和漢三才圖會卷第九十二之本 山草類 上卷・人參
[やぶちゃん注:草体の根に繋がる上部地下茎から上の草体図の上に、明らかに異なる種の二つの根茎部の二図。形状から、右が、後で示すメインのオタネニンジン(=チョウセンインジン)でよいとして、左は本邦でお馴染みのニンジン、或いは、野生種のノラニンジンの属性を残し持っている品種であろうか、と推定しておく。但し、良安の評言の部分を見ても、現在の通常種である普通のニンジンへの言及は、殆んどゼロである。]
にんじん 人薓 人䘖
海腴 神草
人參 黃參 地精
鬼葢 土精
ジン スヱン 皺面還丹
[やぶちゃん字注:「𮑵」原本では、「氵」+(「𮑵」―「氵」)であるが、この字形を用いた。「面」は中央の「はしご」状の部分の上部が欠落した「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、通常の「面」とした。]
本綱人參爲藥切要與甘草同功有人參𠙚上有紫氣揺
[やぶちゃん字注:「揺」は「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、通常の「揺」に代えた。]
光星散而爲人參實神草也根有手足靣目如人者爲神
生上黨【今潞州也】山谷及遼東【髙麗乃朝鮮也】者爲最上春生苗多於
深山背陰近椵樹【似桐甚大】下濕潤𠙚初生小者三四寸許一
椏五葉四五年後生兩椏五葉未有花莖至十年後生三
椏年深者生四椏各五葉中心生一莖俗名之百尺杵三
四月有花細小如粟蕊如絲紫白色秋後結子或七八枚
如大豆生青熟紅自落
朝鮮人參猶來中國互市亦可收子於十月下種如種菜
法秋冬采者堅實春夏采者虛軟非地產虛實也僞者皆
以沙參薺苨桔梗采根造作亂之【沙參體虛無心而味淡荷芭體虛無心而味甘桔梗體堅有心而味苦人參體實有心而甘微苦】近有以人參先浸取汁自啜乃
晒乾復售謂之湯參不任用
人參生時背陽故頻見風日則昜蛀納新噐中入細辛與
參相間收之宻封可經年不壞一法用淋過竃灰晒乾鑵
收亦可
凡用時宜隔紙焙之【熟用則氣温生用則氣凉】並忌鐵噐伏苓爲之使
反藜蘆畏五靈脂惡皂莢黒豆【人參可去蘆不去則令人吐蘆者頭耑莖之根】
得升麻則補上焦之元氣瀉肺中之火
得茯苓則補下焦之元氣瀉腎中之火
得黃茋甘草則除大熟瀉陰火補元氣
得麥門冬則生脉 得乾薑則補氣
凡血脫者用人參益氣則血自生藥品之聖也
△按人參可用不可用之病症本草諸家之辨論區區也
共不可徧執今時亦然焉一槪有泥其功不詳虛實而
[やぶちゃん字注:「槪」は原本では、「槪」の(つくり)の下に、さらに「木」のある字体であるが、こんな異体字は見当たらないので、かく、した。]
動則人參多入用者稱之人參醫師
凡人靣白或黃或青黧悴者皆脾肺腎不足可用也靣
赤或黒者氣壯神強不可用也
凡脉之浮而芤濡虛大遲緩無力沉而◦遲◦濇◦弱◦細◦結◦代
無力者皆虛而不足可用也若◦弦◦長◦緊◦實◦滑◦數有力者
[やぶちゃん注:「◦」は今でいう「・」相当の記号である。訓読では、それに代える。]
皆火鬱內實不可用也蓋此說可以爲的𢴃也
朝鮮人參 朝鮮北韃靼南境有大山名白頭山自然生
人參爲最上其葉花與和人參相似而實異初青熟赤
圓如南天實其根似胡蘿萄而白色使甘草汁蒸乾黃
色亦益其味頭𨕙有橫文體重實而中亦潤黃者爲上
經年者大愈佳似人形者亦百斤中有一二本此雖有
神而不甚佳出於咸鏡道者潤白透通爲極上最鮮
判事人參 是亦白頭山之產出於韃靼而未知修治良
方故功稍劣
蝦手人參 右同蓋韃靼土地水不清毒多故其富儫者
[やぶちゃん字注:「儫」「豪」の異体字。]
常浸人參於井中用其水更採出人參販之故帶飴色
而尾耑曲似蝦形所謂湯人參之類乎
唐人參 卽中𬜻之產山西之潞安【古之上黨】北京之永平雲
南之姚安共爲上而下種植成故功不如朝鮮自然生
者其大者俗呼曰唐大
小人參 非大人參中擇出者而本自一種小者其根長
一二寸許猶罌粟與美人草近年不來俗以尾人參稱
小人參者非也
凡大人參老者則大而功勝嫩者小而力劣焉體輕虛色
枯白者俗謂浮虛人參無効
*
にんじん 人薓(《にん》じん) 人䘖《にんがん》
海腴《かいゆ》 神草《しんさう》
人參 黃參《わうじん》 地精《ちせい》
鬼葢《きがい》 土精《どせい》
ジン スヱン 皺面還丹《しゆうめんかんたん》
「本綱」に曰はく、『人參は、藥《やく》の切要《せつえう》[やぶちゃん注:極めて重要な対象であること。]と爲す。甘草《かんざう》と功を同《おなじう》す。人參、有る𠙚《ところ》、上に、紫《むらさき》の氣、有り、揺光星《やうくわうせい》の≪光≫、散じて、人參と爲《な》る。實《まこと》に神草《しんさう》なり。根に、手・足・靣《おもて》・目《め》、有《あり》て、人のごとくなる者を『神《しん》』と爲《なし》、上黨《じやうたう》【今の潞州《ろしう》[やぶちゃん注:現在の山西省長治市潞州区。ここ(グーグル・マップ・データ)。]なり。】の山谷、及《および》、遼東《りやうとう》【髙麗。乃《すなはち》、朝鮮なり。】の者、最上と爲《なす》。春、苗《なへ》を生ず。深山の背陰《はいいん》[やぶちゃん注:北向きの日陰。]椵樹《かじゆ》【桐に似て、甚だしく、大なり。】に近き下(ほとり)≪の≫、濕潤の𠙚《ところ》に多し。初生、小《ちさ》き者、三、四寸許《ばかり》。一椏《ひとまた》≪に≫五葉。四、五年にして、後《のち》、兩椏《ふたまた》五葉を生ず。未だ、花・莖、有らず。十年後《のち》に至《いたり》て、三椏《みつまた》を生ず。年《とし》深き者は、四椏《よつまた》を生ず。各(《おの》おの[やぶちゃん注:原本ではルビがない代わりに、送り仮名に踊り字「〱」がある。])、五葉≪を≫中心に、一莖《いつけい》を生ず。俗に、之を、「百尺杵《ひやくしやくしよ》」と名《なづ》く。三、四月、花、有り、細小にして、粟《あは》のごとく、蕊《しべ》、絲《いと》のごとし。紫白色。秋の後《のち》、子《み》を結ぶ。或《あるひ》は、七、八枚《たり》。大豆のごとく、生《わかき》は青く、熟《じゆくせ》ば、紅《くれなゐ》にして自《おのづから》落《おつ。》』≪と≫。
