご覧あれ! というか、画像を拡大して取り込んだものを、以下に示しておく。美しいですぞ!!!

 

Mimigai

 

 なお、屋久島・奄美大島・沖縄で、ミミガイの生体を観察したことはあるが、私自身、食したことは、ない。そこで、調べたところ、沖縄雑貨「うりずん」さんのブログ「グロテスクな見かけによらず美味しいミミガイ」に写真二枚入りで、以下のようにあった(改行の一部を詰めさせて貰った)。

   《引用開始》

昨日、久しぶりに海に行ってきたのですが、そこで珍しい貝を見つけました。ミミガイです。ミミガイといっても、なかなかピンと来ないかもしれませんが、ミミガイ科の代表選手はアワビです。トコブシも仲間です。

 

ミミガイは、貝足の部分がアワビのように美味しいです。薄くスライスにして刺身にします。ただアワビよりも固いです。でも、バター炒めにすれば、柔らかくなりとても美味しい貝です。滅多に取れません。

 

見た目はこのようにグロテスク。これでは食べれる貝には見えないでしょう。アメフラシの様にも見えます。でも味は抜群。アワビが捕れない沖縄では、このミミガイが美味しいですね。

   《引用終了》

食って見たくなった!♡!

「慶良間(けらま)島」「慶良間島」という島は存在しない。「慶良間諸島」である。詳しくは、ウィキの「慶良間諸島」を見られたい。

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その12) 【図版5】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。なお、ここからは、製品アワビではなく、貝殻の図で(図の描き手がもとの上手い方に戻っているのが嬉しい!)、名称がしっかり表示されてあり(但し、異名表記が多い)、種同定は、至って、容易である。

 

【図版5】

 

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■「石决明」

  「またかひ」

  「安房國《あはのくに》産」

 「內面」

[やぶちゃん注:「またかひ」はマダカアワビの異名の一つである。「眼高貝」「またかがひ」の縮約。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの「地方名・市場名」に、『アカ アワビ エビスガイ ケー ケーズケー コウダカ シロクチ ナガメラ マタカ マタガイ マタゲ メダカ』が挙げられてある。また、正式漢字名「眼高鮑」の「由来・語源」に就いて、同ページには、『眼は貝殻の孔で、これが煙突状に高いため』とある。因みに、附記されて、『アワビの語源にはいろいろ説がある。』とされ、以下の説が列挙されてある。

   《引用開始》

■ 「あわぬみ(不合肉)」の意味で貝殻と身が合わないため。

■ 「あはすみ(合肉)」の意味で貝殻と身がぴたりと合うので。

■ 「あひ(合間)」の転化したもの。

■ 「あは(合)で「ひかる(ひかる)」の意味でふたがないことをいう。

■ 「あは(合)[やぶちゃん注:鍵括弧閉じる脱落はママ。]で「ひらく(開)」の意味でふたがないことをいう。

■ 「いはふ(岩触)」の転化。

■ 「いははひみ(岩這身)」で岩をはっているの意味。

   《引用終了》

因みに、以上は小学館「日本国語大辞典」の「あわび」の語源説を元にされたと思われるが、同辞書には、さらに、『⑺肉の味がアハアハシクて、乾して種々の用途に用いられたためか〔和訓栞〕』、『⑻アマフカ(甘深)食の反〔名語記〕』、『⑼不逢陀の義〔桑家漢語抄〕』とある(但し、⑼の意味は、私には意味がよく判らぬ。「陀」には「崩れる」や「岸」の意があるから、『岩の「岸」に吸着して落ちて「崩れる」ことがない』の意か。識者の御教授を乞うものである)。]

 

■「くろかひ」 「內面」

  「安房國産」

        「外面」

 「くろかひ」

        「側面」

[やぶちゃん注:種名が二箇所にあり、以上の方向からの三図からなる。言うまでもないが、漁師や業者はクロアワビを「クロ」と呼ぶ。同じく「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの「地方名・市場名」から引く。『オガイアワビ【雄貝】オガイ オトコ オトコアワビ オンガイ』。この最後は『備考』『メガイアワビを雌に見立てて』の謂い。『アオガイ アオッケ アオビ アオンギャー アワビ オンタ クロ クロクチ クロッカイ クロッケ クロンボ ケー ケーズケー デボウ ムクロ モクロ』とある。]

 

■「またかひ」

  「外面」

 「またかひ」

  「側面」

[やぶちゃん注:同じく種名が二箇所で出る。マダカアワビ。]

 

■「めかひ」

  「內面」

[やぶちゃん注:「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のメガイアワビのページの「地方名・市場名」が多数、示されてある。中でも興味深いものをピック・アップしておく(採集地と参考書が付随しているが、それはリンク元で確認されたい。『ケー』・『アカ』・『アカガイ』・『メンゲ』・『アカッカイ アカッケ アカッケイ』・『ケーズケー』・『オンナ』・『メケ メケー メゲー』・『メイラ』・『メン』・『オナゴアワビ』・『メンカイ メンガイ』・『アオビ』・『アオンギャー』・『ゴキガイ』・『ビワガイ』。]

2025/12/16

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その11) 【図版4】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。]

 

【図版4】

 

Awabi4_20251216161901

 

■「磐城國《いはきのくに》

  菊田郡《きくたのこほり》

  関田村(せきたむら)」「産」

 「裏面」

    「表面」

       「側面」

[やぶちゃん注:「磐城國菊田郡関田村」は現在、「勿来関(なこそのせき)跡」で知られる福島県いわき市勿来町(なこそまち)関田(せきた)である。この勿来町では、現在、主にクロアワビ・メガイアワビが漁獲されている。マダカアワビの漁獲量は僅かである。図からも、前の二種の孰れかと思われるが、ネットで、製品化されたメカイアワビを見ると、軟体部が、楕円的なクロアワビに比して、有意に円状に近い(生体の貝殻も丸い)。また、種々の料理を見ると、クロアワビの外套膜周縁部の形が、まさに「裏面」の図のような特有のリボン状になることが判った。以上から、クロアワビに比定する。

 

■「陸奥《むつ》産」

[やぶちゃん注:これは、小さなものが上に、その下の別個体にキャプションを附す。そこには、凡そ、前のもののより二回り近く大きい個体が描かれてあるのだが、その表示法とバランスが、如何にも奇異な印象を与える。左右に見える凹みから、上の製品は右が尾部、逆に下のものは、左が尾部であるのも、何となく妙な感じを受ける。ともかくも、この「陸奥産」を狭義の青森県下北半島周辺とするならば、まさに製品化されたエゾアワビの乾したものの形状と完全に一致は、する。

 

■「肥前平戸産」

[やぶちゃん注:図は、洋梨型を縦に伸ばした低音スピーカー然としている。この形は丸みを帯びたメガイアワビ(同種は平戸の名産とされている)として十全に納得出来る。

 

■「常陸産」

  「裏」   「表」

[やぶちゃん注:「常陸産」現在の茨城県相当であり、ここは、エゾアワビの太平洋側の自然棲息の南端に当たる。図の製品が楕円状であるのも、同種と一致する。

 

■「薩摩國《さつまのくに》

  諸縣郡《もろかたぐん》

  夏井村《なつゐむら》産」

  「裏」   「表」

[やぶちゃん注:下部の「表」(外套膜の内側部分)は、頭部の凹んだ形から、ハート形に見える。而して、キャプションがないが、「表」図の下部に、側面からの図も添えられてある。

「薩摩國諸縣郡夏井村」ここは、ややこしい。この「諸県郡(もろかたぐん)は、旧日向国(ひゅうがのくに)であり、宮崎県、及び、一部の鹿児島県に跨って存在した郡であり、「夏井村」は、現在の鹿児島県志布志市(しぶしし)志布志町(しぶしちょう)夏井(なつい)に当たる。志布志湾に臨む素敵な場所である(私は一九七〇年、中学二年の時、父母に「万博と鹿児島とどっちに行きたい?」と聴かれ、お祭りが大嫌いな私は、一つ返事で「鹿児島。」と答え、母の郷里の鹿児島県曽於市大隅町岩川に行った際に、母親の親族ら一同で避暑に行った。伯父らとともに、直ぐ前の岩礁で、二時間以上、膨大なウニを採りに採り、その場でみんな食べたのを覚えている。恐らく人生で、一番、ウニを食った特異点であった)。同地ではクロアワビが採れ、ハート形の中に配された図と相まって、間違いない。

 

■「磐城國《いはきのくに》産」

[やぶちゃん注:「磐城國」現在の福島県の浜通り、及び、中通りの南部と、宮城県南部に相当する。この地域はエゾアワビが採れる。図は、かなり不格好だが、まず、エゾアワビに比定してよかろう。]

 

■「越中産」

[やぶちゃん注:側面図が上、下に肉部内部側上方(正直、絵は、かなり汚い)から見た図。「北日本新聞」の二〇〇三年一月十六日の『「アワビ」「高価な貝」漁獲アップを』という記事に拠れば、『富山県内で馭飼するアワビ類はクロアワビ、エゾアワビ、メガイアワビ、トコブシである』とあった。汚いものの、形状から、クロアワビか、エゾアワビの孰れかと思われる。]

 

■「陸中産」

[やぶちゃん注:産地と形状から、エゾアワビに比定する。]

 

■「志摩國《しまのくに》産」

[やぶちゃん注:クロアワビであろうと思うが、肉部内側上方を描いているが、屹立した断崖の盆景のように描かれており、これは、肉部の襞を描いたものらしい。この絵を描いた人物は、正直、絵が下手であると言わざるを得ない。悪しからず。]

 

■「陸奥産」

[やぶちゃん注:一個体を斜めに上方から描いている。一応、エゾアワビに比定するが、明らかにやる気ゼロの絵で、全く以って、アウトの一発退場もの酷いものだ。]

 

■「北海道産」

[やぶちゃん注:同前の為体(ていたらく)。エゾアワビに比定。]

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その10) 【図版3】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。]

 

【図版3】

 

Awabi3_20251216105401

 

■「肥後國《ひごのくに》産」

   「表」

  「仝」[やぶちゃん注:「同」の異体字。]

   「裏」

[やぶちゃん注:表・裏の二図。なお、このページと、次のページは、明らかに、今までの作図者とは異なり、塗り潰しに近い黒地を用いていない。そのため、細部はよく見える。しかし、先の黒過ぎである瑕疵はあったものの、リアルな質感があったのに比して、全体に稚拙な感じが漂っており、干し鮑のボリュームや、何より、高級感が全体に認められないのが、ちょっと、残念ではある。

「肥後國産」熊本県で獲れるアワビは、にクロアワビ・メガイアワビ・マダカアワビで、特に現代では、高級品とされるクロアワビの養殖も盛んである。肥後産としてページ・トップに配していることと、形状から見て、クロアワビとしてよかろう。]

 

■「薩摩産」

[やぶちゃん注:同じく、クロアワビとしておく。]

 

■「肥前産」

  「仝」

   「側面」

 

[やぶちゃん注:二図。最初の図は、今までの図ではないもので、串を、厚みから見て、恐らく頭部上に貫いた串状のものを描いてあり、今までにない恐らく右手からの側面図である、左には腹足の内側の、有意にこんもりしたものが描かれてある。やや上から斜めに見下ろした全体像であるため、全体の形状が判らないのだが、推測するに、全体は、かなり潰した円錐の形であるように推定出来る。その推定形状に最も合う、殻も肉も有意に丸みを帯びるメカイアワビを候補としておく。「側面」図は、どうしたら、前の製品を真側面から描いたら、どうなるのか、私にはよく判らない。方向としては、左方向でよく発達し、その外套膜の波型、さらに、左手で肉部が内側に大きく湾曲して高くなっていることから、左が頭部であると始めは思ったが、肉部の右側上部の方が、遙かに高く厚いから、頭部は右であろうと結論した。ともかくも、第一図を、ただ串を抜いたものの側面ではなく、製品を上部に手を加えて変形したものであることは、最早、確かである。

 

■「佐渡産」

[やぶちゃん注:佐渡で知られた高級品はクロアワビである。形状も一致する。]

 

■「越後産」

[やぶちゃん注:新潟も同然であり、形状からもクロアワビに比定して良いだろう。]

 

■「志摩産」

[やぶちゃん注:三重県ではクロアワビ・メガイアワビ・マダカアワビの三種が水揚げされる。形状と製品上品から、クロアワビであろう。]

 

■「壹岐《いき》産」

[やぶちゃん注:形状からクロアワビであろう。]

 

■「對州《たいしう》産」

[やぶちゃん注:「對州」対馬国の異称。やはりクロアワビとしておく。]

 

■「とこぶし薄片試製」

[やぶちゃん注:図もトコブシの大きさに合わせて、ごく小さく、載る。原本では「とこぶし薄」とあって一字ほど空いて、しかも左行に「片試製」とあるのだが、後者は、右下方に前の行の図があるために、移しただけであり、字空けは不自然だが、私は、文字列八字で一単語と判断して、かく、した。これは無論、ミミガイ科アワビ属基亜種フクトコブシ(福床臥)亜種トコブシ Haliotis diversicolor aquatilis(或いは、ミミガイ科トコブシ属(或いはミミガイ属 Haliotis )基亜種フクトコブシ亜種トコブシ Sulculus diversicolor supertexta )を茹でる・乾す等の保存調整をした肉部を、薄片に、試験的に製品としてみたものという意味である。

 

■「薄片試製」

[やぶちゃん注:戸惑った図である。「とこぶし薄片試製」の左下部分を左罫まで、大きく占めており、しかも、前の「とこぶし薄片試製」品と、非常によく似た三個体くっ付いた描き方がよく似ているが、細部の形状はよく見ると、上編部分の形状が異なるので、別個体である。或いは、河原田氏が、前の図が、如何にも小さいのに難色を示し、改めて、別試験のそれを、ここに載せたようにも見える。そんなことは、実は、どうでもいいので、私が迷っているのは、これが、果して前と同じく「トコブシ」の「薄片試製」であるかどうかという点にあるのである。――而して、私の最終判断としては、以上のトコブシのそれの再別図掲載と判断する。もし、トコブシでなく、アワビ類を「薄片試製」したものであるなら、河原田氏は、必ずや、「鮑薄片試製」と記すはずだからである。

 

■「灰鮑《はひはう》」

 「渡島國《としまのくに》

   淺草村

      産」

 

 「表」  「裏」  「側」

[やぶちゃん注:「表」側と、「裏」側と、「側」面の三図。

「灰鮑」「(その4)」を見よ。その注の引用で、クロアワビやエゾアワビが用いられるとある。産地(次の注を見よ)から考えると、クロアワビか、亜種エゾアワビ(蝦夷鮑) Haliotis discus hannai のどちらかは、判断出来ない。図からも、差別化は不能である。

「渡島國淺草村」旧北海道渡島郡には「淺草村」は過去にも存在しない。調べたところ、「茂草村(もぐさむら)」ならあった。これは、その誤記と思われる。平凡社「日本歴史地名大系」に拠れば、『北海道』『渡島支庁松前町茂草村』で『現在地名』は『松前郡松前町字茂草』とし、『近世から大正一二年(一九二三)まで存続した村。近世は西在城下付の一村で、雨垂石(あまだれいし)村の北方にあり、日本海に注ぐ茂草川河口域に位置する。文化六年(一八〇九)の村鑑下組帳(松前町蔵)の当村旧跡の項に「茂草村古名はしののた、即しののた川之向ニ有之」とあり、茂草川(しののた川)を境に北側の「しののた村」と、後に発展してきた南側の茂草村とを合せて茂草村とよばれるようになったと考えられる。地名の由来は「地名考并里程記」に「夷語モムチヤなり。則、小柴の流るゝと訳す。扨、モムとは流れるといふ事。チヤは小柴の事にて、此川出水の節小柴の海岸へ流れ寄る故、此名ありといふ」とある。』とあった。北海道松前郡松前町茂草で、ここ。]

 

■「塩入製」

 「陸中産」

[やぶちゃん注:「塩入製」は本文にも出ない。塩漬けか、表面に塩が噴き出しているものを言うか、判断不能。産地からエゾアワビであろうと思われる。]

 

■「同國産」

[やぶちゃん注:図の位置から、同前以外の注は打てない。]

2025/12/15

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「御城內犬の奇」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を補塡した。なお、太字部分は、底本では、総て、欠字で、『△』になっているのだが、別底本の「近世民間異聞怪談集成」では、しっかり表示されているので、それを採用した。但し、この欠字、どうも、内容から、風紀上、よろしくないと判断して、本底本の出版社の編者が、政府を憚って、わざと伏字にした可能性が高いように思われる。他で欠字を『△』としたものが、無いからである。

 

 「御城內犬の奇《ごじやうない の き》」 安倍郡《あべのこほり》府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、

『今は昔、駿府御城內に、犬、數多《あまた》、あり。東西《とうざい》に分れて、能く黨《たう》を結《むす》び、東の犬、西に往《ゆ》く時は、忽《たちまち》、是を喰殺《くひころ》す。西の犬、東に來《きた》る時は、亦、然《しか》り。其《その》强き事、譬《たとふ》るに、物《もの》、なし。人には、よく馴《なれ》たり。

 居人《すむひと》、代《かは》れ共《ども》、年來《そしごろ》、飼《かひ》たるが如し。夜中《よなか》、人を、吠へ[やぶちゃん注:ママ。]ず。

「牝牡《めすをす》、交合するに、婬穴《いんけつ》に、陽根《やうこん》止《とどむ》る事、なし。故《ゆゑ》に、其《その》とつぐを、見る者、なし。」

と、通詞《つうじ》淸右衞門と云《いふ》者、語りし也。云云。」。

 猛犬、黨を結ぶ事、累年、互《たがひ》に、威《い》を逞《たくまし》ふす、と、いへども、人を害せず。「奇。」と云《いふ》べし。

[やぶちゃん注:実話性が高い、しかも、他に類を見ない動物怪奇談と言える。

「通詞」幕府附きの阿蘭陀通詞。]

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その9) 【図版2】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。]

 

【図版2】

 

Awabi2

 

■「串鮑《くしあはび》」

 「隱岐國《いきのくに》産」

 「表」       「裏」

[やぶちゃん注:上下二図。

「串鮑」「(その3)」で注済み。一応、竹製の串と採っておくが、描き方が簡易で、竹であると断定は出来ない。刺してある箇所は、口吻部である。隠岐では、現在も鮑は名産であり、クロアワビ・アワビ属メガイアワビ(雌貝鮑) Haliotis giganteaマダカアワビが採れるが、肉部を貫く串鮑に製していること(上質処理ではない)、形状が楕円形をしていることから、クロアワビか、メガイカワビであろうと思われる。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「クロアワビ」に拠れば、『「おんがい」』(「雄貝」の意)『と呼ばれるのはクロアワビで、殻はやや細く、水管の高まりが高く、足は緑灰色である。「めんがい」』(「雌貝」の意)『と呼ばれるのはメガイアワビで、殻は丸みが強く、水管の高まりが低く、足は灰色がかったクリーム色をしている。』とあるが、この下図からは、色では識別不能である。総合的に考えると、私は上質製品でないことから、メガイアワビとしたい感じはする。

 

■「古代放耳鮑(みヽはなれ《あはび》)」

[やぶちゃん注:原図を拡大してみて、ルビが判明した。図の白い周回から、所謂、外套膜の辺縁部(薄く絞(しぼ)状となっている箇所)を丁寧に切り取ったものと推定される。調べたところ、サイト「風俗博物館」の「御幸の演出」の「天皇の御膳」の『【四種の干物】』に(写真有り)、『右上・蒸し鮑、左上・鮭楚割、右下・雉脯、左下・干鯛。蒸し鮑は、鮑を蒸して干したもの。とくに耳を切った鮑の場合は「放耳鮑」とよぶ。楚割(すわやり)は鮭の肉を細く削って干したもので、ほかにも鮫やえいなどの楚割もあった。雉は鳥肉の代表格で、脯(ほじし)はその肉を干したもの。あとの干鯛も含めて、いずれも堅いものばかりで、実際にどのようにして食べたのであろうか』とあった。国立国会図書館デジタルコレクションで検索したが、八つ、掛かってきたものの、読みは、本書の、この図のキャプションのみにあった。なお、右上方に二本の桿状の突起のようなものが見られるが、これは、アワビの口吻部のすぐ下の左右にある鰓と思われる。なお、この鰓の直ぐ下方に肛門がある。アワビは前鰓類Prosobranchiaで、同類では、鰓が心臓よりも前にあり、肛門も前方に開くのである。

 

■「古代つヾきあハび」

[やぶちゃん注:「續き鮑」。四製品を頭部で紐で貫いたもの。左奥の二個体と、右手前の二個体は、向きが反対になっており、最も旨い部分をカバーする形になっている。]

 

■「明鮑」

 「上總國《かづさのくに》

  夷隅郡《いすみのこほり》

   久保村産」

        「側靣」

[やぶちゃん注:腹(腹足部底部)の図の下に、その図の右側面から描いた図がある。

「上總國夷隅郡久保村」旧安房郡千倉町(ちくらまち)久保、及び、丸山町久保で、現在は南房総市に合併した。前者南房総市千倉町久保」ここに残るが(東に接して「南房総市久保」も確認出来る)、後者は地名としてはないものの、「丸山」を名乗る諸施設が、ここに散在し、そこを貫通する川の名「丸山川」が確認出来る。「丸山」の地名は、「ひなたGPS」の戦前の地図でも、確認出来ない。現在の南房総で採取されているものは、クロアワビ・マダカアワビ・メカイアワビ、及び、トコブシであるが、ここは最上品を示す「明鮑」とするので、クロアワビとしておく。

 

■「虫入鮑」

[やぶちゃん注:読み不詳。国立国会図書館デジタルコレクションでも、新字・旧字ともに全く掛かってこない。このような文字列にすること自体が、製品としては印象が悪いから、不審である。思うに、これは「蒸し入れ鮑」で、蒸した鮑の謂いであろう。或いは、漁師や加工業者が「蒸」という漢字を嫌って(個人的に私はこの「蒸」という漢字はバランスが悪く、上手く書けない――特に下部の「烝」が生理的に嫌いである――ので、厭な感じである)簡単に書ける「虫」にしたものかとも推察する。真っ黒けで、種は不詳。

 

■「ちきれ干鮑」

[やぶちゃん注:「ちきれ」は見た通り、「ちぎれ」で、「千切れた鮑」。或いは、製品としてあるわけだから、成品なら、高級のマダカアワビの大きな欠損品であろうと推定はする。]

 

■「北海道産の中形狀《ちゆうがたじやう》」

[やぶちゃん注:三方向からの三図。ひっくり返した腹(腹足部底部)の図の下に、右側に側面(右が頭部)、左側に後部を描いた図。「中形」であるから、エゾアワビの生体の若い個体だろう。]

 

■「陸奥國《むつのくに》

  東津輕郡《ひがしつがるのこほり》

  字鉄村産」

[やぶちゃん注:上部に縄が通してある。

「字鉄村」これは、「宇鉄村」の誤り。「コトバンク」の平凡社「日本歴史地名大系」の「宇鉄村」に、『青森県:東津軽郡』『三厩村』(みんやまむら)『宇鉄村』で、『現在地名』は『三厩村宇鉄』とし、『東は三厩村支村の中浜(なかはま)に接し、津軽半島の北端までの海岸沿いの地域。北東は津軽海峡に面し、西は中山(なかやま)山地で小泊(こどまり)村(現北津軽郡小泊村)に接する。浜名(はまな)村(現』・『今別町)の支村の六条間(ろくじようま)・藤島(ふじしま)・釜野沢(かまのさわ)・元宇鉄(もとうてつ)の小集落が海岸に沿って点在し、藩政期には』、『それぞれ』、『村とよばれた。明治一一年(一八七八)一括して宇鉄村となる』。『正保二年(一六四五)の津軽郡之絵図に村名はないが「うてつ崎」「うてつの間弁才三艘ほと掛間北風悪 但此間より松前江船路六里と申伝候」などとあり、遠見番所が描かれ、「狄村」ともある。貧しい漁村のみで、寛文一〇年(一六七〇)の松前への海上船道積(津軽一統志)に「うてつより七里」とあり、御領分狄の覚(同書)に「宇鉄村 四郎三郎」「宇鉄村 藤蔵」とあるが、検地帳や郷帳にはまったく現れない』とあった。ウィキの「宇鉄」に『(江戸時代末期)東津軽郡元宇鉄村、及び上宇鉄村。のち六条間村、藤島村、釜野沢村と合併し』、『宇鉄村。』とする。グーグル・マップで見ると、現行は、青森県東津軽郡外ヶ浜町(そとがまち)三厩上宇鉄(みんまやかみうてつ)があり、龍飛岬方向に接して、三厩宇鉄山(うてつやま)もある。調べたところ、エゾアワビである。また、ブログ「龍飛岬観光案内所 太宰治・棟方志功ゆかりの宿 龍飛館」の『「十三の洞門」物語』に拠れば、『上宇鉄(かみうてつ)~龍飛までの間に見られる洞門群』がり、『昭和4年の完成時には13あったものの現在は7つが姿を残しており』、『利用されているものに限れば4つのみとなっている』とされ、『大正時代。三厩(みんまや)漁港付近から龍飛までの約12kmにわたる区間には道路と呼べるようなものはなく、人々は海岸を通行しているようなものだった』。『特に上宇鉄(かみうてつ)地区から龍飛の区間は岩礁地帯が続いていたため、人々は岩から岩へ波間を縫って飛び歩いたり、崖浜をよじ登ったり、海中の洞穴をくぐったり、穴を開けた岩に挿した棒杭を渡る等、大変な危険を冒して通行する他無い状態だった』。『そのような状況に変化の兆しが見えたのは、大正末期』で、『宇鉄漁業協同組合の長・牧野逸蔵氏が「文化はまず道路から」の旗印の許、決然と立ち上がったのだ』とあり、続いて「宇鉄漁業組合の黄金時代」と標題されて、『旧宇鉄村は大正以前よりアワビが豊富に獲れ、「アワビの村」と呼ばれていた。古くは貝をヤスで突き刺す漁法だったが、明治二十年代頃からは潜水夫が潜って貝を獲る「潜水器漁法」を取り入れていた。この漁法により貝に傷をつけることがなくなったため、アワビはとても高値で売れるようになっていた。当時はアワビの収益金だけで村の行政費の23年分はあったと言われるほどで、県下有数の組合だったのだ』。「開削工事」の項。『牧野氏は、このアワビの収益金を以って、大正12』(一九二三)『年、難工事が予想される村内の悪路開削工事に着手した』。『開削工事は固い岩盤をダイナマイトで発破し、手掘りをする・・・という、想像を絶する過酷な作業だった。このような危険を伴う作業をひたすら繰り返し、昭和4年、約12kmの道路及び「十三の洞門」は無事に完成した。牧野氏を中心とする道づくりにかける者達の熱意によって、難工事を乗り越えたのだ。道路開通当日、地元の老婆達は余りの喜びに赤襦袢に下駄履きといういでたちで祝賀踊りに興じたという』。以下、『「アワビ道路」と「十三の洞門」のいま』の項。『先人達の献身的な努力により造られた道は「アワビ道路」と呼ばれるようになり、住民達の生活に大きな文明の光を運ぶこととなった。そして現在は国道339号に移行されている。また、歴史的に妙味を残す「十三の洞門」は、度重なる道路拡張工事により姿を変えていき、原形を残しているものはわずかとなっている。しかし、現存する洞門及び洞門跡には看板が掲げられ、当時の様子をうかがい知ることが出来る』(以下略)とある。写真もあり、先人の苦労を知る上でも、必見である。

 

■「羽前國《うぜんのくに》

  鮑海郡飛島《とびしま》産」

[やぶちゃん注:縦に二個体の図。非常によく似ている。

「鮑海郡」これは、「飽海郡(あくみのこほり)」の誤記。

「飛島」山形県酒田市に属する。現在の人口は二百七十五人。当該ウィキの「名産」に、『烏賊、サザエ、あわびを使った塩辛』とある。山形県農林水産部内の「おいしい山形推進機構事務局」の「おいしい山形」の「アワビ(一口あわび・庄内あわび)」の「丸のまま一口で、アワビを食べる贅沢」に、『庄内浜では、天然物と養殖物のアワビの両方が水揚げされるが、1987年に飛島で養殖された「一口あわび」が本県アワビ養殖の始まりだ。海がきれいなこと、波が穏やかで水温が低い点が適していたといわれている。一口あわびの正式名称はエゾアワビで、本来は大きくなるものだが、3cmほどのエゾアワビの稚貝を23年かけ、あえて小ぶりな6.5cmサイズに育て差別化していた。エサには、地元に自生する「もく」と呼ばれるアカモクなどの海藻に加え、昆布を与えることで美味しさが向上する』。『一口あわびは、何よりも丸ごと一個食べられるということがとても贅沢だ。バター焼きや酒蒸しなど、火を通すとさらに奥深い旨みが味わえる』。『 現在は、県の栽培漁業センターで育てられた一口サイズの「庄内あわび」とともに地元旅館の名物として重宝されているほか、沿岸北部の遊佐町でも養殖の取組みが進められている』とある。]

