和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 目録・山草類 上卷・甘草
[やぶちゃん注:まず、「目録」。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の私と同じ画像で示すと、ここと、ここである。原本は三段で記載されてあるが、一段で示した。ルビは丸括弧で下に附した。歴史的仮名遣としておかしい箇所があるが、そのまま示した。ママ注記は附していない。また、下にある附記(別名・ポイント落ち)は【 】で普通のポイントで示した。なお、現在、一般に見知られていない植物名が多く出るが、ここでは、種同定はしない。既に、概ね、「藥品」パートの私の注で同定比定しているものではある。]
山草類
甘草(かんざう)
黃茋(わうぎ)
人參(にんじん)
尾人參(ひげにんじん)
和人參(わにんじん)
沙參(しやじん)
羊⻆菜(つるにんじん)【和沙參】
躍草(をどりぐさ)
薺苨(さいねい)
桔梗(ききやう)
長松(まつばぐさ)
黃精(わうせい)
萎甤(いずい)
[やぶちゃん注:「甤」原本は異体字で、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、かく、した。]
知母(ちも)
肉蓯蓉(にくじうよう)
草蓯蓉(さうじうやう)
鎻陽(さやう)
惠布里古(ゑぶりこ)
天麻(てんま)
蒼术(さうじゆつ)
[やぶちゃん注:「术」は「朮」の異体字。次も同じ。]
白术(びやくじゆつ)
狗脊(ぜんまい)
貫衆(やまぐさ)
巴戟天(はげぎてん)
觀音草(くわんおんさう)
遠志(をんじ)
淫羊藿(おんようくはく)
[やぶちゃん注:「羊」原本は異体字で、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、かく、した。]
仙茅(せんばう)
玄參(げんしん)
地榆(ちゆ)
丹參(たんざん)
[やぶちゃん注:「丹」原本は異体字で、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、かく、した。]
紫參(しじん)
王孫(ぬはりぐさ)
紫草(むらさき)
白頭翁(かくづをう)【をきな草】
山芹菜(くさぼたん)
伊波奈之(いばなし)
* * *
和漢三才圖會卷第九十二之本
攝陽 城醫法橋寺島良安尚順編
山草類上卷
かんざう 𮔉甘 𮔉草
美草 蕗草
甘草 靈通 國老
【其大美者
唐音 名粉草】
【和名阿末木】
本綱春生靑苗枝葉悉如槐髙五六尺伹葉端微尖而糙
濇似有白毛七月開紫花似柰冬結實作𧢲如相思⻆作
一本生至熟時𧢲折子扁如小豆極堅齒囓不破根長者
三四尺粗細不定皮赤色上有横梁梁下皆細根也以大
徑寸而結緊斷文者爲佳謂之粉草其輕虛細小者不及
之安南國甘草大者如柱土人以架屋不識果然否也
氣味【甘平氣薄味厚】 可升可降陰中陽也此草治七十二種
乳石毒解一千二百般草木毒調和衆藥有功故爲國
老經方少有不用者猶如香中有沉香也凡使須去頭
尾尖𠙚其頭尾吐人【苦參乾𣾰爲之使惡遠志反大戟芫花甘遂海藻】
生用則【氣平】補脾胃不足而大潟心火
炙用則【氣温】補三焦元氣而散表寒除邪熱去咽痛
凡甘草性能緩急而又協和諸藥使之不争故熱藥得
之緩其熱寒藥得之緩其寒寒熱相雜者用之得其平
凡中滿嘔吐酒客之病不可用甘草甘者令人中滿
△按甘草出於南京陝西河東山西者爲上皆稱之南京
甘草出於福州者細脆帶微苦味又細而如䅌者俗謂
