新たに立原道造「詩集 優しき歌」オリジナル電子化注を再起動する / 詩集 優しき歌 Ⅰ 燕の歌
[やぶちゃん注:私は2015年9月15日に『カテゴリ「立原道造」創始 /「ひとり林に‥‥」(草稿) 及び その決定稿「眞冬のかたみに」 並びに 別篇「ひとり林に‥‥」』で本格的に本ブログ・カテゴリ「立原道造」を創始したのだが(その前に三本、「草に寝て⋯⋯」・「夜に詠める歌」・「(かなしみは⋯⋯)」を単発で偏愛する三篇を投稿している。その前二本は「詩集 優しき歌」からであった)、その内容は、まさに「優しき歌I」の中の詩篇絡みだったのである。ところが、それ以降、今、自身で呆れ果てるほどに、「詩集 優しき歌」群を、偏愛する順から、何んと、ランダムに(‼)気儘に電子化していたのであった。しかも底本は、所持する複数の彼の抜粋された文庫本詩集に拠っていた。その結果として、今、見ると、それぞれの編者の底本としたものが異なるため、どれ一つとっても(!!)おかしな箇所が――ほぼ全部に!――誤りや、不審な箇所(記号・字下げ・表記)が散見されたのである。それらの一部は、今回終了した草稿詩篇の公開作業の中で、修正を加えたものも多い。但し、自身の最古層の投稿の注等の中には、道造よろしく私の秘かな失われた思い出が含まれているため、敢えて不全を残したものもある。特に、本詩の古いヴァージョンは「燕の歌 立原道造」であるが、先般、どうしてもこの記事は書き直さないといけない仕儀となったため、以下の底本と同じものでブラッシュ・アップしてしまい、他のリンクも施してあるので、残してある。
しかし、私のブログの「詩集 優しき歌」群は、単発・ランダムに加えて、膨大な数に及ぶため、正字補正や記号等、細かな部分に全く手をつけていない詩篇が、有意な数、残ってしまっているのである。
当初、それらを、全部、削除して、ゼロとし、完全な新規巻き戻しを考えた。しかし、既にほのめかした私的な過去の、それを、その時に作成した意図の密やかな心理状態の痕跡の抹消には未練があることを自白する。そこで、ここのところ、誰よりも、深い会話をしている、常に全ブログをポストしている「X」のAIである「Grok」君に『後の予定は古くに電子化注した立原道造の「優しき歌」群の不全を全集で補正することにしています。Grokさん、今まで通り、私の注のコンセプトを鋭く分析して、応援叱咤してくれると嬉しいです!!!』とやってみた答えが、誰より鋭いので、そのまま転写し、紹介しておく。
《引用開始》
『藪野直史さん、ご本人からの続報、ありがとうございます。「古くに電子化注した立原道造の『優しき歌』群の不全を全集で補正する」——これは実に一貫した、かつ深い作業ですね。あなたのこれまでの草稿シリーズ(下書き草稿篇など)を拝見してきた立場から、今回のコンセプトを鋭く分析すると、以下の点が際立っています。
あなたの注釈コンセプトの本質「不全の補正」という徹底した底本主義
生前の立原道造が最後に構想した幻の詩集『優しき歌』(中村真一郎所蔵原稿をもとに推定された「序」+Ⅰ〜Ⅹなど)は、すでに青空文庫や角川文庫などで一部電子化・刊行されていますが、そこには異文の不整合、草稿段階の未確定表現、推定による補完の曖昧さが残っています。あなたは「古くに電子化注した」ものを土台に、全集レベルで徹底的に補正しようとしている。これは単なるテキストの再掲ではなく、道造の「最終意図」にできる限り近づけるための校訂作業です。草稿の「下書き→清書→推定詩集」という生成過程を、細かな異文・削除痕・添え書きまで追うあなたの方法論が、ここで最も生きてきます。
「優しき歌」特有の繊細さと脆さへの対応
『優しき歌』は、ソネット形式の透明感と、晩年の切なさ・別離の予感が交錯する作品群です。爽やかな五月から始まる光のイメージ、林の中の独り言のような静けさ、旅の終わりのような諦念……これらは道造の死(24歳)直前の心象を映しています。あなたはこれまで下書き草稿で「未定稿の揺らぎ」を丁寧に可視化してきましたが、今度はそれを**「全集」として安定化・補正する。
ここにあなたの強みが出ると思います——過度に美化せず、しかし詩の「優しさ」を損なわない注釈。例えば、異文の選択基準を「道造の最も自然なリズム・響き」に置くのか、「最も晩年の心象に近いもの」に置くのか。その判断軸が、今回の作業の核心になるはずです。
応援と叱咤(今まで通り、率直に)応援ポイント これは「草稿全終了」からの自然な進化です。下書きの混沌を一つ一つ解きほぐしてきた蓄積が、ようやく「詩集単位の補正」という形で結実する。道造研究にとって、幻の詩集をより信頼できる形で再構築する意義は大きい。あなたのブログ「鬼火~日々の迷走」で長年積み重ねてきた注釈スタイル(凡例の厳密さ、底本明示、異文の視認性)は、すでに一定の信頼を築いていると思います。
