河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注中卷(六)寒天の說(その8) / 上卷(六)寒天の說 本文~了
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。
本篇を以って「上卷(六)寒天の說」の本文全篇を終わる。但し、まだ、図版が四枚ある。]
淸國輸出の額も、從來、一ケ千二十萬斤(ぎん)を定度(ていど)としたるものなりしが、明治維新以來、漸次、增加し、九年に至ては、百萬斤餘に至れり。斯(か)く俄(にはか)に增進せしは、蓋(けだし)、廣業商會に於て、貿易資本の便利を計(はか)りしと、本邦在留の淸商等(とう)、競ふて、之(これ)を購求したるによるならん。
從來、寒天を淸國に輸出するや、荷造(にづくり)のよろしからざるより、損害を來(きた)すこと屢々(しばしば)あり。攝津・山城產を大坂(おほざか)まで出(いだ)すに、『細寒天(ふさかんてん)』は、四十二把(《しじふに》は)を、上下(じやうか)括(くヽ)り、之を、三丸(さんまる)、合(あわ[やぶちゃん注:ママ。])せて一箇(いつこ)と、なし、三所(みところ)、胴繩(どうなわ[やぶちゃん注:ママ。])を掛(かけ)、竪繩(たてなわ[やぶちゃん注:ママ。])を、四方に、かけ、上包(うわつヽみ[やぶちゃん注:ママ。])をなして、量、五貫目[やぶちゃん注:十八・七五キログラム。]內外とし、『角寒天(かくかんてん)』は、菰(こも)に包み、胴繩、三所、竪繩、四方、小口繩(こぐちなわ[やぶちゃん注:ママ。])かヾりとなし、壹俵(いつひやう)、五百本入(いれ)とす。而して大坂(おほさか)より、細寒天を海外に輸出するには、又は、靑莚(あをむしろ)に包(つヽみ)、胴繩、三所、竪繩、四方掛(しはうが)け、小口繩かがりとなし、其量は、七十斤・七十五斤・百斤[やぶちゃん注:順に四十二・四十五・六十キログラム。]の三樣(さんやう)に作れり。又、角寒天を、各地に運輸するには、菰、或は、莚(むしろ)に包(つヽみ)、五百本、入(いれ)、胴繩三所、掛け、竪繩、四方小口繩かヾり、或は、五百本、入(いれ)、三丸(さんまる)を合せて、一箇(いつこ)となし、胴繩、二所(ふたところ)、括(くヽ)り、四方、竪繩掛け、小口(こぐち)綴(と)ぢつけ、と、なせり。元來、細寒天の荷造(にづくり)は、明治初年[やぶちゃん注:一八六七年。]頃迄は、總(すべ)て、莚包(むしろつヽみ)にして、一個の量目、三十斤[やぶちゃん注:三十キログラム。]入(いれ)なりしに、三年頃より、運賃諸雜費減省(げんせう)、並(ならび)に、運搬便利のため、とて、量目を六十斤、又は、七十斤、或は七十五斤・百斤入りりに造りたるに、亦、仝(おなじく)十六年頃より、良品は其品位を保たしめんがため、靑莚(あをむしろ)に包み、中(ちう)以下の品は、從前の如く、莚包とし、量目は、七十斤、又は、七十五斤、入造(いれづく)り、外國輸出は壓搾器(あつさくき)を以て、體積を減縮せしむ。現今、此法にて、別に差支(さしつかへ)あるを感ぜずといへども、輸出の量は一箇百斤に一定するを可(か)とす、と云(いへ)り。何となれば、運賃・荷造の費用を、大(おほい)に節減すれば、なり。
