立原道造草稿詩篇 一日
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、本パートの初回のこちらを見られたい。そこには、『署名入』で『初題「窓にて・I」』とり、以下、『*第二詩はザラ紙初稿を持つ。』とするが、その初稿は示されていない。『*第三詩は草稿裏に無題の初稿を持つ。』とあるが、同前。本草稿は『*遺稿と註されて「革新」昭和14年8月号に発表された。「革新」は革新社発行の綜合月刊雑誌(田所太郎編集)。』とあり、最後に『◎以上の三篇』(草稿「夕映の中に」・「夜 泉のほとりに」を指すので注意)『は角川書店版第五巻』(これは、戦後すぐの方ではなく、一九五九年の方の本底本の旧版を指す。ここから)『の配列に従った。』とある。
さて、私は本草稿篇を二〇一五年九月に、一度、電子化注しているが、底本を、当時の国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を用いており、これは、底本の表記に許し難い多くの問題があり、特に本詩篇に就いては、およそ残しておくことは出来ないと判断して削除し、新たに、ここで決定版として再校正して公開することとした。そこでは、私の注も附してあったが、それらも総て再考し、ここで書き直した。
なお、この前の「夕映の中に」・「夜 泉のほとりに」の二篇は、既に二〇一五年に電子化注したものがあるので、そちらを底本変更、或いは、本底本で校正をして正規表現に直した。]
一日
私をささへて 黑い花があつた
私は それを 摘みとつた
祕密な白い液の重い滴りが
莖の色を 蒼ざめさせた
私の眼ざしは 枯れはじめた
私の饒舌は 息切れはじめた
黃昏は あちらの方で 一日を
心にもなく美しく化粧する と 私にはおもはれた
それが なぜ なのだらう?
窓の內側に燈がともつてゐて
ひそかな聲が呼んでゐるとき
多くの人が家もなく 急いでゐるのは!
私らが ひとつの橋で 明日
あり得ること 空しい問ひは
いつまでものこり そのままにそれは
問ひただしてやまないのだ
贋貨が通用しない日々はない
凋んだ花が 夜のうちに 生きかへるだらう
しかし 私は それを摘みとつた
私をささへて 黑い花があつた⋯⋯
⁂
雪が霽れて――空には 鳩らが低く
飛んでゐる 曇つた空に⋯⋯風景よ
ときに おまへは 忘却であり
おまへは 美しい追憶である
おまへの灰色は 鳩らと共に
灰色であり むしろ 慰め!だ
ためらひながら ひとつの情緖の
こころよく 訪れるときに――
おまへとの一日が たとひ無限を
あこがれないものであらうとも
僕らのフーゲが むしろくらく低く
寂寥のみの場所の あらうとも
風景よ おまへは自らの光をねがふ
雪のあとの夕べのしづかさに住んで
⁂
かつて私は Lyra をとり奏で
一日を 黃昏まで
うたひくらした日があつた
みづからの歌に聞き恍れながら
私の咽喉は金屬の
笛のやうに澄んでゐた
夢多かつた むなしい弱年の一日よ
私はいまは 夢で夢を描かうとする
身ぶりにまで 高まつたこの界ひに
しつかりと土の上に 私はいまは
架けようとする もつと大きなものを
怒りと 一層激しい諦めで
眺められる あのひとつのものを
私が 靜かな測定器であるやうに
[やぶちゃん注:先行する未発表のグループの未定稿詩篇五篇の最後に置かれたやや長い一篇である。
第二聯三行目「黃昏」(後の聯のものも同じ)は道造の使用法から「たそがれ」と訓読みしていると断ずる。
第三聯二行目「燈」新潮社「日本詩人全集」第二十八巻は「あかり」とルビを振る。私は音数律から「ひ」の可能性を除去出来ないので、留保する。
第五聯一行目「贋貨」後続の諸詩集は「にせがね」とルビする。私もそれを採る。
第七聯三行目「情緖」中村真一郎編「立原道造詩集」(角川文庫)は「じょうちょ」とルビする。「じやうちよ」であるが、これは「じやうしよ」の慣用読みであるから、私は断然、留保する。
第八聯三行目「フーゲ」これは音楽用語の「フーガ」(英語“fugue”、或いは、元はラテン語由来のイタリア語“fuga”で「遁走」の意)のドイツ語“Fuge”の音写「フーゲ」であろう(道造の第一外国語はドイツ語である)。複数の声部に於いてある主題の反復、及び、模倣(応答)が交互に現れる対位法(Kontrapunkt :ドイツ語)による多声音楽の書法形式で、特定の調に転調しながら展開される。
第十聯一行目「Lyra」頭が大文字になっているところから、これもドイツ語と採る。音写は「リューラ」で、狭義には「古代ギリシャに於いて用いられた竪琴(通常は七弦)」を指す。共鳴胴に立てた二本の支柱に横木を渡して弦を張ったものである。リラ。同語が、星座の「琴座」を指すことからもわかるように、あの、「竪琴(たてごと)」である。
同四行目「恍れながら」は「ほれながら」と訓じていよう。
第十二連一行目「界ひ」は老婆心乍ら、「さかひ」と訓じる。]