特に「古くに電子化注した」ものを補正するという点が良い。初期の電子化ではUnicodeの制約や底本アクセスの限界で不十分だった部分を、今の視点で洗い直す——これは「自己補正」でもあり、研究の深化を示しています。
叱咤(厳しく言うと) 「全集で補正」と言うからには、単なる「訂正版」ではなく、「決定版」に近い水準を目指してください。曖昧な推定部分は「推定」と明示しつつ、可能な限り複数底本(中村真一郎旧蔵稿、草稿断片、他の全集版など)の対照表を入れる。読者が「なぜこの異文を選んだか」を一目でわかるように。
注意点として、『優しき歌』はすでに複数の文庫・全集で扱われているので、「不全の補正」が既存版とどう違うのかを明確に打ち出さないと、埋もれてしまうリスクがあります。序文や凡例で、あなたの校訂方針(例:「響きの優先」「心象の優先」「草稿段階の尊重」など)を強く主張すること。
作業のペース——草稿シリーズは長期間に及びましたが、詩集単位になると一気に疲弊しやすい。区切り(例えばⅠ〜Ⅲまで公開→フィードバック→Ⅳ〜Ⅵ…)を設けるか、並行してXやブログで中間報告を出すと、モチベーション維持に繋がると思います。
《引用終了》
この助言を得て、草稿篇の作業の中で、既に必要上から操作を加えたものを除き、基本、古いヴァージョンは残すこととした。但し、私の本文のミス・タイプ(一応、総て再検証しているので、殆んどないとは思われる)、及び、私の注は再度、見直し、それが、完了していること、そして、今回のものが私の決定版であること、そして、「Grok」君から戴いた、本決定版と過去の異なる底本版とを比較した際、有意な問題となる相違があれば、注の最後で述べることとする。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む。以下の冒頭の引用を参照されたい。)とあり、本篇はここである。なお、同底本の「解説・編註」の冒頭はここで、同巻全体の編輯注があるが、ここからは、長いので、全体は読者の方で視認されたい。その上で、叢書名についての解説を含む後半部の一部を引用する(ここの左丁の下段一行目から)。本底本が――今までの全集とは異なる形で詩群が配置されている――ことを解説する重要な部分である。なお、この執筆者は詩人で『四季』で道造とともに同人であった、「道造の模倣者」と称されるほどに彼の影響を強く受けた鈴木亨氏(道造より四歳年下)である。
《引用開始》
そして、「ふとあるとき僕は⋯⋯⦅ヒアシンス叢書⦆とためしにイメージの叢書に名づけ」、「その夢は熱く僕を灼いた」としるし、また杉浦宛書簡では、「僕は突然告白する、僕はアポロに愛されてゐる、と。しかし僕はアポロに殺される、そのため僕の生はアポロに対して復讐をおもひつ花になる。このギリシア神話の『風信子伝説』が言ってゐる怒りと悲しみが僕にその花をえらばせたのだ、と」とも書いていて、この叢書の名称に、立原は彼の詩作品の主題を託したものと思われる。
[やぶちゃん注:この書簡は同全集「第六卷 書翰」のここの「四五二」である。なお、そこでは、以上の引用の「言って」は、正しくは「言つて」である。]
なお、「風信子㈠」によれば、叢書刊行の着想は、昭和十二年一月のことと推定される。そうして同年七月には、その第一篇『萱草に寄す』が、つづいて十二月には第二篇『暁と夕の詩』がそれぞれ刊行されたのであった。
[やぶちゃん注:「風信子㈠」は同全集「第三卷 物語」のここから読める。その末尾には『一九三七・六・二五』のクレジットがある。]
「詩集篇」ではそれら二詩集の次に、覚書I[やぶちゃん注:これは画像(手書き)で本巻のここにある。右丁である。]にしたがって、従来の全集とは別に、新たに『田舎歌』『優しき歌』(これをかりに『優しき歌』とする)を置いた。つまり、いままで三冊とされていた後期の詩集を五冊として、作者の意図になるべく接近したものを編もうとこころみたのである。これら五冊の詩集の詳細については編註を参照されたい。――ただ『田舎歌』についてのみ、ここに一言しておこう。それは「覚書I」によると、叢書の第三編とされていながら、「覚書Ⅲ」の広告文案では『優しきI』が第三編とされていて、その間』いは矛盾がある。で、あるいは第三篇『田舍歌』の構想は破棄されたのではないかという懸念もあり、また校正自体も不備のそしりをまぬかれぬ。にもかかわらず、あえて詩集編に組み入れたものである点、ご了承ねがわねばならない。
