河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(七)乾鰕の說(その2)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]
本草書、及び、府縣志(ふけんし)・物產書等に載(の)する所の鰕類(かるい[やぶちゃん注:ママ。])の名を擧ぐれば、沙虹(しやかう)・何魵(がふん)・玉德公(ぎよくとく)・季遐(きか)・水晶人(すゐしやうじん)・謝豹(しやひやう)・長鬚公(ちやうすうこう)・虎頭公(ことうこう)・曲身小子(きよくしんしやうし)・水母目(すいぼもく)・鰝(かう)・鰕魚(かぎよ)・丹鰕(たんか)・紅鰕(かうか)・鰕魁(かくわい)・鰕抷(かひ)・神鰕(しんか)等(とう)なり。其中(そのうち)、形狀の大小等(とう)によりて、名を異(こと)にする、あり。元來、『鰕《か》』は、河產(かさん)のものヽ總稱、『海鰕(かいか)』は海產の物の總名にて、『海鰕』の大(おほい)なるを、『鰝』と云ふ。『紅鰕』は、長さ二尺餘(よ)のものなり。「嶺表錄(れいひやうろく)」には、長(ながさ)七(しち)、八尺(はちしやく)なるものあることを、載せたり。閩(みん[やぶちゃん注:ママ。])には五色の鰕(ゑび)あり。亦、長さ尺餘のものを、兩(ふたつ)、兩(つい[やぶちゃん注:ママ。])に乾すを、『對鰕(ついか[やぶちゃん注:ママ。])』と、いひて、上饌(じやうせん)に充(あ)つ、とあり。福州(ふくしう)地方の人は、其形(そのかた)ち、尺餘(しやくよ)のものを、乾製して嗜好し、「閩書南產志(みんしよなんざんし)」には、大(おほい)なるを、『鰕魁』と名(なづ)け、『鰕抷』、『龍鰕(りうか)』、『赤鰕(せきか)』、『沙蝦(しやか)』、『水港鰕(すいこうか[やぶちゃん注:ママ。])』、『斑節鰕(はんせつか)』、『白鰕(はくか)』、『泥鰕(でいか)』、『梅鰕(ばいか)』、『蘆鰕(ろか)』等(とう)あり。『蘆鰕』は、蘆(あし)の花の時、變ずるを云ひ、『梅鰕』は、梅雨の時出(いづ)るを云ひ、『泥鰕』は、稻花(とうくわ)の發する時、暴(さだ)して、之を、藁(わら)にて括(くヽ)るをいひ、揉みて、皮を去りたるを、『鰕米(かべい)』といふ。是れ、古(いに)しへ、本邦の通俗、『裸鰕(はだかゑび)』といひ、今、『すりゑび』と云ふものなり。李時珍曰く、『鰕米は食する薑醋(しやうがず)を以《もつて》す。又、嶺南に天鰕(てんか)あり。酢(すし)と作(な)して、食し、饌品(せんひん)の珍とす。』と、あり。此他(このた)、『丹鰕(たんか)』、『大脚鰕(だいきやくか)』、一名、『艸鰕(さうか)』は、本邦の『かせゑび』、一名『てんこうゑび』なり。亦、『蠶鰕(さんか)』あり。「三才圖會」には、『泥鰕(でいか)』の一名を『苗鰕(びうか[やぶちゃん注:ママ。])』とし、「福州府志」に、一名『塗苗(とびう[やぶちゃん注:ママ。])』、又、『醬鰕(しやうか)』と、あり。『時鰕(じか)』は、本邦の『あみ』なり。『海物異名記(かいぶついめうき[やぶちゃん注:ママ。])』に鹽(しほ)を加(くはへ)て、醬(しやう)となすことを、載せたり。
[やぶちゃん注:「府縣志」言うまでもないが、中国の府縣の「志」=「地誌」を指す。これらは冒頭の「本草書」以下、凡て、中国に限った単語・呼称の解説である。
