立原道造草稿詩篇 秋のマドリガル
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]
秋のマドリガル
僕はお前をくららと呼ばう
お前は田舍のあの村の郵便函
お化粧もせずにあの新物店(みせ)の軒(のき)にゐた
手紙をいれに晝の日傘をさして
別莊のお孃さんが來ると ポストは怠け
僕はお前をくららと呼ばう
いろいろなことの思ひ出のために
そして僕の手紙をお前に 僕に
この夏の遠かつた雲に
秋 町で誰かの歸りを待ち侘びてゐたと
きつとそればかりをに認(したた)めよう
お前は 多分あの人だ
くららは靑い谷間で古い世紀を織つてゐた あれはお前だ
[やぶちゃん注:「マドリガル」(英語:madrigal)イタリアのマドリガーレ(madrigale:古くは、十四世紀のイタリアで栄えた詩形式及びこれに基づく多声楽曲であるが、これは直に廃れ、後にそれらとは全く無関係に同名称で十五世紀から十六世紀にかけてイタリアで発展した、主として無伴奏の重唱による芸術的な多声歌曲をも指すようになった。後者は「ルネサンス・マドリガーレ」とも呼ぶ)、及び、その影響を受けてエリザベス朝(一五五八年~一六〇三年)のイギリスその他の国で成立した歌曲の総称。ここはルネサンス・マドリガーレ及び最後のものを指すと考えてよい。ウィキの「マドリガーレ」によれば、『詩節が無く』、『リフレインも無い自由詩を用い、テキストの抑揚に併せてメロディーが作られた。感情表現を豊かにするためにポリフォニーやモテットの様式、模倣対位法、半音階法、二重合唱法などあらゆる音楽形式が採られ、多くの作曲家が作品を作った』。十七世紀に入ると、『カンタータに取って代わられたが、その後も幾人かの作曲家がこの形式の作品を残している』とし、「イングリッシュ・マドリガル」は『エリザベス朝イングランドの宮廷作曲家達によって、イタリアの形式を真似て作られたが、イタリア』のそれほどには『複雑で無く』、『和声を主体にした曲が多い』とある。
「くらら」注記に『立原の愛読したフランシス・ジャムFrancis Jammes 1868―1938. の』詩集『 “De l’Angelus de l’aube à l’Angelus du soir. 1898”「暁の鐘から夕の鐘まで」中の“J’aime dans les temps”……(僕は愛するあの時の…)に歌われた少女クララ・デレブウズ』Clara d'Ellébeuse『に拠ると思われる。』とある。フランス語の「ウィキソース」のここで、全篇が原語で読める。]

