立原道造草稿詩篇 問答
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここで、底本の注記はここで視認出来る。ここから、注記で言う〔A・IIグループ〕となる。引用すると、『〔A・IIグループ〕は詩集『さふらん』所収作品の初』(はじめ)『、二稿(八篇)を含む四行詩群で、詩群内の序列は、原型の「詩歌」発表が最も早い「問答』を頭とし、他を季節感に排列した。制作時は『さふらん』収録作品に拠り、〔A・I 〕に続き7、8月と推定する。』とある。詩集「さふらん」は未完詩集。私の「さふらん (全) 立原道造」を見られたい。]
問 答
何しに僕は生きてゐるのかと
或る夜更けに
一本のマツチと
はなしをする
[やぶちゃん注:注記によれば、歌誌『詩歌』(十三卷第二號)の『昭和七』(一九三二)二『月号発表の口語歌の四行詩化作品』とある。調べたところ、坪井秀人氏の論文「立原道造 ―<零>の詩法―」(『名古屋大学国語国文学』二〇二三年九月発行・「名古屋大学学術機関リポジトリ」のここでダウンロード可能・PDF)で、同誌の初出形を確認出来た。二首並列なので、そのまま示す。
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何しに僕は生きてゐるのかと或る夜更に一本のマッチと會話(はなし)をする
人々は誰も僕に觸れて來ない!遠くに夕方を歌ふ子供たちがゐて
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まず、第一首は以上の詩とは異なる箇所がある。「夜更け」が「夜更」、「マツチ」が「マッチ」、「話」が「會話」であってルビで二字に対して「はなし」と振っている点である。第二首は、「!」は左方向に斜めとなっている。坪井氏も辛口に『いずれも彼の作歌活動のピークである昭和七年のもの。若い立原には酷だが、多かれ少なかれここに見られるような幼稚さと甘えとが彼の短歌に一貫している』と述べておられる。序でに、この二首に並べて、全くの同時期の『校友會雜誌』第三三三號・昭和七年二月掲載の一首も示す。
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靑空は靑空だけのもの。泣いても笑つてもくれやしない。すきとほつてる
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参考までに、この後に引かれる二首も紹介しておく。
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行くての道、ばらばらとなり。月、そののめに、靑いばかり。
花はらはら咲いて、靑空、木の間に光つた。夏、近づいた風のにほひ
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前者は『詩歌』の第十三卷第五號(昭和七年五月)で、後者も同雑誌の第六號(昭和七年六月)に載ったものである。
なお、私は生理的に短歌が極めて嫌いであるからして、敢えて、注で、先行作品を示した。]

