立原道造草稿詩篇 本(ヴァリエーション一篇を含む)
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はこことここ(ヴァリエーションを含む)で、底本の注記はここから視認出来る。而して、この篇の次の次に同じ「本」という別な篇が配置されてあるが、明らかに、本篇のヴァリエーションであり、注記でも後者の「本」(但し、これは注記で『草稿消失』で『角川書店版第一巻』からの転載であるとする記載がある)に就いて、この『「本」は前前項の同題詩の異文と考え』たとするので、私はここに並置した。]
本
星や月のあかるい夜道だつた。往來で、僕は、一册の本を拾つた。ところがうちへ歸るまでに迂闊にも中に書かれたことを落してしまつた。それで、翌朝早く行つてみたら、道端のなかで女王樣や道化役者や行列が牝羊だの孔雀だのと一しよになつてきれいな空氣のなかでさわいでゐた。
【ヴァリエーション】
本
星や月のにほひのするやうな、あかるい夜道だつたので、往來で、僕は一册の本を拾つた。見れば、表紙に
《何もしなかつた男の話》
と書いてある。おや、これは空想の中で出來上つてゐる僕の本ぢやないかしら? それにしてどこかへんなところがある。⋯⋯
とに角、うちへ持つて歸つてゆつくり見ようと思つたから、ポケツトにしまつた。
さて、頁を繰ると、それは白紙だつた。きつと途中で中身だけ落した來たにちがひない。それでも、やつぱり現實では出來上つてゐない僕の本なのかな?⋯⋯
僕は、きまりがわるくなつてそれを本箱に隱してしまつた。
[やぶちゃん注:前者は「不思議の国のアリス」あたりをモチーフとしているものであろうが、オリジナリティが弱く、思いつきの在り来たりの平板なファンタジーとしか感じられない。
一方、ヴァリエーション版は、ファンタジー色は抑制され、自身の人生への無力感に関わる心傷を投影した「白紙」が、強く映像に浮かび上がっていて、よい。コーダもカフカ的なニュアンスを彷彿して、好ましい。
但し、実は、これ、注記に、『「本」のヴァリエーションは物語「夜に就て」(昭和10年12月制作想定・第三巻所収)の「Ⅲ」に見ることが出来る。しかし、草稿の性格から昭和8年春を遡ることはない。ただ「夜に就て」が昭和7年8月制作の「自作短篇」<ゴンゴン>』(未発見)の発展作品と考えられることから、本篇を「ゴンゴン」から派生した作品と考えることは出来よう。昭和7年8月制作の「オメガ島異聞」(未発見)が昭和12年以後制作の「オメガぶみ」に変容発展するように、立原には一度得た詩想を忍耐深く培養して新しい作品に変様』[やぶちゃん注:ママ。]『させる独特の創作意識があったように思われる。』とあった。「夜に就て」はここから視認でき、「Ⅳ」パートから成るもので、「Ⅲ」はここからである。「オメガぶみ」の方は、同巻のここからで、全十四パートからなる。私は、彼の詩篇は、粗方、読んできたが、「物語」というのは、殆んどまともに全篇を読んでいない(「鮎の歌」等、ダイジェストで一部は電子化注している)は以前。そのうち、本格的に電子化して見たく思った。]
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