立原道造下書き草稿篇 (母は呼びつづけた⋯⋯)
[やぶちゃん注:底本・凡例等は「草稿詩篇」の起動の初回、及び、「下書き草稿篇」の初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。それに拠れば、『草稿無題。鉛筆書き。表には前期草稿詩「春(願ひに近く)」』『を記入。』とある。更に、『本篇に見る母と子の心に乖離は、初期の短歌や詩にもしばしば現われる主題であるが、本篇その散文詩型から昭和9年3―4月制作の詩「子供の話」の延長線上にあると言えよう。』とある。この「子供の話」は、私は、未読にして電子化していない。底本全集の「第一卷 詩集I」のここで視認出来るが、詩と言っても、物語形式の散文体で、四章からなるもので、即座には作成する余裕はない。しかし、内容は、極めて興味深いものであるから、近いうちに、独立して電子化しようと思う。加えて、『制作時は、裏書きであるが、用紙が昭和9年4月――5月使用のものであり、また〈花のにほひ〉や〈草の芽〉とおいう春を指す言葉の使用に拠り』、『同用紙の使用時と想定する(第二巻編注P336――337参照)。』とある。この最後のページ指示のそれは、ここの『紀伊國屋製四百字詰草稿(D)』で、私の先行する「鄕愁」から「大きな町の上に」の十篇である。
実は、先行する「立原道造草稿詩篇 春 【「春」の裏側に書かれた全くの別草稿】(母は呼びつづけた⋯⋯)」で電子化しているのだが、この底本の「下書き」認識に異議を唱えるために、敢えて、ここで、独立させて再掲する。]
(母は呼びつづけた⋯⋯)
母は呼びつづけた。坊やおあしを持つてゐるかいと。
子供はとほく返事した、持つてるよ。母は何度もききあやまつた。彼女は呼ぶのをやめなかつた。
子供はとうとう母のそばに來た。
母は彼にいくらかの金を與へた。そしてまた安心したやうに幼い女の子ともとの道を歸つて行つた。
もう晝の色はうすぐらくなつてゐた。花のにほひが、水つぽくあたりにまざつてゐた。
子供のラツパの音がまた聞こえた。
私はベンチを立ち去つた。
子供が母に養はれてゐること程かなしいことはないだらうか。或る日私は、講演のベンチに坐つてゐた。それはもう日のおちたあとあつたか、また晝間にやうだつた。私はラツパの音をきいてゐた。それが何だか私は知らなかつた。
草の芽を手で持つて、その音をきいてゐた。幼い女の子を連れて、母が私の前を通つた。彼女はしきりに子の名を呼んでゐた。
とラツパの聲がやんだ。
[やぶちゃん注:前にも、何度か、注で述べたが、立原道造の母に対する、愛しながら、奇妙にアンビバレンツを持った感覚は、明らかに、普通ではない。何時か、結核以前の道造の青年前の生活史を通して、彼の、その時期の病跡学的分析を試みたく思っている。]
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