「沙虹(しやかう)」以上の読みは呉音。漢音では「さかう」。中文では、現行では普通に使われていないようである。やっと「百度百科」の「天津对虾」で、『《津门百咏》中“沙虹作对大盈尺”的记载及民间“一斤约俩儿”的俗语均印证其体型特征』という部分で確認出来た。これは、まさに清代の詩人崔旭の漢詩集「津門百詠」である。その画像から一発でクルマエビ類であることが判り、及び、説明の中に挙げれた二つの学名(シノニム)から、根鰓亜目クルマエビ上科クルマエビ科コウライエビ(高麗海老)属コウライエビ Fenneropenaeus chinensis を指す語であることが判った。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『食用エビとしても知られ、タイショウエビ(大正海老)という別名で流通して』おり、『黄海・渤海・東シナ海沿岸に分布する』。『成体の体長は20センチメートル程度。額角の鋸歯は上縁に7 - 8歯、下縁に3 - 4歯がある。腹部の第4節から後方は側扁し、第5・第6節に背隆起がみられる。体には目立つ模様はなく、薄灰色をしている』。『漁期は11月から4月上旬。かつては日本でも漁獲されていたが、現在では輸入に頼っている。「大正エビ」の別名は、当時の輸入業者である林兼商店(後の大洋漁業)と日鮮組(後の日本水産)の共同事業「大正組」に由来する』とあり、恐らくは、本文に和名が語られていないことから、本書の刊行(明治一九(一八八六)年)後、若しくは、明治中末期から大正にかけてから、本邦でも漁獲していたことが推定されるのである。
「何魵(がふん)」漢音「カ」が我々には親しいが、呉音「ガ」であるから誤りではない。因みに、「何」は現行の中文拼音では「hé」で「ホー」である。「魵」は、既に中国の字書(撰者未詳)で、周代から漢代の諸経書の伝注を採録したものとされる「十三經」の一つである「爾雅」に『魵、鰕。』とある。この字は「つくり」の「分」が「分かれている」という意味であり、頭胸部・腹部・脚・尾などが、明確に「分」かれた形の古語の海産生物全般に用いる「魚」に与えた漢字と推定される。但し、この「何魵」では、中文サイトでも掛かってこないが、「何」には「なんと~だろう!」という感嘆のいみがあるから、有象無象のエビの中で、食する値する大型種、或いは、美味な種を指すものか、又は、「何んと小さな沢山の!」という多量に獲れる小エビの意、かも知れない。
「玉德公(ぎよくとく)」中文サイトでは全く出てこないので、国立国会図書館デジタルコレクションで調べたところ、辞書「新式大辭林 讀書作文」久保得二編・明治四五(一九一二)年博文館刊)の「えび」の項の「用語」に「玉德公」を挙げ、「典故」で、『蝦で鯛を取る――輕少なるものを餌として重大なるものを得ること、廣く用ゆる諺なり。王君玉雜纂』(宋代の書)『に「將蝦にて鼈を釣らむとす」書言故事「瓜を投じて瓊を得」』というのがそれである。最後の故事は、古代中国の習慣で、女性が木瓜(ぼけ)などの木の実を投げて求愛して、男性は応じるときに、宝玉を贈っていたということに由来する。「瓊」は「宝玉」のこと。
「季遐(きか)」「遐」の字には「とおい・はるか」・「ながい」・「反語。なんぞ。いずくんぞ。」の他、「徦」「瑕」等の代字であり、エビの意味はないから、誤植かと思ったが、「維基文庫」で検索したところ、唐の毛勝の「水族加恩簿」に、
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玉德公季遐(鰕魁),純潔內含,爽妙外濟。
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とあったことから、これは、自動翻訳してみると、優れた人物で、海産の料理師たちについて述べた内容であったことが判った。その人物名を転訛したものと推定された。更に、後に出る『「閩書南產志(みんしよなんざんし[やぶちゃん注:ママ。])」には、大(おほい)なるを、『鰕魁』と名(なづ)け』とあることことから、大型のエビを指すことも判った。調べてみるもんだ!