之藁手又大者名粉草俗謂之鞭手
徃昔日本有甘草延喜式云陸奧出羽常陸毎年貢之
如今絶不出雖希有而細硬不佳
*
かんざう 𮔉甘《みつかん》 𮔉草《みつさう》
美草《びさう》 蕗草《ろさう》
甘草 靈通《れいつう》 國老《こくらう》
【其《その》大《おほき》く美なる者、
唐音 「粉草《ふんさう》」と名づく。】
【和名「阿末木《あまき》」。】
「本綱」に曰はく、『春、靑苗《せいびやう》を生ず。枝葉、悉《ことごと》く、槐(ゑえんじゆ)のごとく、髙《たかさ》、五、六尺。伹《ただし》、葉の端《はし》、微《やや》、尖《とが》りて、糙-濇(あらあら)しく、白毛《はくもう》、有るに似たり。
七月に紫≪の≫花を開く。柰《だい》[やぶちゃん注:広義のリンゴ=リンゴ属 Malus 。「卷第八十七 山果類 柰」の私の注の冒頭にある比定考証部を見よ。東洋文庫訳では割注で『セイヨウリンゴ』とするが、私は従えない。]に似て、冬、實を結び、𧢲《さや》[やぶちゃん注:この漢字は「角」の本字。篆文(てんぶん)にごく近い字体である。ここは「莢(さや)」の意である。]を作る。「相思《さうし/たうごま》」の⻆《さや》に《✕→の》ごとく、一本を作《な》して、生ず。熟する時に至《いたり》て、𧢲《さや》、折(くじ)け、子《み》、扁《ひら》たく、小豆《あずき》のごとし。極《きはめ》て堅《かたく》して、齒にて囓(か)むに、破れず。根、長き者、三、四尺。粗(ふと)・細(ほそ)、定まらず。皮、赤色。上に、横≪に≫梁(ふしくれ)、有り。梁《ふしくれ》の下。皆、細≪き≫根なり。以大《おほい》さ、徑《さしわた》し、寸[やぶちゃん注:三センチメートル。]にして、結緊《けつきん》・斷文《だんもん》の者[やぶちゃん注:「節くれが、堅く引き締まっているもの・切れ切れに紋様が続いて生じているもの」の意。]、佳《よし》と爲《なす》。之《これ》を「粉草《ふんさう》」と謂《いふ》。其《それ》、輕虛《けいきよ》・細小なる者、之《これ》に及ばず。安南國《アンナンこく》の甘草は、大なる者、柱《はしら》のごとし。土人、以て、屋に架(つく)りす。《→と雖も、》識らず。果《はた》して、然《しか》るや否や。』≪と≫。
『氣味【甘、平。氣、薄く、味、厚《あつ》し。】 升(のぼ)すべく、降《くだ》すべく、陰中《いんちゆう》の陽《やう》なり。此の草、七十二種の乳石《にゆうせき》[やぶちゃん注:これは、本間久英・中田正隆・新井利枝共同論文「薬石に関する資料」(『東京学芸大学紀要』第4部門(数学・自然科学)・巻四十八・一九九六年八月発行・「東京学芸大学リポジトリ」のここからダウンロード可能)を管見した限りでは、恐らくは、鍾乳石由来の薬、及び、諸石・鉱物由来の薬全般を指している語と推定された。]の毒を治し、一千二百般[やぶちゃん注:「種」に同じ。]の草木の毒を解して、衆藥《しゆやく》を調和するの功、有る故《ゆゑ》に、「國老」と爲《なす》。經《けい》[やぶちゃん注:中医学で「気血の通路」を指す。]≪の≫方《はう》で、用《もちひ》ざる者、有ること、少《すくな》し。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、香中《かうちゆう》に沉香《ぢんかう》有るがごとし。凡そ、使ふに、須《よろしく》、頭尾≪の≫尖《とがれる》𠙚《ところ》を去るべし。其《その》頭尾、人を吐《はか》す《✕→人をして吐かせしむ》。【「苦參《くじん》」・「乾𣾰《かんしつ》」、之れの使《し》と爲す。「遠志《をんじ》」を惡《にく》み、「大戟《たいげき》」・「芫花《げんくわ》」・「甘遂《かんすい》」・「海藻」に反《はん》す。】。』≪と≫。
