阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「瘧神人と婬」【R指定】
[やぶちゃん注:底本はここから。非常に長いので、段落を成形し、句読点・記号を補塡した。而して、語注は、殆んどを割注化した。
なお、底本の本篇では、セクシャルな部分が「△」で多量に伏字となっていて、全く以って正常に読むことが出来ない。しかし、別底本(写本)に拠る「近世民間異聞怪談集成」では、それらが、総て活字化されていることから、それを参考にして、恣意的に正字化して、復元した。その部分は太字とした。]
「瘧神《おこりがみ》人《ひと》と婬《いん す》」 安倍郡府中に有り。「駿府雜談」云《いはく》、
『今は昔、一歲《ひととせ》、駿府の町々、瘧病《おこりやまひ》、大《おほい》に流行して、武家・商家、共に、人、多く、死す。
此時、
「『吉屋傳治郞家』と門に張置《はりお》く時は、其家に、病者、なし。」
とて、戶每《とごと》に、此名を、はりけり。
其由來を尋《たづぬ》るに、此《この》「傳治郞」と云《いふ》は、府中吳服町の住《ぢゆう》なるが、極《きはめ》て、家、富《とみ》、豐成《ゆたかなり》ければ、常に、二丁町に徃(ゆき)て、倡女《しやうぢよ》[やぶちゃん注:遊女。妓女。]、あまた、揚《あげ》て、樂《たのし》みけり。
或夜《あるよ》、例の如く、行《ゆき》けるに、傳治郞が思ひ人、「春風《はるかぜ》」と云《いふ》姚女《えうぢよ》[やぶちゃん注:見目よい女。]、瘧り有りければ、傳治郞、心、樂まず、
「今宵《こよい》は、敏《と》く[やぶちゃん注:早く。]、歸るべし。」
とて、まだ、夜深《よふか》きに、歸りける。
路の傍《かたはら》に、麗《うるは》し氣成《げなる》る女《をんな》の、只一人《ただひとり》、彳(たたずみ)たり。
傳治郞、心の內に、
『定《さだめて》、戀故《ゆゑ》に、人待居《ひとまちを》るにや、其樣《そのさま》を見ばや。』
と、側《かたはら》に近寄り、星の光に、すかし見れば、其艷顏《えんがん》、譬《たと》ふるに物なく、窈窕《えうてう》たるが[やぶちゃん注:美しく淑やかな、上品で奥ゆかしいさまで。]、
「さめざめ」
と泣居《なきゐ》たり。
傳治郞、不思議に思ひ、其旨《そのむね》を問へば、彼女《かのをんな》申やう、
「某《それがし》は、當國島田の者なるが、故在《ゆゑあ》りて、住事《すむこと》[やぶちゃん注:「近世民間異聞怪談集成」(別写本底本)では『往事』とある。私は、本書の「住」の方が、すんなり受け取れる。]、叶はず、府中の驛へと志し、夫婦諸共《めうともろとも》來りしに、昨日《きのふ》、此安倍川の邊りにて、吾夫《あがをつと》、俄《にはか》に心變りして、我《あ》を捨《すて》て、江戶に徃《ゆき》ぬ。
『吾も共に徃かん。』
と云へば、
『此府《このふ》は、江戶にも增《まさ》る繁花《はんくわ》なり。爰《ここ》に、止《とま》りて、我《われ》が登《のぼ》るを、待て。』
と別れしより、『獨り、府中に至らん。』と思へ共《ども》、行《ゆく》べき道を、知らず。詮方なくて、此處《ここ》に侍《さぶら》ふ。」[やぶちゃん注:「島田」現在の静岡市島田市。静岡県の中部で、大井川の両岸に当たる。]
と云。
傳治郞、哀《あはれ》に思ひ、
「某《それがし》こそ、府中の者にて候へ、伴ひ申《まう》さん。」
と云《いふ》に、彼女《かのをんな》、悅び、莞爾(かんじ)としたる[やぶちゃん注:「につこりとした」。]形容《けいよう》、亦、類《たぐ》ひなき美人成しかば、頻《しきり》に、心、動き、女の手を取《とり》て、道ならぬ事抔《など》、口說《くどき》ける。女、いと恥かし氣《げ》にて、兔角《とかく》の答《こたへ》もなく、差《さし》うつ向《むき》て居《をり》たる。折節、往來の人も、なし。