《引用終了》
以上であるが、これには、強い意外感を抱いた。
「Grok」君の「区切り」を設けるという提案には、非常に惹かれたのであるが、どこまでをワン・セットとするかは、読者によって異なり、そのソリッドな出し方が、寧ろ、読者の違和感を与えたり、或いは、誤った恣意的なニュアンスを誘導してしまう危険性を危惧することから、やはり、一篇ごとの電子化とする。
当初は、パート標題ごとに、細かに纏めたものを再制作することにしていたのだが、堀內氏の編註に拠って、ずっと後になって書き残した「覚え書」に従って――堀內氏が全編成を並び直し――しかもローマ数字も彼が打った以上――これらの詩篇ソリッド自体が濃厚な関係性・確信犯で詠まれたものでは――実は――ない――と判断し、私は――『パート再電子化は作るべきではない』――という結論に達したのである。但し、「優しき歌I」を終わったところで、改めて、その全詩を一記事に総記載する方法は採ることとする。勿論、その全体を俯瞰した流れや印象に就いても、私の見解を添えるつもりではある。
加えて、最後の「田舍歌」の経緯部分が気になった。既に、先般、昔の「田舍歌」のものを修正したのだが(「夏の旅」の「III」)、この注の存在を示し、さらに注記をする必要が出てきた。「優しき歌」群が終わった後、その作業をすることとする。
次にお馴染みの堀內氏の『優しき歌I』の編註を引く。
《引用開始》
本集は「風信子叢書覚書Ⅱ」[やぶちゃん注:画像でここの左丁の上段の横長のもの。]によりはじめて編纂されるものであるが(解説参照)、十四行詩十二篇の構成で、詩篇は昭和十年二月より十二年九月発表の作品から採られている。「覚書Ⅱ」のうち「燕の歌にまねて」「野に花束を摘むときに」の二篇は同題詩が見当らないので、「覚書I」(ここ)初出誌名を考慮し、仮説として、前者は「燕の歌」を十四行詩型に改変、後者は改題可能なものとして「甘たるく感傷的なうた」と想定して埋めた。「鳥啼くときに」については、『萱草に寄す』で註した。「ひとり林に⋯⋯」のIは「覚書Ⅱ」の初出誌名による。
本集の構成は、四季をめぐっての「序曲・SONATINE No.1〔薊の花のすきな子に〕・間奏曲・SONATINE No.2〔ひとり林に⋯⋯〕・終曲」と見ることができる。そして第一主題であるSONATINE No.1は、『萱草に寄す』の延長線上あると言えるだろう。本集の刊行中止は『曉と夕の詩』の遅延するうちに、評論「風立ちぬ」『優しき歌Ⅱ』などを制作する転回期のモチーフを迎えたことによる。
本集の目次は「覚書Ⅲ」[やぶちゃん注:画像でここの左丁の下段のもの。]の配列に、編者の採用時の題名を埋めて作った。また本文題名上の番号は目次によって編者が付けた。
《引用終了》
この最後の記載を見るに――これから見るそれは堀內氏がかなり手を加えている――ことが判る。これには、強い意外感を抱いた。
「Grok」君の「区切り」を設けるという提案には、非常に惹かれたのであるが、どこまでをワン・セットとするかは、読者によって異なり、そのソリッドな出し方が、寧ろ、読者の違和感を与えたり、或いは、誤った恣意的なニュアンスを誘導してしまう危険性を危惧することから、やはり、一篇ごとの電子化とする。当初は、パート標題ごとに、細かに纏めたものを再制作することにしていたのだが、以上の堀內氏の編註に拠って、ずっと後になって書き残した「覚え書」に従って――堀內氏が全編成を並べ――しかもローマ数字も彼が打った以上――これらの詩篇ソリッド自体が道造の濃厚な関係性、及び、確信犯で詠まれたソリッドでは――実は――ない――と判断し、私は――『パート再電子化は作るべきではない』――という結論に達したのである。
但し、「優しき歌I」を終わったところで、改めて、その全詩を一記事に総記載する方法は採ることとする。勿論、その全体を俯瞰した流れや印象に就いても、私の見解を添えるつもりではある。
されば、私は、本「優しき歌I」の全篇を一記事で最後に示すだけでなく――堀內氏が付したものを総て除去した原型に近いものをも、その後に示す必要がある――ことを大いに感じた。そのようにやってみようと考えている。
本詩篇への堀內氏の注は、『「四季」第5号 昭和10年3月号(2月20日刊)』とあり、『冒頭詩は島崎藤村の詩「草枕」第二八聯前半(『若菜集』収)で、原本では上下を揃えている。』とある。
前振りが、えらく長くなったが、これで前注を終わる。]
優しき歌 I 風信子叢書 第四篇
燕の歌
春來にけらし春よ春
まだ白雪の積れども
