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2025/12/15

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その9) 【図版2】

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。画像は、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「印刷」で高解像度のものをダウンロードし、例によって、精密に汚損を清拭した。詳しい図版処理の仕儀は「(その8) 【図版1】」の冒頭注を参照されたい。]

 

【図版2】

 

Awabi2

 

■「串鮑《くしあはび》」

 「隱岐國《いきのくに》産」

 「表」       「裏」

[やぶちゃん注:上下二図。

「串鮑」「(その3)」で注済み。一応、竹製の串と採っておくが、描き方が簡易で、竹であると断定は出来ない。刺してある箇所は、口吻部である。隠岐では、現在も鮑は名産であり、クロアワビ・アワビ属メガイアワビ(雌貝鮑) Haliotis giganteaマダカアワビが採れるが、肉部を貫く串鮑に製していること(上質処理ではない)、形状が楕円形をしていることから、クロアワビか、メガイカワビであろうと思われる。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「クロアワビ」に拠れば、『「おんがい」』(「雄貝」の意)『と呼ばれるのはクロアワビで、殻はやや細く、水管の高まりが高く、足は緑灰色である。「めんがい」』(「雌貝」の意)『と呼ばれるのはメガイアワビで、殻は丸みが強く、水管の高まりが低く、足は灰色がかったクリーム色をしている。』とあるが、この下図からは、色では識別不能である。総合的に考えると、私は上質製品でないことから、メガイアワビとしたい感じはする。

 

■「古代放耳鮑(みヽはなれ《あはび》)」

[やぶちゃん注:原図を拡大してみて、ルビが判明した。図の白い周回から、所謂、外套膜の辺縁部(薄く絞(しぼ)状となっている箇所)を丁寧に切り取ったものと推定される。調べたところ、サイト「風俗博物館」の「御幸の演出」の「天皇の御膳」の『【四種の干物】』に(写真有り)、『右上・蒸し鮑、左上・鮭楚割、右下・雉脯、左下・干鯛。蒸し鮑は、鮑を蒸して干したもの。とくに耳を切った鮑の場合は「放耳鮑」とよぶ。楚割(すわやり)は鮭の肉を細く削って干したもので、ほかにも鮫やえいなどの楚割もあった。雉は鳥肉の代表格で、脯(ほじし)はその肉を干したもの。あとの干鯛も含めて、いずれも堅いものばかりで、実際にどのようにして食べたのであろうか』とあった。国立国会図書館デジタルコレクションで検索したが、八つ、掛かってきたものの、読みは、本書の、この図のキャプションのみにあった。なお、右上方に二本の桿状の突起のようなものが見られるが、これは、アワビの口吻部のすぐ下の左右にある鰓と思われる。なお、この鰓の直ぐ下方に肛門がある。アワビは前鰓類Prosobranchiaで、同類では、鰓が心臓よりも前にあり、肛門も前方に開くのである。

 

■「古代つヾきあハび」

[やぶちゃん注:「續き鮑」。四製品を頭部で紐で貫いたもの。左奥の二個体と、右手前の二個体は、向きが反対になっており、最も旨い部分をカバーする形になっている。]

 

■「明鮑」

 「上總國《かづさのくに》

  夷隅郡《いすみのこほり》

   久保村産」

        「側靣」

[やぶちゃん注:腹(腹足部底部)の図の下に、その図の右側面から描いた図がある。

「上總國夷隅郡久保村」旧安房郡千倉町(ちくらまち)久保、及び、丸山町久保で、現在は南房総市に合併した。前者南房総市千倉町久保」ここに残るが(東に接して「南房総市久保」も確認出来る)、後者は地名としてはないものの、「丸山」を名乗る諸施設が、ここに散在し、そこを貫通する川の名「丸山川」が確認出来る。「丸山」の地名は、「ひなたGPS」の戦前の地図でも、確認出来ない。現在の南房総で採取されているものは、クロアワビ・マダカアワビ・メカイアワビ、及び、トコブシであるが、ここは最上品を示す「明鮑」とするので、クロアワビとしておく。

 