『生《なま》にて用《もちふ》れば、則《すなはち》【氣、平。】、脾胃の不足を補《おぎなひ》て、大《おほき》に心火《しんくわ》[やぶちゃん注:五行思想で「心」は「火」に属す。]を潟《しや》す。』≪と≫。
『炙《あぶ》り用れば、則《すなはち》【氣、温。】、三焦の元氣を補ひて、表寒《へうかん》を散じ、邪熱を除《のぞ》き、咽《のど》の痛《いたみ》を去る。』≪と≫。『凡《およそ》、甘草の性《しやう》、能く、急《きふ》を緩(ゆる)め、而《しかして》又、諸藥を協和す。之をして、争(《あら》そ)はざらしむ。故《ゆゑ》、熱藥≪は≫、之を得《う》れば、其熱を緩《ゆる》くし[やぶちゃん注:原本では、この下に「ハ」とあるが、衍字か誤刻であろうと判断し、カットした。]、寒藥、之を得れば、其寒を緩くし、寒・熱、相《あひ》雜《まぢ》る者は、之を用《もちひ》て、其《その》平《へい》を得《う》。』≪と≫。
『凡《およそ》、中滿《ちゆうまん》[やぶちゃん注:「肥満」の意。]・嘔吐・酒客《しゆかく》[やぶちゃん注:酒飲み。酒精中毒者。]の病《やまひ》には、甘草を用ふべからず。甘《かん/あまき》は、人をして中滿ならしむ。』≪と≫。
△按ずるに、甘草、南京・陝西・河東・山西(《シヤン》スイ)[やぶちゃん注:「山西」は現在、拼音で“Shānxī” (shān xī)では、音写は「シャン・シー」となる。「スイ」というのは音写の一つとしておかしくはないと思われる。]より出《いづ》る者、上《じやう》と爲《なす》。皆、之『南京甘草』と稱す。福州(ホクチウ)[やぶちゃん注:閩東語で「福州」(Hók-ciŭ:音写「フッチュ」)であるから、その音写の一つとして違和感はない。]より出る者は、細《ほそ》≪く≫脆《もろ》く、微《やや》、苦味を帶《おび》て、又、細くして、䅌(むぎわら)のごとくなる者を、俗、之を、『藁手(わらで)』と謂《いふ》。又、大《だい》なる者を、俗、『粉草《ふんさう》』と名《なづ》く。俗、之を『鞭手(ぶちで)』[やぶちゃん注:「鞭」には「ぶち」の訓読みが存在する。大学生になった際に購入した「角川新版 古語辞典」(五十五版・昭和五〇(一九七五)年刊)に『「むち」の転。「―ばかり腰に差いておぢやる』〔狂・鞍馬婿〕」とある。通常は「鞍馬聟」であるが、制作年は未詳なものの、この用法を良安が用いてもおかしくないと私は判断する。]と謂ふ。
徃昔(いにしへ)は、日本に、甘草、有り。「延喜式」に云《いは》く、『陸奧・出羽・常陸、毎年、之を貢す』と。如今《ぢよこん》、絶《たえ》て、出《い》≪で≫ず。希(《ま》れ)に有ると雖も、細く、硬《かたく》佳《か》ならず。
[やぶちゃん注:私は、長い間、愚かにも、カンゾウは本邦にも自生すると思っていた。しかし、数年前、小学館「日本国語大辞典」の記載を見て、『中国に野生し、日本では、まれに栽培される』と知って、我の愚かさを知ったのであった。そこで、「甘草」に就いては、まず、ボリュームのある平凡社「世界大百科事典」を引くこととしよう。『カンゾウ(甘草)』『カンゾウ Glycyrrhiza uralensis Fisch.』は、『根や茎の基部が漢方薬で甘草と呼ばれ重用されるマメ科の多年草。カンゾウ属 Glycyrrhiza の2,3種が同じ用途に利用される。これらを英名でlicorice という。