『朝鮮人參《は》、猶《なほ》、中國に來《きたり》て、互市《ごし》す[やぶちゃん注:「互市」は中国諸王朝と北辺・西辺諸国との陸上貿易を指す語。後注参照。]、亦、可なり。子《み》を十月に收め、種《たね》を下《おろ》し、菜《な》を種《うう》る法《はう》のごとくにして、秋・冬、采《と》る者≪は≫、堅《けん》にして實《じつ》し。≪對して、≫春・夏、采る者≪は≫、虛にして軟《やは》らかなり。地產の虛・實には、非《あら》≪ざる≫なり。僞《いつは》る者、皆、沙參《しやじん》・薺苨《せいねい》・桔梗《ききやう》を以《もつ》て、根を采り、造り作(な)し、之≪を≫亂《みだ》す≪ものなり≫【沙參は、體《たい》、虛《きよ》、無心《むしん》にして、味、淡《あはし》。荷芭は、體、虛、無心にして、味、甘《あまし》。桔梗は、體、堅《けん》、心、有りて、味、苦《にがし》。人參は、體、實《じつ》にして、心、有りて、甘《あまく》、微《やや》苦《にがし》。】。近《ちか》ごろ、人參を以て、先《ま》づ、浸《ひた》して、汁を取り、自《みづから》啜《すゝ》り、乃《の》ち、晒乾《さらしほ》して、復た、售(う)る。之を「湯參《たうじん》」と謂ふ≪も≫、用に任《た》へず。』≪と≫。
『人參、生《しやう》ずる時、陽《やう》を背《そむ》く[やぶちゃん注:太陽の光りを嫌って背を向ける。]。故《ゆゑ》、頻《しき》りに、風・日を見る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。ここは「強い風・過剰な太陽光を受けた際には」の意。]、則《すなはち》、蛀(むしいり)、昜《やす》し。新≪しき≫噐《うつは》の中《うち》に納め、細辛《さいしん》と參《じん》[やぶちゃん注:「人參」。]とを、相間(あひはさみ)に[やぶちゃん注:細辛の間に人参を挟み込んで。]、之を收《をさ》め、宻封して、年を經て、壞《くわ》≪れ≫ざる一法≪として≫、淋過《りんくわ》≪し≫たる竃《かまど》の灰[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、『水をそそぎ』、濾『過』(ろか)『した竃(かまど)の灰』とある。後注を見よ。]を用《もちひ》て、晒乾《さらしほし》、鑵《くわん》に收《をさむ》るも亦、可なり。』≪と≫。
『凡《およそ》、用《もちふ》る時、宜《よろしく》、紙を隔《へだて》て、之≪を≫焙るべし【熟して用れば、則ち、氣、温《おん》なり。生《なま》にて用れば、則ち、氣、凉《れう》なり。】。並《ならび》に[やぶちゃん注:孰れの場合でも。]、鐵噐を忌む。伏苓《ぶくりやう》、之《これ》が、使《し》[やぶちゃん注:既に何度も出た「引薬」の意。反応を効果的に進めるための補助薬。]たり。藜蘆《れいろ》に反《はん》し、五靈脂《ごれいし》を畏《おそ》れ、皂莢《さうきやう》・黒豆《くろまめ》を惡《い》む。【人參、「蘆(ろ)」を去るべし。則ち、人をして吐かしむ。「蘆」とは、頭《かしら》の耑莖《たんけい》の根[やぶちゃん注:頭の端の茎の根。]≪なり≫。】』≪と≫。
『升麻《しやうま》を得れば、則《すなはち》、上焦の元氣を補ひ、肺中の火《くわ》を瀉《しや》す。』≪と≫。
『茯苓を得れば、則、下焦の元氣を補ひ、腎中の火を瀉す。』≪と≫。
『黃茋・甘草を得れば、則、大熟を除き、陰火を瀉し、元氣を補ふ。』≪と≫。
『麥門冬を得れば、則、脉《みやく》を生ず。』≪と≫。『乾薑《かんきやう》を得れば、則、氣を補す。』≪と≫。
『凡《およそ》、血脫(《ち》たり)[やぶちゃん注:出血が続いている患者のこと。]の者には、人參を用て、氣を益する時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則、血、自《おのづか》ら、生《しやう》ず。「藥品の聖《せい》」なり。』≪と≫。
△按ずるに、人參、用ふべきと、用ふべからざるの病症、本草諸家の辨論、區區(まちまち)なり。共《とも》に、徧執《へんしふ》すべからず。今時《こんじ》も亦、然《しか》り。一槪に、其《その》功に泥(なづ)んで、虛實を詳《つまびらか》にせずして、動(やゝも)すれば、則《すなはち》、人參、多く入用《いれもちひ》る者、有《あり》。之を「人參醫師《にんじんいし》」と稱す。
凡そ、人の靣《おもて》、白く、或《あるい》は、黃《き》、或は、青黧(《あを》ぐろ)く悴(かじ)けたる者[やぶちゃん注:生気がなくなって如何にも衰える者。]、皆、脾・肺・腎、不足なり。用《もちふ》べきなり。靣、赤、或は、黒き者は、氣、壯(さか)んに、神《しん》[やぶちゃん注:神経。]、強く、用ふべからざるなり。
凡そ、脉《みやく》の浮《ふ》にして、芤《こう》[やぶちゃん注:東洋文庫版訳の割注に『脈は浮』(ふ)『か』、『沈』(ちん)『で中ほどは空虚』とある。]・濡《じゆ》[やぶちゃん注:同前で『(細くて弱い)』とある。]・虛大・遲緩、力《ちから》無く、沉《ぢん》にして、遲《おそし》・濇《しぶる》・弱《よはし》・細《ほそし》・結《むすぼほる/むすぼる[やぶちゃん注:結滞すること。]》・代《とどこほる》≪容態《ようだい》にて≫、力《ちから》、無き者は皆、虛にして、不足なり。用《もちふ》べしなり。若《も》し、弦《つよきはる》・長《ながし》・緊《きつし》・實《つよし》・滑《なめらか》・數(さく)[やぶちゃん注:]≪にして≫、力《ちから》、有る者は、皆、火鬱內實《くわうつないじつ》なり[やぶちゃん注:AIのものしか出てこないのだが、取り敢えず、掲げておく。漢方に於いて、ストレスなどで生じた熱(「火」)が体「内」に籠もり(「鬱」)、それが消化器や体幹に実熱(「実」証の熱)として溜まっている状態を指す。イライラ・怒りっぽい・逆上(のぼ)せ・顔面紅潮・便秘・口腔内の苦みなどの熱症状が強く出るもの。後注で再検証する。]。用≪ふ≫べからざるなり。蓋し、此說、以て、的𢴃《てききよ》[やぶちゃん注:「極めて的(まと)を得たもの。]と爲《なす》べし。
