立原道造草稿詩篇 肉親
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]
肉親
どうかして向う側へ行つてみたいとその人は言つてゐた。部屋のこちらできいてゐるとうすぐらいランプの下でがやがやしているのがわかるのです。誰でもさうなのでせうが、その人はいつでもこちらの部屋にゐて目をひらゐたりとぢたりして椅子の上にゐた。向う側へ行つてみたいと考へてゐたのです。
或るとき、やはり椅子の上にゐたけれど、その向う側のがやがやしたざはめきにまじつてひとが泣いてゐる聲がすゝり泣きみたいな節まはしできこえた。きつと水がこぼれてゐるのですう。それで、あかりを消しすつかり窓をとざし、長いこと考へえゐました。
その人は向う側にも母がゐて子供たちのために羽ばたいたり、泣いたするのだと。
あくる日、靴をきれいにみがいて、靑空の下で散步しました。
[やぶちゃん注:最終行の行頭からの開始はママ。この散文詩の中に道造個人の両親に対する特異感情を分析しようとしても、私は、あまり成果を得られないと思っている(道造は、大正三(一九一四)年七月三十日生まれで、立原貞治郎・とめ夫妻の次男として東京市日本橋区橘町(現在の中央区東日本橋)に生まれた。家では、荷造用木箱製造を営んでいた。長男の一郎は前年に数え三歳で没していた。大正八(一九一九)年(年)、貞治郎が亡くなり、五歳で立原家の家督を継いでいる。母については、既に注で述べてある)。本篇は、道造の、所謂、「物語」の一つのシークエンスとして書き綴った試験的な断片であろうと推定される。]

