立原道造草稿詩篇 眞晝
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここで、底本の注記はここで視認出来る。]
【初期形】
七月の微風は
水繪具の朱のにほひ
うるんで碧い少年の視線を
人工的に雲ある空を
しづかに晝が流れて行く
【修正形】
七月は
水繪具のヴアミリオンのにほひ
うるんで碧い少年の視線を
人工的に雲ある空を
しづかに晝が流れて行く
[やぶちゃん注:「ヴアミリオン」“Vermilion”は「etymonline」に拠れば、『「鮮やかな赤色、朱色の色合い」を意味するこの言葉は、14世紀中頃に中世英語や古フランス語のvermail、vermeilから来ています。これらは11世紀の古フランス語で「鮮やかな赤、緋色、クリムゾン」を指していました。さらに遡ると、後期ラテン語のvermiculus「小さな虫」、特にクリムゾン染料が得られるコチニール虫を指していました(kermesと比較)。古典ラテン語では「昆虫の幼虫、イモムシ、ウジ」を意味し、vermis「虫」の縮小形(vermi-を参照)です』。『名詞として英語に取り入れられたのは1590年代で、「鮮やかな赤色、朱色の色合い」を指します』とし、『13世紀後半、vermiloun「辰砂、自然に存在する硫化水銀; 粉末にした辰砂から作られる赤い染料」は、アングロ・フレンチおよび古フレンチのvermeillon「赤鉛、辰砂、(化粧品)ルージュ」(12世紀)から派生し、vermeil(vermeilを参照)。形容詞としては「辰砂の色のもの」として、1580年代に使用された。』とあった。英文の色見本・色コードのサイトの当該ページをリンクしておく。なお、解説中の『コチニール虫』とは、英語の“Cochineal”で、有翅昆虫亜綱半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ(介殻虫)上科 Coccoideaコチニールカイガラムシ科コチニールカイガラムシ属コチニールカイガラムシ Dactylopius coccus を指す。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『アメリカ大陸原産で、特にメキシコ原産とされる。別名、エンジムシ(臙脂虫)』。『メスの成虫の体長は3ミリメートルほど。オスはその約半分』である。『メスは無翅で褐色の貝殻状をしており、ウチワサボテン属のサボテンに寄生して枝に固着している。一方、オスには翅があり敏捷に動く』。『なお、一部の文献で同じ「エンジムシ(臙脂虫)」の名でコチニールカイガラムシとラックカイガラムシ(東南アジア原産)』(カイガラムシ科ケリア属ラックカイガラムシ Laccifer lacca のオス)『を混同していると指摘されており』、『区別が必要とされる』。『染料として利用するのはメスである。古くはマヤやアステカ、インカ帝国などで養殖され、染色用の染料に使われてきた。野生のサボテンに寄生しているものを箒(ほうき)、刷毛(はけ)、ブラシなどで布の上に落として収集していたが、乾期と雨期がある地方では』、『雨期に収穫量が減少するため』、『人工飼育されるようになった』。『虫体に含まれる色素成分の含有量が多いため、今日色素利用されるカイガラムシの中ではもっともよく利用され、メキシコ、ペルー、南スペイン、カナリア諸島などで養殖され、染色用色素や食品着色料、化粧品などに用いられている。また17〜18世紀には人気の医薬品(ダフィーのエリクサー)』(“Daffy's Elixir”:当該ウィキに拠れば、『元々は胃薬として開発され、時代が下るにつれて万能薬として扱われた薬品のこと。18世紀から 19世紀にかけてイギリス、アメリカで人気の治療薬であった』。『1647年にレスターシャー州レッドマイルの牧師トーマス・ダフィーによって発明されたとされている。ダフィーはそれをエリクサー・サルティス(健康のエリクサー)と名付け、万能薬として宣伝した』。『「The true Daffy's Elixir」に記載されている初期のレシピ によるとアニス 、ブランデー、コチニールカイガラムシ、センナ、 マンニトール、パセリの種、レーズン、ルバーブ、サフラン、 リコリスなどが記載されている』とある。より詳しくは引用先を見よ)『にも用いられた』とある。
●なお、この詩の、標題「眞晝」と「七月は」「水繪具のヴアミリオンのにほひ」から、』『「眞晝」が「匂ふ」』という表現を見出せるが、このフレーズが、ちょっと気になって調べたところ、サイト「吉本隆明の183講演」の「芥川・堀・立原の話」の「12 生活的な感性から断ち切られた無限定な時間性」の部分で、立原の詩(「萱草に寄す」で知られた一篇、「SONATINE No.2」の第一篇の原詩「虹とひとと」の第三連。リンクは私の原詩の電子化注)
また風が吹いてゐる また雲がながれてゐる