『能き𨻶《ひま》也《なり》。』
と寄添《よりそ》ふに、流石《さすが》、岩木《いはき》にあらざれば、終《つひ》に、傳治郞が心に隨《したがひ》けり。[やぶちゃん注:この伝次郎の「能き𨻶也」とは、まず、「心の隙(すき)。それから生ずる態度・体勢の油断。」が第一義であり、さらに進んで、「事を行なう時期。行動をするのに都合のよい時。機会。」、即ち、その第一義の「信頼」を逆手にし、上手く懐柔して、手籠めにしようという好色性を大いに含んだものであることは言うまでも、ない。]
夜もいたく更《ふけ》ぬれば、
「いざ。伴ひ行《ゆか》ん。」
と、すゝむるに、
「昨日よりの勞《いたはり》にて、一足《ひとあし》も步み難し。」
と云《いふ》にぞ、詮方なく、傳治郞が、脊《せ》に負《おひ》て往く事、一町《いちちやう》[やぶちゃん注:百九メートル。]計り、時しも、秋の星月夜、忽《たちまち》、やみと成り、頻《しきり》に、雨、降り、雷電、轟《どどろ》き渡《わたり》て、耳を響《ひびか》し、目を駭《おどろか》す。
不思議や、今迄は、木《こ》の葉の如く輕かりし女《をんな》の、大盤石《だいばんじやく》よりも重く成り、傳治郞が背を押碎《おしくだ》くばかり也。
振返《ふりかへ》りて、女を見れば、艷《えん》なりし形《かたち》は、鬼と變じ、額《ひたひ》に雙《ふたつ》の角《つの》を生じ、
「はた」
と白眼《にらみ》し、其形容、怖《おそろし》し共云計《ともいふばか》りなし。
傳治郞、少しも、是に、恐怖せず、
「汝《なんぢ》、樣々に形を變じて、吾を駭す。察する處、古狐《ふるぎつね》の誑《たぶらかす》、と覺《おぼえ》たり。背に負《おひ》しぞ、幸《さひはひ》なれ、〆殺(しめころ)さん。」
と云儘《いふまま》に、力の限り、引《ひき》しむる。其時、彼女《かのをんな》、云《いふ》やう、
「汝、怪しむ事なかれ。吾《われ》は是《これ》、疫癘《えきれい》の司神《つかさがみ》也。それ、疫神《えきじん/やくがみ》と云《いふ》は、陽神《やうじん》は熱を司《つかさど》り、陰神《いんじん》は瘧《おこり》を司《つかさど》れり。吾夫婦《わがめをと》、久敷《ひさしく》、島田の驛に在《あり》て、數多《あまた》の人を腦[やぶちゃん注:ママ。「近世民間異聞怪談集成」でも同じであるので、原本の「惱」の誤記と思われる。]《なやま》せしに、有驗《うげん》の髙僧・神主《かんぬし》等、大法・祕法を行《おこなひ》て住所《すみどころ》を追ふ故に、住事《すむこと》、叶《かな》はず、爰《ここ》に來りしに、陽神は、昨日《きのう》の暮、旅人に附《つき》て、東方《とうはう》に往《ゆき》ぬ。一定《いちぢやう》、江戸は、熱病、流行《はや》るべし。吾は、此府中に止《とどま》りて、瘧を流行《はやら》せ、萬民を苦しません。去《さり》ながら、吾、汝に伴《ともなは》れて、是迄、來《きた》るの恩のみに非ず。亦、先《さき》の妹背《いもせ》の契《ちぎり》、有り。旁《ひとへに》深き由緣《ゆえん》あれば、汝が家には瘧疾《ぎやくしつ》を除くべし。少《すこし》も疑事《うたがふこと》、勿《なか》れ。」[やぶちゃん注:「妹背の契、有り」の台詞は、「この世と冥界の絶対的隔たりはあるが、親しい男女の関係を受け入れて、心から謂い交わした約束は、確かなことであり、人と冥界を問わず守る」という時空を超えた約束を、永劫、守る、という彼女の決意を示したものである。しかも、直後で「旁深き由緣あれば」を添えることで、「この契りは、幽冥の隔てを越えて、定まった必定であることを確かに誓約するものである」ということを断言するものであって、本邦に限らぬ幽冥怪奇談の異類冥婚の話の中でも、そうそう見ないガッチりとした台詞である、と言ってよいように思われる。]
