阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「淸水御櫓の奇」
[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を補塡した。]
「淸水御櫓《しみづおやぐら》の奇《き》」 安倍郡府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、
「今は昔、駿府御城內に淸水櫓と云《いふ》御櫓あり。此御櫓より、江尻・淸水の邊《あたり》、目の下に見ゆる故、『淸水櫓』と云《いふ》とかや。此御櫓、
『三重《さんじゆう》めの板敷《いたじき》を、釘を以《もつ》て張る時は、必《かならず》、破壞す。』
と云傳《いひつた》ふ。
故に、只、板を竝べ置く事とかや。
『然《しか》れ共《ども》、其事實を知る者、なし。』
と、在番の健士《けんし》大久保某《なにがし》の物語り也。云云。
[やぶちゃん注:「江尻・淸水」これは、櫓の上から見えるという以上、それぞれ、当時の「旧江尻城」及び「旧清水袋城」(単に「袋城」「清水城」とも呼称した)の旧跡周辺を指しているものと思われる。ここである(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキに拠れば、江尻城は、永禄一三(一五七〇)年に甲斐国の武田氏により築城されたが、『武田氏滅亡後は徳川氏の勢力下になり、徳川氏の庇護を受けた穴山勝千代(信治)が城代となるが、勝千代の夭折により』慶長六(一六〇一)年『に廃城になった』とあり、一方の清水(袋)城は、個人サイトと思われる「綺陽堂」の「袋城」のページに、「武田三代記」では、永禄一二(一五六九)年、本「駿國雜志」『では』同一三年『に、武田信玄の下命で馬場美濃守信春が縄張り・築城したとされる』とし、『武田氏が滅亡すると、駿河の武田水軍は徳川氏に継承されたが、袋城の詳しい扱いについては定かでない。ただし、城自体はその後も存続していたようで、慶長』一九(一六一四)年『に駿府城の大御所となっていた徳川家康の命によって廃城となった。城跡は堀を埋めて清水の町場とされ、今日に至っている』とあった。
「健士」ここは、特に武勇に優れた武士の意。]
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