朝鮮人參 朝鮮の北、韃靼(だつたん)の南境《みなみさかひ》に、大山《おほやま》、有り、「白頭山(はくとう《さん》)」と名《なづ》く。自然と、人參を生ず。最上なり。其の葉と花は、和人參《わにんじん》と相《あひ》似て、實(み)は、異《こと》なり。初《はじめ》は青く、熟≪せば≫、赤《あか》≪く≫圓《まろ》≪く≫、南天の實《み》のごとし。其《その》根、胡蘿萄(にんじん)に似て、白色。甘草の汁をして、蒸乾《むしほ》≪せば≫、黃色ならしめ、亦、益《えき》す。其味、頭《かしら》の𨕙(めぐ)り、橫文《わうもん》、有り。體《たい》、重く、實《じつ》≪に≫して、中《なか》も亦、潤《うるほひ》黃《き》なる者を、上《じやう》と爲《なす。》年を經る者は、大にして、愈(《いよ》いよ[やぶちゃん注:送り仮名に踊り字「〱」がある。])、佳《よ》し。人の形に似たる者も亦、百斤[やぶちゃん注:六十キログラム。]中、一、二本、有り。此《これ》、「神《しん》」[やぶちゃん注:極めて珍しいもの。]、有《ある》と雖も、而≪れども≫、甚だ≪には≫佳《か》ならず。咸鏡道(かがんどう[やぶちゃん注:ママ。])より出《いづ》者は、潤《うるほひ》≪て≫白《しろく》、透通(すきとほ)り、極上と爲《なす》。最《もつとも》、鮮(すくな)し。
判事(ハンス)人參 是《これ》も亦、白頭山の產にして、韃靼より出《いづ》る。而≪れども≫、未だ、修治の良方を知らず。故《ゆゑ》に、功、稍《やや》、劣れり。
蝦手(えびで)人參 右に同じ。蓋し、韃靼の土地は、水、清《きよ》からず、毒、多し。故《ゆゑ》、其《その》富儫《ふがう》の者は、常に、人參を井中《ゐちゆう》に浸《ひた》し、其水を用ふ。更に、人參を採出《とりいだ》≪し≫、之を、販(う)る。故《ゆゑ》、飴色(あめ《いろ》)を帶《おび》て、尾の耑(はし)、曲(まが)り、蝦の形に似たり。所謂《いはゆ》る、「湯人參」の類《たぐひ》か。
唐人參《たうにんじん》 卽ち、中𬜻の產。山西(サンスイ)の潞安《ろあん》【古への上黨《じやうたう》。】北京(ポツキン)の永平(ヨンピン)、雲南(イユンナン)の姚安(テウアン)、共(とも)に、上と爲《なし》て、種を下《くだ》し、植成《しよくせい》す。故に、功、朝鮮の自然生《じねんしやう》の者に、如《し》かず。其《その》大なる者、俗、呼《よん》で、「唐大《たうだい》」と曰ふ。
小人參《しやうにんじん》 大人參の中より擇出《えらびいだ》し者に≪は≫非ずして、本《もと》、自《おのづか》ら一種の小《ちさ》き者≪なり≫。其《その》根、長さ、一、二寸許《ばかり》。猶《なほ》、罌粟(けし)と美人草《びじんさう》と≪の≫ごとし。近年、來らず。俗、「尾人參(ひげ《にんじん》)」を以て、「小人參《しやうにんじん》」と稱《しやう》≪するは≫、非なり。
凡そ、「大人參」≪の≫老する者は、則《すなはち》、大にして、功、勝《まさ》れり。嫩(わか)き者は、小にして、力《ちから》、劣る。體《からだ》、輕虛《けいきよ》にして、色、枯白《こはく》[やぶちゃん注:ひねこびて白くなったもの。]なる者を、俗、「浮虛人參(ぶく《にんじん》)」と謂《いふ》≪も≫、効、無し。
[やぶちゃん注:一向に、「漢籍リポジトリ」の一月からの不通が回復しないので、仕方がないから、「維基文庫」の「本草綱目」の「草之一 卷十二上 山草類上【三十一種】」に当たることにした。しかし、これが不本意なのは、原本画像が並置されていないことと、活字起こしが必ずしも信用出来ないからである。
まず、本篇は、明らかに、薬用を主眼とした「人參」であるから、所謂、チョウセンニンジン(朝鮮人蔘)であって、その主解説の種は、本邦でお馴染みのセリ目セリ科ニンジン属ニンジン(ノラニンジン:野良人参/野生種)Daucus carota亜種ニンジンDaucus carota subsp. sativus ではなく、
セリ目ウコギ科トチバニンジン(栃葉人参)属オタネニンジン(御種人蔘)Panax ginseng
である。平凡社「世界大百科事典」(初版)の「チョウセンニンジン(朝鮮人参)」」から引く(コンマは読点に代えた)。『根を薬用とすることで著名なウコギ科の多年草。ヤクヨウニンジン(薬用人参)とも呼ばれ、江戸幕府の薬園に栽培したのでオタネニンジン(御種人参)ともいう。また単にニンジンともいうが、野菜のニンジン(人参)とはまったく別種である。年数を経たものは草丈約60cmとなり、茎の頂部に長い葉柄をもち、5小葉からなる掌状葉を4~6枚輪生する。夏季、茎頂から1本の細長い花茎をのばし、先端の散形花序に淡黄緑色の小さい花をつける。秋季に、小さい球形の果実が赤色に熟する。根は年々ゆっくりと肥大し、発芽後数年を経過した株では、長さ10~20cm、太さ2~3cmに肥大する。先は指ほどの太さで数本に分岐し、この形が人間の体に似るので人参という。中国東北地方や朝鮮に分布するが、薬用植物として栽培もされる。野生のものは生長が遅く、成分が強いとされ、高価なものである。古くは、根の形が人体に似たものほど薬効が高いとされ珍重された』。『また』、『日本での栽培は、享保年間(1716‐36)に始まり、長野、島根、福島などで良品を産出する。栽培は冷涼で湿潤、かつ弱光条件を好むので、東西に畝を作り、覆いをして北側だけをあけて、陽光を調節する。11月に種子をまくか、別途に苗を養成して移植する。播種(はしゅ)後4年ないし7年で収穫する。洗って細根をとりさり、そのまま、あるいは漂白し、乾燥したものが白参(はくじん)で、白っぽい色をしている。掘ってからよく洗い、細根をとりさって蒸して、天日あるいは弱い火力乾燥をしたものが茶色の紅参である。このほか糖液につけてから乾燥した糖参などいろいろな調製法がある』。以下、「薬用」の項。『人参は毒性がほとんどなく、万病に効果があるとされる。根にはサポニン、配糖体であるギンセノサイド類、ステロイド、ビタミン B 群、コリンなどが含まれる。他の生薬と配合して滋養、強壮、強心、強精、健胃、鎮静薬として賞用され、新陳代謝機能の低下に賦活薬として用いる。含有エタノールエキスは副腎皮質機能を強化し、大脳皮質を刺激してコリン作動性を増強し、血圧降下、呼吸促進、インシュリン作用増強、赤血球数やヘモグロビン増加の効果がある。またギンセノサイド類には DNA 合成促進作用、中枢抑制作用、中枢興奮作用、溶血防御作用、溶血作用など、ときによって相反する薬効を示す諸物質が含まれる。アメリカ東部産のアメリカニンジン P.quinquefolia L.(英名 American ginseng)も薬用に利用され、チョウセンニンジンに劣らない薬効があるとされ、広東人参(洋参)と呼ばれる。また三七人参』(サンシチニンジン)『は P. notoginseng (Burk.) F. H. Chen の地下部で、主として止血、鎮痛、消炎、近年は強心、肝疾患などに、竹節人参はトチバニンジン P.japonicum C. A. Mey. の根茎で、去痰、解熱、健胃に用いられる』。