阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「如意寳網珠」
[やぶちゃん注:底本はここから。やや長めなので、段落を成形し、句読点を附加・変更した。「鬼巖寺」関連第三話である。されば、同寺に就いては、前々項を見られたい。推定読みは、そちらで添えたものは繰返さない。]
「如意寳網珠《によいはうまうじゆ》」 志駄郡鬼岩寺村、楞嚴山鬼岩寺門前にあり。傳云《つたへいふ》、
『享保十七年九月、門前の道路を修理する事あり。寺中《じちゆう》、護摩堂の後《うしろ》、古院《こゐん》の地、山岸《やまぎし》より、土をうがちて、切頽(きりくづ)し、門前に運びぬ。
然《しか》るに、十日の夜、光り、寺中に赫《かがや》く。
小坂《こさか》の里民《りみん》、是を見て、怪しみ、
「當寺、火災あり。」
として、走り來《きたり》て、見るに、事、なし。小坂に歸《かへり》て、望めば、光、あり。
人民、深く怪《あやし》む。
翌十一日、里民、來《きたり》て、彼地《かのち》を穿掘《うがちほる》に、土中《どちゆう》より、鈸《ばち》を以《もつ》て、上下を覆ひ、其內に、火鉢の如き器《うつは》に、愛染臺《あいぜんだい》を入《いれ》たる物を、掘出《ほりいだ》せし。
蓋《ふた》を開《ひら》かんとするに、さびて、開かず。
漸くして、是を開けば、內《うち》に、一玉石《いちぎよくせき》あり。
周《まは》り八寸八分、網《あみ》をかけたるが如くして、其色、鼠也。
後年《こうねん》、住僧某《なにがし》、御修法《おんしゆほふ》の護摩《ごま》の時、攜《たづさへ》て上京し、衆僧《しゆそう》に見せて、其名を問ふ。
知る者、なし。
諸卿《しよけい》、これを閱《けみ》して、終《つひ》に、殿下の高覽に備ふ。
殿下、是を名付《なづけ》て、
「如意寶網珠成《なり》。」
と、宣《のたま》ふ。
[やぶちゃん注:「享保十七年九月」グレゴリオ暦一九五七年十月十二日から十一月九日。
「小坂」当時の村の字(あざ)と思われる。現在、まさに、鬼岩寺門前のここ(グーグル・マップ・データ)に「小坂(こさか)会館」という地区の集会所がある。
「鈸」「銅鈸(どうばち/どうばつ)」であろう。中国・朝鮮・日本の金属製打楽器で、インドから中国に仏教楽器として渡来した。仏教音楽にあっては「どうばち」の方が一般的である。
「愛染臺」愛染明王(梵語“Rāga-rāja” の漢訳語。「愛着染色」の意)は真言密教の神。愛欲を本体とする愛の神で、全身赤色・三目(みつめ)・六臂(ろっぴ)で、頭に獅子の冠を頂き、顔は常に憤怒の相を表わす)像を安置するための専用の台座。よく見られるのは、宝瓶(ほうびょう)や蓮華の形を模した「宝瓶台(ほうびょうだい)」が用いられる。
「八寸八分」二十六・六六センチメートル。
「諸卿」公卿。
「殿下」国立国会図書館デジタルコレクションの「駿河記 上卷」(桑原藤泰著・足立鍬太郞校/出版者・加藤弘造/昭和七(一九三四)年刊)の「卷十八 志太郡卷之五」の冒頭の「鬼岩寺」の項の、「○如意寶網珠一顆」に拠れば、『關白殿下高覽あり。如意寶網珠の號を給ふと云云』とあるので、近衛家久である(当該ウィキを見よ)。
而して、この本を管見したところ、巻頭の図集「桑原藤泰山西勝地眞景」の中に、まさに、この「如意寳網珠」の図を発見したので(ここ)、以下にトリミング補正して掲げておく(無論、「保護期間満了」)。
右方の手書きキャプションは、
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如意寳網珠 鬼岩寺所藏
周徑八寸八分
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