 

■「紀伊國《きいのくに》産」

  「よろしきもの。」

[やぶちゃん注:和歌山県沿岸で漁獲されるものは、クロアワビ・マダカアワビ・メカイアワビ、及び、トコブシであるが、県下全域で獲れるもので、敢えて「よろしきもの。」と言ったら、まず、マダカアワビとしてよいであろう。]

「鮑の說」の残りの図版7図を清拭終了(全元画像及び清拭修正画像公開)

結局、一遍に纏めて清拭をしないと、自身の基準がぶれるため、残りを纏めてやった結果、本未明まで、凡そ三日もかかってしまった。今回は、特に、最後の一枚の貝殻の図の白・黒の印刷スレによって縦線が酷過ぎ、私の貝美意識を許さなかったため、特異的に黒・白で、出来る限り、違和感を生じさせないように(と言っても、パソコンを導入した2006年製の古い photo Impression 4 である)、塗って補正した。この際、ここで、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と、私が補正したものを纏めて掲げておく。

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清拭修正版


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2025/12/13

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その8) 【図版1】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。本日未明から始めたが、その清拭だけに四十分かかった。特に、製品の軟体部の腹足部の底部分は、製品として可能な限り、綺麗に仕上げるのが基本鉄則であるから、その部分の、陰部分(やや変色したものの表現を含む)ではない、推定される汚損は小さなドットまで、注意深く取り去った。特に、アワビの成体なら未だしも、製品化されたものの体表に、極めて細い針狀部分、或いは、根の細い先に球形や四角の突起様の物があることは、通常はないと推定出来るので、非常に小さなそうした部分は、汚損として、細心の注意を以って消してある。但し、今までにもしばしば見えた、印刷上の図内の白線状の摩擦痕などは、そのままにする他なかった。かなり、自信の持てるレベルには至っている状態に綺麗にすうる能力を私は保持していると思っている。現に、上のリンク先のものを同大にして比べて見て戴ければ幸いである。今まで通りの記号・体裁を問踏襲し、キャプションを電子化し、必要と思われる注を附す。製品のモノクローム画像で、手書きものであるため、種の同定は、産地等で可能な限り、種或いは種群を示す。前回の注で述べた通り、総ての図版を終わるのには、かなり時間が必要であることが確実となった。記号等は本文に準じて、私のやり方で添えてある。]

 

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【図版1】

[やぶちゃん注:本図集は、今までのような上罫線の上への題名は、一切、掲げられていない。順番は、基本、上から下、次いで、左方向へ配する。]

 

■「明鮑《めいはう》」

 「安房國《あはのくに》」

 「上品。『またかひ』にて、

  製するもの。」

[やぶちゃん注:冒頭に掲げるに相応しい、非常に大きな、しかも形も美しい最上の製品個体である。本図は以上の「またかひ」によって、アワビ中の最大種で最も美味とされる、

腹足綱直腹足亜綱古腹足上目原始腹足目ミミガイ科アワビ属マダカアワビ(眼高鮑) Haliotis madaka 

と判明する。「(その5)」で注してあるので、見られたい。]

 

■「白乾《しらほし/しらぼし》」

 「陸中産」

[やぶちゃん注:第一図の二番目に配されていること、産地が陸中で、形状が楕円形を成していることから、アワビ属クロアワビ(黒鮑) Haliotis discus discus と推定される。但し、腹足を下にしたもので、全体に黒々としており、見た目は、あまり製品としての質は、よくないように見えてしまっている。

「白乾」「(その6)」の注(初めの方)で既注済み。]

 

■「明鮑《めいはう》」

 「三番」

[やぶちゃん注:マダカアワビだろうが、製品落ちの下品(かひん)である。]

 

■「一番鮑《いちばんあはび》」

[やぶちゃん注:形状から見て、マダカアワビの最上製品であろう。]

 

■「二番鮑」

[やぶちゃん注:三方向から三図。一番上に、やや斜め右上方向から腹足部から描いたもの、その下に、同個体を腹足を引っ繰り返して置いた横からのもの(但し、スケールは前より小さい)、左下方に、一番上の左端のマダカアワビの口吻部を上に立てたもの(さらにスケールが小さい)が描かれてある。]

 

■「灰鮑《はひはう》」

 「北海道渡島國(としまのくに)産」

[やぶちゃん注:二図。腹足を下にしたものが上図で、腹足側をこちらに向けたものが下図。「灰鮑」「(その4)」を見よ。その注の引用で、クロアワビやエゾアワビが用いられるとある。産地から考えると、クロアワビか、亜種エゾアワビ(蝦夷鮑) Haliotis discus hannai のどちらかは、判断出来ない。

 

■「白乾一番鮑」

[やぶちゃん注:「一番」であるから、マダカアワビであろう。]

 

■「無番鮑」

[やぶちゃん注:無番とするからには、製品として最下級となるが、見た目は、そのようには見えない。産地も示されていないので、万事休すだが、縦列から見ると、前と対比して最下品として配しているようにも見え、その場合は、マダカアワビとなる。]

 

■「古代製法 薄鮑(うすあはひ)」

[やぶちゃん注:「うすあはひ」はママ。

「薄鮑」は「(その2)」に、『出雲、石見、長門、肥前、日向に『薄鮑(うすあはび)』あり。』とあり、恐らく、これは、アワビを湯通しにして、後に乾したものであろうと推測する。薄切りにして、食する。ただ、真っ黒な塊(二図)で、製品としては、よく認識出来ない。種も不明であるが、以上の地名を考慮すれば、マダカアワビであろうかとは思うものの、よく判らない。識者の御教授を乞うものである。]

 

■「熨斗鮑(のしあはび)」

 「伊勢産」

[やぶちゃん注:長大な正しく熨斗のものであるので、一応、最大種であるマダカアワビ製のものと推定しておく。]

 

■「灰鮑」

 「後志國《しりべしのくに》産」

[やぶちゃん注:この図からはよく判らないが、産地からエゾアワビであろう。]

 

■「天塩國《てしほのくに》

  増毛《ましけ》産」

[やぶちゃん注:「増毛」北海道増毛郡増毛町。ここは、現在もエゾアワビ名産地であるから、決まりである。]

2025/12/12

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その7) / (本文終わり)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページからで、今回を以って、「乾鮑の說」の本文は総て終わっている。但し、この後に八枚の図版がある。種同定は製品図からは、難しいが、キャプションにある産地等があるものからは、ある程度の種群に狭めることは可能である。面倒だが、今までのケースとバランスをとるため、非力乍ら、今までのように、可能な限り、検討するつもりでは、いる。しかし、その結果として、恐ろしく時間を食うことが想定される。気長に、お待ちあれかし。

 

灰鮑にも數法ありと雖ども、其最も要(かなめ)とするは、乾燥(ほしかた[やぶちゃん注:「乾し方」の当て訓であろう。])にあり。北海道粗造品の、他國產より、高價(たかね)を占(しむ)るものは、乾しかたのよろしきによるのみ。他國產も、北海道の如く、乾燥(かんそう[やぶちゃん注:ママ。])せば、極めて良價(よきねんだん)を得へく[やぶちゃん注:ママ。]、北海道產をして、他國良製品の如くならしめば、一層の良價(りやうか)を得るや、必(ひつ)せり。故に、茲(こヽ)に、灰鮑の尤(もつとも)適切なる方法を擧くれは[やぶちゃん注:二箇所ともママ。]、鮮肉(なまあはび)百顆(くわ)に鹽三合許(ばかり)を以て、漬け、暑中は、二日間、寒中は、四日間を經て、淡水(まみづ)にて洗ひ、沸湯(にへゆ[やぶちゃん注:ママ。])に投(とう)して[やぶちゃん注:ママ。]、煑沸(にわか)し、復た、淡水にて洗ひし竹簀(たけす)に並べ、水分を飛散せしめ、太陽にて、乾かすこと、五日、乃至(ないし)、十日間にして、箱に收め、蓋(ふた)を覆ひ置き、自(おのづか)ら、表面に白粉(しろこ)を發せしむなり。

[やぶちゃん注:「表面に白粉(しろこ)を發せしむなり」複数の干し鮑業者の記載を確認したところ、「旨味が滲み出たもの」、及び、「塩分」と記し、黴(かび)ではない由の記述があって、「最良の状態である」と記してあった。]

 

兩製共(とも)に、日光を借り、乾製するの習慣(ならはし)なりと雖ども、若(も)し、霖雨(ながあめ)に遭ふときは、糸に繫(つな)ぎ、急に焚火(たきび)の上に掛け、薰(いぶ)し、燥(かわか)すが故(ゆゑ)に、其色、變じて、暗黑色(まつくろいろ)となる、あり。三陸・北海道に於ては、日光に乾かすに、鮑の中心を、蔓(かづら)、或(あるひ)は、蒲葉(がま)を以て、貫(つらぬ)くの弊(へい)あり。此等(これら)の製法の如きものは、價格の下(くだ)る、實(じつ)に夥(おびたヾ)し。現に、明治十五年中、橫濱其他(そのた)、各港の貿易上に就(つい)て見るに、百斤[やぶちゃん注:60㎏。]の價(あたひ)、僅(わづか)に貳拾三圓にして、千葉縣製『明鮑』、及び、北海道・三陸等(とう)の『白乾上製(しらぼしじやうせい)』の如きは、百斤五拾圓、乃至、五拾五圓に昇り、其差(そのたがひ)、最も甚(はなはだ)し。然(しか)れども、北海道の如きは、竹簀(たけす)に並べ乾すときは、烏(からす)の啄(はむ)ところ、夥しく、爲(た)めに、之れが、番衞(ばんにん)等(とう)に費(つひや)すこと、多く、寧(むしろ)、賣價(ばいか)は、幾分の廉(やすね)なるも、斯(かヽ)る煩-冗(わづらはしき)を免(まぬか)るゝに、若(し)かず、とて、舊慣(きうくわん)の蔓吊乾(かづらつりぼし)を、改めざるあり。亦、靑森縣下にて、貫穿(ぬきとうし[やぶちゃん注:ママ。])の舊法を改めざるが如き、共に遺憾の至りなり。千葉縣の如きは、近時、焙爐(ほいろ)に掛け、炭火(すみび)を以て、之を乾製するの方法に改め、上製をなすも、あり。

[やぶちゃん注:「蔓(かづら)」平凡社「世界大百科事典」の「カズラ(蔓//葛)」に拠れば、多数の全く異なった植物である『つる草の総称。ヒカゲノカズラ』(ヒカゲノカズラ(日陰の鬘・日陰の蔓)植物門ヒカゲノカズラ綱ヒカゲノカズラ目ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属ヒカゲノカズラ Lycopodium clavatum )・『テイカカズラ』(双子葉植物綱リンドウ目キョウチクトウ科キョウチクトウ亜科 Apocyneae 連テイカカズラ(定家葛)属テイカカズラ Trachelospermum asiaticum )・『スイカズラ』(マツムシソウ目スイカズラ(吸い葛)科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica )・『サネカズラ』(被子植物門アウストロバイレヤ目Austrobaileyalesマツブサ(松房)科サネカズラ(実葛)属サネカズラ Kadsura japonica:以下では、知られる種は、一部を除き、学名追記をしない)『などは』、『その例である。上代つる草を髪に結んだり,巻きつけたりして頭の飾りとし,これを鬘(かずら)といった。そのためつる草を〈かずら〉と称するようになったという。鬘は〈髪つら〉の略,〈髪つら〉の〈つら〉は〈つる〉の古名で,長く連なるので〈つら〉といったものらしい。ただし,のちにはつる草に限らず,ヤナギ,タチバナ,サクラ,ウメ,ユリ,ショウブ,ムラサキグサ』(これは、蔓性植物の代表の一つである正式和名フジ(藤)の異名であろう。事典としては、甚だ、よろしくない記載である)『,イネ,藻などの植物も鬘に用いられた。このように,草木のつるや』、『茎や花などを取って髪飾りとすることを〈鬘く〉』(「かずらく」、歴史的仮名遣「かづらく」)『といい,もともと,植物の盛んな生命力を人間の体に取り入れようと願ったことから始まった』。『地方により特定の植物,例えばテイカカズラ(岡山),クズ』(マメ目マメ科マメ亜科インゲンマメ連ダイズ亜連クズ属亜種クズ Pueraria lobata subsp. lobata )『(香川)などを単に〈かずら〉と呼んでいる。また蔓水,蔓壺というと,それぞれサネカズラ(美男蔓)』『の粘液と』、『そのつるを浸すに用いる壺のことである。』(サネカズラの粘液は奈良時代に整髪料として使われていた)とあった。

「蒲葉(がま)」単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属ガマ Typha latifolia の葉や茎は、莚(むしろ)や簾(すだれ)の材料として使われてきた。

「貫穿(ぬきとうし)の舊法」不詳。前後から、アワビのど真ん中を穿孔し、そこに太い蔓や繩を通して、軒端に乾し吊るすといったような、損壊リスクが高まる乾し方を言っているようではある。

「蔓吊乾(かづらつりぼし)を、改めざるあり」老婆心乍ら、解説しておくと、太陽光に当たる場所に竹簀を組んんで並べて乾す方法を採ると、カラスが容易に竹簀に飛来して、悠々と鮑を突(つつ)き、咥えて持って行くリスクが非常に高いため、蔓に縦に突き刺して、日の当たる庇(ひさし)の下にぶら下げ、外側には魚網等を張って、カラスが侵入し難いようにするのが、効果的であるということであろうと思う。]

 

元來、乾鮑(ほしあはび)は乾燥の良否によりて、淸國の需用を伸縮せしむるものにして、北海道製の如き、形色(かたちいろ)の粗惡なるも、貯藏(たくはへ)久しきを保つを以て、上海(シヤンハイ)地方、大(おほい)に、之を、購收(かうしう)し、漢口(ハンカウ)・天津(テンシン)等(とう)の市場に於て、名聲を博せり。故に、世人は、灰鮑(はいはう)の疎製は、明鮑(めいはう)の精好なるに優(まさ)れりとするもの、あり。然(しか)れども、決して、明鮑、あしきに非らず。畢竟、明鮑の疎製なるに、よれり。明鮑は廣東(かんとん)人の、大(おほい)に嗜好する處にして、亦、四川・江南・江北・浙江等へも轉鬻(またうり)するものにして、今、商務局の販路圖に依(よつ)て見るに、本品の需用は、啻(たヾ)に淸國の一部に止(とヾ)まるのみならず、將に麻剌加(マラツカ)地方に及ばんとす。故に、乾鮑の輸出は、方今、上海と香港(ほんこん[やぶちゃん注:ひらがなはママ。])とは、嗜好、自(おのづか)ら、其製を異(こと)にするが如し。上海には、明鮑を輸出すと雖も、品の拂底(ふつてい)なるか、亦は、價格の騰貴(とうき)せるときは、黑色製の如きを、再製して、明鮑の如くならしめ、分輸(ぶんゆ)をなす、といふ。故に明鮑は、上海に輸出し、灰鮑、及び、馬爪色(ばづいろ)[やぶちゃん注:「(その6)」の私の「馬爪(ばず)」の注を見よ。]、白色(はくしよく)、䀋入製乾鮑(しほいりせいかんはう)は香港(ホンコン)に輸出す。此外黑色は香港に輸出し、又、時としては、米國桑港(サンフランシスコ)在留(ざいりう)淸國人に輸出せり。但し、明治十三年に岩手縣陸中國(りくちうの)東閉伊郡(ひがしへいこほり)飯岡村(いひをかむら)鈴木善助製造の明鮑を、創(はじ)めて、香港に輸出せり。三陸製の灰鮑は、其製法、北海道產に類似するを以て、外見は、殆んど同一なるも、肉、厚くして、味、佳(か)ならず。北海道製は、佳-味(よひあぢはひ)なれば、價格も優(まさ)り、北海道產百斤三十圓なれば、三陸產は二十二圓五十錢なり。

[やぶちゃん注:「商務局の販路圖」東洋文庫版の後注に、『『日本水産物海外販路図附・説略』(農商務省商務局、一ハ八三年)のこと。』とある。国立国会図書館デジタルコレクションのここの、冒頭に織り込まれている図がそれだが、図が、ばらばらに画像化されており、キャプションも小さく、容易に認識は出来ない。ここから、ブチブチに切れている

「麻剌加(マラツカ)地方」現在のマレーシア州の州都であるマラッカ周辺であろう(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。マレー半島西海岸南部に位置し、東西交通の要衝マラッカ海峡に面する。但し、当時は、イギリス領の海峡植民地であった。

「岩手縣陸中國(りくちうの)東閉伊郡(ひがしへいこほり)飯岡村(いひをかむら)」ここは、現在の下閉伊郡山田町(やまだまち)飯岡(いいおか)。

「鈴木善助」不詳。]

 

灰鮑の販路は將來に見込あるは香港なり。目下、該港の價格(ねぐらい)は、左の如し。

[やぶちゃん注:以下は、冒頭の製品を八字分の中で均等配置しているが、ブラウザの不具合を考えて、字間をカットした。一部の地名がポイント落ちで入っているが、これも同ポイントとした。「仝」は「同」の古字異体字。読みの歴史的仮名遣の誤りと「しほいろ」はママ。但し、これは誤植ではなく、「白色」ではなく、「䀋色」の当て訓であろう。]

灰鮑(北海道產)【上等三拾二圓・二拾七、八圓・二拾五圓・二拾一圓・一八、九圓・拾六圓迄。】

大形明鮑(おほかためいはう)(房州・伊勢・志摩・隱岐產)(【仝上三拾圓・二拾六、七圓・二拾四、五圓迄。】

中形明鮑(ちうかためいはう)(磐城・常陸產)【仝上二拾九圓・二拾五、六圓迄。】

小形明鮑(しようかためいはう)(陸前・陸中產)【仝上二拾七圓・二拾四、五圓・二拾三、四圓迄。】

馬爪色(ばづいろ)及び黑色鮑(こくしよくあわび)(陸中產)【仝上二拾二圓・拾八圓迄。】

白色鮑(しほいろ)(仝上)【仝上二拾四圓・二拾圓・拾八圓迄。】

䀋入鮑(しほいろあわび)(仝上)【仝上二拾圓・拾六圓迄。】

明鮑、灰鮑の上海、香港兩港に輸出するの比較は、左の如し。

[やぶちゃん注:「䀋入鮑(しほいろあわび)」これは、「しほいりあはび」(塩蔵にしたアワビを乾したもの)の二箇所の誤植と思われる。

 なお、以下では、「{」が三行に亙る大きなものだが、表示出来ないので、以下の罫線で代わりとした。「灰鮑」は「明鮑」の下方にあるが、引き上げて並べた。]

  ┌香港拾分の一

明鮑│

  └上海拾分の九

  ┌香港十分の九

灰鮑│

  └上海十分の一

右を、淸國人に賣買するには、從來、之を、三番・二番・一番・無番の四等に分ち、又、番每に大・中・小に區別せり。其(その)番立法(ばんたてはふ)たる三番は、平戶・五島等の產の內(うち)、上品三步(《さん》ぶ)通(とふり[やぶちゃん注:ママ。])、諸國出產の內、上品四步通、北海道・三陸の產、小形なれども、上品の分《ぶん》、三步通を交(まじ)へ、步割(ぶわり)に拘はらず、上品の分は、此(この)番(ばん)に加ひ[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]、二番は諸國出產の三番に成らざる、大《だい》の分、六步通、三陸產、四步通ほどを加(くは)ひ[やぶちゃん注:ママ。「加へ」が正しい。]、此番に定む。但(たヾし)、步割(ぶわり)に拘(かヽは)らず、諸國出產の內、三番に成らざる大の分、又は、北海道產の內、三番に成らざる分を交(まじ)ゆ。一番は、諸國出產の中(うち)、至(いたつ)て小《しやう》の分を此番とす。無番は疵付(きづつき、並(ならび)に、色合、惡(あし)く、渾(すべ)て、形狀・色合の不良のものをいふ。而して、本邦より淸國ヘ輸出するの總額は、明治元年には、二十一萬〇二百四十斤、此代價、六萬瓦千五百三十四圓なりしが、爾來(じらい)、年々、多少の增減あるも、槪(おほむ)ね、增額に趣(おもむ)き、十五年には百〇七萬千九百五十斤、此價二十八萬五千九百二十一圓に至れり。

[やぶちゃん注:「三步(《さん》ぶ)通(とふり)」この「さんぶとほり」というのは、「三歩留(さんぶと)まり」を言っているものと思われる。則ち、本来、期待予想される乾アワビ製造に於いて、「原料であるアワビ一個体の量から期待される生産量に対し、実際に得られた製品生産数の比率」の謂いであると考えられる。

「步割」これも同様に「歩合」で、前の「歩留り」と類似した意で使っているものと思われる。]

 

上海・香港より分輸(ぶんゆ)するの地方は、湖北・湖南・江南・河南・陝西(きやうせい)・四川等《とう》の諸省(しよしよう[やぶちゃん注:ママ。])にして、四川省の如きは、有名なる『五色菜(ごしきさい)』の一《ひとつ》【黃色。】にして、遊客(ゆうかく)の饗膳(ごちさう)に欠(か)く可(べか)らざる大海味(だいかいみ)の一として、之を割烹(りやうり)するには、『鮑魚絲(ほうぎよし/ぼうきり[やぶちゃん注:「ほう」「ぼう」はママ。次も同じ。])』・『鮑魚片(ほうぎよへん/うすへぎ)』等(とう)の切り方ありて、『榮鮑魚(ゑいはうぎよ[やぶちゃん注:ママ。])』・『紅燒鮑魚(こうしようほうぎよ[やぶちゃん注:ママ。])』・『細滷鮑魚(さいろはうぎよ)』・『淸湯鮑魚(せいとうはうぎよ[やぶちゃん注:ママ。])』等(とう)、種々(しゆしゆ)大碗(たいわん)の調理(ちやうり)に供せり。而して其煮方たる、乾鮑(ほしあわび[やぶちゃん注:ママ。])を溫湯(ぬるまゆ)に、五、六日間、浸(ひた)して、充分、柔(やわらか[やぶちゃん注:ママ。])になして、切り、他(た)の菌菜(きんさい)とともに、火腿(くわ

たい)の煮汁、及び、氷砂糖熬汁(こほりさとういりしる[やぶちゃん注:ママ。])に調理せり。

[やぶちゃん注:「五色菜」「煎海鼠の說(その9)」で、お茶濁しの当たり前の注は、打ったので見られたい。

「大海味」本邦の「海の幸」、或いは、「海産物中の珍味」の意であろう。

「鮑魚絲」「百度百科」の「鲍鱼丝」に、『主に鮑の薄切りを使った料理で、中華料理でよく見られる。通常は鮑を細切りにし、柔らかくなるまで加熱調理するもの。この料理は様々な調理法があり、例えば、「韓国風のピリ辛炒め」は、生姜・大蒜・チリソースでサッと炒めるだけで、「鮑の細切りチリ炒め」は、豚バラ肉とピーマンを加えて風味を強める。また、鮑の細切りは、「太史五蛇羹」などの高級料理にも使われる』。これ『は、蛇の肉や魚の浮き袋などを細切りにし、包丁の腕と味の融合を強調している』とある。文中の「太史五蛇羹」は、ウィキの「蛇スープ」に拠れば、『五蛇羹(五種類の蛇のとろみスープ)』とあり、『広東料理の一つで、三蛇羹の食材の他に、ヒャッポダ』(有鱗目ヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科ヒャッポダ(百歩蛇)属ヒャッポダ Deinagkistrodon acutus猛毒種 )『とホウシャナメラ』(中文名「三索錦蛇」・和名は「眼を中心とした放射線状の黒色を持った滑らかな甲羅の蛇」の意:ナミヘビ科アギトナメラ属ホウシャナメラ Coelognathus radiatus:無毒種)の二『種のヘビ肉を加えたもの』で、清の一九〇四年に『科挙で進士となった江孔殷は、役人となり』、『江太史と呼ばれたが、グルメとしても有名で、江太史の屋敷で考案された』ことから、『太史五蛇羹とも呼ばれる』とあった。

「鮑魚片」これは、料理名ではなく、食材名のようだ。あまり使いたくないが、AIによれば、鮑を乾燥保存し、調理し易いように薄切りにしたもので、スープや煮込み料理の出汁(だし)や具材として使われる。乾燥鮑は、水で戻すのに、非常に時間がかかるが、スライスされているため、短時間で戻すことができ、手軽に高級なアワビの風味と食感を楽しむことが出来る、とあった。

「榮鮑魚」(正:えいはうぎよ)いちいち、中文の料理法を調べるのが面倒なので、当該名を含む料理画像・解説画像(動画も含む)を示して注の代わりとする。却って、判り易い。「老爺大酒店尊榮鮑魚美饌上菜」

「紅燒鮑魚」(正:こうしやうはうぎよ)「〈職人吹水 〉紅燒鮑魚 金盞 白花球 勁大隻 罕有兩頭紅燒鮑魚 刀叉享受 簡單易做 花點心思 母親節快樂」YouTube動画)。

「細滷鮑魚(さいろはうぎよ)」この文字列では、見当たらない。「滷」は「内陸産の岩塩」を意味する「鹵」に由来する漢字で、「醤油や香辛料を煮込んだスープ。または、そのスープで作った食べ物」を意味する。「美食天下」の「卤水鲍鱼:冰鲜的更好吃」

「淸湯鮑魚」(正:せいたうはうぎよ)「@鈺贊貿易冷凍水產批發」の「這罐鮑魚竟然逼瘋南北貨老闆!再不搶就沒了」YouTubeリール動画)。

「菌菜(きんさい)」この場合は、前後から見て、文字通りの「キノコ類と野菜」の意味である。

「火腿(くわたい)」拼音“huǒtuǐ”(音写:フオトェイ)で「中国式ハム」を指す。豚の腿肉を塩漬・乾燥・発酵させて作る保存食。漢名は「断面が火のように赤いこと」に由来する。

「氷砂糖熬汁」(正:こほりさたういりしる)は中国語で「氷砂糖を煮詰めて作ったシロップやソース」を指すようである。]

 

鮑に『あはび』『とこぶし』『みヽかひ』の三種あり。『あはび』に『またかひ』【一《いつ》に『また』、又、『またか』。】『めかひ』『くろかひ』【一に『くろ』。】の三品(ぴん)あり。『まだか』は、凡そ、十五尋(ひろ)以上、三十尋許(ばかり)、深き處に棲み、其肉の外面(ぐわいめん)、淡黃色(うすきいろ)をなし、肉緣(みヽ)、厚く、其殼、深しと雖ども、『くろかひ』に比すれば、淺し。『めかひ』は、十三尋より十七、八尋の處に棲み、肉の外面、黃色を帶び、殼、甚だ、淺く、肉緣(みヽ)、薄し。『くろ』は、十三尋以下にありて、肉の外面、淡黑色、或は、梢々(やヽ)靑色をなすものありて、肉、及び、肉緣、厚くして、殼、深し。此三品は、其質(そのしつ)、各(おのおの)、異(こと)にして、『くろがひ』は、鮮肉(なまにく)の味(あぢは)ひは、他の二品に優(まさ)ると雖ども、『明鮑』には、色、あしく、『灰鮑』には、形、よからず。故に、『乾鮑(ほしあはび』に適せざる品(しな)なり。『またがひ』は、煮て食するに、味、よろしく、『乾鮑』にも適せり。『めがひ』は、煮て食するには、『またがひ』に[やぶちゃん注:原文では『「またがひに」』であるが、誤植と断じて修正した。]劣るも、『乾鮑』となすに、最(もつとも)適せり。以上三品に就(つい)て、海底の深淺をいふは、總(しもふさ)・房(あわ[やぶちゃん注:ママ。])の海に就て、撿査(けんさ)[やぶちゃん注:「檢査」に同じ。]せし所なれども、地方によりて、多小の異同、あるべし。又、『とこぶし』は、鮑を產する海に多けれども、東京以北の地は、次第に、少なく、北海道には、全く、なし。其棲息する所は、鮑に比して、極めて淺く、其形、小(ちいさ)きを以て、世(よ)に「鮑の兒(こ)なり。」と云ふもの、あれども、全く、別種なり。是を煮て、食し、或は、䀋辛(しをから[やぶちゃん注:ママ。])となすの外(ほか)、世(よ)の需要、狹きにより、從(したがつ)て、其價(そのあたひ)も、低(ひく)きを以て、之を、薄片製(うすはぎせい)と、なし、淸國に輸出せば、遂には、一《ひとつ》の製產(せいさん)となるに至るべし。而して、「みヽかひ」は、沖繩請島に多く產するものにて、其形(そのかたち)、較(やヽ)、「とこぶし」に似て、長き灣形(わんけい)をなし、殼に比すれば、其肉、頗(すこぶ)る大(たい[やぶちゃん注:ママ。])なり。其需用、及び、將來の目的、ともに、前(せん)[やぶちゃん注:「前に語った」の意。]、「とこぶし」に同(おな)し。