「水晶人(すゐしやうじん)」広東料理に分類される点心の一種に蝦餃(ハーガオ)があり、当該ウィキに拠れば、『エビを主たる材料とすることに特徴のある蒸し餃子である』。『中国語においては、特に中国南方で水晶餃という漢字表記がある』とあった。また、「維基文庫」の宋の陶穀「清異録」の、「水晶人」があり、
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二三友來訪,買得蝦蟹具饌,語及唐士人逆風至長鬚國娶蝦女事。坐客謝謙冲曰:「蝦女豈不好?白角衫裹箇水晶人。」滿筵無不大笑。
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機械翻訳すると、『友人2、3人がエビやカニ料理を持って訪ねてきた。彼らは、唐の学者が風に逆らって長髭の国へ行き、エビ娘と結婚したという話をした。客の一人、謝千冲が「エビ娘って素晴らしいと思いませんか?白い角模様のシャツをまとった水晶のような美女ですよ」と言うと、宴席にいた全員が笑い出した。』とあった。
「謝豹(しやひやう)」中文サイト「漢典」の「谢豹虾」の項に、
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◎ 谢豹虾 xiè bào xiā
[cuckoo shrimp] 一种虾类的名称。
吴人谓杜宇为‘谢豹’。杜宇初啼时,渔人得虾曰‘谢豹虾’。——宋·陆游《老学庵笔记》
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とあった。機械翻訳すると、
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[カッコウエビ]はエビの一種の名前です。
呉の人々はカッコウを「謝豹(謝豹)」と呼んだ。カッコウが初めて鳴いたとき、漁師がエビを捕まえて「謝豹虾(謝豹虾)」と呼んだ。―陸游『老学庵筆記』、宋代』
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とあった。
「長鬚公(ちやうすうこう)」「鬚」は呉音「ス」、カノン「シユ(シュ)」であるから「すう」と言う読みは、おかしい。中文サイトで複数やったが、ヒットしない。しかし、これをエビに当てるのは、ごくごく、納得では、ある。
「虎頭公(ことうこう)」「漢典」の「谢豹虾」に、
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◎ 虎头公 hǔ tóu gōng
[shrimp] 虾的别称。
虾名长须公、虎头公,曲身小子。——清·厉荃《事物异名录·水族·虾》
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とあった。機械翻訳すると、
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虎头公 hƔ tóu gōng
【エビ】エビの別名。
エビは、長ひげエビ、虎頭エビ、曲胴エビとも呼ばれる。— 李泉、清代『異名録』水生動物、エビ
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とあった。
「曲身小子(きよくしんしやうし)」「百度百科」の「虎头公」(=「虎頭公」)に、機械翻訳で『エビの別名。』『英語の意味は shrimp、詳細な意味は、エビの別名で、長いひげの男または曲がった体の少年としても知られています。』とし、『清代の学者、李泉は、著書「事物異名録」の「水族 鰕」の項で、『鰕は、長鬚公、虎頭男、曲胴小子とも呼ばれる』と記されている」と記している。
「水母目(すいぼもく)」これは見た瞬間にクラゲ・フリークの私には、判った。嘗つての子供向けの海の漫画図鑑には、砂地にひっくり返ったサカサクラゲ(刺胞動物門鉢虫綱根口クラゲ目サカサクラゲ科サカサクラゲ属サカサクラゲ Cassiopea ornata )みたような傘の真下に、隠れ家よろしく、たいそうながっちりしたエビが描かれたものが載っていたものだが、そんな光景は実際には、ない。現在まで、そのような実写写真を私は見たことがないのだ。私がピンと来たのは、抱卵(エビ)亜目コエビ下目 Carideaテッポウエビ上科 Alpheoideaモエビ科 Hippolytidaeのサンゴ礁域で頻繁に見られるヒラツノモエビ属クラゲモエビ Latreutes anoplonyx である。知られた共生(私は生物学上の純粋な「共生」という概念を安易に使い過ぎると考えている。あるのは、殆どが「片利共生」か、ただの「寄生」だからである。但し、クラゲの場合は、別に確かな共生ケースはある。タコクラゲ(鉢虫綱根口クラゲ目タコクラゲ科タコクラゲ属タコクラゲ Mastigias papua )や同属種は褐虫藻(2本の鞭毛を持つ単細胞藻類の一群である真核生物アルベオラータ上門 Alveolata渦鞭毛虫門渦鞭毛藻綱渦鞭毛藻(うずべんもうそう)類で、細胞表面に縦横の溝を持つ)と確かに共生している。褐虫藻は光合成をおこなうため、海水中の二酸化炭素から酸素と炭水化物を生成し、褐虫藻はタコクラゲから二酸化炭素を受け取り、タコクラゲは褐虫藻から炭水化物を供給されることで海中の二酸化炭素を取り除き、海水に酸素を排出している)の一種であるが、クラゲモエビは限定寄生ではなく、大型の日本海沿岸に広く棲息するエチゼンクラゲ(根口クラゲ目ビゼンクラゲ(備前水母)科 Rhizostomidaeエチゼンクラゲ(越前水母)属エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai に附着している。