阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「狒々」
[やぶちゃん注:底本はここから。句読点・記号(ここは、文章構造が二層になっているので、「*」を添えてある)を附加・変更し、段落を成形した。「山丈(やまわらは)」は珍しい底本のルビ。]
「狒々《ひひ》」 志駄郡《しだのこほり》上藤川村《かみふじかはむら》、奧、山中にあり。傳云《つたへいふ》、
*
此山に『山丈(やまわらは)』と稱する怪獸あり。
一歲《ひととせ》[やぶちゃん注:「過去のある年」の意。]、島田の民《たみ》、市助《いちすけ》と云《いふ》者、材木を業《わざ》として、深山《しんざん》に入《いる》事、數回。
或時《あるとき》、谷畠《たにはた》の里より、未明に出《いで》て、知者山《ちしややま》の險岨《けんそ》を經《へ》、八草《やくさ》の里《さと》に至るの途中、夜《よ》、既に明《あけ》んと欲《ほつ》するころ、深林《しんりん》を過《すぐ》るに、前路、數十步を隔《へだて》て、其丈《そのたけ》、一丈計《ばか》りの怪しき者、立《たち》ながら、大木《だいぼく》に寄《より》かゝりて、左右を顧視《かへりみ》するさま也。
敎導者《きやうだうしや》、潜《ひそ》かに告《つげ》て云《いはく》、
「此者《このもの》は『山丈《やまわらは》』と云《いふ》怪獸也。彼《かれ》に逢へば、命《いのち》、危《あやふ》し。前に進むべからず、聲を揚《あ》ぐべからず、早く、此《この》深林に隱るべし。」
と。
市助、敎《をしへ》のまゝにして、日出《ひいづ》るを待てり。
漸《やうや》くして、彼者《かのもの》、樹下《じゆか》を去《さり》て、峯上《みねうへ》に迅走《じんそう》す[やぶちゃん注:ママ。]時、是を窺見《うかがひみ》るに、狀《かたち》、人の如く、黑身《こくしん》にして、毛、生《はえ》、面《おもて》、人の如く、眼《まなこ》、きらめき、唇《くちびる》、反倒《そりかへ》り、頭《かしら》の髮、長き事、頭髮を、たれたるが如し。其丈《そのたけ》、丈餘也。
敎導者と同じく、彼《かの》樹下に至り、其跡を見るに、篠竹《しのだけ》を、三寸計《ばか》りに嚙《かみ》くだきたると、獸毛《じうもう》と交りたる糞《くそ》、堆《うづたか》く殘れり。
傍《かたはら》の木、一丈計り上に、皮をむきとりたる跡あり。
敎導者云《いはく》、
「此怪獸は、常に、木皮《きがは》と篠《しの》を、好《このみ》て喰へり。」
云云《うんぬん》。」。
*
或《あるいは》、云《いふ》、
「是《これ》、『狒々』也。『山丈《やまわらは》』に非ず。」
云云。
[やぶちゃん注:このロケーションは、前話の「楚世乃木」と山続きの東方の部分に当たる。そこで注した通り、「上藤川村」は、ウィキの「志太郡」に拠れば、『東川根村 ← 藤川村、青部村、田代村、桑野山村、梅地村、上岸村(現・榛原郡(はいばらぐん)川根本町(かわねほんちょう)』とあるだけで、「上藤川」はなく、江戸時代にはあったらしい、と述べ、川根本町をグーグル・マップで示した。ここである。但し、今回は、後に出る地名・山名から、場所は特定出来た。後注を見られたい。
「狒々」「山丈(やまわらは)」この二妖怪、或いは、二異怪獣に就いては、私のテクスト注では、民俗学的なものは、『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 狒々』が、最も良い。また、そこにもリンクした、私のサイト版『「和漢三才圖會」卷第四十 寓類 恠類』の「狒狒」で、その想定実在モデルの考証もしているので、是非、読まれたい。なお、後者では、良安は、同じ第四十一の中で、「山精 さんせい」の付属項「山丈山姑 やまをとこ やまうば」を立項しており、異なる異獣として扱っている。その辺りも、注で解説してある。ここでは、詳細は非常に長くなってしまうので、述べない。悪しからず。
「島田」現在の静岡県島田市(グーグル・マップ:後に出る「知者山」(=智者山:島田市の地域外の北)を地図上に含めてある)。ここは、当該ウィキに拠れば、『江戸時代では東海道の宿場町として盛えた。市内を流れる大井川は、江戸の防衛上の理由から架橋を禁止されたため』、『人足による川越制度が敷かれ』、『川止め(雨などで川越が禁止される事)の時、両岸の嶋田宿と金谷宿は、「さながら江戸のよう」な賑わいを見せた』とある。
「谷畠の里」現在の静岡県榛原郡川根本町東藤川谷畑(たにはた)。ここ(グーグル・マップ)。
「知者山」ここで、「ひなたGIS」で示す。戦前の地図の方の、中央の「+」の十時方向の左上中央に「谷畑」を視認でき、その対角線上の四時方向の右下中央に「智者山」(右の国土地理院図では、標高千二百九十一メートルである)が確認出来る。
「八草の里」前のリンクから、「ひなたGIS」を南東に少し降ろし、「智者山」を中央にすると、戦前の地図の南東山麓に「八草」の集落が確認出来る。以下の叙述からして、
戦前の地図のここの拡大図を見るに、最も下り易いのは、
――智者山山頂から東南東に下り、途中で、東方向に行くと「八草」に至るものであるから、このルートの途中で、「山丈」に遭遇した――
と、ほぼ断定でよいのではないか、と思われる(東北東にも山道はあるが、その場合は、途中で非常に小さな山道を歩かなければならないので、それは第二候補とする)。
「敎導者」この場合、単なる山林案内人ではなく、修験道や当地の山岳の具体的な詳細な知識を保持した土着の人物であると考えてよい。
「此深林に隱るべし」「ひなたGIS」を拡大して見ると、例のルートの、八草にまさに下る最後の箇所が、まさに、途中から、広葉樹から針葉樹に遷移していることが判る。
「篠竹」単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科メダケ属メダケ Pleioblastus Simonii の異名であるが、同種は、湿気を好むため、河川敷や海辺の丘陵などで群落を作るので、標高が六百メートル超えの、この辺りでは、おかしい。この場合の「篠竹」は、別に「しのべ」「しのだけ」の異名を持つタケ亜科ヤダケ属ヤダケ Pseudosasa japonica である。ヤダケは、山に生え、人間の身長よりも少しばかり高く、上の方まで一本で繋がっており、節の間が比較的長い特徴を持つ。人型怪異獣が偏食するには、そもそも、メダケでは、拍子っパズレである。]
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