河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注中卷(六)寒天の說(その6)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。]
製品の佳惡(よしあし)ハ、原藻の良否にも因るといへども、製法に、尤(もつとも)精密を盡さヾれば、上品を得べからず。
前に揭(かヽ)ぐる所の製法は、皆、寒氣の適度と、練磨の効(こう)とによりて、良品を產せり。『細寒天(ふさかんてん)』は造易(つくりやす)く、『角寒天(かくかんてん[やぶちゃん注:底本のルビは「かくかんかん」。誤植と断じ、特異的に訂した。])』は造難(つくりがた)し。細きは、凍易(こほりやす)く、太きは、凍難(こほりがた)く、白き色を出(だ)す能はずして、灰色を帶(をぶ)るものとす。是(これ)、其地の氣候・寒暖・晴雨(せいう)・降雪等(とう)に注目して、其適度に應ずるを、尤も緊要(きんやう)とす。細寒天の一把(いちは)ハ、量、四十目[やぶちゃん注:百五十グラム。]、角寒天ハ百本にして、其量、往時ハ、三百二十目[やぶちゃん注:一・二キログラム。]許(ばかり[やぶちゃん注:底本ルビは「ばか」であるが、誤植と断じ、特異的に訂した。])なりしも、今は二百八十目[やぶちゃん注:一・〇五キログラム。]を適度とす。原草(げんさう)ハ、各地の產を、適宜に混合し、これを凍(こふら[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「こほら」である。])せるものにて、色澤(しよくたく)を美(び)ならしむる等(とう)、多年の經驗に、よれり。山城にては、志摩產【五分《ぶ》[やぶちゃん注:一分は〇・三七五グラム。]。】、伊豆產【二分。】・安房產【一分。】・紀伊產【二分。】を以て製せり。但し、豐後產ハ、寒天にして、微靑色(びせいしよく)を帶ぶ[やぶちゃん注:底本は清音「ふ」。誤植と断じて訂した。]故に、他(た)の產を配合して、之を製せり。其混合は、營業者の經驗に因るものとす。惠期草(えこくさ)は、粘(ねばり)多く、寒天の量目を重くす。故に、「利、あり。」とし、城(やましろ)・攝(せつヽ)の製造者は、之を用ふ。然(しか)るに、信濃にてハ、之を用ひず、專(もつぱ)ら、伊豆產を多く、僅(わづか)に安房產を加ふるにより、信濃產の寒天は、量目(りやうめ)、輕(かろ)し。依(よつ)て、淸國人は、大(おほい)に好(この)めり。初め、城・攝の製造者は、信濃產を蔑視したりしが、現今は、城・攝の產聲(さんせい)、價(か)を落(おと)し、反(かへつ)て、高價を占(しめ)たり。又、城・攝にては、冬至前(とうじぜん)より、大寒(だいかん)の候(こう)、凡(およそ)、七、八十目間、製するも、信濃にては、十日前(ぜん)、始めて後(おく)るヽとも、廿日《はつか》にして、都合、三十日間の製造日、多く、故に、製額も增加し、目今(もくこん)、寒天製造の適地とす。
『三島のり』ハ、山城伏見にて、製す。是(これ)、「和漢三才圖會」に、所謂、『色かんてん』の類(るゐ)にて、紅綠色(こうりよくしよく)の『凍瓊脂(かんてん)』を縷切(るせつ)し、紫菜、及び、紙の如く、方六寸許に製したる者なり。用法は、湯にて洗ひ、直(すぐ)に膾(なます)・軒(さしみ)の點綴(あしらい[やぶちゃん注:ママ。「あしらひ」。])に用ふるに、紅(こう)・白(はく)・綠(りよく)の三色(《さん》しよく)、間道(しま)[やぶちゃん注:二字へのルビ。「間道・漢島」で「かんたう(かんとう)」と読み、織物の名。十六、十七世紀頃、中国や南方から渡来した縞(しま)織物の呼称。また、その模様を言う。「名物切(ぎれ)」として珍重された。他に「間道織り・間道縞・かんと」とも書く。]に作るより、『三島』と唱へ、また紫菜に似たるより「のり』と云ふなるべし。
