立原道造草稿詩篇 林空
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここで視認出来る。「林空」は「はやしぞら」と読みたい。]
林空
ゆふすげの花はせつない眼ばたきのやうに
――丸山薰
せつない眼ばたきといはれた花を、その黃いろな一輪をともした叢の靑空に、僕はたたずんで聞く。梢を移る鳥たちの聲を、風に似た汽車のとほい笛を。⋯⋯あゝ、明るい晝間。埃のする冬の日向に、もう一度聞く。それから物音から氣位高く。見馴れないものたちはすぐに立ち去り、あの黃色な一輪を手に持つたまま。僕はもう一度聞く。⋯⋯ふと掠めた栗鼠のかげり。そのまま過ぎた日日のうたを。
[やぶちゃん注:注記に、『表題に添えた丸山薰の詩は「峠」、『文藝』昭和9年9月号発表。昭和10年5月5日付、第一書房刊第二詩集『鶴の葬式』所収。』として以下に全文を示す。「海の詩人」として知られる丸山は、私の好きな詩人の一人である。ここは国立国会図書館デジタルコレクションの当該詩集のここを視認して示す。傍点「﹅」は太字に換えた。
*
峠
機關車は警笛鳴らし
齒ぐるまの喘ぐ軋り嚙まれて
あの高原への九十九折を登るとき
佇み見送る勾配標のかげから
ゆふすげの花はせつない眼ばたきのやうに
トンネルのアーチのむかふに小さくなり
近より迫る嶺々の尖りは
夕ぐれの陰翳(かげり)を濃く喚び交はす
窓邊のぼくの顏も淡いランプの影の一つになつて
かなしく遠い谿の斜面を步いてゐる
*
・「九十九折」「つづらをり(つづらおり)」と読む。「葛折・九折」とも書く。 「葛(つづら)の蔓(つる)が何度も折れ曲がって伸びているさま」から、「くねくねと幾重にも曲がりくねって続く坂道」を指す語。
・「ゆふすげ」は前の「夏」の頭注を見られたい。
言わずもがなであるが、この詩自体が、軽井沢へ向かう旧信越本線の最後の登りがシチュエーションである(私は大学時代に実家へ帰るのに、しばしば使った懐かしい路線であった)。道造の詩は、確信犯で、素敵な、嫉妬をさえ感ずる薰への相聞歌となっている。]