しかし、寄生種であるクラゲの刺胞に刺されて食われることもあり、逆にクラゲの体部をかじったりするから、私は「共生」とは言いたくないのである。閑話休題(私には「閑話」ではないのだが)。されば、中国の南方の海岸線では、エチゼンクラゲにいっぱいくっついているクラゲエビを見ることが出来るのである。さても、古人の中国人や日本人は、それが、特異な寄生性のエビであるなどとは知る由もないないのだから、「普段、食べているエビの子どもだ!」と思うという訳である。因みに、この「水母目」というのは、昔の人(というより、現代人の多くも)「クラゲには目はない」と思っているから「目の見えないクラゲの目の代りをするエビ」の謂いなのだが、クラゲには眼は、傘の周辺にしっかりある。それも複数ある(種によって異なり、お馴染みのミズクラゲでも一つの感覚器に八個で計十六個を持つ。その目は生物学では「眼点」と呼ぶ。但し、光を感知するレベルに過ぎないが、それでも、重要な「眼」なのである。最後に。頗る、面白いものを「維基文庫」で見つけた。唐の楊濤の賦である「水母目鰕賦(以「有相須而後濟者」為韻)」である。以下に示す。
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物有相感,動無不濟,嗟水母之不明,假鰕目以能睨,因依倚以自警,當行止而有制。荷茲盼睞,非唯一目之所加;遊彼波瀾,固亦兩心之潛契。生雖異稟,趣則同途,讬清明之餘照,導茫昧之微軀,誠有利於攸往?胡可去其斯須,唯暗是投,唯明是假,彼動容而有類,此轉盼而奚舍?乍若蒙駒之未視,從彼母兮;又似瞽人之將行,待彼相者。備察察於清盧之際,共悠悠於碧波之下,俾其誠以明之,是同我之身也。斯則目非獨見,用必更相,形質既資於自晦,視瞻每比於偷光。分水類之餘睛,每能瞿瞿;遊泉室而有路,曾不倀倀。雖則視之不見,終似闇然而章。豈不以水母為名,鰕居其首,委雙眸而不吝,當四望之能久。處浩浩之無際,瞻之在前;俾冥冥之有知,不曰我後。由是審利害之所宜,俾出處之從時。合之則昭然發蒙,固無隱也;離之則寂爾無睹,豈不默而?既精誠之是達,在終始以相持。我無爾虞,既(一作恒)司明之不替;而(一作爾)為我目,其在暗而無疑。則知明不自守,昧者為偶,物有察而應心,功有逾於假手。是同久要之道,曾不吾欺,每思一盼之恩,慚非已有。
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示された韻部分には、しっかり意味があるのだ。「相互依存は救済に繋がる」=「共生」だ! リンク先で機械翻訳したものを比較して読んで、私は、大いに感動した! 最近の自動翻訳もかなり進歩したな。相応に全文の趣旨を伝えている。以下に示す。一部の表記その他に手を加えた。
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物事は互いに影響し合い、総ての行動は互いに利益を齎す。ああ! クラゲは分別を欠き、エビの目を借りて物を見、自己認識を頼りに自制して行動する。この視線は、単なる一つの目の産物ではない。波間に漂うそれは、二つの心の隠された調和でもある。出自は違えど、私たちの道は同じだ。残された明晰さの光に、混乱した体を導かせることは、本当に有益なのだろうか? この瞬間を捨てて、ただ、闇を受け入れ、ただ、光を装うだけでよいのだろうか? エビの動きは同族に導かれているが、このエビの視線は、捨てることができない。最初は、盲目の馬が母の後をついていくように、次いで、出発しようとしている盲目の人が案内人を待つように。青い波の下を、ともに漂う澄んだ水面を、注意深く観察し、その誠実さを理解しようではないか。それは私と一体なのだから。このように、目は単独で見るのではなく、その働きは常に絡み合っている。その形と実体は、自己隠蔽に依拠し、その視線は、しばしば光を盗むかのようだ。水の種類を識別できるその目は、常に鋭敏に知覚し、泉の部屋を揺るぎなく進む道を持っている。目には見えないが、暗闇の中で常に明晰である。頭にエビを持ち、遠くを惜しみなく見つめ、長く遠くまで見渡せるクラゲに因んで、名付けられたのではないだろうか? 広大で果てしない広がりの中で、それは、前を見つめ、目に見えないものでさえ、それが後ろにいることを知ることができないようにする。このようにして、それは得失の適切さを識別し、それに応じて行動する。結合しているときは、それは明晰に啓発され、真に隠蔽がなく、分離している時は、それは完全に沈黙し、真に意識がない。誠実さが達成された結果、それは最初から最後まで支えられている。私は、あなたについて、疑いを持たない。あなたの、絶え間なく、揺るぎない光が、私の導きだから。そしてあなたは、暗闇の中でも疑いなく私の目である。こうして人は、賢者は自らを警戒せず、無知な者は、ただ、傍観者に過ぎないことを知るのである。心で物事を観察し、それに応えることで、単なる仲介者を通して得られるものよりも優れた成果を上げることができるのだ。これは、私を、決して、欺くことのない、長く続く本質的な道と同じでる。私に示された親切を思うたびに、それをまだ受け取っていないことが恥ずかしくなるのである。
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この詩人、クラゲとエビに、真の生きるためのエッセンスを込めているではないか!!!