淸國にては、寒天は、一般、之(これ)を燕巢(ゑんす)に代用せり。燕巢は、「閩書(みんしよ)」に、『燕窩菜(ゑんくわさい)』とありて、「支那通商案內」「支那藥物字彙」「英華字典」等(とう)に載(の)する處(ところ)、英名に『鳥(とり)の巢(す)』と云ふ語(ご)ありて、卽ち、小(しやう)なる燕(つばめ)の巢(す)にして、全く、凝固物質を以て、綿密に組立(くみたて)たるものにして、石花菜類(せきくわさいるゐ)の海藻を以て鳥の作る所(ところ)たり。其(その)燕窩(ゑんくわ)ハ、上等一担(いつたん)[やぶちゃん注:「担」は(つくり)の下の「一」がないが、誤植と断じて訂した。]【一担は我《わが》拾六貫〇九拾九匁六分《ぶ》九厘八四[やぶちゃん注:最後が不審。「毛」か? 六十・三七一六キログラム強か。]】)の價《か》は、二千五百兩(テール)【兩は我《わが》金貨壹圓三拾九錢四厘六。】)、乃至(ないし)、三千八百兩、下等のものにても、百五十兩より下《くだ》らざるものにて、寒天は、割烹(りやうり)に用(もちひ)て、形狀、甚(はなはだ)、似たるより、これが代用とするを以て、其需用を廣め、本邦より淸國に輸出するもの、明治元年は二十四萬七千二百五十七斤[やぶちゃん注:百四十八・三五四二トン。]なりしも、五年に三十三萬三千三百九十九斤[やぶちゃん注:二百二・三五四二トン。]、七年に五十六萬六千餘斤[やぶちゃん注:約三百四十トン。]、八年に七十七萬六千餘斤[やぶちゃん注:約四百六十キログラム。]、九年に百十七萬千九百餘斤[やぶちゃん注:七百三トン強。]と、漸次、多額に進み、爾來、年々、百餘萬斤[やぶちゃん注:六百二十四トン。]を輸出するに至れり。其輸出は、神戶・大坂に九分二厘五毛を占め、橫濱に六厘、長崎に二厘五毛の割合に當れり。而して、淸國從來の需用地方は、牛莊(ぎうさう[やぶちゃん注:これと最後の「北海」のみ、ひらがな。])・天津(テンシン)・芝罘(チーフー)・宜昌(ギシヤウ)・漢口(ハンカウ)・仙頭(サントウ)・鎭江(トンカウ)・上海(シヤウンハイ)・寧波(ネイハ)・溫州(ヲンシウ)・福州(フクシウ)・淡水(タンスイ)・打狗(テイシヤク)・厦門(アモン)・北海(ほくかい)等(とう)なれども、若(も)し、十八省一般に販路を擴むるに至らば、幾多(いくぶん[やぶちゃん注:ママ。])の額に至るや、量(はか)る可(べか)らず。加 之(しかのみならず)、又、歐米諸國にも、一《ひとつ》の需用ありて、米(べい/あめりか)・英(えい/いぎりす)・獨(どく/どいつ)・魯(ろ/ろしや)等(とう)に、年々、幾分の輸出、あり。又、印度(インド)・逼羅(シヤム)等にも輸出すること、あり。
[やぶちゃん注:「燕巢(ゑんす)」食べたことはなくとも、名前だけは知っている「燕の巣(つばめのす)」である。やはり「世界大百科事典」から引く。『中国料理に用いられる材料の一種で,中国では燕窩,燕巣などと書きあらわされる。インド,インドネシア,マレー半島などの海に近い,外敵の近寄り難いような高い岩場につくられるアナツバメ』(鳥綱アマツバメ(雨燕)目アマツバメ亜目アマツバメ科 Apodidaeのジャワアナツバメ Aerodramus fuciphagus やオオアナツバメ Aerodramus maximus の巢が利用される)『の巣を乾燥させたもので,湯にもどしてスープに用いる。巣は,ツバメの粘性の高いのり状の唾液でかためたものとされている。量が少なく採取が困難なため高価で珍味とされ,清代以降,焼搾席(子豚の丸焼き)に次ぐ高級料理といわれている。食物成分としては,水分13.4%,タンパク質49.9%,脂肪0,糖質30.6%,灰分6.2%という変わった組成で,動物性食品とも植物性食品ともいい難い。