高さ数十cm,ときには1mになり,根茎は円柱状で,それにつづく主根は深く土中にのびる。直立する地上茎には白色の短毛や腺毛がある。葉は互生,奇数羽状複葉で4~8対の小葉がある。花は6~7月,腋生(えきせい)した花梗の先端に密集してつき淡紫色,1.5~2cmほど。豆果は長楕円形で鎌状に曲がり,長さ6~8cm,褐色のとげ状腺毛を密生する。種子は黒色で光沢がある。同属で,果実に腺毛のない G. glabra L.(中国名は洋甘草,欧甘草)や,G. kansuensis Chang et Peng(中国名は黄甘草)なども前種と同様に用いられる。カンゾウはシベリアから中国北部に,G. glabra はヨーロッパ南部からアフガニスタンに分布している。甘みはサポニン,グリチルリチン glycyrrhizin(ショ糖の150倍の甘みがある)やブドウ糖を含有していることによる。そのほかにフラボノイド flavonoid も含み,鎮咳(ちんがい),鎮痛や利尿作用がある。そのため風邪や咽喉の病気,さらに胃腸薬として用いられている。また漢方薬の甘味づけや錠剤の形成薬にも利用されている。日本ではしょうゆの甘味料として大量に消費され,また人工甘味料としての用途が広い』。『なお』、全く縁のない『カヤツリグサ科のカンエンガヤツリ[やぶちゃん注:単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ(蚊帳吊)科カンエンガヤツリ(灌園蚊帳吊)Cyperus exaltatus var. iwasakii 。]やユリ科のキスゲ類[やぶちゃん注:単子葉植物綱ユリ目ユリ科キジカクシ目ワスレグサ科ワスレグサ亜科ワスレグサ属 Hemerocallis の異名。]もそれぞれカンゾウ(莞草,萱草)と呼ばれる』とある。特に、後者のワスレグサ属を中国ではモロに「萱草屬(或いは「黃花菜屬」)とする(「維基百科」の当該属を見よ)ので、注意が必要である。)。
次いで、基原を示すと、「日本漢方生薬製剤協会」の「カンゾウ (甘草)」のページに拠ると、二種が掲げられている。
双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科カンゾウ属の
ウラルカンゾウ Glycyrrhiza uralensis (当該ウィキに拠れば、別名を「東北甘草」と呼び、)
スペインカンゾウ Glycyrrhiza glabra
の根、及び、ストロンを乾燥したもの、時には周皮を除いたもの
である。前者の、ウラルカンゾウは『草丈30~80cm,時には1mにも達する.葉は互生し,長さ8~24cm,奇数羽状複葉で小葉は5~17枚,倒卵形から楕円形.6~7月に葉腋の総状花序に淡紫色の花を多数密生する.莢果は常に湾曲し,鎌刀状或いは環状を呈し,密に腺毛で被われている.』とあり、後者、スペインカンゾウは『草丈60~90cm,葉は互生し,奇数羽状複葉で小葉は,9~17枚,楕円形~長楕円形,鈍頭,裏面は,小腺点を有し粘る.総状花序に淡青色の花を多数密生する.莢果はまっすぐ或いは微かに曲がり,無毛或いはまばらに柔毛がある.』とある(二種とも生体写真が有る)。