「鰝(かう)」「説文」に「大鰕」とある。
「鰕魚(かぎよ)」「廣漢和辭典」の「魚」の第二義に、「正字通」に既にして『水中にすむ動物の総称』とある。特に「大きい」とは、ない。しかし、「蝦」の「魚」を附すことで、通常の食とする魚類に匹敵する「大型の」のニュアンスは感じられる。
「丹鰕(たんか)」強い赤みを帯びた大エビ。本邦のイセエビ・クラスであろう。
「紅鰕(かうか)」あざやかな赤みを帯びた大エビ。
「鰕魁(かくわい)」大エビ。「首魁」で集団のかの代表格のエビ。或いは「魁偉」で大きさがずば抜けて大きく堂々としているエビ。
「鰕抷(かひ)」「抷」には第一義に「両手で捧げる」、第二義に「開く・広げる」の意である。第一義で、途方もなく大きなエビ。
2番開く。広げる。
「神鰕(しんか)」ありがちな神のような偉大な大エビ。
「元來、『鰕《か》』は、河產(かさん)のものヽ總稱」淡水産のエビであると言っている。辞書では特にそのような記載はないが、中国では、陸の淡水産のものが、古くから流通していたことからは、納得出来る。「廣漢和辭典」の「鰕」では、第二義に『さんしょううお』とする。因みに、同書の「解字」の中には、(つくり)の「叚」は『赤い色の意』とある。しかし、世界的に見ても、淡水のエビは赤は主流ではないと思うのだが。日本産はまさに白くない。
「嶺表錄(れいひやうろく)」「嶺表錄異」とも。唐の劉恂(りゅうじゅん)撰になる中国南方の風土産物を図入りで説いた風土・物産誌。
「五色の鰕(ゑび)あり。亦、長さ尺餘のものを、兩(ふたつ)、兩(つい[やぶちゃん注:ママ。])に乾すを、『對鰕(ついか[やぶちゃん注:ママ。])』と、いひて、上饌(じやうせん)に充(あ)つ、とあり。」
「李時珍曰く、『鰕米は、食するに、薑醋(しやうがず)を以《もつて》す。又、嶺南に天鰕(てんか)あり。鰕(か)あり。酢(すし)と作(な)して、食し、饌品(せんひん)の珍とす。』と、あり。」これは、引用をパッチワークする際に、致命的に誤ってしまっている。これは東洋文庫版でも、後注(21)で、『酢と作して食し 原文では「天蝦あり。蝦あり酢と作して食し」とするが、意味がとれないため、後者の「蝦あり」を削除した。』とする。注の謂いは正しいが、手抜き的で、「本草綱目」の原文を確認してカットした感じの記載ではない。そこで、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目卷四十四」「鱗之三魚類【三十一種】」のガイド・ナンバー「104-51a」の「鰕」の当該冒頭部の「氣味」までを示すこととした。一部の漢字に手を入れた。河原田氏が誤った箇所を太字(広義の原文)・下線(引用部分)で示した。
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鰕【别錄下品】
釋名【時珍曰鰕音霞俗作蝦入湯則紅色如霞也】
集解【時珍曰江湖出者大而色白溪池出者小而色靑皆磔鬚鉞鼻背有斷節尾有硬鱗多足而好躍其腸屬腦其子在腹外凡有數種米鰕糠鰕以精粗名也靑鰕白鰕以色名也梅鰕以梅雨時有也泥鰕海鰕以出產名也嶺南有天鰕其蟲大如蟻秋社後群墮水中化爲鰕人以作鮓食凡鰕之大者蒸曝去殻謂之鰕米食以薑醋饌品所珍】
氣味甘溫有小毒【詵曰生水田及溝渠者有毒鮓內者尤有毒藏器曰以熱飯盛密器中作鮓食毒人至死弘景曰無鬚及腹下通黑幷煮之色白者並不可食小兒及雞狗食之脚屈弱鼎曰動風發瘡疥冷積源曰動風熱有病人勿食】
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なお、幸いにも、私の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰕」の項で、寺島良安がかなりの部分を引用しているので、見られたい。私の注もついている。昔のものだが、相応に、じっくりと注はしているから(近年、補正もした)、「鰕米」等の注は、そちらに任せる。