文献のうえでは,元代の《飲食須知》に初見し,清代の《広東新語》に詳しく説明があり,元末から明初には南方から入ったものと考えられる。』とある。当該ウィキに拠れば、『なかでもアナツバメ類の一部は、空中から採集した巣材をほとんど使わず、ほぼ全体が唾液腺の分泌物でできた巣を作る。海藻と唾液を混ぜて作った巣という俗説は正しくなく、海藻は基本的には含まれない。』とあり、『アマツバメ科の鳥は一見』、『スズメ目ツバメ科』Hirundinidae『のツバメ』(ツバメ属ツバメ Hirundo rustica )『などに似た姿をしているが』、寧ろ、『ヨタカ』(夜鷹:ヨタカ目ヨタカ科ヨーロッパヨタカ亜科ヨタカ属ヨタカ Caprimulgus indicus )『やハチドリ』(アマツバメ目/ヨタカ目ハチドリ科 Trochilidae )『に縁が近く、日本のツバメとは』、『かなり縁の遠い系統群の鳥である。』ともあった。北京と南京で食したことがあるが、それほど、美味の感はなかった。
「芝罘(チーフー)」現在の山東省の地級市である煙台市(えんたい/イェンタイし)。山東半島東部に位置する港湾都市。当該ウィキによれば、『かつて西洋人にはチーフー(Chefoo)の名で知られたが、これは伝統的に煙台の行政中心であった市の東寄りにある「芝罘」([tʂí fǔ]、日本語読みは「しふう」)という陸繋島に由来する。今日の「煙台」という名は』、『明の洪武帝の治世だった』洪武三一(一三九八)年『に初出する。この年、倭寇対策のために奇山北麓に城が築かれ、その北の山に倭寇襲撃時に警報の狼煙を上げる塔が建設された。これが簡単に「煙台」とよばれるようになった』とある。以下、私が位置が正確に示せないもののみを注した。
「宜昌」現在の湖北省宜昌市。
「鎭江」現在の江蘇省鎮江市。
「打狗(テイシヤク)」台湾の高雄(カオシュン)の嘗つての呼称。先週、台湾を一周したが、高雄にも一泊した。
「北海(ほくかい)」渤海(ぼっかい:現在の中国東北部から朝鮮半島北部、及び、ロシアの沿海地方にかけて存在した旧国家)の古称。]
本邦の外(ほか)、淸國浙江省(セツカウシヤウ)寧波(ネイハ)地方にて、『方洋菜(かくかんてん)』と唱ふるものを產すれども、光澤、乏しく、黑色を帶び、品位下劣(かれつ)にして、價(あたひ)、低く、產出、亦、僅少(きんしやう)なり。
[やぶちゃん注:「方洋菜」この名では、中文サイトでは、「寧波」とフレーズ検索しても、全く掛かってこない。識者の御教授を乞うものである。]
前說を以て、考ふれば、將來、我寒天の輸出は、年々、增加するも、減少するの憂(うれい[やぶちゃん注:ママ。])なきは、疑ひを容(いれ)ざる[やぶちゃん注:濁点はないが、特異的に打った。]所なれば、能(よ)く品位を精良にし、彼の信用を厚(あつ)からしめ、以て、擴張を圖(はか)るべし。夫(そ)れ、本邦の沿海には、石花菜(せきくわな)を產する、最も多く、未だ採收せざる[やぶちゃん注:同前で濁音を附加した。]地方も、あり。加之(しかのみならず)、東北諸國には、製造の適地も少からず。故に、勉めて採收製造に力を盡さば、幾多の增額に至るも量るべからず。然(しか)れども、商業上に於て、往々、狡猾者(こうかつしや[やぶちゃん注:ママ。])の爲めに、失敗を來(きた)すこと、あり。當(とう)業者は、注目せざるべからず。