「産地」は『中国 (内蒙古自治区,甘粛省,陝西省,寧夏回族自治区,黒龍江省,吉林省,新彊ウイグル自治区等),アフガニスタン,オーストラリア,ロシア等』で、「生薬の性状」の項に、『本品はほぼ円柱形を呈し,径0.5~3cm,長さ1m以上に及ぶ.外面は暗褐色 ~ 赤褐色で縦じわがあり,しばしば皮目,小芽及び鱗片葉を付ける.周皮を除いたものは外面が淡黄色で繊維性である.横切面では,皮部と木部の境界がほぼ明らかで,放射状の構造を現し,しばしば放射状に裂け目がある.ストロンに基づくものでは髄を認めるが,根に基づくものではこれを認めない』。『本品は弱いにおいがあり,味は甘い』とし、『本品の横切片を鏡検するとき,黄褐色の多細胞層のコルク層と』、『その内側に1~3細胞層のコルク皮層がある.二次皮層には放射組織が師部と交互に放射状に配列し,師部』(植物の維管束の内、体内物質の移動の通路となり、また、機械組織・貯蔵組織ともなる部分を言う語)『には』、『厚壁で木化不十分な師部繊維群があり,その周囲に結晶細胞が認められる.周皮を除いたものでは』、『二次皮層の一部を欠くものがある.木部には黄色で巨大な道管の列と3~10細胞列の放射組織が交互に放射状に配列する.道管は結晶細胞で囲まれた木部繊維及び木部柔細胞を伴う.ストロンに基づくものでは』、『柔細胞性の髄がある.柔細胞は』、『でんぷん粒を含み,また,しばしばシュウ酸カルシウムの単晶を含む.縦切片の鏡検では,師部繊維又は木部繊維の周囲の結晶細胞は列をなす.』とある。この解説の下には、『東北甘草(2号)内蒙古自治区産』・『西北甘草(西正甘草・乙)内蒙古自治区産』のキャプションを持つ生薬製品の写真がある。以下、「成分」と本邦での「規格値」があるが、各自で見られたい。次に、「適用」として、『かぜ薬,解熱鎮痛消炎薬,鎮痛鎮痙薬,鎮咳去痰薬,健胃消化薬,止瀉整腸薬とみなされる処方に配合されている.』とあった。(最後に「配合される主な漢方処方」が列挙されるが、これも各自で見られたい)。
なお、ウィキの「ウラルカンゾウ」に拠れば、別名を「東北甘草」と呼び、『日本では主に中国から輸入しているが、中国政府は2000年ごろより土地の砂漠化を理由に甘草の輸出を制限するようになり、甘草の取り扱いを許可制とした。日本の漢方薬企業大手のツムラは、甘草の日本国内での大規模栽培を行い、中国産からの切り替えを始めている』。『また、日本の製薬企業によるオーストラリアでの本格的な栽培も行われている』。『日本国内でも栽培可能だが』、『ウラルカンゾウ・スペインカンゾウ』、『いずれも種子の発芽率はあまり良くない。発芽しても初期の成長がかなり遅い上に土壌の過湿に弱い。ストロン(走出茎)は数センチ毎に節があり芽が付いているのでストロンを切り離して植えつけたほうが成長が早い。ストロンは地中で株元から伸び始めた当初は表面が白いが時間の経過と共に茶色くなって木の枝のような色になる。ハーブや生薬として利用する時は乾燥させるが生の状態でかじっても甘味を感じる。5~6月に紫色の花が開花する事もあるが、日本の気候では開花結実しにくいとされている』とある。ウィキの「スペインカンゾウ」もあるが、こちらは特に新知見はない。而して、やはり、最も読みたくなり、信頼している神農子さんの記載を引用して、皮切りのシメとしたい。特に第一段落の本邦への渡来の箇所が、良安に評言の事実を確認するキモとなる。しかも、良安が本書を成立させた八年後に甲府で甘草が発見され、幕府が栽培奨励を行ったという、新知見が見出せた! これに就いては、「甲州市」公式サイトの「旧高野家住宅 (甘草屋敷)」で解説されている。また、中国のカンゾウ栽培による砂漠化問題も、大切な部分だ。神農子様さまである!
