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2025/12/20

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「神隱《かみかくし》」

[やぶちゃん注:底本はここ。やや長いので、段落を成形し、句読点・記号を補塡した。]

 

 「神隱」 安倍郡《あべのこほり》府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、

『今は昔、駿府御城內に「神隱し」と云《いふ》事ありて、自然に、人の見えざる事[やぶちゃん注:何らの理由や原因なしに、人が行方知らずになること。]、有り。

 何《いつ》の頃にや有《あり》けん、岩手伊左衞門某《なにがし》と申《まうす》人、駿城《すんじやう》に、在番《ざいばん》有りしに、其家士《かし》に浪足金六郞《なみあしきんごらう》と云《いふ》者、あり。生得《しやうとく》、儀《ぎ》なる人[やぶちゃん注:実直な人。]にて、能《よく》勤《つとめ》ければ、岩手氏も、甚《はなはだ》、寵愛されにけり。

 然《しか》るに、此金六郞、

「聊《いささか》、風邪に犯《おかさ》れたり。」

迚《とて》、一兩日、臥居《ふしゐ》たりけるが、一夜《ひとよ》、以《もつて》の外《ほか》、苦《くるし》みければ、朋友等《ら》、夫々《それぞれ》に心付《こころづけ》て、樣々《さまざま》に介抱しければ、惱亂《なうらん》、漸々《やうやう》靜《しづま》りけり。

 附添《つきそひ》し人々、

「今は、心安し。」

とて、各《おのおの》、其傍《そのかたはら》に轉《まろ》び宛《つつ》、宵《よひ》よりの勞《いたはり》に、前後も知らず、臥居《ふしゐ》たり。

 時に、金六郞、起上《おきあが》り、枕元に掛置《かけおき》し己《おのれ》が刀《かたな》を拔き持《もち》て、裏の方《かた》へ出《いで》けり。

 附添し人々は、一寢入《ひとねいり》して、目を覺《さま》し、あたりを見れば、金六郞が刀の、鞘《さや》のみ、貽《のこ》り有《あり》て、金六郞は居《をら》ざりけり。

「こは、いかに。」

と怖《おそれ》て、家內《かない》[やぶちゃん注:家人の者ら。]を起《おこ》し、如々《しかじか》の由を告げ、挑灯《ちやうちん》・松明《たいまつ》にて、尋《たづね》ける。

 時しも、八月下旬にて、庭に茂りし一村《ひとむら》の薄《すすき》の中《なか》に立居《たちゐ》たり。

 見附《みつけ》し者共、聲、掛け、

「金六郞は、爰《ここ》に居《をり》たるぞ。」

と云ふ。

 人々、悅び、駈付《かけつき》しを、薄の中より、走り出《いで》、向《むか》ふ者を、二、三人、數か所に、創《きず》を負《おは》せければ、恐《おそれ》て、近付《ちかづく》者もなく、只《ただ》、遠卷《とほまき》にして見居《みをり》たるに、不思議哉《や》、金六郞、鳥《とり》の如くに、舞上《まひあが》り、虛空《こくう》をさして、翔《かけ》り行く。

 並居《なみをり》し人々、膽《きも》を消《け》し、

「あれよ、あれよ、」

と云《いふ》內《うち》に、土居《どゐ》[やぶちゃん注:高級な武家屋敷の防御目的の相応の高さの土塁を指す。]より、高く、舞上《まひあが》り、龍爪山《りゆうさうざん》に飛行けり。是天狗の業成りとぞ。

 其後、菅沼圖書《すがぬまづしよ》某《なにかし》の家士芦原源藏《あしはらげんざう》某《なにがし》と云《いふ》者、神隱しにあひて、見えざりけるが、謂《いはれ》、有りて、其譯《そのわけ》、立《たち》がたし。終《つゐ》に、菅沼家、斷絕す。

 亦、其後《そののち》、御定番《ごじやうばん》金田遠江守某、中間《ちゆうげん》源藏と云《いふ》者、神隱しにて、行衞《ゆくゑ》、知れず。

 亦、其後、御城代《ごじやうだい》杉浦出雲守某、中間金六と云《いふ》者、神隱しにあひけり。

「金六・源藏と名乘る者、四人迄、神隱しにあひけるも、不思議成《なり》し事。」

と、府中吳服町《ごふくちやう》の肴屋太兵衞《さかなやたへゑ》と云《いふ》者、語りし也《なり》。

 

[やぶちゃん注:家士は、主家によりけりであるが、プレッシャーは相対的に大きい。実直にしてよく勤ていたとあり、主人も重用していたからには、精神的には、逆に、かなり気配りを過剰に行っていたものと推察出来る。こうした、生まれつき、神経質な人物は、往々にして、生得的に癲癇気質を持っていたり、ストレスが限界を超えると、他虐的な統合失調症状に至ることは、まま、ある。一番、典型的なのは、菅沼図書某の家士である芦原源蔵某のケースで、「謂、有りて、其譯、立がたし。終に、菅沼家、斷絕す。」という部分で明白である。この主人菅沼図書某は、恐らく、城代等にも仕事や人格・素行に問題があると知られていた人物であったものと思われ、されば、家士の理由不明の失踪が、主人の扱いに耐え切れずに出奔したものと城代が判断したからこそ、相応の主人側の不埒な家士の扱いが悪しき「謂われ」こそが元凶であると断罪され、一家断絶となったと考えられるからである。後半に出る中間の場合は、もっと地位が低く、社会的安定性も極めてよくないことから、適当にこなすズル賢い知恵がない、却って真っ正直な者に限って、上手く立ち回ることが出来ず、情緒不安定に陥る可能性は、いや高くなる。これは、私が電子化注してきた有象無象の江戸の市井談集や怪奇談集の登場人物に、しばしば、半グレその者のような輩が、結構、見られ、その反対の実直な誠実な中間も、これまた、相応に、いるからである。

「龍爪山」複数回既出既注。ここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「府中吳服町」現在の静岡市葵区呉服町(ごふくちょう)。]

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