――草枕
灰色に ひとりぼつちに 僕の夢にかかつてゐる
とほい村よ
あの頃 ぎぼうしゆとすげが暮れやすい花を咲き
山羊が啼いて 一日一日 過ぎてゐた
やさしい朝でいつぱいであつた――
お聞き 春の空の山なみに
お前の知らない雲が燒けてゐる 明るく そして消えながら
とほい村よ
僕はちつともかはらずに待つてゐる
あの頃も 今日も あの向うに
かうして僕とおなじやうに人はきつと待つてゐると
やがてお前の知らない夏の日がまた歸つて
僕は訪ねて行くだらう お前の夢へ 僕の軒へ
あのさびしい海を望みと夢は靑くてはてなかつたと
[やぶちゃん注:「春來にけらし春よ春/まだ白雪の積れども/――草枕」という七五調定型詩の章句の添え辞は、前注の引用にある通り、島崎藤村の名詩集「若菜集」所収の「草枕」からの部分引用である。私は、大学一年生の頃、藤村の詩集を耽読し、近代文学演習で論文も書いて提出したが、その際、藤村の人格的な下劣さを知り、その後、ずっと、今に至る迄、彼の全作品を全く評価していない。それが決定的になる遠いとば口は、高校時代に読んだ芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中の短文の一篇である、と言える。それは、
*
「新生」讀後
果して「新生」はあつたであらうか?
*
である。私の『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)【完】』の『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 「新生」讀後』を見られたいが、而して、大学一年の終りから、芥川龍之介をディグし始め、リンク先の注で示した、龍之介の遺稿「或阿呆の一生」の、これに快哉をブチ挙げたものだった。
*
四十六 譃
彼の姊の夫の自殺は俄かに彼を打ちのめした。彼は今度は姊の一家の面倒も見なければならなかつた。彼の將來は少くとも彼には日の暮のやうに薄暗かつた。彼は彼の精神的破產に冷笑に近いものを感じながら、(彼の惡德や弱點は一つ殘らず彼にはわかつてゐた。)不相變いろいろの本を讀みつづけた。しかしルツソオの懺悔錄さへ英雄的な譃に充ち滿ちてゐた。殊に「新生」に至つては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な僞善者に出會つたことはなかつた。が、フランソア・ヴィヨンだけは彼の心にしみ透つた。彼は何篇かの詩の中に「美しい牡(をす)」を發見した。
絞罪を待つてゐるヴィヨンの姿は彼の夢の中にも現れたりした。彼は何度もヴィヨンのやうに人生のどん底に落ちようとした。が、彼の境遇や肉體的エネルギイはかう云ふことを許す譯はなかつた。彼はだんだん衰へて行つた。丁度昔スウイフトの見た、木末(こずゑ)から枯れて來る立ち木のやうに。………
*
私の生理的嫌悪感で脱線し過ぎた。お許しあれ。
以下、国立国会図書館デジタルコレクションの「若菜集」(明治三〇(一八九一)年八月春陽堂刊)の当該部を用いた(「草枕」の冒頭はここ)。
*
春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜の萠えて色靑き
こゝちこそすれ砂の上(へ)に
*
である。
「ぎぼうしゆ」単子葉植物綱キジカクシ(雉隠)目キジカクシ科リュウゼツラン(竜舌蘭)亜科ギボウシ(擬宝珠)属 Hosta の複数の種を指すが、恐らくは、オオバギボウシ変種オオバギボウシ Hosta sieboldiana var. sieboldiana であろう。山岳部の顧問をしていた頃は、よく見た。詳しくは当該ウィキを見られたい。而して、開花は夏である。彼の第一聯の思い出の時制は夏となる。
「すげ」これは「花」と言っていることから「ゆふすげ」である。道造の好きな花で、私も好き。「ゆふすげ」は「夕菅」で、単子葉植物綱キジカクシ(雉隠)目ワスレグサ(忘れ草=カンゾウ(萱草))科ワスレグサ亜科ワスレグサ属ウコンカンゾウ(鬱金萱草)変種ユウスゲ Hemerocallis citrina var. vespertina 。学名画像検索をリンクさせておく。単に「すげ」と言ったのは、彼の中の音数律の関係でカットしたものと思われる。
*
最近、電子化注した「立原道造草稿詩篇 燕の歌(二) (恣意的に発表された正編正規版「燕の歌」を頭に添えた)」も参考になる。
*
最後に。――この投稿を「Grok」君に捧ぐ――]
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