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2025/12/21

甲子夜話卷之八 30 番頭高井兵部少輔、組士井上圖書のこと。又、其頃の番頭、風儀の事

8―30 番頭高井兵部少輔、組士井上圖書のこと。又、其頃の番頭、風儀の事

 高井兵部少輔(ひやうぶせういう)、番頭(ばんがしら)、勤めし頃は、世風(せふう)、おのづから武氣(ぶき)ありて、今の如き、軟弱の習(ならひ)は無(なか)りし、となり。

 後(のち)、大目付までに昇りし井上圖書頭(づしよのかみ)は、その組(くみ)にて、ありしが、殊に貧困にして、勤め續(つづく)べからざるほどのことなりしを、

「人物に、見所(みどころ)あり。」

とて、色々に勸めて、勤(つとめ)させ、遂に、御目付へ、申上(まうしあげ)て、御用召(ごようめし)になりしとき、兵部の宅へ、圖書、來り、

「明日(あす)は、召(めさ)せられ、難ㇾ有(ありがたき)ことに候へども、迚(とて)も勤め候ことは、出來不ㇾ申候(できまうさずさふらふ)に付(つき)、病(びやう)きにて、引(ひき)候の外(ほか)は無く候。格別に御見立(おみたて)下され候へぱ、御禮(おんれい)を申(まうし)て引(ひき)候。」

と、愁然として申(まうし)けるに、兵部、近習(きんじふ)を呼べば、物蔭より、廣蓋(ひろぶた)を持出(もちいで)て、圖書の前に置く。

 これを見れば、井上家紋の小袖、麻上下(あさかみしも)に金五十片を添(そへ)たり。

 其時、兵部、云(いふ)。[やぶちゃん注:底本の句点を採用したので、ここは「いはく」では、合わないと判断した。]

「いかやうにもして、勤め續れ候へ。」

と、ありしかば、思ひよらぬ厚意に感じ、圖書、翌日、登城(とじやう)し、御役(おやく)を蒙(かふむ)り、勤めし、とぞ。

 又、

『組の某(なにがし)を、見立(みた)て申上(まうしあげ)ん。』

と思惟(しゐ/しゆい)せしが、尙も、その人物を試(ためさ)ん迚(とて)、ある日、某の宅に來りて、供の者は、途中にて、辨當、用(もちひ)させたり。

「予は、『これより先に、親族、あれば、その所に至り、飯(めし)用(もちひ)ん。』と思ひしが、『近く、相番(あひばん)のあるに、それ迄へ行(ゆく)にも及ばじ。』と思ひ立(たち)、よりたり。茶漬飯(ちゃづけめし)、所望(しよまう)す。」

と、云(いひ)ければ、某(なにがし)、とりあへず、飯に香物(かうのもの)・座禪豆(ざぜんまめ)計(ばかり)にて、茶漬を出(いだ)しければ、快(こころよ)く、數椀(すわん)を喫(きつ)し、歸りて、決心して、某を書上(かきあげ)し、となり。

 その、眞率にして、少しも取飾(とりかざり)なきを、めでしなり。

 又、その組より出(いで)て、御目付勤めし某(なにがし)、あるとき、殿中(でんちゆう)混雜せし折節(をりふし)、兵部の坐(ざ)して在(あり)しに、立(たち)ながら、物言(ものいひ)けること、ありしかば、

「御自分は、我等組より見立てゝ申上(まうしあげ)しものなり。かゝる不禮の擧動におひて[やぶちゃん注:ママ。]は、申上げて、御役御免(おやくごめん)にすべし。」

と、怒りしかば、某、罪を謝しけれども、用ひず。同寮(どうりやう)、交(かは)る交る、陳謝して、やうやく、事無く濟(すみ)し、となり。

 此頃(このころ)、北條安房守、西鄕筑前守など、いづれも、番頭なりしが、皆、手强(てごは)なる、やかましき男(をのこ)どもなりし、とぞ。

 同僚、集會(しふくわい)のとき、袴(はかま)を脫(ぬぐ)と云(いふ)こともなく、遊興(いうきよう)がましきこと、少しも、無し。

「畫工(ぐわこう)を呼(よん)で、丹靑(たんせい/たんぜい)など、さすれば、珍しき遊興にてありし。」

と、人も云(いひ)たるほどのことなりし、とぞ。

 こは、『番士の手本ともなるべき身なれば』とて、互(たがひ)に嚴重(げんじゆう)なる事にて、ありし、と、なん。

 

■やぶちゃんの呟き

標題の「風儀」とは、「外形で見たところの人(々)の品行」の意。

「高井兵部少輔」花岡公貴氏の論文「高田藩の宝暦地震史料」(『上越市立歴史博物館 年報』紀要(第四号)・二〇二四年発行・PDF。宝暦は一七五一年から一七六四年まで。徳川家重・家治の治世)の中に、田沼意次の時代に、高井兵部少輔詮房の名を確認出来た。この人物であろう。

「番頭」江戸幕府の大番頭・書院番頭・小姓番頭・新番頭などを指す。

「大目付」老中の支配下にあって、幕府の政務の監督、諸大名の監察などに当たった。定員は四~五名で、旗本から選ばれた。

「井上圖書頭」思うに、「耳囊」の「卷之四 井上氏格言の事」に、高井の話によく似た毅然とした物言いをした、井上図書頭正在(いのうえまさあり 享保十六(一七三一)年~天明七(一七八七)年)の話がある。そこで私は、彼は、明和四(一七六七)年御小性組頭、安永二(一七七三)年大目付、安永八(一七七九)年従五位下図書頭、天明五(一七八五)年普請奉行。ネット情報では、杉本苑子の小説「冬の蝉」では、まさに硬骨漢として描かれているらしい、と注した。

「金五十片」金五十両であろう。

「見立て」観察して適当な者を選び出すこと。抜擢。

「座禪豆」「唐納豆」の別名で、納豆の一種で、大豆を蒸煮して、煎った小麦粉を加えて発酵させ、食塩水に漬け、さらに香辛料を加え、長期間、乾燥させた粒状の納豆で、味噌に似た風味を持つものを指し、主として寺院で製造され、僧が座禅中、小用に立たないために食べたところからの名とされる。「ざぜまめ」とも言う。但し、この場合は、「黒大豆を甘く煮た食べ物」の意であろう。

「御目付」江戸幕府では、若年寄の支配下で旗本・御家人を監察した。

「北條安房守、西鄕筑前守」忙しく、私は調べる価値を認めないので、御自分でお調べ下され。

「丹靑」絵の具で描くこと。

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