[やぶちゃん注:ここに出た種の詳細は、既に「(その5)」で注してある。

「下總」現代仮名遣「しもうさ」。現在の千葉県北部と茨城県の南部相当。なお、古くは、現在の旧東京府・埼玉県・千葉県・茨城県にあった葛飾郡全域を含んだが、同郡の太日川(ふといがわ:現在の江戸川の旧名。流域も現在とは大きく異なる)以西は江戸初期に武蔵国に移されている。

「安房」「あは」が正しい。現在の千葉県南端部。本書刊行から十五年後の明治三〇(一八九七)年には、「平(へい)」・「長狭」・「朝夷」の三郡を合併し、旧安房国全域を占める郡となっている。]

 

抑(そもそも)、鮑殼(あはびがら)は、其(その)色(しよく)・質(しつ)・閃彩(しうさい[やぶちゃん注:ママ。])、美麗なるが故に、磨(みがき)て、器皿(きびやう[やぶちゃん注:ママ。])とし、截(きり)て釦鈕(ぼたん)とし、或は、螺鈕(らちう)の用に充つべく、介殼(かいがら)中(ちう)、頗る、用あるものなりと雖ども、本邦、未だ鏇製(ろくろざいく)に巧(たくみ)ならざるを以て、其殼を、歐洲に輸出し、却(かへつ)て、其製品を求むるは、遺憾の至りならずや。若(も)し、機械を使用し、釦鈕を作るに至らば、其利、極めて多かるべし。凡そ、鮑を捕るには、海人(あま)の水中に潜沒(くヽりいり[やぶちゃん注:ママ。「くヾりいり」の誤植。])して、其(その)在る所を認(みと)め、急に、鐵箆(かなへら)[やぶちゃん注:磯金(いそがね)。]を以て、刮(けづ)り起して、捕ると、魚叉(さす)を用(もち)て、突捕(つきと)るの舊慣(きうくわん)なりしが、近年、潜水器(しんすいき[やぶちゃん注:ママ。「せんすいき」の誤植であろう。])を使用するに至り、從來、海人(かいじん)の達せざる深き所のものをも、捕るに至れり。然(しか)れども、一利、興(おこ)れば、一害の生ずるは、數(すふ[やぶちゃん注:ママ。])の免(まぬか)れざる所にして、各所、此器械を以て、一時(いちじ)に多量の收獲を得るのみならず、鮑兒(はうじ)をも捕𫉬(ほかく)せしにより、遂(つひ[やぶちゃん注:ママ。])に、繁殖に害を及ぼすに至る。既に、遠江(とふとふみ[やぶちゃん注:ママ。])の如きは、明治十三年に、二萬斤の收利(しうり)ありしも、十五年には、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て產出を見ず。又、全國の統計は、十三年に、百十一萬八千七六十二斤となり、三十一萬斤の產額なりしも、十五年には八十萬六千五百二十八斤となり、三十一萬斤の滅少を來(きた)せしのみならず、小貝(ちいさきかい[やぶちゃん注:ママ。])と、粗製との價(あたひ)は、殆ど、半額に及べり。

[やぶちゃん注:「閃彩(しうさい)」どう逆立ちしても「閃」は「しう」とは読めない。「閃」の音は「セン」のみである。但し、国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると、「ピカピカと光の彩(いろど)り」の意味で、使用例が複数あった。ルビはないが、それらは「センサイ」と音読みし、「光り輝く彩り」の意味と採れた。しかし、辞書類には載らない。思うに、前後を見るに、ここは「色(しよく)・質(しつ)・閃(せん)・彩(さい)」であって、「アワビの真珠層が燦然と綺羅星の如く輝く、その光り」のことを言っているのだと思う。「彩」は、さらに、よくその「閃光」は虹色を成しているということであろうと判断する。

「器皿(きびやう)」この「皿」も「ビョウ」とは読めない。「皿」の音は(括弧内は歴史的仮名遣)「メイ・ミョウ(ミヤウ)・モウ(マウ)」と慣用音の「ベイ」があるのみである。恐らく、河原田氏は「きべい」とする所を、歴史的仮名遣染みたミスで「きびやう」とやらかしたのではないかと推理する(彼は今までもトンデモ歴史的仮名遣を使っている前歴がある)。「器皿(きべい)」は小学館「日本国語大辞典」に『うつわ。器具。皿や小ばちの類。』とある。アワビの殻は、御存知の通り、「さんが」(山家・山河)等、種々の海産珍味を出す際に、よく使われ、洒落た小鉢や、灰皿にもされる。

「截(きり)て釦鈕(ぼたん)とし」貝ボタンとして、今や、誰もが知っているが、ネット上では、どこも、貝ボタン産業は、明治二〇(一八八七)年頃、ドイツ人の技術指導によって、兵庫県神戸市に初めて伝わったとされている。本書は明治十五年刊であるから、以下の河原田氏の遺憾の歎きは、よく判る。

「鏇製(ろくろざいく)」「轆轤細工」。但し、ここでの河原田氏の遺憾とするキモは、精密な電動穿孔機の導入による将来的な量産を期待した思いであろう。しかし、言っておくと、ウィキの「ボタン(服飾)」によれば、『最も古いものとして5000年前のモヘンジョダロ遺跡で湾曲した貝から作られたボタンが見つかっている』とあり、『日本では江戸時代の末期になってに牛骨や金属の留め具が作られるようになったが足袋の小鉤(こはぜ)に近いもので、本格的なボタンは明治になってから製造されるようになった』。『これは、軍隊の制服需要によって本格化し、需要が生まれたことから輸出に頼っていたボタンが国産化され、水牛ボタン、馬蹄ボタンが作られ、明治期に貝を使ったボタン貝釦が作られるようになった。生産は増え続け、第二次世界大戦前にはボタンを輸出するようになっていた』とあり、河原田氏の以上の感懐吐露は、まさに、アップ・トゥ・デイトな言上げであったのである。]

 

夫(そ)れ、本邦は、全國の沿海に鮑魚(はうぎよ)を產するを以て、濫捕(らんほ)を制限して、繁殖を圖(はか)り、製造を改良して、品位を善良にし、浪費を省きて、價(あたひ)を廉(れん)ならしめ、容函(ようかん/いればこ)を堅固にして、濕氣(しつき)を防ぎ、商賣を確實にして、需用者の信用を厚(あつ)からしめ、以て、其利を永遠に傳へ、國家の經濟を助けずんば、あらざるなり。

[やぶちゃん注:その通り!!!

2025/12/11

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 目録・山草類 上卷・甘草

[やぶちゃん注:まず、「目録」。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の私と同じ画像で示すと、ここと、ここである。原本は三段で記載されてあるが、一段で示した。ルビは丸括弧で下に附した。歴史的仮名遣としておかしい箇所があるが、そのまま示した。ママ注記は附していない。また、下にある附記(別名・ポイント落ち)は【 】で普通のポイントで示した。なお、現在、一般に見知られていない植物名が多く出るが、ここでは、種同定はしない。既に、概ね、「藥品」パートの私の注で同定比定しているものではある。]

 

   山草類

 

甘草(かんざう)

黃茋(わうぎ)

人參(にんじん)

尾人參(ひげにんじん)

和人參(わにんじん)

沙參(しやじん)

羊⻆菜(つるにんじん)【和沙參】

躍草(をどりぐさ)

薺苨(さいねい)

桔梗(ききやう)

長松(まつばぐさ)

黃精(わうせい)

萎甤(いずい)

[やぶちゃん注:「甤」原本は異体字で、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、かく、した。]

知母(ちも)

肉蓯蓉(にくじうよう)

草蓯蓉(さうじうやう)

鎻陽(さやう)

惠布里古(ゑぶりこ)

天麻(てんま)

蒼术(さうじゆつ)

[やぶちゃん注:「术」は「朮」の異体字。次も同じ。]

白术(びやくじゆつ)

狗脊(ぜんまい)

貫衆(やまぐさ)

巴戟天(はげぎてん)

觀音草(くわんおんさう)

遠志(をんじ)

淫羊藿(おんようくはく)

[やぶちゃん注:「羊」原本は異体字で、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、かく、した。]

仙茅(せんばう)

玄參(げんしん)

地榆(ちゆ)

丹參(たんざん)

[やぶちゃん注:「丹」原本は異体字で、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、かく、した。]

紫參(しじん)

王孫(ぬはりぐさ)

紫草(むらさき)

白頭翁(かくづをう)【をきな草】

山芹菜(くさぼたん)

伊波奈之(いばなし)

 

   *   *   *

 

和漢三才圖會卷第九十二之本

      攝陽 城醫法橋寺島良安尚順

  山草類上卷

 

 

Kanzou

 

かんざう  𮔉甘 𮔉草

      美草 蕗草

甘草   靈通  國老

      【其大美者

唐音     名粉草】

     【和名阿末木】

 

本綱春生靑苗枝葉悉如槐髙五六尺伹葉端微尖而糙

濇似有白毛七月開紫花似柰冬結實作𧢲如相思⻆作

一本生至熟時𧢲折子扁如小豆極堅齒囓不破根長者

三四尺粗細不定皮赤色上有横梁梁下皆細根也以大

徑寸而結緊斷文者爲佳謂之粉草其輕虛細小者不及

之安南國甘草大者如柱土人以架屋不識果然否也

氣味【甘平氣薄味厚】 可升可降陰中陽也此草治七十二種

 乳石毒解一千二百般草木毒調和衆藥有功故爲國

 老經方少有不用者猶如香中有沉香也凡使須去頭

 尾尖𠙚其頭尾吐人【苦參乾𣾰爲之使惡遠志反大戟芫花甘遂海藻】

生用則【氣平】補脾胃不足而大潟心火

炙用則【氣温】補三焦元氣而散表寒除邪熱去咽痛

 凡甘草性能緩急而又協和諸藥使之不争故熱藥得

 之緩其熱寒藥得之緩其寒寒熱相雜者用之得其平

 凡中滿嘔吐酒客之病不可用甘草甘者令人中滿

△按甘草出於南京陝西河東山西者爲上皆稱之南京

 甘草出於福州者細脆帶微苦味又細而如䅌者俗謂

 之藁手又大者名粉草俗謂之鞭手

 徃昔日本有甘草延喜式云陸奧出羽常陸毎年貢之

 如今絶不出雖希有而細硬不佳

 

   *

 

かんざう  𮔉甘《みつかん》 𮔉草《みつさう》

      美草《びさう》  蕗草《ろさう》

甘草   靈通《れいつう》  國老《こくらう》

      【其《その》大《おほき》く美なる者、

唐音     「粉草《ふんさう》」と名づく。】

     【和名「阿末木《あまき》」。】

 

「本綱」に曰はく、『春、靑苗《せいびやう》を生ず。枝葉、悉《ことごと》く、槐(ゑえんじゆ)のごとく、髙《たかさ》、五、六尺。伹《ただし》、葉の端《はし》、微《やや》、尖《とが》りて、糙-濇(あらあら)しく、白毛《はくもう》、有るに似たり。

七月に紫≪の≫花を開く。柰《だい》[やぶちゃん注:広義のリンゴ=リンゴ属 Malus 「卷第八十七 山果類 柰」の私の注の冒頭にある比定考証部を見よ。東洋文庫訳では割注で『セイヨウリンゴ』とするが、私は従えない。]に似て、冬、實を結び、𧢲《さや》[やぶちゃん注:この漢字は「角」の本字。篆文(てんぶん)にごく近い字体である。ここは「莢(さや)」の意である。]を作る。「相思《さうし/たうごま》」の⻆《さや》に《✕→の》ごとく、一本を作《な》して、生ず。熟する時に至《いたり》て、𧢲《さや》、折(くじ)け、子《み》、扁《ひら》たく、小豆《あずき》のごとし。極《きはめ》て堅《かたく》して、齒にて囓(か)むに、破れず。根、長き者、三、四尺。粗(ふと)・細(ほそ)、定まらず。皮、赤色。上に、横≪に≫梁(ふしくれ)、有り。梁《ふしくれ》の下。皆、細≪き≫根なり。以大《おほい》さ、徑《さしわた》し、寸[やぶちゃん注:三センチメートル。]にして、結緊《けつきん》・斷文《だんもん》の者[やぶちゃん注:「節くれが、堅く引き締まっているもの・切れ切れに紋様が続いて生じているもの」の意。]、佳《よし》と爲《なす》。之《これ》を「粉草《ふんさう》」と謂《いふ》。其《それ》、輕虛《けいきよ》・細小なる者、之《これ》に及ばず。安南國《アンナンこく》の甘草は、大なる者、柱《はしら》のごとし。土人、以て、屋に架(つく)りす。《→と雖も、》識らず。果《はた》して、然《しか》るや否や。』≪と≫。

『氣味【甘、平。氣、薄く、味、厚《あつ》し。】 升(のぼ)すべく、降《くだ》すべく、陰中《いんちゆう》の陽《やう》なり。此の草、七十二種の乳石《にゆうせき》[やぶちゃん注:これは、本間久英・中田正隆・新井利枝共同論文「薬石に関する資料」(『東京学芸大学紀要』第4部門(数学・自然科学)・巻四十八・一九九六年八月発行・「東京学芸大学リポジトリ」のここからダウンロード可能)を管見した限りでは、恐らくは、鍾乳石由来の薬、及び、諸石・鉱物由来の薬全般を指している語と推定された。]の毒を治し、一千二百般[やぶちゃん注:「種」に同じ。]の草木の毒を解して、衆藥《しゆやく》を調和するの功、有る故《ゆゑ》に、「國老」と爲《なす》。經《けい》[やぶちゃん注:中医学で「気血の通路」を指す。]≪の≫方《はう》で、用《もちひ》ざる者、有ること、少《すくな》し。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、香中《かうちゆう》に沉香《ぢんかう》有るがごとし。凡そ、使ふに、須《よろしく》、頭尾≪の≫尖《とがれる》𠙚《ところ》を去るべし。其《その》頭尾、人を吐《はか》す《✕→人をして吐かせしむ》。【「苦參《くじん》」・「乾𣾰《かんしつ》」、之れの使《し》と爲す。「遠志《をんじ》」を惡《にく》み、「大戟《たいげき》」・「芫花《げんくわ》」・「甘遂《かんすい》」・「海藻」に反《はん》す。】。』≪と≫。

『生《なま》にて用《もちふ》れば、則《すなはち》【氣、平。】、脾胃の不足を補《おぎなひ》て、大《おほき》に心火《しんくわ》[やぶちゃん注:五行思想で「心」は「火」に属す。]を潟《しや》す。』≪と≫。

『炙《あぶ》り用れば、則《すなはち》【氣、温。】、三焦の元氣を補ひて、表寒《へうかん》を散じ、邪熱を除《のぞ》き、咽《のど》の痛《いたみ》を去る。』≪と≫。『凡《およそ》、甘草の性《しやう》、能く、急《きふ》を緩(ゆる)め、而《しかして》又、諸藥を協和す。之をして、争(《あら》そ)はざらしむ。故《ゆゑ》、熱藥≪は≫、之を得《う》れば、其熱を緩《ゆる》くし[やぶちゃん注:原本では、この下に「ハ」とあるが、衍字か誤刻であろうと判断し、カットした。]、寒藥、之を得れば、其寒を緩くし、寒・熱、相《あひ》雜《まぢ》る者は、之を用《もちひ》て、其《その》平《へい》を得《う》。』≪と≫。

『凡《およそ》、中滿《ちゆうまん》[やぶちゃん注:「肥満」の意。]・嘔吐・酒客《しゆかく》[やぶちゃん注:酒飲み。酒精中毒者。]の病《やまひ》には、甘草を用ふべからず。甘《かん/あまき》は、人をして中滿ならしむ。』≪と≫。

△按ずるに、甘草、南京・陝西・河東・山西(《シヤン》スイ)[やぶちゃん注:「山西」は現在、拼音で“Shānxī” (shān xī)では、音写は「シャン・シー」となる。「スイ」というのは音写の一つとしておかしくはないと思われる。]より出《いづ》る者、上《じやう》と爲《なす》。皆、之『南京甘草』と稱す。福州(ホクチウ)[やぶちゃん注:閩東語で「福州」(Hók-ciŭ:音写「フッチュ」)であるから、その音写の一つとして違和感はない。]より出る者は、細《ほそ》≪く≫脆《もろ》く、微《やや》、苦味を帶《おび》て、又、細くして、䅌(むぎわら)のごとくなる者を、俗、之を、『藁手(わらで)』と謂《いふ》。又、大《だい》なる者を、俗、『粉草《ふんさう》』と名《なづ》く。俗、之を『鞭手(ぶちで)』[やぶちゃん注:「鞭」には「ぶち」の訓読みが存在する。大学生になった際に購入した「角川新版 古語辞典」(五十五版・昭和五〇(一九七五)年刊)に『「むち」の転。「―ばかり腰に差いておぢやる』〔狂・鞍馬婿〕」とある。通常は「鞍馬聟」であるが、制作年は未詳なものの、この用法を良安が用いてもおかしくないと私は判断する。]と謂ふ。

 徃昔(いにしへ)は、日本に、甘草、有り。「延喜式」に云《いは》く、『陸奧・出羽・常陸、毎年、之を貢す』と。如今《ぢよこん》、絶《たえ》て、出《い》≪で≫ず。希(《ま》れ)に有ると雖も、細く、硬《かたく》佳《か》ならず。

 

[やぶちゃん注:私は、長い間、愚かにも、カンゾウは本邦にも自生すると思っていた。しかし、数年前、小学館「日本国語大辞典」の記載を見て、『中国に野生し、日本では、まれに栽培される』と知って、我の愚かさを知ったのであった。そこで、「甘草」に就いては、まず、ボリュームのある平凡社「世界大百科事典」を引くこととしよう。『カンゾウ(甘草)』『カンゾウ Glycyrrhiza uralensis Fisch.』は、『根や茎の基部が漢方薬で甘草と呼ばれ重用されるマメ科の多年草。カンゾウ属 Glycyrrhiza 23種が同じ用途に利用される。これらを英名でlicorice という。高さ数十cm,ときには1mになり,根茎は円柱状で,それにつづく主根は深く土中にのびる。直立する地上茎には白色の短毛や腺毛がある。葉は互生,奇数羽状複葉で48対の小葉がある。花は67月,腋生(えきせい)した花梗の先端に密集してつき淡紫色,1.52cmほど。豆果は長楕円形で鎌状に曲がり,長さ68cm,褐色のとげ状腺毛を密生する。種子は黒色で光沢がある。同属で,果実に腺毛のない G. glabra L.(中国名は洋甘草,欧甘草)や,G. kansuensis Chang et Peng(中国名は黄甘草)なども前種と同様に用いられる。カンゾウはシベリアから中国北部に,G. glabra はヨーロッパ南部からアフガニスタンに分布している。甘みはサポニン,グリチルリチン glycyrrhizin(ショ糖の150倍の甘みがある)やブドウ糖を含有していることによる。そのほかにフラボノイド flavonoid も含み,鎮咳(ちんがい),鎮痛や利尿作用がある。そのため風邪や咽喉の病気,さらに胃腸薬として用いられている。また漢方薬の甘味づけや錠剤の形成薬にも利用されている。日本ではしょうゆの甘味料として大量に消費され,また人工甘味料としての用途が広い』。『なお』、全く縁のない『カヤツリグサ科のカンエンガヤツリ[やぶちゃん注:単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ(蚊帳吊)科カンエンガヤツリ(灌園蚊帳吊)Cyperus exaltatus var. iwasakii ]やユリ科のキスゲ類[やぶちゃん注:単子葉植物綱ユリ目ユリ科キジカクシ目ワスレグサ科ワスレグサ亜科ワスレグサ属 Hemerocallis の異名。]もそれぞれカンゾウ(莞草,萱草)と呼ばれる』とある。特に、後者のワスレグサ属を中国ではモロに「萱草屬(或いは「黃花菜屬」)とする(「維基百科」の当該属を見よ)ので、注意が必要である。)。

 次いで、基原を示すと、「日本漢方生薬製剤協会」の「カンゾウ (甘草)」のページに拠ると、二種が掲げられている。

双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科カンゾウ属の

ウラルカンゾウ Glycyrrhiza uralensis (当該ウィキに拠れば、別名を「東北甘草」と呼び、)

スペインカンゾウ Glycyrrhiza glabra

の根、及び、ストロンを乾燥したもの、時には周皮を除いたもの

である。前者の、ウラルカンゾウは『草丈3080cm,時には1mにも達する.葉は互生し,長さ824cm,奇数羽状複葉で小葉は517枚,倒卵形から楕円形.67月に葉腋の総状花序に淡紫色の花を多数密生する.莢果は常に湾曲し,鎌刀状或いは環状を呈し,密に腺毛で被われている.』とあり、後者、スペインカンゾウは『草丈6090cm,葉は互生し,奇数羽状複葉で小葉は,917枚,楕円形~長楕円形,鈍頭,裏面は,小腺点を有し粘る.総状花序に淡青色の花を多数密生する.莢果はまっすぐ或いは微かに曲がり,無毛或いはまばらに柔毛がある.』とある(二種とも生体写真が有る)。

 「産地」は『中国 (内蒙古自治区,甘粛省,陝西省,寧夏回族自治区,黒龍江省,吉林省,新彊ウイグル自治区等),アフガニスタン,オーストラリア,ロシア等』で、「生薬の性状」の項に、『本品はほぼ円柱形を呈し,径0.53cm,長さ1m以上に及ぶ.外面は暗褐色 ~ 赤褐色で縦じわがあり,しばしば皮目,小芽及び鱗片葉を付ける.周皮を除いたものは外面が淡黄色で繊維性である.横切面では,皮部と木部の境界がほぼ明らかで,放射状の構造を現し,しばしば放射状に裂け目がある.ストロンに基づくものでは髄を認めるが,根に基づくものではこれを認めない』。『本品は弱いにおいがあり,味は甘い』とし、『本品の横切片を鏡検するとき,黄褐色の多細胞層のコルク層と』、『その内側に13細胞層のコルク皮層がある.二次皮層には放射組織が師部と交互に放射状に配列し,師部』(植物の維管束の内、体内物質の移動の通路となり、また、機械組織・貯蔵組織ともなる部分を言う語)『には』、『厚壁で木化不十分な師部繊維群があり,その周囲に結晶細胞が認められる.周皮を除いたものでは』、『二次皮層の一部を欠くものがある.木部には黄色で巨大な道管の列と310細胞列の放射組織が交互に放射状に配列する.道管は結晶細胞で囲まれた木部繊維及び木部柔細胞を伴う.ストロンに基づくものでは』、『柔細胞性の髄がある.柔細胞は』、『でんぷん粒を含み,また,しばしばシュウ酸カルシウムの単晶を含む.縦切片の鏡検では,師部繊維又は木部繊維の周囲の結晶細胞は列をなす.』とある。この解説の下には、『東北甘草(2号)内蒙古自治区産』・『西北甘草(西正甘草・乙)内蒙古自治区産』のキャプションを持つ生薬製品の写真がある。以下、「成分」と本邦での「規格値」があるが、各自で見られたい。次に、「適用」として、『かぜ薬,解熱鎮痛消炎薬,鎮痛鎮痙薬,鎮咳去痰薬,健胃消化薬,止瀉整腸薬とみなされる処方に配合されている.』とあった。(最後に「配合される主な漢方処方」が列挙されるが、これも各自で見られたい)。

 なお、ウィキの「ウラルカンゾウ」に拠れば、別名を「東北甘草」と呼び、『日本では主に中国から輸入しているが、中国政府は2000年ごろより土地の砂漠化を理由に甘草の輸出を制限するようになり、甘草の取り扱いを許可制とした。日本の漢方薬企業大手のツムラは、甘草の日本国内での大規模栽培を行い、中国産からの切り替えを始めている』。『また、日本の製薬企業によるオーストラリアでの本格的な栽培も行われている』。『日本国内でも栽培可能だが』、『ウラルカンゾウ・スペインカンゾウ』、『いずれも種子の発芽率はあまり良くない。発芽しても初期の成長がかなり遅い上に土壌の過湿に弱い。ストロン(走出茎)は数センチ毎に節があり芽が付いているのでストロンを切り離して植えつけたほうが成長が早い。ストロンは地中で株元から伸び始めた当初は表面が白いが時間の経過と共に茶色くなって木の枝のような色になる。ハーブや生薬として利用する時は乾燥させるが生の状態でかじっても甘味を感じる。56月に紫色の花が開花する事もあるが、日本の気候では開花結実しにくいとされている』とある。ウィキの「スペインカンゾウ」もあるが、こちらは特に新知見はない。而して、やはり、最も読みたくなり、信頼している神農子さんの記載を引用して、皮切りのシメとしたい。特に第一段落の本邦への渡来の箇所が、良安に評言の事実を確認するキモとなる。しかも、良安が本書を成立させた八年後に甲府で甘草が発見され、幕府が栽培奨励を行ったという、新知見が見出せた! これに就いては、「甲州市」公式サイトの「旧高野家住宅 (甘草屋敷)」で解説されている。また、中国のカンゾウ栽培による砂漠化問題も、大切な部分だ。神農子様さまである!

   《引用開始》

 甘草は『神農本草経』の上品に収載され,解毒や諸薬の調和など多数の効を有し,「国老(皇帝の師の意味)」とも称される重要な生薬です。日本にもたらされた時期は不明確ですが,正倉院薬物として現存していることから,8世紀にはすでに日本にあったことがわかります。正倉院薬物の調査結果によると,甘草は当初は960斤納められていたのですが,100年後には452両にまで減っており,この間に多量に消費されていたそうです。このことから,甘草は当時から需要の高い薬物であったことが伺えます。現在の日本においても,漢方処方中に配合される生薬の中で,甘草は最も配合機会が多い生薬です。また,主要成分であるグリチルリチンの製剤や甘草エキスなど多数の製品が製造販売されています。さらに,甘草は甘味料や醤油の味付けにも使われています。このように,甘草は古くから現在に至るまで繁用され続けている生薬です。

 甘草の原植物である Glycyrrhiza 属植物(以後カンゾウ)は日本に自生せず,国内の需要は,これまで輸入に頼ってきました。しかし,近年,主な輸入相手国であった中国が,野生甘草の採取や輸出に関する規制を強化しつつあります。規制強化の背景には,甘草の中国内外での需要の高まりにともない野生のカンゾウが乱獲され,環境破壊や資源の枯渇が深刻な問題になってきたことがあります。カンゾウは地表面に水分がほとんど存在しない乾燥した地域に生育しており,地下水脈など地中深くの水分を利用して生きています。そのため,カンゾウの根茎は水平に四方に伸び広がるとともに,根は下方に深く伸びています。そこで,薬用部位である根茎や根を採集するためには,大きく深い穴を掘る必要があり,カンゾウを採集することにより周囲の環境が大きく破壊されてしまうのです。そのため,生育地は砂漠化し,風により上空に舞い上がった砂は現地では砂嵐となり,また黄砂の一因にもなっています。

 以上のような事情から,今後日本において甘草の入手がより難しくなる恐れがあります。現在中国ではカンゾウの自生地などで栽培が行われていますが,日本薬局方カンゾウにおけるグリチルリチン酸含量の規定値(2.5% 以上)を超える薬材を産出するのには数年かかることが知られています。そこで,近年,日本においてもカンゾウの栽培研究が行われつつあり,最近では,大学,研究所,企業の共同研究成果として,水耕栽培により,短期間でグリチルリチン酸含量の規定値を超える根が生産できることが発表されました。今後,研究がさらに進み,国内で需要がまかなえるようになることが期待されています。

 カンゾウの栽培は,かつては日本においても行われていました。江戸時代の享保五年(1720)に,甲州上於曽村(現在の山梨県塩山市)の伊兵衛の屋敷でカンゾウらしきものが栽培されているのが見つかり,幕府が専門家にその植物を調査させところ,本物のカンゾウであることが確認されました。折しも幕府は財政を立て直すために国産品生薬を奨励していましたので,上於曽村のカンゾウに対して費用などを拠出し,保護,栽培の拡大を行ったといいます。伊兵衛の屋敷は,その後一般に「甘草屋敷」と称されるようになりました。一方,甘草が甲州で栽培されていたという記録は大永五年(1525)の薬種寄附状の記載にまで遡るともいわれており,甲州ではかなり古くからカンゾウが栽培されていたようです。江戸時代に甘草の生産は幕府の保護のもとに行われており,その製品は幕府に納められていたといいます。しかし,江戸時代から現在に至る間にカンゾウの栽培は廃れ,現在の日本では商業的な規模での栽培は行われていません。

 甘草は重要な生薬であることから資源枯渇の問題は一層深刻ですが,甘草以外にも資源的に対処すべき生薬は数多くあります。今後はそのような生薬にもスポットをあて,栽培化に向けた研究など,早急な資源確保対策の推進が望まれます。

   《引用終了》

「相思《さうし/たうごま》」双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科トウアズキ属トウアズキ Abrus precatorius である。「卷第八十三 喬木類 相思子」を見よ。

「梁(ふしくれ)」「梁」には「節くれ」の意はないが、ウィキの「ウラルカンゾウ」のストロンの乾燥して裁断した写真を見ると、見た目、家屋の梁(はり)の横木のようなものが固まっているように見えるので、納得出来る。

「安南國《アンナンこく》の甘草は、大なる者、柱《はしら》のごとし。土人、以て、屋に架(つく)りす。《→と雖も、》識らず。果《はた》して、然《しか》るた否や。』「安南國」はヴェトナム北部から中部を指す歴史的地域名称で、唐代に置かれた安南都護府に由来する呼称である。しかし、草本で、堅い根とはいえ、実際の家屋の屋柱となるというのは、流石に、私も信じられない。事実、そういうものが存在するということを御存知の方は是非、お教え下さい!