以下、「歴史」の項。『朝鮮では高麗人参ともいう。日本の正倉院の宝物にも見えるように、古来、不老長寿、万病の薬として漢方では最高の位置を占めた。朝鮮の特産物として人参は王室への進上物や中国への貢納には』、『必ず』、『含められ、また日朝貿易でも主力商品となり』、時『には対外交易において銀貨の代用物とされた。朝鮮では採取量がふえるにつれて、山中に自生する人参の枯渇が心配され、人工栽培が14世紀末には開城で本格化したことが、李時珍』の「本草綱目」『などに記載されている。以来、開城人参が有名になった。一度栽培した土地では地味が消耗するため、数十年』、『人参栽培はできない。今日では開城のほか、江華島や忠清南道錦山などで大量に栽培され、海外への輸出も多い。栽培種の達参(ポサム)より』、『自生の山参(サンサム)のほうが』、『はるかに貴重とされているが、山参を見つけるのは難しく、親の病を治すための山参採りの孝行話は古くから数多い。山参採取を業とする人々はシムマニとよばれ、身を浄めて入山し、隠語を使い合って山参を探す。両江道、平安道、江原道などでは今日でも山参採取が続けられている』。『日本でも江戸時代には朝鮮人参の需要が高まり、人工栽培も行われ、また』、『人参の専売権をもつ人参座』(にんじんざ)『が成立した。人参は高価であったため、近世には〈人参飲んで首くくる〉という成句が、身分不相応な出費のために身を滅ぼすことのたとえにされたほどである』。『日本で朝鮮人参の栽培が初めて成功したのは1728年(享保13)、日光今市の御薬園においてであったという』(「国指定名勝会津松平氏庭園 御薬園」公式サイトの「御薬園の始まりと歴史」に拠れば、この年に、『対馬藩が献上した60粒余を日光山に栽培したのが成功し、種子が実りました。そのため日光山麓今市市に栽培場をつくらせるようになりました』とあった)『その後の発展には本草学者田村藍水の努力が特筆される。37年(元文2)、幕府より種子を拝領して試植して以来、彼は《人参譜》《人参耕作記》《参製秘録》などを著してその普及に寄与した。国産物の薬効に対する疑問には、藍水の弟子平賀源内の編になる《物類品賦(ひんしつ)》に反論が見える。広東人参も47年(延享4)以降、清国商人の手で到来していた。これは実は、1710年代にイエズス会士ラフィトー J. F. Lafitau(1681‐1740)がカナダで発見したアメリカニンジンが、フランス東インド会社によって中国広東に輸出されたものであった。フランス本国でも』、『このころには朝鮮人参(その大半はおそらくアメリカニンジン)が知られていたようで、《百科全書》に L. C. de ジョクールが1項をさいて論じているほか、ginseng の語は62年』、『アカデミー・フランセーズによって公認されている』。『なお』、『薬効高く形が人間に似る朝鮮人参には、中国では古来さまざまな伝説が語られているが、特に《大唐三蔵取経詩話》や明刊本《西遊記》に見える人参、人参果を、西洋での類似の妖草マンドラゴラ伝説のアラブを介した東漸と関連づける説(中野美代子《孫悟空の誕生》1980ほか)は傾聴に値しよう』とある。また、当該ウィキ(標題は「オタネニンジン」)で補完すると(注記号はカットした)、「名称」の項に、『本種は元来「人蔘」と称され、中国、朝鮮半島、および日本で旧くから広く知られる薬草であった。枝分かれした根茎の形からヒトの姿が類推されて名称の由来とされる』。『10世紀前半の「和名類聚鈔」の『巻20「草類」に、人参に関して和名が「加乃仁介 久佐」(カノニケ草)と記される』とある。
ここで、同書の「卷二十」の「草木部第三十二」の「草類第二百四十二」のそれを、国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七 (一六六七)年板の当該部で視認して、推定訓読すると(標題下のものはルビの右/左)、
*
人參(カノニケクサ/クマノイ) 「本草」に云はく、『「人參《にんじん》」、一名は「神草《しんさう》」【和名、「加乃仁介久佐《かのにけくさ》」。一名、「久末乃伊《くまのい》」。】』≪と≫。
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ここに出る「くまのい」という和訓は、お馴染みの「熊の膽(胆)」で、クマの胆汁を乾燥したものを指す語で、古くより、中国で用いられ、本邦でも、飛鳥時代から利用されてきた経緯から、「神効を持つ霊薬」として並称され、名も転用したものと思われる。ウィキに戻す。
*
『朝鮮語では漢字語の「인삼」を多用し、特に貴重な野生物を「山蔘」(산삼)と称する。別の固有語名称で「シム」(심)もあるが、現代朝鮮語では職業「山蔘採取者」の意味で「シンマニ(朝鮮語版)」(심마니)、感嘆詞で「良いものを見つけた」の意味で「シンバッタ」(심봤다!)、などが僅かに残る。中国東北部では「木槌」「洗濯棒」の意味で「棒槌」(bàngchuí)と称する』。「御種の由来」の項。『「御種人蔘」が冠する「御種」(おたね)は由来が諸説伝わる』。
・『江戸時代の3代将軍徳川家光の時代に、関東地方の日光で栽培に成功し、江戸幕府が各藩に「種子」を与えて「御種人参」と称した』。
・『江戸幕府の8代将軍徳川吉宗が対馬藩に命じて朝鮮半島で種子と苗を入手させ、試植、栽培して』、『結実後に各地の大名に種子を分け与えて栽培を奨励し、これを敬って「御種人参」と称した』。