《引用開始》
甘草は『神農本草経』の上品に収載され,解毒や諸薬の調和など多数の効を有し,「国老(皇帝の師の意味)」とも称される重要な生薬です。日本にもたらされた時期は不明確ですが,正倉院薬物として現存していることから,8世紀にはすでに日本にあったことがわかります。正倉院薬物の調査結果によると,甘草は当初は960斤納められていたのですが,100年後には45斤2両にまで減っており,この間に多量に消費されていたそうです。このことから,甘草は当時から需要の高い薬物であったことが伺えます。現在の日本においても,漢方処方中に配合される生薬の中で,甘草は最も配合機会が多い生薬です。また,主要成分であるグリチルリチンの製剤や甘草エキスなど多数の製品が製造販売されています。さらに,甘草は甘味料や醤油の味付けにも使われています。このように,甘草は古くから現在に至るまで繁用され続けている生薬です。
甘草の原植物である Glycyrrhiza 属植物(以後カンゾウ)は日本に自生せず,国内の需要は,これまで輸入に頼ってきました。しかし,近年,主な輸入相手国であった中国が,野生甘草の採取や輸出に関する規制を強化しつつあります。規制強化の背景には,甘草の中国内外での需要の高まりにともない野生のカンゾウが乱獲され,環境破壊や資源の枯渇が深刻な問題になってきたことがあります。カンゾウは地表面に水分がほとんど存在しない乾燥した地域に生育しており,地下水脈など地中深くの水分を利用して生きています。そのため,カンゾウの根茎は水平に四方に伸び広がるとともに,根は下方に深く伸びています。そこで,薬用部位である根茎や根を採集するためには,大きく深い穴を掘る必要があり,カンゾウを採集することにより周囲の環境が大きく破壊されてしまうのです。そのため,生育地は砂漠化し,風により上空に舞い上がった砂は現地では砂嵐となり,また黄砂の一因にもなっています。
以上のような事情から,今後日本において甘草の入手がより難しくなる恐れがあります。現在中国ではカンゾウの自生地などで栽培が行われていますが,日本薬局方カンゾウにおけるグリチルリチン酸含量の規定値(2.5% 以上)を超える薬材を産出するのには数年かかることが知られています。そこで,近年,日本においてもカンゾウの栽培研究が行われつつあり,最近では,大学,研究所,企業の共同研究成果として,水耕栽培により,短期間でグリチルリチン酸含量の規定値を超える根が生産できることが発表されました。今後,研究がさらに進み,国内で需要がまかなえるようになることが期待されています。
カンゾウの栽培は,かつては日本においても行われていました。江戸時代の享保五年(1720)に,甲州上於曽村(現在の山梨県塩山市)の伊兵衛の屋敷でカンゾウらしきものが栽培されているのが見つかり,幕府が専門家にその植物を調査させところ,本物のカンゾウであることが確認されました。折しも幕府は財政を立て直すために国産品生薬を奨励していましたので,上於曽村のカンゾウに対して費用などを拠出し,保護,栽培の拡大を行ったといいます。伊兵衛の屋敷は,その後一般に「甘草屋敷」と称されるようになりました。一方,甘草が甲州で栽培されていたという記録は大永五年(1525)の薬種寄附状の記載にまで遡るともいわれており,甲州ではかなり古くからカンゾウが栽培されていたようです。江戸時代に甘草の生産は幕府の保護のもとに行われており,その製品は幕府に納められていたといいます。しかし,江戸時代から現在に至る間にカンゾウの栽培は廃れ,現在の日本では商業的な規模での栽培は行われていません。
甘草は重要な生薬であることから資源枯渇の問題は一層深刻ですが,甘草以外にも資源的に対処すべき生薬は数多くあります。今後はそのような生薬にもスポットをあて,栽培化に向けた研究など,早急な資源確保対策の推進が望まれます。
《引用終了》
「相思《さうし/たうごま》」双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科トウアズキ属トウアズキ Abrus precatorius である。「卷第八十三 喬木類 相思子」を見よ。
「梁(ふしくれ)」「梁」には「節くれ」の意はないが、ウィキの「ウラルカンゾウ」のストロンの乾燥して裁断した写真を見ると、見た目、家屋の梁(はり)の横木のようなものが固まっているように見えるので、納得出来る。
「安南國《アンナンこく》の甘草は、大なる者、柱《はしら》のごとし。土人、以て、屋に架(つく)りす。《→と雖も、》識らず。果《はた》して、然《しか》るた否や。』「安南國」はヴェトナム北部から中部を指す歴史的地域名称で、唐代に置かれた安南都護府に由来する呼称である。しかし、草本で、堅い根とはいえ、実際の家屋の屋柱となるというのは、流石に、私も信じられない。事実、そういうものが存在するということを御存知の方は是非、お教え下さい!
