立原道造草稿詩篇 春 【「春」の裏側に書かれた全くの別草稿】(母は呼びつづけた⋯⋯)
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこには、裏面に鉛筆書きの下書き「子供はとうとう」』(後の「とう」は踊り字「〱」。なお、ママである。「とうとう」は厳密には歴史的仮名遣では「たうとう」である)『(無題・第六巻所収)がある。』とある。私は、同全集の「草稿詩篇」と「下書き」の区別が、どうしても納得出来ないでいる。「草稿詩篇」の「後期」は、概ね、杉浦明平編の「立原道造詩集」を元に電子化しているので、その検証を終わったら、「下書き」の部分も電子化しようとは思っている。しかし、ここで、敢えて注で、裏に書かれているとされてしまうと、同時期に書かれた「草稿」と私は見做す。されば、特異的に、それ(「第六卷 雜纂」の「下書き草稿篇」のここの右丁上段)を【「春」の裏側に書かれた全くの別草稿】として、「春」の後に四行空けて、電子化して添えることとする。「とうとう」は、そのまま用いた。――✕但し、堀內氏の注記載は、おかしい。リンク先を見て貰えば判るが、これは、無題であり、「子供はとうとう」ではない。そちらでは、冒頭の「母は呼びつづけた」を仮題としている。私はそれを仮題とする。]
春
願ひに近く 僕は不確かに
明日の來るのを待つてゐる
もうそれは僕に手をのばす
風は季節のやうに美しい
うたはない者はゐなかつたか
僕は 聞く 風が頰を吹いて行く
僕は 笑ひながらやさしくなる
明日は旅に立ち 僕は
山の向うに越えて行く
もうそれは僕に花を散らす
花びらを手に拾ふと
僕は 明日が來るのを知つてゐる
【「春」の裏側に書かれた全くの別草稿】
(母は呼びつづけた⋯⋯)
母は呼びつづけた。坊やおあしを持つてゐるかいと。
子供はとほく返事した、持つてるよ。母は何度もききあやまつた。彼女は呼ぶのをやめなかつた。
子供はとうとう母のそばに來た。
母は彼にいくらかの金を與へた。そしてまた安心したやうに幼い女の子ともとの道を歸つて行つた。
もう晝の色はうすぐらくなつてゐた。花のにほひが、水つぽくあたりにまざつてゐた。
子供のラツパの音がまた聞こえた。
私はベンチを立ち去つた。
子供が母に養はれてゐること程かなしいことはないだらうか。或る日私は、講演のベンチに坐つてゐた。それはもう日のおちたあとあつたか、また晝間にやうだつた。私はラツパの音をきいてゐた。それが何だか私は知らなかつた。
草の芽を手で持つて、その音をきいてゐた。幼い女の子を連れて、母が私の前を通つた。彼女はしきりに子の名を呼んでゐた。
とラツパの聲がやんだ。