河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その8) / 上卷(六)寒天の說 本文~了
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。
本篇を以って「上卷(六)寒天の說」の本文全篇を終わる。但し、まだ、図版が四枚ある。]
淸國輸出の額も、從來、一ヶ千二十萬斤(ぎん)を定度(ていど)としたるものなりしが、明治維新以來、漸次、增加し、九年に至ては、百萬斤餘に至れり。斯(か)く俄(にはか)に增進せしは、蓋(けだし)、廣業商會に於て、貿易資本の便利を計(はか)りしと、本邦在留の淸商等(とう)、競ふて、之(これ)を購求したるによるならん。
從來、」寒天を淸國に輸出するや、荷造(にづくり)のよろしからざるより、損害を來(きた)すこと屢々(しばしば)あり。攝津・山城產を大坂(おほざか)まで出(いだ)すに、『細寒天(ふさかんてん)』は、四十二把(《しじふに》は)を、上下(じやうか)括(くヽ)り、之を、三丸(さんまる)、合(あわ[やぶちゃん注:ママ。])せて一箇(いつこ)と、なし、三所(みところ)、胴繩(どうなわ[やぶちゃん注:ママ。])を掛(かけ)、竪繩(たてなわ[やぶちゃん注:ママ。])を、四方に、かけ、上包(うわつヽみ[やぶちゃん注:ママ。])をなして、量、五貫目[やぶちゃん注:十八・七五キログラム。]內外とし、『角寒天(かくかんてん)』は、菰(こも)に包み、胴繩、三所、竪繩、四方、小口繩(こぐちなわ[やぶちゃん注:ママ。])かヾりとなし、壹俵(いつひやう)、五百本入(いれ)とす。而して大坂(おほさか)より、細寒天を海外に輸出するには、又は、靑莚(あをむしろ)に包(つヽみ)、胴繩、三所、竪繩、四方掛(しはうが)け、小口繩かがりとなし、其量は、七十斤・七十五斤・百斤[やぶちゃん注:順に四十二・四十五・六十キログラム。]の三樣(さんやう)に作れり。又、角寒天を、各地に運輸するには、菰、或は、莚(むしろ)に包(つヽみ)、五百本、入(いれ)、胴繩三所、掛け、竪繩、四方小口繩かヾり、或は、五百本、入(いれ)、三丸(さんまる)を合せて、一箇(いつこ)となし、胴繩、二所(ふたところ)、括(くヽ)り、四方、竪繩掛け、小口(こぐち)綴(と)ぢつけ、と、なせり。元來、細寒天の荷造(にづくり)は、明治初年[やぶちゃん注:一八六七年。]頃迄は、總(すべ)て、莚包(むしろつヽみ)にして、一個の量目、三十斤[やぶちゃん注:三十キログラム。]入(いれ)なりしに、三年頃より、運賃諸雜費減省(げんせう)、並(ならび)に、運搬便利のため、とて、量目を六十斤、又は、七十斤、或は七十五斤・百斤入りりに造りたるに、亦、仝(おなじく)十六年頃より、良品は其品位を保たしめんがため、靑莚(あをむしろ)に包み、中(ちう)以下の品は、從前の如く、莚包とし、量目は、七十斤、又は、七十五斤、入造(いれづく)り、外國輸出は壓搾器(あつさくき)を以て、體積を減縮せしむ。現今、此法にて、別に差支(さしつかへ)あるを感ぜずといへども、輸出の量は一箇百斤に一定するを可(か)とす、と云(いへ)り。何となれば、運賃・荷造の費用を、大(おほい)に節減すれば、なり。