明るい青い暑い空に 何のかはりもなかつたやうに
小鳥のうたがひびいてゐる 花のいろがにほつてゐる
を引いて、
《引用開始》
この場合の「花のいろがにほつてゐる」っていう使い方は、いずれも色を意味していることが分かると思います。だから、これはいわば〈匂い〉っていう言葉が意味する概念の非常に、日本語でいえば、元のところまで遡る、そういう感性で、〈匂い〉っていう言葉がひとりでに使われていることがわかります。
これは、半分はたとえば、『古今集』の影響をそれとなく感覚的に受けたから、そういう言葉の使い方をしているってことがひとつあるでしょうけど、もうひとつはたぶん、立原道造の資質の中から、本質的に出てきた使い方だっていうふうに思います。つまり、これは、立原道造の資質のなかに、それは、こういう使い方をするものがあるんだっていうふうに考えたほうがいいのだと思います。
それから、このあとには
誰からも見られてゐない確信と
やがて 悔いへの誘ひと-
その時 真昼が
匂ふやうであつた
っていう表現があります。この「真昼が匂ふやうであつた」っていう表現自体は、すでに『新古今集』の中自体にもないものなんです。
もし、そういう言い方をすることができるとすれば、それは、立原道造の発明した使い方だ、〈匂い〉っていう言葉の使い方だっていうことがわかります。つまり、「真昼が匂ふやうであつた」っていう感受性の仕方と、こういう言葉の使い方っていうことは、立原道造の発明にかかわる、つまり、独創にかかわるものだっていうふうに考えることができると思います。言い換えれば、そういう使い方で表現される、ある感性っていうものは、立原道造の詩を立原道造の詩にさせているものだって考えることができると思います。
それは何なのでしょうか、たぶんそれは、時間っていう概念がひとつだと思います。つまり、時間っていう概念が立原道造のなかで、非常に重要な問題なんだっていうことがひとつあると思います。
その時間っていう概念がどのように立原道造の中で重要になっているのかっていうと、それは、時間が一種の無限性というようなもの、あるいは、無限定といってもいいんですけど、無限定性あるいは無限性というようなものとして、時間が考えられていたっていうふうにいうことができるのではないかと思います。
なぜそれでは、立原道造のなかで時間というものが無限定性、あるいは無限性っていうものとして感じられていたかといいますと、もしも詩の中に、あるいは、生涯の中に、詩の感性の想像力の中に、生活の匂い、あるいは、生きた生活の匂いとか、そういうものが、なんらかの意味で介入していくとすれば、生きた生活、あるいは、生きている人間、具体的な人間というのの時間性は、かならず生まれたときから死ぬまでのあるひとつの曲線がありまして、その曲線のなかで生き死にするわけで、限定された時間が必ずあり、時間が限定されるにつれて、いわば子どもの時は、4歳の時は4歳の感受性、4歳の生き方、15歳の時は15歳の生き方、30の時は30の生き方というように、そこに具体的な生き方の肉体といいましょうか、肉っていうものが時間の中にちゃんとくっついて、そして、ある時間、時間がひとつの曲線を描いて、生から死へっていうふうに流れていくっていうのが、たぶん、生身の人間の生活みたいなものは、詩の感性のなかに入っていく場合の時間の取り方だっていうふうに思います。
そこで、たぶん立原道造の場合には、死が初めから匂っているように、初めから存在しているように、もう生が死の後に存在しているというようなかたちで、いわば生活的な問題から、感性から断ち切られたところで、立原道造の感覚っていうものが展開されているっていうこと、そのことがたぶん、立原道造の時間性っていうものを無限定にしている、あるいは、無限性にしている要素なんだと思います。そこが立原道造の詩人としての本質っていうことにつながっていく要素なんだっていうふうに考えることができると思います。
《引用終了》
とあるのを見つけた(以下、『それから、もうひとつあります。』と、さらに続くが、長くなるので、各自で読まれたい。
さても。この吉本の『立原道造の発明した使い方だ、〈匂い〉っていう言葉の使い方だ』という断定には首を傾げた。私自身、そのような認識を持ったことがないからである。無論、私自身、近代文学の時系列の中で、道造以前に、そのようなリリック・フレーズをいないことを検証したわけではない。しかし、正直、私は、諸手を挙げて、これに肯んずることは出来ないのである。ただ、私は、個人的に吉本が生理的に嫌いであるから(私は、彼の詩をいいと思ったことは全く、なく、評論に至っては強い嫌悪を感ずる人種である)、ただの非論理的反抗に過ぎないと過されて構わない。ともかくも、私の偏愛する三名を三題噺しにしているこの講演自体全体が、聊か、胡散臭い教祖の「有難い」説教のように感じただけである。以上。]
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