さても、『日本国内で栽培成功以前の「人蔘」は、朝鮮半島から輸入した』。以下、「人蔘とニンジン」の項。『元来「人蔘」は本種を指したが、江戸時代以降に舶来野菜として広まったセリ科の根菜“胡蘿蔔”(こらふ、現代のニンジン』(セリ目セリ科ニンジン属ニンジン(ノラニンジン)Daucus carota亜種ニンジンDaucus carota subsp. sativus)『は、本種と同じく肥大化した根茎を使用するため、類似視して「せりにんじん」など称した』。『「せりにんじん」は時代が進むと基本野菜として広く普及し、「にんじん」と称する事例が多くなった。時代とともに医学が西洋化すると』、『本種の使用例は減少し、日本語で「人蔘」は「せりにんじん」を指すことが一般となった』。『のちに区別を明らかにするため、本種は明示的に拡張した「朝鮮人蔘」と称することが一般となった(レトロニム)。』(retronym[:ある語の意味が、時代とともに拡張・変化した場合に、古い意味の範囲を特定的に表わすために、後から考案された語のことを指す語)。『戦後に日本の人蔘取扱業者は、輸入元の大韓民国で忌避される「朝鮮」を避けて「薬用人蔘」と称したが、後年に「薬用」は薬機法に抵触すると行政指導を受けて「高麗人蔘」へ切り替えた』とある。
最後に、例によって、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 | 人参(ニンジン)」(起原は、オタネニンジン Panax ginseng C.A.Meyer (ウコギ科 Araliaceae)の根とする)をシメとして引用して総論を終わる。
《引用開始》
人参は中国医学の中で最も有名な生薬といっても過言ではないでしょう。世界中にジンセンの名前で知れわたっています。
人参は『神農本草経』の上品に収載され、古来補薬として珍重されてきました。もとは朝鮮民族の薬物であって、陶弘景も高麗のものが最も品質が良いと記載しています。このようないきさつから、中国では古来品不足であったことが考えられ、根の形が似ている多くの偽物が出回っていたようです。宋代の『図経本草』にも4種類の異なった図が描かれ、それぞれ科も異なるまったく違った植物と思われます。その中で品質が良いとされている上黨(今の山西省路安)産の人参(路州人参)の図が正品であるオタネニンジンを描いたものと判断されますが、現在ではその地には産しません。
偽物が多かったためか、人参には興味ある真偽鑑別法が記載されています。『図経本草』に「言い伝えによると、上黨の人参を試すには二人の人間を同時に走らせ、一人には人参を口に含ませ、そうして3〜5里も走ると人参を口に含まなかったものは必ず大きく喘ぐが、含んでいた者の気息はごく自然である。これが真物の人参である」というものです。
人参は日本でも古くから有名であったようで、江戸時代には病身の親のために身売りしてまで入手したという話はよく耳にします。人参はそれほど優れた効果があったものと考えられますが、近年ではそうした劇的な効果があったということを聞きません。人参の化学成分や薬理学的な研究は世界中でなされていて、おそらくあらゆる生薬の中で飛び抜けて報告数が多いのではないかと思われますが、未だにそれらしい有効成分が見つかってはいないようです。現代人は昔に比べると栄養状態が良くなり、以前のような人参適応者がいなくなってしまったことが理由であるとする考え方もありますが、ただ、以前すばらしい薬効があるとされていた人参はまぎれもなく野生人参で、今われわれが使用している人参はまぎれもない栽培人参である事実を忘れてはならないでしょう。
現在わが国では福島県、長野県、島根県などでオタネニンジンの栽培をしていますが、近年は安価な中国産に押されぎみで、産地は価格の低迷にあえいでいるようです。一方、産地では品質に関しては分岐せずにすっと伸びた胴長のものが好まれていますが、これは紅参として輸出する際の規格に左右されているのであって、薬効の多少とは関係がありません。実際、形が悪くてもより大きなものほど単位重量あたりのエキス含量は多い傾向にあるようです。以前はヒトの形をしたものに神効があると信じられてきましたが、今ではそのようなものは加工面で嫌われています。これも時代の流れでしょうか。現在市場では栽培年数の長くて大型のものが良質品として取り扱われています。
また加工面では、そのまま乾燥した「生晒参」(生干し人参)、軽く湯通しして外皮を剥ぎ取って乾燥した「白参」、内部の色が変色するまで湯通しした「御種人参」、長時間蒸してから乾燥した「紅参」などがあり、日本薬局方では前3者を「人参」とし、「紅参」と区別しています。その他、中国では氷砂糖汁に漬けた後に乾燥した「糖参」があります。
今や野生人参を入手することはきわめて困難になっていますので、研究はおろか少量を服用することすら困難ですが、人参は昔からすばらしい薬物とされてきただけに、さらなる薬効と品質に関する研究が進むことを私たちも期待しています。
人参は中国医学の中で最も有名な生薬といっても過言ではないでしょう。世界中にジンセンの名前で知れわたっています。
人参は『神農本草経』の上品に収載され、古来補薬として珍重されてきました。もとは朝鮮民族の薬物であって、陶弘景も高麗のものが最も品質が良いと記載しています。このようないきさつから、中国では古来品不足であったことが考えられ、根の形が似ている多くの偽物が出回っていたようです。宋代の『図経本草』にも4種類の異なった図が描かれ、それぞれ科も異なるまったく違った植物と思われます。その中で品質が良いとされている上黨(今の山西省路安)産の人参(路州人参)の図が正品であるオタネニンジンを描いたものと判断されますが、現在ではその地には産しません。
偽物が多かったためか、人参には興味ある真偽鑑別法が記載されています。『図経本草』に「言い伝えによると、上黨の人参を試すには二人の人間を同時に走らせ、一人には人参を口に含ませ、そうして3〜5里も走ると人参を口に含まなかったものは必ず大きく喘ぐが、含んでいた者の気息はごく自然である。これが真物の人参である」というものです。
人参は日本でも古くから有名であったようで、江戸時代には病身の親のために身売りしてまで入手したという話はよく耳にします。人参はそれほど優れた効果があったものと考えられますが、近年ではそうした劇的な効果があったということを聞きません。人参の化学成分や薬理学的な研究は世界中でなされていて、おそらくあらゆる生薬の中で飛び抜けて報告数が多いのではないかと思われますが、未だにそれらしい有効成分が見つかってはいないようです。現代人は昔に比べると栄養状態が良くなり、以前のような人参適応者がいなくなってしまったことが理由であるとする考え方もありますが、ただ、以前すばらしい薬効があるとされていた人参はまぎれもなく野生人参で、今われわれが使用している人参はまぎれもない栽培人参である事実を忘れてはならないでしょう。
