立原道造草稿詩篇 鴉の歌
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。]
鴉の歌
奪はれた日から 私はうたつた
私はここに立つてゐる そして汚れた
私は夕燒を呼んでゐる 今こそあれがいりようなのだ
私は夜と一しよにゐたい
木の風と 私はかくすものと
そして私は夜をにくまう あれは一面に黑いから
私は燒けて そこから生れる
夕燒ばかりがいりようなのだ
私は呼んでゐる 奪はれてはならない 私は呼んでゐる
[やぶちゃん注:今朝、未明に起きて、この詩について、既に二時間半の間、この第一聯の二行目の「汚れた」を「よごれた」と読むか、「けがれた」と読むかで、迷い続けた。最初、一行目を受けて、私は、無条件反射で、「けがれた」と読んだ。しかし、即時に、ふと、暗い書斎で(私の書斎の室内灯は八カ月前から豆電球を除いてショートしている。パソコン使用には問題がなく、机にあるスタンドで十分なので、直していない)、『道造が、いままで「けがれ」と読んだことがあったかな?』と頭を傾げたのだった。まず、私の「立原道造」(現在、三百三十八件。目ぼしい詩篇は概ね電子化したが、私は物語物は殆んど電子化していない)で調べると、「けがれ」は見当たらない。所持する幾つかの彼の詩集の中には、編者がルビを振ったものがあるが、それらにも、存在しなかった(ブログ記事の初期は、それらをほぼ、全部を電子化しているから、落ちはない)。次に、国立国会図書館デジタルコレクションにある全ての彼の全集で全文検索を「穢」の単漢字を調べたが、「穢」の使用は全くなかった。次に「けがれ」で調べたが。使用例はなかった。「汚」の漢字は、彼は好んで詩句に用いている。しかし、それらは殆んどが物理的・比喩的な用法での、「よごれる」の意の用法でしか見出せなかった。これを確認し終わった時に、山影から陽が射していた(道造好みの朝焼けであった)。以上から、私は、道造は「穢」の漢字、「けがれ」の文字を生理的に嫌っていたと断言してよいと思われる(全文検索には書翰も含まれる)。されば、この「そして汚れた」も「そして よごれた」と読んでよいと結論づけた。識者で、使用例があるとなれば、御教授戴きたい。]

