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2025/12/22

甲子夜話卷之八 32 大番頭水野山城守の事

8―32 大番頭水野山城守の事

 

 享保中、番頭(ばんがしら)勤めし水野山城守、初(はじめ)は十兵衞と呼(よび)しが、今に人口に膾炙する一代の偉人なり。

 若き時、いまだ、寄合(よりあひ)にて在(あり)し頃、徒士(かち)なども、大男を擇(えら)び、召(めし)つれて、道の眞中(まなか)を通りけるに、小身(しやうしん)の御旗本衆(おはたもとしゆ)、侍に草履取(ざうりとり)計(ばかり)の行粧(かうさう)にて來りしが、これも同(おなじ)く道の眞中を通りて避(さけ)ず。

 既に口論に及ばんとせしが、とかくして、濟(すみ)ぬ。

 後に城州(じやうしう)、兩番頭(りやうばんがしら)となりしとき、その人、組の番士たりしが、

「勇氣あり。」

とて、城州、目を掛(かけ)し、となり。

 又、惇廟(じゆんびやう)[やぶちゃん注:徳川家重のこと。]、御多病(ごたびやう)により、

「御運動(おんうんどう)の爲め、亂舞(らんぶ/らつぷ)の御相手なるべき人を、擇(えらめ)る。」とて、參政より、

「組の中に、亂舞、よくする人や、ある。」

と、尋(たづね)しかば、

「拙者組(せつしやぐみ)に、左樣の田分者(たはけもの)は、御坐なく候。」

と、答へし、となり。

 又、組より、進物番(しんもつやく)へ出役(しゆつえき)せしもの、何(なん)の時にや、席の疊目(たたみめ)を違(たが)へしことありて、とやかく、むづかしかりしを、城州、一向に聞入(ききい)れず。

「我等、見て居(をり)候が、疊目は、違(たがひ)申さず。」

と、云張(いひはり)て、その者の不調法(ぶちやうはう)に、せず。

 扨(さて)、後(のち)、その者を呼びて、

「頃日(けいじつ)[やぶちゃん注:近頃。]のことは、いかにも、疊目、違ひたり。然(しか)れども、『武士を、疊目の違ひたるなど、云(いふ)ことにて、恥かゝすることや、あるべき。』と、我等、御役(おやく)に替(かへ)ても、云張(いひはり)たり。倂(しかし)、もし、事に臨(のぞみ)たるとき、一足(ひとあし)も、引(ひか)ば、それは、許しは、いたさぬぞ。」

と戒(いましめ)し、となり。

 其(その)風采(ふうさい)、おのづから、上にも聞(きこえ)し及(およ)ばせ玉(たま)ひしや、大番頭(おほばんがしら)へ擢(ぬきんで)られしとき、上意(じやうい)を蒙(かうむ)ると、平伏して、暫(しばらく)、頭(かしら)を揚(あげ)ず。

 やうやうに、御次(おんつぎ)へ退(の)きし跡(あと)に、落淚の痕(あと)、席に殘りしを、德廟[やぶちゃん注:徳川吉宗。]、御覽ありて、御小姓衆(こしやうしゆ)に指(ゆび)さしたまひ、

「あれ見よ、鬼(おに)の淚は、これぞ。」

と、仰(おほせ)ありし、となり。

 其後(そののち)、何事か、殿中にて、老職衆(らうしよくしゆ)、

「面談する。」

とて、城州を呼(よば)れけるとき、同朋頭(どうぼうがしら)、申傳(まうしつた)へしに、城州、徐々(ゆるゆる)と、步み來(きた)る。

 同朋頭、

「早く、步み玉へ。某殿(なにがしどの)、待居(まちゐ)られ候に。」

と、云へば、大番頭は、

「左樣に、かけ𢌞(まは)るものにては、無し。」

と云(いひ)て、自若(じじやく)たりし、となり。

 又、淸水殿【俊德院殿。[やぶちゃん注:徳川家重の次男で、後の清水徳川家初代当主なった徳川重好。]】、幼稺(えうち)のとき、御表(おんおもて)の席々へ、遊びながら、出玉)いでたま)ふこと、あるに、其席にあるもの、樣子を見繕(みつくろ)ひ、皆、逃(のが)るゝことなりしに、一日(いちじつ)、「菊の間」に、城州、ありしとき、淸水殿參られしが、付添(つきそひ)たる小納戶衆(こなんどしゆ)、城州を見て、

「早く、にげたまへ。」

と云(いひ)ければ、城州、何(なに)しらぬ顏(がほ)にて、

「番頭は、にげるもので、なし。」

と云(いひ)て、堅坐(けんざ)して、動かざりし、となり。

 

■やぶちゃんの呟き

「水野山城守」水野忠英である。個人ブログらしき「寛政譜書継御用出役相勤申候」の「水野 6700石(元高6000石)」のページに、『甲子夜話(1)147頁』(=本文)『に出ている水野山城守はこの人の祖父(忠英『寛政譜』(6)117頁)。道を譲る譲らないで自分に盾突いた相手を見どころありと抜擢する話。その相手の旗本は、『耳袋』(岩波文庫版)上巻243頁で瀬名伝右衛門と知れる。』とあった。この話、実は、私の二〇一〇年四月九日に公開した「耳囊 卷之二 瀨名傳右衞門御役に成候に付咄しの事」がそのものであり、その注で、既に考証してあるので、見られたい(古過ぎて、すっかり忘れていた。トホホ……)。

「亂舞」この場合は、能楽で、演技の間に行う速度の速い舞。また、能のこと。「らっぷ」とも言う。

「疊目」「疊の目」とも言い、これは、「畳の敷き方」を指す。そこには、祝儀・不祝儀に扱われる複雑な禁則規定が存在する。幾つかのサイトを見たが、この本文の書き方では、どのような誤りがあったのかが、判然としないので、具体的な問題個所は、よく判らない。目から鱗の解説に遂に行き至らなかった。取り敢えず、「さわはた畳屋」公式サイトのブログの「畳の敷き方にも基本的なルールがあります。こっちの畳とあっちの畳を入れ替えてみたいけどできるの?」で、何となく、私は理解し得たと感じた。本文の謂いを、より、ズバリと解き明かしているところがあるのであれば、御教授下されると、幸いである。

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