立原道造草稿詩篇 病
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここ、底本の注記はここから視認出来る。そこに、『昭和7年8月31日付・畠山重政宛書簡に紹介の「―或る詩」を原型とする。そこでは第二聯の第一、二行が「……一月過ぎて。/(ガラスに映る、死の姿)」とあるが、この詩句の改作に拠り本稿の制作時を8年春と推定する。』とある。これは、このパートの注記の冒頭に、現行草稿の解説に使用原稿紙を『江川書房製四百字詰草稿』とし、『物語「短篇二つ」(第三巻所収)中の昭和8年春頃と想定する「日曜日」(江川書房製同種草稿)の初期書体との酷似に拠って』『区分した』とするのに基づく解説である。また、『*第一聯第一行 ママ〈埃りが黃かつた〉』とある。以上から、底本全集の「第五卷 書翰」のここを視認し、「原型」を示した。それは、その長い書簡のパート記号『III』の冒頭おかれているのであるが、その一行目に七字下げで『―或る詩』とあって始まり、『III』はこの詩とクレジットのみで終わっている。この『―或る詩』という表現は、一見、書簡の本文(「或る詩をお目にかけます。」の意)であるかのように見えるのであるが、この有意な字空けを見るに、未だ標題は附していない「無題」というニュアンスを感じさせるから、それを添えておいた。無論、クレジットも添えた。]
【原型】
――或る詩
プラツトフオームで、手をふつた。それから、埃りが黃かつた。尾灯(テールライト)は赤かつた。
(それが君との別れだつた。)
……一月すぎて、
(ガラスに映る、死の姿。)
今度は僕が出發だ。見送る誰もなく。時間が廻つてゐる。身體の內部よ、ハガキよ、睡眠よ。
⦅サヨナラ……オワカレダ
空が動き出す、不器用な足取りで。
暫くすれば、僕は去るであらう。
暫くすれば、僕は去るであらう。
(一九三二・八・一四)
[やぶちゃん注:第一連の「黃かつた」はママ。私は「きいろかった」と読んでしまうが、或いは道造は「きかった」「きいかった」と読んでいるのかも知れない。第二連の「一月」は「ひとつき」とも「いちがつ」とも読めるが、改稿版は「一年」であるから、第一連の時制からの有意な時間的経過があるからこその「今度は僕が出發だ」の台詞となり、何より「時間が廻つてゐる」という謂いからも、後者の「(翌年の)一月」であってこそ、腑に落ちる構造にはなっている。しかし、必ずしも、それが絶対正解ではあるまい。この原型では、僅か「ひとつき」であっても、作者の心理的変容は自らの「出發」をたった「ひとつき」で決意させるものであったのだろう。さればこそ、ここは、当初は「ひとつき」であったと私は読む。寧ろ、そこに作者の、やるせない孤独な「出發」が示されるとも言えるからである。改稿では、そうした有意な「一年」という時間をしっかりと提示してこそ、読者には、論理的にも納得させるに効果的であると考えたのでは、あるまいか。それを受けて、改稿では「春の空」に変えたのであろう。しかし、「死の姿」の凄絶感の方が「出發」の覚悟をよく示す点で、私は、こちらを支持するものではある。第三連の「⦅」の「⦆」が最後にないのは、ママである。]
【改稿形】
病
プラツトフオームで手をふつた それから埃りが黃かつた 尾灯(テール・ライト)は赤かつた
(それが君との別れだつた。)
……一年すぎて
(ガラスに映る 春の空)
今度は とほう出發だ 見送る誰もなく 時計のなかで時計が廻つてゐる
言葉――千度それは囁かれる
さよなら ハガキよ 睡眠よ
暫くすれば 僕は去るであらう
暫くすれば 僕は去るであらう
[やぶちゃん注:決定稿の方が、「死の姿」の直截的な翳(かげ)が消失した結果、全体のリズムは、時計の音のように単調に字背で聴こえて、ブルージーな統一した詩想とはなっている。確かに、後者は抒情詩として、洗練されては、いる。しかし、私の好みとしては、粗削りの原型の方が、圧倒的に好きである。知られたダンディな詩人道造ではない、粗野な彼の心傷を確かに感じられるからである。
なお、「病」とあり、原型で「死の姿」と出るが、彼が結核に感染しているのが、はっきりと自覚し得るのは、昭和一三(一九三八)年以降のことであるから、この「病」「死の姿」はそれを指すものではない。但し、彼は、旧制中学時代の十四歳の時に、当時の「精神衰弱」に罹患したとされ、病跡学的には心身症に罹患していたと言った見解も見られる。私は嘗つて『日本病跡学雑誌』をずっと購読しており、そこで、立原道造関連のそれらを、複数、所持している。興味のある方は、「つくばリポジトリ」のここで、木山祐子氏の博士論文「立原道造の病跡学的研究 : 結核患者としての側面」(二〇一八年発行・PDF)がダウンロード出来るので見られたい。纏まっていて、非常によい。]