「苦參《くじん》」既注だが、再掲すると、マメ目マメ科マメ亜科クララ連クララ属クララ Sophora flavescens の根、又は、外の皮を除いて乾燥したものを基原とする生薬。当該ウィキによれば、『利尿、消炎、鎮痒作用、苦味健胃作用があ』る、とする。なお、『和名の由来は、根を噛むとクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになったといわれる』とあった。

「乾𣾰《かんしつ》」「卷第八十三 喬木類 𣾰」を見られたい。

「遠志《をんじ》」「藥品(11) 製法毋輕忽」の私の注を見られたい。

「大戟《たいげき》」「藥品(1)」で子細に注したので、見られたい。

「芫花《げんくわ》」「藥品(2) 六陳」で既注済み。

「甘遂《かんすい》」同じく、「藥品(2) 六陳」の私の「芫花」の引用内で語られてあるので、見られたい。

「三焦」既出既注だが、再掲すると、伝統中医学に於ける仮想の「六腑」の一つ「三焦」(さんしょう)。「上焦」・「中焦」・「下焦」の三つからなり、「上焦」は「心臓の下、胃の上にあって飲食物を胃の中へ入れる器官で、心・肺を含み、その生理機能は呼吸や血脈を掌り、飲食物の栄養分(飲食水穀の精気)を全身に巡らし、全身の臓腑・組織を滋養する器官とされる」とされ、「中焦」は「胃の中脘(ちゅうかん:本来は当該部のツボ名)にあって消化器官」とされ、「下焦」は「膀胱の上にあって排泄をつかさどる器官」とされる。因みに、所謂、「病い、膏肓に入る。」の諺の「膏肓」とは、この「三焦」を指し、これらが人体の内、最も奥に存在し、漢方の処方も、そこを原因とする病いの場合、うまく届けることが困難であることから、医師も「匙を投げる」部位なのである。

「表寒《へうかん》」中医学の「風寒表証」に同じい。「こだま堂漢方」のこちらに、『「証」が短期間に変化しやすい代表的な病気としては「風邪」があげられます。初めはゾクゾク寒気がしていたのに、2~3日後には寒気が無くなり発熱と熱感へ、また数日経つと今度は鼻水や咳が出てきて…というように数時間~1日単位で症状が変わりますが、これが「証」の変化です。初めにゾクゾク寒気がするのは、風寒邪が肌表を侵襲し、正気と邪気が戦っている状態です。このときの証は「風寒表証」といい、風寒の邪気を外に追い出す働きがある辛温解表剤(桂枝湯・葛根湯など)を用います。ここで風邪を追い出せたら、その先には症状が進まずに治りますが、体内に入ってしまい、邪気が鬱して化熱してしまうこともあります。そうなると「証」が変わり、もう辛温解表薬を使う時期ではありません。例えば「寒鬱化熱証」に使う柴葛解肌湯などに変えなければなりません。』とあった。

 なお、以上の「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」「卷十二上」の「草之一【山草類上一十三種】」の冒頭の長い「甘草」のパッチワークである。

「南京甘草」現行では使用される様子はないが、江戸中期には、この語が本草書の中にあることが、関西医療大学の基礎医学ユニットの戸田静男氏の『総説』『甘草と炙甘草の修治について 本草書からの考察』PDF)で確認出来た。]

2025/12/10

修善寺周遊

連れ合いは、参加している音声ボランティア「戸塚朗読会」での仕事がどんどん増えてきて、忙しくなり、また、私の送った写真が私のパソコンに届いていなかったトラブルがあったこともあって、写真の公開が遅くなった。ここに掲げる。例によって、総て、彼女が撮ったものである。時に貧相な漱石の亡霊が入った心霊写真が数枚あるが、霊障は、ない――

修善寺奥の院正覚院内にて(殆んどは修善寺庭園特別公開)

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これは、池で大鯉が跳ねた瞬間のショットで、アブストラクト然たる連れ合いのベスト作品。

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修善寺湯舟川散策(芥川龍之介が散歩したところ)
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修善寺北の「もみじ林」

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その高台にある大きな漱石の碑(「修禅寺日記」中の直筆の漢詩を拡大して刻したもの)

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右奥の木に多数の巨大なサルノコシカケを発見したが、マダニ警戒注意があったので遠望で我慢した。

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黄昏れる漱石の霊――ではない。バスを待つうちに生理的我慢の限界になり、山中に行く私を面白がって彼女が撮ったのだ――
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(おまけ)三島大社にて。七五三に来た少女二人がボール遊びをしていた。
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2025/12/09

またまたユビキタス(ubiquitous)の仲間が増えた

夕刻、アルゼンチンのコルドバ国立大学で文学博士号を取得し、同大学で、日本文学や世界文学の研究者・講師として勤めている女性から、私の、俳人鈴木しづ子のサイト版の句集からの引用の許可をFacebookで求められた。無論、許可した。また、新しい仲間が増えた。

その後の彼女のコメントによれば、私の鈴木しづ子について書いたものが、アルゼンチンの学術書に引用されるらしい! うへえ!

昨夜の会食

昨夜、横浜緑ケ丘時代の親友と三年振りに大船で逢った。予定していた今一人の元同僚が来られず、代わりに、横浜翠嵐に転任して以来、実に十九年も逢っていなかった同じ元同僚の女性が来た。久しぶりに話が盛り上がった。ほぼ完全な野人となって十六年、今の、思いがけない人生のメタモルフォーゼを、つぶさに語ることが出来、甚だ、嬉しかった。

2025/12/07

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その6)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

『明鮑』【鼈甲《べつかう》】・『灰鮑』【白乾《しらほし/しらぼし》】とも、品位、數等ありて、三番【上】・二番【中】・壹番【小形・下】)の三段あり。三番中(ばんちう)に大・中・小、貳番中に大・小の別、あり。『明鮑』は一《いつ》に『鼈甲』と唱(とな)ひ、『本鼈甲』・『馬爪(ばず)』等《とう》の差(たがひ)あり。

[やぶちゃん注:「鼈甲」上質なアワビを乾燥させたもので、肉部の腹足下部が、飴色(あめいろ)に透き通っているものを、鼈甲色に擬えた「明鮑」の異名。

「白乾」アワビを茹でてから天日干しして作られる高級乾製品(乾鮑:中国語“gānbào”「カンパオ」) を指す「灰乾」の異名。

「馬爪(ばず)」ネット検索・国立国会図書館デジタルコレクション検索でも掛かってこない。但し、馬の蹄(ひづめ)の裏(地面に接する側)の形は、乾鮑の形状に、よく一致する。その様態が、今一つ綺麗でない黝(くろ)ずんだものを、かく、呼んだものであろうという推理は容易に出来る。但し、後の本文(「九」ページの最終行)で、『馬爪色』と出、そこには、ルビを『ばづいろ』と振っており、そこから考えると、この「ばず」は「ばづ」の誤記・誤植と断じてよいと考える。

 

『明鮑』は、製法も、地方によりて、其法、大同小異ありと雖ども、其中(そのうち)に於て、最も良好の方法を擧ぐれば、鮑肉(あわびにく)を、殼より放《はな》ち、鮑百個に、食䀋、凡そ五、七合許(ばかり)の割を以て、殼へ付(つい)たる方に、𭢀(なすり)つけ、一晝夜を過きて[やぶちゃん注:ママ。]、竹笊(たけざる)にいれて、海水に浸(ひた)し、足を以て、踏(ふみ)、よく汚物(をぶつ)をさり、而して、沸湯(にへゆ)に投じ、煑熟(しやじやく)し、後《のち》、淡水(まみづ)にて洗ひ、竹簀(たけす)に並らべ、水分を飛散(ひさん)せしめ、大陽(たいよう)[やぶちゃん注:漢字・ルビともにママ。以下、同じ。]にて晒すこと、二、三日にして、石爐(せきろ)の炭火(すみび)に藁灰(わらばい[やぶちゃん注:ママ。])を覆(おほ)ひ、培乾器(ほいろ)を、其上に置き、上下(うへした)、轉換(とりかへ)すること、數回(すたび)の後(のち)、大陽に晒し、再び、火力を與へ、全く、乾くを、まちて、箱に收(をさむ)へし[やぶちゃん注:ママ。]。本邦人(ほんほふじん[やぶちゃん注:ママ。])の『削(けづ)り鮑(あはび)』となして食するものには、生乾(なまぼし)を、よろしとすれども、淸國に輸出するには、充分に乾燥すべし。しからざれば、需用地に達せざるうちに、腐敗を、きざし、價(あたひ)を低落(おと[やぶちゃん注:二字へのルビ。])せしめ、國產の名聲を失ふに至れり。是、廣東(カントン)地方等(とふ[やぶちゃん注:ママ。])に於て、美麗良好なる『明鮑』を欲(ほつ)せずして、粗造なる『灰鮑』の方を、高價(たかね)にて、好み、買取(かひと)る所以(ゆゑん)なり。

[やぶちゃん注:「培乾器(ほいろ)」「コトバンク」の講談社「食器・調理器具がわかる辞典」の『ほいろ【焙炉】』に、『①茶葉・薬草・海苔(のり)などを下から弱く加熱して乾燥させる道具。元来は木枠や籠(かご)の底に厚手の和紙を張ったもので、炭の遠火で用いた。伝統的な製法では、茶は蒸した茶葉をこの上で手で揉みながら乾燥させる。こんにちでは電気やガスを用いた熱源の上に同様のものを備えた、手揉み工程の作業台もいう。』とあった。アワビの「ほいろ」は画像で見出せなかったが、古風の茶のそれが、練馬区立石神井公園の「ふるさと文化館」の「所属アーカイブ」の「焙炉」で見ることができ、また、里成子さんのブログ「MORE THAN WORDS」の「焙炉(ほいろ)」があり、近代型のものを見ることが出来る。そこには、『出雲特産の板若芽や海苔を炙るもので、ほんのりと温められた若芽をご飯に揉んでかけると、優しい塩気が食欲をそそります』。『昔は火鉢に置いたものですが、今は白熱灯で、炙り過ぎない工夫がされています』。『改築時の障子の桟で作られた女将のアイディアだそうです』。『出雲弁で「おい、そろそろ晩ご飯だけん、ほいろにめのは入れちょけや。」』『(訳 「おい、そろそろ晩ご飯だから、わかめや海苔などの乾燥機にわかめを入れておけよ。」)』という解説があった。]

 

灰鮑にも數法ありと雖ども、其最も要(かなめ)とするは、乾燥(ほしかた[やぶちゃん注:「乾し方」の当て訓であろう。])にあり。北海道粗造品の、他國產より、高價(たかね)を占(しむ)るものは、乾しかたのよろしきによるのみ。他國產も、北海道の如く、乾燥(かんそう[やぶちゃん注:ママ。])せば、極めて良價を得べく、北海道產をして、他國良製品の如くならしめば、一層の良價を得るや、必(ひつ)せり。故に、茲(こヽ)に、灰鮑の尤(もつとも)適切なる方法を擧ぐれば、鮮肉(なまあはび)百顆(くわ)に鹽三合許(ばかり)を以て、漬け、暑中は、二日間、寒中は、四日間を經て、淡水(まみづ)にて洗ひ、沸湯(にへゆ[やぶちゃん注:ママ。])に投じて、煑沸(にわか)し、復た、淡水にて洗ひし竹簀に並べ、水分を飛散せしめ、太陽にて、乾かすこと、五日乃至(ないし)十日間にして、箱に收め、蓋(ふた)を覆ひ置き、自(おのづか)ら、表面に白粉(しろこ)を發せしむなり。

[やぶちゃん注:「表面に白粉(しろこ)を發せしむなり」複数の干し鮑業者の記載を確認したところ、「旨味が滲み出たもの」、及び、「塩分」と記し、黴(かび)ではない由の記述があって、「最良の状態である」と記してあった。]

 

兩製共に、日光を借り、乾製するの習慣(ならはし)なりと雖ども、若(も)し、霖雨(ながあめ)に遭ふときは、糸に繫(つな)ぎ、急に焚火(たきび)の上に掛け、薰(いぶ)し、燥(かわか)すが故(ゆゑ)に、其色、變じて、暗黑色(まつくろいろ)となる、あり。三陸・北海道に於ては、日光に乾かすに、鮑の中心を、蔓(かづら)、或(あるひ)は、蒲葉(がま)を以て、貫(つらぬ)くの弊(へい)あり。此等の製法の如きものは、價格の下(くだ)る、實(じつ)に夥(おびたヾ)し。現に、明治十五年中、橫濱其他、各港の貿易上に就(つい)て見るに、百斤[やぶちゃん注:60㎏。]の價(あたひ)、僅(わづか)に貳拾三圓にして、千葉縣製『明鮑』、及び、北海道・三陸等の『白乾上製(しらぼしじやうせい)』の如きは、百斤五拾圓、乃至、五拾五圓に昇り、其差(そのたがひ)、最も甚(はなはだ)し。然(しか)れども、北海道の如きは、竹簀(たけす)に竝べ乾すときは、烏(からす)の啄(はむ)ところ、夥しく、爲(た)めに、之れが、番衞(ばんにん)等に費(つひや)すこと、多く、寧(むしろ)、賣價(ばいか)は、幾分の廉(やすね)なるも、斯(かヽ)る煩-冗(わづらはしき)を免(まぬか)るゝに、若(し)かず、とて、舊慣(きうくわん)の蔓吊乾(かづらつりぼし)を、改めざるあり。亦、靑森縣下にて、貫穿(ぬきとうし[やぶちゃん注:ママ。])の舊法を改めざるが如き、共に遺憾の至りなり。千葉縣の如きは、近時、焙爐(ほいろ)に掛け、炭火(すみび)を以て、之を乾製するの方法に改め、上製をなすもあり。

[やぶちゃん注:「蔓(かづら)」平凡社「世界大百科事典」の「カズラ(蔓//葛)」に拠れば、多数の全く異なった植物である『つる草の総称。ヒカゲノカズラ』(ヒカゲノカズラ(日陰の鬘・日陰の蔓)植物門ヒカゲノカズラ綱ヒカゲノカズラ目ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属ヒカゲノカズラ Lycopodium clavatum )・『テイカカズラ』(双子葉植物綱リンドウ目キョウチクトウ科キョウチクトウ亜科 Apocyneae 連テイカカズラ(定家葛)属テイカカズラ Trachelospermum asiaticum )・『スイカズラ』(マツムシソウ目スイカズラ(吸い葛)科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica )・『サネカズラ』(被子植物門アウストロバイレヤ目Austrobaileyalesマツブサ(松房)科サネカズラ(実葛)属サネカズラ Kadsura japonica:以下では、知られる種は、一部を除き、学名追記をしない)『などは』、『その例である。上代つる草を髪に結んだり,巻きつけたりして頭の飾りとし,これを鬘(かずら)といった。そのためつる草を〈かずら〉と称するようになったという。鬘は〈髪つら〉の略,〈髪つら〉の〈つら〉は〈つる〉の古名で,長く連なるので〈つら〉といったものらしい。ただし,のちにはつる草に限らず,ヤナギ,タチバナ,サクラ,ウメ,ユリ,ショウブ,ムラサキグサ』(これは、蔓性植物の代表の一つである正式和名フジ(藤)の異名であろう。事典としては、甚だ、よろしくない記載である)『,イネ,藻などの植物も鬘に用いられた。このように,草木のつるや』、『茎や花などを取って髪飾りとすることを〈鬘く〉』(「かずらく」、歴史的仮名遣「かづらく」)『といい,もともと,植物の盛んな生命力を人間の体に取り入れようと願ったことから始まった』。『地方により特定の植物,例えばテイカカズラ(岡山),クズ』(マメ目マメ科マメ亜科インゲンマメ連ダイズ亜連クズ属亜種クズ Pueraria lobata subsp. lobata )『(香川)などを単に〈かずら〉と呼んでいる。また蔓水,蔓壺というと,それぞれサネカズラ(美男蔓)』『の粘液と』、『そのつるを浸すに用いる壺のことである。』(サネカズラの粘液は奈良時代に整髪料として使われていた)とあった。

「蒲葉(がま)」単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属ガマ Typha latifolia の葉や茎は、莚(むしろ)や簾(すだれ)の材料として使われてきた。

「貫穿(ぬきとうし)の舊法」不詳。前後から、アワビのど真ん中を穿孔し、そこに太い蔓や繩を通して、軒端に乾し吊るすといったような、損壊リスクが高まる乾し方を言っているようではある。]

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「芭蕉謠の怪」・「杜若の精靈」

[やぶちゃん注:底本はここから。段落を成形し、句読点・記号を補塡した。続く後者の話が、同じ出典で、しかも、属性が極めて酷似するので、特にカップリングして示すこととした。

 

 「『芭蕉《ばせう》』謠《うたひ》の怪《くわい》」 安倍郡《あべのこほり》府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、

『今は昔、駿府御城內に於て、「芭蕉」の謠を停止《ちやうじ》す。其《その》權輿《けんよ》[やぶちゃん注:「權」は「秤(はかり)の錘(おもり)」、「輿」は「車の底の部分」の意で、どちらも最初に作る部位であるところから、「物事の始まり・事の起こり・発端」の意。]を尋《たづぬ》るに、國主今川義元、織田信長公と、國を爭ひ、

「尾州鳴海《なるみ》に出張すべし。」

とて、軍兵の列を糺《ただ》す。

 此時、義元、道途《だうと》に「芭蕉」のくせを謠はる。

 近習《きんじゆう》の士、松田左膳、是を聞き、

「御出陣の門出《かどで》に、『身は古寺の軒の草』とは、忌《いま》はしき文句也。御止《おや》め候《さふらひ》て、愛度《めでたく》、御出陣、あれかし。」

と申す。

 義元、怒《いかり》て、

「それ、勝敗は、時の運也。何ぞ、謠の吉凶に、よらん。汝、無用の舌を動《うごか》して、人情を折《くじ》く。不忠の甚しき者也。」

と、只《ただ》、一刀に斬殺《きりころ》し、

「必《かならず》、信長をして、汝が如く、なすべし。」

と云つヽ、氣色《けしき》ばふて、出陣す。

 時に此戰《いくさ》、大《おほい》に利あり。

 義元、心、驕《おご》り、諸軍《しよぐん》に向《むかひ》て、

「先《さき》に、左膳、兵《つはもの》の英氣を折《くじ》く。我《われ》、是を殺して、信長に譬《たと》へ、其勢ひを以て、出陣す。故に、只《ただ》、氣强《きづよ》く戰ひ、大《おほい》に勝《かち》を得たり。惜《をしむ》らくは、今日《こんにち》、信長が首を、見ざる事を。」

と云《いふ》時、不思議哉《や》、空中に、聲、有りて、

「よしや 思へば 定めなき 世は芭蕉葉《ばせふば》の 夢のうち」

と大音《だいおん》に謠ひ、

「見よ、今に、思ひ知らせむ。」

と云《いふ》かと思へば、

――忽《たちまち》、天、かき曇り、俄然《がぜん》として、大風《おほかぜ》、起《おこ》り、砂石《させき》を飛《とば》し、古木《こぼく》、折り、降る雨、篠《しの》を衝《つく》が如く、雷電《らいでん》、大《おほい》に、はためき渡りて、恐怖せざる者、なし。……

義元、戰《いくさ》を止《とど》め、甲冑《かつちゆう》を脫ぎ、幕《まく》をたれて、酒宴す。

 信長公、

「時分は、よし。」

と、本陣に突入《つきいり》、義元を、討《うつ》とる。

「是、偏《ひとへ》に、左膳が靈《りやう》の所爲《しよゐ》也。」

と沙汰せり。

 或《あつひ》は、

「『芭蕉』を謠へば、左膳が亡魂、顯《あらは》る。」

など流說《りうせつ》して、終《つひ》に、

「謠《うた》はざる事。」

と、なりぬ。

 元和《げんな》の末《すゑ》、中將賴宣卿、在城の時、

「今は、御代《みよ》も替《かはり》たれば、芭蕉の謠も、忌《いむ》べきに非《あら》ず。」

とて、初《はじめ》て、此能、有りけるに、其年、紀州へ、國替《くにがへ》あり。

 是より、大納言忠長卿の領《りやう》と成り、在城の時、此《この》能を催《もよふ》されしに、其年、謂《いはれ》、有りて、御番城と成る。

 是より、彌《いよいよ》、此謠を停止す、と。

 此事《このこと》、町奉行久松忠次郞某《なにがし》、組同心《くみどうしん》坂本元右衞門某と云《いふ》者、語りき。云云《うんぬん》。』。

[やぶちゃん注:本話の主人公今川義元が、織田信長に討たれたのは、「桶狭間(おけはざま)の戦い」で、義元は、永禄三(一五六〇)年五月、那古野城《なごやじやう》を目指し、駿河・遠江・三河の二万余の軍を率いて尾張国への侵攻を開始した。織田方に身動きを封じられた大高城(おおだかじょう:現在の名古屋市緑区大高にあった。ここ。グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)を救うべく、大高周辺の織田方の諸々の砦(とりで)を松平元康などに落とさせた。幸先良く、前哨戦に勝利した報せを受けて、沓掛城(くつかけじょう:ここ)で待機していた本隊を大高城に移動させる。ところが、その途上、桶狭間山(今川義元本陣跡碑をポイントした)で休息中、信長の攻撃を受け、松井宗信らとともに奮戦するも、織田家家臣毛利良勝に愛刀「義元左文字」と首級を奪われた。永禄三年五月十九日(ユリウス暦一五六〇年六月十二日/グレゴリオ暦換算で同年六月二十二日)で、享年四十二であった(以上はウィキの「今川義元」を参考にした)。

「駿府雜談」書誌不詳。本電子化注では、今までに出たことがない。識者の御教授を乞う。

『「芭蕉」の謠』私の「怪談登志男 八、亡魂の舞踏」、及び、『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 中川喜雲京童の序の辯 謠曲中の小釋』の、それぞれの本文とオリジナル注が、かなり参考になるはずである。

「尾州鳴海」現在の愛知県名古屋市緑区鳴海町。ここ

「松田左膳」不詳。

「元和の末、中將賴宣卿、在城の時」家康の十男であった徳川頼宣は、慶長一三(一六〇八)年に家康が駿府で大御所政治を始めると、頼宣も同所に移っている。同十六年三月に近衛権中将となる。元和二(一六一六)年、彼が十五歳の時、家康が死去、翌年に従三位権中納言となっている(この時点で公卿となる。但し、翌日に権中納言を辞退している)。同五年七月、十八歳の時、秀忠から紀伊国・伊勢国の内、計五十五万五千石への転封を命ぜられ、紀伊国和歌山藩初代藩主となり、紀州(紀伊)徳川家の祖となった。但し、元和は十年までであるから、「末」というのは謂いとしては、おかしい。

大納言忠長卿」駿河国駿府藩藩主で、第二代将軍秀忠の三男にして第三代将軍家光の弟であった徳川忠長(慶長一一(一六〇六)年~寛永一〇(一六三四)年)。家光の命で自害させられた。『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 草加屋安兵衞娘之事』(文宝堂発表)の私の「駿河大納言」の注を参照。その問題行動から、人格異常が疑われる人物である。当該ウィキによれば、寛永七(一六三〇)年十一月、『浅間神社付近にある賎機山』(しずはたやま:ここ)『で猿狩りを行うも、殺生を禁止されている神社付近で行なった上に、そもそも賎機山では野猿が神獣として崇められ』、『殺す事自体が禁止されており、更にこの浅間神社は祖父家康が』十四『歳の時に元服した、徳川将軍家にとっても神聖な場所であった。そのような場所で猿狩りを行うのは』、『将軍家の血を引く者といえど』も『許されない事であったが、止めるよう懇願する神主に対し、忠長は自らが駿河の領主である事と、田畑を荒らす猿を駆除するという理由で反対を押し切って狩りを続け、この一件で忠長は』千二百四十『匹もの猿を殺したとされている』。『更に』、『その帰途の際に乗っていた駕籠の担ぎ手の尻を脇差で刺し、驚いて逃げ出したところを殺害する乱行に及び、これらを聞いた家光を激怒させ、咎められている』とある。]

 

  •   *   *

 

 「『杜若《かきつばた》』の精靈《せいれい》」 安倍郡府中御城に有り。「駿府雜談」云、

『今は昔、大納言忠長卿の時、三州八《やつ》はしの杜若を取寄《とりよせ》給ひて、御庭《おには》の池に植《うゑ》させ給ふ。

 或年の彌生《やよい》下旬、雨、降り、徒然《つれづれ》なる日、花の盛りを、御覽有りて、「杜若」を謠ひ給ふ。

 をりふし、年《とし》、二八計《にはち》[やぶちゃん注:十六歲。]《ばか》りなる上﨟《じやうらう》の、いと、艷《つややか》に麗《うるは》しきが、かね黑《ぐろ》に眉《まゆ》付《つけ》て、紫の衣《ころも》、うち被き、緋の袴着《はかまぎ》、妻紅《つまべに》の扇《あふぎ》をもて、顏《かんばせ》を覆ひ、池の邊りに彳《たたずみ》たり。

『こは。見馴《みなれ》ぬ女《をんな》の、何故《なにゆゑ》に爰《ここ》には來りしやらむ。』

と、不思議に思《おぼ》し召《めし》、立出《たちいで》給ひて、

「汝《なんぢ》は何者ぞ、變化《へんげ》の者成るか、平直《へいちよく》に[やぶちゃん注:率直に。]申せ。」

と、の給へば、彼女《かのをんな》、恥かし氣《げ》にて、

「名乘るも、恐《おそれ》ある事に候へ共《ども》、吾は、是《これ》、杜若の精靈也。久敷《ひさしく》、八橋の名所に住《すまひ》して、其名、高し。然《しか》りといへ共、適《たまたま》、在五中將の唐衣《からころも》の詠《えい》より外《ほか》、亦《また》、問ふ人も候らはず。然《しか》るに、今、公の御庭に植られて、朝夕、御慈愛を蒙《かうぶ》る、身《み》に取《とり》ての面目《めんぼく》也。官位も尊《たつと》くおはします御人《ごじん》の、訪《つぶらひ》給ふ有難《ありがた》さに、是《これ》まで、顯《あらは》れ候也。『草木《さうもく》心《こころ》なし』とせず、常々の御惠《おほんめぐみ》を謝《しや》せんが爲《ため》、聊《いささか》、申上《まうしあぐ》べき事、有り。必《かならず》、捨《すて》させ給ふなよ。抑《そもそも》、公は、御性質、剛强《がうきやう》に在《ましま》して、大器《たいき》に渡らせ給へ共《ども》、平常《へいじやう》の御所行《おほんしよぎやう》、惡敷《あしき》が故に、臣、下服《かふく》し奉《たてまつ》らず、只《ただ》、君臣の威、違《たが》へるを以て、從ふのみ也。御惡行《おほんあくぎやう》、日々《ひび》に重過《ぢゆうくわ》し、臣、離れ、民《たみ》、散《さん》ずる時は、國家を亡《ほろぼ》すのみに非《あら》ず、終《つゐ》に、御身《おんみ》を失ふに至る。其《その》萌《きざし》[やぶちゃん注:この「萌」は、実は、底本では、「性」であるが、如何にも上手くない。特異的に、別本底本である「近世民間異聞怪談集成」の『萌』を採用した。]、既に至る處、既に顯《あらは》る。嗚呼《ああ》、悲《かなし》むべく、歎《なげく》べきの、甚《なはなはだ》しきに非《あら》ずや。公、今日《けふ》より、御所行を改め給はヾ、天地共《とも》に、社禝《しやしよく》[やぶちゃん注:原義は「社」は「産土神(うぶすなしん:土地神)を祭る祭壇」、「稷」は「穀物の神を祭る祭壇」の総称名。元来は、周代諸侯の祭祀であったが、秦・漢以降、天壇・地壇・宗廟等とともに、国家祭祀の中枢を担うことを指した。そこから転じて、「国家・国体」を意味するようになったもの。ここでの「国」は「駿河国」を指す。]を保ち、永く、富貴《ふうき》を御子孫に殘し給ふべし。『玆《ここ》に仁を行へば、仁、こヽに至る。』と、いへり。公、よく、是を監《かんが》み給へ。」