現在わが国では福島県、長野県、島根県などでオタネニンジンの栽培をしていますが、近年は安価な中国産に押されぎみで、産地は価格の低迷にあえいでいるようです。一方、産地では品質に関しては分岐せずにすっと伸びた胴長のものが好まれていますが、これは紅参として輸出する際の規格に左右されているのであって、薬効の多少とは関係がありません。実際、形が悪くてもより大きなものほど単位重量あたりのエキス含量は多い傾向にあるようです。以前はヒトの形をしたものに神効があると信じられてきましたが、今ではそのようなものは加工面で嫌われています。これも時代の流れでしょうか。現在市場では栽培年数の長くて大型のものが良質品として取り扱われています。
また加工面では、そのまま乾燥した「生晒参」(生干し人参)、軽く湯通しして外皮を剥ぎ取って乾燥した「白参」、内部の色が変色するまで湯通しした「御種人参」、長時間蒸してから乾燥した「紅参」などがあり、日本薬局方では前3者を「人参」とし、「紅参」と区別しています。その他、中国では氷砂糖汁に漬けた後に乾燥した「糖参」があります。
今や野生人参を入手することはきわめて困難になっていますので、研究はおろか少量を服用することすら困難ですが、人参は昔からすばらしい薬物とされてきただけに、さらなる薬効と品質に関する研究が進むことを私たちも期待しています。
《引用終了》
なお、「本草綱目」からの引用は、「草之一」の「人參」(リンク先は「維基文庫」の当該項)のパッチワークである。
「人薓(《にん》じん)」「廣漢和辭典」の「薓」の「解字」に拠れば、この「𣺎」という漢字は、『次第に増し加わるの意。年とともに根が成長する野菜』、旧の広義での『にんじん』のこととする。
「人䘖《にんがん》」東洋文庫訳では、『人銜(にんがん)』となっており、「維基文庫」でも『人銜』である。これは「神農本草經」の上品に収載されてあり、『人參、一名人銜、一名、鬼蓋』とあった。しかし、やはり、原本で確認しないで、良安や彫師の誤りとするわけには行かない。そこで、本邦の板本であるが、
「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」の寛文一二(一六七二)年刊の当該部
で検証した。やってよかった!
そこでは――慥かに――「人䘖」――となっていたのである!
而して、この「䘖」は「銜」の異体字であり、この漢字は、第一義が、馬の口に含ませて手綱を附ける金具である「くつばみ」「はみ」である。これは、「世田谷区」公式サイト内の「喜多見中通遺跡出土馬具(ばぐ)」に模式図があるが、左右に丸い輪が附いたものであり、
この半分を(朝鮮)人参の根の形に擬えたものではないか?
と私は判断する。
「海腴《かいゆ》」中文の「漢典」の「海腴」に『人参的别称』とし、使用例として、宋の蘇軾の詩「人參」から『玄泉倾海腴 白露洒天醴』が引用されていた。
「鬼葢《きがい》」前の前で注した通り、「神農本草經」で「人參」の別名である。ひねこびた奇体(≒「鬼」)な「葢」(ふた)のようなもので、想像を絶する神効(≒「鬼」)があるものという意味か。
「皺面還丹《しゆうめんかんたん》」意味を明らかにする記事を見出せなかったが、「『皺』だらけの人のような『面』(つら)をした根であるが、法術の仙『丹』に匹敵する神効を有するという意味に採ることが出来よう。
「甘草《かんざう》」先行する「甘草」を見よ。
「人參、有る𠙚《ところ》、上に、紫《むらさき》の氣、有り、揺光星《やうくわうせい》の≪光≫、散じて、人參と爲《な》る」「東洋文庫訳」では、『人参のある処では上に紫の気があり、揺光(ようこう)星(北斗七星の中の第七星)の光が散じて人参となる、という。』とある。
「椵樹《かじゆ》【桐に似て、甚だしく、大なり。】」「卷第八十七 山果類 櫠椵」を見られたい。そこで、さんざん、考証しても、種に辿りつかなかった。
「互市《ごし》」当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『互市(ごし)とは、中国の歴代王朝が国境地点にもうけた公認の対外交易場である。またここから転じて、明朝後期から清朝期にかけての、中国の対外貿易システムを指すこともある』。『漢代には、互市で南越や匈奴、鮮卑』(せんぴ:紀元前三世紀から中国北部と東北部に存在した騎馬民族。五胡十六国時代・南北朝時代には、大移動で南下し、華北の国々を征服、中国に前燕・北魏などの王朝を建てた)『と交易を行っていたことが確認されている。唐代では、対外貿易を行う海港を市舶とし、港における互市を管理させた』。『明朝は当初、海禁政策を取り、朝貢によらない私貿易を厳禁した。日明貿易で行われた勘合貿易は、中国側にとっては朝貢貿易の一環であった。しかし16世紀後半になると』、『後期倭寇により海禁政策は行き詰まり、朝貢によらない私貿易を容認した。これは次の清朝にも引き継がれ、朝貢体制の外側に、外交を伴わない形での互市体制が作られることになる。江戸時代の日本も互市体制のもとで清朝側と貿易を行った』。但し、『清朝は海禁を完全に解いて自由貿易を認めたわけではなく、様々な規制を設けて管理しようとした。その一つが』、『欧米との貿易を広州のみに絞った広東貿易体制である。だが』、『こうした規制の試みはアヘン戦争の敗戦とその結果の南京条約により、放棄されていった』とある。以下、「清代に互市が行われた主な地点」として、キャフタ(ロシア連邦を構成するブリヤート共和国の都市。ここ(グーグル・マップ・データ))・上海(江海関)・寧波(浙海関)・厦門(閩海関)・広州(粤海関)がリストされてある。
