立原道造草稿詩篇 旅情歌 I
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]
旅情歌 I
マツチの箱にはコーモリ傘の繪が貼つてありました。
夜汽車のなかで――。
僕は、前に坐つた人の煙草を吸ふのをぼんやり眺めて居りました。
「これはもう、旅は終りに近く
窓に町があかりをつけて
暗い火かげをあはたゞしくちらつき……」
僕は手帳に書きました、用事を思ひ出した人のやうに。
櫛いれてゐる少女が、ビスケツトを食べながら、窓ばかり眺めて居りました。
「あ、知らない人つきり、これはもう……」
[やぶちゃん注:因みに、標題には「I」とあるが、II以降は存在しない。
注記には、「旅は終りに近く」に『昭和9年9月1日付・杉浦明平宛書簡中の「旅の終り」と呼応する。(8月22日、福江の杉浦家を訪問)。』とある。「福江」というのは、現在の田原市西部福江町(ふくえちょう)で、渥美半島の先に近い三河湾に面している(グーグル・マップ・データ。なお、独身時代の私は出不精で、殆んど一人旅をしたことが殆んどなかったが、二十六歳の時、伊良湖に遊んだことがある)。以上の書簡は、底本の全集の「第六卷 書翰」のここ(右ページ上段の後ろから七行目から下段にかけて)で、当該部を引用すると、頭には一字下げで「*」が附されて、以下、一字下げで以下が始まる(全体が一字下げ)。
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旅の終り 樂しかつたね――ああほのとに樂しかつたよ。しづかな海の面、言葉は散りながら、とほくの島の燈臺になつたんぢや、ないかしら。――あんなに、ささやかな喜びが、まあ、こんなに大きく思はれる。僕は汽車にのりおくれ、のりおくれたばつかりに田舍町を散步した。だのに、其處には昨日の海はにほはずに、僕は窓から慌しく外を慌しく消える村々を眺める。それから、日暮れの一日おくれた海の面を。
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また、同全集「第六卷 雜纂」の「年譜」を見るに、昭和九(一九三四)年満二十歳の『八月二十一日、追分』(軽井沢)『を発ち、上松(あげまつ)(長野県西筑摩郡植松町)におもむく。上松には生田勉が滞在中のはずであったが逢えず、空しくそこに一泊し、その足で愛知県渥美半島の福江(渥美郡渥美町福江)に杉浦民平を訪れて、二十三日帰京。
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とあった。]