[やぶちゃん注:『是(これ)、「和漢三才圖會」に、所謂、『色かんてん』の類(るゐ)にて、』私のサイト版の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の「ところてん 石花菜」を見よ。]
本邦にて、寒天を用ふるの法(はふ)、數多(あまた)あり。煑て凝(こヾ)らせたるを、切りて、さしみに作り、或(あるひ)は[やぶちゃん注:ルビはママ。「あるいは」でよい。]、細條(さいでう)となして、薑酢(しやうがす)・酢味噌等(とう)を和(くわ)して食(しよく)し、種々の寄物(よせもの)を作り、『金てん』・『銀てん』と稱する黃白色(こうはくしよく[やぶちゃん注:ママ。「くわうはくしよく」が正しい。])のものに製し、又は、『難波羹(なにはかん)』・『羊羹(やうかん)』をも、造れり。「畫工潛覽(ぐわかうせんらん)」に、寒天の煮汁を、紙上(しじやう)に塗り、古き書畫(しよぐわ)を僞造(ぎざう)し、膠礬(どうさ)に代用する等(とう)のことを載せ、煑汁を籠(かご)に塗り、隙(すき)を塞(ふさ)ぎ、水を入れて、魚を養ふ戲(たはむ)れあり。又、寒天を煮溶(にとか)したる汁を、薄く廣き器(うつは)に入れ、凝らせ乾(ほ)すものを『びいどろかみ』・『水晶紙(すいせうかみ)』と稱し、黃汁(きじる)を雜(まじ)へ、煑て、薄き器に流し入れ、黑斑(くろぶち)を置き、乾したるを『玳瑁紙(べつかうがみ)』と稱す。
[やぶちゃん注:「畫工潛覽」東洋文庫版の後注に、本書名について、『狩野派の絵師、大岡春卜』(おおおかしゅんぼく 延宝八(一六八〇)年~宝暦一三(一七六三)年)『の『画巧潜覧』(全六巻)のこと。元文五年(一七四〇)刊行。』とあった。人物に就いては、当該ウィキを見られたい。原書の当該部は、「国書データベース」のここ(ここの左丁の後ろから四行目以降から、次のコマに掛けて)で視認出来る。
「膠礬(どうさ)」礬水(どうさ/ばんすい/陶砂とも)のこと。水に少量の膠(にかわ)とミョウバンを溶かした水溶液を指す。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『書画などに用いる紙や布、木に塗布し、滲み止めに用いる。表面サイズ剤の一種。 また、日本画の制作において、金属箔を基底材に貼り付ける際の接着剤(捨膠)や箔の表面保護(止め礬水)として用いる』。『「礬水」は日本での名称であり、書や日本画、版画などに用いられる。礬水引き(塗布)を効果的に行うには、晴天の日が適するとされ、ミョウバンは生ミョウバンが用いられる。西洋でも16世紀頃から洋紙の膠サイズに同様の処方が用いられる。ミョウバンは膠サイズに堅牢性と防黴性を与えるが、酸性であるため過剰な添加は紙の速い劣化を招く(酸性紙も参照)。 化学的には、ミョウバンの水和アルミニウムイオンが膠の分子を架橋結合させることで 膠を硬化させ、基底材の毛細孔を塞ぐことにより滲み止めの効果を得ている』。『日本では礬水引きした和紙は礬水紙(どうさがみ)と呼び、礬水引きなどしていない未加工和紙は生紙(きがみ)、生の紙とも呼ぶ。多湿など保管時の諸々の原因により、斑点状に滲みやすく変質をきたした紙は』「風邪引き紙」『と呼ぶ(「紙が風邪を引く」とも)。』とある。]
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