■「虫入鮑」

[やぶちゃん注:読み不詳。国立国会図書館デジタルコレクションでも、新字・旧字ともに全く掛かってこない。このような文字列にすること自体が、製品としては印象が悪いから、不審である。思うに、これは「蒸し入れ鮑」で、蒸した鮑の謂いであろう。或いは、漁師や加工業者が「蒸」という漢字を嫌って(個人的に私はこの「蒸」という漢字はバランスが悪く、上手く書けない――特に下部の「烝」が生理的に嫌いである――ので、厭な感じである)簡単に書ける「虫」にしたものかとも推察する。真っ黒けで、種は不詳。

 

■「ちきれ干鮑」

[やぶちゃん注:「ちきれ」は見た通り、「ちぎれ」で、「千切れた鮑」。或いは、製品としてあるわけだから、成品なら、高級のマダカアワビの大きな欠損品であろうと推定はする。]

 

■「北海道産の中形狀《ちゆうがたじやう》」

[やぶちゃん注:三方向からの三図。ひっくり返した腹(腹足部底部)の図の下に、右側に側面(右が頭部)、左側に後部を描いた図。「中形」であるから、エゾアワビの生体の若い個体だろう。]

 

■「陸奥國《むつのくに》

  東津輕郡《ひがしつがるのこほり》

  字鉄村産」

[やぶちゃん注:上部に縄が通してある。

「字鉄村」これは、「宇鉄村」の誤り。「コトバンク」の平凡社「日本歴史地名大系」の「宇鉄村」に、『青森県:東津軽郡』『三厩村』(みんやまむら)『宇鉄村』で、『現在地名』は『三厩村宇鉄』とし、『東は三厩村支村の中浜(なかはま)に接し、津軽半島の北端までの海岸沿いの地域。北東は津軽海峡に面し、西は中山(なかやま)山地で小泊(こどまり)村(現北津軽郡小泊村)に接する。浜名(はまな)村(現』・『今別町)の支村の六条間(ろくじようま)・藤島(ふじしま)・釜野沢(かまのさわ)・元宇鉄(もとうてつ)の小集落が海岸に沿って点在し、藩政期には』、『それぞれ』、『村とよばれた。明治一一年(一八七八)一括して宇鉄村となる』。『正保二年(一六四五)の津軽郡之絵図に村名はないが「うてつ崎」「うてつの間弁才三艘ほと掛間北風悪 但此間より松前江船路六里と申伝候」などとあり、遠見番所が描かれ、「狄村」ともある。貧しい漁村のみで、寛文一〇年(一六七〇)の松前への海上船道積(津軽一統志)に「うてつより七里」とあり、御領分狄の覚(同書)に「宇鉄村 四郎三郎」「宇鉄村 藤蔵」とあるが、検地帳や郷帳にはまったく現れない』とあった。ウィキの「宇鉄」に『(江戸時代末期)東津軽郡元宇鉄村、及び上宇鉄村。のち六条間村、藤島村、釜野沢村と合併し』、『宇鉄村。』とする。グーグル・マップで見ると、現行は、青森県東津軽郡外ヶ浜町(そとがまち)三厩上宇鉄(みんまやかみうてつ)があり、龍飛岬方向に接して、三厩宇鉄山(うてつやま)もある。調べたところ、エゾアワビである。また、ブログ「龍飛岬観光案内所 太宰治・棟方志功ゆかりの宿 龍飛館」の『「十三の洞門」物語』に拠れば、『上宇鉄(かみうてつ)~龍飛までの間に見られる洞門群』がり、『昭和4年の完成時には13あったものの現在は7つが姿を残しており』、『利用されているものに限れば4つのみとなっている』とされ、『大正時代。三厩(みんまや)漁港付近から龍飛までの約12kmにわたる区間には道路と呼べるようなものはなく、人々は海岸を通行しているようなものだった』。『特に上宇鉄(かみうてつ)地区から龍飛の区間は岩礁地帯が続いていたため、人々は岩から岩へ波間を縫って飛び歩いたり、崖浜をよじ登ったり、海中の洞穴をくぐったり、穴を開けた岩に挿した棒杭を渡る等、大変な危険を冒して通行する他無い状態だった』。『そのような状況に変化の兆しが見えたのは、大正末期』で、『宇鉄漁業協同組合の長・牧野逸蔵氏が「文化はまず道路から」の旗印の許、決然と立ち上がったのだ』とあり、続いて「宇鉄漁業組合の黄金時代」と標題されて、『旧宇鉄村は大正以前よりアワビが豊富に獲れ、「アワビの村」と呼ばれていた。古くは貝をヤスで突き刺す漁法だったが、明治二十年代頃からは潜水夫が潜って貝を獲る「潜水器漁法」を取り入れていた。この漁法により貝に傷をつけることがなくなったため、アワビはとても高値で売れるようになっていた。当時はアワビの収益金だけで村の行政費の23年分はあったと言われるほどで、県下有数の組合だったのだ』。「開削工事」の項。『牧野氏は、このアワビの収益金を以って、大正12』(一九二三)『年、難工事が予想される村内の悪路開削工事に着手した』。『開削工事は固い岩盤をダイナマイトで発破し、手掘りをする・・・という、想像を絶する過酷な作業だった。このような危険を伴う作業をひたすら繰り返し、昭和4年、約12kmの道路及び「十三の洞門」は無事に完成した。牧野氏を中心とする道づくりにかける者達の熱意によって、難工事を乗り越えたのだ。道路開通当日、地元の老婆達は余りの喜びに赤襦袢に下駄履きといういでたちで祝賀踊りに興じたという』。以下、『「アワビ道路」と「十三の洞門」のいま』の項。『先人達の献身的な努力により造られた道は「アワビ道路」と呼ばれるようになり、住民達の生活に大きな文明の光を運ぶこととなった。そして現在は国道339号に移行されている。また、歴史的に妙味を残す「十三の洞門」は、度重なる道路拡張工事により姿を変えていき、原形を残しているものはわずかとなっている。しかし、現存する洞門及び洞門跡には看板が掲げられ、当時の様子をうかがい知ることが出来る』(以下略)とある。写真もあり、先人の苦労を知る上でも、必見である。

