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2026/04/08

立原道造下書き草稿篇 また晝に⋯⋯

[やぶちゃん注: 底本・凡例等は「草稿詩篇」の起動の初回、及び、「下書き草稿篇」の初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。それに拠れば、この下書きを元にした(但し、以下の「優しき歌」群は膨大な作品であり、決定稿が出来るまでの草稿は、複数あり、最早失われた別の下書きや草稿がなかったとは断言出来ない。寧ろ、あったと考える方が自然である)決定『定稿は、「四季」昭和12年10月号』(九月二十日発行)『「優しき歌 二」として発表、更に詩集『優しき歌Ⅱ』の第七詩として採用している(第一巻所収)。』(指示当該部はここ)『本篇は』十三『行中の九行を消去したものであるが、詩集の成立事情に係わる重要資料として敢えて復原した。ブルー・ブラック・インク。用紙の使用例は他にない。』とあった。

 さて。以上の編者による復原物であることが判明した以上、私は、それを本来の状態に戻したいと、俄然、思った。それは、道造の推敲の跡を明らかにすることにある。しかし、だからと言って、そのままの九行取り消し線にしたのでは、如何にも玩味するに障害となる。実際、筑摩書房版「萩原朔太郎全集」を基礎底本に用いた私のブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」では、それをやったのだが(例示『萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 散文詩(パート標題)・添え書き・「吠える犬」』を見よ)、やはり、原型を虚心に味読するには、障害となる。

 されば、本篇の短いのを幸いとして、【初期形】をまず示し、次に抹消した部分を除いた【決定草稿形】として示すこととした。なお、堀內氏の言う「消去」「した」「十一行」というのは、実行数(行空きを含めない)と採った。さらに、【発表決定稿】として、底本全集の「第一卷 詩集I」の当該部を底本として、添えた。

 注記引用に戻る。

『制作時については、第一巻の編註(P406)』(ここの右丁の後ろから五行目のの三行分を指す)『で説明を加えず、『優しき歌Ⅱ』の関連草稿詩中、最初のもので〈十三年春の制作か〉と註した。その理由の㈠は、ここで〈おまへ〉とうたわれている対象は用紙の発行時〈一九三七・一一〉に拠り』、『水戸部アサイであり、彼女との愛の関係が始まるのが昭和13年3月頃であること。🉂は第三聯に見る愛の不安感で、それは彼女を識り始めた頃、立原を捉えた意識と思われること。㈢第三聯に見る愛の不安感で、それは彼女を知り初めた頃、立原を捉えた意識と思われること。㈢は一四詩型としての主題の未熟と詩型上の不完全さで、この破綻は、㈡の不安感に由る不安感に由ると思われることである。』とあった。

 これで、堀內達夫氏の本篇への註は終わっているのだが、私は、これを読んで、非常に驚き、大いに感激したのである!

 「資料擔當」者である堀內氏(彼は正規の「編者」ではないのである)のこの註は、まず、私が所持する本格的な作家全集の注釈の中で、このように強烈にディグした註を、一度たりとも、見たことがないからだ!

『これは立原道造に就いての第一級の優れた「病跡的論文見解」でさえある!』

と感じたのである!

 なお、底本の表題下には『(初稿)』とあるのは、編者堀內氏の附したものと判断出来るので、カットした。

 さても、このパートの決定稿に就いては、古くに朝に   立原道造   /   また晝に   立原道造の中で電子化注してある。しかし、底本に杜撰な古いものを選んでいる。ところが、このカップリング物を全部やり直すための余裕が、今の私には、ない。暫く、不全なもので我慢されたい。悪しからず(と言っても、不全なのは、恐らく「⋯⋯」が「‥‥」になっている部分だけだとは思う)。

 

【初期形】

 

  また晝に

 

私は いま おまへを仰ぎ見る

たびたびした姿勢で

晝の 白い光のなかで

おまへは 僕を 見つめてゐる

 

(ああ信じたら それでいい)

僕は どこへも行かないだらう

花でなく 小鳥でなく

やさしい おまへの愛は 僕を眠らせる

 

また けふの 僕らの

まはりに だれかが くらく

かげをおとしてすぎる 高い空で陽をさへぎる雲

 

僕は おまへを仰ぎ見る

おまへは いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい

 

 

[やぶちゃん注:「たびたびした姿勢で」主体は「おまへ」である。いつも、よくしたところの、「おまへ」の好んで、或いは、無意識でよくしたところのポーズで、の意である。「した」という過去形にしてしまったところに、ある種の精神的距離感、アンビバレンツが感じられる部分でもある。]

 

 

【決定草稿形】

 

  また晝に

 

僕は おまへを仰ぎ見る

おまへは いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい

 

 

【発表決定稿】

 

  Ⅶ また晝に

 

僕はもう はるかな靑空やながれさる浮雲のことを

うたはないだらう⋯⋯

晝の 白い光のなかで

おまへは 僕のかたはらに立つてゐる

 

花でなく 小鳥でなく

かぎりない おまへの愛を

信じたなら それでよい

僕は おまへを 見つめるばかりだ

 

いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい

老いた旅人や 夜 はるかな昔を どうして

うたふことがあらう おまへのために

 

さへぎるものもない 光のなかで

おまへは 僕は 生きてゐる

ここがすべてだ!⋯⋯僕らのせまい身のまはりに

 

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