「苦參《くじん》」既注だが、再掲すると、マメ目マメ科マメ亜科クララ連クララ属クララ Sophora flavescens の根、又は、外の皮を除いて乾燥したものを基原とする生薬。当該ウィキによれば、『利尿、消炎、鎮痒作用、苦味健胃作用があ』る、とする。なお、『和名の由来は、根を噛むとクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになったといわれる』とあった。
「乾𣾰《かんしつ》」「卷第八十三 喬木類 𣾰」を見られたい。
「遠志《をんじ》」「藥品(11) 製法毋輕忽」の私の注を見られたい。
「大戟《たいげき》」「藥品(1)」で子細に注したので、見られたい。
「芫花《げんくわ》」「藥品(2) 六陳」で既注済み。
「甘遂《かんすい》」同じく、「藥品(2) 六陳」の私の「芫花」の引用内で語られてあるので、見られたい。
「三焦」既出既注だが、再掲すると、伝統中医学に於ける仮想の「六腑」の一つ「三焦」(さんしょう)。「上焦」・「中焦」・「下焦」の三つからなり、「上焦」は「心臓の下、胃の上にあって飲食物を胃の中へ入れる器官で、心・肺を含み、その生理機能は呼吸や血脈を掌り、飲食物の栄養分(飲食水穀の精気)を全身に巡らし、全身の臓腑・組織を滋養する器官とされる」とされ、「中焦」は「胃の中脘(ちゅうかん:本来は当該部のツボ名)にあって消化器官」とされ、「下焦」は「膀胱の上にあって排泄をつかさどる器官」とされる。因みに、所謂、「病い、膏肓に入る。」の諺の「膏肓」とは、この「三焦」を指し、これらが人体の内、最も奥に存在し、漢方の処方も、そこを原因とする病いの場合、うまく届けることが困難であることから、医師も「匙を投げる」部位なのである。
「表寒《へうかん》」中医学の「風寒表証」に同じい。「こだま堂漢方」のこちらに、『「証」が短期間に変化しやすい代表的な病気としては「風邪」があげられます。初めはゾクゾク寒気がしていたのに、2~3日後には寒気が無くなり発熱と熱感へ、また数日経つと今度は鼻水や咳が出てきて…というように数時間~1日単位で症状が変わりますが、これが「証」の変化です。初めにゾクゾク寒気がするのは、風寒邪が肌表を侵襲し、正気と邪気が戦っている状態です。このときの証は「風寒表証」といい、風寒の邪気を外に追い出す働きがある辛温解表剤(桂枝湯・葛根湯など)を用います。ここで風邪を追い出せたら、その先には症状が進まずに治りますが、体内に入ってしまい、邪気が鬱して化熱してしまうこともあります。そうなると「証」が変わり、もう辛温解表薬を使う時期ではありません。例えば「寒鬱化熱証」に使う柴葛解肌湯などに変えなければなりません。』とあった。
なお、以上の「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」「卷十二上」の「草之一【山草類上一十三種】」の冒頭の長い「甘草」のパッチワークである。
「南京甘草」現行では使用される様子はないが、江戸中期には、この語が本草書の中にあることが、関西医療大学の基礎医学ユニットの戸田静男氏の『総説』『甘草と炙甘草の修治について 本草書からの考察』(PDF)で確認出来た。]
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