河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(五)鱶鰭の說(その13) / 鱶鰭の說~(図版8)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。この図版(これ以降は、「図版12」を除き、総てが、鱶鰭の製品用に切り取ったものである)の鱶鰭は幾つかの図に縦・横の白いスレが入っており、甚だ、気になったため、違和感が生じないように考えて、線状の白をランダムに黒塗りした。なお、このページの図は、上部の二個体の右から左、次いで中部の一個体、最後に下部の右から左の順で示した。キャプションの内、左中央の内容は、私は、左下段の図に対する解説であると採った。さらに、ここでは、右下一個体を除いてサメの種を示す解説が全く含まれていないので、種は判らない。私はサメ類には全くの素人であり、鰭の形から種同定をすることは不可能である。或いは、種を名指すことが可能な方が、おられるかも知れない。御教授戴けると、幸いである。]
【図版8】
■「鯊鰭《ふかひれ》四枚揃」
「明治十六年、水産博覽會へ、
東京・小田原町、林清吉、出品。」
[やぶちゃん注:「鯊鰭《ふかひれ》」本パートの最初の「鱶鰭の說(その1)」は、昨年末に公開したものだから、既に私の注を忘れている読者も多かろうから、部分再掲しておく。
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「鯊(ふか)」漢字は誤りではない。「鯊」は本邦では、通常、「はぜ」(=脊索動物門脊椎動物亜門条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科 Gobiidaeの類の総称)と読むことが一般的であるが、漢語としては、第二義で「さめ」(無論、和語)、或いは、「ふか」(=サメ類(軟骨魚綱板鰓亜綱 Elasmobranchii)の特に大きいものの俗称だが、「さめ」と同義としても用いるケースは多い。学術的な言い分けではない。
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「東京・小田原町」江戸時代の日本橋北詰めで、現在の日本橋室町一丁目附近で、江戸では、後に日本橋魚河岸となり、魚市場の賑わいで知られ、後に築地に移転した。「中央区観光協会特派員ブログ」の『江戸日本橋の「小田原」って?』で、江戸時代の配置図(電子的に新規整序されたもの)と現在の地図が配置されており、ビジュアルに確認出来る。
なお、この「明治十六年、水産博覽會へ」「出品」が、以下の四図の鰭にも適用されるのかどうかは、判らない。しかし、であれば、それ以外のキャプションの始めに、前に同じであることを示すキャプションが示されねばおかしいから、私は、そうは理解しない。]
■「胸鰭二枚」
「壱枚を略す。」
「一四枚の一《ひとつ》。」
■「尾鰭」
「四枚の一。」
[やぶちゃん注:以下は、図の下方から右上方に、四十五度傾斜で、斜めに、逆立ちで書かれてある。]
「背骨の際《きは》より、切放《きりはな》ちたる切口《きりくち》。」
[やぶちゃん注:「尾鰭」の下には、薄く「四一」の字が確認出来る。思うに、「四」枚の「一」と書いたが、それでは意味が通らない上に、下の空隙が狭いので、消し、左行で、かく、書き換えたもの、と推理する。]
■「白鱶鰭《しろふかひれ》」
「長門國《ながとのくに》
厚狹郡《あさ/あづさのこほり》
埴村(はづ《そん》)。」
[やぶちゃん注:この村の名のルビは誤りである。「はぶそん」が正しい。「そん」の音読みは、ウィキの「埴生」(はぶ)の「近現代」の「行政区域の変遷」の記載に拠った。但し、「そん」であれば、河原田氏は「はづそん」とルビすると推定されるから、彼は「はづそん」と読んでいる思われる。
さて。ここでは、唯一、「白鱶」と表記しているから、これのみ、
メジロザメ目ドチザメ科ホシザメ属シロザメ Mustelus griseus
に同定出来る。]
■「此《この》壱鰭《いちひれ》ハ、尾の下部に
ある分岐にして、脊骨《せぼね》
の末《すゑ》、眞《まこと》の尾と
切放《きりはな》つなり。」
[やぶちゃん注:本来の尾鰭の一部を切り離して加工したものであって、完全なる尾鰭ではないことを注意喚起しているのである。]