と、諌《いさめ》つヽ、二足《ふたあし》、三足《みあし》、行《ゆく》か、と、すれば、姿は、見えず成《なり》にけり。

 公、少しも、是を御心《みこころ》にかけ給はず、御所行、益々《ますます》、荒《あら》かりき。

 其後《そののち》、「杜若」を謠《うたは》せらるヽ每《たび》に、彼女《かのをんな》、顯れて、愁《うれふ》る色、有り。

 近習《きんじゆう》の士、是《これ》を見知り、樣々《さまざま》に、とり沙汰《ざた》して、此《この》謠《うたひ》を愼《つつし》みけり。

 果《はた》して、御事《おんこと》、ありて、御番城《ごばんじやう》となる。

 其頃、御番衆に、大久保某《なにがし》と云《いふ》人、有《あり》しが、「杜若」を謠《うたひ》けるに、彼《かの》池の內より、大音《だいおん》にて、

「植《うゑ》をきし昔の宿の杜若 色ばかりこそむかし成《なり》けり」

と謠けり。

 是より、彌《いよいよ》、

「謠はざる事。」

とす。

 其池の在《あり》し所は、今の組頭小屋《くみがしらごや》の庭也。

 近頃迄、彼《かの》杜若、殘り在《あり》て、花の時は、合番衆《あひばんしゆう》等、招請《しやうせい》ありし。

 此小屋を『杜若小屋《かきつばたごや》』など、云《いひ》けるよし。

「今は、枯《かれ》て、一本も、なし。」

と、府中兩替町《ふちゆうりやうがへちやう》の肴屋仁兵衞《さかなやにへゑ》と云《いふ》者の、語りし也。云云。

 

[やぶちゃん注:本話は、私の「譚海 卷之十二 駿河御城杜若長屋の事」の本文とオリジナル注が、大いに参考になるものと思う。

「府中兩替町」現在の葵区にある両替町通り附近。]

2025/12/06

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(15) 百草 / 草類 藥品~了

[やぶちゃん注:以下、早稲田大学図書館「古典総合データベース」で見て貰うと判る通り、本文の最後の「羅山文集」から引いた草類漢方名は、二部六段落で構成されているが、ブラウザの不具合を考えて、完全に一段とした。

 「百草」は、「ひやくさう・ももくさ」と読み(ここでは漢方系の用法であるから、前者で読みたい)、通常の「千草」、辞書的な意味では、「いろいろな草」の意に過ぎないが、既に述べた通り、ここでは、漢方生剤の植物、及び、その漢方生剤としての基原を示すものである。

 なお、長かった「草類 藥品」パートは、これを以って、終わっている。私は複数の電子化注を扱っている関係上、実に、このパートだけで、二ヶ月、かかった。やっと、これから、「草類」の各個植物体記事に入ることが出来る。

 

  百草

「本草≪綱目≫」五月五日采百種草隂乾燒灰和石灰爲團煆硏傅

金瘡止血亦傅犬咬又治腋臭及瘰癧已破【各有方】

又取百草花煮汁釀酒服之治百病或采百草花水潰泥

封埋百日煎爲丸卒死者納口中卽活也

△按牝鹿衘草以飴其牡蜘蛛齧芋以磨其腹虎中毒箭

 食清泥而解之豬中毒箭豗齊苨而食【見朝野僉載及五雜組】

 蓋三獸之事未見之蜘蛛之所爲予靣見之犬中馬錢

 毒則吞水解之又蛇見蛞蝓之涎則避地不到又犬䑕

 共好油而見桐油不敢近【誤舐桐油犬毛悉脫】物猶知藥與毒

 况於人乎


○寬永十四年十二月板倉卜齋請紀伊亞相望請藥草

 根幷核實於朝鮮國【見羅山文集】

[やぶちゃん注:「板倉卜齋」は調べても見出せない。東洋文庫訳では、「倉」にママ注記があり、「倉」の下に『(坂)』の割注があるので、「板坂卜齋」であることが判った。後注に、『板坂如春』(いたざかじょしゅん:国立国会図書館デジタルコレクションで現代のものを、複数、調べたが、雅号の読みを添えているものはなかった。しかし、さればこそ、一般的な習慣的読みから、この読みでよかろう)。『医家。常に家康に近侍し、のち命に從って紀伊頼宜に仕えた。致仕してのちは江戸浅草に住した。『板坂卜斎覚書』三巻がある。』とあった。講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」に拠れば、彼は初代板坂卜斎』(いたざかぼくさい:生没年未詳:『板坂惟順の孫。代々京都で朝廷の医官をつとめる。出家して南禅寺東禅院にはいるが,武田信玄のすすめで還俗』『して医師となる。永禄』一一(一五六八)年に『信玄を診察し,その余命を予言。天正』『年間に徳川家康につかえた。名は宗商。』と同リンク先に並置されてある)]『の子』で、天正六(一五七八)年生まれで、『吉田宗桂(そうけい)・宗恂(そうじゅん),施薬院宗伯にまなぶ。徳川家康,徳川秀忠,紀伊』『和歌山藩主徳川頼宣(よりのぶ)につかえた。晩年は江戸浅草にすみ,「浅草文庫」と称して蔵書を公開した。明暦元』(一六五五)年『死去』。七十八『歳。通称は別に如春,東赤』とあった。訓読文では、特異的に名を訂した。

沙參

丹參

蕓薹子

蜀葵花

葶藶子

何首烏

防已

白薇

五味子

石楠葉

菴䕡子

蜜䝉花[やぶちゃん字注:「䝉」は「蒙」の異体字。]

升麻

常山

佛耳草

白頭翁

黃蜀葵花

前胡

射干

馬藺

劉寄奴草【以上二十一種要其核實】

萆薢

百部根

延胡索

胡黃連

山豆根

鬱金

啇陸[やぶちゃん注:「啇」は「商」の異体字。]

天仙藤

銀茈胡

藜蘆

續斷

烏頭

薑黃

漏蘆【以上十五種要其根】

 

   *

 

  百草

「本草≪綱目≫」≪に≫、『五月五日、百種の草を采《とり》て、隂乾《かげぼし》し、燒灰《やきばひ》にし、石灰《いしばひ》に和《わ》して、團《だんご》と爲《なし》、煆.硏《かけん》[やぶちゃん注:焼き削って。]し、金瘡《かなさう》に傅《つけ》て、血を止む。亦、犬の咬《かみ》たるに傅《つ》け、又、腋-臭《わきが》、及《および》、瘰癧《るいれき》≪の≫已《すで》に破《やぶれ》るを治す【各《おのおの》、方《はう》、有り。】。』≪と≫。

又、百草《ひやくさう》の花《はな》を取《とり》て、汁《しる》≪に≫煮《に》、酒に釀《かもし》、之《これを》服すれば、百病を治《ぢす》。或《あるい》は、百草の花を采《と》り、水に漬《つけ》て、泥封《でいふう》≪して≫、埋《うづ》むこと、百日にして、煎《せん》じて、丸《ぐわん》と爲《なし》、卒死《そつし》する者[やぶちゃん注:この場合は、急死したように見える直後の様態を指す。]≪の≫、口中《こうちゆう》に納《をさむ》れば、卽《すなはち》、活(い)くなり。

△按《あんずるに》、牝鹿《めじか》、草《くさ》を衘(ふく)みて[やぶちゃん注:「衘」は音「カン・ガン」で、「啣」の異体字。]、以《もつて》、其《その》牡《をす》に飴(くら)はしむ。蜘蛛(く《も[やぶちゃん注:原本では欠字。]》)、芋《いも》を齧(か)みて、以《もつて》、其《その》腹を磨(す)る。虎、毒の箭《や》に中《あた》れば、清≪き≫泥を食《くひ》て、之《これを》解す。野-豬(ゐのしゝ)、毒の箭に中れば、齊苨(せいねい)を豗(ほ)りて、食ふ【「朝野僉載《てうやせんさい》」及び「五雜組」に見ゆ。】。蓋《けだ》し、三獸の事、未だ、之れを見ず。蜘蛛の爲(す)る所は、予、靣(まのあたり)、之を見る。犬、馬錢(まちん)の毒に中《あた》れば、則《すなはち》、水を吞んで、之を解す。又、蛇(へび)、蛞蝓(なめくぢり)の涎(よだれ)を見れば、則、地を避(さ)けて、到(いた)らず。又、犬・䑕《ねずみ》、共に、油《あぶら》を好(す)く。而るに、桐油《きりあぶら》を見ては、敢《あへ》て近づかず【誤《あやまり》て、桐油を舐(ねぶ)る犬は、毛、悉《ことご》く、脫《だつす》。】。物《ぶつ》[やぶちゃん注:この場合は、「人」に対するところの「動物」を指す。]、猶を[やぶちゃん注:ママ。]、藥《くすり》と、毒と、知るごとし。况《いはん》や、人をや。


○寬永十四年十二月[やぶちゃん注:東洋文庫訳は割注で元号部の後に割注して『(一八三七)』としているが、旧暦を、ちゃんと確認していない。この年は閏三月があり、グレゴリオ暦では同年十二月は、既に一六三八年一月十五日から二月十三日である。]、板坂卜齋《いたざかぼくさい》、紀伊の亞相《あしやう》[やぶちゃん注:既注した注に出る紀伊和歌山藩主徳川頼宣を指す。彼は寛永三(一六二六)年八月十九日、従二位権大納言(ごんだいなごん)に敘任されている。この「亞相」は「大納言」の唐名。「権」は正規の員数を越えて任命する官職を指し、事実上、同一位となる。]に請《こひ》て、藥草≪の≫根《ね》、幷《ならび》に、核-實《さね》を、朝鮮國に望《のぞ》≪めり≫【「羅山文集」に見ゆ。】。[やぶちゃん注:以下は、その朝鮮国(当時は李氏朝鮮。既に両国は慶長一四(一六〇九)年(既に江戸時代)に和約し、朝鮮通信使を通して相互に外交関係の修復にも力を入れていた)から求めることが出来た漢方薬(この場合は皆、基原が核(さね)・実(み)・根のもの)三十六種を並べたものである。但し、漢名の漢方であり、中には中国原産のものが含まれている。推定音読みの部分は、現在の漢方名表記法に従い、カタカナにした。

沙參《シヤジン》

丹參《タンジン》

蕓薹子《ウンダイシ》

蜀葵花《シヨクキクワ/たちあふひ》

葶藶子《テイレキシ》

何首烏《カシユウ》

防已《バウイ》

白薇《ビヤクビ》

五味子《ゴミシ》

石楠葉《セキナンエフ》

菴䕡子《アンリヨウシ/いぬよもぎ》

𮔉䝉花《ミツマウクワ》

升麻《シヤウマ》

常山《ジヤウザン》

佛耳草《ブツジサウ》

白頭翁《ハクトウワウ》

黃蜀葵花《ワウシヨクキクワ/とろろ》

前胡《ゼンコ》

射干《シヤカン》

馬藺《バイヰ/バレン》

劉寄奴草《リウキドサウ》【以上、二十一種、其の核《さね》・實《み》を要《もと》めり。】

薤《カイ/おほにら》

萆薢《ヒカイ》

百部根《ビヤクブコン》

延胡索《エンコサク》

胡黃連《コワウレン》

山豆根《サンヅコン》

鬱金《ウコン》

啇陸《シヤウリク/やまごばう》

天仙藤《テンセンタウ》

銀茈胡《ギンサイコ》

藜蘆《レイロ/しゆろさう》

續斷《ゾクダン》

烏頭《ウズ》

薑黃《キヤウワウ》

漏蘆《ラウロ/ひごたい》【以上、十五種、其の根を要めたり。】

 

[やぶちゃん注:『「本草≪綱目≫」≪に≫、『五月五日、百種の草を采《とり》て、隂乾《かげぼし》し、燒灰《やきばひ》にし、石灰《いしばひ》に和《わ》して、團《だんご》と爲《なし》、煆.硏《かけん》[やぶちゃん注:焼き削って。]し、金瘡《かなさう》に傅《つけ》て、血を止む。亦、犬の咬《かみ》たるに傅《つ》け、又、腋-臭《わきが》、及《および》、瘰癧《るいれき》≪の≫已《すで》に破《やぶれ》るを治す【各《おのおの》、方《はう》、有り。】。』≪と≫。』『又、百草《ひやくさう》の花《はな》を取《とり》て、汁《しる》≪に≫煮《に》、酒に釀《かもし》、之《これを》服すれば、百病を治《ぢす》。或《あるい》は、百草の花を采《と》り、水に漬《つけ》て、泥封《でいふう》≪して≫、埋《うづ》むこと、百日にして、煎《せん》じて、丸《ぐわん》と爲《なし》、卒死《そつし》する者[やぶちゃん注:この場合は、急死したように見える直後の様態を指す。]≪の≫、口中《こうちゆう》に納《をさむ》れば、卽《すなはち》、活(い)くなり。』「漢籍リポジトリ」の「本草綱目卷二十一」の「草之十一【雜草及有名未用共一百五十三種】」(ガイド・ナンバー[057-13a])の以下からの抜粋である。但し、割注部は良安の附加したものである。表記に手を加えた。

   *

雜草【九種】

 百草【拾遺藏器曰五月五日采一百種草陰乾燒灰和石灰爲團煆研傅金瘡止血亦傅犬咬又燒灰和井華水作團煆白以釅醋和作餅腋下夹之乾卽易當抽一身盡痛悶瘡出卽止以小便洗之不過三度愈時珍曰按千金方治洞注下痢以五月五日百草灰吹入下部又治瘰癧已破五月五日采一切雜草煑汁洗之】

 百草【花拾遺藏器曰主治百病長生神仙亦煑汁釀酒服按異類云鳳剛者漁陽人常采百花水漬泥封埋百日煎爲丸卒死者納口中卽活也剛服藥百餘歲入地肺山】

   *

「牝鹿《めじか》、草《くさ》を衘(ふく)みて、以《もつて》、其《その》牡《をす》に飴(くら)はしむ」「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 鹿(しか) (シカ・ニホンジカ他)」には、この記載はない。但し、『能く良草を別〔(わか)〕つ。食ふときは、則ち、相ひ呼び、行くときは、則ち、同じ旅を〔し〕、居るときは、則ち、角を環〔(まは)すに〕外に向けて、以つて害を防ぎ、臥すときは、則ち、口〔を〕尾閭〔(びりよ)〕[やぶちゃん注:肛門。]に朝〔(む)けて〕[やぶちゃん注:向けて。]以つて督脉〔(とくみやく)〕に通〔(つう)〕す。』という箇所には、通性が認められる。しかし、雌が雄に、という方向性は見出せない。一応、「本草綱目」の「鹿」(「漢籍リポジトリ」の「卷五十一上」の「獸之二」の「鹿」。ガイド・ナンバー[119-32a])も通覧したが、このような記載はないから、この言い伝えは、割注にある「朝野僉載」・「五雜組」である。前者は、唐代の則天武后の頃、張族鳥が朝廷と民間とで見聞した事柄を書き留めた随筆集。しかし、「維基文庫」と「中國哲學書電子化計劃」で電子化物を検索したが、見当たらなかった。後者は、「中國哲學書電子化計劃」の「卷十一・物部三」で、以下のように確認出来た。□は表示出来ない字である。下線と太字は私が附した。下線が、ここの話である。

   *

迎春也,半夏也,忍冬也,以時名者也;劉寄奴也,徐長卿也,使君子也,王孫也,杜仲也,丁公藤也,蒲公英也,以人名者也;鹿跑草也,淫羊藿也,麋銜草也,以物名者也;高良、常山、天竺、迦南,以地名者也;虎掌、狗脊、馬鞭、烏喙、鵝尾、鴨□、鶴虱、鼠耳,以形名者也;預知子、不留行、骨碎補、益母、狼毒,以性名者也;無名異、沒石子、威靈仙、沒藥景、天三七,則無名而強名之者也。牝鹿銜草,以飴其牡,蜘蛛嚙芋,以磨其腹;物之微者,猶知藥餌,而人反不知也,可乎?

   *

「蜘蛛(く《も》)、芋《いも》を齧(か)みて、以《もつて》、其《その》腹を磨(す)る」前の引用の太字が、当該部。しかも、後で、良安は、『蓋《けだ》し、蜘蛛の爲(す)る所は、予、靣(まのあたり)、之を見る。』と目撃を断言している。しかし、こうしたクモの行動(昆虫嫌いの私は、特異的にクモ類は気持ちが悪い気がしない)を見たことが無い。クモ愛好家の御教授を乞うものである。

「齊苨(せいねい)」前二書では、確認出来ない。東洋文庫訳は、割注して、『(山草類ソバナ)』とある。これは、以下の「第九十二之本」に立項する。一応、キキョウ目キキョウ科ツリガネニンジン属ソバナ(岨菜・蕎麦菜・杣菜)Adenophora remotiflora に比定しておき、本項で再検証する。当該ウィキに拠れば(注記号はカットした)、『春の出たばかりの黄色味を帯びている若い芽は、山菜として食用にされる。採取時期は関西以西が4月、関東地方が4 - 5月、東北・中部の寒冷地は5月ごろとされ、根元から摘んで採取する。さっと茹でて』、『水にさらし、おひたし、酢の物、ごま・酢味噌などの和え物などにし、生のまま天ぷら、汁の実にする。クセがほぼないため』、『さまざまな料理に使える。歯切れがよく美味であり、飢饉の時には蕎麦の代用品として主食同様に用いられたと推測される。花は軽く茹でて』、『酢の物にできる』とあるばかりであった。但し、画像からも察せられたが、これ、ツリガネニンジン(釣鐘人参)Adenophora triphylla var. japonicaの近縁種である。一方、個人サイトらしき「薬草と花紀行のホームページ」の「ソバナ (岨菜、蕎麦菜)」には、『根をセイネイ』(薺苨)と称し』、『漢方では解毒(虫毒、腫毒)や去痰薬にする』としつつも、『成分は未詳。』とある。

「豗(ほ)りて」所持する「廣漢和辭典」に、第一義として『うつ。互いにうちあう。たたきあう」とし、★第二義で『いのこが地を掘る。』とあった。

「馬錢(まちん)」「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 狗(ゑぬ いぬ) (イヌ)」の私の注の「番-木-鼈〔(マチン)〕」(=「馬錢」)を見られたい。

「蛇(へび)、蛞蝓(なめくぢり)の涎(よだれ)を見れば、則、地を避(さ)けて、到(いた)らず」所謂る、「三竦(すく)み」で、「虫拳(むしけん)」の遊びにもなっている。ウィキの「三すくみ」によれば、『ヘビはカエルを一飲みにする。ヘビには負けるカエルだが、相手がナメクジならば』、『やすやすと舌でとって食べる。しかし』、『カエルに負けるナメクジには』、『ヘビ毒が効かず、身体の粘液で(カエルより強いはずの)ヘビを溶かしてしまう』。『このときにカエルがナメクジを食べると、その後』、『ヘビに食べられてしまうので、ナメクジを食べられない。ヘビ、ナメクジも同様の状態で、三者とも身動きがとれず三すくみとなる』。『日本最古の三すくみで、当時は日本では「ナメクジはヘビを溶かす」と信じられていたが、実際にはそのようなことはおこらず、ナミヘビ科にはナメクジを捕食する種もいる』とある。私は、嘗て、親友の早稲田大学歴史学教室有給助手と、この問題の事実性を問題にしたことがあったが、彼は、「孰れも科学的根拠がある。」とし、完全否定の私と一晩、論議したが、ケリがつかず、彼の友人の生物学講師に、午前零時に電話をして聴いたところ、けんもほろろに否定された。序でに、彼が、私が「ホヤは尾索動物亜門ホヤ綱で、彼らは、脊椎動物のすぐ下に位置する高等動物である。」と言ったのを、笑い飛ばしたので、「あれも、序でに、聴いてみなよ。」と言ったところ、相手の言葉で、黙って電話を切った。私の完全勝利だったのだ。……その彼も、昨年、腎臓の遺伝病である多発性嚢胞腎で亡った。過ぎし日の青春の一コマだったな、三晴よ……

「犬・䑕《ねずみ》、共に、油《あぶら》を好(す)く。而るに、桐油《きりあぶら》を見ては、敢《あへ》て近づかず【誤《あやまり》て、桐油を舐(ねぶ)る犬は、毛、悉《ことご》く、脫《だつす》。】」さる論文を見たところ、イヌは特定の脂肪・脂肪酸に対する拒絶反応はないとし、それはイヌが、本来、腐肉食者であることと関係があるかも知れない、とあった。因みに、猫は、ココナツ油のような中鎖脂肪酸の多い植物油はだめだそうである。ネズミは油を好む。一方、「桐油」は、当該ウィキに拠れば、『アブラギリ類』(キントラノオ目トウダイグサ科アブラギリ属 Vernicia )『の種子(種核)を搾油して得られる油脂。毒性があるため食用に用いられず、主に工業用途に古くから使用されてきた。流通する桐油の大半はシナアブラギリ』Vernicia fordii 『由来のシナ桐油(tung oil)である』とし、『江戸時代には燈火油、油紙、雨合羽などに利用され』、『農村では防虫剤として重要な役割を果たした』とあり、その毒性物質はエレオステアリン酸(Eleostearic acid, ELA)或いは、α-エレオステアリン酸(α-eleostearic acid)で、キリ油では約八十%も含まれおり、「J-STAGE」の『日本化學雜誌』(第八十一巻三号・一九六〇年発行)の「油脂の生化学的研究(第12報)β-エレオステアリン酸の環状化と環化生成物の毒性について」の著者松尾登氏の抄録には、『基礎飼料に 10% 混合, 白ネズミに投与して動物実験を行ったところ, いずれの場合も 7 日以内にす斃死した』とあったから、イヌも恐らく脱毛症状は必須であろう。

「沙參《シヤジン》」キキョウ目キキョウ科ツリガネニンジン(釣鐘人参)属トウシャジン(唐沙参) Adenophora stricta の根茎を乾したもの。去痰・鎮咳に効果があるとされる。

「丹參《タンジン》」「藥品(5) 相反」の私の「五參」の注を見よ。

「蕓薹子《ウンダイシ》」菜種油。「蕓薹」は、恐らくは「あぶらな」或いは「なたね」と訓じており、既出既注。言うまでもなくアブラナ Brassica rapa var. nippo-oleifera 、「菜の花」のことである。しかし、当該ウィキに拠れば、『原種は、西アジアから北ヨーロッパの大麦畑に生えていた雑草で、農耕文化と共に移動したと考えられている。漢代の中国に渡ると栽培作物となり多様な野菜を生むなど、東アジアで古くから栽培されている。日本では弥生時代以降から利用されたとみられる』とあるので、ここで、わざわざ、李朝朝鮮から齎すこともなかろうが、向こうが、本邦にあるかないかを確認する術(すべ)がないわけで、これを、敢えて入れたものと思われる。

「蜀葵花《シヨクキクワ/たちあふひ》」アオイ亜科タチアオイ属タチアオイ Althaea rosea の中文名(「維基百科」を見よ)にして、本邦での同種の古名であるので、問題ない。但し、当該ウィキに拠れば、『当初は中国原産と考えられていたが、現在はビロードアオイ属(Althaea)のトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種との雑種( Althaea setosa × Althaea pallida )とする説が有力である』とするものの、『日本には、古くから薬用として渡来したといわれている』とあるので、これも既に当時の本邦にあったものと推定される。

「葶藶子《テイレキシ》」「金澤 中屋彦十郞藥局」の「●蒂歴子・亭歴子(テイレキシ、ていれきし)」に拠れば、『蔕歴子(亭歴子・葶藶子)は神農本草経の下品に収載されている』とし、基原は、『1)中国産:アブラナ科のマメグンバイナズナ』(豆軍配薺:アブラナ目アブラナ科マメグンバイナズナ属マメグンバイナズナ Lepidium virginicum )『、ヒメグンバイナズナ』( Lepidium apetalum )『、クジラグサ』(鯨草:アブラナ科クジラグサ属クジラグサ Descurainia sophia )『および東北蔕歴子』(シソ目 シソ科ムラサキシキブ属変品種コバムラサキシキブ Callicarpa japonica var. japonica f. taquetii )『の種子を乾燥したもの』、『2)朝鮮産:タネツケバナ』(種漬花・種付花:アブラナ科タネツケバナ属タネツケバナ Cardamine occulta )『の種子を乾燥したもの』、『3)日本産;イヌナズナ』(アブラナ科イヌナズナ属イヌナズナ Draba nemorosa )『の種子を乾燥したもの』とあり、『現在は市場品の殆どは中国産である』とある。「産地」は『中国、朝鮮半島、日本』で、「成分」は1)ヒメグンバイナズナは配糖体ヘルペチョコシド、芥子油配糖体シナルビン、脂肪油、蛋白質、糖類』で、『2)東北蔕歴子は配糖体ヘルペチョコシド、揮発油などを含有する』とする。「用法・用量」は『煎剤、丸剤、散剤』で、『1日1.5~3.0g』とある。

「何首烏《カシユウ》」既出だが、再掲する。基原は、タデ目タデ科ツルドクダミ(蕺・蕺草・蕺菜)属ツルドクダミ Reynoutria multiflora の根である。詳しくは、先行する「藥品(4) 有南北土地之異」の「夜合草《よるあひぐさ》」の私の注を見られたい。

「防已《バウイ》」本篇の冒頭の「卷第九十二之本 目録 草類 藥品(1)」の私の注を見られたい。

「白薇《ビヤクビ》」リンドウ目キョウチクトウ科カモメヅル属フナバラソウ(舟腹草) Vincetoxicum atratum 当該ウィキには薬効が記されていないだけでなく、本邦種のように記してある。しかし、「百度百科」の「白薇」には、『中国の黒龍江省・吉林省・遼寧省などの省で生産されている。また、韓国と日本にも分布する。主に標高百~千八百メートルの河川沿い・乾燥した荒れ地・草原・山間の峡谷・森林草原に生育する。温暖で湿潤な気候を好み、耐寒性はあるが、水浸しには弱い。野生の白牡丹は、主に遼東省の山岳地帯に分布している。野生の白牡丹の価格が高騰し続けているため、人々は利益のために際限なく採取しており、野生資源の絶滅に近づいている』とあり、「維基百科」の「白薇(植物)」には、『伝統中国医学では』、『清熱・清血、排尿促進・排便困難の緩和、解毒・傷の治癒などの効能があるとされている。温邪が滋養気を損ねることによる発熱・陰虚による発熱・骨蒸れや疲労による発熱・産後血虚による発熱・尿路感染症・血尿・癰疽(かゆみ)・腫れ物・刃物による傷などに用いる。現代医学では、この生薬には、利尿作用・解毒作用・心臓の健康促進などの効能があるとされている。但し、妊婦へは慎重に使用する必要がある』とあった。

「五味子《ゴミシ》」「藥品(8) 忌鐵」の私の注を見よ。

「石楠葉《セキナンエフ》」『有毒なシャクナゲでは、絶対に、ない!』という推定で調べたところ、「熊本大学薬学部薬用植物園 薬草データベース」の「オオカナメモチ」にまず、行き逢った。基原は、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 石南葉(セキナンヨウ)」に拠れば、

バラ亜綱バラ目バラ科ナシ亜科カナメモチ(要黐)属 オオカナメモチ Photinia serratifolia

の葉

である。前者から引用すると、「産地と分布」は『岡山県,愛媛県宇和島,奄美諸島,西表島,および台湾,中国南部,インドネシアに分布する』とあり、『常緑高木.樹高46 m.葉は革質で長楕円形,または長倒卵形か卵状楕円形,縁には基部を除いて鋭い細鋸歯があり,幼時中肋上に軟毛があるがのち両面無毛になる.枝先に多数の白色花を散房花序に付ける.果実はほぼ球形で紅紫色に熟する』とある。而して、『日本で「石楠」,「石楠花」と書けばツツジ科のシャクナゲのことを言うが,本来はオオカナメモチのことを指す』と明快である。「薬効と用途」には『鎮痛作用があり,神経性疼痛,足腰の無力感,リウマチ痛などに用いる』とあった。後者は引用しないが、そちらも、例によって、読むに、価値ある。

「菴䕡子《アンリヨウシ/いぬよもぎ》」これは、キク亜綱キク目キク科キク亜科ヨモギ属イヌヨモギ Artemisia keiskeana で、「跡見群芳譜」の「野草譜」の「いぬよもぎ(犬よもぎ」の項に拠れば、『中国では、全草・果実を薬用にする。』とあるので、この場合の基原は、同種の種子(果実)である。同ページに『北海道・本州・四国・九州・朝鮮・ロシア沿海地方・遼寧・吉林・黑龍江・河北・山東に分布』するとある「百度百科」に「菴があり、それによれば、『辛味・苦味・温感を持ち、月経促進・止血・除湿・血行促進等の作用がある。主に、瘀血』(おけつ:血液の巡りが悪くなって、体の中で滞った状態を指す)『による無月経・外傷・関節リウマチの痛みなどの治療に用いる。煎じ薬や粉末にして内服するのが一般的である。果実も単独で薬として用いられる。但し、妊婦は本薬を服用してはいけない。瘀血や湿熱のない人は特に注意して服用するようにせねばならない。』とあった。