と云《いふ》かと思へば、傳治郞が足、地を離れ、空中に舞上《まひあが》り、彼《かの》鬼女《きぢよ》、背中を拔け出《いで》、行衞《ゆくゑ》も知《しら》ず成《なり》にけり。
傳治郞は、
「どふ」
と落《おち》、現心《うつつごころ》もなかりしが、夜明《よあけ》て、心附《こころづき》、邊《あた》りを見れば、吾家《わがや》の庭內《にはうち》に落居《おちゐ》たり。
傳治郞、深く此事を愼《つつしみ》て、口外《こうがい》せざりければ、誰《たれ》知る人もなかりしに、其後《そののち》、傳治郞、春風が許《もと》に行《ゆき》たりしに、折節《をりふし》、瘧を煩《わづらひ》て臥居《ふしゐ》たり。
春風、心淋《こころさび》しき折《おり》にて、
「是非に。今宵は、泊るべし。」
と進むるにぞ、側《そば》に附添《つきそ》ひ、介抱するに、例の時[やぶちゃん注:瘧の劇熱症症状の発現を指す。]、至り、惡寒《おかん》、甚しく、身体《しんたい》、大《おほき》に震ひ出《いで》て後《のち》、熱氣、盛んに成《なり》ける時、春風、
「むく」
と起上《おきあが》り、傳治郞が手を、取《とり》て云《いひ》けるは、
「堵《さて》も。不思議の緣《えにし》にて、すぎし夜《よ》の妹背事《いもせごと》[やぶちゃん注:伝次郎との情事。]、忘《わすれ》やらず、『何とぞ、今一度《いまひとたび》、逢見《あひみ》る事も。』と、朝夕《あさゆふ》、願《ねがひ》しが、此春風は、御身《おんみ》の心を慰めて、常に添寢《そひね》の中《なか》[やぶちゃん注:「仲」と]也と仄聞《そくぶん》たる故《ゆゑ》[やぶちゃん注:噂で聴いておりましたから。]、皮肉の內に分入《わけいり》て、執着を晴《はら》すべし[やぶちゃん注:かなり捩じれた評言で]と思附《おもひつき》たる甲斐、有りて、今の逢瀨《あふせ》の嬉しさよ。吾夫《わざをつと》は、江戶に下りて、獨り寢の、只《ただ》さへ長き秋の夜《よ》を。」
と、傳治郞に抱附く。
[やぶちゃん注:この台詞は、非常に凝った構造を持っているので、細心の注意が必要である。これは、一見、春風の語りのように見せかけつつ、実は、瘧神の女の語りへと、漸次、中間部で台詞が、二者の混淆が生じ、異様なメタモルフォーゼしているものなのである。そのコペルニクス的転回点のポイントは、「此春風は」である。これは、春風自身の一人称の言葉では――ない――のである! 既にして――女瘧神の言う三人称としての「この恨めしき春風は」という嫉視を強く含んだそれ――なのである。この台詞を、現代語訳してみよう。
*
「さても⋯⋯不思議な縁(えにし)にて⋯⋯かの過ぎ去った⋯⋯あの夜(よる)の⋯⋯情事が⋯⋯忘れられぬ!⋯⋯『どうか、何卒(なにとぞ)、今、一たび、逢い見ること、ありかし!⋯⋯』と、朝夕、願いておりましたが⋯⋯この「春風」という女は⋯⋯『あなたさまの、み心を慰めて、添い寝する、しっぽりとした仲の女だ。』と、世間で噂されていることを、ちらと、聴いてしまったから⋯⋯この憎(にっ)くき遊び女(め)の皮肉の間(あいだ)に分け入って⋯⋯やすやすと潜り込み⋯⋯妾(わらわ)の⋯⋯あなたさまへの⋯⋯こんな女とは違って⋯⋯はるかに強い私の愛着(あいじゃく)を晴らさんと思いついたのです⋯⋯その甲斐が、見事に成就致しました!⋯⋯今、私(わたくし)とあなたさまとの逢う瀬を得た嬉しさよ!⋯⋯私の夫は江戸に下って、私は、ただでさえ、独り寝をかこっておりましたのです! この長い秋の夜を!⋯⋯」
*
である。而して、もう、多くの方は判っておられるであろうから、謂わずもがなではあるのだが、まず、これは――知られた「源氏物語」の第九帖「葵」で、源氏が、葵の見舞いに来た折り、病床で語る葵の上の言葉が、実は御息所の物の怪の語りであったという戦慄のクライマックスのシークエンスを見事にインスパイアにしたものに他ならない――と断定してよいのである。]