「薺苨《せいねい》」多年草本のキキョウ目キキョウ科ツリガネニンジン属ソバナ(岨菜・蕎麦菜・杣菜) Adenophora remotiflora 。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『和名は「杣菜(そまな)」と漢字で書かれ、杣は木こりのことを指した言葉で、山道に生える菜の意味がある』。『日本では本州、四国、九州に、アジアでは朝鮮半島、中国に分布する。平地沿いの低山から山地の草原や林内、林縁、沢沿いなどの、やや湿った傾斜地などに、大小の集団を作って自生する』。『茎は』、『やや傾斜して直立し、高さは40 - 100センチメートル』『ほどになり、中空で折ると白い乳液が出る。乳液はキキョウほど強くはない。葉は茎に互生し、茎の下部につく葉には葉柄がある。葉柄のつく葉の形は広卵形で、花がつく茎の上部は広披針形になり、いずれも葉の先は尖り』、『基部はほぼ円形、縁は』、『はっきりした鋭い鋸歯状がある。ほとんど無毛で、若葉のときは強い光沢がある』。『花期は夏(8 - 9月ごろ)。枝の先が分かれて青紫色の円錐状に近い鐘形の花を』、『やや』、『まばらに咲かせる。大きい株になると』、『枝を数段に互生させ、多数の花をつける。花の』萼『片は披針状で全縁。雌しべは突出する。花冠の先は5裂し、先端は少し反り返る』。『春の出たばかりの黄色味を帯びている若い芽は、山菜として食用にされる。採取時期は関西以西が4月、関東地方が4 - 5月、東北・中部の寒冷地は5月ごろとされ、根元から摘んで採取する。さっと茹でて』、『水にさらし、おひたし、酢の物、ごま・酢味噌などの和え物などにし、生のまま天ぷら、汁の実にする。クセがほぼないため』、『さまざまな料理に使える。歯切れがよく』、『美味であり、飢饉の時には』、『蕎麦の代用品として主食同様に用いられたと推測される。花』も『軽く茹でて』、『酢の物にできる』とあった。
「細辛《さいしん》」双子葉植物綱コショウ目ウマノスズクサ(馬の鈴草)科カンアオイ(寒葵)属ウスバサイシン(薄葉細辛)Asarum sieboldii 、又は、オクエゾサイシン(奥蝦夷細辛)変種ケイリンサイシン(鶏林細辛)Asarum heterotropoides var. mandshuricum (後者は中国には分布しない)の根及び根茎を基原とするもので、漢方薬品メーカー「つむら」の公式サイト「Kampo View」の「細辛」に拠れば、『主として、胸部、横隔膜のあたりに病邪のとどまっているもの、水毒(水分の偏在)を治す』とある。
「淋過《りんくわ》≪し≫たる竃《かまど》の灰」この科学的な機序に就いては、石川英輔氏のエッセイ「土に還る(3)灰の行方」(PDF)に詳しいので、見られたい。
「藜蘆《れいろ》」先行する「草類 藥品(5) 藥七情」の当該注を見られたい。
「五靈脂《ごれいし》」既注だが、再掲しておく。中国に棲息する哺乳綱齧歯目リス亜目リス科リス亜科 Pteromyini 族ムササビ属 Petaurista の糞を基原とした生薬。「金澤 中屋彦十郎藥局」公式サイト内のこちらによれば、『成分としてはビタミンA類、その他で』、『炒りながら』、『酢や酒を加え、乾燥したものがよく用いられる』。『かつては解毒薬として蛇、ムカデ、サソリ等に咬まれたときに外用した』とある。
「皂莢《さうきやう》」「卷第八十三 喬木類 皂莢」の私の注を見よ。
「升麻《しやうま》」キンポウゲ目キンポウゲ科サラシナショウマ属サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎を天日乾燥させたもの。ウィキの「サラシナショウマ」によれば、これは、『発汗、解熱、解毒、胃液・腸液の分泌を促して胃炎、腸炎、消化不良に効果があるとされ』、各種『漢方処方に配剤されている』とあり、さらに、『民間では』、一『日量』二『グラムの升麻を煎じて、うがいに用いられる』とする。さらに、『なお、本種に似たものや、混同されて生薬として用いられたものなど、幅広い植物にショウマの名が用いられている』とある。最後の部分は、ウィキの「ショウマ(植物の名)」も参照されたい。
「上焦」漢方で六腑の一つとして措定される架空の臓器部分を言う「三焦」の一つ。「上焦」・「中焦」・「下焦」の三つからなり、「上焦」は「心臓の下、胃の上にあって飲食物を胃の中へ入れる器官」とされ、「中焦」は「胃の中脘(ちゅうかん:本来は当該部のツボ名)にあって消化器官」とされ、「下焦」は「膀胱の上にあって排泄をつかさどる器官」とされる。因みに、所謂、「病い、膏肓に入る。」の諺の「膏肓」とは、この「三焦」を指し、これらが人体の内、最も奥に存在し、漢方の処方も、そこを原因とする病いの場合、うまく届けることが困難であることから、医師も「匙を投げる」部位なのである。
「茯苓」先行する「茯苓」を見よ
「黃茋」これは、「黃芪(わうぎ)」とも書く。マメ目マメ科ゲンゲ属キバナオウギ Astragalus membranaceus の根を基原とする生薬。当該ウィキによれば、『止汗、強壮、利尿作用、血圧降下等の作用がある』とある。
「麥門冬」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科 Ophiopogonae 連ジャノヒゲ属ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus の根の生薬名。現行では、これで「バクモンドウ」と濁る。鎮咳・強壮などに用いる。
「乾薑《かんきやう》」「卷第九十二之本 目録 草類 藥品(1)」の私の注を見られたい。
「韃靼(だつたん)」タタール。蒙古系部族の一つ。八世紀に東蒙古にあらわれ、モンゴル帝国に併合された。宋では、蒙古を「黒韃靼」、オングート(同じくモンゴル帝国以前から元代にかけて存在した遊牧民族)を「白韃靼」と称し、明では、元滅亡後、北に逃れた蒙古民族を「韃靼」と呼んでいた。
「白頭山(はくとう《さん》)」白頭山(ペクトゥサン)は、朝鮮民主主義人民共和国の両江道と、中華人民共和国の吉林省の国境地帯にある標高二千七百四十四メートルの火山。別名を「長白山(ちょうはくさん)」とも言う。天池の両側に、朝鮮半島と中国東北部の最高峰がある。ここ(グーグル・マップ・データ)。抗日ゲリラの拠点であったことから、革命の聖地とされる。
「判事(ハンス)人參」良安の言い方からみて、全く同一種であるようには読めないが、ネットで検索しても、出てこないから、正体は判らない。「国書データベース」の「和漢人參考」という本の、ここで、見つけた。謙齋の著で、滕(とう)玄順の補になる、文化九(一八一二)年板(浪華加賀屋善蔵)のもので、印記があり、旧蔵者の一人は、かの、森鴎外であった。その内容を見ると、これがあった。漢文(訓点附属)のまま、以下に示して、お茶を濁すこととした(「𧢲」「⻆」は「角」の異体字)。
