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2026/04/06

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その4)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

 石花菜を採收して販賣する地方は、伊豆、相摸、安房、志摩、紀伊、豐後、伊豫、土佐、肥前、日向、對馬、其外(そのほか)、渡島、膽振(ゐぶり)、大隅、薩摩、豐前、肥後、和泉、伊勢、三河、遠江、上總、下總、常陸、陸前、羽後、若狹、越前、能登、越後、佐渡、但馬、伯耆、出雲、石見、隱岐、備前、周防、長門、阿波、壹岐等、凡(およそ)四十餘國なり。

 瓊脂(ところてん)を製し創(はじめ)しことは、考ふべからずといへども、往古(わうこ)、凝海藻(こりもは)・煮凝(にこヾり)の名稱あるによれば、古(ふるく)より、煮て凝(こヾり)となせしものなるべし。又「庭訓往來」に、西山(にしやま)の心太(こヽろぶと)の名物あるを見れば、已に、元弘[やぶちゃん注:一三三一年から一三三四年。]の頃、嵯峨邊(へん)にて、製し、賣(うり)しならん。寬永二十年の著書なる「料理物語」に鮒(ふな)のにこヾりに、夏は「ところてん』を加へることをのせて、追々(おひおひ)、他物(たぶつ)をこヾらせるの料(りやう)にも用(もちひ)たりし、と見へ、其後(そのご)は、諸國に傳り、夏月(かげつ)、これを造らざる地方は、なきに至れり。而して、其製法は、石花菜八十匁より百匁許(ばかり)[やぶちゃん注:三百~三百七十五グラム。]を、一夜(いちや)、水に浸し洗ひ、根際(ねぎは)の砂石(すないし)を去り、釜中に、水、二升七、八合を入れ、煑て、後(のち)に釀酢(こめず)五勺[やぶちゃん注:九十ミリリットル。]を入れ、攬(かきま)ぜ、暫くして、別の器(うつは)に入れ、溶(と)けざる滓(かす)は、再び、釜中(かまのなか)に返し、水を加(くわ[やぶちゃん注:ママ。])ゆること、前量に同じ。これに、酢五勺を加へ煮て、再び、濾(こし)て、漆器(しつき)に入れ、冷(ひ)ゆるを待ちて程(ほど)に、切(きり)ものとす。若(も)し、早く冷(ひや)さんとせば、暫く、冷水(れいすい)に浸すべし。

[やぶちゃん注:「庭訓往來」玄恵(げんえ)法印(南北朝時代の天台宗の僧で儒者)の作と伝えるが、疑問。室町前期の往来物で、全一巻。応永年間(一三九四年~一四二八年)頃の成立かとされる。往復書簡の形式を採り、手紙文の模範とするとともに、武士の日常生活に関する諸事実・用語を素材とする初等教科書として編まれた。後、室町・江戸時代に広く流布した(主文は小学館「日本国語大辞典」に拠ったが、少し弄った)。国立国会図書館デジタルコレクションの「國民思想叢書 民衆篇」(昭和四(一九二九)年~昭和六年國民思想叢書刊行會刊)の「庭訓往來」のここの右丁一行目で確認出来る。

「西山(にしやま)の心太(こヽろぶと)の名物ある」前に紹介した「大和本草卷之八 草之四 海藻類 心太 (ココロフト=トコロテン)」の私の注の「西山」を見よ。

「料理物語」小学館「日本大百科全書」に拠れば、『日本最古の料理書』で、寛永二〇(一六四三)年『刊行。著者は不明』。「續群書類從」の『飲食部に収録されている。従来の庖丁書』『を見慣れた人たちに新鮮な印象を与え、その後の料理書にも本書から数多く引用されるなど、料理書の古典として声価は高い。第一の海の魚から第七の青物の部までは食品材料をあげて料理法を列挙、第八のなまだれだし、いりざけの部以下第九より第』十九『まで「汁、なます、指身(さしみ)、さかびて、煮物、焼物、吸もの、料理酒、さかな、後段、菓子、茶」とあり、それぞれの代表的な料理の作り方を説明、第』二十『は万聞書(よろずききがき)の部として、一夜ずしの仕様など、そのほか関連料理の作り方を列記している。この様式は以後の料理書の書き方に影響を与えた。』とある。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本食肉史基礎資料集成』第二百二十三輯(栗田奏二編著・一九八六年刊)の「料理物語」の、ここの右丁上段中央に、

   *

ところてん さしみ。かうの物。夏のこゞりに入吉。

   *

とあった。「煮凝り」は、単に「こごり」とも言った。]

 

 寒天を製(こしら)へ創(はじ)めしは、萬治元年[やぶちゃん注:一六五八年。家綱の治世。]の冬にして、山城伏見の驛(ゑき[やぶちゃん注:ママ。])、美濃屋太郞右衞門方に、薩摩侯の宿りし時、饌羞(ごちそう)に出(だ)したる瓊脂(ところてん)の食(しよくよ)を地上に棄てしもの。數日(すじつ)の後(のち)、自(おのづか)ら、凍(こほり[やぶちゃん注:ママ。衍字。])り乾きたるを見て、太郞右衞門、自得するところ、あり。爾來、百方(ひやくはう)、工夫(くふう)を運(めぐ)らし、屢(しばしば)、試驗を經て、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に良品を製し、之を『心太(こゝろてん)の乾物(かんぶつ)』と稱せり。此時、來朝したる黃檗(わうばく)の開山僧(かいさんそう)隱元(いんげん)、見て、佛家(ふつか[やぶちゃん注:ママ。])の食(しよく[やぶちゃん注:本邦の仏家であるから日本語として「じき」と読むのが正当。])に適當するものとし、『寒天』と號たりといふ。「日用料理集」に、貞享・元祿[やぶちゃん注:一六八四年から一七〇四年。綱吉の治世。]の頃、「かんてん」、已に世に行はれしことを載せ、爾來、伏見の特產なりしが、其後(そのご)、攝津にて、製し、天保十一年に至りては、丹波地方に傳へ、又、信濃諏訪郡(すがこほり)に始まり、又、各地に開業するものありしも、廢業するもの多く、現今に至りては、城(やましろ)、攝(せつヽ)、丹(たんば)、信(しなの)、四國(しこく)[やぶちゃん注:前の「四つの国」の意。]の特有產物となり、營業家七十餘戶(よこ)に至れり。

[やぶちゃん注:「饌羞」音「せんしう(せんしゅう)」。「羞」は、この場合は「進(勧)める」の意。元は中国語で唐代に使用例がある。日本語では「羞饌」(しゅうせん)の方が一般的である。

「日用料理集」東洋文庫版の後注に、本書名について、『『合類日用料理抄』(元禄二年・一六八九)のことか。同書は、秘伝、口伝、聞き書等から料理法にとどまらず、材料や取合せの適切さをも叙述している。』とあった。しかし、「東京学芸大学教育コンテンツアーカイブ」の「合類日用料理抄」の「雜之類」の「72にある「凝ところてん」を視認したが、貞享・元禄の頃に「かんてん」が世に行われていたというような記載はなかった。]

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