立原道造草稿詩篇 詩抄
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、本パートの初回のこちらを見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。それに拠れば、『第二詩第一聯により盛岡よりの帰京の前日(昭和13年10月18日)の制作と想定する。』とし、さらに『第一枚』(本原稿の全体は三枚からなる)『の表には』評論『「風立ちぬ」異文断片と他の二枚の裏に「詩抄」の未完初稿がある。』とある。これは、堀辰雄の小説「風立ちぬ」に対して、道造がものした評論である。同全集の当該評論の頭をリンクしておいた。因みに、私は、生憎、この評論は未読である。近いうちに目を通すこととする予定ではある。なお、同評論の次に「風立ちぬ補遺」が続く。
この草稿は、以前に杉浦氏のものを恣意的に正字化して、ここで電子化したが、正規表現で再度、示す。そちらでは、前回、褒めたばかりであるが、実は、杉浦氏が附加した読みに誤りがあったので、晒すつもりではないが、まあ、親切心が仇になるというケースとして、残しておくこととした。]
詩抄
1
鳥は高く空に飛び
夕陽は私らの眼を射る
この秋の最終の靑い葡萄は
私らの掌にある
それは
もう追憶となつた日々を
飾るだらうと 私らはおもふ そして
約束はつひに果されずに終つた と
やすらかに きらめいてゐる
私のけふの夕映えよ しづかな
おまへの 山の姿よ
ふたたび 美しく告げられた
この意味をみたす日はいつかへり來る?
――時だ! すべてが いまは やさしく をはつた!
2
おそらくは これが 最后の
夕べとなるのだらう――
村は しづかに 夕靄に包まれ
鐘の音が野をみたしてゆく
幸福だつた 私らの日々よ
あの明るい花やかな夕映えは
決して 私らの幻影ではない
⋯⋯すべてのとりいれのすんだあと
いまさびしい野のおもてに
風は渡り 乾いた土に描いてゆく
とうに ひとつの追憶となつたものを
この意味は いつ みたされる?
優しい問ひに こたへるすべもなく
私らの心は ただかすかに うなづきあふばかりだ
3
だれがいま ここを 立ち去らうとして
ゐるのだらう? ――僕が だらうか?
明るい 花やかな夕映えよ この 短い時の間に なぜ
きのふ見たものを 僕はおもひ返すのだらうか?
さびしい野がひろがつてゐる
ふたたびは かへらない一切が 僕の窓に
この僕の最終に語りかける
かつて見なかつた美しい言葉で
出發だ――何のために? あの夕映えの赤が
澄みきつて ひびきわたる
この頰に つめたく風は ささやく
すべてが 夜にかはらうとするゆるやかさのなかに
ひとり あわただしく この心は急いでゐる
だが僕を 呼びつづけるのは だれだらう?
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