「閩書南產志(みんしよなんざんし)」「びんしよなんざんし」が一般的。福建省の地誌。
「水港鰕(すいこうか)」「すいかうか」が正しい。よく判らないが、河川の河口附近の港のあるような汽水域に棲息するエビのことか。
「斑節鰕(はんせつか)」これは、根鰓亜目(クルマエビ)亜目Dendrobranchiataクルマエビ上科 Penaeoideaクルマエビ科クルマエビ属クルマエビ Marsupenaeus japonicus の中文名。同種の「維基百科」には『斑節對虾』と載り、そこによれば、『日本の北海道以南、中国沿岸、東南アジア、オーストラリア北部、東アフリカ、紅海など、広範囲に分布している。成体は、1月から3月と9月から10月にかけて中国沿岸で漁獲でき、産卵のピークは12月から翌年の3月。エビのピークシーズンは1月から3月。』とある。種小名で、本邦特産と勘違いされないように。
「白鰕(はくか)」「泥鰕(でいか)」「梅鰕(ばいか)」「蘆鰕(ろか)」の種は同定出来ない。これらは、頼みの綱であった「百度百科」でも掛かってこない。
「鰕米(かべい)」前に説明がある通り、小エビを茹でて、殻を剥き、天日で乾燥させた食材を指す。「米」は、狭義に於いて、「穀類の実の部分の外皮を取り外した部分」を指し、エビの殻を外したものと同義的と言えば、言える。その場合、穀類を狭義の米とせず、豆類も含めて考えれば、ミミクリーとして無理がない。
「古(いに)しへ、本邦の通俗、『裸鰕(はだかゑび)』といひ、今、『すりゑび』と云ふものなり」ネットでは掛からない。国立国会図書館デジタルコレクションの古い書籍でヒットはしたが、この二つ呼称は、現在では、死語のようである。
「李時珍曰く、『鰕米は食する薑醋(しやうがず)を以《もつて》す。又、嶺南に天鰕(てんか)あり。酢(すし)と作(な)して、食し、饌品(せんひん)の珍とす。』と、あり。」幸いにも、私の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鰕」の項で、寺島良安が引用しているので見られたい。私の注もついている。昔のものだが、相応に、じっくりと注はしているように思われる。
「『丹鰕(たんか)』、『大脚鰕(だいきやくか)』、一名、『艸鰕(さうか)』は、本邦の『かせゑび』、一名『てんこうゑび』なり」十脚目イセエビ科イセエビ属イセエビ Panulirus japonicus 、或いは、同属の他種かとも思われるが、この和名が、全く初耳で判らない。識者の御教授を乞うものである。
「蠶鰕(さんか)」お手上げ。同前。
『「三才圖會」には、『泥鰕(でいか)』の一名を『苗鰕(びうか)』とし』「びうか」は「べうか」が正しい。
「福州府志」明代の「福州府志萬歷本」であるが、著者不明。
『一名『塗苗(とびう[やぶちゃん注:ママ。])』、又、『醬鰕(しやうか)』と、あり』わからんちん。
「『時鰕(じか)』は、本邦の『あみ』なり」軟甲綱真軟甲亜綱フクロエビ上目アミ目 Mysida のアミ類。もう疲れたので(本朝から、十二時間、やりっぱなし!)、当該ウィキを見られたい。
「海物異名記(かいぶついめうき[やぶちゃん注:ママ。])」「かいぶつみやうき」が正しい。嘗つて別な電子化注で、中文サイトの「福州府志」を見た際、同書では七ヶ所で引用されており、それなりに有名な海産物誌らしいが、詳細は不詳である。しかし、その時、同書での引用箇所を管見したところでは、ちょっと言い方に怪しい感じがしたのを覚えている。
「鹽(しほ)を加(くはへ)て、醬(しやう)となすことを、載せたり」何度か買って食べたが、どうも、今一つ、しょっぱいばかりで、旨味を感じなかった。そのうち、また挑戦してみよう。]
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