淸國にては、寒天は、一般、之(これ)を燕巢(ゑんす)に代用せり。燕巢は、「閩書(みんしよ)」に、『燕窩菜(ゑんくわさい)』とありて、「支那通商案內」「支那藥物字彙」「英華字典」等(とう)に載(の)する處(ところ)、英名に『鳥(とり)の巢(す)』と云ふ語(ご)ありて、卽ち、小(しやう)なる燕(つばめ)の巢(す)にして、全く、凝固物質を以て、綿密に組立(くみたて)たるものにして、石花菜類(せきくわさいるゐ)の海藻を以て鳥の作る所(ところ)たり。其(その)燕窩(ゑんくわ)ハ、上等一担(いつたん)[やぶちゃん注:「担」は(つくり)の下の「一」がないが、誤植と断じて訂した。]【一担は我《わが》拾六貫〇九拾九匁六分《ぶ》九厘八四[やぶちゃん注:最後が不審。「毛」か? 六十・三七一六キログラム強か。]】)の價《か》は、二千五百兩(テール)【兩は我《わが》金貨壹圓三拾九錢四厘六。】)、乃至(ないし)、三千八百兩、下等のものにても、百五十兩より下《くだ》らざるものにて、寒天は、割烹(りやうり)に用(もちひ)て、形狀、甚(はなはだ)、似たるより、これが代用とするを以て、其需用を廣め、本邦より淸國に輸出するもの、明治元年は二十四萬七千二百五十七斤[やぶちゃん注:百四十八・三五四二トン。]なりしも、五年に三十三萬三千三百九十九斤[やぶちゃん注:二百二・三五四二トン。]、七年に五十六萬六千餘斤[やぶちゃん注:約三百四十トン。]、八年に七十七萬六千餘斤[やぶちゃん注:約四百六十キログラム。]、九年に百十七萬千九百餘斤[やぶちゃん注:七百三トン強。]と、漸次、多額に進み、爾來、年々、百餘萬斤[やぶちゃん注:六百二十四トン。]を輸出するに至れり。其輸出は、神戶・大坂に九分二厘五毛を占め、橫濱に六厘、長崎に二厘五毛の割合に當れり。而して、淸國從來の需用地方は、牛莊(ぎうさう[やぶちゃん注:これと最後の「北海」のみ、ひらがな。])・天津(テンシン)・芝罘(チーフー)・宜昌(ギシヤウ)・漢口(ハンカウ)・仙頭(サントウ)・鎭江(トンカウ)・上海(シヤウンハイ)・寧波(ネイハ)・溫州(ヲンシウ)・福州(フクシウ)・淡水(タンスイ)・打狗(テイシヤク)・厦門(アモン)・北海(ほくかい)等(とう)なれども、若(も)し、十八省一般に販路を擴むるに至らば、幾多(いくぶん[やぶちゃん注:ママ。])の額に至るや、量(はか)る可(べか)らず。加 之(しかのみならず)、又、歐米諸國にも、一《ひとつ》の需用ありて、米(べい/あめりか)・英(えい/いぎりす)・獨(どく/どいつ)・魯(ろ/ろしや)等(とう)に、年々、幾分の輸出、あり。又、印度(インド)・逼羅(シヤム)等にも輸出すること、あり。
[やぶちゃん注:「燕巢(ゑんす)」食べたことはなくとも、名前だけは知っている「燕の巣(つばめのす)」である。やはり「世界大百科事典」から引く。『中国料理に用いられる材料の一種で,中国では燕窩,燕巣などと書きあらわされる。インド,インドネシア,マレー半島などの海に近い,外敵の近寄り難いような高い岩場につくられるアナツバメ』(鳥綱アマツバメ(雨燕)目アマツバメ亜目アマツバメ科 Apodidaeのジャワアナツバメ Aerodramus fuciphagus やオオアナツバメ Aerodramus maximus の巢が利用される)『の巣を乾燥させたもので,湯にもどしてスープに用いる。巣は,ツバメの粘性の高いのり状の唾液でかためたものとされている。量が少なく採取が困難なため高価で珍味とされ,清代以降,焼搾席(子豚の丸焼き)に次ぐ高級料理といわれている。食物成分としては,水分13.4%,タンパク質49.9%,脂肪0,糖質30.6%,灰分6.2%という変わった組成で,動物性食品とも植物性食品ともいい難い。