「𮔉䝉花《ミツマウクワ》」漢方サイトでは、「蜜蒙花」は「密蒙花」と表記するものが、かなり多くあり、「維基百科」でも「密蒙花」である。さらに、基原についても、

ゴマノハグサ目フジウツギ科フジウツギ属ワタフジウツギ Buddleja officinalis の花序や花蕾を乾燥したもの

としつつも、例えば、「家庭の中医学」の「ミツモウカ・・密蒙花」では、我々にはお馴染みの、

フトモモ目ジンチョウゲ科ミツマタ属ミツマタ Edgeworthia chrysantha

『とするものもある』とある(記載がないので、同じく基原は「花序や花蕾を乾燥したもの」であろう)。前者のワタフジウツギは中国原産で、本邦には自生しないものの、本邦でも栽培はされている。また、「伝統医薬データベース」の「密蒙花」の「備考」には、『中国市場では密蒙花の他,老密蒙花,老蒙花と称される.わが国に輸入される密蒙花は上記正條品であるが,ときに多量の芫花〔ジンチョウゲ科(Thymelaeaceae)のフジモドキ Daphne genkwa Sieb. et Zucc. の花蕾〕の混入(約17%)が認められる.中国湖北省黄崗,四川省雲陽等に産する密蒙花は,ジンチョウゲ科(Thymelaeaceae)のミツマタ Edgeworthia chrysantha Lindl. の花蕾であって,通常「新蒙花」または「蒙花珠」と称している.中国市場にはこのものも多く出まわっている.』とある(学名は私が斜体化した)。「ナガエ薬局」の「蜜蒙花(ミツモウカ)」(☜ここでは「蜜」である)には、「臨床応用」に『生薬分類は、清熱明目薬。中薬の効能は清肝、明目、退翳。蜜蒙花は、清肝熱で明目退翳の効能があるので、肝熱による眼赤、腫痛、益明、流涙、目やに、視力障害などに用いる。』とある。その他のネット記載を見ても、目の機能障害への効果で共通している。

「升麻《シヤウマ》」キンポウゲ目キンポウゲ科サラシナショウマ属サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎を天日乾燥させたもの。ウィキの「サラシナショウマ」によれば、これは、『発汗、解熱、解毒、胃液・腸液の分泌を促して胃炎、腸炎、消化不良に効果があるとされ』、各種『漢方処方に配剤されている』とあり、さらに、『民間では』、一『日量』二『グラムの升麻を煎じて、うがいに用いられる』とする。さらに、『なお、本種に似たものや、混同されて生薬として用いられたものなど、幅広い植物にショウマの名が用いられている』とある。最後の部分は、ウィキの「ショウマ(植物の名)」も参照されたい。

「常山《ジヤウザン》」「藥品(3) 名義」で既出既注。

「佛耳草《ブツジサウ》」これは、皆、知っている、

キク目キク科キク亜科ハハコグサ(母子草)連ハハコグサ属ハハコグサ Pseudognaphalium affine

である。「日本薬学会」の「生薬の花」の解説が、ほっこりとした「心」があって、とてもよいので、以下、全文を引用させて戴く。高松智氏・小池佑果氏・磯田進氏による共同記事である。

   《引用開始》

 ハハコグサ(母子草)は全国の日当たりのよい畑地、原野、道端などにごく普通に見られるキク科の越年草です。高さは2030 cmほどで全体に白軟毛があり、葉は先が丸みを帯びたへら状で、互生します。46月に茎の先端に頭状花序の黄色い小花を多数つけます。春の季語として古くから俳句や短歌などにたびたび登場します。冬期はロゼット葉で過ごし、春になると茎を伸ばして花を付けます。花後にはタンポポと同じように、長さ約2 mmの綿毛のある種子をつけます。

 和名のハハコグサにはオギョウ、ゴギョウ(御形)、ホオコグサ(這子草)、ブツジグサ(仏耳草)、ソジ(鼠耳)、モチバナ(餅花)などの別名が知られています。名の由来は諸説ありますが、はっきりとはしていません。英語名はCottonweedJersey Cudweedです。ハハコグサ属はかつてのnaphaliumからPseudognaphaliumへ変更されました。従来の属名は、ギリシャ語の「gnaphallon(尨毛(むくげ=獣の毛))」が語源であり、現在のものはこれにPseudo(偽の)が付けられました。種小名affineは、「近似の、酷似の」を意味します。

 開花期に全草を採取し、水洗いして天日でよく乾燥させたものを、生薬ソキクソウ(鼠麹草)といいます。漢名でもある鼠麹草は、葉に毛があって鼠の耳のような形をしていることと、花が粒状で黄色の麹(こうじ)に似ていることから名付けられたようです。

 ソキクソウの煎液は鎮咳、去痰、扁桃炎、のどの腫れに有効で、他に利尿作用があるため急性腎炎に伴うむくみの軽減に効果があると言われています。また、江戸時代中期に編纂された日本の類書(百科事典の種)の「和漢三才図絵」にはソキクソウ、フキの花、熟地黄をそれぞれ焙り、混ぜたものを三奇散(さんきさん)といい、炉にくべて煙を吸うと痰咳によいと記されています。皮膚病には全草の黒焼き粉を作り、ゴマ油で練ったものを患部に塗布するとよいとされていました。

 ハハコグサの若い茎葉は食用とされ、春の七草の一つです。かつては葉を草餅や団子のなかに入れましたが、緑色の鮮明なヨモギがこれに取って代わり、今では草餅に用いることはほとんどありません。

 このようにハハコグサは色の映えにはやや劣ものの、粥や天ぷらの食材として、母から子へ受け継がれるべき植物であることは確かなようです。

   《引用終了》

なお、「維基百科」の同種のページは「鼠麴草」で、別名として、『清明菜・田艾・佛耳草』(☜)『・母子草・黃花麴草・米麴・鼠耳・水膩子・棉子菜・黃蒿・黃花艾・毛耳朵・無心草・水蟻草・金錢草・追骨風』と並んでいる。

「白頭翁《ハクトウワウ》」基原は、

キンポウゲ(金鳳花)目キンポウゲ科オキナグサ(翁草)属ヒロハオキナグサ Pulsatilla chinensis の根を乾燥したもの

である。例によって、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 白頭翁(ハクトウオウ)」を引用させて戴く。

   《引用開始》

 「白頭翁」は消炎,収斂,止血,止瀉薬として熱性下痢,腹痛,鼻血,痔出血などに応用され,白頭翁湯や白頭翁加甘草阿膠湯などの処方に配合される清熱涼血薬です.その基源には諸説があり,古来非常に異物同名品が多い生薬であったようです.

 「白頭翁」は『神農本草経』の下品に収載され,陶弘景は「根に近い部分に白茸があってその状が白頭の老翁のようだから名づけられたのだ」といい,蘇敬は「葉は芍薬に似て大きく,一本の茎が抽きでて,その茎の先端に木僅花に似た紫色の一個の花を開く.実は大きいもので鶏卵ほどもあり,一寸あまりの白毛があってそれが一揃いに下った様子は纛(はたばこ)のようで,まさに白頭の老翁に似ているから,かく名付けられたのだ」といっています.その後の蘇頌は陶弘景の説をとり寇宋奭は蘇敬の説を支持していますが,その形状からみてどちらの説ももっともな部分があります.これらの説から察するに,その基源は Pulsatilla 属植物のものと考えられますが,他にも根頭に白茸のあるものや果実に白毛のある植物が多いことから,多くの異物同名品が生じたようで,現在でも中国では正條品以外にキンポウゲ科,キク科,バラ科,ナデシコ科などの根または全草に由来する10 数種類の異物同名品が市場に出回っているようです.わが国へは主に正條品が輸入されますが,かつてはリンドウ科の Gentiana dahurica やキク科の Gnaphalis indica が白頭翁として輸入されたことがありました.また日本に自生する同属のオキナグサ P. cernua の乾燥根が「白頭翁」や「和泰艽」などと称されて市販されていましたが,現在では全く市場性はありません.

 オキナグサは,かつて日本の平地の春を彩る代表的な植物でした.花の咲く頃の茎は 10 cm 前後ですが,開花後に伸長して 40 cm にもなります.落ち着いた赤紫色の花は,直径 34 cm の鐘形で,45 月に下向きに開き,花が終わると,茎は直立します.痩果は多数が球状に集まり,直径 34 cm で,白い毛が密生し,和名はこの様子を老人の頭に見立てオキナグサと呼んだものとされています.本州から九州,朝鮮半島,中国東北部,ロシア極東地方に分布しますが,日本では園芸目的の採集等によって個体数が激減しており絶滅危惧種Ⅱ類に分類されています.オキナグサにはネコグサ,ネコバナ,オバガシラ,オジノヒゲなど様々な地方名がある事からも,かつては身近な植物だったようです.『万葉集』に登場する「ねつこぐさ」も,おそらく地方名のネコグサあたりから転じたものと言われています.

 ヒロハオキナグサは多年生草本で,高さ1040cm,全株が白色の長い柔毛で密に覆われています.主根は比較的太く,葉は根出し,束生し,全体に日本のオキナグサに似ています.花は葉の展開に先立って咲き,開花期は 35 月,結実期は 56 月.黒竜江,吉林,遼寧,河北,山東,河南,安徽,山西,陝西,江蘇省などに分布し,山野や山の斜面,田畑などに生えています.

 これらのオキナグサ属やAnemone属,Clematis属などのキンポウゲ科植物は葉や茎を傷つけたり,折ったりすると刺激性の汁が出て,それが皮膚につくと皮膚炎(水泡)を起こすことがあります.その原因物質はプロトアネモニン[やぶちゃん注:ProtoanemoninC5H4O2。]です.これらの植物は配糖体であるラヌンクリン[やぶちゃん注:RanunculinC11H16O8。]を含有しており,傷つけたり,折ったりする事によってラヌンクリンの糖がはずれ,プロトアネモニンが生じます.しかし,プロトアネモニンは乾燥や熱によって刺激性のないアネモニンへと変わりますので,乾燥した植物では炎症は起きません.

   《引用終了》

「黃蜀葵花《ワウシヨクキクワ/とろろ》」「黃蜀葵」は、アオイ目アオイ科Malvoideae亜科フヨウ連アオイ亜科トロロアオイ属トロロアオイ Abelmoschus manihot当該ウィキの「医療品」に拠れば、『外皮を剥いだ根を乾燥したものが黄蜀葵根(おうしょくきこん)である』。『現代では薬用として用いられることは稀であるが、アルテア根の代用として、煎剤を丸薬を練るときのつなぎにする』。『主成分はペントサン (pentosan) などからなる粘液で、約16%含まれる』。『根は』男色の肛門性交『で使用される通和散の原料として千年以上前から使用されてきた。これはヒドロキシエチルセルロース』(Hydroxyethyl cellulose:セルロースにエチレンオキシド(ethylene oxide)を附加させることによって水溶性を持たせた高分子化合物)『が薬効成分で現代で直腸の触診や下部内視鏡検査などで肛門から異物挿入する時に使用される医療用潤滑剤の主成分でもある。同じアオイ科トロロアオイ属のオクラ』( Abelmoschus esculentus )『などにはヒドロキシエチルセルロースが含まれておらず』、『トロロアオイだけの特徴である』とある。

「前胡《ゼンコ》」双子葉植物綱バラ亜綱セリ目セリ科シシウド属ノダケ Angelica decursiva。根を薄く切って日干しにしたものを「前胡」と称し、生薬とする。

「射干《シヤカン》」やはり、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 白頭翁(ハクトウオウ)」を引用させて戴く。基原は、

単子葉植物綱キジカクシ(雉隠し)目アヤメ科アヤメ属ヒオウギ  Iris domestica Goldblatt & Mabb. (2005)  の根茎を乾燥したもの

である。なお、引用先の冒頭の基原では、ヒオウギの学名が、ヒオウギ属ヒオウギ Belamcanda chinensis (L.) DC. となっているが、同種は、二〇〇五年の分子生物学によるDNA解析の結果から、アヤメ属に編入されている。

   《引用開始》

 ヒオウギは、カキツバタやシャガといった同じアヤメ科で近縁のアヤメ属植物の花に遅れること3ヶ月程して、7月から8月にかけて花を咲かせます。日本の本州から南西諸島、朝鮮半島、中国に至るまで分布し、各地の山野や草原などに野生する植物ですが、観賞用に栽培もされています。花は直径5センチ程で鮮やかなオレンジ色に赤い斑点があり、花後にできる蒴果は裂開して黒い光沢のある種子を覗かせます。この目立つ種子は古くは烏羽玉(ウバタマ)と呼ばれ、万葉和歌に黒や夜の枕詞として登場します。ヒオウギの根茎を乾燥させた物が生薬「射干(ヤカン)」です。

 射干は『神農本草経』の下品に収載された薬物で、『図経本草』には「茎、梗がまばらで長く、さながら射る矢の長竿のようだ。名称はここから起こったのである」とあります。また『新修本草』に「鳶尾は、葉はすべて射干に似ているが、花が紫碧色で、高い茎は抽き出ない」、『本草拾遺』に「射干、鳶尾の二物はよく似ているので、一般には区別せぬ(略)」、『本草綱目』には「震亨曰く、(略)紫花のものが正しい。紅花のものは違う」などという記載があり、鳶尾(エンビ:アヤメ科のイチハツ)」との混乱もあったようです。さらに、射干の別名の1つである「扁竹」が、萹蓄(タデ科ミチヤナギ Polygonum aviculare L.)の別名にもあり、注意する必要があります。

 和名のヒオウギは古く宮中で使用されていた「檜扇」に由来し、扇形に広がる葉から連想されたものと言われています。李時珍も「その葉は叢生して横に一面に舗き、烏の翅や扇などの形のようだ。故に烏扇、鬼扇などの名がある」と、同じく「扇」を連想しています。実際、長さ 3040 センチ、幅約3センチの剣状の葉が扇状に付いています。ここから生じる花茎は1メートル程に達し、総状花序が頂生します。花被は6枚でアヤメ属に近縁ですが、アヤメ属に見られる平らな花柱枝や横向きの柱頭がないという特徴があります。薬用部位の根茎は鮮黄色で多数のひげ根を付けています。春または秋に収穫し、土砂や茎、ひげ根を落としたものを乾燥させ生薬にします。修治に関して『本草綱目』では他書を引用して「およそこの根を採ったならば、まず米泔水に一夜浸して漉出し、しかる後に箽竹葉を用いて正午から午後十二時まで煮て、日光で乾かして用いる」、「寒なり。多く服すれば人をして瀉せしめる」とまとめています。当時は有害作用を除去するための修治法が採られていたようですが、現在はこうした工程は省略されています。

 生薬は不規則な結節状を呈し、表面は褐色〜黒褐色です。表面は縮んで、密集した環紋があります。断面は黄色で顆粒性が認められます。質は堅く、香りは薄く、味は苦くやや辛いとされています。古来、太くて丈夫で、質が堅く、断面が黄色を呈する物が良いとされてきました。現在は主に中国の河南省、湖北省、江蘇省などで生産されています。

 中医学的な薬効は、火を降ろす、解毒する、血を散らす、痰を消すなどで、清熱解毒、消炎、利咽を目的に咽喉痛、咳嗽、喀痰、リンパ腫、腫れ物等に用いられます。また、喉痺咽痛の要薬とされ、扁桃炎による咽喉の腫痛には単独、あるいは他の生薬と配合して煎じ薬としての利用法もあります。『本草綱目』には「咽喉の腫痛:射干花の根、山豆根を陰乾し、末にして吹く、神の如き効がある(袖珍方)」などが収載されています。『金匱要略』の射干麻黄湯は気管支喘息で咳嗽や喀痰がみられるときに用いられるようです。

 日本では馴染みのない生薬ですが、中国の生薬市場では必ず店頭で目にする生薬です。現在まで消えずに残っているという事実が、この生薬の有効性を示しているようです。

   《引用終了》

「馬藺《バイヰ/バレン》」読み二種は、「コトバンク」の日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」に拠った。さて、嘗て、「大和本草卷之八 草之四 水草類 藺・燈心草 (イ=イグサ)」の注で私は、『これは単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属ネジアヤメ Iris biglumis の漢名であり、朝鮮・中国・チベット・ロシアに分布するので、外来種であるが、江戸時代以前に移入されたか。ともかくも本来の漢語の「藺」にはイグサの意はない。』とした。「伝統医薬データベース」の「馬藺子(ばりんし)」には、「薬理作用」に、『馬藺子のアルコールエキスを,雌のマウスに内服さすと,卵の抗生育,抗着床作用がある.この作用は種皮にあって,種仁にない.馬藺子の避妊作用は動物実験ではある程度有効であるが,臨床的には確実性がなく,月経の時期,量に不定の影響を及ぼし,帯下がやや多くなるなどの副作用があるので,避妊薬としては不完全なものである.』とあり、「臨床応用」には、『止血,利尿,解毒薬として,吐血,衂血,婦人の月経過多,帯下,疝痛,咽喉腫痛,癰腫などに応用する.』として、「頻用疾患」として『小便不利, 吐血, 鼻血, 月経過多, 帯下, 咽喉痛』が挙げてあった。

「劉寄奴草《リウキドサウ》」先行する「藥品(3) 名義」の私の注の「劉寄奴」を見られたい。

「薤《カイ/おほにら》」「オオニラ」はネギ属ラッキョウ Allium chinense の別称である。「細野漢方診療所」公式サイト内の「漢方戯言」の「ラッキョウ(薤)」に以下のようにある。

   《引用開始》

中国には「薤」というものが古い昔からあった。「薤」とはつまり、ラッキョのことである。

ラッキョはニンニクに似ているが、ニンニクほど強烈な苦味や臭みはない。私は、あのニンニクは嫌いだが、ラッキョは好きだ。考えてみると、中国でも、ことに北部の人々は、南部の人々がラッキョを好むのに比して、ニンニクを用いるのを見ると、それは人々の好みの相違のためであるには違いないが、総じて、気候の寒暖の相違から起こったようにも思える。つまり寒冷を凌ぐのに適する脂っこい食物の味の調整のためには、ラッキョウは駄目で、ニンニクだけがあいものなのらしい。

ラッキョは酢漬けがあっさりして最もよく、酒のぬか漬けものもあるが、少しもっさりとしてラッキョ本来のあっさりした味が求められない。ラッキョは、ニンニクや葱類と同様、わずかに抗菌作用があると言われている。そのために、日本食のようなビタミン群の少ない食事をしていても葱やラッキョなどを少し多量に食していると、脚気様症候群が現れてこないのであろう。それなくば、いかにビタミンの多い食物を摂取しても、腸内の大腸菌などの破壊作用によって常にビタミン不足の状態になり、脚気様症候群をひきおこすことになるのであろう。

私はそれよりも、もっと大切な役割をラッキョは人間の生体に与えているように思う。「本草備要」という中国の薬物書を見ると、「薤」は身体の中を調え、体の陽気をつけ、血が固まろうとするのを防ぎ、善良な肌肉を生ぜしめ、下腹のある諸臓器―特に大腸の機能の渋滞を解き、下痢や排便がしぶるのを治し、更に、狭心症や心筋梗塞のときのような、胸のつまり、刺すような痛みを治す作用があると書いてある。また、喘息のように、喉のつまり、ぜりつく[やぶちゃん注:意味不明。「ひりつく」か?]ようなものにもよい。ことに、漢方では、この「胸痺刺痛」を治す作用を重要視して、二千年以上昔からラッキョを薬用に用いている。すなわち、枳実薤白桂枝湯とか、括呂薤白白酒湯、瓜呂薤白半夏湯などという処方を用い、心臓の病気でも、肋間神経痛のような胸の痛みのある病にも広く応用して、誠に立派な効果を収めている。

私は日常、強いてラッキョの酢漬けを愛用するが、それはまた科学的にははっきりしていないまでも、心筋梗塞や狭心症の予防には欠くことができないのではないかと思って、できるだけ毎日、少しずつでも食べることにしている。それにしても、ラッキョを食うと、ラッキョ独特の悪臭が口臭として出るので、まあ他人に迷惑をかけることになりかねないところから、ラッキョを食べる日と時刻、それに分量とに、予め注意することにしている。

   《引用終了》

「萆薢《ヒカイ》」中医学情報サイト「草根木皮みな藥」の「萆薢(ひかい)」に拠れば、これには「粉萆薢」(「ふんひかい」と音読みしておく。次も同じ)と「綿萆薢」(めんひかい)の二種があり、「粉萆薢」は単子葉植物綱ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属オニドコロ Dioscorea tokoro や同属の Dioscorea hypoglauca などの根茎(担根体)を、「綿萆薢」は同属のキクバドコロ Dioscorea septemloba Dioscorea futschauensis などの根茎が原材料である、とあった(但し、私から一言言っておくと、これら狭義のトコロ類は強烈な苦みがあって灰汁抜きしない限りは食用にはならないので注意されたい)。効能は「膏淋」(こうりん:混濁尿・尿量減少・排尿困難・残尿感などの諸症状)の常用薬、とあった。

「百部根《ビヤクブコン》」基原は、

単子葉植物綱タコノキ目ビャクブ科ビャクブ属ビャクブ Stemona japonica ・タチビャクブ S. sessilifolia ・タマビャクブ S. tuberosa の肥大根を乾燥したもの

である。たびたびで悪いが、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 百部(ビャクブ)」を引用させて戴く。

   《引用開始》

 百部は『名医別録』の中品に収載され,現代中薬学で止咳平喘薬に分類される薬物ですが,古来駆虫薬としても使用されてきました。生薬名に関して李時珍は「その根が多く,百数十の根の様子が5人組がいくつも合わさって一群となった部隊のようにみえるのでこのように名付けられたのだ」と説明しています.原植物の形態に関しては、蘇頌が「春苗が生えて藤蔓となり,葉は大きく尖って長く,頗る竹葉に似たもので,表面は青く光る」と言っており,これらは現在の市場品の一種であるビャクブ科のビャクブであろうと考えられます.

 ビャクブ科は単子葉植物に属する4属30種からなる小さな群で,東南アジアからオーストラリア北部,東アジア,北アメリカ東南部に隔離分布しています.多年生草本で,単子葉植物としては変わった4数性の花をつけ,地下には肥大した根を発達させます.

 ビャクブ Stemona japonica はジャポニカという種小名をもちますが,中国原産で江戸時代に薬草として日本に渡来した植物です.茎は上部がつる状になり縦に筋があり高さ6090 cm,全体がなめらかで無毛.肥大根は多肉質で紡錘形,数本から数十本が束生します.葉は通常 4 枚が輪生し,卵形もしくは卵状披針形,先端は鋭先形か漸鋭先形,基部は円形か切形に近く,全縁もしくはわずかに波状を呈し,59 本の平行脈があります.葉柄は線形で長さ 1.52.5 cm5月に各柄に花被片4枚からなる淡緑色の小さな花が単生します.分布は山東,安徽,江蘇,浙江,福建,江西,湖南,湖北,四川,陝西省などです.

 タチビャクブは高さ 3060 cm,茎は直立して分枝せず縦に筋があり,葉はふつう 34 枚が輪生し,ほぼ無柄であることでビャクブとは区別できます。開花期は34月.分布は山東,河南,安徽,江蘇,浙江,福建,江西省などです.

 タマビャクブはより大型になり,茎上部は他物によじのぼって高さ5mに達します.葉は広卵形で通常対生する点で先の2種とは区別され,また長さ46 cmの葉柄があります.塊根は多肉質で紡錘形か円柱形,長さ1530 cm.開花期は5〜6月で花被片に紫色の脈紋があります.分布は台湾,福建,広東,広西,湖南,湖北,四川,貴州,雲南省などです.

 これらの植物に由来する百部は,ステモニン,ステモニジンなどのアルカロイドを含有します.これらのアルカロイドは呼吸中枢の興奮を抑制して鎮咳作用を示すと考えられますが,多量だと呼吸障害をおこします.また,煎液には抗菌作用,真菌抑制作用があり,エタノールエキスにはシラミなどに対する殺虫作用があります.古来駆虫・殺虫薬として使用されてきた所以です.漢方では潤肺,止咳などの効能を期待して,急性・慢性咳嗽,百日咳などに使用され,特に「肺癆咳嗽の要薬」として知られています.風邪などで咳が長く続く時には紫苑・白前・桔梗などと配合する止嗽散.肺結核などの肺陰虚で咳が続き,血痰のみられるときには生地黄・熟地黄・阿膠などと配合する月華丸などがあります.また,駆虫,殺虫などの作用を期待して,回虫症や蟯虫症に対して内服,あるいは蟯虫症には煎液を注腸したり,シラミや疥癬,トリコモナスなどでは煎液を患部に塗布したりします.かつて日本でも茎を「しらみひも」といって,シラミやノミを忌避するために下着に縫い込んでいたそうです.

 一方,雲南省や四川省の一地区ではユリ科の Asparagus pseudofilicinus の塊茎を『百部』として用いています.これは天門冬の仲間で,やはり地下部が紡錘形に肥大して百部によく似ています.李時珍は「百部には茴香のような細葉のものもある.その茎は色青くて肥え,若いうちには煮て食べる」と記しており,『政和本草』の『峡州百部』の図や『本草綱目』の『小葉百部』の図は正に Asparagus 属植物であり,『図経本草』の天門冬の項にも「南獄では百部という」とあり,古くから混乱していたようです.ただし,含有成分から判断する限り,駆虫薬としての作用は期待できないと考えられます.

   《引用終了》

「延胡索《エンコサク》」「藥品(1)」の「玄胡索」の注を、太字を入れて、引く。キンポウゲ目ケシ科ケマンソウ(華鬘草)亜科キケマン(黄華鬘)属エンゴサク(延胡索) Corydalis yanhusuo 、及び、東北延胡索 Corydalis ambigua の塊茎を基原とする漢方生薬。日本語のウィキもあるが、対象種の学名(しかも品種である)が不審なので、中文の「維基百科」の「延胡索」に基づいた。そこに異名として「玄胡索」もあるのである。そこに『中国本土の安徽省・山東省・浙江省・江蘇省・湖北省・河北省・河南省桔河市及び信陽市に分布し、主に丘陵地帯の草原で見られ、模式種の原産地は浙江省杭州』とあり、『辛味、苦味、温感を持つ様々なアルカロイドが含まれており、主に血液循環の促進・気の促進・鎮痛・鎮静・催眠効果がある』といったことが書かれてある。

「胡黃連《コワウレン》」「藥品(13) 服藥食忌」の同注を見られたい。

「山豆根《サンヅコン》」これは、マメ目マメ科クララ(エンジュ)連クララ属クララ Sophora flavescens であろう。本邦にも植生する。漢名「苦参」。和名は「眩草(くららぐさ)」で、根を噛むと、クラクラするほど苦いことに由来するという。ウィキの「クララ」によれば、『全草有毒であり、根の部分が特に毒性が強い』。『アルカロイド』(alkaloid:窒素原子を含み、ほとんどの場合で塩基性を示す天然由来の有機化合物の総称)『のマトリン』(Matrine)『が後述の薬効の元であるが、薬理作用が激しく、量を間違えると大脳の麻痺を引き起こし、場合によっては呼吸困難で死に至る。素人が安易に手を出すのは非常に危険である』。『根は、苦参(くじん)という生薬であり、日本薬局方に収録されている。消炎、鎮痒作用、苦味健胃作用があり、苦参湯(くじんとう)、当帰貝母苦参丸料(とうきばいもくじんがんりょう)などの漢方方剤に配合される。また、全草の煎汁は、農作物の害虫駆除薬や牛馬など家畜の皮膚寄生虫駆除薬に用いられる』。『なお、延喜式には苦参を紙の原料としたことが記されているが、苦参紙と呼ばれる和紙が発見された例が存在せず、実態は不明である』が、二〇一〇年の『宮内庁正倉院事務所の調査で「続々修正倉院古文書第五帙第四巻」の』一『枚目は和紙、手触りや色合いが』、『延喜式での工程や繊維の特徴を持ち』、二『枚目は苦参の可能性が高いと判断した』とある。但し、平凡社「世界大百科事典」によれば、本邦では全くの別種であるマメ目マメ科ミヤマトベラ(深山扉木)Euchresta japonica を「山豆根」と称し、特に前者の毒性が強いことから、注意が必要である。こちらは本州(茨城県以西)・四国・九州、及び、中国大陸に分布する(最近までは日本固有種とされていた)。本邦の漢方では、根を乾燥して「山豆根(さんずこん)」の名称で、口腔・咽喉の病気に用いていた、とある。ここは、「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼫鼠(りす) (リス類)」で注したものを援用した。

「鬱金《ウコン》」ここは、一度、悩まされた結果、その後遺症で、素直に注出来ないでいる。先行する「藥品(1)」の『「薑黃《きやうわう》」を以《もつて》、「鬱金《うこん》」と言《いふ》。』への迂遠な私の注を、どうぞ!!!