始《はじめ》の程は、
『熱に犯されて、根なし事、口走るか。』
と思《おもひ》しが、聞每《きくごと》に、心に覺《おぼえ》の有《あり》けるにぞ、何と答るよしも無く、物をも、いはで、居《をり》たりしが、
『所詮《しよせん》、彼《かれ》が心に、まかせ、飽迄《あくまで》交合《まじはり》せば、執着《しうぢやく》も、晴《はれ》ぬべし。』
と、一決《いつけつ》し、夜半《やはん》の下紐《したひも》、解け合《あひ》けり。
然《しか》るに、此傳治郞、精水不漏《せいすいふろう》の術《じゆつ》を得たりければ、終夜、交《まぢは》れ共《ども》、冐子《ぼうし》、凋事《おとろふこと》、なかりけり。
[やぶちゃん注:「精水不漏の術」射精を、自身の意志でしないようにする閨房術。「冐子」見かけない熟語であるが、「冐」には「露わにする・曝け出す」の意があるので、「子」は「精子」を指し、エレクトを持続しつつ、しかも射精をせずに持続することを指しているものと読める。]
病者、悅び、うなれ[やぶちゃん注:「唸れ」。]共《ども》、熱の强《つよき》にや、とて、更に疑ふ者《こと》なし。[やぶちゃん注:「者」には、特定の事柄を指す「こと」の意がある。]後には、疫神も弱り果て、
「免《ゆる》せ、免せ。」
と、わぶるにぞ、傳治郞、漸《やうや》く、手を放《はな》ち、別れ別《わまれ》に成《なり》ける。
春風、目を覺《さま》し、元の正氣《しやうき》に立歸《たちかへ》り、
「さても。怖敷《おそろしき》夢を、見たり。」
とて、白湯《さゆ》など呑《のむ》に、傳治郞、
「瘧は、必《かならず》、落《おち》たれば、心安し。跡《あと》の療養こそ、肝要なれ。」
と云《いふ》に、春風、其謂《そおいはれ》を、問ふ。
傳治郞、白地《あからさま》にも云兼《いひかね》て、
「家《いへ》の祕法にて、發熱して前後を知《しら》ざる時、咒《まじなひ》を、なしたれば。」
とぞ、答《こたへ》ける。
果して、瘧は落《おち》たり。
是より、婦人の瘧を煩ふ者、賴《たのみ》ければ、四方に屛風《びやうぶ》を立廻《たてめぐら》させ、人の出入を禁じて、此《この》傳《でん》を行ひけり。
男子には、吾《わが》家札《いへふだ》を張らせけるに、皆、落《おち》けり。
此年《このとし》、江戶には、熱病、大《おほい》に流行し、人、多く、死《しに》ける。
故有《ゆゑあり》て、深川の水屋淸七と云《いふ》者に、疫神、
「恩を請《うけ》たり。」
とて、彼《かの》名札《なふだ》を張置《はりお》く家には、疫癘《えきれい》[やぶちゃん注:流行性の質(たち)の悪い病気。「疫病」に同じ。]なかりし、とぞ。
彼《かの》鬼女《きぢよ》の云《いひ》ぬる事、符節《ふせつ》を合せたるが如し。[やぶちゃん注:「符節を合せたるが如し」「割符(わりふ)を合わせたように、必ず、見事に実現した。」の意。]
「美男子には非ざれ共《ども》、疫病神に迄《まで》、戀慕《こひした》はれしは、此《この》傳治郞成《なり》。」
とて、自讃しての物語り也、云云《うんぬん》。
[やぶちゃん注:「瘧神」「瘧」は、熱性マラリア(ドイツ語:Malaria/英語:malaria/語源は「悪い空気」を意味する古イタリア語の“mala aria”に基づく)のこと。マラリア原虫(真核生物ドメインアルベオラータ上門Alveolataアピコンプレックス門 Apicomplexa無コノイド綱 Aconoidasida住血胞子虫目 Haemosporidaプラスモジウム科 Plasmodiidaeプラスモジウム属 Plasmodium )(約二百種)のうち、少なくとも、十種がヒトに感染する。ハマダラカ(羽斑蚊・翅斑蚊=双翅(ハエ)目カ(長角・糸角)亜目カ下目カ上科カ科ハマダラカ亜科 Anophelini 族ハマダラカ属 Anopheles 。