文献のうえでは,元代の《飲食須知》に初見し,清代の《広東新語》に詳しく説明があり,元末から明初には南方から入ったものと考えられる。』とある。当該ウィキに拠れば、『なかでもアナツバメ類の一部は、空中から採集した巣材をほとんど使わず、ほぼ全体が唾液腺の分泌物でできた巣を作る。海藻と唾液を混ぜて作った巣という俗説は正しくなく、海藻は基本的には含まれない。』とあり、『アマツバメ科の鳥は一見』、『スズメ目ツバメ科』Hirundinidae『のツバメ』(ツバメ属ツバメ Hirundo rustica )『などに似た姿をしているが』、寧ろ、『ヨタカ』(夜鷹:ヨタカ目ヨタカ科ヨーロッパヨタカ亜科ヨタカ属ヨタカ Caprimulgus indicus )『やハチドリ』(アマツバメ目/ヨタカ目ハチドリ科 Trochilidae )『に縁が近く、日本のツバメとは』、『かなり縁の遠い系統群の鳥である。』ともあった。北京と南京で食したことがあるが、それほど、美味の感はなかった。
「芝罘(チーフー)」現在の山東省の地級市である煙台市(えんたい/イェンタイし)。山東半島東部に位置する港湾都市。当該ウィキによれば、『かつて西洋人にはチーフー(Chefoo)の名で知られたが、これは伝統的に煙台の行政中心であった市の東寄りにある「芝罘」([tʂí fǔ]、日本語読みは「しふう」)という陸繋島に由来する。今日の「煙台」という名は』、『明の洪武帝の治世だった』洪武三一(一三九八)年『に初出する。この年、倭寇対策のために奇山北麓に城が築かれ、その北の山に倭寇襲撃時に警報の狼煙を上げる塔が建設された。これが簡単に「煙台」とよばれるようになった』とある。以下、私が位置が正確に示せないもののみを注した。
「宜昌」現在の湖北省宜昌市。
「鎭江」現在の江蘇省鎮江市。
「打狗(テイシヤク)」台湾の高雄(カオシュン)の嘗つての呼称。先週、台湾を一周したが、高雄にも一泊した。
「北海(ほくかい)」渤海(ぼっかい:現在の中国東北部から朝鮮半島北部、及び、ロシアの沿海地方にかけて存在した旧国家)の古称。]
本邦の外(ほか)、淸國浙江省(セツカウシヤウ)寧波(ネイハ)地方にて、『方洋菜(かくかんてん)』と唱ふるものを產すれども、光澤、乏しく、黑色を帶び、品位下劣(かれつ)にして、價(あたひ)、低く、產出、亦、僅少(きんしやう)なり。
[やぶちゃん注:「方洋菜」この名では、中文サイトでは、「寧波」とフレーズ検索しても、全く掛かってこない。識者の御教授を乞うものである。]
前說を以て、考ふれば、將來、我寒天の輸出は、年々、增加するも、減少するの憂(うれい[やぶちゃん注:ママ。])なきは、疑ひを容(いれ)ざる[やぶちゃん注:濁点はないが、特異的に打った。]所なれば、能(よ)く品位を精良にし、彼の信用を厚(あつ)からしめ、以て、擴張を圖(はか)るべし。夫(そ)れ、本邦の沿海には、石花菜(せきくわな)を產する、最も多く、未だ採收せざる[やぶちゃん注:同前で濁音を附加した。]地方も、あり。加之(しかのみならず)、東北諸國には、製造の適地も少からず。故に、勉めて採收製造に力を盡さば、幾多の增額に至るも量るべからず。然(しか)れども、商業上に於て、往々、狡猾者(こうかつしや[やぶちゃん注:ママ。])の爲めに、失敗を來(きた)すこと、あり。當(とう)業者は、注目せざるべからず。
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