 

■「羽前國《うぜんのくに》

  鮑海郡飛島《とびしま》産」

[やぶちゃん注:縦に二個体の図。非常によく似ている。

「鮑海郡」これは、「飽海郡(あくみのこほり)」の誤記。

「飛島」山形県酒田市に属する。現在の人口は二百七十五人。当該ウィキの「名産」に、『烏賊、サザエ、あわびを使った塩辛』とある。山形県農林水産部内の「おいしい山形推進機構事務局」の「おいしい山形」の「アワビ(一口あわび・庄内あわび)」の「丸のまま一口で、アワビを食べる贅沢」に、『庄内浜では、天然物と養殖物のアワビの両方が水揚げされるが、1987年に飛島で養殖された「一口あわび」が本県アワビ養殖の始まりだ。海がきれいなこと、波が穏やかで水温が低い点が適していたといわれている。一口あわびの正式名称はエゾアワビで、本来は大きくなるものだが、3cmほどのエゾアワビの稚貝を23年かけ、あえて小ぶりな6.5cmサイズに育て差別化していた。エサには、地元に自生する「もく」と呼ばれるアカモクなどの海藻に加え、昆布を与えることで美味しさが向上する』。『一口あわびは、何よりも丸ごと一個食べられるということがとても贅沢だ。バター焼きや酒蒸しなど、火を通すとさらに奥深い旨みが味わえる』。『 現在は、県の栽培漁業センターで育てられた一口サイズの「庄内あわび」とともに地元旅館の名物として重宝されているほか、沿岸北部の遊佐町でも養殖の取組みが進められている』とある。]

 

■「紀伊國《きいのくに》産」

  「よろしきもの。」

[やぶちゃん注:和歌山県沿岸で漁獲されるものは、クロアワビ・マダカアワビ・メカイアワビ、及び、トコブシであるが、県下全域で獲れるもので、敢えて「よろしきもの。」と言ったら、まず、マダカアワビとしてよいであろう。]

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