「啇陸《シヤウリク/やまごばう》」これは、古い八年前に公開した「和漢三才圖會第四十三 林禽類 杜鵑(ほととぎす)」で、私が詳細に考証してあるので、そちらを見られたい。

「天仙藤《テンセンタウ》」「跡見群芳譜」の「樹木譜」の「つづらふじ(葛藤)」によって、この名の正当な種は、『兩廣・雲南・インドシナ産』の、

キンポウゲ目ツヅラフジ科アオツヅラフジ(中文名:天仙藤)属天仙藤(中文名。「黃藤」とも呼ぶ)Fibraurea recisa

であることが判った。而して、馬鹿正直に、

この学名で「百度百科」を見ると……

……おや? 「黄藤素」に出てくるぞ?……

……さて? この「黄藤素」というのは、なんじゃい?……

英名に“Palmatine”とある。

当該ウィキによれば、『パルマチン』『は、プロトベルベリン系のアルカロイドである。キハダ( Phellodendron amurense )、Rhizoma coptidis Coptis Chinensis Corydalis yanhusuo 等の様々な植物に含まれる』。『また、Enantia chloranthaから抽出されるプロトベルベリンの主要成分である』。『黄疸、赤痢、高血圧、炎症、肝臓関連病の治療薬として期待されている』。『またIn vitro』(イン・ヴィトロ:生物学の実験などに於いて、試験管内などの人工的に構成された条件下、すなわち、各種の実験条件が人為的にコントロールされた環境であることを意味する語。語源は「ガラスの中で(試験管内で)」を意味するラテン語。以上は当該ウィキに拠った)『では』、『弱い抗フラビウイルス活性も示す』とあった。

いや! ちょっと待たんカイ!

……じゃんじゃんFibraurea recisa から離れとらんかい?

……しかし、「黄藤素」の下の方を見ると、『主要活性成分』『本品防己科植物黄藤Fibraurea recisa Pierre.干燥藤茎中提取得到的生物碱。』とあるなあ。後半は、同種の『乾燥した茎から抽出されたアルカロイドである。』の意だ。さらに下の、「適応症」を見ると、『上気道感染症・扁桃炎・腸炎・赤痢・尿路感染症、外科領域、及び、婦人科領域の細菌感染症の治療に用いられる。局所適用』として『点眼薬は結膜炎の治療に、膣点眼薬はカンジダ・アルビカンス感染症の治療に用いられる』とある。

……でも……やっぱ……何となく……これで、ええんやろうか? と疑問がモリモリしてきたのであった。

 そこで、再度、調べてみた。すると、流石、神農子さんだ!

「生薬の玉手箱 | 馬兜鈴(バトウレイ)」に違う「天仙藤」が登場しているノダ!!!

そこでは、基原を、

『ウマノスズクサ科(Aristolochiaceae)のマルバウマノスズクサ Aristolochia contorta Bunge およびウマノスズクサ A. debilis Siebold et Zucc. の成熟果実を乾燥したもの。』

とする。

   《引用開始》

 チョウの仲間は孵化後に幼虫が食す植物に卵を産み付けます。日本固有種で個体数が減少しているギフチョウの幼虫はウマノスズクサ科のカンアオイ属植物を食草とし、また雄成虫が麝香のような芳香を放つことで知られるジャコウアゲハの幼虫は今回の話題生薬「馬兜鈴」の原植物であるマルバノウマノスズクサやウマノスズクサなど、ウマノスズクサ属を食草とします。ウマノスズクサ属(Aristolochia)は熱帯や亜熱帯地域に広く分布し、500種以上が知られています。多くはつる性の草本または木本で、低木状になるものもあります。属名のアリストロキアはギリシャ語の「アリストス(aristos=最良の)」と「ロキア(lochia=出産)」からなり、古くから出産の痛みを和らげるためにこの属の植物が使われたことによるとされています。

 馬兜鈴は『開宝本草』に収載された薬物で、『本草衍義』の著者の寇宗奭は「つる性のもので、木に付いて上に伸び、葉が落ちてからもその実がなお垂れ、その形状が馬の首に付ける鈴のようなものだからこの名称が起こったのだ」と記しています。また、根は獨行根や土青木香、地上部は天仙藤などと呼ばれ、それぞれ薬用とされています。現在、中国市場には馬兜鈴、青木香、天仙藤のなどの生薬が流通しています。

 マルバウマノスズクサは多年生のつる性草本で、長さは1m 以上になります。葉は互生し、葉身は三角状の広卵形で長さ2.57 cm、幅 2.57 cm、全縁で先端は鈍形か鈍くとがり、基部は心臓形。独特の形をした花は310個が葉腋間に束生し、花被は暗紫色で長さ1.53.5cm、ほぼ斜めに湾曲し、上部は斜めのラッパ状で、先端は漸線形、中央部は管状を呈し、下部は花柱を包み、ふくれて球形をなしています。薬用部の蒴果も特徴的で、長さ34 cmの倒広卵形か楕円状倒広卵形を呈し、未熟な頃は緑色で成熟すると黄緑色になり、室間にそって6弁に開裂し、果柄上で裂けて56本の糸状となってぶら下がります。このぶら下がった果実の形が馬の首にかける鈴に似ていることから中国で馬兜鈴の名称が生まれ、日本ではウマノスズクサと呼んでいます。結実期は9月です。

 果実にはアリストロキア酸やアリストロキン、マグノフロリンなどが含まれ、去痰、気管支拡張、抗菌作用などが知られています。漢方では止咳・化痰の効能があり、咽頭炎や気管支炎などの咳嗽や喀痰、血痰、嗄声などの症状に用いられます。小児の喘息や咽痛、咳嗽、血痰のみられるときには阿膠・杏仁・牛蒡子などと配合する阿膠散などがあります。このほか痔の出血や肛門周囲の腫痛にも用いられます。痔の治療には一般に内服しますが、馬兜鈴を瓶の中に入れて焼いて患部を薫じるという方法もあります。しかし、ウマノスズクサ科植物特有の成分であるアリストロキア酸は、重篤な腎障害を引き起こします。かつて、バルカン半島の農村部で起こったバルカン腎炎の原因物質でもあり、漢方薬原料としてもAristolochia属植物由来の「関木通」の長期服用による重篤な腎障害が問題となりました。そのため、馬兜鈴に限らず、近縁植物に由来する生薬の内服には十分な注意が必要です。

 毒と薬は紙一重とよく言われます。馬兜鈴や附子などのように先人たちは毒草をよく理解し、少量を短期間に限って使用することによって治療薬として利用してきました。一方、自然界においても、ジャコウアゲハの幼虫は食した葉に含まれるアリストロキア酸をそのまま体内に溜め込み、さらにそのまま成虫にも移行保存されることによって外敵から身を守っていることが知られています。自然界における毒の有効利用ということでしょうか。さらに、別にジャコウアゲハに擬態することで我が身を守っている昆虫がいるそうですから、自然界の妙には驚かずにおれません。

   《引用終了》

脱線だけど、この最後の一段落が、神農子さんの本骨頂で、チョーいいね!

 さて。

この時、板坂卜齋が入手した朝鮮から齎された「天仙藤」が、果して、どっちだったのか、それは、判らぬ。

しかし、だ!

実は、このずっと後の「卷第九十六」の「蔓草類」に、「天仙藤」は、載る。而して、東洋文庫訳で、竹島淳夫氏は、これを割注で、『(ウマノスズクサ科)』としておられる。私も、単に、この疲れたドライヴの果てに、マルバウマノスズクサ・ウマノスズクサに落ち着いて眠りたい気がしているのである。識者の御意見を乞うものである。

「銀茈胡《ギンサイコ》」サイト「ミシマサイコという薬草を知っていますか! 相模原柴胡の会」の『古いにしえより伝わりし「柴胡が原さいこがはら」とミシマサイコ!』の、『漢方生薬「柴胡」に関する古典史料』の『「神農本草経」(西暦112年頃)』のコーナーに、『古代中国の神農が著したとされる最も古い中医薬学(本草学)の書物で、植物薬252種、動物薬67種、鉱物薬46種の合計365種に関する効能と使用方法が記載されている。薬性により上薬、中薬、下薬に分類されている』とし、『柴胡は上薬の部に『茈胡』』(☜)『の名で収載され、薬能は「心腹を主り、腸、胃中の結気、飲食積聚、寒熱邪気を除き、推陳致新(新陳代謝)を主る」と記されて』い『る』とあったので、これは「銀柴胡」と同義と採る。ただの「柴胡」なら、複数回既出既注で、セリ目セリ科ミシマサイコ(三島柴胡)属(或いはホタルサイコ属)ミシマサイコ Bupleurum stenophyllum の根である。解熱・鎮痛作用があり、多くの著名な漢方方剤に配合されている。ウィキの「ミシマサイコ」によれば、『和名は、静岡県の三島市付近の柴胡が生薬の産地として優れていたことに由来する(現在の産地は、宮崎県、鹿児島県、中国、韓国など)。』とある。しかし、「銀柴胡」は、それとは全く異なるものである。「金澤 中屋彦十郞藥局」の「●銀柴胡(ぎんさいこ、ギンサイコ)」によれば、『健康食品』とし、『銀柴胡の名は本草綱目に収載されて』おり、『色白く柔らかい』とし、基原は、『ナデシコ科の多年草、フタマタハコベ』『、またはその近縁植物の根であって』、『柴胡とは全く違う』と断じてある。『銀柴胡とはもともとは銀州に産する柴胡という意味であつたが』、『柴胡はセリ科の植物で全く異なる』と述べ、『フタマタハコベは乾燥した草原や岩の間に生え、ハコベに似た花が咲く』とする。「産地」は『中国』で、「成分」は『サポニン』とし、「応用」の項には、『かつては栄養の補給に使われた』とする。而して、このフタマタハコベは、「跡見群芳譜」の「野草譜」の「はこべ」に、以下の二つの学名が載る。

・ハコベ属フタマタハコベ Stellaria dichotoma (中文名『叉岐繁縷』。産地は『河北・西北・遼寧・吉林・黑龍江・モンゴリア・シベリア・極東ロシア産』

・フタマタハコベ Stellaria dichotoma f. lanceolata(中文名『狹葉叉岐繁縷』の他、『銀柴胡・牛肚根・沙參兒・白根子・土參』を挙げる)

しかし、この後者は、「維基百科」の、まさに「銀柴胡」の学名であった。そして、その「外部連結」の一つのリンク、「中藥標本數據庫 (香港浸會大學中醫藥學院)」のみが生きていた。ここである。そこには、基原は、『根と根茎』とあり、『原産地』は『主に甘粛省・寧夏回族自治区・陝西省・内モンゴル自治区などで生産されている。』とあり、「特徴」の項には、『亜円筒形で、時に枝分かれし、長さ1540cm、直径0.52.5cm。表面は淡黄褐色から淡褐色で、ねじれた縦皺と細根痕があり、しばしば、穴状または円盤状の窪みがある。砂穴の点で折ると、褐色の亀裂から細かい砂が出ているのが見える。根の頭はわずかに膨らみ、芽、茎、または、根茎の残骸が密集した疣状の突起がある。硬くて脆く、折れやすく、破断面は不均一で比較的緩く、亀裂があり、樹皮は非常に薄く、黄色と白の放射状の縞模様が交互に現れる木質である。微かな匂いがあり、味は甘い。栽培品種は枝分かれし、下部はねじれていることが多く、直径0.31.2cmである。表面は淡黄褐色、又は、淡黄褐色で、細く明瞭な縦皺があり、細根痕は点状の窪みとして現れることが多い。根頭には多数の疣状突起があり、穴は殆んどない。割面は比較的緻密で、裂け目は殆んどなく、僅かに粉状で、材の放射状の条線は、あまり、目立たない。味は、やや甘みがある』とし、「効果」の項に、『清熱作用と清血作用があり、肺結核の発熱、慢性マラリアに伴う陰虚、発熱を伴う衰弱した小児に効果がある』と記す。しかし、そこにある学名は、変種

Stellaria dichotoma L. var. lanceolata 

であった。私がデイグ出来たのは、ここまでである。

「藜蘆《レイロ/しゆろさう》」「藥七情」で既出既注。そちらの私の注を見られたい。

「續斷《ゾクダン》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 続断(ゾクダン)」では、「基原」として『中国産は』 Dipsacus asperoidesC.Y Cheng et T.M.Ai(マツムシソウ科 Dipsacaceae)の根を乾燥したもの』としており、最後に『続断の原植物は未だに混乱し,明らかにはされていません。一般に,本生薬のように,薬効が生薬名となったものには異物同名品が多いようです』と記されてある。

「烏頭《ウズ》」「烏頭」は猛毒で知られるモクレン亜綱キンポウゲ(金鳳花)目キンポウゲ科トリカブト(鳥兜・草鳥頭)属 Aconitum を指す。種にもよるが、致命的な毒性を持ち、狩猟や薬用に利用されてきた歴史がある。

「薑黃《キヤウワウ》」前の「鬱金《ウコン》」の注と同じで、先行する「藥品(1)」の『「薑黃《きやうわう》」を以《もつて》、「鬱金《うこん》」と言《いふ》。』への迂遠な私の注を見よ。

「漏蘆《ラウロ/ひごたい》」植物体は、一つに、

キク目キク科ヒゴタイ属ヒゴタイ Echinops setifer

とする。当該ウィキに拠れば、『多年生植物』で、『和名の漢字表示については「平江帯」(貝原益軒の大和本草)または「肥後躰」(肥後細川家写生帖)などがある』。『日当たりの良い山野に生える。葉はアザミに似て切れ込みがあり、棘を有する』。『花期は8月から9月。花茎が11.5m程度直立し、その先に直径5cm程の青い球形の花が咲く。これは瑠璃色の小さな花が球状にかたまって咲いたもので、写真のように一株に』、『複数』、『咲く』。『朝鮮半島の南部から、西日本の所々に咲く。日本では愛知県、岐阜県、広島県と九州の特定箇所で見られる。九州中部の九重山から阿蘇山周辺の草原では、元々自生していたが、今では野生以外に種を蒔いて増やした株も見られる』とあるが、「維基百科」の同種「糙毛蓝刺头」によれば、『日本、韓国、中国本土の河南省と山東省の一部に分布し、主に丘陵の斜面に生育する』とある。但し、本種の正確な薬効は、遂に見出せなかった。

別に、

キク目キク科ヒゴタイ属オクルリヒゴタイ Echinops latifolius

とする。「伝統医薬データベース」の「漏蘆」で、その学名を示し、「臨床応用」に『解熱,解毒,抗炎症,排膿,催乳薬として,癰疽,疔瘡腫毒,瘰癧,乳癰,乳汁不通などに応用する.近年本品の黒焼きを痔疾に外用している.』とあり、「頻用疾患」には、『皮膚化膿症, 乳房が張って痛む, 乳汁分泌不全, 発熱, 痔』とあった。]

2025/12/04

「修善寺の大患」の宿「菊屋」に泊った

修善寺の庭園の特別公開の最終日の観覧に合わせて、念願だった「修善寺の大患」の宿「菊屋」に泊った。現在、耐震基準に合っていない「梅の間」も、乞うて案内して貰った(実際の部屋は別な場所に移転され、保存されてある)。感慨無量であった。また、その内、連れ合いの晩秋の紅葉の写真とともに、挙げる。暫し、待たれよ。

2025/12/02

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(14) 飮食禁忌

[やぶちゃん注:以下、早稲田大学図書館「古典総合データベース」で見て貰うと判る通り、本文は、良安の評言の前の最後「河豚」の一行を除いて、第一部が、二つの項目で一行で空欄を設けて記載されてあるのだが、無駄に空けると、ブラウザの不具合が生じるので、原文の部は引き上げて、独立の一文とした。

 本篇は、特定の飲食に際して、同時に合わせて食べてはいけない禁忌となる食物を記したものである。本邦で言うところの、所謂、「食い合わせ」に相当するものである。今までと同様に漢方学的なものは注を附すが、漢字で判る動植物(言うまでもないが、メイン部分は、今までと同じ、基本は「本草綱目」を中心とした中国の本草書からのものである)は、中国と日本で異なるもの場合のみとする。

 

  飮食禁忌【如牛馬羊犬者本朝人不食故省故不記之】

雞肉 忌蒜葱芥末糯米鯉野雞

沙餹 忌鯽魚笋

[やぶちゃん注:「鯽」は、原本では、「魚」が「𩵋」、(つくり)の中央部の最初の一点が存在せず、下部は「ヒ」ではなく、縦画の中央右に二つの「―」が突き出している。しかし、そのような異体字は存在しないので、「鯽」の字で示した。]

雉肉 忌蕎麥木耳胡桃鯽鮎魚

蕎麥 忌雉𮌇猪𮌇

螃蠏 忌荊芥柿橘軟棗

木耳 忌雉𮌇野鴨

鰕子 忌鷄𮌇猪𮌇

芥子 忌鯽雞鼈兎

綠豆 忌榧子殺人又忌鯉魚鮓

乾笋 忌沙餹鱘魚

胡桃 忌野鴨雉及酒

批杷 忌熱麪

胡蒜 忌魚鱠魚鮓鯽魚雞

桃子 忌鼈𮌇

鼈𮌇 忌莧菜薄荷芥菜桃雞子

銀杏 忌鰻鱺

鯽魚 忌芥末蒜餹雞雉

楊梅 忌生葱

魚鮓 忌豆藿麥醬蒜緑豆

慈姑 忌茱萸

河豚 忌煤炲荊芥防風菊花桔梗甘草烏頭附子

 

△按今人食鷄𮌇多入葱蒜爲臛呼名南蠻

 又有食鯽鱠胡葱蒜和芥醋者

 又有食野鴨臛木耳椎茸之類者呼名𤎅鳥

 本草所謂鯽與芥菜同食成腫疾雞與生葱同食成蟲

 痔然則雖急不有害好食之者甚不可

相傳蕎麥與西瓜同食煩悶多至死又鰻鱺浸醋乃鰻鱺

 膨張於腹中故使人煩悶也蓋西瓜似水而速降故先

 西瓜後蕎麥則無害乎今人毎炙鰻鱺合蓼醋食之亦

 無害多食則必損人至死者有之

 

   *

 

  飮食≪の≫禁忌【牛・馬《むま》・羊・犬のごときは、本朝の人、食≪せ≫ず。故《ゆゑ》、省《はぶき》て、之≪を≫記《しる》さず。】

雞《にはとり》≪の≫肉 蒜《にんにく》・葱《ねぎ》・芥《からし》の末《まつ》[やぶちゃん注:粉末。]・糯米《もちごめ》・鯉《こひ》・野-雞(きじ)を忌《いむ》[やぶちゃん注:以下、全部同じであるが、面倒なので「忌む」で示す。]。

沙餹《さたう》 鯽魚《ふな》・笋《たかんな/たけのこ》を忌む。

雉肉《きじにく》 蕎麥《そば》・木耳《きくらげ》・胡桃《くるみ》・鯽《ふな》・鮎魚《なまづ[やぶちゃん注:要注意! 「あゆ」ではない! 後注参照!]》を忌む。

蕎麥 雉肉・猪肉《ゐのこにく》を忌む。

螃蠏(かに)[やぶちゃん注:広義のカニ。] 荊芥《けいがい》・柿《かき》・橘《いつ》・軟-棗《なつめ》を忌む。

木耳(きくらげ) 雉《きじ》𮌇・野-鴨(かも)を忌む。

鰕子(えび[やぶちゃん注:この場合は「子」は「小」で、中国語で、比較的小さなエビ、或いは、製品としての干しエビを指す。]) 鷄𮌇《けいにく》・猪𮌇《ゐのこにく》を忌む。

芥子(からしのこ) 鯽・雞・鼈《すつぽん》・兎《うさぎ》を忌む。

緑豆(ぶんどう) 榧《かや》の子《み》≪を≫忌む。人≪を≫殺《ころす》。又、鯉--鮓《こひのすし》を忌む。

乾笋《めんま》 沙餹・鱘魚《てふざめ》を忌む。

胡桃(くるみ) 野-鴨《かも》・雉、及《および》、酒を忌む。

批杷《びは》 熱-麪《ねつめん》[やぶちゃん注:汁の熱い麺類物。]を忌む。

胡(にんにく) 魚-鱠(なます)・魚《うを》の鮓《すし》・鯽魚・雞を忌む。

桃の子《み》 鼈《すつぽん》の𮌇を忌む。

-𮌇《すつぽん≪のにく≫》 莧-菜(ひゆ≪な≫)・薄荷《はつか》・芥-菜(からし)・桃・雞子《けいらん》を忌む。

銀杏《ぎんあん[やぶちゃん注:ママ。]》 鰻-鱺(うなぎ)を忌む。

-魚《ふな》 芥《からし》の末《まつ》・蒜《にんにく》・餹《さたう》・雞《にはとり》・雉を忌む。

楊梅(やまもゝのみ) 生《なま》≪の≫葱《ねぎ》を忌む。

魚鮓(《うを》のすし) 豆-藿(まめのは)・麥-醬(しやうゆ)・蒜《にんにく》・緑豆《りよくたう》を忌む。

慈姑(くわい) 茱萸(ぐみ)を忌む。

河豚(ふくとう[やぶちゃん注:江戸時代のフグの呼称の一つ。]) 煤-炲(すす)・荊芥《けいがい》・防風《ばうふう》・菊花《きくくわ》・桔梗《ききやう》・甘草《かんざう》・烏頭《うず》・附子《ぶす》を忌む。

 

△按ずるに、今≪の≫人、鷄𮌇《けいにく》を食し、多《おほく》、葱《ねぎ》・蒜《にんにく》を入《いれ》て、臛(にもの)と爲《なし》、呼んで、「南蠻煑《なんばんに》」と名《なづ》く。

 又、鯽-鱠《ふなのなます》を食≪ふと≫、胡-葱(あさつき)・蒜《にんにく》を芥-醋《からしず》を和《まぜる》者、有《あり》。

 又、野-鴨(かも)の臛《あつもの》を食≪ふに≫、木耳《きくらげ》・椎茸の類《たぐゐ》を入《いれる》者、有り、呼《よん》で、「𤎅鳥(いりとり)」と名《なづ》く。

 「本草≪綱目≫」に、所謂《いはゆ》る、『鯽《ふな》と芥菜《からしな》を同《おなじく》食へば、腫疾《しゆしつ》を成《しやう》ず』、『雞《にはとり》と生葱《なまのねぎ》を同《おなじく》食へば、蟲痔《ちゆうじ》と成《な》る』と云《いふ》[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。然《しか》れば、則《すなはち》、急に≪は≫、害、有らずと雖も、好んで、之れを食ふは、甚《はなはだ》、不可なり。

相傳《あひつた》ふ、「蕎麥《そば》と西瓜《すいか》と、同食すれば、煩悶して、多《おほく》、死に至る。」≪と≫。又、「鰻鱺《うなぎ》を醋《す》に浸《ひた》せば、乃《すなはち》、鰻鱺、腹≪の≫中に膨張す。」≪と≫。故《ゆゑ》、人をして煩悶せしむなり。蓋し、西瓜は、「水《すい》」[やぶちゃん注:五行の「水」であるので、音で読んだ。]に似て、速《すみや》かに、降《くだ》る。故《ゆゑ》、西瓜を先にし、蕎麥を後にする時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、害、無きか。今の人毎《ごと》に、鰻鱺に《✕→を》炙《あぶ》り[やぶちゃん注:一・二点はないが、脱落と断じて、返して訓読した。]、蓼醋(たです)を合《あはし》て、之≪れを≫食へども、亦、害、無し。≪但し、≫多《おほく》食へば、則《すなはち》、必《かならず》、人を損ず。死に至《いたる》者、之《これ》、有《あり》。

 

[やぶちゃん注:「牛・馬《むま》・羊・犬のごときは、本朝の人、食≪せ≫ず。」本邦では、永く、農耕に使うもの、家畜、及び、縄文以降、猟犬としていた犬(縄文人は亡くなった犬を丁重に埋葬している。これを最初に発見したのは、父が石器・土器研究を直接に指導して下さった考古学者酒詰仲男先生である。先生については、私のサイト「鬼火」のホームページに、『落葉籠――昭和22(1947)年群馬県多野郡神流川流域縄文遺跡調査行ドキュメント――日本考古学の「種蒔く人」酒詰仲男先生の思い出に藪野豊昭(画像附word文書 18MB)』があり、先生は、詩人でもあられ、同じ場所に『土岐仲男詩集「人」 附やぶちゃん注』もあるので、是非、読まれたい。)等は、基本、一般人の食の対象ではなかった(古代から野生の鹿・猪は普通に食された。また、武士が台頭してくると、彼らの間で「珍味」として好んで食われた事実はある)。特に仏教伝来以後、殺生戒によって忌避されるようになった。但し、江戸時代まで、「藥食ひ」と称して、一般庶民が獣肉を食うことがあったことは御存知であろう。ウィキの「日本の獣肉食の歴史」は、問題なく、細部も、よく書けている方なので、見られたい。なお、「馬《むま》」の訓は、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 野馬(やまむま) (モウコノウマ或いはウマ)」の読みを採った。

「鯉」私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の冒頭の「鯉」を見られたいが、これは、初版が二〇〇七年で、実は、二〇〇八年に馬渕浩司氏が、論文「mtDNA 解析により暴かれたコイ外来系統の隠れた大規模侵略」によって、日本在来コイと、大陸由来のコイがいることが明らかになった。詳しくは、「国立環境研究所」公式サイト内の馬渕先生の「DNAが語る日本のコイの物語 特集 日本の自然共生とグローバルな視点 【研究ノート】」を見られたい。

「野-雞(きじ)」中国と本邦では、種が異なる。「和漢三才圖會第四十二 原禽類 野鷄(きじ きぎす)」の私の冒頭注を参照されたい。

「沙餹」砂糖に同じ。

「鯽魚」「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「鯉」の次の「鮒 ふな」を見られたい。但し、フナ属の分類は非常に難しいことが知られており、そこでは、総てをリストしていないので、取り敢えず、ウィキの「フナ」をリンクさせておく。日中で同一種ではないかとされる種、日本固有種、及び、中国・日本には自然棲息はしない条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科コイ亜科フナ属ヨーロッパブナ Carassius carassius(但し、中国のフナ養殖では大半が本種である)がいる。

「鮎魚《なまづ》」「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚」の冒頭の「鮎 なまづ」、及び、以下に続く各種で、散々ぱら、問題にしたが、知られた「瓢鮎圖」で知られる通り、

中国では――「鮎」及び「鮧」は――ナマズ目ナマズ科 Siluridae のナマズを指す

のである。

「荊芥」「薑芥(きやうがい)」とも。中国の本草書「神農本草経」(「鼠實」)や東洋文庫訳の割注(「めづみ草」)によれば、シソ目シソ科イヌハッカ属ケイガイ Schizonepeta tenuifolia のこととなる。ウィキの「ケイガイ」によれば、『薬用植物』とし、『中国原産の草本で花期は初夏から夏』。『花穂は発汗、解熱、鎮痛、止血作用などがあり、日本薬局方に生薬「荊芥(ケイガイ)」として収録されている。荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)、十味敗毒湯(じゅうみはいどくとう)などの漢方方剤に配合される。「アリタソウ」という別名がある。ただし、本種はシソ科であり、アカザ科のアリタソウとは全く別の物である』とある。

「橘《いつ》」何度も注してきたが、「卷第八十七 山果類 橘」の注で言った通りで、「橘」は中古・近世までの中国では、双子葉植物綱ムクロジ(無患子)目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン亜連ミカン属 Citrus 、或いは、その上位のタクソンに含まれる、広義のミカン類を総称するものであって、特定種に限定することは出来ないのである。なお、これを和名の「たちばな」とやらかしたら、一発退場なのだ。ミカン属タチバナ(橘) Citrus tachibana日本固有種だからである。

「軟-棗」「卷第八十六 果部 五果類 棗」を見られたい。音の歴史的仮名遣では「カンサウ」ではあるが、如何にも佶屈聱牙なので、特異的に訓じた。

「木耳(きくらげ)」菌界担子菌門真正担子菌綱キクラゲ目キクラゲ科キクラゲ属キクラゲ Auricularia auricula-judae当該ウィキによれば、学名の『属名はラテン語の「耳介」に由来する。種小名は「ユダの耳」を意味し、ユダが首を吊ったニワトコ』(マツムシソウ目レンプクソウ科ニワトコ属セイヨウニワトコ Sambucus nigra であろう)『の木からこのキノコが生えたという伝承に基づく。英語でも同様に「ユダヤ人の耳」を意味するJew's earという。この伝承もあってヨーロッパではあまり食用にしていない』とある)。既に述べたが、種小名は差別学名の臭いが濃厚で、私は変更すべきものと考えている。