*
判事
西章云是レ人參也和俗稱二半事ト一舶上謂二羊𧢲參ト一【非二白條參ノ羊⻆參一也】形色最モ美ナリ黃潤明亮雖ㇾ可ㇾ充二上黨參ニモ一氣味俱ニ薄不ㇾ如二朝鮮ニ一或ハ呼二朝鮮新山ト一是レ商人人僞稱
*
「蝦手(えびで)人參」小学館「日本国語大辞典」に拠れば、読みは、『えびで‐の‐にんじん』で、漢字表記は『海老手人参』とあり、『朝鮮半島の白頭山に産するチョウセンニンジン。あめ色を帯び、曲がった形がエビに似ているのでいう。朝鮮人参。』とあり、初出例として、浄瑠璃の「博多小女郞波枕」(享保三(一七一八)年)の「上」から、『仕合すれび気の薬、海老(ヱビ)での人参(ニンジン)五箱で卅斤』を引いている。しかし、本「和漢三才図会」の全巻成立は正徳二(一七一二)年であるから、初出例としては、本書の方が百科事典でもあるから、正当に優に先行するものである。
「湯人參」「日本薬学会」公式サイトの「薬学用語解説」の「人参湯類 にんじんとうるい Ninjinto group」に、『漢方処方の分類で、「人参(にんじん)」を主薬とする処方群である。人参は健胃、強壮作用、免疫賦活作用などを有し、虚証の治療に重要な生薬であり、人参湯類の使用目標は「胃腸の気を補い、消化機能低下や冷えを改善するもの」と、共通している。代表的な処方である人参湯は、胃腸虚弱、冷え性、食欲不振、嘔吐、胃痛などに用いる。また、口中に薄い唾液がたまって気持ちが悪い場合にも用いられる。大建中湯(だいけんちゅうとう)は、血流を増し、消化管を刺激し、体を温め、消化管の緊張を調節するなどの作用があり、冷えによる腹痛、腹部膨満感がある場合に用いる。また、開腹手術後の腸閉塞(イレウス)の予防を目的として頻用されている。四君子湯(しくんしとう)は、胃腸虚弱で胃内停水があり、食欲不振で虚証で気力・体力が衰えた場合に用いる。六君子湯(りっくんしとう)は、四君子湯に陳皮(ちんぴ)と半夏(はんげ)を加えたものであり、応用範囲は四君子湯よりも広く、胃のもたれやうつ症状のある人に用いる。茯苓飲(ぶくりょういん)は、吐き気や胸やけ、げっぷ、食欲不振などの症状があり、胃腸内にたまったガスを容易に排出できない場合に用いる。』とあったが、この類いであろうか。
「唐人參《たうにんじん》」小学館「日本国語大辞典」に、『唐人参』に、『中国産の人参で朝鮮人参の類。』とし、初出例に雑俳の「うたゝね」(元禄七(一六九四)年)から、『客は聟唐人参の引肴』を引いてある。
「山西(サンスイ)」(拼音:以下同じ)Shānxī で、音写で「シァン シィー」である。
「潞安《ろあん》【古への上黨《じやうたう》。】」現在の山西省長治市(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)の内。
「北京(ポツキン)」Běijīngで、音写は「ペイジン」。当該ウィキの「北京の読み方」に拠れば(注記記号はカットした)、『日本では一般的に「ペキン」と読む。この読みは中国南部の方言の唐音に由来する歴史的な読み方である。1906年制定の郵政式アルファベット表記でもPekingと表記されている。 中国の共通語である普通話では、Zh-Beijing.ogg Běijīngと発音し、カタカナに転記すると「ペイチン」。英語では Beijing と表記し、 [beɪˈdʒɪŋ] 「ベイジン」と発音している。国連や北京市の公式サイトにおいても、Beijing を英語の名称として採用している。ただ』、『以前は英語圏でもPeking「ピーキン」という表記を多用していたこともあり、北京大学を英語で Peking University と表記するなど、その名残を残している』とあり、別に、『江戸時代の書物(江原某『長崎虫眼鏡』など)では、「北京」のふりがなは「ほつきん(発音はホッキン)」となっている。幸田露伴の小説「運命」では読みを漢音で「ほくけい」としている。諸橋轍次「大漢和辞典」では「ほくけい」「ぺきん」の二つの読みを併記している。「ほっけい」とも言う。』とあった。
「永平(ヨンピン)」Yǒngpíngで、音写は「イォンピィン」。現在の北京市永平小区の内か。
「雲南(イユンナン)」Yúnnánで、音写は「ユインナァン」。
「姚安(テウアン)」Yáoānで、音写は「ィアォ」。現在の雲南省楚雄イ族自治州にある姚安県(ようあんけん)。ここ。
「小人參《しやうにんじん》 大人參の中より擇出《えらびいだ》し者に≪は≫非ずして、本《もと》、自《おのづか》ら一種の小《ちさ》き者≪なり≫。其《その》根、長さ、一、二寸許《ばかり》。」実は、次の項目が「髭人參」で、そこに『小人參』を俗称としてある。そちらで、細かに考証するが、今、即席に調べてみた限りでは、良安が「自ら一種の小き者」と言っているような、独立種ではないようである。則ち、チョウセンニンジンの細い根を除去した製品であり、単に処理工程がことなるだけの、同種の加工品を指しているものを指すものと断言してよい。
「猶《なほ》、罌粟(けし)と美人草《びじんさう》と≪の≫ごとし。」東洋文庫訳では、この箇所に訳者の割注があり、『(巻百三穀類、罌子粟および麗春花の項を見よ)』とある。しかし、その指示した巻は、実に本植物部プロジェクトの終わりから一つ前の巻なのである。しかも、二種(並んではいる)について、ここで、注釈をすることになると、またまた、膨大な時間と労力が必要になる。そこまでやることは、私には、たまらんチンの100乗で、無理である。そこで、取り敢えず、当該の二種の部分を、国立国会図書館デジタルコレクションで指示するに、留める。雑駁に言ってしまうと――同属ながら――似て非なるもの――なんである。「罌子粟」(こ奴は、キンポウゲ目ケシ科ケシ属ケシ Papaver somniferum言わずもがなの阿片(アヘン)の元であり、本文内で「阿片」が小項目として記されてある)はここで、「美人草」(こちらは、可憐な「虞美人草」=であるケシ属ヒナゲシ Papaver rhoeas )はここである。]


