阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「燈明榎の怪」
[やぶちゃん注:底本はここ。やや長いので、段落を成形し、句読点・記号を補塡した。]
「燈明榎《とうみやうえのき》の怪《くわい》」 安倍郡府中御城に有り。「駿府雜談」云《いはく》、
『今は昔、駿府御城內東小屋に、「燈明榎」とて、大木、有り。木の廻《めぐ》り、十圍《とかかへ》計りにして、二本に成り、生茂《おひしげ》りけるが、如何《いかが》しけん、一木《いちぼく》は枯《かれ》にけり。
其木《そのき》、朽《くち》て、大成《おほきな》る虛《うつ》ろ、在り。
何《いつ》の頃にか有《あり》けん、一歲《ひととせ》、六、七月の間《あひだ》、此《この》虛穴《うつろ》より、夜々《よなよな》、金色《こんじき》の光、さし輝きけり。
皆人《みなひと》、怪《あやし》みしを、或《ある》者、見出《みいだ》してより、日每《ひごと》に、大勢、集り、數千《すせん》の玉蟲《たまむし》を取得《とりえ》たり。
是より、彼《かの》光明《こうみやう》は消失《きえうせ》たり。
それより、四、五日もすぎて、亦、光明を發する事、每夜也。
此度《このたび》は、玉蟲には非《あら》ずして、
「大《だい》の法師《ほふし》の黑染《くろぞめ》の衣《ころも》を着《き》、菅笠《すげがさ》を被《かぶ》りて、燈明の油《あぶら》を吸《すふ》。」
と、流說《りうせつ》するに、違《たが》はず。
宿老《しゆくらう》、評議して、
「御番衆《ごばんしゆ》織田某《なにがし》は、力量、衆《しゆ》に越え、心《こころ》、剛《かう》なれば。」
迚《とて》、
「變化退治《へんげたいぢ》の將《しやう》。」
と定む。
織田、悅び、
「生捕《いけどり》て、高名《かうみやう》せん。」
と、只一人《ただひとり》、東小屋《ひがしごや》に立向《たちむか》ひ、彼《かの》榎を見渡せば、聞《きき》しに違《たが》はず、光明を發し、大の法師、菅笠に顏《かほ》さし入《いれ》て彳《たたずみ》たり。
織田、
「つかつか」
と、側《かたはら》により、
「得たり。」
と、組付《くみつく》に、動かず、腰の太さ、手も廻《まは》らず。
組伏《くみふさ》んとするに、其强き事、譬《たちへ》るに、物、なし。
兼《かね》て用意の早繩《はやなは》を取り出《いだ》し、十重二十重《とへふたへ》に繩《くく》り付《つけ》、大音《だいおん》あげ、
「先祖平の忠盛、祇園行幸《ぎをんぎやうかう》の例《ためし》に倣《なら》ひ、燈明榎の大法師を、織田某《それがし》、生捕《いけどり》たり。」
と呼《よば》はれば、東小屋に有合《ありあふ》者共、
「劣《おと》らじ。」
と缺付《かけつき》て、前後左右より、取卷き、押せども、動かず。
人々、不審に思ひ、挑燈《てうちん》にて、すかし見れば、榎の切口《きりくち》に、下男《げなん》の麻看板《あさかんばん》を掛《かけ》たる也。
餘りの事に、興《きやう》、さめて、彼《かの》看板を取除《とりの》れば、土器《かはらけ》に、油《あぶら》、さし、燈《ともし》附《つけ》て、虛《うつろ》に入れ、雨よけに、上より、古菅笠《ふるすげがさ》を覆《おほひ》たり。此《この》麁服《そふく》は、風よけに張《はり》けるなりけん。
何者の仕業《しわざ》にや、知る者、更に、なかりき。
やがて、
「此度《このたび》の褒賞《はうしやう》。」
迚、彼《かの》菅笠を、織田に贈られしが、終《つひ》に、家《いへ》の重器《ぢゆうき》と成《なり》ける。
「其榎も、今に朽《くち》ずして、『燈明榎』と呼《よぶ》也。」
と、府中の道具屋惣兵衞と云《いふ》者の語りし也。云云《うんぬん》。
[やぶちゃん注:「榎」双子葉植物綱バラ目アサ科エノキ属エノキ Celtis sinensis 。小学館「日本大百科全書」に拠れば、『本州、四国、九州の低地に生え、朝鮮、中国南部、インドシナに分布する。名は』、『餌(えさ)の木の意味ではないか』、『といわれ、榎と書くのは、道端に茂って木陰をつくることから、夏の木の意味の』国字『である』とし、また、『植物学者前川文夫博士の説によれば、この木は古くは』、『神の木として信仰の対象にされ、神が降下するという長野県諏訪』『明神のタタイ木は、元来』、『エノキであり、その名はタタイノキ→タタエノキ→エノキと変化したとする。またかつては道路の一里塚や屋敷の北西に植えられたが、これらも神木であった名残(なごり)で、東京都板橋区本町にある「縁切榎(えんきりえのき)」もその変形とする。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に名がみえ、『万葉集』にも1首詠まれている。』とある。但し、諏訪神社の『タタイ木』というのは、現在の同神社が正式に認めている呼称ではない。
「玉蟲」鞘翅(コウチュウ・甲虫)目多食(カブトムシ)亜目Elateriformia下目タマムシ(玉虫)上科タマムシ科ルリタマムシ(瑠璃玉虫)属タマムシ Chrysochroa fulgidissima 。
「宿老」「宿德老成の人」の意。本来は「十分に経験を積んだ老人」を広く指す語であるが、そこから転じて、「古参の臣」や「家老」等の重職の地位に就く者の称となった。参照した当該ウィキに拠れば、『江戸時代では』、『幕府における老中や諸大名家に』於ける『家老を指す称として用いられた』とある。
「御番衆」「番」を編成して宿直警固に当たる者たちを指す。
「得たり」この場合は感動詞で、一般的に「と」を伴って用いる。小学館「日本国語大辞典」によれば、『物事が自分の思う通りにうまくいったと思われるときに発することば。しめた』! の意。
「早繩」小学館「日本国語大辞典」に、『人を捕えた時に手早く縛るようにたずさえている縄。捕縄(とりなわ)。』とある。
「麻看板」武家の中間(ちゅうげん)や小者(こもの)などが、お仕着せとして貰った麻製の短い衣類で、その背に主家の紋所などを染め出したもの。
「虛《うつろ》」「洞(ほら)」と同義で、老大木の根元や大木の朽木などにある、中のうつろな穴を言っている。
「麁服」粗末な衣服、布地の粗悪な服のこと。]
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