立原道造草稿詩篇 ひとり林に⋯⋯
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、本パートの初回のこちらを見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。そこに、『「火山灰ノート」に書き込み、同ノート中の「追憶」(昭和12年4月発表)の前に位置することと、「眞冬のかたみに」の別稿でることで同年早春の制作と想定する。』とある。「火山灰ノート」の方を見ると、全体に有意な違いが複数あることが判った。されば、これを【初稿】と見做し、前に添えた。また、「眞冬のかたみに」は別稿とあるものの、【最終決定稿】と見做して、取り敢えず、後に置いた。その底本はここである。
実は、私は、『カテゴリ「立原道造」創始 /「ひとり林に‥‥」(草稿) 及び その決定稿「眞冬のかたみに」 並びに 別篇「ひとり林に‥‥」』(二〇一五年九月十五日投稿)で本草稿篇を電子化注してある。但し、そこでは、国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊『飛鳥新書』立原道造「詩集 優しき歌」の「III」のここの画像を底本としており、今回の底本とは微妙な違いがあることと、リンク先は私のブログ・カテゴリ「立原道造」の初回投稿であることから、正規表現不全等を修正して、そのまま投稿を生かすこととする。
太字は、底本では傍点「﹅」である。]
【初稿】
ひとり林に⋯⋯
山のみねの いただきの ぎざぎざの上に
あるのは 靑く淡い色 あれは空⋯⋯
空のかげに かがやく日 空のおくに
ながれる雲⋯⋯私はおもふ 空のあちらを
夏の日に 咲いてゐた 百合の花も ゆふすげも
薊の花も かたい雪の底に かくれてゐる
みどりの草も いまはなく 梢の影が
葵色の こまかい線を 編んでゐる
ふと 過ぎる⋯⋯あれは頰白 あれは鶸
透いた林のあちらには 山のみねのぎざぎざが
ながめてゐる 私を 私たちを 村を――
すべてに 休みがある ふかい息をつきながら
耳からとほく 風と風とが ささやきかはしてゐる
――ああ この眞白い野に 蝶を飛ばせよ!
【草稿】
(ひとり林に⋯⋯)
山のみねのいただきのぎざぎざの上に
あるのは 靑く淡い色 あれは空⋯⋯
空のかげに かがやく日 空のおくに
ながれる雲⋯⋯私はおもふ 空のあちらを
夏の日に 咲いてゐた 百合の花も ゆふすげも
薊の花も かたい雪の底に かくれてゐる
みどりの草も いまはなく 梢の影が
葵色のこまかい線を 編んでゐる
ふと 過ぎる⋯⋯あれは頰白 あれは鶸!
透いた林のあちらには 山のみねのぎざぎざが
ながめてゐる 私を 私たちを 村を――
すべてに 休みがある ふかい息をつきながら
耳からとほく 風と風とが ささやきかはしてゐる
――ああ この眞白い野に 蝶を飛ばせよ!⋯⋯
【最終決定稿】
眞冬のかたみに⋯⋯
Heinrich Vogeler gewidmet
追ひもせずに 追はれもせずに 枯木のかげに
立つて 見つめてゐる まつ白い雪の
おもてに ながされた 私の影を――
(かなしく 靑い形は 見えて來る)
私はきいてゐる さう! たしかに
私は きいてゐる その影の うたつてゐるのを⋯⋯
それは淚ぐんだ鼻聲に かへらない
昔の過ぎた夏花のしらべを うたふ
⦅あれは頰白 あれは鶸 あれは 樅の樹 あれは
私⋯⋯私は鶸 私は 樅の樹⋯⋯⦆ こたへもなしに
私と影とは 眺めあふ いつかもそれはさうだつたやうに
影は きいてゐる 私の心に うたふのを
ひとすぢの 古い小川のさやぎのやうに
溢れる泪の うたふのを⋯⋯雪のおもてに――
[やぶちゃん注:「鶸」は簡単には注が出来ない。私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鶸(ひわどり) (カワラヒワ・マヒワ)」を参照されたい。但し、軽井沢と時期から、スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科カワラヒワ(河原鶸)属カワラヒワ亜種カワラヒワ(或いは亜種コカワラヒワ)Carduelis sinica minor の可能性が最も高いと思われる。]