「芥子(からしのこ)」フウチョウソウ(風蝶草)目アブラナ目アブラナ科アブラナ属セイヨウカラシナ変種カラシナ Brassica juncea var. cernua であるが、この良安の「のこ」のは、思うに草体を乾して粉砕した「粉(こ)」の意であろうと思われる。

「緑豆(ぶんどう)」双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ササゲ属ヤエナリ Vigna radiata の種子の名である。「維基百科」の同種は「绿豆」である。要は、我々が食べている「もやし」の種だ! 注することが貧しいので、当該ウィキを引いてお茶を濁しておく(注記号はカットした)。『食品および食品原料として利用される。別名は青小豆(あおあずき)、八重生(やえなり)、文豆(ぶんどう)。英名から「ムング豆」とも呼ばれる。アズキ ( V. angularis ) とは同属。 グリーンピースは別属別種のエンドウ』(マメ亜科エンドウ属エンドウ Pisum sativum )『の種子』。『インド原産で、現在はおもに東アジアから南アジア、アフリカ、南アメリカ、オーストラリアで栽培されている。日本では』十七『世紀頃に栽培の記録がある』。これには、注釈があって、『一時』、『日本では縄文時代にすでに渡来していたといわれていたが、現在では』、『この時代の遺跡からの出土種子はアズキ』(マメ亜科ササゲ属アズキ変種アズキ Vigna angularis var. angularis )『の栽培化初期のものとみなされており、リョクトウの縄文時代栽培は否定されている』とあった)。『ヤエナリは一年生草本、葉は複葉で』三『枚の小葉からなる。花は淡黄色。自殖で結実し、さやは』五~十センチメートル、『黄褐色から黒色で、中に』十~十五個『の種子を持つ。種子は長さが』四~五ミリメートル、『幅が』三~四ミリメートル『の長球形で、一般には緑色であるが』、『黄色、褐色、黒いまだらなどの種類もある』。『日本においては、もやしの原料(種子)として利用されることがほとんどで』、『ほぼ全量を中国(内モンゴル)から輸入している』。『中国では、春雨の原料にする』『ほか、月餅などの甘い餡や、粥、天津煎餅のような料理の材料としても食べられる。北京独特の飲料としてリョクトウからデンプンを採る際の上澄みを原料に、これを発酵させた豆汁がある』。中国の『凉粉』(りょうふん:北京の夏のおやつで、緑豆で作った「ところてん」状のものを切って、その上に酢・ニンニク・ゴマのペースト・醬油などをまぶして食べるもの)『の原料にも使われる』。『朝鮮半島では』十六『世紀前半の』韓国最古の調理書「需雲雜方」に、『リョクトウのデンプンを水溶きして加熱し、これを孔をあけたヒョウタンの殻に入れて、孔から熱湯にたらし麺状にして水にさらす食品が記載されている』。一六七〇『年頃の』朝鮮時代の張桂香撰になる料理書「飮食知味方」『では、同様な製法で麻糸のようにした食品を匙麺(サミョン)として記している。また、伝統的にリョクトウデンプンはネンミョンのつなぎとして利用されていた。 咸鏡道ではリョクトウのデンプンのみを使った』「押しだし麺」『がある。中国と同様に餡にするほか、水に漬けた上ですり潰したものを生地としてチヂミの一種ピンデトッにしたり、デンプンを漉しとってムㇰという寄せものにする。リョクトウから作ったムㇰをノクトゥムㇰ(ノクトゥ=緑豆)と呼び、特にクチナシの実で着色したものをファンポムㇰ、着色しないものをチョンポムㇰと呼ぶ。なお、朝鮮語ではこのリョクトウにちなんで、デンプンのことを一般的に「ノンマル」(녹말=綠末、「緑豆粉末」の略)と呼ぶ』。『香港やシンガポール、ベトナムでは、甘く煮て汁粉の様なデザート(広東料理の糖水、ベトナムのチェーなど)にすることが多く、それを冷やし固めたようなアイスキャンディーもある。リョクトウの糖水を緑豆湯または緑豆沙、リョクトウのチェーをチェー・ダウ・サイン(Chè đậu xanh)と呼ぶ』。『緑豆糕(りょくとうこう)と呼ばれる、木型に入れて成形した菓子は、ベトナムのハイズオン』(ここ。グーグル・マップ・データ)『や中国の北京、桂林などの名物となっている』。『インドやネパール、アフガニスタン、パキスタンでは、去皮して二つに割ったリョクトウをダール(豆を煮たペースト)にする。リョクトウと米を炊きあわせた米料理(キチュリなど)は、南アジアから中央アジアにかけて広く食べられている。南インドでは、ドーサに似たクレープ状の軽食ペサラットゥ』『が作られる』。『また、漢方薬のひとつとして、解熱、解毒、消炎作用があるとされる』。『リョクトウには、血糖値の上昇を抑制する効果のあるα-グルコシダーゼ阻害作用がある』とある。糖尿病歴十年になんなんとする私だから、せいぜい、「もやし」、食うかな。

「榧《かや》の子《みを》忌む。人≪を≫殺《ころす》」これは、「卷第八十八 夷果類 榧」にも記されてあるのだが、その時も調べたが、人を殺すまでの有毒性を持っているとする記載は何処にも見当たらなかった。しかし、例えば、貝原益軒の「養生訓」の「巻第一 總論 上」に、『○綠豆(ぶんどう)に榧子(かや)を食し合(あは)すれば人を殺す。』とあり、直ぐ後にも、『○和俗の云(いふ)、蕨粉(わらびこ)を餠とし、綠豆を「あん」にして食へば、人、殺す。』とあるので、よっぽど、「緑豆」には「食い合わせ」の最悪の限定反応性毒性があるものと考えられていたらしいなぁ……わけワカメだけど……。

「鯉--鮓《こひのすし》」これは、強い酢でシメたものである。以下、「鮓」は同じ。老婆心乍ら、ゆめゆめ、日本の寿司を想起されぬように。

「乾笋《めんま》」日中辞典で「干笋」を見て読み振った。所謂、「メンマ」は、ミャンマー(ビルマ)北部から中華人民共和国南部や台湾にかけて分布する単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科タケ連属マチク(麻竹)属マチクDendrocalamus latiflorus の筍(たけのこ)から作る。

「鱘魚《てふざめ》」東洋文庫訳では『かじき』とルビしてあるが、私は、完全な誤りであると断ずる。確かに、「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱘 かぢとをし)」では、目録のヘッドでは、『[ハシナガチョウザメ/カジキ]』とは、した。しかし、私は、

『「本草綱目」の著者李時珍は、殆んど海辺に出向いて、海洋性魚類の観察なんぞは、全くしていなんだぞ? しかも、カジキだぞ!?! 俺は海洋生物フリークだけど、カジキの魚体の生体さえ、見たこと、ないんだぞ? おかしかねえか!?! そもそも、中国の圧倒的立地性は内陸なんだ! こいつは、海性魚類じゃねえんじゃないか? そもそも、この巻は「無鱗魚」だぞ? ヘンだべ!!!――鱗あるけど、ないようにも見える淡水魚!――いるぞ! いるぞッツ!――チョウザメだよ!

と気づいたのだ!

以下、私が、そちらの注で述べた決定打を引く。

   *

これについては、本ページを読まれた「釜石キャビア株式会社」というところで、チョウザメに係わるお仕事に従事しておられるY氏から、二〇〇八年六月六日、この「かじとうし」の絵は、長江に生息するハシナガチョウザメであると考えらるというメールを頂戴した(リンク先は私のブログ記事)。以下に、メール本文の一部を引用する。 

   ◇〔引用開始〕

「かじとうし」の絵、長江に生息します、ハシナガチョウザメと考えられます。チョウザメの仲間の中では特異な姿をしており、口に歯がはえております(チョウザメ類には歯が無い)。現在、長江でも絶滅したと考えられ、わずかな尾数を中国政府が保護飼育しております。添付図は中国のハシナガチョウザメの切手でございます。

China23

   ◇〔引用終了〕

私は本ページで「鱣」・「鱘」・「鮪」にチョウザメの影を感じてきてはいたのであったが、メールを頂いた当初は、これは良安がオリジナルに描いたのだから、幾ら何でも当然、海産のスズキ目メカジキ科 Xiphiidae 及びマカジキ科 Istiophoridae の二科に属する魚(カジキマグロとは通称で正式和名ではない)の絵であるだろうと思っていたのだが、そのように言われて、よく見ると、これは時珍の「本草綱目」の「鱘魚」の叙述に従って、頬に星の模様まで入れて描いた想像図、カジキの実見描画ではなかったのである。これは、もう、間違いなく、Y氏の指摘された、英名“ Chinese swordfish ”、硬骨魚綱条鰭亜綱軟質区チョウザメ目ヘラチョウザメ科ハシナガチョウザメ属の異形種であるハシナガチョウザメ(古くはシナヘラチョウザメと呼称した) Psephurus gladius の叙述と考えてよい。Y氏から提供して戴いた中国切手の画像も以下に示す。まさにチョウ! 極似じゃないか!

私は、何時か、このY氏を釜石に訪ねし、親しくお逢いしたく思っていた。しかし、二〇一一年の大震災で被災され、ネットで調べても、「釜石キャビア株式会社」はサイトがなくなっていた。痛恨の極みであった。どこかで、再起され、チョウザメを飼育されておられることを心から祈っている……。

   *

この経験は、当時の私にとって、最大の自信となったのだ。実際、私の以上の記載は、後に、さる学術論文に引用されたのである。私がデジタル・クリエーターとしての本当の一歩は、芥川龍之介ではなく、この引用だったのだと、今、思い至ったのであった。

「莧-菜(ひゆ≪な≫)」既注だが再掲すると、「莧」の音は「カン」。これは、

双子葉植物綱ナデシコ目ヒユ科 Amaranthaceae 、及び、その近縁種の総称

である。食用になる。中でもよく知られるものに、私の家の庭にもある、

ナデシコ目スベリヒユ科スベリヒユ属スベリヒユ Portulaca oleracea

がある。夏に全草を採って根を除き、水洗いして日干し乾燥したものは生薬になり、馬歯莧(ばしけん)と称されている。民間薬として、解熱・解毒・利尿や、虫刺されに効用があるとされる。

「楊梅(やまもゝのみ)」「卷第八十七 山果類 楊梅」を見よ。

「豆-藿(まめのは)」この熟語は広く、「豆の葉」の意の他に、「藿」が「藿香」(カッコウ)というシソ科の多年草を基原とする漢方の意味がある。後者は既に「藥品(1)」で詳注してあるが、「豆」と頭につけているので、後者とはうまく合わないから、前者の「食用とするマメ科の葉」の一般通称と採ってよい。

「慈姑(くわい)」これは、一言では言えない。良安が具体な植物体を致命的に同定誤認しているからである。「卷第九十一 水果類 慈姑」の迂遠な私の注を見られたい。

「茱萸(ぐみ)」これも、ちと、厄介。バラ目グミ科グミ属 Elaeagnus のグミ類ではないからである。「第八十九 味果類 蜀椒」の「茱萸《しゆゆ》」の私の注を、必ず、見られたい。

「河豚(ふくとう)」現代中国語ではイルカをも指すが、ここは、フグでよい。

「煤-炲(すす)」中国語で、「煤」(すす)、「煙の中に含まれる黒い微粒子」の意。

「荊芥」「薑芥(きやうがい)」とも。中国の本草書「神農本草経」(「鼠實」)や東洋文庫訳の割注(「めづみ草」)によれば、シソ目シソ科イヌハッカ属ケイガイ Schizonepeta tenuifolia のこととなる。ウィキの「ケイガイ」によれば、『薬用植物』とし、『中国原産の草本で花期は初夏から夏』。『花穂は発汗、解熱、鎮痛、止血作用などがあり、日本薬局方に生薬「荊芥(ケイガイ)」として収録されている。荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)、十味敗毒湯(じゅうみはいどくとう)などの漢方方剤に配合される。

「防風」セリ目セリ科ボウフウ属ボウフウ Saposhnikovia divaricata の根及び根茎を乾燥させた生薬名。但し、本種は中国原産で本邦には自生はしない。

「烏頭」「烏頭」は猛毒で知られるモクレン亜綱キンポウゲ(金鳳花)目キンポウゲ科トリカブト(鳥兜・草鳥頭)属 Aconitum を指す。種にもよるが、致命的な毒性を持ち、狩猟や薬用に利用されてきた歴史がある。

「附子」何度も注しているが、再掲する。「鳥頭」(うず)と同義。トリカブト(モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum )のトリカブト類の若い根。猛毒であるが、殺虫・鎮痛・麻酔などの薬用に用いられる。「そううず」「いぶす」とも言う。

『「本草≪綱目≫」に、所謂《いはゆ》る、『鯽《ふな》と芥菜《からしな》を同《おなじく》食へば、腫疾《しゆしつ》を成《しやう》ず』、『雞《にはとり》と生葱《なまのねぎ》を同《おなじく》食へば、蟲痔《ちゆうじ》と成《な》る』と云《いふ》』前者は、「維基文庫」の「菜之一」の「芥」の項の「莖葉」の「【氣味】」の最後に、『思邈曰:同兔肉食,成惡邪病。同鯽魚食,發水腫。』とあり、後者は、「維基文庫」の「禽部」の「禽之二」の冒頭の「雞」の「諸雞肉氣味食忌」の最後に、『弘景曰︰小兒五歲以下食雞生蛔蟲。雞肉不可合葫蒜、芥、李食,不可合犬肝、犬腎食,並令人泄痢。同兔食成痢,同魚汁食成心瘕,同鯉魚食成癰癤,同獺肉食成遁尸,同生蔥食成蟲痔,同糯米食生蛔蟲。』とあるのが、それである。]

2025/12/01

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(13) 服藥食忌

[やぶちゃん注:以下、早稲田大学図書館「古典総合データベース」で見て貰うと判る通り、原本標題の割注は一字空白で、本文は、最後の一行を除いて、第一部が二段、第二段が四段体裁で、その間が有意に空いて下方の一部は横に並べてあるのであるが、無駄に空けると、ブラウザの不具合が生じるので、実際には、内容は続いていることからも一字空けとし、訓読では引き上げて、独立の一文とした。

 本篇は、特定の服薬をするに際し、患者が食べてはいけない禁忌となる食物を記したものである。]

 

  服藥食忌【如羊犬狸𮌇者本朝人嘗不食故忌之藥省不記之】

[やぶちゃん注:「羊」は「グリフウィキ」のこの異体字の、上部が「ハ」の字形のものだが、表示出来ないので、通用字を用いた。「𮌇」は「肉」の異体字。]

有白朮蒼朮 勿食桃李雀𮌇胡荽大蒜青魚鮓等物

[やぶちゃん注:実は、原本では「白蒼木」となっているのだが、これは、以上の通り、「白朮蒼朮」の誤りである。恐らく良安の誤りではなく、版元の誤刻である。特異的に訂した。

有荊芥   勿食河豚及一切無鱗魚蟹

有天門冬紫蘓丹砂龍骨 忌鯉魚

[やぶちゃん注:「蘓」の字は「グリフウィキ」のこの異体字であるが、表示出来ないので、通用字を用いた。同じく、「鯉」の(へん)の「魚」が「𩵋」であるが、表示出来ないので通用字を用いた。]

有黃連桔梗鳥梅胡黃連 忌猪𮌇

有土荻苓威靈仙 忌麪及茶

有茯苓茯神丹參 忌醋及一切酸

有地黃何首烏 忌蘿蔔葱


有常山 勿食生葱生菜

有甘草 勿食菘菜海藻

有巴豆 勿食野猪𮌇

有半夏菖蒲 勿食飴糖

有牡丹 勿食蒜胡荽

有厚朴蓖麻 勿食炒豆

有當歸 勿食濕麪

有薄荷 勿食鼈𮌇

有鼈甲 勿食莧菜

有檳榔 勿食橙橘

 凡服藥不可多食生蒜胡菜生葱諸果油膩物

 

   *

 

  服藥《ふくやく》≪の≫食忌《しよくき》【羊・犬・狸≪の≫𮌇ごときは、本朝《ほんてう》の人、嘗(もとよ)り、食はず。故《ゆゑ》、之を忌《い》む藥は、省(はぶ)きて。之を記《しる》さず。】

白朮《びやくじゆつ》・蒼朮《さうじゆつ》、有らば、桃李《たうり》・雀≪の≫𮌇・胡荽《こずい》・大蒜《おほひる》・青魚《さば》≪の≫鮓《すし》等の物を食ふ勿《なか》れ。

荊芥《けいがい》、有らば、河豚《ふぐ》、及《および》、一切≪の≫無鱗魚・蟹《かに》を食ふ勿れ。

天門冬《てんもんどう》・紫蘓《しそ》・丹砂《たんしや》・龍骨《りゆうこつ》、有らば、 鯉魚《こい》を忌《い》む。

黃連《わうれん》・桔梗《ききやう》・烏梅《うばい》・胡黃連《こわうれん》、有らば、 猪《ゐのしし》の𮌇を忌む。

土茯苓《どぶくりやう》・威靈仙《いれいせん》、有らば、麪《めん》、及≪び≫、茶を忌む。

茯苓・茯神《ぶくじん》・丹參《たんじん》、有らば、醋《す》、及《および》、一切の酸《さん》を忌む。

地黃《ぢわう》・何首烏《かしゆう》、有らば、蘿蔔《すずしろ/だいこん》・葱《ひともじ/ねぎ》を忌む。


常山《じやうざん》、有らば、生葱《なまねぎ》・生菜《なまな》を食ふ勿れ。

甘草《かんざう》、有らば、菘菜・海藻を食ふ勿れ。

巴豆《はづ》、有らば、野-猪(ゐのしゝ)の𮌇を食ふ勿れ。

半夏《はんげ》・菖蒲《しやうぶ》、有らば、飴-糖(あめ)を食ふ勿れ。

牡丹、有らば、蒜《にんいく》・胡荽《こずい》を食ふ勿れ。

厚朴《こうぼく》・蓖麻(たうごま)、有れば、炒豆《いりまめ》を食ふ勿れ。

當歸《たうき》、有れば、濕《しめ》≪れる≫麪《めん》を食ふ勿れ。

薄荷《はつか》、有れば、鼈-𮌇(すつぽんの《にく》)を食ふ勿れ。

鼈甲《べつかう》、有れば、莧-菜(ひゆ)を食ふ勿れ。

檳榔《びんらう》、有れば、橙(だいだい)・橘(みかん)を食ふ勿れ。

 凡《およそ》、服藥≪せる時は≫、生蒜《なまにんいく》・胡菜《こさい》・生葱《なまねぎ》・諸果・油膩物(あぶらけ《もの》)を多食《おほくくら》ふべからず。

 

[やぶちゃん注:「白朮」キク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica 、或いは、オオバオケラ Atractylodes ovataの根茎を基原植物とし、一般には、健胃・利尿効果があるとされるが、実際には、これらの根茎を、作用させる異なる器官(無論、漢方の)の疾患に、臨機応変に用いているようである。

「蒼朮」「日本漢方生薬製剤協会」の「ソウジュツ (蒼朮)」に、基原は、中国産のホソバオケラ Atractylodes lancea 、又は、それらの雑種 (キク科 Compositae) の根茎で、健胃消化薬・止瀉整腸薬・利尿薬・鎮暈薬・滋養強壮保健薬・鎮痛薬と見做される処方、及び、その他の処方に、比較的、高頻度で配合されている、とあった。

「桃李」良安は「和漢三才圖會卷第八十六 果部 五果類 李」で文末に出る「桃李」に「ツハイモモ」とルビを振っている。双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ亜科モモ属モモ変種(突然変異)ズバイモモ Amygdalus persica var. nectarina で、ネクタリンの標準和名であり、日中共通である。

「胡荽」「卷第八十四 灌木類 牡荊」の「胡妥子《こすいし》」を見られたい。これは「本草綱目」でもこの漢字になっているが、これは、原書自体の誤りで「胡荽子(コスイシ)」が正しい。今や、食材・香辛料として英語の「コリアンダー」(corianderですっかりメジャーになった、セリ目セリ科コエンドロ属コエンドロ Coriandrum sativum の成熟果実である。「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 胡荽子(コズイシ)」に拠れば、『『嘉祐本草』には全草の薬効として「穀物を消化し、五臓を治し、不足を補い、大小腸を利し、小腹の気を通じ、四肢の熱を抜き、頭痛を止め、痧疹(発疹の類)を療ず。豌豆瘡の出ぬものは酒にして飲めばたちどころに出る。心竅に通ずるものだ。久しく食すれば人をして多くを忘れさす」と記載されています。『本草綱目』では果実、すなわち胡荽子の薬効として「痘疹を発し、魚腥を殺す」と記載されています。実際、胡荽子は健胃、発表薬として消化不良、麻疹が発透せず不快なときなどに用いるようです。また歯痛には煎じ液で含嗽したり、痔瘡脱肛には焼いて患部を燻すとされています。』と薬効を記す。

「大蒜」ニンニク。

「青魚」本邦では単に「さば」と呼ぶ場合は、スズキ目サバ科サバサバ亜科属マサバ Scomber japonicus、或いは、サバ属ゴマサバ Scomber australasicus を指す。私の「大和本草卷之十三 魚之下 鯖(さば)」を見られたい。

「荊芥」「薑芥(きやうがい)」とも。中国の本草書「神農本草経」(「鼠實」)や東洋文庫訳の割注(「めづみ草」)によれば、シソ目シソ科イヌハッカ属ケイガイ Schizonepeta tenuifolia のこととなる。ウィキの「ケイガイ」によれば、『薬用植物』とし、『中国原産の草本で花期は初夏から夏』。『花穂は発汗、解熱、鎮痛、止血作用などがあり、日本薬局方に生薬「荊芥(ケイガイ)」として収録されている。荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)、十味敗毒湯(じゅうみはいどくとう)などの漢方方剤に配合される。「アリタソウ」という別名がある。ただし、本種はシソ科であり、アカザ科のアリタソウとは全く別の物である』とある。

「天門冬」「藥品(11) 製法毋輕忽」の「「天≪門冬《てんもんどう》≫」の私の注を見られたい。

「紫蘓《しそ》」シソ目シソ科シソ属エゴマ(荏胡麻)変種シソ Perilla frutescens var. crispa サイト「脂育研究所」の「しそが漢方に用いられる理由。どんな漢方に配合されているかを解説」に拠れば、『漢方での生薬名は、「蘇葉(そよう)」、もしくは「紫蘇葉(しそよう)」です。また、しその種を用いた生薬を「紫蘇子(しそし)」といいます』とし、『蘇葉、または紫蘇葉、紫蘇子には、発汗作用や解熱作用、胃液の分泌を良くして胃腸の働きを整える作用、魚介類による食中毒時の解毒・予防などが期待されています』。『そのため、風邪の症状や胃腸の不調などの症状に良いとされる漢方薬に広く用いられています』とあった。

「丹砂」「辰砂」「朱砂」に同じ。水銀と硫黄とからなる鉱物。深紅色又は褐赤色で、塊状・粒状で産出する。水銀製造の原料、また、赤色顔料の主要材料とされる。漢方では、消炎・鎮静薬などに用いる。

「龍骨」「藥品(1)」の、私の「死龍骨」の注を見られたい。

「鯉魚」私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の冒頭の「鯉」を見られたい。

「黃連」キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica の髭根を殆んど除いた根茎を乾燥させたもの。

「桔梗」「きちかう(きちこう)」とも読む。ここは生薬名で「桔梗根」とも称する。キク目キキョウ科キキョウ属キキョウ Platycodon grandiflorus の根でサポニン(saponin)を多く含み、去痰・鎮咳・鎮痛・鎮静・解熱作用があるとされる。

「烏梅」これは、梅の木ではなく、梅の実を加工した漢方生薬名である。「卷第八十六 果部 五果類 梅」の私の注を見られたい。

「胡黃連」高山性多年草の、シソ目ゴマノハグサ科コオウレン属コオウレン Picrorhiza kurrooa(ヒマラヤ西部からカシミールに分布)及びPicrorhiza scrophulariiflora(ネパール・チベット・雲南省・四川省に分布)の根茎を乾かしたもの。古代インドからの生薬で、健胃・解熱薬として用い、正倉院の薬物中にも見いだされる。根茎に苦味があり、配糖体ピクロリジン(picrorhizin)を含むものの、薬理効果は不明である。なお、「黃連」があるが、これは小型の多年生草本である、キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica 及び同属のトウオウレン Coptis chinensisCoptis deltoidea の根茎を乾燥させたもので、全く異なるものである

「猪」私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 野豬(ゐのしし) (イノシシ)」を見られたい。

「土茯苓」中国南部・台湾に自生する多年生草本である単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ科シオデ属ドブクリョウ(土茯苓) Smilax glabra 。但し、その塊茎を乾したものを基原とする漢方生薬は「山帰来」(さんきらい)と言う。私の「譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(21)」の「山歸來」の注を見よ。

「威靈仙」「藥品(3) 名義」の私の「威靈仙《イレイセン》」の注を見られたい。

「茯苓」「卷第八十五 目録(寓木類・苞木(竹之類)・樹竹之用)・茯苓」を見よ。

「茯神」同前を見よ。

「丹參」「藥品(5) 相反」の私の「五參」の注を見よ。

「地黃」先の「藥品(10) 忌銅鐵」で既出既注。

「何首烏」既出だが、再掲する。基原は、タデ目タデ科ツルドクダミ(蕺・蕺草・蕺菜)属ツルドクダミ Reynoutria multiflora の根である。詳しくは、先行する「藥品(4) 有南北土地之異」の「夜合草《よるあひぐさ》」の私の注を見られたい。

「常山」「藥品(3) 名義」で既出既注。

「甘草」既注だが、再掲する。マメ目マメ科マメ亜科カンゾウ属 Glycyrrhiza当該ウィキによれば、『漢方薬に広範囲にわたって用いられる生薬であり、日本国内で発売されている漢方薬の約』七『割に用いられている』とある。

「菘菜」東洋文庫では、『とうな』とルビする。実は、「卷第八十四 灌木類 南天燭」(2024年9月8日公開)の注では、未詳としていたのだが、そこで候補として掲げた種が、誤っていたので、全面削除し、先ほど、新たに調べ、書き変えた。「漢字ペディア」の「菘」に、『すずな。カブ(蕪)の古名。春の七草の一つ。 とうな(唐菜)。野菜の名。つけな。』とあった。さても、この場合は、植物体ではなく、禁忌食品と採れるので、の義を採用する。

「巴豆」「卷第八十三 喬木類 巴豆」の私の注を見られたい。

「半夏」単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク(烏柄杓)Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「菖蒲」「藥品(8) 忌鐵」を見られたい。

「飴-糖(あめ)」飴。

「牡丹」中国の花の王、ユキノシタ目ボタン科ボタン属ボタン Paeonia suffruticosa 。基原は同種の根皮で、漢方では「牡丹皮」(ボタンピ)と称する。後の「第九十三」で注することになるので、ここでは、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 牡丹皮(ボタンピ)」をリンクするに留める。

「厚朴」」「卷第八十三 喬木類 厚朴」を見よ。

「蓖麻(たうごま)」トウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ(唐胡麻)Ricinus communis 。詳しくは、「卷第八十三 喬木類 相思子」の私の注を参照されたい。

「當歸」知られた生薬名。基原は、被子植物門双子葉植物綱セリ目セリ科シシウド属トウキ Angelica acutiloba の根、或いは、ホッカイトウキ Angelica acutiloba var. sugiyamae の根を、通例では、湯通しし、乾燥したものである。

「薄荷」シソ目シソ科ハッカ属 Mentha の類。種は多い。当該ウィキ「ミント」を見られたい。

「鼈」私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」の「鼈(すつほん) かはかめ [シナスッポン/ニホンスッポン]」を見られたい。

「鼈甲」「藥品(5) 藥七情」の「龜甲」の私の注の引用の中で、明らかにされている。

「莧-菜(ひゆ)」「莧」の音は「カン」。これは、

双子葉植物綱ナデシコ目ヒユ科 Amaranthaceae 、及び、その近縁種の総称

である。食用になる。中でもよく知られるものに、私の家の庭にもある、

ナデシコ目スベリヒユ科スベリヒユ属スベリヒユ Portulaca oleracea

がある。夏に全草を採って根を除き、水洗いして日干し乾燥したものは生薬になり、馬歯莧(ばしけん)と称されている。民間薬として、解熱・解毒・利尿や、虫刺されに効用があるとされる。

「檳榔」「卷第八十八 夷果類 檳榔子」を参照されたい。]

昨日のこと

昨日は、教師として最初に担任した高校生たちの同窓会に出席した。懐かしい元生徒たちと逢い、楽しい時間を持てた。一日中、パソコンと睨めっこで、言葉もろくに発しない、逆行性健忘症気味だが、嘗ての若い面影が、誰からも蘇えってきて、かなり、テンションが上がった。

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