阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「於魯知」
[やぶちゃん注:底本はここから。句読点・記号を附加・変更し、段落を成形した。]
「於魯知《をろち》」 志駄郡桑野村にあり。傳云《つたへいふ》、
『往昔《わうじやく》、當村に、一大蛇《いちだいじや》あり。
或時、大地、震動して、迅雨風烈《じんうふうれつ》す。時に、潜《もぐ》る所の大蛇、地中を躍出《をどりいで》、北山《きたやま》の堰河《せきがは》を剺《さ》き分《わか》つ。[やぶちゃん字注:「剺」は、原文では、下の「厂」の中が「力」になった、「グリフウィキ」のこの異体字であるが、表示出来ないので、「剺」とした。なお、これを「さく」と訓じていることは、次の次の段落で「剺(さ)く」(「劈く」に同じ意)と原本が振っていることで、明らかである。]
然《しか》るに、高山《かうざん》の頂《いただき》、震《ふる》ひ崩《くづ》れ、數丈《すうじやう》の磐石《ばんじやく》、一度《いちど》に轉倒し、大蛇の上に重《かさな》り落つ。
蛇《じや》、山を剺(さ)くの勢《いきほひ》ありといへども、此災《このわざはひ》を免《まぬか》るゝ事、あたはず、磐石の爲《ため》に、押斃《おしたふ》さる。
此日《このひ》、山中、洪水して、民家を潰し、人、死する事、夥し。云云。』。
『今に此所《このところ》、蛇骨《じやこつ》を出《いだ》せり。上藤川村、德應山化成院【淨土、京知恩院末。】の厨《くり》に、彼《かの》大蛇の車骨《くるまぼね》[やぶちゃん注:「大きな骨」の意。]を踏次《ろじ》[やぶちゃん注:「路地(ろぢ)」の慣用誤記であろう。]の石の代りとす。大《おほい》さ、碓《うす》の如し。』。
里人《さとびと》云《いふ》、
「彼《かの》大蛇の負返《おひかへ/まけかへ》す所の山は、今、遠州澤間村の上、寸俣川《すまたがは》の渡《わた》り本《もと》より、村の角《かど》迄、凡《およそ》、長《ながさ》四町餘《あまり》の山也。云云。」。
[やぶちゃん注:「於魯知《をろち》」小学館「日本国語大辞典」では、単に『「ち」は霊威、霊威あるものの意』とし、初出を何方もご存知の「古事記」「上つ卷」の『八俣(やまた)の遠呂智(ヲロチ)』を挙げる。但し、実は、大蛇・蟒蛇(うわばみ)を何故に「ヲロチ」と呼ぶかは、解明されていない。「ぴる来る」氏のブログ「ぴる来るふろむ古民家」の『【日本語 上代 6】「をろち」考』で、『を=「峰(を)」または「丘(を)」』、『ろ=助詞の「の」』、『ち=「霊威あるもの」』『というのがよく見られる説だ。』『「山に棲む妖異」のような感じだろうか。』『または』、『を=「尾」で「尾」「ろ=の」「霊(ち)」』『だともいう。』『蛇は身体の大部分が尾のように見えるから、という解釈らしい。』『またスサノヲが大蛇を退治した際に、尾の中から剣が見つかった伝説から、この怪物の霊力が尾にあったのだという主張だ。』とあった。
「志駄郡桑野村」現在の静岡県榛原郡川根本町(かわねほんちょう)桑野山(くわのやま:グーグル・マップ)。
「北山の堰河」「ひなたGIS」の桑野山の戦前の地図を見るに、北のピーク(国土地理院図で標高七百四十四メートル)の北側に、大井川が強烈に蛇行している部分があり、その川岸に人工に拠る固めた堰(せき)があるのが確認出来る。恐らくは、江戸時代、既にこうした人口の堰が、ここに、あったものと思われるので、それを指しているものと推定出来る。
「高山の頂、震ひ崩れ、數丈の磐石、一度に轉倒し」前記の北のピークを「高山」と称しても、何ら、違和感はない。但し、岩山ではないので、誇張はあるが。
「蛇骨」この地区の地学的知識はないが、何等かの結晶性の岩石、或いは、先史時代以前の岩石、或いは、古生物の化石が出土しても、おかしくはないと思う。それを、「蛇骨」と称したのではなかろうか?
「彼大蛇の負返す所の山は、今、遠州澤間村の上、寸俣川の渡り本より、村の角迄、凡、長四町の山也。」村人の伝承異伝である。「四町」は約四百三十六メートル。「澤間村」は現在の根本町千頭(せんず)であるが、「ひなたGIS」の国土地理院図を見ると、「赤間」の字名が残る。大井川の左岸の「沢間」を北上すると、左岸で、寸又川が分流している。もっと拡大すると、戦前の地図の中央に、寸又川への分岐部分に小さな橋のマークが見える。この前後に、江戸時代には、この辺りに、寸又川と大井川の「渡し」があったのではあるまいか? とすると、そこから、四百三十六メートルのピークとなると、寸又川が北で蛇行する(ここも堰がある)このピークしかないように思われる。先の私が想定した場所より、スケールが小さいが、里人の信じる架空の大蛇伝説(間違いなく大井川・寸又川の氾濫の寓話である)としては、かえって、その方が納得出来るようにも、私には思われるのである。]
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