約四百六十種が知られている内、凡そ百種がヒトにマラリアを媒介させることが可能とされる)の♀が媒介するマラリア原虫が病原体であり、原虫の違いにより「熱帯熱マラリア」(一般にマラリア原虫をヒトに媒介しているのは、そのうちの三十 から四十種とされ、ハマダラカで最も知られている種は、マラリア原虫の中でも、最も悪性である熱帯熱マラリア原虫( Plasmodium falciparum )を媒介するガンビエハマダラカ( Anopheles gambiae )である。)・「三日熱マラリア」・「四日熱マラリア」・「卵形マラリア」・「サルマラリア」の五種類に大別される。当該ウィキの「日本」から、まず、引く。『1903年(明治36年)時には全国で年間20万人の土着マラリア患者があったが、その後は急速に減少し、1920年(大正9年)には9万人、1935年(昭和10年)には5,000人に激減している。第二次世界大戦中・戦後に復員者による一時的急増があったが、減少傾向は続き、1959年に滋賀県彦根市の事例を最後に土着マラリア患者は消滅した』。『しかし、『現在も海外から帰国した人が感染した例(いわゆる輸入感染症)が年間100例以上ある。また、熱帯熱マラリアが増加傾向にある。現在第4類感染症に指定されており、診断した医師は7日以内に保健所に届け出る必要がある』。『日本もマラリア対策に協力しており、その一つに伝統的な蚊帳づくりがある』。以下、「日本におけるマラリア」の項。『日本では、1903年時に全国で年間20万人のマラリア患者があったが、1920年には9万人、1935年には5,000人へと激減し、戦中・戦後の混乱期にもかかわらず減少を続け、1959年に滋賀県彦根市の事例を最後に土着マラリア患者が消滅している』。『沖縄県ではアメリカ統治下の1962年に消滅した』。『日本の古文献では、しばしば瘧(おこり)・瘧病(おこりやまい/ぎゃくびょう)と称される疫病が登場するが、今日におけるマラリアであると考えられている。養老律令の医疾令では、典薬寮に瘧の薬を備えておく規定がある』。『『和名類聚抄』には別名として「和良波夜美(わらわやみ)」「衣夜美(えやみ)」が記載されている(アーサー・ウェイリー訳ではague「マラリア」と訳してある)。前者は童(子供)の病気、後者は疫病の意味であると考えられている。『源氏物語』の「若紫」の巻では光源氏が瘧を病んで加持(かじ)のために北山を訪れ、通りかかった家で密かに恋焦がれる藤壺(23歳)の面影を持つ少女(後の紫の上)を垣間見る設定になっている。『御堂関白記』『日本紀略』には東宮敦良親王が寛仁2年(1018年)8月に瘧病を病んだとの記述があり、天台座主慶円の加持を受けたことが分かる』。『中世日本においてマラリアはありふれた病気であり』、平清盛、『九条兼実、藤原定家、夢窓疎石といった人物が発病している他、『言継卿記』には』、『作者山科言継の妻、南向が病んだ「わらはやみ」について詳しい記録がある』。『近代以前には西日本の低湿地帯において流行がみられた。歌舞伎の『助六由縁江戸』の口上は「いかさまナァ、この五丁町へ脛を踏ん込む野郎めらは、おれが名を聞いておけ。まず第一、瘧が落ちる(熱病が治る)…」である。江戸時代の川柳の題材としてもしばしば用いられていた』。『20世紀に沈静化した』とする。最後に。私と同年で優れた社会科教師でもあった畏友永野広務は、二〇〇五年四月、草の根の識字運動の中、インドでマラリアに罹患し、斃れた(私のブログの追悼記事)。マラリアは今も、多くの地上の人々にとって脅威であることを、忘れてはならない。]
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