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2026/01/03

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(五)鱶鰭の說(その4)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

 本邦より、これを輸出したるは、長崎に淸國互市(ごし)[やぶちゃん注:「互市」の「市」は「売り買い」の意で、これで「売買交易を行うこと」、即ち、「貿易」の意である。]を開きし頃にして、「華蠻交易洽聞錄(くわばんこうえきがうもんろく)」に、貞享(ていきやう[やぶちゃん注:ママ。「ぢやうきやう」が正しい。])・元祿年間、長崎より輸出したることを載せ、又、「經濟祕書」にも、安永九年に、外國渡航船貿易品中(ちう)に、『鱶鰭』の目(もく)、あり。又、琉球よりは、淸曆康煕年間以來、年々、福州に輸出したること、琉球藩の舊記に見へ[やぶちゃん注:ママ。]、爾來(じらい)、絕へず[やぶちゃん注:ママ。]、長崎・那霸兩港より輸出したるも、東國にては、之を知るもの、なし。只(たヾ)、江戶にありし長崎會所(ながさきくわいしよ)にて、取集(とりあつ)め、輸出したり。當時、日本橋の魚商(ぎよしよう[やぶちゃん注:ママ。以下、同じ。])は、日々(ひヾ)、鬻(ひさ)ぐ鮫の鰭を、切り溜(た)め置き、會所に送りたり。該(がい)會所にては、壹貫目にて、僅(わづか)に銀六匁【今の十錢位】を以て買收せしは、文政年間のことなりし。然(しか)るに、年、移り、物、變り、嘉永年代に至り、外國貿易の途(みち)、開け、市場を橫濵に設(もう[やぶちゃん注:ママ。])くるや、魚商の中(うち)に、始めて鱶鰭の、淸國の貿易に適(てき)するを知りたるもの、あり。茲(こヽ)に於て、鱶の鰭を切取(きりと)るや、之を、船に載せ、橫濵に送り、淸國人に賣込(うりこ)むの業(ぎやう)を始めたり。當時、橫濵に於て、淸國貿易を專業としたる問屋(といや)は、僅(わづか)に三家(さんけ)ありしのみ。即ち、太田町《おほたまち》四丁目濵田屋元吉・本町中井某《ぼう》、及ひ[やぶちゃん注:ママ。]、同所水島屋某のみ、なりき。去(さ)れども、公(をほやけ[やぶちゃん注:ママ。])に賣込問屋(うりこみとひや)と稱せしは、中井・水島の、二戶《にこ》なり。凡そ、此頃の取引品は、生鰭(なまひれ)なるが故に、其運送と云ひ、品物(ひんぶつ)の處置(しよち)と云ひ、頗(すこぶ)る不便たりしか[やぶちゃん注:「が」の誤植。]、半ケ年(はん《か》ねん)の經驗により、遂(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、乾燥するの利あるを知り、爾後(じご)は、直(たゞ)に、乾製(かんせい)し、之を、橫濵に販賣するに至れり。是(これ)、東國商人(とうこくしやうにん)か[やぶちゃん注:「が」の誤植。]鱶鰭を製造するの來歷なり。本邦在留の淸國人、及び、上海(シヤンハイ)等にて、鱶鰭を賣買するや、背鰭(せびれ)一枚、胸鰭(むなびれ)一對、尾鰭(をひれ)一枚、合せて四枚を揃へたるを、具備の品(しな)とし、價(あたひ)も、交(まじ)り品(しな)に比すれば、增加することは、廣業商會等(とう)の、每(つね)にいふ所なり。四枚壹揃(しまいひとそろへ)のもの、壹斤(いつきん)の價(あたへ)、壹圓五拾錢なれば、不揃(ふぞろへ)の下等品(かとうひん)は、四拾錢なり。平常(ふだん)の相庭(さうば)[やぶちゃん注:ママ。後注参照。]は軀(み)の長(ながさ)、六、七尺の鱶なれば、其乾鰭(ほしひれ)六拾枚にて、百斤の量あり、とし、又、『白(しろ)』と稱する最上品は、約百斤五十圓に賣却せらるヽも、『簀(よし)』と稱する品(しな)は、下等にして、貳拾貳圓に過(すぎ)ず。然(しか)るに、備具(びぐ)せざる鰭は、假令(たとへ)、『白』の最上品(さいじやうひん)にても、尾鰭(をひれ)のみなれば、僅(わづか)に四圓に止(とヾ)まれり。故(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。])に、壹揃(ひとそろへ)となすも、一《ひとつ》の要點なり。

[やぶちゃん注:「華蠻交易洽聞錄(くわばんこうえきがうもんろく)」編者不明で寛政七(一七九五)年(徳川家斉の治世)の序を持つ。ネットでは、そこまでしか判らなかった。

「貞享」(じょうきょう)「・元祿年間」一六八四年から一七〇四年まで。綱吉の治世。

「經濟祕書」「河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說(その12)」で既出既注。

「安永九年」一七八〇年。徳川家治の治世。

「康煕年間」一六六二年から一七二二年。

「江戶にありし長崎會所」老婆心ながら、これは、「江戸時代にあった」の意である。一応、当該ウィキをリンクさせておく。

「文政年間」一八一八年から一八三一年まで。徳川家斉の治世。

「嘉永年代」一八四八年から一八五五年まで。徳川家慶・徳川家定の治世。

「太田町《おほたまち》四丁目」現在の神奈川県横浜市中区太田町(おおたまち)。実は、底本では、ここ以下はベタで、

『太田町四丁目濵田屋元吉本町中井某及ひ同所水島屋某のみなりき』

である。私は、まず、最初の『濵田屋元吉』を「屋号+名前」と採った。何故なら、「元吉本町」という地名は、過去に於いても横浜には存在しないからであり、更に、後の二人には、わざわざ「某」を添えていることから、そう採ったのである。

「本町」所謂、横浜馴染みの者なら、ピンとくるのであるが、これは、「元町」の誤記ではあるまいか? 「三井住友トラスト不動産株式会社」公式サイト内の「写真でひもとく街のなりたち」の「神奈川県 横浜」の「横浜の商業地」の『日本人の貿易商の店舗が軒を連ねた「本町通り」』に、『開港当初の横浜・関内では、「神奈川運上所」(「横浜税関」の前身)が置かれていた現在の「日本大通り」を境に、桜木町寄りが日本人居住地、元町寄りが外国人居留地として割り当てられていた。日本人居住地の「本町通り」には、絹織物商の「椎野正兵衛商店」など、貿易商の店舗が軒を連ねた』とある。

「賣込問屋(うりこみとひや)」小学館「日本国語大辞典」に、『うりこみ‐といや‥とひや【売込問屋】』は『地方の生産者から買いつけた商品(おもに生糸)を輸出商や卸売商人に売る仲次ぎの問屋。』とある。

「廣業商會」『河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說(その13)』の私の注の冒頭を見られたい。]

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